第八話 「三度目」

マナーモードにしていた携帯が、ブルルルルッ…ブルルルルッ…と、珍しい時間に震えた。

寮の自室のパソコンで、柔道部の週間スケジュール表の作成作業に勤しんでいた僕は首を傾げながら、脇の床に置いていた

携帯を手に取る。

誰だろう?時刻はもうじき午後十時、こんな遅くにかかって来るなんて珍しい。…ダイちゃんかな?宿題で判らない所があ

るとか?

一つ下の黒熊の顔を思い浮かべながら、三月に買って貰ったばかりの真新しい携帯の背中にある小ウィンドウを覗き込むと、

そこには…。

「お母さん!」

小窓に表示された文字と同じ言葉を、僕は口にする。勝手にピンッと立った尻尾がプルプルと小刻みに震えた。

薄茶色のフワフワ柔らかな被毛を纏う、品が良くて優しげな犬獣人女性の顔を思い浮かべたら、頬が勝手に弛んでしまう…。

いそいそと電話に出た僕は、お母さんの声を携帯越しに聞いて、笑みを深くした。

二、三日に一回は電話を入れるようにはしているんだけれど、それでもこうして数日に一度はあっちからも電話をかけてき

てくれるのが、とても嬉しい。

変わった事なんて何もなくても、変わらない生活を送っているっていう事を、僕はこまめに伝えてる。

これは、幼馴染であり、恋人でもあるサツキ君から言われて、ずっと続けている事だ。

マザコン?…う〜ん、どうなんだろう?自覚はないけれど、お父さんにも同じような感じかも?

僕には、お母さんが二人居る。お父さんも。つまり、産んでくれた両親と、今養ってくれている両親…。

「親が四人も居るなんて、僕ちょっと恵まれてるよね?」

と、以前サツキ君に言った事がある。

「ぬははははっ!キイチは本当に考え方が変わってんなぁ!」

僕の言葉を聞いた幼馴染の大きな熊は、大きなお腹を揺すって大声で笑ってたっけ。

…ちょっとした強がりのつもりで言ったのに、何だか凄く感心されて、おまけに嬉しそうな笑顔なんて見せられちゃったか

ら、本当はただの強がりだなんて言えなくなっちゃったんだよね…。

かなりの長電話で日常の話(殆どが他愛の無いものだけど…)をした後、僕とお母さんはどちらからともなく「お休み」を

切り出した。

でも…、

『あ、キイチ?』

「はい?」

電話を耳から離した直後にお母さんの声が聞こえて、僕は再び携帯を顔に寄せる。

『あの…、あのね…?』

「何、お母さん?」

お母さんは電話の向こうで少し躊躇ってから、

『…ううん、何でもないの、ゴメンね?それじゃあ、お休みなさいキイチ』

「え?はい…、お休みなさい、お母さん」

通話は切れて、携帯の画面には長電話を責めるように通話時間が表示される。

…何だろう?お母さん、何かを言うのを躊躇ってた?

しばらく携帯を見つめて首を傾げていた僕は、

「やべぇ…」

背後から聞こえたサツキ君の声で、首を巡らせた。

つい今さっきまで、床に大の字になってうつらうつらしていた大柄な熊獣人は、身を起こして目を擦りながら、腕時計を覗

き込んでいる。

つられて視線を腕に向け、彼とおそろいの時計を確認すると、もうじき十時半になる所だった。

「風呂、閉まっちまう…!」

「あ!」

僕らの生活するこの寮のお風呂は、午後十一時で終了になる。

電話に熱中していて、すっかり忘れてた!

いつもならサツキ君が浴場が空くのを確認して声をかけてくれるんだけれど、立て続けに入った練習試合と、稽古の疲れが

あったせいか、今日は居眠りしちゃってた。

…口をポカンと半開きにしてる寝顔があんまりにも可愛かったから、そのままにしておいたんだけど…。

ああ!こんな時こそ起きてた僕が注意しておかなきゃいけなかったのに!うっかり時間を見過ごしてた!

