第一話 「自覚は無かったが」
校舎の屋上。日陰になっている壁に寄りかかり、俺は真夏の空を眺めていた。
どこまでも青い空は涼しげな顔で、やけによそよそしい。
ほんとは追試が迫ってて、こんな事してる場合じゃねぇんだが…。心臓がバクバク言ってて、このまんまじゃ何もできそう
にねぇ…。
胸に手を当ててみると、少しおさまってきた動悸が、手の平に伝わってくる。
そろそろ大丈夫か…?だが、図書室に戻ればあいつが居るわけで…。
…ええい!ずっとこうしてるわけにもいかねぇだろが!
俺は両手で顔をバチンと叩く。試合前に気合を入れる時の、おなじみの癖だった。
いつまでも待たせてられねぇしな。俺は図書室に戻るため、屋上のドアを開けた。
っと…、一応ここらで自己紹介しとくか。
俺は阿武隈沙月(あぶくまさつき)。東護中三年。柔道部所属。胸にある白い月の輪がトレードマークの、熊の獣人だ。
今週、つまり一学期最後の週、月曜日の放課後の事だ。俺は担任に居残りを命じられ、教室に残された。
「つ、追試ぃ〜!?」
まさかの言葉を耳にした俺は、思わず立ち上がっていた。立ち上がった拍子に膝裏が椅子を跳ね飛ばし、床に転がって派手
な音を立てる。
「そう。追試だ」
木田先生(34歳、独身)は、ふちなし眼鏡の奥の目に、物騒な光を湛えていた。
俺達のクラスの担任でもある木田先生は、抜群のプロポーションをした人間の女性。
牛族の女性にも負けねぇナイスな胸をした、かなりの美人なのだが、性格はかなりキツくて男勝り。そして、俺が所属する
柔道部の顧問でもある。
この間の期末テストでは、この先生が教える数学でも赤点を取っちまった。返ってきた答案を埋め尽くすバツ印は、なぜか
所々で震えており、インクがかなり滲んで裏面まで染みていた。
「ちょ…、ちょっと待ってくれよ先生。あと二週間で中体連の地区ブロック大会で…」
「んなこたぁ分かっとるわぁあああっ!!!」
先生は机をバンッ!と叩いた。
「いくら地区内無敗、我が柔道部のエースであるお前でも、学生である事には変わりない。いいか?学生は勉学こそが本分だ!」
「…また学年主任の江小島になんか言われたのかよ?」
「先生をつけろ、先生を。…まあ、その通りだ」
先生は立ち上がると、黒板の前まで歩いていった。そしてチョークを掴み…、
「「先生のトコのアブクマ。いやあ、爽快なまでに赤点多いですなあ。柔道部の生徒だからと、甘やかしているわけではない
でしょうなあ?んん〜?」…な〜んて…、あんのアデランスがぁああああ!それでもアブクマの回答はお前の頭皮よりは空白
が少なかったぞぉおおお!?代わりに真っ赤っかだったけどなぁあああああ!!!」
黒板に、俺には訳の分からん数式を、凄まじい勢いでガリガリと書き殴りながら、先生は学年主任の悪口を5分ほど叫び続
けた。その間俺は、人が来ないか一応外を見張っておいた。
やがて、黒板が数式で埋め尽くされて真っ白になった頃、先生は少し落ち着いたのか、はぁはぁと肩を上下させながら席に
戻ってくる。
「で、あのハゲにそういったことを、またネチネチ言われたわけだ…。まったく、他のクラスにも赤点山ほど取った生徒はい
くらでも居るというのに、何故私のところへだけ嫌味を言いに来るのか…」
「先生に気があんだよ、きっと」
「アブクマ。殺されたいのか?」
眼鏡の奥の瞳がギラリと輝き、俺は慌てて目を逸らす。
「…で、まあ。追試だ」
「追試なんぞやったって結果は変わんねぇのに…」
「お前には追試のために勉強するという頭は無いのか?」
「…ん〜…、…ねぇみてえだなぁ…」
「他人事のように言うなっ」
「稽古しなきゃいけねぇし、勉強なんて下んねぇもの、やってるヒマねぇよ」
「ほう、担任の私を前にしてなかなか立派なセリフだな」
「まあ、追試っつったって一日だろ?面倒だけどしゃあねぇやな。適当に受けとくよ」
