第三十五話 「ロケット花火」

俺、阿武隈沙月。東護中三年で、濃い茶色の被毛をした熊獣人。胸元の白い三日月マークが特徴だ。

キイチとその両親との温泉旅行にくっついてきた俺は、キイチと一緒に温泉街を見物しに来ていた。

特産品や土産物を見て回ったりして楽しんでいた俺達は、温泉クレープ(名物らしい)というもんを見つけた。

 こういうトコにゃあるんだよな、こういうのが…。

「おいしいの?」

「そいつぁ物によるけどな。まぁ物は試しだ。買って来るからこの辺で待ってろよ」

試しに買ってみる事にして、俺はキイチを待たせて店に入った。

カウンターの前には数人の客が居たが、そんなに待たねぇで済むはずだ。

チョコにストロベリー、バナナ…、種類は結構あるな…。

さぁてどれにするか…。とりあえずキイチはバナナ好きだし、決まりだな。俺は…、チョコにしとくか。

その声が聞こえたのは、丁度俺に順番が回って来て、カウンターの前に立った時の事だった。

「おい!?キイチ!待てよ!」

振り返った時には、店の前には誰も居なかった。

…が、確かに聞こえたぞ?誰かがキイチの名前を呼んでたよな…?

「あ、お客さんっ!?」

俺はクレープを差し出した店員の前に、握っていた五百円玉を置き、そのまま店の前に駆け出る。

通りに飛び出して左右に視線を走らせると、行き交う人混みの中を駆けて行くキイチの頭がちらちらと見えた。

キイチは後ろを気にしながら、通行人と何回もぶつかりながら走ってく…。ただ事じゃねぇ様子だ!

その後ろを、体格の良い茶色の熊獣人が走ってく。

事情は良く分からねぇが、考えるよりも早く体が動いた。

俺はキイチの後を追い、人混みをかき分けながら走り出す。

「悪ぃ!急ぎなんだ、通してくれ!」

えぇい!俺が人混みの中でもたついてる内に、二人は通りの脇に広がる防風林の中に入ってく。

散歩コースにでもなってんのか、防風林に入る小道からは、ずっと奥まで石畳が敷かれて道になってる。

やっと人混みを抜けて防風林の入り口に辿り着いた時には、二人の姿はもう見えなくなってる。道は曲がりくねりながら林

の先に消えて…。

「くそっ!」

素直に道を辿って行くのももどかしい!

俺は舌打ちして、枝葉を払い除けながら、木々の間をドスドスと駆け出す。

…どうしたんだよキイチ…!?何か、やべぇ事が起こってんのか!?



「は…放して!」

林の中を少し走ると、先の方から声が聞こえてきた。…キイチの声だ!

今ばかりはこの重い体が恨めしい!息を切らせ、足を緩めず全力疾走しながら、目を細めて木々の間を見透かすと、やっと

二人の姿が見えてきた。

茶色の熊が、キイチの腕を掴んでる。

キイチは振りほどこうとしてもがいてるが、腕はしっかりと掴まれてびくともしねぇ。

「キイチ!」

茶色い熊が、またキイチの名を呼んだ。

「嫌!放してよっ!放してぇっ!」

キイチの口から悲鳴に近い声が上がった途端、ブチン、と音を立てて、俺の中で何かが切れた。

気が付いた時には、俺は二人のすぐ横に立って、キイチの腕を握ってる熊の手首を掴んでた。

弾かれたように首を巡らせた、キイチと熊の視線が俺に向けられる。

俺の顔を見た熊が、驚いたように固まった。

「な、なんだよお前…?いっつ!」

まだキイチの腕を放さないヤツの手首を、俺は手加減抜きに握り込んだ。ヤツの顔が苦痛で歪み、キイチの腕が自由を取り戻す。

「…てめぇ…!俺のキイチに何してやがる!」

俺は片手で腕を掴んだまま、ヤツの顔面を殴り飛ばした。

握り込んだ拳の先で、肉が押し潰れ、骨とぶつかる感触があった。

…久々だけど、誰かを殴るってのは、やっぱり嫌な感触だ…。

鼻血を吹きながら吹っ飛んだ熊獣人は、石畳の上にひっくり返る。

ヤツから視線を外し、俺はキイチを振り返った。

「キイチ!何ともねぇか!?」

……………!?

キイチのジャンバーの、肘の部分が破れてた。

見れば、ズボンの膝も破れ、至る所が汚れている。

そして何より…、キイチは、怯えたような表情で、カタカタと震えながら、目にいっぱい、涙を溜めて…。

…何を…?何をされたんだキイチ!?

