第六話 「悪いひとじゃない」

トンテンカン、トンテンカン、と、リズミカルな音が屋根の上に響く。

「キイチぃー。耐水ボンド放ってくれー」

「うん。いくよ〜?せぇのっ!」

脚立で屋根のへりから作業を見守っていた僕は、捻りはちまきを締めた熊獣人に向かって、指定されたボンドを放る。

運動はまるっきりな僕だけど、コントロールだけはそこそこだ。

昔から続けてきたゴミをくずかごにシュートするテクニックは、妙な所で役に立つ。…役立ち具合が微妙だけどね…。

「あんがとよ」

サツキ君は右肩目掛けて飛んだボンドを片手でキャッチすると、手慣れた様子で雨漏りの補修を続ける。

今、世間はゴールデンウィーク。僕らはこの連休を部活三昧で過ごした。

連休明けの中間試験に備えての勉強に、道場の補修、そして定期戦に向けた稽古。やる事はいっぱいある!

そして今サツキ君は、道場の瓦と防水シートをどかして、腐ったり、歪んで隙間があいたりした板を張り替えてる。

180キロに王手をかけているサツキ君が乗ったら、腐った天井が抜け落ちるんじゃないかと心配もしたけれど、そこはさ

すがだった。

梁や丈夫な部分を見極めて体重をかけているのか、たまに小さな軋み音がするくらいで、危ない感じは全然しない。

それにしても、慣れた手付きで大工仕事をするサツキ君の姿は、惚れ惚れしちゃう程かっこいいなぁ…。

僕の熱い視線に気付く事も無く、しばらく集中して補修作業を進めた後、

「あっちゃ〜…。参った…」

と呟いて、サツキ君は手を止め、困ったように頬を掻いた。

「結構ひでぇなぁここのライン、こりゃ総替えしなきゃなんねぇな…。この分だと材料少し足んなくなんぞ?」

「あれれ?どうしよう…?」

「ん〜…、足りるトコまでやって、ビニールシートで一回塞ぐか。明日も休みだし、もっかい材料買い出しだな。悪ぃけど、

主将に明日も作業に当てて大丈夫か聞いてくれるか?」

「うんっ。ちょっと待っててね?」

ちなみに、主将は道場内で重傷の畳を抜き出し中。

部費が結構出たおかげで、半分近くの畳を替えられるだけの余裕ができたんだ。

僕は脚立を伝って降りると、道場の入り口に回った。

おっと、自己紹介、自己紹介っと…。

僕は乾樹市。星陵ヶ丘高校一年生で、クリーム色の被毛をした猫獣人。

一応柔道部のマネージャーやってます。…初心者もいい所だけど…。



痛みが激しい畳をチェックし、はがして重ねていたイワクニ主将は、サツキ君の言葉を伝えると、汗を拭いながら頷いた。

「ああ、構わないよ。どのみち、新しい畳が来るのは月曜になるからな。床がこの状況じゃあ、明日も外でのトレーニングく

らいしかできないし…」

僕と主将は道場を見回す。半分近くの畳が上がった状態の道場は、なんだか怪我人みたいに見えて、ちょっと可哀そうに感

じた…。

「予想外に時間がかかったな…。救急用具の買い出しも今日の内にやっておきたかったけれど、明日に持ち越しか…」

「なら、明日材料を買い足しにでかけた時に、一緒に見てきますよ?」

僕がそう申し出ると、主将は済まなそうに頭を掻いた。

「それじゃあお願いしようかな。あ、そうだ。下ろしておいた部費、今日の内に預けておくよ。僕はアブクマに言われた品を

当たってみる」

「サツキ君に言われた品?」

「ああ。トレーニング器具、もうちょっと作り足すんだって。いくつか欲しい物があるからと、また美化委員会にかけあって

くれないかって、頼まれているんだ」

へぇ、頑張るなぁサツキ君…。本当に頼りになるっ!

