第十二話 「きっかけ」

日曜日。いつものように暇だった僕は、いつものように朝から家を出て、いつものようにサツキ君の都合を聞いてみる事にした。

図書館に本を返しつつ公衆電話から電話をかけてみたら、珍しい事に、サツキ君の家は誰も電話に出なかった。

普段ならこの時間はジョギングを終えて、マシュマロとかを食べてスポーツドリンクを飲みながら、居間でテレビを見て寛

いでるはずなんだけれど、珍しいね。

え?行動を細かく熟知してるあたりがストーカーっぽい?…そ、そうかなぁ…?

あ、自己紹介。僕は根枯村樹市。クリーム色がかった白い被毛の猫獣人で、サツキ君とは男同士の恋人同士。…正式な恋人

であって、決してストーカーじゃないよ?



帰りがてらにサツキ君の家に寄ってみたけれど、チャイムを鳴らしても誰も出てこないし、玄関には鍵がかかっていた。

やっぱり留守かぁ…、今日一日、何をして過ごそうかな…。

ここしばらくサツキ君と過ごす時間が多かったせいかな、一人で過ごすのには慣れているはずなのに、サツキ君が居ないと

なると、とたんに何をするべきか迷ってしまう。

ま、こんな日もあるよね。帰って勉強でもしよう…。

ぶらぶらと歩きながら、小学校の近くを通りかかった時、音楽が流れてくるのに気付いた僕は足を止めた。

なんとなく足を向けてみたら、学校の校庭では運動会をやっていた。

町内運動会だろうか?スピーカーから流れる軽快な音楽に合わせて、小学校に入ったかどうかくらいの小さな子供達と大人

が混じって競技に汗を流している。

『これより、借り物競走を開始します』

僕はスピーカーのアナウンスを聞きながら、どうせ暇だし、少し見物していこうと考える。

なんとなしに競技の様子を眺めていた僕は、封筒を開け、借り物を確認し、キョロキョロと周囲を見回す大柄な熊に気付いた。

…あれって、もしかしなくても…。

振り向いたサツキ君と僕の目があった。次の瞬間、サツキ君は僕に向かって猛然とダッシュする。さながらダンプカーが突

進してくるようなド迫力!本能的に逃げかけた僕の腕を、サツキ君の手ががっしりと掴んだ。

「良いとこに来たぜキイチ!ちょっと借りんぞ!?」

「え?借りるって、何を…」

質問には答えず、サツキ君は僕の腕を掴んだまま走り出した。

長距離走は大の苦手のくせに、サツキ君は短距離ならかなり速い。加えて、全く自慢できない事だけれど、僕は猫なのに走

るのが苦手だ。すごい勢いで走っていくサツキ君に引っ張られ、僕の足が回転速度の限界を超えてもつれ始めた。

「ちょっ、ちょっとストップ!待ってサツキ君!転んじゃう!」

足が追いつかず、引き摺られるように前のめりの体勢になった瞬間、腕が強く引かれ、僕の足が宙に浮いた。腕を引っ張っ

たサツキ君は、

「ちょっとじっとしてろよ?」

そのまま僕の体をひょいっと小脇に抱え、さらに速度を上げて走り出した。トラックのカーブを回る遠心力で体が横に引っ

張られ、無茶苦茶怖い上に気持ち悪い!

