第二十四話 「君が居ない世界」

蹲って震えていた犯人は、すぐに先生方が取り押さえた。

倒れたきり動かなくなったサツキ君に取り縋り、僕はガタガタと震えていた。

…血が…、お腹と腕から流れ出た血が…、乾いた校庭の砂でも吸いきれず、細かい砂と混じり合って、赤黒い水たまりになっ

て広がって行く…。

包丁はお腹に深々と刺さったままで、ぶつかった拍子に切れた手首の下側からは、ドクドクと血が流れ出ている。

ほとんど何も考えられないまま、僕はサツキ君に呼びかけ続ける。

その間に、カキヌマ先生がサツキ君の腕をきつく縛って止血してくれた。

ほどなく、パトカーと救急車がやってきて、犯人は警官達に拘束され、サツキ君に縋り付いていた僕は、駆けつけた救急隊

員達に引きはがされた。

…なんで…、なんでもっと早く来てくれなかったんだ!?

貴方達がもっと早く来てくれていれば、サツキ君はこんな目に遭わずに済んだかもしれないのに!

サツキ君は担架に乗せられ、救急車に運び込まれた。そこへ僕とシュウ君も一緒に乗せられる。

搬送先を無線で確認する救急隊員の声が切迫していて、サツキ君がかなり危険な状態なのが察せられた。

走り出した救急車の中で、僕とシュウ君は、怪我をしていないか、痛む所はないかと確認された。

質問にどう答えたのかはよく覚えていない。

カーテンを一枚隔てた向こうの、慌ただしい動きが気になって仕方なかった…。



…僕のせいだ…。

手術室の前、ベンチに腰掛けた僕は、手術室のランプを眺めながら考える。

サツキ君が身を挺して庇ってくれたおかげで、僕もシュウ君も怪我は無かった。

シュウ君は泣き疲れて眠ってしまった。あんな目に遭ったせいで、かなりショックを受けていたらしい。念のために入院す

る事になり、今はコマイのおばさんがつきっきりで様子を見ている。

…僕は、あの時に犯人が見える位置に居た。犯人がスタンガンを伸ばすのに、サツキ君よりも早く気付いた。

 あの時、もう少し早く気付ければ…、せめて警告してあげられれば…、サツキ君はあんな事にならなかったはずだ…。

その後だって、僕がしっかりして、シュウ君を連れて離れられれば、サツキ君が盾になる事だってなかったんだ…。

なんであんな事をしてしまったんだろう…?

サツキ君を止めるどころか、余計な事を考えてしまった。結局、僕の行動がサツキ君を焚きつけてしまったんだ…!

頭を抱え、僕は蹲る。

喉の奥から呻き声が漏れる。

手が、指先が震えている。

目がひりひりして、口の中がからからだった。

…僕のせいだ…!

僕のせいでサツキ君はあんな目に…。僕は、やっぱり疫病神なんだ…。分不相応な幸せを手に入れたから、きっとバチが当

たったんだ…!