「急ぐぞキイチ!まだ十分間に合う!それに、この時間なら誰も入ってねぇはずだ!」

「う、うん!」

僕らは慌ててタオルや着替えをかき集める。

「サツキ君!僕のタオル何処!?」

「寝室の窓んトコに干してある」

「うん、判った!」

「あ、替えの下着はクローゼットん中な?」

「オッケー!」

何この会話?と思われる方も多いと思うから一応説明しておくと…、僕らの部屋では、サツキ君が家事全般を仕切っている。

旅行好きのおばさんが家を空ける事が多くて、小さい頃から家事をしているサツキ君は、慣れていて手際が良いし実にマメ。

洗濯から着替えの支度、夜食の準備や部屋の掃除まで全部やってくれるものだから、悪いとは思いつつもすっかり任せきり

にしちゃってる。

叔母さんの家に居候していた頃は、もう少し自分の身の回りの事してたんだけどなぁ…。

「お待たせ!準備できたよ!」

「おし、急いで行くぞ!」

手早く準備を終えて、ドアを開けて待っていてくれたサツキ君に駆け寄った僕は、わたわたと部屋に鍵をかける。

そうして僕達は、もうじき閉められちゃう浴場へと駆け足で急いだ。…ちなみに、寮の廊下は走っちゃいけないんだけど…。

っと、バタバタしちゃいそうだから、今の内に自己紹介!

僕は乾樹市。星陵ヶ丘高校一年生で、柔道部の新米マネージャー。クリーム色の被毛をした猫っ!



サツキ君が言った通り、皆お風呂は済んだのか、脱衣場には誰も居なくて、篭も全部空っぽだった。

僕らは手早く服を脱いで、湯煙が漂う浴室に入る。

僕らの寮は、学年毎に二階から四階までの各階に分けられてる。それで、各階に一つずつ浴場があって、それぞれ利用して

るんだ。

浴室は一度に10人くらい入っても余裕の広さで、シャワーだって五つもついてるし、浴槽だってサツキ君が手足を伸ばし

て浸かってもまだまだ余裕がある。

僕とサツキ君はそんな浴場に、他の寮生と一緒にならないよう、空いたタイミングを見計らって入ってる。

点呼前と直後に当たる九時半から十時は一気に混み合うから、いつも入るのはだいたいその前。

…というのも、僕には他人にあまり裸を見られたくない事情があるからで…。

だいぶ毛が生え揃って以前と比べれば目立たなくなったけれど、じっくり見れば傷痕が見えちゃうから、他人に裸を見られ

るのはまだ少し苦手…。詮索とかされても困るし…。だから今回はちょっとほっとした…。

「良かったなぁ。誰も居なくて」

たっぷりと手に取り、泡立てたボディシャンプーで胸やお腹を洗いながら、サツキ君が呟いた。

そういえば、しばらく洗いっこしてないなぁ…。

今度、時間がある時は、「稽古ご苦労さん」って丁寧に洗ってあげたい。…まぁ、今日は諦めてまたの機会に…。

時間も無いから手早く体を洗った僕達は、浴槽に体を沈めた。

体を伸ばして気持ち良さそうに大欠伸をすると、サツキ君は広い湯船の中で手足を広げた。

体脂肪で結構浮力があるせいか、水面からポコンとお腹が浮き出ていて、なんだかちょっと可笑しい。

…体格とは裏腹に可愛いおちんちんも無防備に大公開中…。

けれど、時間が押してる事とは別の理由で、ゆったりムードはそう長く続かなかった。

「ほら急げ!あと15分だぞ!?」

「判ってるって、うるせえな…!」

脱衣場から聞こえた声に、サツキ君は慌てて体を起こそうとし、一瞬「ガボッ!」と湯船に沈んだ。

今の声…、ウツノミヤ君と、オシタリ君?

