第三十五話 「思い出の物があったらよ」
「ふあぁ…!」
欠伸して目を擦った俺を、隣のジュンペーが「あれ?寝不足ですか?」って見上げてきた。
「まぁな…」
曖昧に頷いて誤魔化しとく。
俺、阿武隈沙月。キイチに間違えてホラー映画をレンタルされて散々な目にあった熊。…何も出発前日にあんなミスしなく
てもよぉ…。幽霊がゴーストでなかなか寝付けなくてすっかり寝不足だぜチクショウ…。
ケイゴが咳払いして笑いを誤魔化す。…何も言わねぇから安心しろ、みてぇな視線がちょっとムカつく…。
帰省も終わって、星陵に向かう乗り継ぎの途中。ホームで列車の到着を待つのは、俺、キイチ、ケイゴ、ジュンペー、ダイ
スケの五名。ウッチーとシンジョウは戻んの最終日だ。
ん?後輩ふたり?ああ、コイツらは星陵を見学して、寮に体験宿泊するんだ。そういう制度があるって事をキイチが知って
て、トラ先生に相談して許可貰った。実はもっと前に申し込まねぇとダメだったらしいんだが、今回は休み中だし予定入って
ねぇしで、たまたまタイミング良かったから特別オーケーだってよ。
ケイゴの荷物は、バッグ一つで見た目は変わってねぇけど重さが違う。ウチのお袋とキイチのお袋さんが、瓶詰めの塩ウニ
とか海苔の佃煮とか、飯の友をドッサリ持たせたから。
皆ケイゴを気に入ってくれて、ウチの親父が押し切る格好で冬休みの訪問まで約束させた。おいでませ夏の東護大作戦は成
功したって考えて良いだろうな!ぬはは!
「駅弁何がいいす?」
「…あれ。あの、紐を引っ張るヤツはねぇか?牛タンの…」
ダイスケに訊かれてキヨスクの方を見るケイゴ。
「確か、セイロだかって名前のヤツす?」
「ああ」
「牛タン好きすか?」
「嫌いじゃねぇ。…あと、あの、紐引っ張って湯気が出るのが、ちょっと面白ぇ」
「あー!判る!」
そんなやりとりを眺めながら、「…ダイスケ、オシタリ先輩にすっかり懐いてますよね?」と、確認するように小声で話し
かけて来るジュンペー。
「だな。お前はともかく、ダイスケはずっと避けてるっぽかったけどよ…」
最初は付き合い難そうな感じだったんだが、キイチがアレコレ世話焼いた成果が出たのかな?ダイスケとケイゴは結構仲が
良い。…ってか、ケイゴが刺々しくなくなって来たのもあるんだろうな。前は人付き合い自体を面倒がってるようなトコあっ
たし、壁作ってた感じもあるし…。
「ジュンペー君とダイスケ君のおかげも、あると思うよ?」
キイチがヒソヒソと言う。ケイゴはずっと一匹シェパードだったから、後輩ってのがどう接するべき存在なのかよく判って
なくて、戸惑ってもいたんだと。それが、ふたりとつるむ内に何となく慣れて来たっつぅか…。
「これで、来年の春に入る応援団の後輩とも、上手くやれるかもね」
「ああそうか!お前そういうトコまで考えてんだなぁ…」
相変わらず気が回る相棒だぜ。感心感心!