腹の中で重くて、熱くて、どす黒い何かが蠢く嫌な感触があった。たぶん、こいつは憎悪とか、憤怒とか、そう呼ばれてる

もんなんだろうな。

体の中で暴れるそいつが、俺の体温を急激に上げた。頭に血が昇って、冷静さが完全に消え失せる。

…正直に言う…。状況がどうなってるか分からねぇまま、俺はこの瞬間、完璧にキレちまってた。

「…おい。てめぇキイチに何しやがった?」

俺は鼻血を流して石畳の上に尻餅をついている熊獣人に歩み寄り、胸ぐらを掴んで無理矢理引き起こした。

ヤツを吊り上げたままその顔を睨み、拳を握り込む。ヤツの口から、「ひっ!」と、怯えたような声が漏れた。

…許さねぇ…!てめぇキイチに何したんだ!?

再びヤツの顔に拳を叩き付けようとした瞬間、俺は背中に感じたその感触に、動きを止めた。

俺に後ろからしがみついたキイチが、鳴きそうな声を上げる。

「待って!待ってさっちゃん!僕は大丈夫!良いんだ!何でもないんだから!」

「…なんでもなくて、なんで泣いてんだよ?」

キイチを振りほどき、ヤツをぶちのめしたい衝動を必死になって押さえ込む。

キイチの腕が俺の腰に回され、しっかりと掴んでる。…か細く、弱々しく、震える腕が…。

「ち、違うんだ!大丈夫だから!もう何ともないから!だからもう止めて!止めてよぉ…」

大丈夫だって言いながらも、その声は完全な泣き声だった…。

…泣くなよ…、頼むから…。

気を抜けば荒れ狂いそうになる凶暴な衝動が、抱きついたキイチの感触と声のおかげで、少しずつ収まっていく。

爆発しそうになる感情をなんとか押さえ込み、俺は舌打ちをしてヤツを放り出した。

「キイチに感謝しろ。こいつが止めなきゃバラバラにしてやるトコだ…!」

ヤツに一言脅しをかけ、俺はしがみついたままのキイチの頭に手を置いた。

…キイチは…、まだ震えてる…。

「大丈夫だから、もう泣くなよ…」

キイチは俺にしがみついたまま、震え続け、泣き続けていた…。

胸が…、締め付けられるように苦しい…。こいつの泣き顔も、泣き声も、見たくねぇし聞きたくねぇ…。いつだって、笑っ

てて欲しいのに…。

「ごめん…。ごめんねさっちゃん…。彼は、クマイ君は、昔の友達だったんだ…」



立ちつくしたままの熊獣人と向かい合う形でキイチが立ち、俺はその斜め後ろに立つ。

…正確には、キイチが俺を下がらせた。俺もそれに大人しく従った。

キイチが止めてくれなけりゃ、また押さえが利かなくなりそうだったからな…。

「彼は…、隈井英司(くまいえいじ)君。僕が複嶋の祖父母の家に居て、地元の小学校に通っていた頃の友人だったんだ…」

しばらくして、ようやく泣きやんだキイチは、鼻血で顔の半分を赤く染めた熊獣人の事をそう説明した。

フクシマの…?そういや、前にキイチから聞いた事があったな…?

俺はちっこい脳みそを捻って、キイチが過去の話を打ち明けてくれた時の記憶を手繰った…。



…そうだ。ありゃあ、キイチがきっちゃんだったって分かったあの日、俺に話して聞かせてくれた事だ。

あの事件の後、お袋さんの実家に引き取られ、フクシマに転校してからは、しばらくの間は平穏に過ごせてたって。

だが、親しくなった友達の一人に自分の過去を打ち明けた事で、その生活は一変した。

どこからどう漏れたのか、あの事件の生き残りであるキイチの事を嗅ぎつけたマスコミは、自宅や学校に詰めかけるように

なった。

キイチの過去は暴き立てられ、心ない噂はあっという間に広まった。

机には「親殺し」とかなんとか彫られ、嫌がらせの手紙が机や下駄箱に放り込まれ、黒板には傷つく言葉が書かれたらしい。

…そしてキイチは…学校に行けなくなった…。

だが、不幸はそれだけじゃ治まらなかった。

近所の住民も、キイチや、じいさんとばあさんを避けるようになった。

自宅にまで嫌がらせの電話や手紙が届いて、キイチは家に閉じ篭り、心まで疲れ果てたじいさんとばあさんは…、ある朝、

詫びの手紙を遺して首を吊った…。

そしてキイチは東護町に越してきて、叔母さんの家に居候する事になった…。

この事件で負った心の傷は、俺が想像するよりもずっと深ぇもんだったんだろう。

幼い頃に過ごした東護でも、キイチは自分の素性を隠して、ダチも作らねぇで生活して来た。

俺やケントにも、他の知り合いにも近付かねぇで、全くの別人のふりをして、他人との関わりを避けて生きてきた。

…中学生なんだぜ…?

