第十七話 「何やってんだ俺は」
まったく、何やってんだ俺は!?
…っと、自己紹介自己紹介…。俺は阿武隈沙月。東護中学三年。全身は濃い茶色、胸には白い月の輪がある熊の獣人だ。
「…失礼しました」
昼休みを使ってキダ先生と相談室で話していた俺は、ドアを閉めてため息をつく…。
…ん?別に悪さして呼び出し食らった訳じゃねぇぞ?ちょいと先生に聞きてぇ事があっただけだ。
俺はキイチの事がどうにも気になってた。…ずっと気になってるだろって?いや、そういう事じゃなくてだな…、この間見
たキイチの体の傷…、あれがどうも気になった。
俺達獣人は傷の治りが早ぇ。早ぇだけじゃなく、復元力って言や良いのか?あれが高ぇ。つまり痕も残らねぇで元通りに治
りやすいわけで、腹を切るような手術なんかでも、普通は縫った痕も残らねぇで消えるもんなんだ。
…なのに、キイチの体にはくっきり残る傷痕が五つ…。しかも、どう見たって何かの手術の痕とか、ぶつけて怪我したとか、
そう言ったもんじゃねぇ。あんな風に痕が残るなんて…、よっぽど深い傷だったに違いねぇんだ…。一体何があってあんな傷
を負ったんだ…?
初めて見たキイチの裸…。俺なんかが抱き締めたら壊れちまいそうに細くて、華奢で、綺麗な体してんのに…、傷痕が痛々
しかった…。
正直言って、確かに痛々しいとは思うけど、傷痕そのものは大して気にならねぇ。気になってるのは、キイチがそれを隠そ
うとしてる事…。つまり傷と、傷を負った原因について知られたくねぇらしいって事だ。
それと、もう一つ気になったのはあの雷の恐がりよう…。雷が苦手なヤツってのは確かに居る。だがキイチの場合は尋常じゃ
ねぇ。前にも一回あったが、この間のはさらに輪をかけてすげぇ怯えようだった。なんか嫌な事でも経験して、トラウマになっ
てんのかな…。
雷と傷痕…。なんとなくだが、これは繋がってるんじゃねぇかと思ってる。根拠はねぇけど、いわゆる勘…、だな。
で、何か知らねぇかとキダ先生に聞いてみたんだが、何も知らねぇらしい。
…いや、話す気はねぇらしいって言った方が正確か。
キダ先生は話してる最中、俺と目を合わそうとしなかった。ありゃ絶対に何か隠してやがる…。
プライベートな事だ。とか言われりゃそれまでなんだがな。やっぱり気になるわけで…。
「…では、修学旅行の班編成はこれで良いか?異議が無ければこれで決定にする。以後の変更はよほどの理由が無い限り受け
付けないぞ。本当にこれで良いな?」
声を張り上げるキダ先生に、異議を唱える生徒は居なかった。まぁ、自分達で好き勝手に決めた班だからな、異議があるは
ずもねぇや。
キイチは風邪を引いたらしく、もう二日も休んでる。心配なんだが、あいつの家も知らねぇし、電話もねぇっていうしな。
見舞いにも行けねぇで悶々と過ごしてる。
…はぁ…。あいつと会えねぇだけで何か調子が出ねぇ…。中毒かなぁ俺…。
「では帰りのホームルームまでに名簿を作って渡すようにする。サボって帰るなよ?」
…あんたの受け持ちのクラスで、サボりなんて怖ぇ事できる生徒が居るかよ…。
ちなみに俺達の班は、高槻信二に石森拓也、河部幸作。それに俺とキイチを加えた五人だ。ナギハラを除いた球技大会のバ
スケメンバーだな。
ナギハラはどういう訳か、終始羨ましそうにこっちを見てた。だが、男子は男子、女子は女子で班を組む事になってんだか
ら、こいつは仕方ねぇ。
とりあえず、休んでいるキイチは俺の意見で班に入れさせて貰った。シンジとタクは俺達の関係を知ってるし、無口なカワ
ベはキイチと気が合ってるみてぇだし、何より一回チームを組んで活動した仲だ。あいつには無断だったがカンベンしてもらおう。
「ネコムラさんの事、ですか?」
隣のクラスのお嬢様は、困ったように首を傾げた。
昼休みの図書室は伽藍としてて人気がねぇ。サカキバラがいねぇかと覗いてみたんだが、運良く居てくれた。で、向かい側
の席に座って、キイチについて聞いてみた所だ。
「何故私に?」
「前からキイチと話とかしてたらしいし、あんたならあいつの事も詳しいかと思ってよ…」
サカキバラは困ったような顔で首を横に振る。
