インターミッション 「支え」
のんびりと流れてく雲を見上げながら、ベンチに座った俺は、あったけぇコーヒーの缶を振る。
横にはさっき買ったばかりのたこ焼きが1パック。
…そこは、いつもならキイチの席なんだけどな…。
ここは商店街近くの、よく寄り道がてらにキイチとたこ焼きを食ってく公園だ。
が、今日は横にキイチは居ねぇ。ベンチには俺一人だけ。
今日キイチは、図書委員最後の仕事とかってヤツで、図書室便りを作って居残りだ。
受験も片付いたんだし、こんな時ぐれぇ道場に顔出して行こうかとも思ったんだが、タイミング悪く休みだった…。
で、暇を持て余して一人でたこ焼きを買いに来たって訳だ。
困った。何にもする事がねぇ。俺、こんな無趣味だったっけ?
…ってか、考えてみりゃ一人で過ごす事なんぞ、最近はあんまし無かったかもなぁ…。
一年の頃は、ほぼ毎日ケントとつるんでた。
二年からは柔道初めて、休みの日もトレーニングしてた。
三年になって引退した後は、いっつもキイチと一緒に居たし…。
…困ったなぁ…。もしかして俺、一人で時間潰すのって苦手になっちまったのか?
イイノは卒業式直後にあっちに行くから、今も引っ越し準備で忙しいみてぇだし…。
ジュンペーはたぶん今日もダイスケと稽古すんだろうし…。
…仕方ねぇ、たこ焼き食ったら帰って筋トレでもするかな…。
俺は阿武隈沙月。東護中学三年の、胸に白い三日月がある茶色い熊だ。
受験も終わって卒業を待つばかりなんだが、ずっと気ぃ張ってた反動なのか、最近はずっと、ダレダレの毎日を過ごしてる。
…ま、それはそれで幸せなんだけどな。
ぼくは珍しく、一人で下校してる。
今日は部活が休み。おまけに委員会の集まりがあったから、イヌヒコには先に帰って貰った…んだけれど…、
「まさかこんなに早く終わるなんて、思ってもなかったもんなぁ…」
僕は呟いて、イヌヒコとおそろいのマフラーにそっと触れる。
いつも一緒に居てくれるイヌヒコの姿が無いだけで、左側の眺めが寂しい。
すーすーと、いやに風通しが良いような気がしちゃう。
いつもイヌヒコとバイバイする別れ道で、ぼくは一度立ち止まる。
そして、イヌヒコの家に続く道に、また明日ね、って小さく手を振ってから、また歩き出した。
ぼく、小牛田元。東護中学校一年生で、柔道部員の黒毛牛。
もうじき今学期も終わって、僕らも二年生に上がる。
一つ下の後輩達が入ってくる訳だけれど、それがちょっと不安だったりもする。
中学生になってもうすぐ一年経つのに、ぼくは全然成長していないような気がして…。
周りの先輩が皆しっかりした人ばかりのせいか、こんなぼくでもきちんと、先輩達みたいになんてなれるのかなぁって、不
安になるんだ…。
湯気の立つたこ焼きを楊枝で刺して、顔の前に持ってくる。
そして大口を開けた俺は、たこ焼きの湯気の向こうに、見知った黒牛の姿を見つけた。
声をかけようとしたが、…一瞬躊躇った。
…なんだ?なんか、元気無さそうだなあいつ?