手荷物のように僕を抱え、サツキ君はそのままゴール。

「うっし!一着!」

ガッツポーズを取り、そのままメモを片手に審判の所へ。

借り物が記されたメモには「白い獣人」と書いてあった。なるほど納得。

「はい合格。ご苦労さん」

審判のおじさんは、僕とサツキ君に台所洗剤を手渡してくれた。どうやら参加賞らしい…。

「いやぁ、助かったぜ!タイミング良く現れたもんだなぁ!」

上機嫌で歩き出すサツキ君。

「役に立てたようで嬉しいよ。でも、できればそろそろ降ろしてくれないかな?」

サツキ君は脇に抱えたままの僕を見下ろすと、苦笑いしながら地面に降ろした。



「お〜!見覚えがある借り物だと思ったら、やっぱりネコムラ君か!」

サツキ君のおじさんが僕に気付いて笑顔を見せ、敷いていたブルーシートの上で手招きした。…見覚えのある借り物…、僕

って一体…。

「こんにちは。お邪魔します」

「良く運動会してるって気付いたなぁ?」

「たまたま近くを通り掛ったら音楽が聞こえたんです。やっぱり運動会だったんですね?」

シートの上にお邪魔しながら、僕はサツキ君に運動会の説明を聞いた。

なんでも今日は町内運動会で、地区内の班を四つにチーム分けしているらしい。

そして、サツキ君達は優勝を狙っているとの事だ。

点数票を見せてもらったら、すでにダントツでトップ…。

話を聞いている内に、サツキ君とおじさんが凄くやる気満々なのがひしひしと伝わってきた。血は争えないって言うけれど、

やっぱり親子揃ってこういうのが好きらしい。

「暇なら参加してけよ。飛び入りオッケーだし、ウチのチーム少し人数足りねぇんだ」

「参加って…、僕が運動音痴なの、知ってるでしょ?」

「普通のはそうかも知れねぇけど…、なぁに、問題ねぇのもある!丁度次の次がそうだ」

僕でも問題ない競技?一体なんだろう?

「な、協力してくれよ?」

手を合わせて頼まれると、さすがに断り辛いなぁ…。

「いいけど…、役に立たないと思うよ?」

「さっすが!話が早くて助かるぜ!」

サツキ君は僕の手を握り、嬉しそうに笑いながらブンブンと縦に振った。

…この時の僕は、自分がこれからどんな目に遭うのか、全く想像していなかった…。



『これより、二人三脚を開始します』

スピーカーから流れ出たアナウンスを聞きながら、僕は立ち尽くしていた。

僕の左足とサツキ君の右足は、しっかりと布で結び付けられている。

「あ、あのねサツキ君…。たぶん…、僕…、ダメだと思う」

僕は不安になって傍らの巨漢を見上げた。

僕とサツキ君では大人と子供ほども体格差がある。歩幅だって全然違う。僕の脳内では、4〜5歩走った所で僕が転倒し、

そのままダンプカーのように走るサツキ君に引き摺られて行くという悲惨なシミュレーションが展開されていた。

「任せろ問題ねぇ!とりあえず、しっかりしがみ付いてろよ?」

…しがみつく?なんで?

言っている意味が理解できず、聞き返そうとしたけれど、無情にも僕達の順番が回って来てしまった。

「位置について〜!」

審判がピストルを空に向ける。ああ…、痛いぐらいで済めば良いけど…。

「…行くぜ?」

「え?」

ピストルの合図と共に、サツキ君は僕の背中を掴んだ。そして、僕の身体はサツキ君の腕で持ち上げられる。

結んである足はぶんぶん動くが、僕自身は宙に浮いている。…つまり僕は、ハンドバッグ状態でサツキ君に持ち運ばれていた…。

これなら一人で走っているのと変わりない。サツキ君の馬鹿力と、僕の小柄さがあって初めて可能な荒技だ。サツキ君の発

想は、時折僕の予想の斜め上を行く。

「うっし!一着!」

一位でゴールしたサツキ君は、砂埃を上げながら急ブレーキをかけ、満足げな笑みを浮かべた。…どうでも良いけれどそろ

そろ降ろして…。

「次、騎馬戦も頼むな!」

…僕、無事に帰れるだろうか…?



騎馬戦では、僕を乗せたサツキ君、おじさん、牛の獣人おじさんの重戦車が、並み居る騎馬部隊を次々と体当たりで粉砕し

て行った。

鉢巻を取るか、体当たりで潰せばオーケー。そうやって撃沈点数を競い合うというルールらしい。

僕は三人に担がれたまま、不幸にも轟沈してゆく対戦相手達の恐怖の表情を間近で眺めていた。

…騎馬戦って…、こんなデンジャラスな競技だったっけ…?



