第四十三話 「ありがとよ、みんな」
「夏休みになったら、また遊びに来るから…」
キイチの言葉に、隣に座ったシュウ君が、寂しそうに頷いた。
ここはシュウ君の住む雄流和の団地。その前にある公園だ。
キイチとシュウ君は並んでベンチに座ってるけど、小せぇベンチから無駄にでけぇ尻がはみ出る俺は、前に立って二人を見
下ろしてる。
「そんな顔しねぇでくれよ。これっきり会えなくなる訳じゃねぇんだから…」
項垂れたシュウ君の頭に手を置いた俺は、元気付けるために少し乱暴にワシワシ撫でた。
「携帯があるから、いつでも電話で話せるからね?」
「だな。それと、帰って来る時は、ちゃ〜んと土産も買って来るからよ!」
キイチと俺の言葉に、しかし元気なく頷くと、シュウ君は上目遣いに俺達の顔を交互に見た。
…くぅっ…、辛ぇなぁおい…。
「約束、ね?夏には、必ず会いに来るから…」
キイチはそう言うと、小指を立てた右手をシュウ君に差し出す。
シュウ君はキイチの手をじっと見た後、手を差し出して指を絡ませた。
「ゆ〜びき〜りげ〜んま〜ん…」
「う〜そつ〜いた〜らは〜りせ〜んぼ〜ん…」
俺は小指を絡ませてる二人の手に、上から両手を覆い被せた。
「の〜ますっ!」
二人は、なんだかちょっとビックリしてるみてぇに目を大きくして、揃って俺の顔を見上げた。
「なんだよ?俺だけ仲間はずれは無しだぜ?」
半分冗談、半分本心で口を尖らせて見せたら、キイチと、そしてシュウ君が、やっと笑った。
『ゆ〜びきったっ!』
春の夕焼け空に、俺達の上げた約束の声が昇って行った。
「…行ってらっしゃい。キイチ兄ちゃん。サツキ兄ちゃん…」
シュウ君はニッと笑った。
…目尻が泣きそうに歪んだ…、とても下手くそな…、でも、精一杯に気を張った作り笑いだった…。
俺の名前は阿武隈沙月。卒業を目前に控えた東護中の三年。茶色い被毛に、胸元の白い月の輪がトレードマークの熊獣人だ。
この春、遠く北陸にある星陵ヶ丘高校に進学する俺とキイチは、親しい人々に別れを告げて回ってた…。
「あのさ…」
駅までの道を並んで歩きながら、キイチは俺の顔を見上げた。
「もう泣かないでよ…」
「泣いてねぇ…!」
俺はズビッと鼻をすすり上げる。
「これはあれだ!ちっと寒ぃから鼻がぐずついてるだけだ!」
「今日、だいぶ暖かいけど…」
「じゃあ花粉症だ!」
キイチは苦笑すると、俺の背中をポンポンと叩いた。
「大きく、逞しくなっても、涙もろいのは相変わらずだねぇ」
「…うるせぇよ…」
俺は再び鼻をすすり上げ、それからキイチの顔を見下ろす。
寂しそうな顔はしてるけど、キイチは涙を見せなかった。
まだ小せぇシュウ君だって…泣かなかったんだもんな…。俺だって泣くもんかよ…!