こういう時、そっと放っておいてやるのも一つなんだろうが…、残念ながら俺にはその選択ができねぇ。
「おぉい!コゴタぁ!」
ベンチに座ったまま声を張り上げると、牛獣人はハッとした様子でこっちに顔を向けた。
「あ。アブクマ先輩」
コゴタはほにゃっとした笑みを浮かべて軽く会釈すると、鉄の柵を跨ぎ越せば良いものを、わざわざ入り口に回って公園に
入ってくる。
「どうしたんですか?お一人で…」
「買い食いだ」
たこ焼きのパックを持ち上げてみせると、コゴタは納得したようにコクッと頷いた。
「お前はどうしたんだ?…って、家がこっちなんだったか、そういや」
「はい〜」
またコクッと頷いたコゴタに、俺は苦笑いを浮かべて見せる。
「今日な、久々に部活に顔出しに行こうと思ってたんだが…」
「あ。休みですね。タイミング悪く…」
「そういう訳だ。で、暇になっちまってなぁ」
コゴタは人の良さそうな顔を曇らせる。
「あ、ごめんなさい…」
「ぬはは!何で謝んだよ?お前のせいじゃねぇだろう?」
「あ、そ、そうですね。済みません」
「…また謝ってるぞおい?」
コゴタは困ったように微苦笑した。
「ちっと時間あるか?なんなら少し話してこうぜ。ほれ、たこ焼き半分やるから」
横に尻をずらしてベンチを空け、横をポンポンと叩くと、コゴタは遠慮したように首を横に振った。
「で、でも…。悪いです…」
「良いんだよ。前ほど運動してねぇんだ。少しは食う量減らさねぇとなんねぇし」
コゴタは不思議そうに首を傾げた。
「…なのに買い食いを?」
「…お前、結構つっこみシビアだな…」
「あ、済みません…」
また謝ったコゴタに、俺は笑いかける。
「まぁそういう訳だ。良けりゃ付き合ってってくれ」
最初は遠慮したけれど、ぼくは結局アブクマ先輩の隣に腰を降ろした。
熊獣人のアブクマ先輩は、種族の事を抜きにしても、飛びぬけて大きい。
お腹が真ん丸くぽこ〜んと出ていて、かなり太ってはいるけれど、運動神経抜群で、長距離走以外は何でも来い。
…ぼくとは大違い…だね…。
正直な事を言うと、ぼくら一年生は入部当初、アブクマ先輩の事を怖がっていた。
とんでもなく恐い不良で、入学してすぐに先輩方を病院送りにしたとか、他の学校の生徒と大喧嘩したとか、色々と噂を聞
いていたから。
…本当は、アブクマ先輩自身は巻き込まれたのが殆どで、噂されるような不良なんかじゃなかったんだけど…。
口調は少し荒っぽいけれど、話してみれば気さくな事が解って、ぼくらは割とすぐに先輩と打ち解ける事ができた。
…それでも、ぼくは未だにアブクマ先輩の事が少し苦手だったりする…。
先輩が悪いわけじゃない。ぼくが負い目に思っている、ある一件が原因…。
以前、イヌヒコが怪我をしていた頃、恐い人達にからまれて、助けに入ったぼくも一緒になって取り囲まれてしまった事が
あった。
そんな時、駆け付けてくれたのがアブクマ先輩とタヌキ主将だった。
先輩が本気で怒っているのを見たのは、後にも先にもあの一回きり。
憤怒の形相で大暴れして、他校の生徒をボコボコにすると、先輩は一変して心配そうな顔になって、ぼくとイヌヒコに手を
差し伸べてくれた。
…なのに…。ぼくはその時、直前までの先輩の様子を見ていて、すっかり怯えてしまっていた…。
そして…、差し伸べられた先輩の手から、逃げるように身を引いたんだ…。
あの時に見た先輩の寂しそうな、そして哀しそうな顔を、ずっと忘れられないでいる…。
それと、たぶん嫉妬に近い感情があるんだと思う。
イヌヒコは、堂々としていて、立派で、強くて、頼り甲斐のあるこの先輩の事を、凄く尊敬している。
だからかな。ぼくは先輩と一緒に居ると、自分がすごくちっぽけに思えて来る…。
座ったは良いが、コゴタは何となく居心地悪そうに体を縮こめてる。