コツリ、と、すぐ近くで靴音がした。

顔を上げると、すらりとした長身の、犬獣人のおじさんが立っていた。

茶色い被毛に鋭い目つき。でも、その薄茶色の瞳は、とても暖かい光を帯びている。

「…おじさん…」

そこに立っていたのは懐かしい顔…。イヌイ君のお父さんだった。

「…久しぶりだね、きっちゃん」

おじさんは刑事さんだ。僕の家の事件も担当したから、僕の事は全部知っている…。

「隣、良いかな?」

僕が頷くと、おじさんはベンチに腰掛けた。

「…サツキ君は…、大丈夫ですよね?」

おじさんは手術室のランプを見上げ、頷いた。

「当たり前だよ。あの頑丈なさっちゃんが、こんな事くらいでどうにかなるもんか…」

本当は、おじさんにだって分かるはずはない。

でも…、サツキ君は大丈夫だって、誰かに言って欲しかったんだ…。



サツキ君のおじさんとおばさんは、それから間もなくやって来た。

僕は、二人に頭を下げた。謝りたかった。なのに声は出ず、ただ、低い嗚咽が喉から漏れるだけだった。

おじさんは大きな体を屈め、震える僕の両肩をしっかりと掴んだ。

「イヌイさんから簡単な話は聞いた…。二人して子供を助けたんだってな?立派なもんだ。大人だってそうそうできる事じゃ

ねぇ…。それに、サツキだってこの程度でどうこうなったりしねぇさ。すぐに元気になる。だからもう泣かねぇでくれや…。

なぁ?」

おばさんが横から手を伸ばし、僕の涙を拭った。

「そうよ。ネコムラ君が気に病む事じゃないわ。貴方達は、皆に褒められる立派な事をしたのよ?だから、しゃんと胸を張り

なさい。…ね?」

二人の優しい言葉が、今の僕には辛かった。

本当は、二人ともサツキ君が心配で仕方がないはずなのに…、それなのに僕を気遣ってくれていた…。

しばらくしてから、イヌイ君のおじさんが僕を手招きして、そっと囁いた。

二人で話がしたい、とおじさんは言った。

少しでもサツキ君の近くに居たかったけれど、僕が居ても何の役にも立たない。少し迷った後、僕は頷いた。



「アブクマさん達は、君の事には気付いていないのかい?」

「はい。サツキ君は全部知ってますが、おじさんとおばさんだけじゃなく、他の誰にも話していないようです」

「そうか…。まあ、それが良いだろう」

おじさんは自販機でみなの分の飲み物を買いながら、頷いた。

「…今の生活は、辛いかい?」

「いいえ、あまり…。辛いのにも、慣れちゃったみたいです」

ぽつりと尋ねたおじさんにそう答えた後、僕は痛む胸をきつく押さえた。

「慣れた…、はず…、だったんですけどね…」

今は…、辛い…。僕のせいでサツキ君が傷ついた事が、辛くてしかたない…。

自分が辛い目に遭うのは我慢できる。でも…、僕のせいで誰かが辛い目に遭うのは、耐えられなかった…。

「そろそろ、戻ろうか」

おじさんに促され、僕は缶を半分持って後に続いた。

廊下の曲がり角で、おじさんは立ち止まった。どうしたのかと思って覗き込んだ僕は、息を呑んで顔を引っ込めた。

サツキ君のおばさんが、両手で顔を覆って泣いていた。おじさんが、その肩を優しく抱いて慰めていた。

おじさん達も辛いんだ…。当たり前だよ…。それなのに、僕の前では平気そうに振る舞って、元気付けてくれたんだ…。

僕はいたたまれなくなって、廊下の角に身を潜めたまま、息を殺して立ち続けた。

イヌイ君のおじさんは、何も言わずに僕の肩をポンと叩いた。

…けんちゃんが亡くなった時、おじさんも、ああいう風におばさんを慰めたんだろうか?