「だから泣かないでってば」
「泣いてねぇよ!」
俺達は漁港特有の潮風に背を押されながら、駅に向かって歩いて行った。
「ああっ!くそっ!また俺がビリかよ!」
「せ、先輩!コントローラーがミシミシ言ってます!壊さないで下さいよ!?」
「サツキ先輩、料理とか得意で器用なのに、テレビゲームとかは駄目なんすね?」
「これで今のトップはジュンペー君で、ダイスケ君と僕が同点で二位。サツキ君はダントツのドベ」
キイチはテレビ画面に出た採点を確認して呟く。…ってかキイチ、結構ゲーム上手いんだな…。
俺達は今、ジュンペーの部屋でテレビゲームに興じてる。
ミニゲームをいくつも集めたパーティーゲームっていうやつらしいが、…こいつら上手過ぎだ。俺一個も勝ててねぇし…。
今日は日曜で、ジュンペーの恋人でキイチの親戚、ダイスケも一緒だ。
「あ、もうこんな時間…」
キイチは腕時計を見て呟いた。もう夕方、じきに午後六時になるとこだ。
「そろそろ出るすか?」
「だな」
「あ、オレ両親に一言ことわって来ます。先に出ててください」
ジュンペーが部屋を出て、銭湯側…、親御さん達の職場に声をかけに向かい、俺達は先に玄関に向かう。
これから四人で夕飯を食いに行く事になってる。
今日が、こいつらと過ごせる最後の日曜だ…。
ファミレスの一番奥の席に陣取り、俺達は思い思いに食い物をオーダーしながら、話に花を咲かせた。
「寮生活かぁ。なんかちょっとドキドキしますよね?」
ジュンペーがニヤつきながら言う。…何考えてんだこいつは…。
「何にドキドキすんだよ?このスケベ」
「え?親元を離れての新生活に決まってるじゃないですかぁ。先輩こそ何を考えてたんです?」
ジュンペーはニヤニヤと笑いながら言う。…うお…、ひっかけかよ?
「まぁ、サツキ君が考えてるのは間違いなくスケベな事だろうけど…」
「おいおい!?味方居ねぇのか俺!?」
ダイスケに視線を向けると、ストローを咥えた黒熊は、ふっと目を逸らしてぼそっと言った。
「…い、良いんじゃないすかね…?正直な事って…」
…フォローになってねぇし…。
「それはそうと、先輩、少し痩せました?」
ジュンペーが今気付いたように首を傾げた。
「あ、やっぱ分かるか!?」
「…凄く嬉しそう…」
話題の方向転換に食いついた俺に、キイチがぼそっと呟く。
「何キロになったんです?」
「驚くなよ?169だ!」
『……………』
…微妙な沈黙。ダイスケとジュンペーは顔を見合わせる。
「あの…、何キロ落ちて169キロなんすか?」
「現役時代よりだいぶ増えてるじゃないですか…」
「あ、あれ?そうだったっけか?」
思ったのとは別の意味で驚かれちまった…。しかしキイチは、
「へぇ、170切ったんだね?頑張ったんだぁ」
と素直に感心してくれた。
「ふふんっ!まあなっ!」
胸を張った俺をよそに、ジュンペーとダイスケがぼそぼそと言葉を交わす。
「…マックスいくらまで行ったんだろうね…?」
「…オイラもそこが気になる…」
…無視無視…。
「でも、もう少し落としてくれると助かるな。朝になって僕が圧死してたら困るでしょ?」
…圧死って…。若干ヘコむなぁ…。
「…朝になって…?」
「…オイラもそこが気になった…」
「…無視無視…」
ぼそぼそと言葉を交わす二人から視線を外し、キイチが呟く。
中身のあるようなねぇような、そんな他愛のねぇ会話をしている内に、時計の針は八時を回った。
…そろそろ切り上げる時間だよな…。
支払いを済ませてファミレスを出た俺達は、しばらくの間、黙って夜空を見上げた。
「寂しく、なっちゃうね」
「…だな…」
「ですね…」
「うす…」
キイチの呟きに、俺達は頷く。
「そういえば…、先輩っていつも空見てましたよね?昼休みの屋上の空に、部活帰りの夕空、帰りが遅くなって暗くなっても、
ちょくちょく星空を見上げてましたし…」