曇りガラスの向こうで、狐とシェパードの影が慌ただしく服を脱いでいくのが見えた。

「やべぇ…!どうする?見られたくねぇだろ?」

サツキ君は僕に小声で尋ねてきた。

僕の体、胸やお腹には、小学生の頃に負った大きな傷痕が五ヶ所残っている。最近では前よりずっと目立ち難くはなってい

るんだけれど…。

…う〜ん、慌てて上がるのはちょっとまずいな…。まともに見られちゃうし…。

「それとなく、二人が体を洗っている間に上がるよ…」

「判った、俺は後から出る。こそ〜っと出てっちまえ」

僕らが短く小声で相談し終えると、間を置かずにドアが開き、ウツノミヤ君とオシタリ君が浴室に入って来た。

「あ。キミらもまだだったのか…」

ウツノミヤ君が少し驚いたように言った。

あっちも時間が無くて急いでいたんだと思う。だから脱衣場の僕らの服には気付かなかったんだろう。

「うん。ちょっと熱中して、時間を忘れてて…」

「そうか。こっちも同じだよ。宿題を片付けながら勉強を教えてやってたんだけれど、オシタリの物覚えがそれはもう悪くて

悪くて…」

狐はため息をついて肩を竦めた。

…眼鏡をしていないウツノミヤ君の顔、初めて見たけれど…、眼鏡を外すといつもの生真面目な雰囲気が薄れるなぁ。

マズルが長い狐独特の顔は、堅苦しさが抜けて結構ハンサムに見えた。

伊達なんだから眼鏡外せば良いのに。素のままでハンサムだよ、ウツノミヤ君?

片や、シェパードの方は僕らにちらりと視線を向けただけで、すぐに椅子に座って体を洗い始めた。

オシタリ君は無駄な肉があまりついて無い、結構がっしりした体だ。背中は結構広くて、腕や脚も筋肉質で太い。

いいなぁ、ちゃんとした男らしい体付きで…、ちょっと羨ましい…。

二人が体を洗い始めたのを確認し、僕は静かに湯船から出る。

「ところでさ…」

唐突だった。何の前触れもなく、いきなりウツノミヤ君が振り返った。

湯船から片足を踏み出していた姿勢の僕を見て、彼は目を細め、それから驚いたように目を丸くした。

…き、気付かれたっ…!?

ウツノミヤ君は驚愕の表情を浮かべたまま、僕を見つめている。

彼の異常に気付いたのか、オシタリ君も首を巡らせて僕を見た。

その顔にも、いつもむっつり無表情な彼にしては珍しく、驚きの色が浮かんでいる。

サツキ君が慌ててザバッと立ち上がり、全身から湯を滴らせながら僕の前に立ったけれど、きっとはっきり見られてしまっ

ただろう…。

…動けなかった。そのまま普通に出て行けば良いのに、僕は完全に固まってしまっていた…。

「イヌイ…、き…、キミ…!」

ウツノミヤ君は目を丸くしながら絶句し、

「…で…、でけえな…!」

オシタリ君がやはり目を丸くしながら呟く。

………え………?

「もうすっかり大人のチンポじゃないか…」

「体と顔に似合わねえでかさだな…」

二人はウンウンと頷く。

…え…、えーと…。ひょっとしてあれですか?股間の方を見て驚いただけで、傷には気付いてない…?