僕は再び脚立を登り、主将から了承を貰った事をサツキ君に告げた。

そろそろ日が傾いて、修繕に費やした一日が終わろうとしていた…。



早めに夕食を終えた後、部屋で腹筋背筋腕立てなどの筋トレ、柔軟をしているサツキ君を残して、僕は寮の玄関に向かった。

明日には買い物に出るけれど、今日の内に救急用具を買っておけば、材料を買い出しに行っても、重い荷物を全部サツキ君

に預けなくても済むと思ったんだ。

何処に出かけるか話せば、サツキ君はまず間違いなく一緒に行くと言うはずだから、黙って出てきた。

日中はずっと作業だったから、集中してトレーニングさせてあげたかったしね。

何せ間近に迫ってる定期戦は、結果が柔道部の今後の活動に大きく影響する。

サツキ君は、定期戦で陽明の柔道部相手に大活躍して、偵察に来るはずの他校の注目を集めるっていう、大事な役目を背負っ

てる。

そうする事で、弱小と名高い(?)うちの柔道部でも、練習試合の話を通しやすくなる。…っていうのが、主将の狙いだ。

それに、中間試験も近い。定期戦よりも前にやって来る。補習なんか勿論嫌だから、サツキ君はそっちに備えても頑張ってる。

…ほんと、色々と大変だねサツキ君…。

少しぐらい肩代わりしてあげたいけれど、僕じゃ勉強を少し見てあげる位が関の山だ…。

僕は玄関前で、懐に収めていた封筒を取り出して、主将から預かった部費を確認した。

中には…、え?あれ?ひー、ふー、みー…、な、なんで三万円も…!?

もしかして主将、間違った!?「はい、一万円な」ってよこしたのにっ!

…な、失くさないように気をつけなくちゃ…。

封筒を懐に納めた僕は、ふと視線を感じて振り向いた。

階段脇の自販機の所に、クラスメートのシェパードが立っている。

缶コーヒーを飲んでいたオシタリ君は、僕が振り向くと同時に視線を逸らした。

上にはジャケットをひっかけてる、今日もこれから出かける所なのかな?

ウツノミヤ君の話じゃ、今でも何処に行っているのか解らないらしい。…っていうか、もう訊く事もしないそうだけど…。

少し気にはなるけれど、僕なんかが訊いた所で、答えてはくれないだろうなぁ…。

…気になるといえば、最近になって、ウツノミヤ君が気になる事を言ってたっけ。

「オシタリには、あまり関わらない方が良いと思う」

眼鏡をかけた隣室の狐君の、真面目な口調と顔が脳裏を過ぎった。

サツキ君にも同じ事を言っていたけれど、最近オシタリ君とケンカでもしたのかな?

理由については一切話してくれなかったけれど、真剣な様子だった。何があったんだろう?

僕は上着の襟を正しながら、ちらっとオシタリ君に視線を向けた。

黙ってコーヒーを飲んでて、もう僕の方は見てない。

…いつも一人で居る彼を見ていると、僕の胸は軽くザワつく…。

心の表面が細波立っているような、激しくはないけれども落ち着かない感じ…。

彼は、サツキ君と再び知り合うまでの僕と、似ているような気がするんだ…。

当たり障りのない対応だけして、決して誰とも心を通じ合わせようとはしなかった、他人を恐れて、避けていた頃の僕と…。

ただ、少し違うと思うのは、以前の僕みたいに上辺を装う事すらしていない事。

オシタリ君の場合は、明確な拒絶の態度が現れている。

食堂でしょっちゅう同席する(っていうか押しかけてる)サツキ君にだけは、いくらかだけど、何か言ったりもするらしい。

けれども、それでもまともな会話はまだできていないそうだ。

いつかは、打ち解けられると良いな…。きっと悪いひとじゃないし…。

僕は玄関のドアを開けて、明かりに照らされた庭へと足を踏み出した。

なんだか、背中にオシタリ君の視線が、じっと注がれていたような気がした。



それは、薬局に向かう途中での出来事だった。

メモを見て買う品物を確認していた僕が、横合いから不意に伸ばされた手で口元を押さえられ、薄暗い角にグイっと乱暴に

引っ張り込まれたのは…。

「むぐぅ!?んんっ!ぐんむぅ〜っ!」

 助けを呼ぼうとしても、口がしっかり押さえられていて、くぐもった声しか出せない!

僕と同じか、少し年上だろうか?小柄な僕は二人の男に、首と顔と胸側を押さえられ、そして両足を抱きかかえられるよう

にして、薄暗い路地の奥に連れて行かれた。

必死にジタバタしたけれど、体力の無い僕の抵抗は、二人には何でもなかった。

 僕はどんどん奥へ、暗くて寂しい方へと運ばれて行く!