僕達がベンチに戻ってしばらくすると、手術室の扉が開いた。

四時間に及ぶ手術の後、ストレッチャーに乗せられて運び出されたサツキ君は、眠っているように目を閉じていた。

口元には酸素マスクを被せられ、鼻にはチューブを入れられている。

脇でぶらぶらと揺れるいくつもの点滴の袋から管が伸び、サツキ君にかけられた白いシーツの下に潜り込んでいた。

先生と看護師さん達は、誰一人として、安堵したような顔も、笑顔も浮かべてはいなかった。

一様に硬い表情を浮かべる医師団から、決してサツキ君の状態が楽観視できない事が察せられた。

サツキ君のおじさんもおばさんも、イヌイ君のおじさんも、先生に頭を下げただけで、何も聞こうとしなかった…。



サツキ君が個室に運び込まれた後、おじさんとおばさんは先生に呼ばれ、サツキ君の状態について説明を受けてきた。

戻ってきた二人からは、目に見えて元気が無くなっていた。

しばらくして、おじさんは家に戻って行った。泊まり込みの準備をしてくるらしい。

イヌイ君のおじさんは、そろそろ仕事に戻らなければならないらしく、僕に名刺を手渡した。名刺の裏には、携帯電話の番

号がボールペンで書かれている。

「家内にも手伝いに来るよう言ってあるが。何か変化があったら連絡してくれないかな?私もすぐに飛んでくるから…」

僕は頷いて、おじさんの名刺をポケットにしまった。

サツキ君が目を覚ました。そう第一報を入れられる事を願いながら…。



サツキ君のおじさんが戻ってきた時、イヌイ君のおばさんも一緒だった。

サツキ君のおばさんは、イヌイ君のおばさんの顔を見た途端、堪えきれなくなって泣き出してしまった。

おばさんの泣き声から逃げるように、僕は病室の前を離れた。

イヌイ君のおばさんが来た事を、おじさんに報告するべきだ。…そう、自分に言い訳しながら…。



三人は、僕に家に帰るようにと言ったが、僕はわがままを言って残らせてもらった。

おじさん達は何も言わなかったけれど、僕には分かっていた。

…サツキ君は、今夜が山だという事を…。

集中治療室の近く、休憩スペースで交代で休みながら、僕達はサツキ君が目を覚ますよう、祈るような気持ちで見守り続けた。

見守る事しかできない自分が…、歯がゆく、情けなかった…。



いつのまにかうとうとしていたらしい。ふと気が付くと、照明が抑えられ、周囲は薄暗くなっていた。

サツキ君のおばさんとイヌイ君のおばさんが、ベンチに横になり、毛布にくるまって寝息をたてている。

僕は二人を起こさないようにそっと立ち上がると、足音を忍ばせてサツキ君の病室に向かった。



集中治療室前の、個室のドアに手を伸ばした僕は、中から微かに声が聞こえる事に気付いて、手を止めた。

「…サツキぃ…。身体張ってネコムラ君と男の子を守ったんだってなぁ?…あの泣き虫だったお前が、よくもまぁ…。はっき

り言って、怪我したって事よりそっちの方にビックリしちまったぜ…」

…おじさんの…、声だった…。

「…立派んなったなぁサツキ…。もうガキ扱いなんぞできねぇなぁ…。俺も母ちゃんも、お前が誇らしくてしかたねぇや…。

…お前は俺の、自慢のせがれだ…」

不意に押し黙った後、おじさんの声が震えた…。

「…済まねぇなぁサツキ。お前が人様に褒められる事したってのに、立派な事やったってのに…、俺ぁ、なんもしてやれねぇ

んだなぁ…。本当に、情けねぇ親父だよなぁ…」

おじさんの涙声が、すすり泣き混じりに続ける。