夜空を見上げながら、ジュンペーは思い出したように目を細めて呟いた。
「空ってのは毎日、刻々、顔を変える。見た目は変わっても、それでも空は空だ。何があっても変わらねぇ。空ほど本質が変
わらねぇもんなんて、この世にはあんましねぇ」
俺が呟くと、全員が一斉に俺の方を見た。
「俺の親友でキイチの兄弟…、ケントの言ってた事だ。…なるほど、正しいと思ったよ」
三年の連中と大喧嘩して、うっかりやり過ぎて全員見事に病院送りにしちまった停学開け、シニカルな笑みを浮かべたあい
つは、学校の屋上でそう言った。
俺達がまだ一年だった頃、俺があいつに告白する前…、あいつが元気だった頃の話だ…。
「でもな、空の他にも変わらねぇ、いつまでも、何があっても変わらねぇ物って、他にもあるんだって、気付いた」
俺はジュンペーとダイスケの肩に腕をまわし、ぐいっと抱き寄せた。
「俺達がダチだって事とか、お前らが可愛い後輩共だって事とかな!」
「せ…、先輩…!」
「お、オイラも…?」
俺は二人の肩を引き寄せたまま笑う。
「変わらねぇだろ?いつまでも、何があってもよっ!」
『は、はい!』
声を揃えて返事をした二人は、俺が腕を放して解放すると、照れたような、嬉しそうな笑みを浮かべた。
で、ふと首を巡らしてみれば、キイチはまだ空を見上げてる。
「どした?…ケントの事、気になるか?」
「ううん…。ただ…、僕もずっと見上げてたなと思って…」
「キイチ兄ぃも…空を?」
ダイスケの問いに首を横に振って応じたキイチは、右手を上げて頭の上を、白く輝いてる三日月を指さした。
「月」
キイチはぽつりと言い、俺達はつられるように、揃って三日月を見上げる。
「考えて見れば、僕はずっと…、ずっと月を見上げてたんだ…。今も、そしてきっと、これからもずっと…」
真っ直ぐに腕を伸ばして夜空を指さし、綺麗な白い被毛に細い月の光を受けて、穏やかに微笑むキイチは、なんつぅか…、
凄ぇ…、綺麗だった…。
「…そうか、サツキ先輩だ!」
「ピンポーン」
ダイスケの言葉に、キイチはクスリと笑った。
「月も刻々と顔を変えるけど。本質はいつまでも変わらないよね?君と同じで」
「…んん?俺も?変わんねぇ?」
「うん。お化けが苦手なところとか、涙もろいところとか」
キイチは笑い、俺は鼻の頭を掻く。
月かぁ…。俺も本物のお月さんみてぇに、いつまでもキイチの事を照らして、見守っててやれれば良いんだけどな…。
…いや、「良いんだけどな」じゃねぇ。そうしてやるんだ…、ずっと…。
「さてと!遅くなっちまう。そろそろ帰ろうぜ!」
「そうだね」
「ですねっ!」
「うす!」
帰路についた俺達は、別れを惜しむように、ゆっくり、ゆっくりと夜道を歩いた。
次にこうして顔を合わせてのんびりできんのは、いつになるんだろな…。
「明日は卒業式か」
「だな。いまいち実感ないよなぁ」
自習時間。タクとシンジが、回し読みしてた週刊誌を閉じて呟いた。
傍の席に座ってるカワベも、無言のままこくっと頷いてる。
キイチの前の席で、椅子に逆向きに座って、出発準備の進み具合なんかを話してた俺は、三人に視線を向けた。
こいつらは…、っていうかこの学校の大半の生徒は、ここからそう離れてねぇ東護高校に進学する。
タクにシンジ、ナギハラもカワベもそうだし、サカキバラもそうらしい。
高校に行っても、顔ぶれはそれほど変わんねぇだろうな。
「なぁ、不安とかないのか?家を離れての寮生活になるんだろ?」
「いつもは煩く思うけどさ、親と離れんのって不安無いか?」
シンジとタクの問いに、俺は肩を竦める。
「別にねぇかなぁ?俺ん家、親父もお袋も留守がちで放任主義だったからなぁ…。そのせいか?」
「ネコムラは?」
シンジの問いに、
「サツキ君が一緒だから平気」
と、キイチは即答。ぬはっ!照れるぅっ!
