第二十五話 「俺の負けだ」

大きく背伸びし、久々の外の空気を胸一杯に吸い込む!

「ぷはーっ!娑婆の空気はうめぇなぁ〜!」

「釈放された囚人じゃないんだから…」

キイチが笑いながらそう言ったが。…いや、俺にとっちゃ冗談じゃなく監獄だったんだぜ?食事制限はあるわ、運動はでき

ねぇわ、消灯は早いわで、毎日強制的に規則正しい生活させられてたからなぁ。

結局、俺は事件後一ヶ月近くも入院してた。月は変わって今はもう12月初め。…柔道部の新人戦、応援に行ってやれなかっ

たなぁ…。

「サツキ、寒くない?風邪を引いて病院に逆戻りなんて嫌よ?」

お袋が心配そうに言うので、俺は笑顔を返す。

「平気だよ。ほら、馬鹿は風邪引かねぇって言うだろ?」

お袋は何でかしばらく黙り込んだ。それから俺の顔を見つめた後、納得したように大きく頷く。

「うん。それもそうね」

…がっくし…。

あのさ…、今の自虐ネタだからさ…、マジに頷かれてもさ…、…否定してくれよ親として…。

「サツキ君は、学校にはいつごろから出られるんですか?」

「とりあえず少し休んで、月曜日から登校する予定なのよ」

「え?明日からでも良いって。もう何ともねぇし」

俺はすっかり良くなった右腕で、傷のすっかり塞がった腹をポンと叩いて見せたが、お袋は首を縦に振らなかった。

「ダメよ。お医者様にも今週いっぱいは休ませるように言われているんですからね」

「ちぇっ…。つまんねぇなぁ…。早ぇとこ学校行きてぇのに…。

「サツキ君、勉強嫌いなのに学校は好きなんだね?」

キイチは不思議そうに首を傾げた。…悪かったな勉強嫌いで…。

っと、自己紹介。俺は阿武隈沙月。東護中三年。胸の月の輪が女性看護師さん達にやけに好評だった熊の獣人だ。

…まぁ…、この三日月、確かに自分でも気に入ってたりすんだけどよ…、「可愛い」ってなんだ?「かっこいい」じゃねぇ

のか?う〜ん、複雑…。



一ヶ月ぶりに登校した俺を待っていたのは、クラスメートの質問責めだった。

俺とキイチ、シュウ君の名前は伏せられてたが、あの事件の事、ニュースでも報道されたらしいからなぁ…。

聞けば、俺が入院してる間、キイチも同じ目に遭ったらしい。

…んで、飽き飽きしてたんだろう…、我関せずって感じで俺に近付きゃしねぇし、視線も向けやしねぇし、助けてもくれねぇ

し…、…冷てぇなぁおい…。

ちなみに、寄ってきたのはクラスメートだけじゃねぇ。違うクラスの一回も話した事もねぇようなヤツから、顔も知らねぇ

下級生まで、廊下から覗き込んで見物してく始末…。まったく、見せ物にされてる珍獣の気分だぜ…。

余談だけど、俺とキイチを全校集会で表彰するって話まで出てた。東護中だけじゃねぇ、キイチの母校…、シュウ君の学校

でもだ。

もちろん、二人揃って断固拒否した。そもそも警察の表彰だけで、あんな舞台はもう懲りてる。

…キダ先生に褒められただけで、俺には十分過ぎんだよ…。

で、もう一つ困ったのは…。

「せえええぇぇぇぇえんぱぁぁぁあああああいっ!!!」

「ぐはあっ!?」