やがて僕は、細い路地がエル字型に曲がった角で、乱暴に地面に放り出された。

アスファルトに膝と肘を打って、「いっつ!」と声を漏らしながら、慌てて身を起こす。

壁を背にして、路地の角に立っている僕は、少年達の集団に取り囲まれた。

皆たぶん高校生、でも、誰一人として顔に見覚えが無い。…恐らく星陵の生徒じゃないと思う…。

「よぉ、ぼくぅ?金貸してくれねぇかなぁ?」

膝立ちの姿勢でいる僕の前で屈み込み、髪を茶色に染めた男がそう言った。

…何処にでも居るんだね、こういうのは…。

数は四人…。内一人が獣人、虎縞模様のがっしりした猫だ。僕の足じゃ、走って逃げるのは無理だろうね…。

いつもの僕なら、からまれたってかつあげに遭ったって、どうっていう事は無い。

お金なんて殆ど持ち歩かないから、痛いだけで済むから。だから落ち着いて男達を観察する事ができた。

…違う!今日の僕は大金を持ってるじゃないか!?

普段とは違う事に気付いて、僕は焦った。今の僕は主将から預かった部費を持ってる!

薬などの救急用品と、修繕材料を買うためのお金…、三万円もの大金を!

いけない…!僕はどうなっても構わないけれど、このお金だけは失えない!

「おい、びびっちゃってんの?」

「だいじょうぶだって、大人しく金さえ出してくれりゃ、酷いことなんかしねぇからさぁ」

男達は薄笑いを浮かべて僕ににじり寄る。

僕は素早く考えを巡らせ、ある事を思いついた。

「本当に…、お金を出せば見逃してくれますか…?」

おどおどと、怯えているように見えるよう演技をしながら、僕はお尻のポケットから財布を取り出した。

男達は満足げに笑い、頷く。

囮作戦!中に千三百二十二円という大金が入った僕の財布に注意を引き付け、ジャンバーの内ポケットに入れた封筒には気

付かれないようにする!

「ひっ!」

男達の間を抜け、向こう側の地面に落ちるように、僕は細心の注意を払って財布を投げた。

狙い通り、伸ばされた指先をかすめて、見事にあっち側に落ちる財布。

男達の視線が向こうへ向いたその瞬間、膝立ちだった僕は、クラウチングスタートの体勢から走り出し、端っこに立ってい

た男と壁の間をすり抜けた。

気付いた男が「あっ!?コラぁっ!」と声を上げて腕を伸ばしたけれど、僕の体には届かなかった。

よし抜けた!これで見逃してくれれば…!

「おい逃がすな!」

「まだ持ってるかもしんねぇぞ!」

うそぉ!?引っかかってくれないの!?

僕は必死に走りながら、ポケットで何かが震動している事に気付く。

あ、携帯!持ってからまだ二ヶ月ぐらいしか経ってないから、存在自体を忘れてた!こういう時にこそ役に立つのに!

僕は走りながらポケットから二つ折りの携帯を引っ張り出し、パカッと開く。

着信を知らせるモニターには「さっちゃん」の五文字っ!

『キイチぃ?パソコンの電源入りっぱなしになってんだけど、消してもだいじょ…』

「サツキ君っ!大変っ!」

サツキ君の声を遮り、僕は携帯に叫んだ。

一声だけでただ事ではないと察してくれたのか、サツキ君の声の調子が変わる。

『どうした!?お前、何処に居る!?』

「今っ、薬局に来る途中でっ、かつあげっ!部費が!逃げてるとこ!」

情報を纏めることができず、乱れる息の間から途切れ途切れに言葉を送る。

『寮に向かって走って来い!すぐ……』

状況を察してくれたのか、サツキ君は返事を返して来たが、電波の入りが悪くなったのか、携帯はしばらく沈黙し、そして

通話が切れた。

慌ててリダイヤルしようとした僕は、薄暗い道で明るい携帯の画面に気を取られ、側溝の蓋が僅かに浮いた所へ足を引っ掛

けてしまった。

ヘッドスライディングでもするように倒れ込み、僕の手から携帯が離れ、路面の上をカラカラと滑って行く。

「こけたぞ!」

「押さえろ!」

まずいっ!つ、捕まっちゃう!