僕とサツキ君はぽかんと口を開けたまま、顔を見合わせる。

…考えてみれば、身体測定の時にも気付かれなかった…。

濡れて毛がベタッと寝ている今の状態だと…、あ、やっぱり。あの時よりもさらに目立ってない。

僕とサツキ君がほっとため息をつくと、

「それにしても…」

ウツノミヤ君がサツキ君に視線を向け…いや、サツキ君のかわいい息子さんに視線を向けて口を開いた。

「ブーちゃんは…、その…、可愛いチンポして…るな…。ぷふっ!」

ウツノミヤ君は口元を押さえて吹き出した。

オシタリ君は向こうを向いているけれど、肩を震わせて笑いを堪えているようだった。

「二人とも…、っぷ!見た目と…正反対じゃないか…!」

サツキ君は大慌てで股間を両手で隠し、顔を伏せた。

僕のおちんちんは大きい。少し前まで知らなかった事だけれど、かなりの大きさらしい。皮ももう完全に剥けている。

対して、サツキくんのはかわいい。通常時もドリルみたいなおちんちんは、勃起しても皮を被ったまま。…っていうか全然

剥けない。

…つまり真性包茎っていうアレ…。本人もあれこれと努力はしているけれど…。

「わ、笑うこと無いじゃない二人とも!」

「い、いや悪い…!その、ギャップが凄くて…!」

俯いて硬直しているサツキ君に代わって僕が抗議すると、ウツノミヤ君は含み笑いを堪えながら応じる。

「だ、だってよ…!その図体でソレ…!」

もう!オシタリ君までっ!肩を震わせて含み笑いを漏らしているシェパードに、僕は恋人の名誉の為に声を大きくして訴える。

「ちっちゃくて可愛いくて良いじゃない!」

僕の横で項垂れたサツキ君が「う…!」と呻いた。

「きっちゃん…。もう良いから、何も言わないで…。俺、何か泣けてきそう…」

「あ。ご、ごめんさっちゃん…!」

うっかり禁句を口にしてしまった事に気付いて、僕は慌てて謝った。…ご、ごめん!本当にゴメンねさっちゃん!

「…こ、この事は…、だ…誰にも…」

僕を庇うつもりが、気にしている箇所をじっくり見られる結果になってしまったサツキ君は、泣きそうな顔で二人に手を合

わせる。

「判ったよ。これで貸し三つな?ブーちゃん」

「黙っといてやるよ。…気が向く内は」

二人は笑いを堪えながら口々にそう言い、息子さんを笑いのたねにされたサツキ君は、可哀そうなぐらいに縮こまっていた。

息子さんともども…。

なお、その後大公開されたところ、ウツノミヤ君のは過不足無しの平均サイズ、オシタリ君のはそれよりやや長かった事を

追記しておきます。



「…はぁ…。ついてねぇ…」

部屋に戻って後ろ手にドアを閉めるなり、ため息を付いたサツキ君が呟いた。

…すっかり落ち込んでる…。は、励まさなくっちゃ!

「げ、元気出して!僕、サツキ君のが誰のよりも好きだから!」

僕はサツキ君の袖を引っ張りながら笑いかけた。

「そ、そうか…?」

「うん!サツキ君のが、この世で一番大好きだよ!」

…何て事を口走ってるんだろう、僕…。

「そか…?こんなんでも、好きか…?…でへへ…!」

サツキ君は照れたように笑うと、腰を折って僕と顔を近付け、僕の額に軽くキスをした。

「あ〜、…あ、ありがとよ?キイチ…」

「どういたしまして!…っていうか、ゴメンね?あんな事口走っちゃって…」

「ん…、気にしてねぇよ…。キイチにだったら、何て言われたって、そのぉ…」

笑みを交わして、僕達はピタッと寄り添う。

サツキ君は腰を屈めて、ボクは精一杯背伸びして、唇を重ねた。

そして舌を絡ませて口の中をまさぐりあい…、

ガチャッ

「もう限界だ!イヌイ!悪いけどこの脳細胞が死滅しかかってるバカ犬に素因数分解を…」

ドアを開けて入って来たウツノミヤ君は、抱き合い、キスをしたまま硬直している僕達を前に、動きを止めた。

その後ろでは、廊下に立ったオシタリ君も、凍り付いたように制止している。

か…、かかかかかかかかかかかっ!?鍵かけてなかったのさっちゃんっ!?

バッ!ドスドスドス、ガシッ、グイッ!キョロキョロ、バタン!