廊下を歩いてた俺は、後ろから背中にタックルをかまされてエビぞりになった。

なんとか踏み止まって振り向くと、背中に抱きつく柔道部後輩、ジュンペーの姿。俺の胴に後ろからがっしりと腕を回して

しがみついてる。

「良かった!生きてた!元気そうだ!重傷だって聞いて、もう気が気じゃなかったんですよぉ!」

「おう…。重傷だったんだから、不意打ちで背中へのタックルはやめろ…」

キイチは俺の隣で、慌てたような驚いたような表情を浮かべ、オロオロとジュンペーと俺を見ていた。

「じゅ、ジュンペー君…、今腕を回してるところは…、刺されたところ…」

「んげっ!?すっ、済みませんっ!」

「ま、もうちっとも痛くはねぇけどな」

慌てて離れたジュンペーに、俺は笑いかけた。

「ちっと会えなかったぐれぇで騒ぎ過ぎだぜ?元気だって事はキイチから伝言行ってたろ?」

「だって…、お見舞いに行きたかったのに、誰に聞いても先輩が入院してた病院知らないって言うし、ネコムラ先輩もイイノ

先輩も教えてくれないし…、もう心配で心配で…」

…まぁ、そう頼んだのは俺なんだが…。

ジュンペーの事だ。来たら病室で騒ぐのは目に見えてる。

シンジとタクはジュンペーとは別の意味で騒ぐから勿論教えてねぇ。

だからキイチ以外にゃイイノとナギハラぐれぇにしか伝えてなかったんだよな。

「先輩!無理しちゃダメですよ!?そうだ!オレ今日から毎日付き添って送り迎えしますから!」

「いっ!?良いってそこまでは!もう何ともねぇんだからよ。それに、お前部活あるじゃねぇか?主将が出ねぇでどうする」

「だから、先輩に稽古終わるまで待ってて貰って、一緒に帰りますよ」

俺はげんなりして肩を落とした。

「…お前、気遣ってんのか?それともおちょくってんのか?」

何かあったら困るだとか、心配で仕方ないだとか、なかなか納得しなかったが、キイチも居るんだから大丈夫だと説得し、

なんとかジュンペーを追い返した。

こりゃ、しばらくは目立たねぇようにしねぇとな…。



昼休み、人目を避けて屋上に向かった俺達は、誰も居ねぇのを確認してからドアを開けた。

「ふ〜…。久々の学校だってのに、気が休まる暇もねぇや…」

「でしょ?君が居ない間、僕も質問責めで大変だったんだから」

手すりにもたれかかってため息をついた俺に、キイチは肩を竦めて応じる。

「まぁ、ちっとすりゃ皆も飽きんだろ。しばらくは大人しくしとくさ」

そう言ってヤキソバパンの袋を空けようとしたその時、その女は現れた。

ドアを勢い良く両手で押し開け、屋上を見回したその女子は、分厚い丸めがね越しに俺達に鋭い視線を向ける。

…何回か見てる面だ。たぶん同級生だが…、話した事はねぇ相手だな。

…ん?あれ?この女子の顔…、もっと前…、ずっと前にどっかで見てねぇか?

なんとなく懐かしいような、でもって若干忌まわしいような感覚の正体を掴み損ねてると、その女子は制服のポケットに手

を突っ込み、素早く何かを取り出す。

本能的に危機感を覚えた俺は、咄嗟にキイチを背後に庇った。そして女は…、

パシャッ!…ジィッジィッジィッ…パシャッ!