「ところが、だ。そうはいかない」
先生は俺を哀れむような目で見つめた。なんだ?このいやな予感は…。
「追試で、もしも再び赤点を取ったなら…、今月いっぱい追加補習を受ける事になる」
「な、な、なにぃいいいい!?」
「そして、大会にも出られん」
「横暴だ!」
「ほう。お前にしては難しい単語を知っているな?まあ、そういうわけでだ…」
先生は俺の襟を掴み、グイッと引っ張った。間近で顔を向き合わせ、先生はドスの効いた声で言う。
「いいか?死んでも追試をパスしろ!県代表の座を勝ち取ったにもかかわらず、補習で棄権などという事になったら私が赤っ
恥を…、ではなく柔道部全体の士気にかかわる」
「先生…、今さらっと本音出たよな?」
「とにかくだ…」
あ、流しやがった。
「今日から稽古は休止。追試に向けて勉強に励め」
「え?えええええ!?」
「苦情、意見、ピーマン、その他もろもろは一切受け付けんぞ。判ったな?」
反論を受け付けねぇ一方的な宣告…。先生が出て行き、独り残された教室で、俺は力なく項垂れて呟いた。
「…いい歳してピーマン食えねぇのかよ…」
次の日、俺は学校の図書室で勉強するという、自分でも信じられねぇ行動に出た。
自分の部屋じゃダメだ。夕べは飯食ってすぐに勉強を始めてみたが、ふと鉄アレイが目に付き、息抜きに筋トレした。気が
付けば3時間ほどトレーニングしちまって、時間も時間で勉強なんぞする気が無くなった。…ようするに、自分をコントロー
ルできる自信がねぇわけだ…。
教室で居残りしようかと思ったが、クラスメートの視線が気になった。…あんな珍獣でも見るような目で見なくてもいいじ
ゃねぇか…。
幸いにも、図書室にはクラスのヤツは一人も居なかった。
ちなみに、先生に教えてもらおうとしたが、それはできなかった。というのも、部活の指導で忙しい上に、エコジマの野郎
に「おやおや、一人だけ特別授業ですか?贔屓は良くありませんなあ、贔屓は。んん?」とかなんとか言われるのが目に浮か
んだかららしい。
生徒に勉強を教えるのが教師の役目なんだろうから、そうイヤミを言うのもどっかおかしいと思うが、あの学年主任ならそ
う言っても不思議じゃねぇやな…。
…とまあそういうわけで、俺は図書室で途方に暮れていた。
なんでいきなり途方に暮れるかって?
いやあ、自分でも驚いてるが、数学の参考書に書いてある事がぜんぜんまったくさっぱりこれっぽっちも分かんねぇ。どこ
が分かんねぇのかさえ分かんねぇ。すがすがしいほど分かんねぇ。我ながら感心しちまうな。ぬははは!
「って感心してどうすんだっ!!!」
俺は立ち上がり、思わず自分に突っ込む。椅子が倒れて騒々しい音を立てた。静かな図書室内、その音はかなり耳障りで、
周囲から抗議の視線が突き刺さる。
「っと…。わ、悪い…」
椅子を起こして座り直し、再び参考書を見つめる。
む…、むむむ…!考えてみれば、まともに勉強した事なんてほとんどねぇな俺…。勉強ってば…、どうやんだっけ…?
例題の一つ目からいきなり躓き、しこたま悩む…。しっかりしろサツキ…。
熱暴走しそうな頭を時折かきむしり、例題を解いてゆく。
どれほどそうしていただろうか。ふと顔を上げると、図書室はがらんとして、人気がなくなっていた。
「…そろそろ、図書室を閉める時間なんだけど」
いきなり後ろからかかった声に、俺はちょっと驚きながら首を巡らした。
いつのまにか俺の後ろに立っていたそいつは、白い柔らかそうな毛をした猫の獣人だった。
白っていっても純白じゃなく、少しクリーム色がかった暖かい色。猫族特有の大きめの瞳が、俺を静かに見つめている。
えらく小柄なヤツだった。元々猫族は小柄なヤツが多いが、その中でも抜きん出て(というのもおかしいか?)背が低い。
体もほっそりしてて、ずいぶん華奢だ。
…あれ?俺、どっかでこいつと会ってるような…?