「…なぁ、サツキぃ…、早ぇとこ目ぇ覚ませや…。でねぇと母ちゃんも、ネコムラ君も、可愛そうで見てらんねぇよ…」

僕は、息を呑んだ。

「ネコムラ君…、お前の怪我を自分のせいだって思い込んでるぞ?早く目ぇ覚まして、安心させてやれ…。大事な友達なんだ

ろ?心配かけちゃいけねぇよ…」

…しばらくして、すすり泣きがおさまった頃、僕はドアを軽くノックした。

返事を待って中に入ると、おじさんは僕に微笑みかけた。…目元が、涙で濡れていた。

本当は、自分だって辛いのに…、無理に笑う必要なんてないのに…。

「少し休んで下さい。しばらくは僕が見ていますから…」

僕がそう言っても、おじさんは少しの間迷っていた。

「…傍に居てあげたいんです…」

そう言うと、僕の気持ちを察してくれたのか、おじさんは、

「それじゃあ、少しだけ頼むなぁ」

と言って席を外してくれた。

この個室と病室とを区切るガラスの向こうで、サツキ君は眠っていた。

今朝はあんなに元気だったサツキ君が、今はベッドの上で生死の境を彷徨っている。

痛々しい姿を見たら、また辛くなった…。ガラス一枚を隔てただけの距離が、なんだかとても遠く見えた…。

静かな、殺風景な病室の中で、ひとりぼっちで眠っているサツキ君が、可愛そうで、寂しそうで、堪らなかった…。

…気が付いたら、僕はドアを開け、病室の中に入っていた。

サツキ君の状態を示すモニターが、規則正しく明滅し、音を鳴らしている。

静かな病室の中で、サツキ君は苦しそうな様子もなく、静かに呼吸していた。…そう、本当に静かに、息をしているのがか

ろうじて判るくらいに弱々しく…。

布団から出ている左腕には、何本もの点滴が刺されていて、なんとも痛々しい。

僕はベッドの傍らに跪き、サツキ君の左手をそっと握った。

「…ねぇ?おじさんの言葉、聞こえてた?凄いねぇ、あの厳しいおじさんに、あそこまで言わせるんだもん」

僕はサツキ君に話しかける。もちろん反応は無いけれど、それでも僕は話し続けた。

「皆褒めてたよ。シュウ君のお母さんも感謝してた…」

僕は、込み上げそうになる嗚咽を飲み下す。

「でも…、僕は褒めてなんかあげないからね?」

サツキ君の手をさすりながら、僕は彼に文句を言った。

「僕を守ってくれたつもりだろうけど、全然嬉しくないよ…!」

涙が零れて、サツキ君の手に落ちた。

「…僕らが助かっても、君に何かあったら意味がないよ!」

サツキ君の手に頬をすり寄せ、漏れ始めた嗚咽を抑える。

「早く、目を覚ましてよ…。早く元気になって…、また一緒に何処かへ出かけよう?君が居てくれるなら…、僕は他に何もい

らないから…」

堪えるのも、限界だった。喉が勝手にしゃっくりを始め、涙がぼろぼろと零れ出す。

「…ごめんね、さっちゃん…。僕のせいでこんな酷い目に遭わせて…。本当にごめんね…」

君が居ない世界なんて、想像もできない…。君に何かあったら、僕は生きてなんか行けないよ…。



見渡す限りの草原が、僕の前に広がっていた。

灰色だ。草は灰色で、空も灰色で、太陽だけが真っ白く、冷たい光を投げかけて来る。

後ろを向いても、横を向いても、平原は地平線まで広がっていて、他には何も見えない。

草は僕の背より高い物も多く、地面は足下にしか見えなかった。風が吹くと、背の高い草が一斉におじぎする。

僕は呆然として、色のない平原を見回した。

とても静かだ…。風と、草擦れの音しか聞こえない…。どこだろう、ここ…?僕、何してたんだっけ…?