「先輩達、買わないんすか?今の内に買っとかないと…」
ケイゴと一緒に弁当のラインナップを確認してたダイスケが、俺達を振り返って呼ぶ。
「おお!車内販売も良いけど、種類で言うならやっぱコッチだよな!キイチ何が良い?食いてぇの片っ端から言えよな、分け
るからよ!」
「いや、僕はそんなにまでして食べなくてもいいから…」
「オレはあの押し寿司弁当っていうのが気になるんですけど、当たり?外れ?」
「試した事ないならシェアする?もしダメでも、サツキ君は何でも食べるから…」
「おう!食えなかったら任せろよ、残飯処理班に!」
俺達は、着いてからどう見学して回るか、たっぷり打ち合わせしながら旅行気分で星陵に向かって…。
「まず一枚。いただきます!」
親から預かったデジカメで、ジュンペーは駅を振り返って一枚パシャリ。
「笑ってよダイスケ」
「え?駅の写真だろ?」
「記念写真でもあるんだよ~」
片膝ついてしゃがんだまま、ジュンペーがせがんでダイスケがしぶしぶ気をつけする。
「先輩方、次は集合写真撮りますからね」
「集合写真は二番目なんだ?」
「そりゃ~オレはダイスケにゾッコンですからね!」
茶化すキイチ。即答するジュンペー。ボフッと毛を逆立てて丸くなるダイスケ。おうおうごちそうさん!
「けどあんまりゆっくり観光してる時間はねぇぞ?いちいち集合写真は無理だからな?」
「了解です!」
ジュンペーにせがまれて、しぶってたケイゴも加えて記念写真。携帯式の華奢な三脚で、集合写真は三枚連続で撮られた。
駅から向かうのはまず学校だ。トラ先生に挨拶して、仮入寮の書類を提出しなくちゃな。
道中でチョコチョコ目に付いた店なんかの説明をする。遠くに見える学校の向こうのこんもりした山の事や、カップルでお
参りしたらヤベェって聞いた神社の事も話した。ジュンペーはパシャパシャ写真撮りまくりながら、ちゃんと聞いて憶えてく。
コイツ頭も良いんだよなぁ…。
ダイスケの受験が難関っぽいって話を思い浮かべながら、俺はふと、気になった事を訊ねた。
「なぁ?お前らホントに星陵進学で良いのか?」
『は!?』
ジュンペーが、ダイスケが、キイチが、ケイゴまでが、声を揃えて俺を見た。
「何ですかそれ!?」
「今更す!」
「いや、だってよぉ…」
俺は後輩達を見ながら鼻を掻いた。
「柔道だったらシラノーとかザオウとか、近めのトコも強ぇだろ?ホレ、ダイスケに勝ったヤツも副島だし…、別にこっち来
なくても快適に柔道できんじゃねぇか?って思ってだな」
「何すかそれ!?」
「今更です!」
ダイスケとジュンペーがプーッと頬を膨らます。子供かよ。
「ただ柔道やるだけじゃ足りないんです!先輩と柔道しなきゃ!」
はっきり言うジュンペーと、ウンウン頷くダイスケ。
「…そか!ぬはははは!ありがとよ!」
歩き出したら。キイチに肘でつつかれた。
「…最終確認にしては遅過ぎない?」
「遅くねぇよ。気持ちは嬉しいけどな…」
小声で返して、俺はジュンペーと、急にカメラを振られて変な横ピースと引き攣った顔で応じてるダイスケをチラ見する。
「…見学して、もしも合わねぇって思ったら、他を受験しろって言うつもりだ」
「…なんで?」
キイチがビックリ顔で言う。
「来てくれるっていうコイツらの気持ちは嬉しい。けどな、ぶっちゃけ練習の環境はあんま良くねぇ。ジュンペーもダイスケ
もまだまだ伸びる選手だしな、ホントは部が充実してるトコ目指すのが良いんだよ。なんせ、指導してやるにも先輩は俺独り。
新入部員もどのぐれぇ来るか判ったもんじゃねぇからな…」
「サツキ君…」
心配そうに見つめてくるキイチ。そんな顔すんなって!
「俺ぁ大丈夫だ。ネコヤマ先輩も稽古相手になってくれるし、ちゃんと全国行きって実績作ったから、これからは陽明以外の
トコにも混ざりに行き易くなる。心配要らねぇよ」
「僕が自己申告する「大丈夫」はあてにならないって言うくせに、自分の「大丈夫」は信用しろっていうの?」
悪戯っぽく片眉を上げたキイチに、俺はニヤリと笑ってやる。
「信用しろよ。これでも県大会優勝者なんだぜ?」
「そうだね、信用する。だから信用してあげてよ」
キイチは小さく顎をしゃくって、変顔をキメてるジュンペーと、それを撮るダイスケを示した。
「あのふたりも、同じ環境でやって行けるって」
…ぬははっ!一本取られた!