「…おい?」

「何かしら?」

「…何なのか聞きてぇのはこっちだよ」

時折角度を変えながら、使い捨てカメラで俺達を撮っていた女は、満足したのか一度カメラを下げ、胸を反らした。

「4組の新庄美里(しんじょうみさと)よ。知ってるでしょ?」

「…いや全然…」

正直に答えただけなんだが、プライドを傷つけられたのか、シンジョウは憮然とした表情を浮かべた。

「あ、新聞部の…」

キイチは心当たりがあるのか、ポン、と手を打った。

「知ってんのか?」

「壁新聞で「校内の有名人」ってコーナーがあるでしょ?あれを書いてるひと」

ほぉ…。俺はシンジョウに視線を向ける。「どうだっ!」といった様子で胸を反らしたシンジョウに、

「悪ぃ。やっぱ知らねぇや」

 俺は首を捻りながらそう答えた。

「うそぉっ!?」

愕然とした表情で俺を見つめるシンジョウ。…だって俺、壁新聞とか読まねぇし…。

シンジョウはショックを受けたように俯く。

…悪ぃ事したかな?何か声をかけるべきかと迷ってたら、シンジョウは肩を震わせ、いきなりガバッと顔を上げた。

「ふっ…。今までそういうリアクションを取った生徒は居なかったわ…。これまでの獲物とは一味違うようね…!」

…いや、獲物って…。お前、新聞部…だよな…?

「申し遅れたけれど、今回は貴方を取材させて貰うわ」

「断る」

投げやりに答え、ヤキソバパンに齧り付くと、シンジョウは口をぽかんと開けた。

「ちょ!?え!?即答っ!?」

「悪ぃけど他当たってくれ」

シンジョウは信じられないといった様子でまくし立てた。

「そ、それは困るわ!今、校内一注目されている生徒は間違いなく貴方なのよ!?」

…注目しねぇでくれ、迷惑な。

「例の事件の事なら…、ほれ、ここにも当事者が…」

横を向いたとたん、そこに居たはずのキイチがいつのまにか消えている事に気付き、俺は周囲を見回した。

キイチはいつの間に移動したのか、屋上のドアの所に居た。

そして、にこやかに俺に微笑みかけると、手を振りながら後ろ向きに階段を降りて行く。

…あんにゃろうっ!逃げやがった!