ザァッと音を立てて強い風が吹き過ぎ、僕は思わず腕で目を庇った。

風が収まって腕を下げると、僕の前、少し離れた所に誰かが立っていた。

ゆるやかな風にたなびく茶色い被毛、両手をジーパンのポケットに突っ込んで、僕に背を向けていた。

首を巡らせて僕を見ると、彼は半歩動いて、

「よう」

振り向きながら口の端を吊り上げた。

何故だろう?馴染みの顔のはずなのに、彼の笑顔を見たら、とても懐かしく、そして、とても寂しい気持ちになった…。

僕の内心には全く気付いていない様子で、彼は苛立たしげに頭をワシワシと掻いた。

フサフサの尻尾までが、不機嫌そうにズボンの尻を叩く。

「…ったく、無茶しやがってあの馬鹿!他人に気ぃ遣う前に、ちっとは自分の事も心配しろってんだ…。なぁ?」

彼は僕に同意を求めるように話を振った。誰のことを言っているのか、すぐに分かった。

「うん、そうだね。そこが良いところでもあるんだけど、欠点でもあるよね…」

「まぁな…。でも、後できっちり説教しとけよ?お前の言うことなら、今でも素直に聞くだろうからよ。…惚れた弱みってヤ

ツでな!」

彼は口の端を吊り上げて、ニヤリと笑った。

 気の強そうな顔に、自信に満ち溢れた不敵な笑み。あの頃からちっとも変わっていない…。

「まぁね、サツキ君、僕にベタ惚れだからっ!」

「はははっ!違いねぇや!」

僕が笑い返すと、彼は空をあおぎ、声を上げて笑った。それから僕を見つめて穏やかに微笑む。

「一応、俺からも説教しといた。ベッコベコにへこんでんぜ?」

彼はすっと横にずれると、右手を上げて草原の奥を指さした。

「さて、そろそろ迎えにいってやれよ」

「え?」

「「え?」じゃねぇよ。お前が連れて帰ってやれ。俺は…連れてってやれねぇんだから…」

僕は意味が分からないながらも頷き、彼の指し示した方へと歩き出す。

前を通り過ぎる時、彼が僕の耳元で囁いた。

「…久々に会えて、嬉しかったぜ。きっちゃん…」

はっとして横を向いた時には、彼はどこにも居なかった。

そして僕は気付く。いや、もしかしたら気付けないようにされていたのかもしれない。

幼い日々を共に過ごし、そして今は居なくなってしまった彼と、こうして言葉を交わしていたという不思議さに…!