「おうおうご馳走様っ!」
「良いよなぁ恋人同士で寮生活はっ!」
ニヤニヤと笑う二人に、カワベは無言のまま、こっちの会話は聞こえてねぇクラスメート達に顎をしゃくる。
「ちゃかすなよ。聞こえちまうだろ?…ってカワベが言ってるっぽいぞ?」
俺はカワベの警告を自分なりに訳して伝える。と、カワベはこくっとと頷いた。…どうやら合ってたらしいな。
「高校に行ったら、カワベ君、ストリートバスケの愛好会を作るんだって」
「へぇ。…って、大丈夫なのかカワベ?全然喋らねぇのに」
カワベはやっぱり黙ったまま頷く。
「この学校から進学した先輩方が、今年の春から設立活動を始めるんだってさ。自分一人じゃないから問題ないって」
と、キイチが訳す。
…さすがにここまでカワベの意志を汲み取んのは俺には無理だ…。ってか、何で分かんだよお前?
「お前らは部活とかやらねぇのか?」
そう訊いてみると、シンジとタクは揃って肩を竦めた。
「帰宅部への入部が内定してる」
「高校でもエンジョイするぜ!」
「…ま、良いけどな…」
シンジとタクはそこで顔を見合わせた。
「そういやナギっちはどうすんだろな?」
「やっぱり陸上部じゃね?」
「ご名答」
答えは、二人の後ろから聞こえた。
「引退してからも毎日の走り込みは欠かさなかったわ。もちろん、今年からレギュラーを狙う為よ」
薄桃色の頬を指先でいじり、ナギハラは自信満々に微笑んだ。
高校のレベルも、新しい先輩の事も、不安に思ってる様子は全くねぇ。
ぬはは!こいつらしいや!
「ところで、アブクマ君。昼休み、少し付き合って貰えない?」
「ん?良いけど、何だ?」
「それは…。その…」
俺が問い返すと、ナギハラは言い難そうに口をつぐんだ。
「…分かった。昼休みな。屋上で良いか?」
「ええ。ごめんね…」
ナギハラはそう言うと、踵を返す。
「…何だろうな?」
「愛の告白だったりして!?」
「うひょ!三角関係勃発!?」
「…違ぇよ!」
俺は盛り上がるシンジとタクに釘を刺した。
…そのつもりは無かったんだが、ちっとキツい口調になっちまったな…。
シンジとタクは顔を見合わせ、それから俺を見つめた。
キイチも、カワベも、俺をじっと見詰めてる。
「…悪ぃ…。詮索は…、しねぇでやってくれ…」
俺がそう言うと、頷いた四人は、それ以上はナギハラの話題に触れなくなった。
…ナギハラ。お前の気持ちには気付いてたよ…。
伊達に、小学の時から一緒な訳じゃねぇからな…。
「ごめんね?呼び出したりして」
「構わねぇよ」
並んで屋上の手すりに背を預け、ナギハラは呟いた。
「…実は、聞きたいことが…」
「イイノの事だな?」
「…!!!」
ナギハラは長い耳をピンと立て、驚いたように俺を見た。
「き、気付いて…!?」
「…まぁな…」
「…いつから…?」
「二年の時、柔道部に入ってから、だな…。お前、俺達がグラウンド走ってると、イイノの姿を目で追ってたからよ」
「…ぜぇはぁ言いながら、息も絶え絶えに走り込んでた割に、良く見てたわね…」
「…大きなお世話だ」
ナギハラは目を伏せ、それからため息をつく。
「イイノ君は…?」
「たぶん、気付いてねぇと思う」
しばらく黙り込んだ後、ナギハラは口を開いた。
「イイノ君。付き合ってる人は…」
「居る」
俺が言葉短く即答すると、ナギハラは再び黙り込んだ。
…酷なようだけど、変に励ましたりなんかしちゃあいけねぇんだ…。
「…なんとなく、そうじゃないかなぁ…、とは思ってた…」
長い沈黙の後、ナギハラはそう呟いた。
「長いのかしら?付き合って…」
「二年以上付き合ってるらしい。俺も知ったのはつい先月だけどな…」
「…はぁ…、なら不戦敗にしておくべきかしらね…」
…正直、何て答えりゃ良いのか、迷った…。
ナギハラは、イイノと同じように、小学からずっと親しく付き合いが続いてる友達だ。
俺が上級生とモメて、回りの連中から敬遠されるようになってた頃も、全く変わりなく接してくれた、友達だ…。
イイノとナギハラ。
穏やかで、気配りができるイイノと、押しが強ぇけど、ちっとキツめのナギハラは、あるいは良い組み合わせなのかも知れ
ねぇ。
…でも、イイノには付き合ってる相手が居る。イイノも俺も尊敬してる、いっこ上の先輩だ…。
…どうすりゃ良い?こんな時、どう言や良いんだ?