「事件の事はきっかけに過ぎないわ。元々貴方を取材してほしいっていうアンケートは多かったのよ」

キイチが姿を消した階段を、愕然としながら見つめている俺には構わず、シンジョウは話を進める。

「…それで、今回の件で無視できない程に要望が殺到してね…。ついに私が直々に出向くことになったわけ!」

「直々に出向くことにって…、もともと自分が担当してるコーナーなんじゃねぇのか?」

「全校4千万人の生徒の期待に応える為にも、貴方の事、隅々まで調べさせて貰うわ!」

「…生徒が4千万人も居る学校ってどんなだよ…?」

「まずはここまで調べた事を確認させて貰うわね?」

「こっちの質問は全部スルーか!?」

俺の抗議を無視し、シンジョウは手帳を取りだし、パラパラと捲り始める。

「阿武隈沙月。3年2組、出席番号1番。12月31日生まれ。…よくもまぁ迷惑にも年の瀬の押し迫った忙しい時期に生ま

れたものねぇ…」

「悪かったな…」

「身長194センチ、体重175キロ。…少しダイエットした方が良いんじゃない?」

「ほっとけ!…って、待てよ?何で知ってんだよ今の身長と体重!?」

「貴方が入院していた病院の看護師さんに聞いたわ」

「嘘だろおい!?患者のプライバシーってどうなってんだよ!?つぅか何で入院してた病院まで知ってんだお前!?」

シンジョウには俺からの言葉に応じるつもりはねぇらしく、勝手に話を進める。…ここまでマイペースなヤツも珍しいな…。

「二年の春から柔道部に加入。白帯、段も級も無しと…。意外ね?全国大会出場してるのに、昇級試験とか受けないの?」

「面倒くせぇから受けた事ねぇよ」

「柔道部のエースとして活躍し、昨年、今年と二年連続で個人戦獣人の部、無差別級で全国大会進出。特に今年は全国大会第

二位の成績を修めた。スポーツは何でも得意だが、長距離走だけは苦手…。まぁその身体じゃねぇ…、ダイエットなさい」

「しつけぇぞ!?」

「国際的人気歌手、シェリル・ウォーカーのファン。趣味は料理で、家庭科の水沼先生と、一緒に授業を受けているクラスメ

ートの証言によれば、料理の腕前はかなりのもの。…意外ねこれ?食い意地張った人は料理ができる率が高いっていうの、本

当みたいね」

「…いちいちひっかかる言い方するよなお前?」

「強面な割に交友関係は幅広い。親しい友人は小学校も部活も一緒だった飯野正行(いいのまさゆき)、同じく柔道部で後輩

の田貫純平、それから幼なじみのイヌイ…」

シンジョウはメモを読み上げるのを中断し、一瞬目を細め、それから咳払いした。

…同学年なんだ…、こいつだってケントの事ももちろん知ってるだろう…。軽々しく触れて良い話題じゃねぇもんな…。

「それで…」

少しの間を置いて、口を開いたシンジョウは、手帳を捲る手を止めて俺を見据えた。

「ちょっと気になる情報があるのよね…。貴方の好みの事で」

分厚い眼鏡越しに向けられる、探るような視線に、俺は嫌な予感を覚えた。

…まさかこいつ、キイチと俺の関係を…?…まずい!俺の好みが暴露されんのはともかく、キイチの事までバレてたら…!

あいつの事も皆に知られちまったら…!

シンジョウは手帳に視線を落とし、首を傾げながら口を開いた。

「好きなものの中に「湯豆腐」と「ひややっこ」っていうやけに渋いのが混じってるんだけれど、本当に合ってる?」

「…あ?え?…お、おう…」

心の中でほっと胸をなで下ろす。…ったく、脅かしやがって…!

俺の動揺には気付かず、シンジョウはさらに続けた。

「それじゃあ質問。ズバリ、好みのタイプは!?」

「はぁ!?」

「好きな子のタイプよ。どんな子が好み?」

こ…好みって…、そりゃぁ…。

「ええい!でかい図体してモジモジしないっ!きびきび答えるっ!」

「え、えぇっと…、小柄で華奢なのが好きかな…。ああ、でも背が高くてすらっとしてんのも良いかも…」

「なるほどなるほど…」

シンジョウは頷きながらメモを取る。

…って、勢いに押されてつい答えちまったよ…。まるっきりキイチとケントの事じゃねぇか、これ…。

「もう行ってもいいか?昼休み終わっちまう」

「あらそうね。それじゃあ…」

ほっとして戻ろうとした俺の耳に、シンジョウの信じ難い言葉が飛び込んだ。

「続きは放課後によろしくね」

「なんだそりゃあ!?」

「なんだじゃないわよ。隅々まで調べるんだから。…全校生徒に正確にして緻密な情報を…!それこそが私の使命っ!」

拳を握り締め、空を振り仰ぐシンジョウ。

俺の背中を、冷たい汗が伝い落ちる。

…生まれてこの方、ここまで理解不能な生きもんを見たのは初めての事だった…。



「ちーっす!って先輩?」

柔道場に飛び込んだ俺を、ジュンペーと後輩達が驚いて見つめた。

「だ、だめですよ先輩!?来てくれるのは嬉しいですけど、稽古なんかしたら身体に障ります!」

「いや、そうじゃねぇんだ!悪ぃがちっとかくまってくれ!追われてんだ!」

「え?追われてって…、誰にですか?」

「…狩人にだっ!」

俺はそれだけ告げると、更衣室に飛び込んだ。…まさかここまでは追って来ねぇだろ…。



放課後。キイチと一緒にさっさと帰ろうとした俺は、廊下に出た瞬間に、疾走してくるシンジョウに気付いた。

慌ててドアを閉めようとしたが、シンジョウは足をドアの隙間にねじ込み、これを妨害した。悪質訪問販売員かお前は!?