「ご免なさい。元々自分の事をあまり話さない人ですし、私も勉強や本の事くらいでしか話をしていませんでしたから…」
「あ〜、そうか…」
そういやあいつ、自分から他人に関わってくタイプじゃねぇもんなぁ…。どっちかっつうと一匹狼、いや一匹猫なんだよなぁ。
一年、二年の間に一緒のクラスだったヤツもキイチの事はあんまり知らねぇみてぇだし、小学校以前のあいつの事となったら
さらにお手上げだ。中学に入る時にこっちに越してきたらしいが、その前は何処に住んでたんだろうなあいつ…。…あ、そうだ。
「なぁ、あいつ何処の小学校に通ってたか、聞いた事ねぇかな?」
「え?えぇと…」
サカキバラはしばらく考え込み、それから口を開いた。
「学校までは分かりませんけれど、雄流和町に住んでいた事があるらしいですね」
「オナガワ?」
「ええ、去年、夏休みの自主研究で、サンマの水揚げ量の多い港を調べていた時に、通りかかったネコムラさんが雄流和の漁
港を示して、近くに住んでいたと言っていました」
…えらく渋い自主研究してたんだな…。まぁそれはともかく、キイチは昔、雄流和に住んでいたらしい事は分かった。…電
車を使えば簡単に行けるな。こいつは大収穫だ!
「キイチがどのへんに住んでたか分かるか?」
「住所まではちょっと…、でも、部屋からは市場の競りの様子が良く見えた。というような事を言っていましたね」
ナイス記憶力だスーパーお嬢様!俺は礼を言って立ち上がり…、あ。
「悪いけど、俺がこんな事聞きに来たっての、キイチには黙っててくれねぇかな?」
「え?それは構いませんが…。ネコムラさんと何かあったんですか?」
「う〜ん…。何かあったって訳じゃねぇんだけどさ…。あいつ。弱音を吐く事もねぇし、他人に弱みなんか見せねぇんだよな…」
「えぇ…」
同感だったらしく、サカキバラは頷いた。
「なんて言や良いのか…、そういうのって辛くねぇかな?誰かに話してスッキリしたりとか、できねぇもんなのかな?」
「ネコムラさんが、過去の事で悩んでいる。と?」
「ん〜…。それもはっきりしねぇんだけど、たぶん昔の何かを引きずってるんじゃねぇかと思ったんだ」
「…本人から話されるまで、待てませんか?」
サカキバラは俺をじっと見つめた。なんとなく、俺の行動には反対らしい事が分かる。
「あいつの事だ。きっと、ずっと黙ってるさ」
「でも、隠れて調べていると知ったら、ネコムラさん、嫌な思いをするんじゃ…」
…確かに、それには反論できねぇ…。
「…それでも知りてぇんだ。あいつは俺の話を、悩みを、何でも聞いて相談に乗ってくれる。俺の事を良く理解してくれてる。
なのに俺…、あいつの事、何も知らねぇんだよ…」
俺はサカキバラにそう言い残すと、図書室を後にした。サカキバラの何か言いたそうな視線が、ドアを閉めるまでずっと背
中についてきた。
帰りのホームルームで、修学旅行の班名簿が渡された。
うん。俺の名前はキイチと同じトコにある。よしよし。
「な〜にニヤニヤしてんだよ?」
「…別にニヤニヤしてねぇよ!」
隣の席のシンジが小声でからかってきた。もしかして俺、ホントに今ニヤニヤしてたのか?
「今日は欠席1名だな。ネコムラか…。ナギハラ!悪いが帰りにネコムラに名簿届けてくれるか?」
「はい。分かりましたー」
キイチの分も今日持って行って貰えるのか。あいつ、名簿見たら喜んでくれるかなぁ。
にしても、俺だってキイチの家も電話番号も知らねぇのに、ナギハラは知ってんのか…。なんかジェラシー…。
キイチに住所聞いてもなんかはぐらかされるし、電話はねぇって言うし…、電話ねぇってのはアレか?キイチんとこ、最近
多い携帯電話だけの家なのか?そりゃぁお袋さんや親父さんの携帯教えて貰っても気軽にかけられねぇけど。
ナギハラは先生から、他にも溜ってたキイチのプリントを受け取って、席に戻…、待てよ…?
戻ってくるナギハラを眺めながら、俺はおかしな事に気付いた。
キイチん家って商店街のあっち側、俺ん家の反対方面にあるんじゃなかったか?前にそんな事言ってたし、俺ん家に寄らねぇ
時はいつも商店街あたりで別れてたぞ?なのになんでナギハラだ?あいつの家って商店街よりこっち側、俺ん家寄りだぞ?