そいつは背伸びして、俺がひろげていた参考書を、肩越しに覗き込んだ。
「熱心だね。アブクマ君も、図書室で勉強するタイプだったんだ?」
「ん?お前、俺の事知ってんのか?」
誰だったっけ?なんとなく見覚えはあるんだが、名前が出てこねぇ…。俺は困っているような顔をしてたんだろうか?そい
つはクスリと笑って名乗った。
「僕は根枯村。図書委員しててね、今日は貸し出し窓口の当番」
ネコムラは、落ち着いた柔らかい声をしていた。これまで大声を上げた事なんかねぇんじゃねぇかと思うくらいに。
「ん?」
ネコムラは俺のノートを見て眉を潜めた。そこには数式を解く為に書いていた計算が、いくつも殴り書きしてある。
「アブクマ君。もしかして、九九できなかったりする?」
「そのとおり。って、なんで分かんだよ?」
「だって…、8+8+8とか…、3+3+3+3+3とか書いてあるから…」
「それで、なんで九九を覚えてねぇって分かんだ?」
ネコムラはきょとんとして俺を見る。
「掛け算って…、いつもどうしてる?」
「書いてある通りに足し算する」
俺の返答を聞いたネコムラは、かなり驚いているような顔をしていた。
「な、なんだよ…。俺、変な事言ってんのか?」
「九九って…、何だか知ってる…、よね?」
恐る恐る、といった感じでネコムラは尋ねてきた。
「計算する時に頭の中で呟く、精神統一の呪文かなんかだろ?」
ネコムラは口をポカンと開けて俺の顔を見つめた後、体をくの字に折って笑い始めた。
「お、おい。なんだよ?俺、そんな変な事言ったのか?」
「ぷふっく…、ぷ…ご、ごめ。あははは!呪文って…ふふっ!君、斬新な事を考えるね」
ネコムラは目じりの涙を拭いながら、俺の横に身を乗り出した。フワリとした細腕の被毛が、俺の二の腕をかすめ、シャン
プーの香りだろうか?柑橘系の微かな香りが鼻をくすぐった。
一瞬ドキリとした俺をよそに、ネコムラは転がっていたペンを取り、身を乗り出して俺のノートに手を伸ばす。
「サンゴジュウゴ」
そう言いながら、ネコムラは俺の書いた式「3+3+3+3+3=15」の下に「3×5=15」と書き込んだ。あれ…?
サンゴジュウゴ…?さん、ご、じゅうご…これって?
「九九は、呪文じゃなくて、掛け算の語呂合わせ暗記法なんだよ?アブクマ君、問題が解ける事は解けても、計算をするのに
時間がかかっているんでしょ?」
「お、おう…」
俺が頷くと、ネコムラは身を引き、うんうんと頷く。
「でも、それでも例題のいくつかはきちんと解けてるんだから、九九が出来るようになれば、素早く問題をこなせるようにな
るはずだよ」
ネコムラはそう言って微笑んだ。
「そ、そうなのか?」
「うん。自信を持って。とにかく九九を覚えれば、確実なステップアップになるから。…というよりも、中学三年まで、九九
無しで数学の授業を受けていたっていうのも、かなり驚きだけどね…」
「いやあ、それほどでも!」
「ぷっ!誉めてないよ今のは?あはははは!それじゃあ、時間とやる気があるなら、少しだけ九九の覚え方、やってみる?」
「え?良いのか?もう閉める時間なんだろ?」
「少しぐらいなら「片付けていて遅くなった」って言えば、先生も納得するよ」
俺はちょっと迷った後、ネコムラに頼んでみる事にした。
「じゃあ、悪ぃけど、頼んでもいいか?」
「うん。いいよ」
ネコムラはそれから一時間ほど、俺に九九を教えてくれた。
初めてだった。先生以外の誰かから勉強を教えてもらうのも、何かを教わる事が嬉しいって思ったのも。
その日から、図書室での俺の勉強会が始まった。
ネコムラのフルネームは、根枯村樹市(ねこむらきいち)といった。
やたらと木が多い名前のあいつは、実は俺と同じクラスだった。…っていうか、三年に上がって3ヶ月も経ってるが、クラ
スメートに聞いて初めて気付いた。
ネコムラは窓側の列の最後尾で、中央の前側にある俺の席からは振り返らねぇと見えねぇ。気付かなかったのはアイツが小
柄だからってだけじゃなかった。自慢じゃねぇが、俺は授業中、余所見をしねえ。授業の大半は瞼の裏を見て過ごす(寝てい
るともいう)。そんな訳で、あいつが何か当てられて発言してる姿も、全然記憶になかった。
おまけにとことん無口なうえ、他人とつるまねぇタチで、休み時間なんかはいつも教室の端っこにある自分の席で本を読ん
でる。なんで俺なんかに勉強を教えてくれたのかが疑問だ。
重ねて言うが、ネコムラは恐ろしく小柄だ。身長は130センチちょいしかねぇし、体付きもかなり華奢だ。学ランを着て
なきゃ小学校の中学年くらいに見える。そういやネコムラの事を聞いた時、「兄貴の学ランをこっそり着てみた小学四年生に
見える」って、クラスの誰かが言ってたな…。
ついでに言うと、ネコムラは運動が苦手だ。普通、俺達獣人は人間と比べて運動神経がいい。筋力、スタミナ、反射神経…
はまぁまちまちだが、概ね人間よりも体力がある。が、ネコムラは人間の、運動が苦手な女子よりも体力がねぇ。猫族の特徴
である機敏さも身軽さも持ち合わせてねぇし、むしろにぶいくらいだ。体の柔軟さ以外は、猫族としては異様ともいえる運動
音痴だった。
だが、これも勉強を教えて貰ってから初めて知ったんだが、えらく頭がいい。
俺には全く読めねぇ英文をスラスラと読み上げ、和訳する。
俺には全く理解できねぇ数式をあっというまに解いて見せる。
俺には全く解らねぇ純文学の筆者の言いたいことを代弁する。
俺には全く覚える気のねぇ元素記号を全て暗記してる。
俺には全く…、いや、止めよう…、なんか惨めになってきた…。
クラスのヤツに聞いてみたところ、一年の時からずっと、期末試験では一、二を争う成績だったらしい。
なのに目立たねぇのは、アイツが意識してそうしようとしてるからに思える。
それと、他人と距離を置いて、誰とも係わり合いになろうとしねぇからだと思う。
…ん?なんでアイツの事を詳しく調べてるのかって?