遊びてぇ盛りに友達も作んねぇで、たった一人で日々を過ごすのは、どんなに寂しかったろう?どんなに辛かったろう?

それでもキイチは、自分の過去を知られるのを恐れて、誰とも仲良くならねぇで、誰にも心を許さねぇで、距離を置いて一

人で生きる事を選んだ。

…小学の時に、その友達…、たった一人の友達に気を許す事が無けりゃ、過去を打ち明けなけりゃ、キイチはこんな境遇に

ならなかったんだ…。

なんだってそいつには心を許したんだ?そう俺が尋ねたら、キイチは困ったような顔で苦笑いしながら答えた。

…そいつは、俺に少し似ていたんだって…。



「…なるほどな、分かったぜ…」

…ようやく思い出した…。

キイチが過去を打ち明けた友達は、俺に似た熊獣人だった。

そして、確かに目の前にいるクマイは、俺と同じような体型に、同じような毛の色だ。

「こいつが、お前が過去を打ち明けたってクラスメートだな?」

俺の問いに、キイチは目を伏せたまま無言で頷き、クマイは地面に視線を向けたままビクリと身を震わせた。

友達の居ねぇ転校した先で、幼なじみと面影の似たヤツが居れば、キイチが気を許すのも無理はねぇ…。

ましてや小学生だったんだ。友達が欲しいに決まってる。…寂しくねぇ訳なんか…ねぇんだよ…。

だがこいつは、そんなキイチの信頼を裏切った…。

こいつが秘密をばらしたりしなけりゃ、キイチは…!

「…なんで、キイチの秘密を言いふらした?」

俺の問いに、クマイは首を横に振った。

「…オレは…、言いふらしたりなんか…」

「誤魔化すんじゃねぇ!キイチはてめぇにしか話してねぇんだ!他にどこから漏れるってんだ!?」

カッとなって思わず声を荒げると、クマイはまた身を竦ませた。

「サツキ君、落ち着いて…」

キイチが哀しそうな顔で振り返り、俺はいったん口を閉じる。

くそっ!何でそんな顔してるんだよ?お前、怒って良いんだぞ?怒鳴り散らしたって構わねぇのに…!

「…で、なんで今更キイチの前に現れた?どの面下げてキイチに声をかけた?てめぇがしでかした事、忘れた訳じゃねぇだろ

うな…!?」

押し殺した声で恫喝してやると、

「わ、忘れてなんかない…。だから、謝りたくて…」

クマイはおどおどと俺から視線を剥がし、キイチの顔色を伺った。

「キイチ…。ジュンコの事、覚えてるか?」

「…うん」

キイチは少し間を開けてから頷く。俺には聞き覚えのねぇ名前だ。

「ジュンコ、お前の事が好きだったんだ」

クマイの言葉にも、キイチは無言のままだった。が、少し驚いたのか、耳がピクッと小さく動いてた。

「…知ってただろ?オレ、ジュンコの事が気になってた…」

「…うん…。君がそう、打ち明けてくれたから…。だから、僕も…」

キイチは言葉の最後を呑み込んだ。

…なるほどな、こいつに秘密を打ち明けられて、それでキイチも自分の事を話したって訳か…。だが、こいつは…。

「お前、黙っててくれたんだよな…。でもオレは…、ジュンコがお前の事を好きだって知った時…」

…つまりあれか…。惚れた相手がキイチの事を好きになった。で、それが上手く行かないように、邪魔するために、こいつ

はキイチの秘密をバラした訳か…。

「…そう…」

キイチの声は小さく、感情の読み取れねぇもんだった。

どんな顔をしてんのか、後ろに立った俺からは見えねぇ。

「あ、あんな…、あんな事になるなんて思わなかったんだよ!まさか、ジュンコが他の誰かに言うなんて…!」

泣き出しそうに顔を歪めたクマイに、俺は静かに言ってやった。

「キイチだってそうだったろうな。てめぇが誰かに言うなんて思っちゃいなかった。だから打ち明けたんだよ…」

クマイは弁解をやめ、俯いて押し黙る。

「…で、キイチが周りから避けられて、学校にも行けなくなった時、てめぇは何をしてた?何を思ってキイチを見てた?どん

な気持ちでキイチの事を考えた?」

…違う…。俺が言いてぇのはこんな事じゃねぇ。聞きてぇのは、こんな質問の答えじゃねぇ…!