僕を放し、ウツノミヤ君とオシタリ君を部屋の中に引っ張り込み、廊下を見回してから素早くドアを閉めたサツキ君は、ド

アに背を預けてフゥフゥと荒い息を吐きながら、固まっている二人を上目遣いに見つめた。

「見た…か…?」

「…え、えぇと…。…うん…見た…」

「…あ…ああ…」

サツキ君の問いに、二人は硬い表情のまま頷いた。

…頭が、真っ白になった…。



「…とまぁ、そういう訳だ…」

僕らの関係について説明を終えたサツキ君は、湯飲みを掴んで、すっかり温くなったお茶を飲み干した。

僕らの部屋で四角いテーブルを挟み、並んで座る僕らに向き合う形で、ウツノミヤ君とオシタリ君が座っている。

二人を部屋に引っ張り込んだサツキ君は、自分が同性愛者である事を打ち明けた。

僕を庇う為なんだろう、最初は、自分が僕に一方的に惚れていて、強引に迫っていただけなんだって、曲解した説明をしよ

うとしていた。

もちろんそんなの認められないから、僕は途中で「自分も同じだ」って口を挟んだ。

サツキ君は顔を顰めていたけれど、僕一人だけ難を逃れるつもりなんてさらさらない。…そんな気遣い、嬉しくないよさっ

ちゃん…。

「事情は…、判った…。うん。判ったと思う…。まだ少し混乱はしているが…」

眼鏡を外して眉間を揉んでいたウツノミヤ君は、自分の前に置かれた湯飲みを手に取る。…なんだか動きがぎこちない…。

その横で、オシタリ君はいつも通りのポーカーフェイスでコーヒーを啜っている。こっちは何を思っているか判らない…。

これからの生活の事を考えたら、気が重くなった…。…せっかく仲良くなれたのに、嫌われちゃうかな…。

しばらくの、耳が痛くなるほどの沈黙の後、ウツノミヤ君は手元の湯飲みを見つめながら口を開いた。

「…同性愛か…。知識としてはあったが、さすがにあの光景を間近で見ると、驚くな…」

「…軽蔑したか?」

ぼそぼそと呟いたウツノミヤ君に、サツキ君はただ静かに一言、そう尋ねた。

サツキ君に表情は無い。でも、たぶん心の中では、自分の行動を罵っているんだろう。

軽はずみな行動で僕を危ない目に遭わせたと、自分を責めているんだろう。

自分の事よりも、僕の事が知られてしまった事を気に病んでいる…。…彼は、そういう人だから…。

また少しの間黙った後、ウツノミヤ君は小さく息を吐いて苦笑した。

「軽蔑なんてしやしないさ。さすがにいきなり理解しろと言われても難しいが、それも個性なんだろう?好みなんて千差万別だ」

ウツノミヤ君は肩を竦めて言うと、さらに付け加えた。

「安心しなって、誰にも言わない。ただし、秘密にしておく交換条件だ」

僕らは揃って身を固くして、ゴクリと唾を飲み込んだ。

…条件…?一体、何だろう…?

短い間を挟んで口を開いたウツノミヤ君は、サツキ君にニヤリと笑いかけた。

「その内、二人の馴れ初めを聞かせて貰おうかな?今後の参考までにね」

…え?条件って…、えっと、それ?それだけ?

「…ありがとよ、ウッチー…」

サツキ君は安心したように微笑みながら、ウツノミヤ君に頭を下げた。

僕もほっとして頭を下げながら、ずっと足の上で握り締めていた手を開く。

…緊張してたんだな、僕…。開いた手の平は、じっとり汗をかいてた…。

「オレも、誰にも言わねぇよ」

オシタリ君はぼそっとそう言うと、空になったコーヒーカップをテーブルに置いた。

「…ただ、一つ聞いときてぇ…」

シェパードは微かに眉を上げて、真面目な顔つきになった。真っ直ぐな視線を受けた僕は姿勢を正す。

「…このデブの何処が気に入ったんだ?イヌイ、ひょっとしてデブ専なのか?」

…真顔で何を言うのかと思ったら…。僕は一瞬サツキ君と顔を見合わせ、それから思わず吹き出した。

「どうなのかな?僕、サツキ君以外の人を好きになった事なんてないから、良く判らない」

笑いながらそう言った後、僕はふと気になって思い返す。

ダイちゃん…。ジュンペー君…。イイノ君…。アル君…。

…同年代の同性でも特に親しい人…、太ってる人が多い…?