「けんちゃん!待ってよ!けんちゃん!?」

慌てて周囲を見回したけれど、イヌイ君の姿は、もうどこにも無かった。

ただ、どこからともなく、イヌイ君の声だけが聞こえてきた。

―――サツキの事、よろしくな!それと、幸せになれよ?きっちゃん…!―――



僕ははっと顔を上げた。

いつのまに寝てしまったんだろう?時計を見ると、時間はそれほど経っていなかった。

不思議な夢だった…。

イヌイ君が、サツキ君を連れて帰れと言っていた。

それから、彼が指し示した方へ進んでいったら、途方に暮れたようにうろうろしているサツキ君を見つけて、声をかけたん

だっけ?…それから、サツキ君と何かを話して、手を繋いで引き返して…。

僕はサツキ君の顔を見つめる。

そして、息を呑んだ。

サツキ君は、半分目を開け、ぼーっと天井を見上げていた。

「…さ…、さっちゃん?」

サツキ君は僕の声で目をぱっちりと開けると、驚いたように僕を見た。

「…キイチ…?…あっ…!怪我はねぇぇえっ…!?…あががっ…!」

口を開いた瞬間に、サツキ君は顔を歪ませて、苦しそうな声を上げた。

「ちょ、ちょっと!動いちゃダメだよ!」

「…いで、いでででっ…!いってぇええええっ…!」

涙目になりながら弱々しく悲鳴を上げるサツキ君。僕は慌ててナースコールを押した。

「安静にしてて!死んじゃうかと思うような重傷だったんだから!」

そう言いながら、僕の目からは安堵の涙が溢れた。

サツキ君はボクの顔を見て、辛そうな顔をする。

「…キイチ…泣かねぇでくれよ…、俺…、いつだってお前に笑ってて欲しくて…」

「サツキ君のバカ…!バカバカ大バカ!君に何かあったら…、僕は…、笑ってなんか、いられないよ…!」

「…ごめん…」

サツキ君はそう言って、弱々しく左手を動かし、僕の手をそっと握ってくれた。



駆けつけた先生の診察によると、意識が戻ればとりあえず一安心らしい。危ないところは、もう抜けたんだ…。

おばさんは涙を流して喜んだ。おじさんも安心したように微笑みながら、サツキ君の頭を軽く撫でた。

イヌイ君のおじさんやおばさん、コマイのおばさんもやって来て、皆がサツキ君の目覚めを喜んだ。

僕は安心したと同時に、体中から力が抜けてしまった。

麻酔を打たれて再び眠ったサツキ君の顔を見ながら、イヌイ君との約束を思い出す。

…うん。元気になったら、きっちりお説教しておくね…。

ありがとうけんちゃん…。さっちゃんを引き止めてくれて…。



翌日、日曜日の昼。サツキ君は再び目を覚まし、短時間だけれど、僕にも面会が許可された。傷に障るからあまり話はでき

なかったけれど、僕はベッドの傍らに座り、許された時間内、ずっと手を握り続けた。

僕は、イヌイ君と会った不思議な夢の事を話した。サツキ君も同じような夢を見たらしい、小さな声で一生懸命にその夢の

事を話してくれた。

なんでも、イヌイ君にすごく怒られたって。

「馬鹿野郎!てめぇはまだこっちに来るんじゃねぇ!」

サツキ君の前に現れたイヌイ君は、そう怒鳴ったらしい。

僕はあれがただの夢じゃなかった事を確信していた。

これまであまり信じていなかったけれど、あそこはきっと「涅槃の平原」。

僕ら獣人が一生を終えた時、その平原を抜けて、あの世へ行くと言い伝えられている。

その平原では、親しい誰かが迎えに来て、あの世へ案内してくれるらしい。

でも、イヌイ君は迎えに来たんじゃなく、サツキ君を追い返すために待ち構えていたみたいだ。

…本当に、形にとらわれない奔放な所は、昔とちっとも変わってないな…。

「…キイチ…、ごめんな…、心配かけて…」

サツキ君は小さな声でそう謝った。

「結局、最後はお前に助けられちまったし…。俺、半端モンだよな…」

僕はサツキ君の首に腕を回し、顔をしっかりと抱きしめた。