「なんで…!なんで助けてやらなかったんだよ!?」

悔しくて、哀しくて、腹が立って…、俺は泣き叫びてぇのを堪えて、クマイに言葉を叩き付けた。

答える事もできずに、泣きそうな顔で俯いたクマイを見つめながら、キイチは静かに口を開いた。

「…仕方ないよ…。僕を庇えば一緒に避けられるようになっただろうし。誰だって、排斥される側には立ちたくないものだから」

あまり大きくない声で、だがはっきりと、キイチは言った。

落ち着きを取り戻したのか、声の調子はいつものキイチのものに戻ってる。

クマイはそんなキイチの顔を見つめ、ボロボロと涙をこぼし始めた。

「済まない…!済まないキイチ…!オレ、あんな事になって…、怖くなって…、お前に話しかける事もできなくなって…!」

クマイはその場で膝を着き、キイチに土下座した。

「許して貰えるなんて思ってない!恨まれても、なんてけなされても仕方ないと思ってる!でも…、でも、ずっと謝りたかっ

たんだ!済まないキイチ!オレ…、オレがお前を裏切らなきゃ…、あんな事にならなかったのに…!」

…なんとも、憐れな詫びだった…。

初対面の俺にも、こいつが心底悪ぃと反省してる事は分かる。

…でも、それで何が変わる?

今更謝られたとこで、何が取り戻せる?

取り返しの付かねぇ事ってのは、あるもんなんだ…。それが分かってるからだろう、クマイは「赦してくれ」とは一言も言

わなかった…。

謝った方も、謝られた方も、今更もう何もできる事はねぇ。

…互いにとって…、なんとも…、残酷な詫びだ…。

「…もう、顔を上げてよ」

キイチが静かに言うと、クマイは涙と鼻水と鼻血でグショグショになった顔を上げた。

キイチはクマイの前に歩み寄り、土下座したままのヤツの前で屈み込む。

…もう心配ねぇとは思うが、一応俺も距離を詰めて、二人の横に回った。

「一つだけ教えてくれる?」

「う、うん…」

キイチが静かに問い掛けると、クマイはおどおどと頷いた。

「結局、ジュンコちゃんとは付き合ったの?」

…はい…?

俺はキイチが何を言ってるのか分からず、目を丸くした。

クマイも同じらしい。キョトンとした顔でキイチの顔を見返している。

「…い、いや…、結局は付き合えなかった…」

「そっか」

キイチは小さく頷くと、

「ざまぁみろ!」

と、一言放って唇を尖らせた。

俺とクマイの目は、再びまん丸に見開かれる。

一言、そう言い放ったキイチは、ニコッと、…そう、本当に、本当に晴れ晴れとした顔で、クマイに笑いかけた。

「あ〜スッキリした!それで上手く行かれてたら、さすがに穏やかじゃいられなかったしね」

キョトンとしているクマイの顔をまじまじと見つめ、キイチは顔を顰めた。

「うわ…、酷い顔…。すっかり腫れちゃったね…。サツキ君、手加減しなかったな?」

「当たりめぇだ」

答えた俺を振り返ると、キイチは手を差し出した。

「いつもみたいに、傷絆とか持ってるんでしょ?」

「ん?あるけどよ…」

修学旅行で女子を手当てした一件以来、俺は簡単な応急処置ができるセットを念の為にいつも持ち歩いてる。

傷薬と消毒液、絆創膏なんかがセットになった、ポケットに収まるサイズのキットを手渡すと、キイチはハンカチを取り出

してクマイの顔を拭った。

「う…、痛そう…。ちょっと我慢しててね?」

「…キイチ…」

クマイは、呆然とした表情でキイチを見返した。

「なんで…、オレなんかを…」

キイチは消毒液を含ませたハンカチで、鼻の脇の切れた所を拭ってやりながら小さく笑った。

「もう、良いじゃない…。謝ったって、謝られたって、もう元には戻らないんだ…。だったら、悔やみ続けるのも、恨み続け

るのも、疲れるだけだよ…」

…キイチ…、お前…、こいつの事を赦してやるんだな?…赦して…、やれるんだな?