「…改めて言われてみれば、ポッチャリ好きかも?」

「…なるほど…。っつぅか、アブクマはポッチャリなんてもんじゃねえけどな」

オシタリ君は微かに笑うと、サツキ君に向かって空になったカップを持ち上げて見せた。

「お代わりねぇのか?」

「何でエラそーなんだよ…」

不満げに言ったサツキ君に、オシタリ君はニヤリと意地悪く笑う。

「それで秘密が漏れねえなら、安いもんだと思うぜ?」

「…この野郎…!」

サツキ君が悔しげに顔を顰めてカップを受け取ると、

「あ、ボクもお代わり頼む」

ウツノミヤ君も湯飲みを差し出す。

サツキ君は何か言いたそうに口を開いたけれど、諦めたように小さく息を吐いて、二人のお代わりを用意しにキッチンへ向

かった。

「ありがとう。二人とも…」

僕がペコリと頭を下げてお礼を言うと、二人は微かな笑みを浮かべた。

「気にするなよイヌイ。他人の恋愛を暴き立てるような趣味は無い。面倒事に発展しかねないからな」

「イヌイにも、あのデブにも、借りがあるからな…」

ウツノミヤ君とオシタリ君は口々にそう言ってくれた。

「…ところで、どっちから告白して付き合いだしたんだ?」

ウツノミヤ君の問いに、僕がキッチンへ視線を向ける事で答えると、二人は一瞬意外そうな顔をした後、声を忍ばせて笑い

出した。

…やっぱり意外だった?



「三度目か…」

「…だね…」

二人が帰った後、テーブルの脇に座り込んでため息混じりに呟いたサツキ君に、僕は苦笑いしながら頷いた。

三度目。キスシーンを目撃された回数で、同時に僕達の関係が意図せずバレた回数でもある。

一度目は去年、クラスメートの二人に、二度目もやっぱり去年、シンジョウさんに、それぞれ見られたんだ。

「二度ある事は三度あるって言うけれど…、本当だね」

僕が苦笑を浮かべたまま呟くと、サツキ君は小さくなって項垂れる。

「悪ぃ…、今回も俺の不注意だ…。鍵かけ忘れるなんてよ…」

僕はサツキ君ににじり寄り、その広い背中におぶさるようにして首に腕を回し、厚い肩に顎を乗せた。

「僕にも責任があるんだから、気にしないで。それに、結果的には良かったかもしれないよ?三年間ずっと、あの二人に隠し

事をし続けなくても済むようになったんだから」

「…そうかもな…」

サツキ君は僕の頬にそっと触れ、呟いた。

「知られたのがあの二人で良かったぜ。他のヤツにバレたらどうなってたか…」

それから疲れたようにため息をつく。

「…チンポ小せぇのも、包茎なのも、ホモなのもバレちまった…。今日は色んな事がバレまくりだな俺…」

僕はサツキ君に頬を撫でられながら笑いかける。

「僕の傷痕の事は知られなかったのにね」

「ぬはは!そっちはなんとかセーフだったなぁ!…まぁ、あの調子じゃあ、知ったトコで二人ともどうともねぇだろうけどよ」

サツキ君は首を捻り、後ろからおぶさっている僕の頬に軽くキスをした。

ま、バレちゃった物は仕方ないよ。

それに、こう言ったらなんだけど、親しく付き合ってるあの二人には、むしろバレちゃって良かったのかもしれないしね!