う〜ん…。いつもそうなんだよなぁこいつ…。
これまでも何回かこうして二人で話す機会があったが、俺と話す時は、他の誰かと話してる時以上におどおどしてる。
嫌われてる訳じゃあ無さそうなんだが、変な遠慮をしてるっつうか…、済まなそうにしてるっつうか…。
…こういうトコ、ほんとにそっくりなんだよな…。
「…?どうか、したんですか?」
コゴタはふと顔を上げて、思わず含み笑いを漏らしちまってた俺を見る。
「いやなあ…、本当にソックリだと思ってよ」
「そっくり?ぼくが?誰にですか?」
首を傾げたコゴタに、俺は少々照れ臭くなって鼻の頭を掻きながら応じた。
「…ごふん!…昔の俺とだ…」
そう。こいつは幼稚園の頃の…、ケントから性格矯正を受ける前の俺と良く似てる。
自分に自信が持てなくて、いつもキイチやケントに護られてた頃の俺と…。
この様子じゃあ、ウエハラはこいつにも話さねぇでくれてたみてぇだな。
「少し、昔の話をしてやる。…皆にゃ秘密だぜ?」
まじめ腐って言った俺に、コゴタは神妙な顔で頷いた。
アブクマ先輩から聞かされた話は、ちょっと…、いや、かなり意外だった。
先輩は、昔はすごく泣き虫で、引っ込み思案な子供だったそうだ。
そして、ぼくにとってのイヌヒコみたいな、グイグイ引っ張っていってくれる友達の影響で、今みたいな堂々とした、男ら
しい性格になったらしい。
ちょっと信じ難かったけれど、アブクマ先輩は照れ臭そうに、指先で鼻の頭を擦りながら言った。
「今でもよ、ホラー映画とか怪談とか駄目なんだ。そこだけは治らなかったなぁ」
「ホラー映画とか…ですか…」
意外。意外だけど、なんだか一気に親近感が湧いた。…だって、ぼくも苦手だから…。
「あの…、実はぼくも、オバケとか駄目なんです…」
アブクマ先輩は少し眉を上げてぼくを見た。
「体は大きくなってきても、ああいうの、全然駄目で…、情けないなぁって思ってたんですけど…」
ぼくは上目遣いにアブクマ先輩を見て、微笑んだ。
「ちょっと安心しました。だって、先輩でも恐いなら、ぼくが怖がっても不思議じゃないですよね?」
「…だはは…。その理屈はどうなんだぁ…?」
困ったように眉尻を下げて笑った先輩は、ぼくらの間に置いていたパックに手を伸ばして、たこ焼きを刺した楊枝を摘んだ。
「食えよ?冷めちまうぞ」
「あ、はい。頂きます…」
ご馳走になる事にして、ぼくもパックに手を伸ばす。
先輩も、苦手なものがあるんだ…。ぼくと同じようなところもあるんだ…。
…不思議…。まるで親近感と入れ替わったように、ぼくの中の先輩への軽い嫉妬は、体から抜け出て何処かに行っちゃった
みたいだ。
たこ焼きを口に入れてハフハフしていると、先輩は少し視線を上に向けて、空を見上げて言った。
「なんか、困り事でもあんのか?」
唐突な質問だったから、ぼくはちょっと面食らってしまう。
「えぇと…」
少し考えた後、ぼくは不安に感じていた事を、先輩に打ち明けてみる事にした。
僕は自分でも自覚できるほどに、頼りなくて、引っ込み思案で、押しが弱い。
それでもって柔道の経験も、まだたったの一年。
まだまだ初心者に毛が生えたようなレベルなのに、誰かに教えるなんてとても無理だ。
そんなぼくが、先輩達みたいに後輩に接して行けるんだろうかって…。
「なるほどなぁ。先輩になる不安ねぇ…」
話を聞き終わって呟いた先輩に、ぼくはコクンと頷いた。
「悪ぃが、そこはちょっと解んねぇなぁ。なんせ俺ぁ二年から柔道始めたからな。後輩って言ってもスタートは一緒…、じゃ
ねぇや、経験で言やぁほとんどの連中が俺よりも上だったしな」
「そうですか…」
でも、アブクマ先輩はきちんと「先輩」をしている。
何かこう…、コツっていうか、そういうのは無いのかなぁ…?