「キイチ…!…ごめん…!本当にごめん…!ごめんよぉ…!」

クマイは、再びボロボロと涙をこぼし始めた。

キイチはそんなクマイの顔を、丁寧に、優しく拭ってやっていた。

…キイチは立派だ…。

どんなに辛い目にあっても、他人を憎まず、恨まず、こうして赦して、受け入れて生きてる…。

自分の事はいつまでも赦せねぇで居たくせに、他人の過ちはこうも簡単に赦しちまう…。

俺だったら、こんな風にこいつを赦してやれるだろうか?仲直りしてやれるだろうか?…たぶん、難しいだろうな…。

俺が惚れたキイチは、本当に立派なヤツだ…。優しくて、可愛くて、そして気高くて…。

…俺は…、そんなキイチに見合う恋人だろうか?こいつと釣り合いが取れるような男だろうか?

…まだまだ、だよなぁ…。

「…ところでさ、蒸し返すようで悪いんだけど、なんでジュンコちゃんと付き合えなかったの?」

切れた所に傷絆を張りながらキイチが尋ねると、クマイは気まずそうに眉を八の字にした。

「付き合えないよ…。だって、あんな事になったのに…。それに、あんなヤツだと思ってなかったんだ…。オレも言える立場

じゃないけど…、ジュンコのヤツ、クラス中の女子にお前の事触れ回って…」

「なるほど…、僕の事を知って失望したんだろうね。好きになりかけた反動ってやつかな」

キイチはそう呟くと、応急キットを俺に返し、クマイの手を取って立ち上がらせた。

「傷は綺麗にしたけど、冷やしておかないとまだ腫れて来そう…」

「ん…。良いんだ。ありがとう。そして、ごめんな…本当に…」

「こっちこそごめんね。僕が取り乱したり、逃げたりしなければ、サツキ君もいきなりキレたりはしなかったのに…」

「…なんだよ…、俺が勝手にやったんだから…お前が謝んなよ…」

まったく、いきなりぶん殴ったあげくにキイチに手当てまでさせちまった…。もうちっと自制できるようにならねぇとな…。

「そっちの彼…、えぇと、サツキさん?も、済みませんでした…」

「もうキイチが赦したんだ。俺に詫びる必要はねぇよ」

…今更だけど…、頭が冷えたら罪悪感が沸きあがって来た…。キレた後っていつもこうなんだよなぁ俺…。

気まずくなった俺は、ガリガリ頭を掻きながら、軽く頭を下げて詫びる。

「…その…、こっちこそ、いきなりぶん殴って悪かったな…」

「いえ…、やっぱりオレが悪いんですし…」

…どうでも良いけどなんで敬語だ?

なんとなく奇妙に感じてると、俺とクマイの顔を交互に見たキイチが口を開いた。

「…クマイ君?こう見えても彼、僕達と同い歳だから…」

「あ!?」

クマイは、驚いたような顔で俺を見つめた。

「あ、いや、その…、てっきり20代の後半ぐらいかと…」

………。

「…悪かったな…、おっさん面で…!」

「そ、そういう意味じゃ…!その、貫禄があるって言うか!」

…俺、どうもこいつとは仲良くなれねぇ気がする…。

顔を顰めて黙り込んだ俺と、困ったように口を閉ざしたクマイを、キイチは交互に見つめると、可笑しそうに口元を綻ばせた。



「そういやここはフクシマ…、お前の昔の地元なんだもんなぁ。知り合いに会う事もあるか」

「うん。前に住んでいた所、ここから駅四つ先だからね」

クマイと別れた後、散歩道をぶらぶらと歩きながら、俺達は言葉を交わした。

クマイは、別れ際までずっとキイチに謝ってた。

キイチは赦したが、俺はやっぱあいつの事を好きになれそうにねぇ。

…なんだよ20代後半って?同い歳な上に、あいつだってそんな若々しい顔してねぇじゃねぇか…!