「遥々ようこそふたりとも。私は寅、イヌイ達の担任だ。話は聞いていると思うがね」
笑ってるような眠そうな、穏やかな細い目のトラ先生は、書類を受け取って中身を確認してからジュンペーとダイスケに笑
いかけた。
「お世話になります!」
「よろしくお願いします!」
学校の生徒指導室。並んで座ってるジュンペーとダイスケは、向き合って座る肥った虎に揃って頭を下げる。俺達は廊下に
立って、開けっ放しのドアから中を覗く格好。…廊下のが涼しいんだよ…。
流石に暑いからか、トラ先生は白衣を羽織ってねぇ。休日だからってのもあるんだろうけど、緑の半袖ポロシャツにズボン
のクールビズだ。…学校で白衣以外の格好してる先生見んのは珍しいな…。
校長は居ないから挨拶できなかったが、トラ先生が書類を受け取ってくれて手続きは完了。校長と理事長にはゴジツケッサ
イだかになるけど、FAXをジゼンショーダクして貰ったからこれでオーケーなんだと。
「さて、まずは校内の見学かな?見学中はこの札を首にかけておいて、帰りに私まで返しに来てくれ」
トラ先生が太い指でツツッとテーブルを這わせたのは、見学者って太字で書かれた首掛けパス。上半分が黄色で下が青の、
鮮やかで目立つ札だ。
「では、私も同行して案内しよう。…どっこいしょ…っと」
腰を上げたトラ先生に、俺は不思議になって「お?先生も一緒?」と訊いてみる。
「先生が引率してくれんなら、その札なくても良いんじゃねぇっすか?」
「一応これも規則なんだ。それに、はぐれた時も有れば安心だろう?迷子防止みたいな物だなぁ。はっはっはっ」
…学校の中ではぐれられんのかな…?
「そうそう、私が責任もって引率するから、皆は寮に荷物を置いて来たらどうかな?しばらく締め切っていたからなぁ、空気
の入れ替えもしなくちゃいけないだろう」
「そういう事なら…」
口を開いたのはケイゴ。
「オレとサツキだけで全員分の荷物は運べる。キイチは先生と一緒について回ればいい。ふたりもキイチが一緒に居た方が緊
張しねぇだろ」
…へぇ…!
「そうだね。それがベターかもだけど…、お願いしてもいい?」
キイチの問いかけに、俺もケイゴも揃って頷く。何つぅか変わって来たよなケイゴ。トラ先生はそんなケイゴを見ながら…、
気のせいか?ちょっと笑ってるような気がする。いや、いつも笑ってるような優しい目ぇしてんだけどさ…。
「じゃあ、アブクマとオシタリに頼むとして、戻りはゆっくりで構わないぞ?何せ私は鈍いからなぁ」
そう言ったトラ先生はケイゴに目を向けて…、
「…そうそうオシタリ、休みは楽しんで来れたかね?」
「…押忍…」
ケイゴは一瞬口を引き結んで、それから耳を倒して、小せぇ声で返事をする。…ぬはは!ま~た照れてんのか…!
「ん。それなら、何よりだったなぁ」
肥った虎はいつも細い目を糸みてぇに細くして、ケイゴに笑いかけてた。
だいたいの案内が終わる時間に、校舎裏庭の日陰ベンチで待ち合わせる事に決めて、俺とケイゴは全員分の荷物を預かって
寮に運び込んだ。
出発前に掃除してったから部屋は綺麗になってるはずなんだが…、ものすげぇ暑くなってたし、先生が言ってたとおり空気
が気になる。淀んでるって言うのかこれ?