もう寝るばかりになって寝室に移動した後、サツキ君はタンクトップを脱いで、トランクスをブリーフに履き替えた。

相変わらず、トランクスよりもブリーフが良いらしい。スースーして落ち着かないんだって、トランクス…。

パンツ一丁になった、濃い茶色の被毛に覆われた体は、減量の効果が…あまり見られない…。

お肉で張り出したお乳は下がり気味…。むっちりしたお腹は相変わらずのポンポコリン…。

僕が難しい顔で黙り込んでいるのを見ると、サツキ君はちょっと恥かしげに体を見下ろし、それから耳を伏せる。

「…が、頑張ってる…つもりなんだけどよぉ…」

「十分解ってるよ。責めようとか思ってないから…」

そう、サツキ君は凄く頑張ってる。

ジュース類は控えて、あまり美味しくない…、っていうか凄く厳しい味の痩せるお茶を我慢して飲んでるし、定期戦後から

はお菓子だって殆ど食べてない。

ご飯だって食べ過ぎないようにしてるし、苦手なランニングも毎日頑張ってる。…それなのに、体型は殆ど変わってない…。

僕が協力していても上手く行っていないから気に病んでるのか、サツキ君はしょぼんとしてる。

「だ、大丈夫だよサツキ君!ちゃんと成果は出てるから!」

「出てねぇっぽいんだけど…」

ため息をついてベッドに座るサツキ君。並んで座った僕は、太い胴に腕を回してギュッとする。

「あんなに頑張ってるんだもん、出てると思うよ?外見では解り辛いだけ…で…?」

ちょっとした違和感から言葉を切った僕は、サツキ君から身を離して、ポコンと出てるお腹を見つめる。

そして、そっと手を伸ばして、丸いお腹をさすった。…あれ…?

僕はサツキ君のぽっこりしたお腹を撫で回したり、左右から挟んで押してみたりしながら、その感触を入念に確認した。

「ちょ、ちょっと…、キイチ…!くっ…くすぐってぇよ…!ぬひっ!」

いろんな角度からムニムニとお腹を押されて、サツキ君は身悶えする。

お腹の出具合は相変わらず…。でも、心なしか感触が変わってる?

柔らかいお肉の下にある筋肉の層が、前よりも張り出して来ているような…。

試しに僕はサツキ君の太い腕を触らせて貰った。

筋肉が盛り上がった二の腕は、外側にはむっちりした脂肪がついてるけど、やっぱり前より少し硬さを増してるような気が

する。

「サツキ君。ちょっと太腿とふくらはぎ触らせて?」

「え?お、おう…」

サツキ君はもぞっと身じろぎしてお尻の位置を変え、背中側に手を付いて足を投げ出す。

ベッドの上に投げ出された丸太ん棒みたいに太い腿に、僕は入念に触れてみた。…ふくらはぎも、太腿も、やっぱり…!

走り込みの成果なのか、脚の変化はお腹や腕よりもさらにはっきりしていて、判りやすかった。

太さはそのままだけど、その下にみっちりと詰め込まれた筋肉が、前よりも割合を増してる!

「見た目が変わらない訳が判った…!」

僕は可笑しくなって、微苦笑しながらサツキ君に言った。

「見た目はそのままだけど、前より筋肉がついてる!」

サツキ君はきょとんとした顔で僕を見て、首を傾げた。

「サツキ君の体、脂肪が減って、同じだけ筋肉に入れ替わってたんだ!あはは!ね?ダイエットと稽古の成果、ちゃんと出て

たんだよ!」

僕は自分に呆れて笑い続けた。見た目と数字だけで確認しようとしていた事がそもそもの間違いだったんだよ。

これまでは判らなかったけれど、サツキ君の努力の成果は、こうしてちゃ〜んと出てる!

「これからは、体重計と見た目だけで判断しないで、触診で確認するようにするね?」

「え?しょ、しょくしん…?」

サツキ君はドギマギしながら僕の顔を見た。でもって、なんかモジモジし始めてる…。

僕ら、あんな事しちゃう間柄だし、今更恥かしがる事なんてないと思うけど…。

「うん、触って確かめるの。こういう風にね?」

僕は悪戯っぽくウィンクして、サツキ君の出っ張ったお腹の下に手を入れた。

そして、手の平にタフッと乗っかったムッチリお肉を、上下に軽く揺すってみせる。

「…成果は出てんのかもしれねぇけど…、まだまだ…だよな…」

タプタプ揺れるお腹を見下ろしながら、サツキ君は恥かしそうな顔でポリポリと頬を掻いていた。