「それでは、ホームルームは終わりだ。修学旅行が近いからと言ってはっちゃけすぎるなよ?十分に気をつけて帰るように!」
「きりーつ!れい!」
条件反射で立ち上がり、礼をしながらも、俺の狭い頭の中は、ハテナマークで埋まっていた。
「ナギハラ、ちょっと良いか?」
「なに?アブクマ君?」
皆が帰り支度に取り掛かってる中、俺は鞄に荷物を詰め込んでいるナギハラに声をかけた。
ナギハラは薄い桃色の被毛をしたウサギの獣人だ。さばさばした性格で男友達感覚で付き合えるから、他の女子とは違い、
結構話もしたりする。実は小学校から一緒で、他のクラスメートよりもお互いの事は良く知ってる。
「キイチ、お前ん家の近くに住んでんのか?」
「まぁ近くって言えば近くだけど。それがどうかしたの?」
「いや、俺、キイチん家知らねぇんだわ。で、見舞いに行くにもどうしたもんかと困って」
「ああ、アブクマ君、最近ネコムラ君と仲良いもんね」
ま、なんたって付き合ってますからねっ!秘密だけどな。
「でも意外よねぇ、クラスでも目立つ君と、はっきり言って影のように目立たないネコムラ君。どこに接点があったの?」
「俺が学年でも群を抜いて頭が悪くて、あいつが学年でも群を抜いて頭が良いから接点ができたんだろうな」
「ああ、勉強教えて貰ったんだ」
ナギハラは納得して頷いた。俺の事を良く知ってるだけに理解が早くて助かるが、…否定はしてくれねぇのな…。
「で、良ければあいつん家、教えてくれねぇか?見舞い持って行きながらプリントも届けとくからさ」
「そういう事なら良いわよ。私もちょっと寄りたい所があったから助かるし」
ナギハラはそう言うと、ルーズリーフを一枚千切って簡単な地図を書いてくれた。
…ふむ、あの辺りじゃ目立つでかいマンションの傍だ。これなら迷わねぇな。
「あ、表札違うから、間違わないように気をつけてね?」
立ち去りかけた俺にナギハラが言う。
「は?表札?」
「表札は鈴木さんになってるから」
「下宿でもしてんのかあいつ?」
「さぁ?悪いけど私も詳しい事は知らないのよ」
「そか。まあ行って見るよ。あんがとな」
「ううん。こっちこそ助かるわ。お願いね」
ナギハラに見送られ、俺は見舞いの品は何にしようかと考えながら廊下に出た。
俺は学校を出ると、見舞いのケーキを買い、真っ直ぐにキイチん家を目指した。いや、スズキさん家だからキイチん家じゃ
ねぇのか。
下宿だとすりゃあ、電話がねぇってのも頷ける。でも、なんだって住んでる場所をはぐらかしたりなんかしたんだ?…あれ
か?部屋に入られたくねぇのか?壁にヌード写真とか貼ってあったりすんのか?…う〜ん…、違うか。キイチのイメージに合
わねぇし…。
考え事をしていたら、俺は目印のマンションを通り過ぎる所だった。
少し引き返してナギハラの地図を確認する。え〜と、マンションの傍の公園の二軒隣り…、っと、ここか。
俺は茶色のトタン屋根の家の前で足を止めた。表札は…、確かにスズキになってるな、ここで間違いねぇだろう。
俺は観音開きの正門を抜け、玄関の前に立つ。チャイムを鳴らすと、化粧の濃い、若い人間の女性が出て来た。
若い女の人は、俺の顔を見上げて少し驚いたような顔をした。まあ、初対面で驚かれるのは慣れてる。この見てくれだからな。
「アブクマって言います。ネコムラ君のクラスメートっす」
俺がそう名乗ると、一瞬不審げな顔をした女の人は、俺の着ている制服を眺めてから納得したように頷いた。…あれか?顔
は同級生にゃ見えねぇって事か?
…にしてもこの人、若過ぎるし、キイチのお袋さんじゃねぇよな。やっぱり下宿してんのか?