四つん這いでわたわたと這い出した僕は、行く手の暗がり、滑って行った携帯の所に、誰かが立っている事に気付いた。

「…あっ…」

暗がりの中で、両目に静かな光を湛え、ポケットに手を突っ込んで立っているのは、鋭い顔つきのジャーマンシェパード…。

彼に気付き、僕を追っていた男達が足を止めた。

「何だ?てめぇ…」

僕の携帯を拾い上げ、こっちにじっと視線を向けているオシタリ君に、男の一人が声をかけた。

けれど、オシタリ君はそれを無視して、スタスタと足早に歩いて来る。

「痛い目に遭いたくなけりゃ…」

「おい、聞いてんのか?」

オシタリ君は、呆然とへたり込んだままの僕に歩み寄り、それを見た男の一人がこっちへ駆け寄って来る。

「ぐえっ!?」

ビュッという音と、ドフッという音が、殆ど間を開けずに聞こえた。

へたり込んでいる僕の耳の先を掠めたオシタリ君のサイドキックは、僕の背後に駆け寄っていた男のお腹に飛び込んだ。

ビックリしながら振り返った僕の目の前で、男は走ってきた勢いがそのまま逆転したように、もんどりうって後ろにひっく

り返っていた。

も、物凄いキック力…!

「て、てめぇ!やんのかコラぁっ!?」

オシタリ君はいきり立つ男達を完全に無視して、僕の顔の前に携帯を突き出した。

携帯と彼の顔を交互に見て、おずおずと受け取ると、オシタリ君は携帯を握った僕の手首をがっしりと掴んだ。

「…走るぜ…。息が止まるかオレが良いって言うまで、立ち止まるんじゃねえぞ…」

ぼそっと呟くと同時に、腕がいきなり引っ張られ、僕はオシタリ君に引きずられるようにして立ち上がる。

風が耳元で唸る音と、追いかけて来る怒声を聞きながら、僕はオシタリ君にグイグイ引っ張られ、路地を走った。



オシタリ君は、予想もしていなかった凄い脚力の持ち主だった。

 たぶん、体力測定では真面目にやってなかったんだと思う。

僕はほとんど引き摺られるような感じで、これまでに経験した事もないような速さで走らされた。

僕を引っ張ってしばらく走った後、オシタリ君は僕を引っ張って曲がり角に身を潜めた。

息を殺して待つと、男達は隠れた僕らには気付かないで、そのまま路地を駆け抜けて行く。

そのまま少し待ったけど、引き返して来る気配は無い…。

僕が安堵の息を吐いた横で、オシタリ君が立ち上がり、腕時計を覗き込んで舌打ちした。

「…携帯、貸してくれ」

僕が戸惑っていると、オシタリ君は微かに口の端を吊り上げた。

「安心しろ。キューツーなんかにかけたりはしねぇよ」

意味が判らず首を傾げると、オシタリ君は顔を顰めて、ガリガリと頭を掻いた。

…もしかして、何か冗談を言ったんだろうか?

僕が携帯を差し出すと、オシタリ君は手早くボタンを押し、どこかへ電話をかけた。

「オシタリです。すんません、急用が入ったんで、今日は休まして貰います」

誰かと短い通話を終えると、オシタリ君は僕に携帯を返して寄越した。

「あ、あの…。ありがとう、助けてくれて…」

「行くぜ。連中はまだうろついてやがるかもしれねえ。気ぃ抜くな」

オシタリ君は僕の言葉を遮ると、路地を見渡し、再び僕の腕を掴んで歩き出した。

少しきつく掴まれていたけれど、オシタリ君の手は結構大きくて、温かかった。

なんとなくだけれど、受ける印象がサツキ君の手と似ていた。

相手を安心させられる、そんな手と…。



寮までの道のりを半分ほど戻った所で、オシタリ君は足を止め、僕の手を放した。

疑問に思って彼の顔を見上げると、オシタリ君は前を向いたまま顎をしゃくる。

路地の向こうへ視線を向けると、向こう側からドスドスと走ってくる足音が聞こえ、薄暗い街灯に大きな影が照らし出された。

「サツキ君!」

大柄な熊獣人は僕に気付くと、息を切らせて駆け寄って来た。

「キイチぃっ!?何ともねぇか!?大丈夫か!?」

「うん。オシタリ君が助けてくれて…」

僕が視線を向けた時には、オシタリ君はサツキ君の脇を抜け、ポケットに手を突っ込んでスタスタと歩いて行く所だった。

「あ、ま、待ってよオシタリ君!」

慌てて追いかけようとしたら、足がもつれて転びかけ、僕はサツキ君に抱き止められた。

安心したせいか、今になって走り回った疲労が足に来たみたい…。もうプルプル震えが来てる…、情けない…!