「空気入れ替えねぇと、気になっちまうよな?こりゃあ…」
「ああ。…サウナかよ…」
ケイゴウッチー組の部屋も似た感じだったらしい。空気は暑いわ淀んでるわで、窓開けて、台所も換気扇で空気を替える。
ふたりがかりで部屋二つ軽く掃除して、空気入れ替えて、準備して…。
「よし、これでオーケーだろ」
ケイゴが掃除機を片付けてる間に、俺はパックの水出し麦茶を両方の部屋の冷蔵庫にセットする。
「そろそろ行くか?」
ケイゴが棚の時計を確認した。「トラ先生はゆっくりで良いって言ったが、もう丁度いい頃だろ?」って。…掃除に集中し
てたから気付かなかったが、結構時間かかったんだな…。
氷をコップに突っ込んで、キーンと冷えた水をコップ一杯飲んでから、俺とケイゴはドアに鍵を掛ける。
まだ殆どの連中が実家とかに帰ったままだから、学校と同じように寮も静かだ。あと何日かで元通りになるから、結構貴重
な状態なんだよな。
主将も団長も最終日まで戻って来ねぇ。できれば後輩紹介したかったんだけどよ…。
「そうだ。今夜誰かひとりそっちに泊まるか?ひとりだと寂しいだろ?」
「要らねぇ。子供じゃねぇんだぞ」
「そうか?俺、ひとりで寝んの落ち着かなかったぜ?時間持て余してよぉ」
「時間持て余すのは寂しいんじゃなく、暇なだけじゃねぇのか?」
そんな事を言い合いながら俺達は寮を出て、残暑厳しい星陵の街並みを、学校目指して歩き出した。
「…大丈夫すか先生…!?」
開口一番シェパードが言った言葉は、まんま俺の気持ちと一緒だった。
日陰のベンチに座ってフゥフゥ言ってるトラ先生は汗だくだ。ポロシャツの色が…、こりゃあ汗か…、腋の下とか汗で色濃
くなってる…。いや俺も掃除して汗かいたけど、先生コレどんだけだよ…。
「いやぁ…、今日は風がなくてしんどいなぁ…。体型的にも…」
ハンカチで顔を拭う先生は苦笑い。…お疲れさんっす…。
キイチの話だと、先生は部室の方とかの案内だけじゃなく、ふたりに希望されて柔道場の中まで見学させてくれたらしい。
…道場も締め切ってたし、畳とかカビ臭くなってねぇか、あとで確認しなきゃいけねぇな。
ジュンペーとダイスケは繰り返し丁寧に礼を言って、先生は軽く手を振って「大した事はしてないぞぉ」って応じて、お決
まりのどっこいしょを呟いて立ち上がる。
「さあ、見逃しがなければここで終了だ。明日には帰るんだから時間もあまり無いんだろぉ?のんびり市内見物して来なさい。
何せ、学校内は入学後に、嫌と言うほど見学できるんだからなぁ」
『はい!』
ダイスケとジュンペーは背筋を伸ばして、深々と頭を下げてお辞儀した。たぶん色々メモしたんだろうな、ふたりが持って
る案内パンフは少しクシャッとなってた。
にこやかに手を振る汗だくトラ先生に見送られて、昇降口から出る。
ジュンペーもダイスケも機嫌がよくて、何回も振り返って先生にお礼を言ってた。
で、校門を抜ける辺りでふたりが言った。
「デカいですね…」
「広いすね…。学校も校庭も…」
ジュンペーとダイスケに「でしょ?」とキイチが頷く。
「一回じゃ覚えきれないと思うけど、トラ先生も言っていた通り、まず雰囲気を感じ取るのが見学だから。構造とかは入学し
てから覚えればいいよ」
『は~い』
「それで、どうだった?見て回った感想」
俺の質問に、狸と熊は揃って笑顔を見せる。
「ますます来たくなりました!」
「ワクワクしたす!」
『そりゃ良かった』
…ん?
声が被って横を向いたら、ケイゴが咳払いしてた。ぬはははは!