僕が観戦に徹した障害物競走に限っては、サツキ君は活躍できなかった。

網を潜る際に、大きな体が仇になって、まるで捕獲された野生の熊みたいな状況になっていた。

すっかり絡めとられて身動きが取れなくなり、網の中で座り込んで、情けなさそうに頭を掻いている仕草がちょっとかわいい。

おじさんが大笑いしながら何度もシャッターを切っていた。

…あとで焼き増しをお願いしてみよう。



昼食休憩を挟んだ玉入れでは、サツキ君は僕に目一杯玉を抱えさせた。

何をしようとしているのか分からず、首を捻っていると、サツキ君は僕を抱え上げ、籠を見上げた。

実はこの時、彼はそのまま僕を籠に直接放り込もうと画策していたらしい。

幸いにも直前に意図を悟った審判が止めに入ってくれたおかげで、僕は事なきを得た。

…けれど、もしも審判のおじさんが止めてくれなかったら、僕は恐らく、籠にダンクされていたのだろう…。…くわばらく

わばら…。



「次でラストだ。せっかくだからリレーにも出るか?」

「いや、もう、なんかいっぱいいっぱいで、カンベンして欲しいのが本音なんだけど…」

いやに疲れた…。僕自身はほとんど運動してないのに…。

「そっか。んじゃ応援しててくれよな!」

意外にもあっさりそう言うと、サツキ君は自信有りげに笑いながら歩いていった。

競技を、運動を楽しむサツキ君が、少し羨ましかった。

体格や体力に恵まれているから羨ましい訳じゃない。運動する事を楽しめるのが羨ましかった。

…いつからだろう?僕が体を動かすのが苦手になったのは…?