…そ、それは…。
図書室での勉強は、四日目に入った。
ネコムラは自分が窓口当番じゃねぇ日も図書室にやってきた。そして、そんな日は図書室が閉まるまで勉強を教えてくれた。
自分が当番に当たった日は、最初の日と同じように、図書室を閉めるのを少し遅らせて勉強を見てくれた。
こうして、この図書室でネコムラと過ごすのは日課になっていた。
ネコムラは教えるのが上手い。物覚えの悪い俺の頭にも、ネコムラが教えてくれる事はスラスラと入っていった。
俺は授業中の居眠りと早弁を止め、なるべく多く勉強した。
勿論、分からねぇ事だらけだが、躓いたところをメモしておけば、ネコムラは俺でも理解できるように、分かりやすく教え
てくれた。
「明日からは夏休みだね」
何気なくネコムラが呟いた言葉に、俺はハッとした。
「夏休みに入ったら、ここ閉まんのか?」
俺の声は自分でも分かるほどに焦りが混じっていた。
「いや。一応開く事になってるよ。演劇部が資料を借りに来る事もあるし、君や…、ほら、彼女みたいに図書室で自習をする
生徒も居るからね」
ネコムラの言葉に、俺は窓際で勉強をしている女子に視線を向ける。そういえば毎日見るなあの女子。確か隣のクラスの榊
原だ。テストでは毎回ネコムラと一、二を争ってる。
「でも…、夏休みになれば、お前は来る必要無くなるもんな…」
俺の声はどうしようもなく沈んだ。ネコムラはちょっと驚いたような顔で俺を見つめたあと、ニッと笑った。
「僕と会えなくなるのが寂しい?」
「ば、ばか!ちげぇよ!」
心の奥を見透かされたような気がして、俺はむきになって言う。
「あははは。冗談冗談」
胸の奥で俺の心臓がバクバク言っていることには気付かず、ネコムラは笑いながら言う。
「僕も、夏休みはここに来るよ。…どうせ他に居場所もないしね…」
ん?なんか今、ネコムラが微妙な表情だったような?そう…、自嘲気味っていえばいいのか?だが、その表情も一瞬で、ネ
コムラはすぐに笑顔を浮かべた。
「ところでさ。アブクマ君はどうして急に勉強を?」
「う…、そ、それは…」
一瞬口ごもったものの、ここまで頭の悪さを知られて、今更恥ずかしいもねぇだろう?隠したって仕方ねぇし…。
俺は決心し、追試の話をネコムラに聞かせた。
ネコムラは、何故か妙な顔つきで俺の話を聞いていた。
「俺、なんか変な事言ってるか?」
「え?あ、いや…。うん、なんでもない」
ネコムラは明らかに、なんでもなくはない様子だったが、俺に英文の例題を示して和訳をするように言うと、少し離れた所
に座っている、サカキバラのところへ行って、何か話し始めた。
サカキバラは、大財閥の一人娘だ。容姿端麗で勉強もでき、スポーツも万能。絵に描いたようなスーパーお嬢様だ。はっき
り言って、俺が話しかけるべきタイプの人間じゃねぇ。
そんなサカキバラは、参考書から顔を上げてネコムラの話を聞いていたが、一度俺にちらりと視線を向け、やがて不思議そ
うな表情を浮かべ、首を左右に振った。
「どうしたんだ?」
何か考え込むような顔で戻ってきたネコムラに尋ねてみる。
「ん?いや、なんでもないよ。それより、和訳どう?」
あ、やってねぇや…。俺は親の敵でも見るような目で英文を睨みつけた。
夏休みに入っても、ネコムラは勉強を教え続けてくれた。
その事は嬉しかったが、貴重な休みを潰させているようで、俺はちょっと罪悪感を覚えていた。そして今日、俺はネコムラ
にその事を言ってみた。
「どうせ何もする事がないし。それにほら、ここは冷房が効いて過ごしやすいからね」