俺にできたのは、先に帰っているようにキイチに小声で告げ、もう一方のドアから逃げる事だけだった…。



文化系っぽい見た目に反し、シンジョウは結構足が速く、追跡は熾烈なものだった。

長距離走が苦手な俺は、何度も捕まりそうになりながらも、なんとか追跡を振り切り、今こうして柔道場に飛び込んだって

わけだ。

ほっと一息ついた俺は、額に浮いた汗を拭いながら便所に向かう。

…まだ諦めてねぇかもな…、少し時間を潰してから帰るか…。

用を足そうとチャックに手をかけた瞬間、俺は悪寒を感じて振り返った。

窓が僅かに開き、暗くなりかけた外の景色の中で、…丸眼鏡が光を反射してる…。

「…みぃぃぃつぅぅぅぅけぇぇぇたぁぁぁぁ…」

「ぎゃぁぁあああああああああああああああああああっ!?」

俺は恥も外聞もなく悲鳴を上げ、壁に張り付く。…幸い、チャックは下ろす前だった…。

「…よっしょ…」

シンジョウは窓に手をかけ、ズルリと男子トイレに侵入してきた。

…それは、俺がうっかり一度見ちまって大ダメージを受けた、某呪いのビデオシリーズのホラー映画のワンシーンを彷彿と

させるような動きだった…。

…無茶苦茶怖ぇよぅっ…!

「ふっ…!手こずらせてくれたわね…、そろそろ観念なさい…」

「く、くそっ!…って…あ、あれ!?」

トイレを飛び出そうとした俺は、ノブが回らねぇ事に気付く。

「…うふふ…、貴方が入った後鍵をかけさせてもらったわ。これでもう袋のネズミね…、ふふっ…、うふふふふふっ…」

顔を俯き加減にし、ゆらゆらと左右に揺れながらにじり寄るシンジョウ。

言っちゃなんだが、包丁持って突っかかってくる男よりもずっと怖ぇ…!ひぃぃいいい!きっちゃぁあん!助けてぇっ!

「さぁ、答えてもらいましょうか…!付き合ってる人が居るのかどうかを!」

…これが、俺が逃げ回ってた理由だ…。

この女は俺を追いかけながら、「付き合ってる人はいるの!?」と大声で繰り返していたのだ…。

よりによって、一番答えたくねぇトコを的確に突いて来やがる…。

「頼り甲斐のある男子No1、お兄さんにしたい先輩No1と、女子対象アンケートで調査希望トップの貴方の恋愛状況…、

皆も気になって仕方ないはず!ズバリ答えて貰うわよ!?」

一瞬、「居ねぇ」って答えて煙に巻こうかとも考えたが、頭にキイチの顔が浮かんだ。

そうしたらなんでか、例え嘘でも否定しちゃいけねぇ気がした。…それに…、

「さぁ?どうなの?さぁ!?答えるまで逃がさないわよっ!?」

シンジョウは…、強引な手段や付き纏いはともかく、その目は真剣そのものだ。

俺は思わずため息を漏らし、苦笑する。

「…分かったよ。俺の負けだ。正直に答えるから外出ようや。…ここ男子トイレだしよ…」

言われて初めて気が付いたのか、シンジョウは慌てて周囲を見回した後、顔を真っ赤にした。

…あれか?熱中すると周りが見えなくなるタイプかこいつ…?



「で、どうなの?」

二人だけの更衣室で向かい合うと、シンジョウは手帳を手に、俺を真っ直ぐに見つめた。

「…付き合ってるヤツは…、居る」

「本当!?そうじゃないかとは思ってたのよ!これだけ女子に人気があるんだもの!」

いや、それ未だに信じらんねぇんだが…、マジで誰かと勘違いしてねぇか?