「コツねぇ…」
ぼくの質問に、アブクマ先輩は首を捻った。
「ねぇんじゃねぇかなぁ、そういうのは…。たぶん、自然とそうなるもんだ」
「でも…、先輩は男らしくて、強くて、頼りになるのに…。ぼくはこんなんで…」
項垂れながら言うと、先輩は「んん?」と、不思議そうな声を漏らした。
「コゴタ。もしかしてお前、先輩向きの性格がどうとか、そういう事で悩んでんのか?」
「え?は、はい…。そんな所です…」
頷きながらそう返事をしたら、アブクマ先輩は可笑しそうに、声を上げて笑った。
「ぬはははははっ!んな心配はいらねえよ!お前はきっと、後輩に好かれる先輩になるぜ!」
「え?で、でも…、ぼくなんて…」
「思い出しても見ろよ?俺とイイノ、最初はどっちが取っつきやすかった?」
「え、えぇと…」
「じゃあ俺とジュンペーならどうだ?」
「それは…」
口ごもっていると、アブクマ先輩は「ほらな?」って笑った。
「男らしいとか、強ぇとか、頼りになるとか、そういう事だけが先輩らしいって事じゃねぇだろ?優しい先輩。気配りが出来
る先輩。明るい先輩。そういった先輩にも、後輩ってのは惹かれるもんだ。違うか?」
…言われてみれば、その通りかも…。
「あのなぁコゴタ。俺から見りゃあ、お前は優しくて繊細で、それに強ぇ。かわいいトコもあるしなぁ。お前は俺なんかより
もずっと立派な、後輩に好かれる先輩らしい先輩になれるさ。保証してやる」
先輩はニッと歯を見せて、耳を寝かせて笑った。
優しい、開けっ広げな明るいその笑顔は、何だか見ているだけで元気が湧いてきた…。
って…、先輩、今ぼくの事、かわいいって、言ってくれた?
「ぼ、ぼく…。強くなんか無いですよ…」
コゴタは恥ずかしそうに体を小さくして、モジモジしながら呟いた。
そんな事はねぇんだぞ?ウエハラがベタ誉めして、ジュンペーが面白がって、あのダイスケが「強いなぁ」って、嬉しそう
に言うぐれぇだからなぁ。
「いっぺん訊いてみろ。お目の高ぇウエハラが、お前をどう評価してんのかをよ」
ニヤッと笑いながらそう言ってやったが、
「だ、だって…、イヌヒコから見たらぼくなんて…」
コゴタはボソボソと、本当に自信無さそうに口ごもる。
「お前は強ぇよ。できれば後一年…」
言葉を切った俺を、コゴタは横目でちらっと見る。
「…まぁ、今言っても仕方ねぇんだけどな…。お前がもうちっと強くなったら、俺も試合してみてぇと思っただけだ」
コゴタは少し驚いたように顔を上げて、それからブンブンと首を横に振った。
「そ、そんな!ぼくなんかじゃとても先輩と試合なんて…!相手になんか…!」
「でもねぇと思うぜ?お前となら、手加減抜きで楽しい試合が出来るようになると思ってんだけどなぁ」
笑いながらそう言ってやったら、コゴタは困ったように俯いた。
…参ったなぁ…。ウエハラが気にかける訳だこりゃあ…。
ガタイは良いのに、どうにも放っておけねぇ感じがする…。昔の俺もこんな感じだったのかなぁ…。
今更なんだが、もうちっとこいつらの事、見ててやりたかったな…。
「なぁコゴタ。俺達はもうじき卒業だ。今までみてぇに顔も出せなくなるし、相談に乗ってやる事もできなくなる」
口調を改めると、コゴタは律儀に姿勢を正した。
「ジュンペーだってそうだ。まだ先の話だけどよ、結果がどうなろうと夏で引退する」
俺が何を言いてぇのか、まだ分かってねぇらしいコゴタは、目をパチパチとせわしなく瞬きさせてた。
「お前らは、あと半年もしねぇ内に部をしょって立つようになる。…解るか?」