「そういえば、あの先生…」
ダイスケが視線を上に向けて口を開く。
「うん!優しそうな先生だったね!お腹も柔らかそうでポロシャツパツンパツン!あちこちムチムチしてて…、ムフフ!」
ジュンペーが変な笑い方をする。…が、何か言いかけたダイスケは黙り込んぢまった。
「あ。オレは本命ダイスケのままだからね!」
弁解するジュンペー。…お前はホント…。
「ん、そうじゃなくてだな…」
ダイスケは少し迷ってるような表情で、キイチの顔を窺って、それから俺とキイチの方を向いて…。
「トラ先生って、オレ達と同類す?」
『…………へ?』
俺もキイチも、同時に変な声を漏らした。
まぁ、何だ。寮に行くのは最後の最後で、町の中とか見て回らせる予定だったんだが…。
「…そんな訳にも行かなくなっちまったな…」
唸った俺に、隣のキイチが難しい顔で頷いた。
寮の俺達の部屋。窓を閉め切ってドアに鍵掛けて冷房ガンガン入れながら五人で車座、顔を突き合わせる。
「で…、確かなのダイスケ?」
ジュンペーが確認し、ダイスケがこっくり頷く。
ケイゴはまだ半信半疑ってツラだが、ダイスケの感想は俺達にとって特別重要なモンだった。
どういう訳か、ダイスケは同類…つまり同性愛者を見分けられる。確認できた内訳から言えば、この直感は百発百中の精度
らしい。…ぶっちゃけ羨ましい直感だぜ…。正直コツとかあるなら教えて欲しいんだが、ダイスケ自身も何を基準に見抜いて
るんだか判ってねぇから、伝授できるモンでもねぇそうだ。
「マジでか。トラ先生が…」
「トラ先生が…、ホモ…?」
俺に続いてケイゴが低く呟く。
「ショックか?」
「いや…」
訊いてみたら、ケイゴはあっさり首を横に振った。
「懐深いひとだから、女に告られても男に告られても受け入れそうだって、自分でも変だと思う納得の仕方してるぜ…」
『判る!』
俺とキイチの声がハモった。
「まてよ?って事はだ…。俺ら、先生に色々相談できんじゃねぇのか?」
俺がポンと手を打ったら、同じ事考えてんのか、キイチが「うん」って頷いた。
身近な、大人の同類…。望んでも無かった「先輩」が学校に居る…!
「で、でも…」
ダイスケがモゴモゴ、上目遣いで言う。
「こ、今回に限ってオイラの気のせいだったりしたら…?相手は先生だし…、担任だし…、噂になったりはしないと思うすけ
ど、先生から問題視とかされたら…」
「う~ん、そりゃそうだけど…」
「そこは…、虎穴に入らずんば、だね」
キイチがピッと指を立てた。
「僕に良い案があるよ。ちょっと考えを纏めてシミュレートしてみてから、かまをかけてみようと思う」
「かまをかける?どうやってだ?」
首を捻った俺に、キイチは「「僕、ホモだったみたいなんですけど…」って相談を装って確認に行くよ」って…。
「待て!」
「待てよ」
「先輩ちょ!」
「キイチ兄ぃ!」
口々に止めにかかる俺達を、キイチは手を上げて制した。
「今年読んだ中に、ボーイズラブを題材にしてる小説があるんだ。きっかけっていうか何ていうか、根拠としてそれを持って
相談に行こうと思う」
「それ没収されちゃわないですか!?」
ジュンペーが声を大きくし…、心配ソコか!?
「大丈夫だよ。性的描写は示唆する程度にしかないソフトな本で、年齢制限にも引っかかってないから」
キイチが冷静に返す。…問題ソコか!?