「先生からプリントを預かって来ました。あ、あとこれ、お見舞いっす」
用件を告げ、ケーキを手渡すと、女の人は俺を玄関に招き入れた。
…もしかしたらキイチは、俺に来て欲しく無かったんじゃねぇのか?一瞬そんな事を考えて躊躇ったが、結局好奇心に負け
てお邪魔する事にした。
女の人に案内されて廊下を歩くと、途中でドアが開いたままのリビングの中が見えた。
小学校の中学年ぐらいだろうか?人間の男の子が二人、テレビの前に陣取ってゲームをやっていた。横顔をちらっと見ただ
けだが、顔が似ていたからたぶん兄弟だと思う。
「ここがあの子君の部屋よ」
L字に曲がった廊下の突き当たりのドアを指し、女の人が言った。
女の人はドアの前に俺を残し、さっさと引き返して行った。なんつぅのか、あからさまにこの場に居たくねぇって感じだっ
た。何なんだ一体…?
しばらく躊躇ったが、結局、俺にはドアをノックするしか選択肢はねぇわけで…。
「…はい。開いています」
少し控えめにノックすると、部屋の中からキイチの声が返ってきた。…気のせいか、硬くて、やけによそよそしい声だった。
ドアをそっと、細く開けると、パジャマ姿のキイチがベッドの上で身を起こしてた。本を読んでいたらしい。布団の上に分
厚いハードカバーの本が伏せられてる。
キイチはドアの隙間からそっと覗いた俺の顔に気付くと、一度驚き、それから嬉しそうに顔を輝かせた。が、それも一瞬で、
少し気まずそうに目を伏せた。…やっぱり、来るべきじゃ無かったのかな…。
「…もう、起きてて大丈夫なのか?」
少し躊躇いながらも、俺は部屋の中に足を踏み入れ、ドアを閉めた。
「うん。熱も下がったから、明日からは学校に行けるよ」
「そか。良かった…!」
とりあえず、思ってたよりも元気そうでほっとした。それが顔に出たのか、キイチは苦笑を浮かべた。
「ごめんね、心配かけちゃって」
「気にすんな!想像してたより元気で安心したぜ!それよりコレ、昨日からのプリントと、修学旅行の班名簿。俺達、同じ班
になったぜ?」
キイチは班名簿を受け取り、自分の班を確認すると、嬉しそうに笑みを浮べた。
「勝手に決めさせて貰ったが、三人とも知らねぇ仲じゃねぇから、気楽に行けるだろ?」
「うん。ありがとう」
キイチはそう言うと、ここ二日間の授業の進み具合を聞いてきた。こんな事もあろうかと、キイチの居ねぇ二日間、真面目
に授業受けといたぜ!
「思ったより進んだね。ありがとう。今夜中に予習しておくよ」
「無理すんなって、病み上がりなんだろ?」
「ずっと寝込んでたら脳がダメになっちゃうよ。ちゃんと使っておかなきゃ」
うぅむご立派!キイチは本当に真面目な良い子だなぁ…。…え?俺も見習えって?
それから俺は、学校であった出来事を話して聞かせた。キイチはだいぶ体調が良いようで、顔色も良く、終始笑顔だった。
会いてぇ気持ちが溜ってたのか、俺は夢中になってキイチと話をし、気が付けば6時を回ってた。そろそろおいとましよう
かと考えてると、不意にドアがノックされた。
その途端、笑顔だったキイチは表情を消し、「開いています」と、固い、やけに事務的な口調で応じた。
さっきの女の人がドアを少し開けて顔を覗かせる。
「夕食の仕度が出来たわ。お友達も一緒にどうかしら?」
「いや、俺は…」
遠慮しようとした瞬間、腹の虫が大声で鳴いた。
キイチは小さく吹き出し、女の人も一瞬驚いたような顔をした後、微かに笑った。
身体は正直だって言うが…、なんともバツが悪ぃ…。
結局、俺は夕飯までご馳走になる事になった。
女の人はお見舞いのお返しと言ってくれたが、ちょっと居心地が悪ぃ…。
俺とキイチは台所のテーブルで食事を摂った。台所は廊下を挟んでリビングの向かいにあり、そっちでは子供達と、いつ帰
宅したのか、旦那らしい人間の男性がテレビを見ている。なんとなく覚えた違和感の原因には、すぐに気付いた。
皆、まるでキイチがその場に居ねぇかのように振舞っていた。
リビングで子供達と談笑している男の人も、俺には見舞いの礼を言ったが、キイチには体調を気遣う言葉をかけるどころか、
視線を向けようとさえしなかった。
子供達も、大柄な俺が珍しいのか、好奇心旺盛に話しかけてくるのに、キイチの事は空気のように無視した。
キイチもまた、誰にも話しかけず、視線も向けようとしない。
何なんだ?この異様な空気…。この家の中で、キイチだけが異質な存在みてぇに…。
女の人は食事を用意すると、俺達と同じテーブルにかけた。彼女達の食事はもう済んでいるとの事だ。
「驚いたわ。この子に友達が居たなんて」
女の人は俺の顔を興味深そうに見つめた。
…つまり、キイチは俺の事をこの家で話してねぇって事になる。たぶん、俺の事だけじゃねぇだろう。学校の事も話してねぇ
んじゃねぇか?雰囲気から察するに、会話自体がねぇのかも知れねぇ。
「貴女は、キイチの叔母さんなんすか?」
歳も若いようだからそうじゃねぇかと思って聞いてみたんだが、当たってたらしく、女の人が頷いた。
「この子の母の妹よ。旧姓根枯村。今は鈴木美枝(すずきみえ)というの。よろしくね」
どうにもキイチと上手く行ってねぇ様子のこの家族、キイチの叔母さん夫婦なんだな。
旧姓が根枯村って事は、キイチの家は婿取りだったのか。お袋さんが家督継いだんだろうな。そういや、キイチの両親って
何してるんだろ?実家ってどこなんだ?やっぱり雄流和町?