「…え?えぇ!?む、無理ですよぉ!ぼくらだけなんて、そんな…!できっこないです!」
「しゃんとしやがれ!」
不安そうな顔をしたコゴタに、俺は声を大きくした。
大声にビクっと身を竦ませたコゴタの顔を見ながら、ゆっくりと続ける。
「良いか?俺も、イイノも、ジュンペーも、最初っから先輩だった訳じゃねぇ。昔はお前と同じ一年だった。そんでもなぁ、
後輩が入ってくりゃあ、自然に心構えが出来るってもんだ。まだ後輩と会う前から、あれこれ悩んでも仕方ねぇだろ」
コゴタは耳を伏せて、体を小さくしてる。…でも、ここは言っといてやらねぇと…。
「先輩になれるかどうかを悩むんじゃねぇ。後輩にどうしてやれば良いのかを悩め。お前がどうして貰った時に嬉しかったか、
為になったか、そこんとこを思い出せ。先輩だけじゃねぇ、ウエハラがお前にどう接したか、何を教えたかを思い出してみろ。
頭の良いお前のこった、そうすりゃ、自分がどうするべきなのか、きっと判るだろうよ」
「…ぼくが、どうして貰ったか…」
コゴタは小声で繰り返して、それから小さく、何回も頷いた。
「…なんとなく、判ってきたような気がします…」
コゴタの目には、まだ戸惑いがあった。
けど、「何かしよう。してみよう」そんな意欲が感じられた。
「ガラでもねぇんだけどな、こんな事誰かに言って聞かせんのは…」
頭をガリガリと掻きながら言った俺に、コゴタはペコっと頭を下げた。
「なんだか、大丈夫そうな気がしてきました!ありがとうございます。アブクマ先輩!」
顔を上げて、笑みを浮かべた黒牛は、すっきりしたような顔つきだった。
感じていた不安がだいぶ軽くなって、ぼくは前々からちょっと気になっていた別の事を思い出した。
…せっかくだし、聞いてみようかな?
「ところで、先輩?」
「んん?」
やけに小さく見える缶コーヒーを、太い指で摘んで揺らしながら、アブクマ先輩は横目でぼくを見る。
「先輩、付き合ってる人が居るんですか?」
アブクマ先輩は口をポカンと開けて、眉を上げて、目をまん丸にした。
珍しい顔…。意表を突かれて驚いてる、そんな感じ…。
「…ウエハラに聞いたのか?」
「あ、はい…」
アブクマ先輩は乱暴に頭をワシワシと掻いた。
…なんだか苛立ってるような、困ってるような、焦ってるような…。
「…あいつ、誰彼構わず言い触らしてんじゃねぇだろうな…?」
ぼそっと呟いたアブクマ先輩は、「内緒だぞ?」と釘を刺してきた。
「どんな人なんですか?」
頷きながらもそう訊いてみたら、先輩は困ったように顔を顰めた。
「食いつくなぁ…。お前はどうなんだよ?恋人居んのか?」
え…?え?ぼく?
「え、えぇと…、一応は…」
「…まじでか?」
しどろもどろに応じたぼくの顔を、アブクマ先輩はビックリした様子で見つめてくる。
「一年でもう恋人居んのかぁ…。進んでんなぁ…」
かなり意外そうだけれど、ぼく自身も意外に思ってる。
そもそも、イヌヒコがぼくの気持ちに気付いてくれなかったら、きっと、ずぅっと黙っていただろうから…。
「…優しい恋人か?」
「え、えぇ、まぁ…」
うん。とても優しくって、頼り甲斐があって、いつだってぼくをグイグイ引っ張っていってくれる…。
イヌヒコはきっと、これ以上無い程に、ぼくの望み通りの恋人なんだと思う。
「…そか。ぬはは!ほんとに好きなんだなぁ?そいつの事」
可笑しそうに笑ったアブクマ先輩に、ぼくはきょとんとしながら首を傾げた。
「心底幸せそうな面ぁしてたぜ?今よ」
…え?え?ど、どんな顔ですか!?