「で、なんて子?同級生?それとも後輩?まさか別の学校の生徒!?」

「悪ぃけど、それは言えねぇ」

俺がキッパリとそう言うと、シンジョウはぽかんと口をあけた。

「ちょ、ちょっと待ってよ!そんな半端な記事…!」

「お前が記事にしてぇのは俺だろ?俺の事なら何書かれても構わねぇし、文句も言わねぇ。でもな、付き合ってる相手の事は

別だ。そいつにまで皆の興味が及ぶのは、そいつも、もちろん俺だって望んでねぇ。…分かっちゃくれねぇかな?」

シンジョウは難しい顔で黙り込んだ後、小さくため息を吐いて手帳をしまった。

「…オーケー…。付き合っている人は居るけれど、誰なのかは秘密、ね…。ちょっと残念だけれど…」

シンジョウはそう言うと、初めて微笑んで見せた。

「済まねぇ、助かる」

ちっと変わってるが、話が分かるやつで助かったぜ。俺の事でキイチにまで迷惑をかけるわけにはいかねぇからな…。



すっかり暗くなった校庭を抜け、校門にさしかかると、小柄な影が手を振っていた。

「キイチ!待っててくれたのか?」

「うん。暇だしね」

暇とか言ってるが、俺達は受験生だ。時間があり過ぎて困るって事はねぇ。なのにこんな時間まで待っててくれたんだな…。

並んで歩き出すと、キイチはポツリと言った。

「…正直に言うとね。本当は、君と一緒に帰りたかったんだ」

歩きながらキイチの顔を見下ろすと、耳を後ろに倒し、照れたような笑みを浮べていた。

「ここ一ヶ月、二人きりになれる機会なんて、ほとんど無かったでしょ?」

「そういやそうだよな…」

確かに。病室には大概お袋が居たし…、お袋が出かけてる時だって、看護師さん達がいつ来るか分かんなかったしな…。

キイチも二人っきりになりたかったのか…。そう思ったら、ちっと嬉しかった。

「ところで、取材の方はどうだったの?」

「一応終わりだ。ってかよぉ…、付き合ってるヤツは居るのか?とか聞かれるから本気で逃げ回っちまったぜ…。結局は居るっ

て答えちまったけど」

「…え…?」

目を丸くするキイチに、俺はニヤッと笑ってやった。

「安心しろよ。付き合ってる相手についてはノーコメントだ。シンジョウもそれで納得してくれたしな」

そう言ったらキイチはほっとしたようだった。

「ねぇ、今日はもう遅いけど、少し寄って行ってもいい?」

「おう。もちろんだ!」

笑顔で頷くと、キイチは嬉しそうに俺の腕にしがみ付いた。そして何かをせびるように俺の顔を見上げる。

ぬはは!珍しいなぁ、キイチの方からキスの催促だなんてよ!

…とりあえず、周囲に人影は無し、と…。

俺は腰を折り、キイチは精一杯背伸びをして、久し振りに唇を重ねた。

パシャッ

突然聞こえたそんな音と、目を眩ますフラッシュに、俺達は弾かれたように振り向いた。

シンジョウが、カメラを構えて俺達を見つめていた。

俺はあわててキイチを背中に庇ったが、…時すでに遅し、たぶんバッチリ撮られただろう…。

「お前…、つけてたのか…!?」

迂闊だった!一応周囲を確認したが、シンジョウは曲がり角から突然現れたみてぇだ。

それよりも、つけられてた事に気付けなかった自分に腹が立つ。俺が軽率だったせいで、よりにもよってキイチとのキスの

瞬間を撮られちまうとは…!