サツキ君は僕を支えて歩き出しながら、歩き去って行くオシタリ君に声をかけた。

「おい、待てよオシタリ」

足を止め、面倒臭そうに首を巡らせたオシタリ君に、サツキ君は深く頭を下げた。

「恩に着る。でっけぇ借りができちまったな…」

オシタリ君は何も答えず、また前を向く。その背中へ、サツキ君はまた声をかける。

「待てって、コーヒー奢るからよ」

ピタッと、オシタリ君の足が止まった。そしてちらりとこちらを振り返る。

振り返り際に、フサフサの尻尾がパタッと、一度だけ小さく動いていた。

意外な反応…。僕がちらりと顔を見上げると、サツキ君は小声で、

「あいつ甘い缶コーヒーが無茶苦茶好きらしい。シンジョウの情報だ」

と囁いた。さらに、

「ウッチーも言ってたろ?冷蔵庫の中に缶コーヒー大量に詰め込んでるってよ…」

と付け加える。…そういえばそんな事を言っていたかも…。

「そこの自販機まで付き合えよ。時間は取らせねぇから」

サツキ君はそう言うと、僕の腕を優しく掴み、歩き出す。

オシタリ君は迷ったようだったけど、横を追い抜いた僕達の後ろを、少し遅れてついてきた。



「ほれ」

壁によりかかったオシタリ君は、サツキ君が放った缶コーヒーを、片手をポケットに突っ込んだまま、肩の高さでキャッチ

した。

ちょっとした動作が、いちいちさまになっててかっこいい…。

サツキ君は僕にお茶を手渡し、自分のコーヒーを買うと、まだ口をつけていないオシタリ君に視線を向けた。

「遠慮すんなって」

オシタリ君は手元の缶に目を落とし、それからまた僕らに視線を向ける。

「…なんで…オレに構う?」

低い静かな声で、オシタリ君はそう言った。

「聞いてんだろ?オレがどんなんだか…」

サツキ君は頷くと、プシッとプルタブを起こした。

「まぁ、少しは聞いちゃいるが、知っちゃいねぇ」

意味が判らなかったのか、目を細めたオシタリ君に、サツキ君は肩を竦めて見せた。

「聞いた話が本当かどうかなんぞ、頭悪ぃ俺にゃ判らねぇよ。だからまだ知るトコまでは来てねぇ。それに、噂を全部素直に

信じられるほど、純粋でもねぇんでな」

「…ふん…」

俯き加減でよく見えないけど、どうやらオシタリ君は、サツキ君の言葉で苦笑いしてるみたいだった。

他人を寄せ付けようとしなかった彼だけれど、ほとんど言葉を交わした事も無かった僕を助けてくれた。

今もまだ、確かに距離を保っているけれど、それでも苦笑いの分だけ、距離を詰めてくれたような気がする。

「ねぇ。オシタリ君…」

僕が遠慮がちに声をかけると、シェパードは細めた目を僕に向けた。

いつも通りの鋭い目つきだけど、それでも今は、その瞳は拒絶するような光を放ってはいない。

「なんで助けてくれたの?用事あったんでしょ?僕を無視して行く事もできたはずなのに…」

オシタリ君は眉間に皺を寄せた。そしてしばらく沈黙した後、

「別に…、ただの気紛れだ…」

ぼそぼそとそう呟くと、シェパードはやっと缶コーヒーに口をつけた。

「ありがとう。オシタリ君」

「ありがとな、オシタリ」

僕とサツキ君が揃ってお礼を言うと、オシタリ君はプイッと顔を背けた。

「…うるせぇ…」

ぼそっと呟かれた、いつもの無愛想な言葉が、幾分照れたような響きを伴っている事に、僕達はもちろん気付いた。

オシタリ君は、やっぱり悪い人じゃない。

昔がどうだったかなんて知らないし、どうでもいい。今の彼は決して悪人じゃないもん。

無愛想で、近付き難くて、素直じゃないけれど、彼とはきっと、上手くやっていけるはずなんだ。

どうしたら、溝を取り除けるだろう?

どうすれば、僕に向けてくれたさっきのような笑みを、皆にも向けられるようになるだろう?

オシタリ君が他人との関わり合いを避けたがる、その理由さえ判れば…。

僕と同じ事を考えているのか、サツキ君も黙ってコーヒーを啜りながら、思案するように目を細めていた。

…明日からは、僕も彼と同じテーブルで食事をしてみようかな…。