三人とも、俺にとっちゃ大切な…。
…少し悩んだ後、俺は、言うべき答えを決めた。
「そいつは…お前次第だ…」
俺は…、
「でも…」
三人を…、
「玉砕の可能性はでけぇな…」
…天秤に…かけた…!
やっちゃいけねぇ事だって、解ってる。
でも…、イイノとオジマ先輩、そしてナギハラ…。
ナギハラさえ諦めりゃ、三人の内の二人は、幸せでいられるんだって、そう、考えちまった…!
「そっか…」
ナギハラは、俺の内心には気付いた様子もなく、ぽそりと、弱々しく呟いた。
「…相手が誰なのか知ってるの?」
「まぁな…。俺でも惚れそうな相手だ」
「…そっか…」
ナギハラは大きくため息をついた。
「小学、6年の時にね…、同じクラスになってから、好きになっちゃったのよね…」
俺は、罪悪感を感じながら、ナギハラの言葉を黙って聞く…。
「最初は、ちょっと良いなって思ってただけだった。でもね、落ち着いてて、穏やかで、優しくて、なのに芯は強くて…そんな
所を見ていたら、だんだんね…。でもほら!私って気が強いし、負けず嫌いだし、自分から言い出すのって癪だったのよね!」
ナギハラは口調を明るくし、手すりを掴んでグラウンドを見下ろした。
「性格で損するぞって、良く言われてたんだけどなぁ…。こうなってみると、本当だったと思うわ…。…先に…告白してれば…」
掠れ始めたナギハラの声を聞きながら、俺はジュンペーに告白された時の事を思い出す。
あれから、何回も考えた…。
もしも、俺がキイチに本音を打ち明けるより早く、ジュンペーから告白されてたら、今の俺達は、どんな関係になってたん
だろうかって…。
…考えたって、仕方がねぇ事なのにな…。
することをして、なるようになって、今の俺達があるんだからよ…。
「…なら、これから改めりゃいいさ。お前可愛いんだからよ。ちっと優しい顔すりゃ、男なんてホイホイ寄ってくるぜ」
「…ふふ…!…ありがと。アブクマ君は、ほんと良いヤツよね…」
「お前なぁ…、「良いヤツ」発言は普通、野郎をヘコませるんだぞ?」
「そっか。これからは気を付けるわ」
「ま、俺は別に気にならねぇけどな」
肩を竦め、俺はなるべく穏やかな口調を心がけて、手すりを握り締めてるナギハラに言った。
「…我慢する事、ねぇんだぞ?誰にも言いやしねぇからよ…」
ナギハラは…、あの勝気で高飛車で気の強ぇ俺のダチは…、手すりを握り締め、涙をポロポロと零してた…。
「…変わる第一歩だ。素直に全部吐き出しちまえ…」
「…ごめん…」
ナギハラはそう呟くと、俺の胸に飛び込んできた。
「う…ぐっ…!うぅぅっ…!」
俺の制服をしっかり掴んで、胸に顔を埋め、声を押し殺して啜り泣くナギハラの背に手を回し、優しくポンポンと叩く。
いつもピンと立ってた長ぇ耳は、斜め後ろに倒れて、ふるふる震えてた…。
…気付かなかった…。…気付けなかった…。
…こいつ…、こんなに細っこくて、小さかったんだな…。
いっつもシャンとしてて、胸張ってたけど、やっぱ、女の子なんだよな…。
…ごめんなぁ…、ナギハラ…。
「泣け泣け…、泣いてすっきりしちまえ…!そしたら、いつもの勝ち気で元気なナギハラに戻れよ、な?」
ナギハラは、ピンと立てた長い耳をフルフル震わせながら頷いた。
「…高校に行ったらもうちっとだけ素直になって、肩の力を抜きゃいいさ。お前、美人なんだから、きっとすぐに良い男を捕
まえられる…」
ナギハラのすすり泣く声が、屋上を吹き過ぎてく風に乗って、流れてく…。
…馴染みのダチ同士でこういう事になると、辛ぇな…。
「あー、スッキリした」
少しして泣き止んだナギハラは、大きく背伸びをした。
「ごめんね?困らせちゃって」
「別に困ってねぇよ。俺ので良けりゃ、いつでも胸貸すぜ?」
そう言ってやったら、ナギハラは小さく吹き出した。
「それ、口説いてるみたいに聞こえるわよ?」
「…そか?…そうかもな…。気ぃ付ける」
「恋人が居るんだから、誰にでも優しくしちゃ駄目よ?」
「誰にでもって訳じゃねぇよ。お前は昔っからのダチだから…」
…ん?…んんっ?