本が好きなのは昔からだけれど、それでも以前は外で遊んでいたな…。

…ああ、そうだった…。あの入院の後だ…。あれから背も伸びなくなったし、運動もしなくなった。人目を避けて、部屋に

閉じこもって、本を読んで過ごす事が多くなったんだ…。

ピストルの合図に、僕は俯けていた顔を上げた。

バトンを持った走者が真剣な表情で、でも、楽しそうにグラウンドを駆ける。

僕も、昔ああいう風に皆と走った…。小学校の運動会、昔は嫌いじゃなかったのにな…。

アンカーのサツキ君に、一位で走ってきた走者からバトンが渡る。

もう勝ちは決まりなのに、手を一切抜かない全力疾走。やっぱり、サツキ君も楽しそうだった。

…なんだかすごく…、眩しいな…。



「優勝優勝!」

帰り道、サツキ君はご機嫌な様子だった。

おじさんに、僕と一緒に帰ってて良いと言われ、本部テントやシートの片付け手伝いは免除されたらしい。

「運動会かぁ…。そういえば、球技大会はあるけれど、ウチの学校、運動会はないよね?」

「おう。だから毎年の町内運動会が楽しみなんだよ」

ふと気になって、僕はサツキ君に尋ねてみた。

「昔から、運動得意だったの?」

とは尋ねたものの、幼稚園の頃は運動が苦手だったのは知っている。

「おう。…と言いてぇとこだが、幼稚園ぐれぇまでは何やってもからっきしだったな」

サツキ君は幼稚園の頃から、身体は飛び抜けて大きかったし、力も強かった。けれど運動はあまり好きじゃなかったし、性

格的にもそれほど活発なタイプじゃ無かったんだよね。むしろ引っ込み思案で、大人しいタイプの子供だったと思う。

「何かきっかけがあって、運動が好きになったの?」

この問いに、サツキ君はやや話し難そうに口ごもった後、ぼそぼそと話し始めた。

「小学校に上がる直前にさ。神社でやってたちびっ子相撲大会に出場させられたんだよ。ケントと賭けをして、それに負けた

らほとんど無理矢理にな」

へぇ、それは初耳だ。僕が引っ越した後の話だろう。

「…で、当時の俺は泣き虫でどんくさくて、運動もからっきしだったからさ、勿論嫌だって言ったけど…「約束を破って出場

しないつもりなら、今日限り絶交だ!」って、ケントに脅されてなぁ」

僕は興味深く耳を傾けながら、イヌイ君に励まされながら、半泣きになって土俵に上がる当時のサツキ君を想像する。…ち

ょっと可愛そうだけれど、かわいいかもしれない。

「土の上に素足で立って裸で取っ組みあうなんて、文明人のやる事じゃねぇ。って当時は思ってた」

「う〜ん…、今の姿からは想像し辛いなぁ…」

とか答えつつも、ばっちり想像できてしまう。

「当時の俺から見りゃ、今の俺の方が想像もできねぇ変わりようだろうけどな。まぁそんなわけで、俺は相撲大会に出る事に

なった」

サツキ君は一度言葉を切り、頭をがりがりと掻いた。

「相手が皆真剣でな。やたら怖く感じたのを覚えてる。対して俺は、相撲取るなんて初めてだわ、素っ裸で恥ずかしいわで…、

痛い目に遭うんじゃねぇか、泣かされるんじゃねぇか、ってビクビクしててな。でも、棄権したら許さねぇってケントに言わ

れてよ。結局、泣きべそかきながら頑張った」

そこで、サツキ君は小さく吹き出した。

「で、べそかきながら最後まで勝ち残って、結局優勝しちまった」

「すごいじゃない!で、イヌイ君は何か言ってた?」

サツキ君は照れたように鼻の頭を擦りながら呟いた。

「優勝したのが自分でも信じられなくて戸惑ってたら、「お前は凄いヤツなんだ。力比べじゃ誰も敵わないんだ。だからもっ

と自信を持て」そう言って、笑顔で俺の胸を思いっきり叩きやがった」

サツキ君は苦笑を浮かべながら、胸の、月の輪のある辺りを親指で指し示した。

「当時の俺なら、痛くなくてもビックリして泣き出しそうなもんだったのに、不思議と平気で、むしろスカッと気持ち良かっ

た。きっと、誉められて、認められて、嬉しかったんだろうな。…ずっと後になってから気付いたんだが、無理矢理出場させ

たあいつの狙いは、とにかく俺に自信を付けさせる事だったんだ。きっとな…」

そうだったんだ…。実に彼らしい強引な自信の付けさせ方だけれど、効果は見ての通り、さすがはイヌイ君だね。

「きっかけって言や、あれがきっかけだったんだろうなぁ。…実は当時の俺さ…、仲が良かった友達…。ほれ、前に話した黄

色い猫の獣人…、きっちゃんが引っ越して行って、毎日しょぼくれてたからな…。ケントのヤツ、見かねてあんな真似したん

だろう」

なるほどね…。イヌイ君には感謝しなきゃ。彼が強引にでも自信を付けさせてくれなかったら、今の頼りがいのある、かっ

こいいサツキ君にはならなかったかもしれない訳だしね。

…でも待てよ?昔のサツキ君も可愛かったけれど、今の男らしいサツキ君もかっこいいし…。う〜ん、どっちが良かったの

かな…?

…ん?もしかして、その事がきっかけで、サツキ君はイヌイ君を好きになった…?

「どした?キイチ?」

ふと気が付くと、僕は足を止めて考え込んでいた。サツキ君は少し前で振り返り、訝しげに僕を見つめていた。

「ううん。なんでもない」

僕の返事に、サツキ君は眉根を寄せる。

「なんでもねぇって事はねぇだろ?なんかニヤニヤしてると思ったら、迷うみてぇに上を向いたり、急に俯いて考え込んだり

…。一体何考えてたんだ?」

あ、あれ?僕、そんな行動してたの?

「ん〜…、ひみつ!」

ちょっと動揺したけれど、ここは上手く誤魔化そう。

「なんだよそれ?」

「ひみつったらひみつ!」

「…無茶苦茶気になるなぁ…」

もしも僕が引っ越さないで、ずっと一緒に居たら、君は僕とイヌイ君、どっちに告白してたんだろう…?…そんな事考えて

たなんて、言える訳ないじゃない…!

「そんな事より!この後ヒマなんでしょ?どこか遊びに行こうよ!」

強引に話題を変えると、サツキ君はまだ気になっているようだったけれど、しぶしぶ頷いた。

過ぎた昔の事を、もしもなんて考えたって仕方ないや。過去は過去、今は今、今を生きている僕は、今を受け入れて行こう。

もちろん。僕は今のサツキ君が大好きだよ…!