「そんな事ないよ。君が助けてくれなかったら、僕もシュウ君もどうなっていたか…。でも、こんなのはもう二度と嫌だから

ね…?」

サツキ君は微苦笑し、動く左腕を僕の背に回した。

そして僕らは口付けを交わす。

口づけの感触が教えてくれる。これは夢じゃない、サツキ君は生きている。そう実感できた…。

「お説教はいっぱいあるけど…。それは、元気になってからにしとくね?」

唇を離し、僕がそう言って微笑みかけると、サツキ君は嫌そうに顔を顰めた。

そう、イヌイ君と約束したお説教もだけど、きちんと言いたかった。

命懸けで守ってくれて、ありがとう。って…。



そして、二週間後。

「ただいまー」

「おう、おかえりキイチ!」

学校帰りの僕を、サツキ君は笑顔で出迎えた。

術後の経過は順調で、すっかり元気を取り戻したサツキ君は、先週末に東護町内の病院に転院した。で、僕は毎日サツキ君

の病室にやってきて、勉強を教えてるって訳。

「あれ?おばさんは?」

「家の掃除と買い物に行ってる。夕飯時までには帰るってさ」

「そう。で、調子はどう?」

「もうバッチリ!って言いてぇとこだが、まだじっとしてなきゃだめなんだとよ」

当然だよ。根本まで刺さった包丁は、不幸中の幸いで重要な臓器から逸れていたけれど、太い血管も切断されちゃってたし、

傷そのものはかなり深かったんだから。

手首に至っては動脈も切れていたらしい。あれほどの傷を負って、外傷性ショックと大量失血で死なずに済んだのは、本当

に運が良かったって先生が言っていたそうだ。

傷が完全に塞がって抜糸が済むまでは、サツキ君の入院生活は続く予定。

「筋肉が分厚かったおかげで、内臓まで届かなかったんだってよ」

「筋肉と脂肪でしょ?」

「うっ、まぁ、そうなんだけどよ…。ここしばらく点滴中心だし、少しは痩せれるかな…」

右腕が動かせないサツキ君は、ぎこちなく左手で頭を掻く。

「そういや、午前中にシュウ君とおばさんが来たぜ。シュウ君、明日から登校するらしい」

「え?もう平気なのかな?元気そうだった?」

「おう!ちょいと心配だったが、あんな怖い目に遭ったってのに、すっかり元気になってた。おばさんの話じゃカウンセリン

グだかなんだかの先生が良かったらしいな」

それは良かった!思わず笑みが浮かんだ。サツキ君は照れ臭そうな顔で続ける。

「俺とお前の事、ヒーローみてぇに思ってるんだと。キラキラした目で見つめられてさ…、なんだかこっ恥ずかしかったぜ…」

「ヒーローか…、確かに、サツキ君かっこよかったからね」

「よせやい…、そんなガラじゃねぇよ…」

サツキ君は困ったような顔でそっぽを向く。ふふっ照れちゃって!可愛いなぁ。

「かっこはよかったけれど、もうあんなのはゴメンだからね?」

「判ってるって、俺だってごめんだ」

僕達は顔を見合わせてひとしきり笑う。…さてと、勉強を始める前に…、

「トイレ大丈夫?おしっこつまってない?」

「…ん…、平気だ…」

尿瓶を持ちあげて尋ねた僕に、サツキ君はなにやらもじもじする。今さら恥ずかしがる事なんてないのに…。

…あ、そういえば…。僕はサツキ君の右手を見る。それから股間を見て、最後に顔を見つめる。

「おしっこじゃない方は溜まってるんじゃないの?」

「え?…そ、そんな事は…」

サツキ君はどぎまぎしながら答えた。

「まだ右手使えないし…、左手も点滴刺してあるからあまり動かせないし、一人じゃできないでしょ?」

「い、いや…」

意識しちゃったのか、もごもご呟くサツキ君の股間が、微かに毛布を押し上げ始めた。

「なんか、息子さんは凄く元気じゃない?」

「い、いや、そりゃさっきまで寝てたから…」

僕は意地悪な笑みを浮かべ、毛布をめくった。トランクスが盛り上がり、サツキ君のおチンチンが元気一杯に自己主張して

いる。…あれ?トランクス?