「…こ、恋人って…お前…!?」
「知ってたわよ。伊達に小学校から一緒な訳じゃないわ」
悪戯っぽく笑うナギハラに、俺は一瞬言葉を失った。
「…そ、そりゃ…、相手の事も…か…?」
「ええ。ネコムラ君でしょ?」
「…たまげたな…」
頭をガリガリと掻いた俺の胸を、ナギハラは拳でどむっと叩いた。
…お前…、俺だから良いようなもんだけど、他のヤツに捻り入れた拳でそういう事すんの止めとけよ?
普通はこう、拳の下側でトンッて軽くさ、もうちっとソフトに叩くもんだろ?
「安心してよ。誰にも言ってないし、皆も気付いてないわ」
そう言ったナギハラは、静かにため息をつく。
「…だからね。さっき分かっちゃったんだ…。イイノ君が好きな相手…、アブクマ君が惚れそうな相手って事は…、彼もそう
なんでしょ?」
「……………」
何て答えるべきか迷っちまって、思わず黙り込んだが、ナギハラはそんな俺の様子で悟ったみてえだった。
「やっぱりね…。それじゃ勝ち目なんか無いわよね…」
「……………」
「ありがと。これで思い残す事無く、すっきりして卒業できそうだわ。告白は見合わせる。イイノ君にも迷惑になっちゃうしね」
晴れ晴れとした顔で言ったナギハラは、いつもの気の強そうな顔付きに戻ってた。
…俺が、キイチの半分でもいいから賢けりゃ、誰も傷つけねぇような、気の利いた答えが言えたのかなぁ…?
「高校じゃあ、彼氏はきっとできる。断言するぜ?お前、魅力的なんだからよ」
元気付けようとした俺の言葉を聞き、ナギハラは可笑しそうに笑った。
「ホモにそう言われてもねぇ」
…むぅ?そういやアレか?俺から見て魅力的って事は、分類的にゃ男に近いって事になっちまうのか?