「何より心配要らない根拠は、「先生がトラ先生だから」」
キイチがキッパリ言って、ジュンペーとダイスケは困惑顔を見合わせた。…が、俺とケイゴは別の感じ方をして顔を見合わ
せてる。
「ホモでもそうでなくても心配要らない。さっきケイゴ君が言った感想とも似てるけど、トラ先生なら、自分と違う価値観で
も頭から否定するような事はないと思うよ」
そう。キイチが言う「トラ先生だから」って根拠は、俺とケイゴには説得力抜群だった。
「もしそうだったら心強いよね」
時々見せるクソ度胸を披露したキイチは、ニッコリ笑った。
「ウツノミヤ君の事もあるんだし」
まぁ、そうだけどなぁ…。実際問題、信用できる大人のお仲間は欲しいよなぁ…。
トラ先生が同類かも?っていうかなりデカい衝撃を受けた俺達だったが、少し時間が経って落ち着いてから、予定遅れで街
の案内に移った。
夕方まで時間もあんまりねぇから、買い物で世話になるアーケードとか、近場のスポーツグッズ店だとか、本当に近場中心
になっちまったけど…。ジュンペーとダイスケは体験入寮だから、門限早めに設定されてんだよ。警備員さんにチェックされ
るから、ちゃんと時間までに帰らねぇとトラ先生にも迷惑かかっちまう。
さらっと案内して回って夕暮れになったら、飯のための移動だ。
ハンニバルはすぐ近くで明日の出発前でも利用できるから、今日はキイチの提案があったラーメン屋…シロアン先輩んちだ。
太陽が傾いて少し涼しくなった道、先導するキイチは先に電話で座席予約してたんだが…。
「小部屋…」
呟くキイチ。到着するなり店の奥さんに案内されたのは、ガッチリ冷房が効いた小グループ用の座敷席だった。
回るテーブルが真ん中に置かれた七人ぐれぇ入れる部屋で、生木と新畳…つまり新築の匂いがする。
「夏休み中にリフォームするって言ってたけど、このお部屋、改築したての新しい席だ…!先輩に気を使われちゃった…!」
たぶんシロアン先輩の手配なんだろうって、キイチは苦笑い。…キイチ仲良いよなあの先輩と…。
「どんな先輩なんですか?」
メニュー表をじーっと見て唾を飲み込んでるダイスケの横で、ジュンペーが興味深そうに訊く。
「僕の水泳の先生。優しくて丁寧な先輩だよ」
…それ、本当は俺がなるはずだったポジション…。
「へぇ~!水泳部なんですね!」
「ううん。相撲部」
「???」
流石に疑問顔になるジュンペー。
皆でメニューを選ぶ合間に、キイチはシロアン先輩との馴れ初めを詳しく話して聞かせる。
「じゃあたくさん頼まなきゃですね!個室まであてがって貰ったんだし!」
「ならオイラはこの…」
ジュンペーらしい恩返しの意見に、ソッコーで食いついたのはメニューと睨めっこしてたダイスケ。
「うん。ここチャーシューが人気だから、いいチョイスかも」
「あとチャーハンとジャージャーメンと…」
「餡かけヤキソバ!」
ダイスケを遮って挙手するジュンペー。
「…トンコツチャーシュースペシャル」
ボソリと呟くケイゴ。…メニュー見ねぇで決める辺り、さてはマガキ先輩とかと何回か来てんな?
「僕は塩野菜ラーメン。…皆が食べるなら水餃子とかエビシュウマイもオススメだよ?」
意外と詳しいキイチ。不思議に思ってる俺の視線に気付くと、「先輩から人気のサイドメニューって聞いたんだ」と説明し
てくれた。ほうほう…。
「ああ、あと…。小籠包もはじめたって夏休み前に…」
ん?視界の隅で何か動いて目を遣ると、ケイゴが目を大きくして耳を立ててる。ビックリしてるようなツラだが…。
あ!もしかしてコイツ、小籠包が好きなのか!?家に泊まってる間、何でも食うし好き嫌い言わなかったから、特にコレが
好みだ、ってのは判らなかったんだよなぁ…。
「じゃあソイツも頼もうぜ!せっかくだから何皿かよ!」
俺がキイチにそう言うと、ケイゴの尻尾がハタッと小さく揺れて…、目がちょっと細くなってた。ぬはは!