意識しちゃったら、顔がカーっと熱くなった…。
「先輩の方は…どうなんですか?」
恥ずかしそうに俯いて、モジモジ呟いたコゴタの言葉に、俺は腕組みをして考える。
…どうって…、上手く言葉にすんのは難しいなぁ…。あいつ、結構複雑だから…。
「そうだなぁ…、まず、強ぇ。かな?うん」
「強い?」
コゴタは不思議そうに俺を見た。
「ああ、強ぇ。腕っ節とかそういうんじゃなく、性根がな。上手く言えねぇけど、心のど真ん中にぶっとい鉄の芯でも埋まっ
てるような、そんな感じだ」
「…心が揺るぎない…とか…そういう?」
「お?良い事言うなぁ」
感心して笑いかけると、コゴタは耳を寝せて「えへへ…」と微笑んだ。
「でもな、辛ぇ事にも音を上げねぇ、揺るがねぇからこそ、かかる負担ってのはあるもんなんだよ、きっとな。ピンと張った
ロープと一緒だ」
上手く説明できてねぇかも知れねぇけど、俺は一言一言を選んで、区切って、吐き出す。
「ホントは辛くっても、そんなのおくびにも出さねぇで、誰にも縋んねぇでしっかり立ってる。俺は、そんなそいつを傍で支
えててやりてぇ。遠慮無く弱音や泣き言をぶちまけられる相手で居てぇ。そう思ってる」
言葉の半分は、自分に言い聞かせてるようなもんだ。
「まぁ、今は俺があっちを頼る事のが多いんだけどよ。俺の方も頼って貰いてぇんだ。対等にな」
話し終わった俺を見つめて、コゴタは神妙な顔をした。
「…頼って、貰いたい…」
ぼそっと呟いたコゴタは、何度も、何度も、繰り返しうんうん頷く。
コゴタは、腹をくくったような顔をしてた。
真っ直ぐに、真剣に、目標を見定めたようなその表情は、負傷したウエハラの分まで頑張ろうと、中体連に挑んだ時の物…。
対戦したダイスケに猛牛とまで言わせてのけた、あの試合に臨んだ時の表情だ。
こいつはきっと、大丈夫だろう。
俺でさえ、なんとかかんとか務まったんだ。こいつならきっと、仲間を支えて、後輩を導く、立派な先輩になれる。
俺達が居なくなったって、きっと大丈夫…。
…あ、やべぇ…。
入った当初はえらく頼りなかったコゴタも、こうしてきちんと成長したんだなぁなんて思ったら、なんか…目の奥が熱く…!
「…さて、もう日も暮れるしよぉ…。そろそろ…帰るかぁ…」
そう言って、先輩はのっそりと立ち上がった。そして、あっちを向いて目の辺りを擦りながら、ズビッと鼻を啜る。
…ひょっとして、寒かったのかな?長話させちゃった…。
「あ。たこ焼きご馳走様でした」
ぼくも立ち上がって、先輩にペコッとお辞儀する。
「気にすんな。長々と付き合わせちまって悪かったな」
先輩はぼくに向き直って、口の端っこを少し吊り上げて笑う。
そして、結局口をつけなかった、たぶんもうぬるくなっちゃってる缶コーヒーを、ジャンバーのポケットに押し込んだ。
「んじゃ、気ぃつけてな」
「あ、先輩!」
背を向けて立ち去ろうとした先輩を、ぼくは呼び止めた。
足を止めて首を巡らせた先輩に、心に決めた事を宣言する。
「ぼく、頑張ってみます!恋人も、これから出会う後輩達も、支えてあげられるように!」
「おう!頼んだぜ!」
ニカッと笑った先輩は、肩越しにぼくに手を振ってくれてから、前に向き直って、のっしのっしと歩いて行く。
大きな、堂々としたその背中を見送って、ぼくはささやかな決意を噛み締めた。
アブクマ先輩のようにはなれないだろうけれど、ぼくはぼくらしく、初めてできる後輩を支えてみよう。
そして、これまでみたいに支えられるだけじゃなく、イヌヒコの事も支えてあげられるように頑張ろう。
ありがとうございました。先輩!