「…って訳でよ。バレてたみてぇだ」
帰り道、俺は屋上での話の本題は伏せて、ナギハラに俺達の事がバレてた事だけは、キイチに話して聞かせた。
「うん。確認されたもん」
「そか。…ん?」
俺は足を止め、数歩進んだキイチが首を巡らせて振り返る。
「確認…された???」
訳が解らず訊いた俺に、キイチはコクっと頷いた。
「うん。サツキ君と恋人同士なんじゃないのか?って」
「おい!それ初耳だぞ!?」
「気付いてるって事、知られたくなかったんだって。それで君との友達としての関係がおかしくなったら嫌だからって。だか
ら、自分も誰にも言わないから、君にも自分が気付いてる事は黙ってて欲しいって、そう言われたんだ」
「いつだ?それ…」
「文化祭の少し後。ゴメンね?今まで黙ってて…」
キイチは少し耳を寝せ気味にして、軽く頭を下げた。
「…いや、あいつとの約束だったなら、仕方ねぇさ…」
俺は頭を掻きながら歩き出す。
…参ったなぁ…。気ぃ遣われてた事、全然気付けなかったぜ…。
「色々あったけど、よくもまぁ、数人にしかバレねぇでやって来れたよな、俺達…」
「タカツキ君やイシモリ君、カワベ君にナギハラさん。そしてシンジョウさん…」
キイチはすらすらと名前を口にして、それから微笑んだ。
「皆で、口裏合わせしてくれてたんだよ?」
「は?」
「これも君には秘密だったんだけどね。誰かが君の恋愛関係に興味を示す度に、話をでっち上げてくれたんだ。君には小柄で
色白の可愛い恋人が居る。自分達は会った事がある。…ってね」
「そんな…なんで…?」
ぜんぜん知らなかった…。気付けなかった…。皆が、そんな風に気ぃ回してくれてたなんて…。
再び立ち止まって、言葉も出なくなった俺を、キイチが振り返り、微笑んだ。
「皆、僕達の幸せを壊したくないって、そう言ってくれた…」
「…俺達の…幸せ…を…?」
キイチは頷きながら歩み寄り、俺の顔を間近で見上げる。
「皆ね、面倒見が良くて、頼り甲斐があって、とても優しい阿武隈沙月の事が大好きだったんだよ」
急に目の前がぼやっと滲んで、俺は鼻をすすり上げた。
皆の気持ちが有り難くて、気付けなかった事が申し訳なくて、目の奥が熱くなった…。
「さっちゃん。また泣いてる」
「目にゴミが入っただけだ!」
「なかなか治らないねぇ、涙もろいのは…」
歩み寄ったキイチは優しい笑顔を浮かべて、反論した俺の胸を、拳で軽くポンと叩いた。正しい作法で。
「…みんなにでけぇ借り作ったまま、卒業する事になんのか…」
目尻から落ちそうになった涙を、親指で乱暴に拭いながらそう零すと、キイチは首を横に振った。
「違うよ。皆が君への借りを、そういう風に返してくれてたんだ」
「俺への借り?」
覚えがなくて聞き返したら、キイチはニッコリと笑った。
「球技大会、文化祭、その他にも数え切れないくらいたっくさん!これまでに君がしてきた、自分では何でもなく思ってる事。
君のおかげで楽しく過ごせた中学生活。皆は、その恩返しをしたかったんだってさ」
俺の頭の中を、自分自身楽しんできた、中学生活の想い出が駆け巡った。
…そか…、俺が楽しかった時は、みんなも楽しんでてくれてたんだな…。
「僕はゆっくり返していくから、少し待っててね?ちょっとやそっとじゃ返しきれないから」
微苦笑したキイチの背中に腕を回し、気付かねぇ内にみんなに守られてた幸せを、俺はしっかりと抱き寄せた。
幸せの感触…。幸せの匂い…。幸せの温もり…。
キイチから滲み出てるそれらを、しっかりと噛み締める…。
「返さなくて良いんだよ…。皆から十分受け取った。それに、何回も言ってんだろ?俺だって、お前にゃ返しきれねぇ程の借
りがあるんだ。チャラにしようぜ」
キイチは可笑しそうに笑った後、こくりと頷いた。
卒業の前日になって思い知った。
俺の中学生活、そりゃあ辛ぇ事もあったけど、やっぱり幸せで楽しいもんだった…。
誰だって独りじゃ生きて行けねぇ。どっかの誰かがそんな事を言ってた。
本当にそうなのか?一人でだって大丈夫なんじゃねぇのか?
ずっと前に聞いた時は、そんな風に思ったもんだ。
…でも、今なら解る。少なくとも、俺は独りじゃ生きて行けねぇ…。
誰かと一緒に泣いて、笑って、怒って、悩んで過ごす。
支えてやるべき相手が居て、支えてくれるみんなが居る。
そういう全部の繋がりで、「俺」っていうヤツが出来上がってんだ…。
みんなに俺の気持ちを言葉で伝えんのは難しいけど、やっぱりこういう時は、こんな言葉しか出て来ねぇもんなのかな…。
ありがとよ、みんな…。
約束する。みんなと支えあって、楽しく過ごせた中学生活…、忘れねぇよ、何があっても、ぜってぇに…!