シンジョウは無表情で俺達を見つめ、それからカメラに視線を落とし、また俺達に視線を向ける。

シンジョウはまっすぐに俺の目を見つめ、口を開いた。

「これは…、事故よ…」

「…は?」

シンジョウは気まずそうにカメラに視線を落とした。

「つけてたわけじゃないの…。そこの門を曲がった瞬間、たまたま…、その…、貴方達が…、してる所で…」

顔を真っ赤にしてゴモゴモと言うと、シンジョウは顔を上げ、つかつかと歩み寄り、俺にカメラを突き出した。

「ごめん。わざとじゃないの、反射的に撮ってしまっただけ」

シンジョウは顔を真っ赤にして俺から視線を逸らす。

「もちろん、今の写真は使わないわ…。恋人の事には触れない約束だったし…。だからこれ、持って行って。掲載しないって

いう証拠よ」

俺は強引に押し付けられたカメラを見下ろし、次いでちらりとキイチを見る。キイチも驚いてる様子だった。

「済まねぇな…。けど、これで恋人のことを秘密にしてくれって言った意味、分かったろ?重ねて言うが、俺の事は書いて貰っ

て構わねぇ。でも、こいつの事だけは…」

「分かってるわ。…それに今見た事は、記事にするつもりは無いから」

予想外の言葉に、俺は目を丸くしていた。

「なんでだ?だってお前…、俺が言うのもなんだが、大スクープだろ?」

「見くびって貰っちゃ困るわね。私が目指す新聞は、皆が楽しく読める新聞よ?記事にされた人間を不幸にする為に新聞を書

いてる訳じゃないわ!」

シンジョウは挑むような目で、真っ直ぐに俺を見つめた。

「それはまぁ…、さすがの私もちょっと驚いたけど…、貴方がその…」

「同性愛者だったって事に?」

キイチが尋ねると、シンジョウは顔を赤くして頷いた。

俺は、シンジョウに頭を下げて詫びた。

「…済まねぇ、俺、お前の事を勘違いしてた…。お前が俺をハメてこっそり後をつけてきたんだと思っちまったんだ…。ほん

とに済まねぇ!」

シンジョウがカメラまで差し出して誠意を示してくれたら、一瞬でも疑った自分が途端に恥ずかしくなった…。

「い、良いのよ!あの、ほら!私も故意じゃないにしろ、反射的に撮っちゃったんだし!」

シンジョウは慌てたように言うと、小さく笑った。

「実際に取材するまで、なんで皆が貴方の事を好意的に見ているのか不思議だったけれど…、分かったような気がするわ…」

シンジョウはキイチと俺の顔を見比べる。

「自分の秘密がばらされるかもっていう時に、自分の事より、恋人に迷惑がかかるのを心配して…。顔に似合わず、優しいんだ?」

…顔に似合わずってのは余計だ…。

「悪ぃ。明日、新しいカメラ買ってくからよ」

「それは結構よ。ぜんぜん使い切れていない部費で買ってるものだから。その代わりお願いがあるんだけれど…」

シンジョウはウィンクして続けた。

「写真、撮り直させて貰えないかしら?今日屋上で撮ったの、実はあまり良い顔してなかったのよね。それと、ついでに柔道

着でお願いできるかしら?できれば噂の月の輪が見えるようにね?」

一瞬構えた俺とキイチだったが、ほっとして顔を見合わせ、笑った。

「そんな事ならお安い御用だ」

俺がそう応じると、横でキイチが首を傾げた。

「噂の月の輪って…、どうして噂なの?」

「話には聞くけど、実際に見た事あるって人は少ないのよね。…そっちの恋人さんは見慣れてるかもしれないけれど…」

シンジョウがイタズラっぽく微笑み、キイチと俺は顔を見合わせ、俯いた。

「じゃ、約束よ?」

そう言うと、シンジョウは俺達の脇をさっさと歩き抜けて行った。そして、

「そうそう。自分で言うのもなんだけど、さっきのアレ、我ながら上手く撮れたはずよ?」

シンジョウはそう笑うと、手を振って足早に去っていく。

「…どうするのサツキ君?ソレ…」

「…上手く撮れたって言われても…、まさかどっかに現像頼む訳にも行かねぇしなぁ…」

俺とキイチは途方に暮れて使い捨てカメラを見つめ、それから顔を見合わせて笑った。

「なんか俺達、キスシーン目撃されてばっかだよな?」

「うん。これからはちょっと気をつけようね」

まったくだぜ。本当に気をつけよう…。

…にしても、退院したばっかだってのに、えらい疲れる一日だったなぁ…。