ネコムラはそう言った後、ぶるっと身震いした。
「あれ?でも今日はちょっと冷房効きすぎかな…?」
ネコムラは席を立つと、壁際のパネルで室温を確かめ、19℃の表示を見て顔を顰めた。
「冷房、壊れてるのかな…、設定は23℃になってるのに…」
「寒いとやっぱ、猫だからコタツで丸くなるのか?」
からかってそう言うと、ネコムラはニヤリと笑って見せた。
「君は寒くなると冬篭りしちゃうの?」
おう、そう切り返すか…。
「暑いのは苦手だが、寒いのは平気だ。俺の体は寒さに強いんだよ」
これは強がりじゃねぇ。俺たち熊は分厚い毛皮と皮下脂肪のおかげで、かなりの寒さにも耐えられる。戦争中は寒冷地に優
先的に送られてたとか、そういう話を歴史の授業で(たまたま起きてた時に)聞いた。そう、これは種族の特徴だ。俺が縦横
斜め全方位に発育良好なのも不摂生だからって訳じゃねぇ、血の為せる業だ。信じて欲しい。
「へえ、ちょっと羨ましいな」
ネコムラはそう言うと、俺の背中にペタッとくっついた。
ドキンと心臓が跳ね上がり、思わずペンを取り落とす。
ネコムラは俺の背中に頬を擦りつけた。薄いシャツと背中の被毛越しに、ネコムラの体温を感じた。
「あ、ほんとだね。暖かいや」
!!!!!!…やべえ!動悸が治まんねぇっ!
俺は思わず立ち上がり、ネコムラは俺の背中に跳ね除けられる形でよろめいた。
「わ、悪いっ!ちょっと便所!」
俺はネコムラにそう告げると、慌てて図書室を飛び出した。
俺は、女にはあまり興味がねぇ。そして、どういう訳か男に興味を持つ。
中学に入る前くらいに気付いたこの奇妙な好みは、ずっと隠してきたし、これからも隠していくつもりだ。
これまでに、ある一人を除いて、こういった事を話した事はねぇ。
屋上から戻ってきた俺は、また胸がドキドキし始めるのを感じながら、図書室のドアに手を伸ばした。たぶん…、バレちゃ
いねぇと思うけど…。
深呼吸してドアを開けようとしたその時、目の前でいきなりドアが開いた。
ドアを開けたネコムラが、驚いたような表情を浮かべた。
ネコムラは小さい。でもって俺の身長は193センチ有る。ネコムラの顔は俺の鳩尾あたりの高さにあった。
ネコムラは視線を上げ、俺の顔を見てから照れたように笑った。小柄なこいつの視点では、ドアを開けたらいきなり壁が出
てきた、みたいに感じたのかもしれねぇな。
「おかえり。ずいぶん遅かったから、暑さのあまりトイレで倒れたのかと心配したよ」
「ああ、悪ぃ。ちょっと腹の調子が悪くてな」
俺が用意してきた言い訳を口にすると、ネコムラは心配そうな表情で視線を落とした。
「大丈夫?調子が悪いなら無理はしないほうが…」
そう言って、ネコムラは事も有ろうに、むっちり肉の付いた俺の腹に手を伸ばし、優しくさすった。
その瞬間、股間から背骨にかけて、ゾクゾクッと電気のような物が走った。
薄いハーフパンツと下着の中で、意識に反して股間が反応する…!学ランなら誤魔化せただろうが、今は夏休み。自主登校
だから私服な訳で…、それはそうと、はっきり言ってピンチ!
「わ、悪ぃ!もう一回行って来る!」
俺は回れ右して、全速力で駆け出した。
「ちょ、ちょっと!本当に大丈夫!?」
ネコムラの声が、廊下を反響しながら俺の背を追ってきた。心配そうなその声が、俺の罪悪感を刺激する。
ここ数日、毎日顔を合わせて来たネコムラ…、ついさっきまで自覚は無かったが…。
…俺…、もしかして、いつのまにかネコムラの事…。