「だ、誰に見られるか分かんねぇから…」

目で問うと、サツキ君は鼻の頭を擦りながら答えた。…う〜ん、まぁ恥ずかしがる気持ちはなんとなく分かるけど、ブリー

フ姿、結構可愛いのになぁ。

「よし!抜いときましょう!」

はい決定!僕は病室のドアに鍵をかける。

「え?い、いいって!」

「遠慮しない遠慮しない」

「あ!ちょ、待て!待ってってば!」

慌てるサツキ君を無視し、トランクスをズリッと下ろした。我ながら段々手馴れてきたと思う。

 元気ながらも、皮をすっぽりと被った引っ込み思案な息子さんがピョコンと跳ねた。

「ほんとにいいって!俺入院してから風呂入ってねぇし、汚ぇからっ!」

「そんなの平気だよ」

腰を引いて逃げようとするサツキ君に、僕はウィンクを送った。

「だって、サツキ君のだもん」

サツキ君は目を丸くして黙ったあと、恥かしげに視線を逸らして抵抗を止めた。

…では、ご奉仕させて頂きましょう!とは言っても、あまり激しくはできないな。傷は一応塞がっているけれど、糸はとれ

ていないし、丸いお腹には絆創膏のオバケみたいなものが貼り付けてある。…不謹慎だけど、ちょっと可愛いかも…。

お腹をさすってあげたり、胸を揉んであげたりできないのはちょっと残念だけれど、まぁそこは我慢してもらおう。

「んっ…!」

よほど溜っていたんだろう。サツキ君はいつにも増して感度が良く、ちょっと皮を剥いて亀頭の先を指先でつついただけで、

ピクンと体を震わせた。

ピンク色の可愛い亀頭は、洗っていないせいか少し生臭い。恋は盲目というけれど、今の僕がそうなんだろうか?匂いを感

じながらも、それを嫌だとはちっとも思わなかった。

…手でやるつもりだったんだけれど。僕は我慢できなくなって、サツキ君のおチンチンを口に含む。

「あっ…!き、キイチ!ダメだって!洗って、ねぇんだから!…んっ…!」

少し匂いがきつくなって、口の中にしょっぱい味が広がったけれど、気にせずに亀頭を舐め上げる。

「んぅっ…、きっ、ちゃん…!だ、だめっ…!そんな…、激しくしたら…!」

口の中で、サツキ君のおチンチンがググッと体積を増す。すでにかなりの量の先走りがさきっぽから溢れ、ヒクヒクと痙攣

している。

…もしかして、あまりじらしたりすると、サツキ君、興奮して身悶えしたりして、傷に響くんじゃないだろうか?

久し振りだからじっくりしたかったけれど、短期決戦で仕留めよう…!

僕は右手で竿をしごき、左手で睾丸を揉み、舌をグリグリ動かして亀頭を刺激した。

「んっ!んぁっ!あっ、あっ!き、きっちゃ、ん!だ、だめぇ…!んっ!お、俺、もう!い、イっちゃうぅうっ!」

周囲の病室に聞こえるんじゃないかと不安になるような声を漏らしながら、サツキ君は速攻でイった…。



おばさんが戻って来る前に後始末を終えたけれど…、サツキ君が元に戻る前に帰って来られてしまったので、可愛くなって

いる我が子の口調を訝られてドキドキした…。

今日の勉強を切り上げた僕は、帰り際、病院のロビーで見知った人を見かけた。

「あ、おじさん…」

イヌイ君のおじさんは、僕に気付いても驚いた様子は無かった。

「やあ。そろそろかと思って待っていたんだ。家まで送るよ。…話したい事もあるしね」

おじさんはそう言うと、僕を連れて病院を出た。

おじさんとは、あれから何度も会っている。主に事件の事を聞かれたり、聞かされたりしていたんだけどね。



「昨日の昼間、さっちゃんと話をしたんだ」

車の中で、おじさんはそう切り出した。

「驚いたよ…。君と同じような夢を見たそうじゃないか」

ああ、サツキ君も、イヌイ君の事を話したんだ…。

「さっちゃん、君の事を気にかけていたよ。また今回の件で、君がまた心に傷を負ったんじゃないかってね」

「まぁ、多少は…。でも、もう平気です。サツキ君が無事だったから」

これは本音だ。もしもサツキ君に何かあったら、自分でもどうなっていたか分からないけれど。今はもう平気。

ハンドルを切りながら、おじさんが続ける。

「…どうやったら、きっちゃんは幸せになれるんだろうか?そう聞かれたよ」

…自分が重傷を負ってるっていうのに…、本当に…、サツキ君は…。

線路にさしかかると、ちょうど遮断機が下り初め、車は踏切の前で止まる。

「それで、私達も考えてみた…」

おじさんは首を巡らせ、僕の顔を見つめて口を開いた。

「…君が…………だが、………………なる…………かな?」

電車が走り抜けると同時に耳に届いた言葉に、驚いておじさんの顔を見つめ返した。

「急な話で驚いたろうが、もちろん、決めるのは君自身だ」

僕は返事もできずに呆然としていた。

「今すぐに返事をしなくて良い。ゆっくり考えてみてくれないか?」

「…はい…」

僕は、やっとの事でそれだけ答えた。

僕の名前は根枯村樹市。東護中三年に在学する、クリーム色がかった白い被毛の猫獣人。

今回の事件をきっかけに、僕の運命は、大きく変わり始めていた。