…まぁそれは置いといて…、キイチの服は膝と肘が破れてるし、早ぇとこ旅館に戻って着替えさせてやりたかったんだが、

少し散歩したいと言って聞かなかった。で、こうしてぶらぶらしてるわけなんだが…。

「…あ〜…、そのぉ…、悪かったな…。お前の友達、殴っちまって…」

「まったくだよ。凄いビックリしたんだから」

俺が謝ると、キイチは頬を膨らませた。

「…だってよぉ…、お前が地元のヤツに因縁つけられてんのかと…、てっきりそう勘違いしちまって…」

肩身が狭ぇ…。体を縮めてもごもご謝ったが、キイチは不機嫌そうにそっぽを向いた。

…あっちゃ〜、乱暴なトコ見せちまったからなぁ…、機嫌損ねちまったみてぇだ…。

「なぁ…?悪かったって…、赦してくれよぉ…」

我ながら情けねぇ声で懇願すると、キイチは小さく吹き出した。

「なんだか、さっきから謝られてばっかりだなぁ」

…あれ…?もしかして、あんまし怒ってねぇのかな?

「良いよ。僕の事を心配してああなっちゃったんだもんね」

キイチはそう言って微笑むと、俺の鼻に指を突きつけた。

「でも、本当に怖かったんだからね?今回のキレっぷりは、叔母さんの家で怒った時とタメ張ってたもん」

「おう…、気ぃつけるよ…」

機嫌を損ねずに済んだ事に一安心し、ほっと息をついた俺の手を、キイチはそっと、軽く握った。

「…ありがとう。助けに来てくれて…」

「いや、結局話をこじらせかけただけだしなぁ…」

「ううん。君が居てくれたから、落ち着いて話ができたんだ」

「あぁ〜、他人がキレんのを見ると冷静になれるって言うもんな」

「あはは!違うよ!そういう意味じゃないんだ」

キイチは可笑しそうに笑った。

「…正直言うとね、君が来てくれるまでパニックになってたんだ…。落ち着いて話ができたのも、クマイ君を赦してあげられ

る気持ちになれたのも、みんな君が傍に居てくれたおかげ。君が居てくれなかったら、それこそ膝を抱え込んで丸くなってい

たかもしれない」

…ああ、そうか…。雷の時と同じ、あいつを見た途端に昔の光景が蘇ったんだな…。

確かに、キイチが取り乱すなんて、普通はねぇもんな…。

「お前のそういうトコ、見習わねぇとな」

「ん?」

「憎んでおかしくねぇ相手にも、冷静に振る舞えるトコ。なんだかんだ言って、落ち着きが取り戻せたら、ちゃんとあいつの

話を聞いて、赦してやったじゃねぇか。…俺ぁダメだなぁ。すっ飛んでって爆発して…、まるでロケット花火だ」

「だ〜か〜ら〜、冷静に振る舞えたのは、君のおかげなんだってば。それに…」

キイチは俺の顔を見上げ、微笑んだ。

「ロケット花火みたいに真っ直ぐに突き進むサツキ君、僕は大好きだよ?」

思わぬ不意打ちで動揺した俺に、キイチは悪戯っぽく笑いかけた。

「まぁ、ロケット花火みたいに早くイっちゃう所は、少し改善してくれると嬉しいけど」

「…努力します…」

たは〜、厳しいなぁ…。舞い上がって落っこちて…、やっぱロケット花火だなぁ俺…。



「さて、忘れ物は無いかな?」

出発の準備を終えて、片付いた部屋の中を見回し、親父さんが皆に確認した。

「大丈夫そうです。あ、お母さん、それ僕が持ちます」

キイチはお袋さんが肩にかけた着替え入りのバッグを引ったくり、自分の肩にかけた。

「あら、ありがとうキイチ」

お袋さんは嬉しそうに微笑んだ。

う〜ん、良いねぇ!今回の旅行で、なんぼかでも距離が縮まった感じがする。らしくもねぇ苦言をした甲斐があったってもんだ!

「さあ、名残惜しいが出発と行こう。…明日からは仕事だしね…」

「僕達も、帰ったら遅れを取り返さないとね」

「うぇ!?冬休みあと二日しかねぇんだぞ?勉強で潰すのかよ?」

冗談だろ!?俺が反論すると、キイチは肩を竦めた。

「あと二日だから、なおさらみっちりやらないとね。それにサツキ君、冬休みの宿題、まだやってないでしょ?」

「…う…!お、お前はやったのかよ!?」

キイチは清々しい笑顔で言った。

「僕はクリスマスの後すぐに全部片付けたから」

「な!?ひ、卑怯者っ!抜け駆けかよ!」

「宿題は自分のペースでやらなくちゃ。…あ、写させないからね?勉強にならないもん」

「…そんなぁ…!」

がっくり肩を落とす俺と、肩を竦めるキイチ。

そんな俺達を、キイチの新しい両親は可笑しそうに笑みを浮かべて見つめていた。