「キイチの親父さんとお袋さんって、何してんすか?」
率直な疑問だったんだが、質問したとたんに空気が変わった。
叔母さんは意外そうに眉を上げて俺を見つめ、それからキイチに視線を向けた。ずっと無言だったキイチは、俺の質問を耳
にした途端にビクリと身を震わせ、視線を茶碗に固定して動かなくなっていた。
「…話してないのね?」
叔母さんは物でも見るような目でキイチを眺めながら呟いた。
「ま、話したくないでしょうね、あんな親のことなんて。特にせっかく出来たお友達には」
意味ありげな叔母さんの言葉。箸を握ったキイチの手が、微かに震えていた。
俺は、しちゃいけない質問をしちまったらしいことに、今更ながら気付いた。
俺は急いで(少々行儀悪く)飯を掻き込むと、ご馳走様を言って食器を流しに運んだ。キイチも食欲がねぇのか、夕飯を半
分残して、俺の後を追いかけてくるように食器を下げてきた。
「明日は、学校来るよな?」
玄関で靴を履きながら声をかけると、見送りに立ったキイチは、無言で頷いた。
キイチは、元気が無くて、哀しそうで、…心が、傷んだ。
靴を履き終えた俺は、誰も見てねぇのを確認して、キイチを手招きした。
訝しげに首を傾げ、一歩近付いたキイチに、俺は素早くキスをした。
一瞬だけ唇を重ねたら、キイチは慌てて顔を離した。
「ちょっと!風邪がうつったらどうするの!?」
「ぬはは!キイチにうつされんなら本望だ!」
キイチは照れたように俯いた。
「…ばか…!」
「自覚してるよ。それにほら、風邪ってうつせば治るって言うじゃねぇか?」
「心遣いは有り難いけど、…それ、迷信だからね?本気で信じてないよね?」
「うぇっ!?そうなのか!?」
「…君は本当に…」
キイチは小さく吹き出す。…良かった。ちっとは元気が出たみてぇだな。
「んじゃ。明日、学校でな」
「うん。また明日」
キイチの笑顔に見送られ、俺は鈴木家の玄関を出た。
すっかり暗くなった道を一人で歩きながら考える。
俺は、キイチの事を何も知らねぇ。キイチ自身も話そうとはしねぇ。
…俺、そんなに信用できねぇのかな?…そんなに頼りねぇのかな?
キイチは、毎日あの家に帰って、毎日あの家で暮らしてんだ。事情は知らねぇけど、両親と離れて、あの居心地の悪ぃだろ
う空間に、それでも毎日帰らなきゃいけねぇんだ。
仕方無ぇんだよな…。俺達はまだガキで、誰かに頼らねぇと生きていけねぇわけで…。
…俺、無力だな…。惚れた相手が辛い思いしるってのに、何もしてやれねぇ…。
そんな事を考えてたら、沸々と怒りが込み上げて来た。
傍にあったゴミ集積場のバケツを、力いっぱい蹴り飛ばす。
ベッコリへこんで、けたたましい音を立てて街灯の下に転がったバケツを睨みながら、俺は荒く息を吐き出した。
何やってんだ俺は!?
キイチには助けられてばかりなのに、なんで何もしてやれねぇんだ!?そりゃあ俺にできる事なんてたかが知れてるけど、
それでもホントに、何かしてやれる事はねぇのかよ!?
呼吸が静まる頃には、考えは纏まっていた。
キイチの家がどうなってんのか、確かめてみよう。
あいつの置かれてる状況が分かれば、俺が力になれる事も見付かるかもしれねぇ…!