「それにしても…、サイドメニューも結構本格的だったんだな?ここ」
「うん。奥さんが凝り性で、毎年少しずつ増えてるんだって」
「女将さん…さっきの色白美人か?」
「そう。シロアン先輩はお母さん似だよね」
似て…、え?ああ…、まぁ…、体の色はな…。
キイチがジュンペーとダイスケからアレコレ訊かれてる間に、俺はヒソヒソッとケイゴに話しかけてみた。
「小籠包好きなのか?」
「…好きって言うのか、実感はねぇ。けど…」
ケイゴは細くした目を遠くに向けて、こう答えたんだ。
「…前に、親父とちょっと、な…」
………ああ、そっか…。
「言えよな?そういう食い物」
「ん?」
ケイゴは眉根を寄せて…、
「作れる物ならやってみる。だから言えよ。そういう、思い出の物があったらよ」
「……ああ」
ちょっとだけ、笑ってくれた。
皆で頼んで分け合って、色々食えた晩飯は美味かった。肌寒ぃぐれぇ冷房が効いた中で熱々の中華ってのは贅沢だよな!
たらふく食って寮まで戻って…。
「も、もうダメ…!」
部屋に到着するなり、ダイスケがゴタンと仰向けに転がった。
「食い過ぎた…!腹パンパン…!」
膨れ上がった腹を抱えて、苦しそうにヒィフゥ息をしてるダイスケを、ジュンペーが呆れ顔で見下ろす。
「調子に乗るから…」
「踏むなぁ…!はみ出るぅ…!ウェップ…!」
臍を出してる腹に軽く足を乗せられて唸るダイスケ。はみ出すなよ頼むから…。
「サツキ君、胃薬とかあったっけ?」
「う~ん、腹痛用の薬しかねぇな…」
「ウツノミヤの救急箱に胃散が入ってたはずだ。借りて来る」
見かねたケイゴは、ジュンペーのスイマセンスイマセンを背中に薬を取りに行く。…ケイゴが手をつけたって知ったらウッ
チーが無駄に怒りそうだから、後で買ってきて補充しとこう…。
「それで、見て回った感想とか、どう?」
キイチが聞くと、ジュンペーが丸顔を緩ませてニマッと笑った。
「イイトコって感じました。過ごし易そうだし、学校も立派だし、ますます来たくなりました!ダイスケは?」
話を振られたダイスケは、「え?」って苦しげに腹を撫でながら目を向ける。
「聞いてなかったの!?先輩から星陵の感想訊かれてるんだよ!?」
ダイスケは半分瞼が降りた目を天井に据えて、遠い目で言った。
「星陵は、美味い…」
『………』
俺もキイチも流石に黙り込んだ。…正直でいいけど、感想それだけかよ…。食い過ぎるぐれぇだからそりゃあ美味かったん
だろうけどな…。
「ダイスケ。踏めばもっと感想出てくる?絞り出してみる?」
据わった目の笑顔で、ジュンペーはそっとダイスケの腹に足を乗せた。即座に青ざめるダイスケ。
「やめろぉ~!感想以外が出てくるからぁ~!…ウプッ!踏まないで撫でろ~!優しく撫でろ~!オウェップ!」
感想以外出すなよ頼むから…。
「見付けたぜ。胃散…、これで合ってるよな?」
「あああ!ゴメンなさい有り難うございます先輩!」
ケイゴが戻って薬の箱を翳して見せると、ジュンペーは手を合わせて南無南無擦りながら頭を下げた。…仏像かよ…。
「ありがとうございますぅ…!でももう入んないからしばらくしてから…」
「薬も飲めないの!?アホの子なの!?アホの子なのか!アホの子だな!」
起き上がることもできねぇダイスケと、地団駄踏むジュンペー。そんなふたりを俺とキイチが呆れ顔で眺めてると…。
「………」
その様子を見てたケイゴが、ふっと、少しだけ顔を緩めた。俺の視線に気付いたらすぐ真顔に戻ったけどよ…。
ま、大したモンって言えるかもな?ケイゴを笑わせられんなら…。