第八話 「もう待たせないから」
僕の名前は根枯村樹市。東護中三年生で、図書委員会所属。全身がクリーム色がかった白い被毛の、猫の獣人。
サツキ君から告白された翌日、僕は乾健人君の家の前に立っていた。
資料や聞き込みで調べるのは、これ以上は無理だ。情報が得られるとしたら、彼自身の身の回りの物をおいて他にない。
この家を訪れるのは、お葬式の日以来か…。
僕は深呼吸して気持ちを静め、チャイムに指を伸ばした。
しばらくして、玄関から顔を覗かせたのは、薄茶色の被毛の犬の獣人。40になったかならないかという女性、イヌイ君の
お母さんだった。
頭を下げた僕を、おばさんは少し驚いたように見つめたけれど、制服に気付いたのか、すぐに表情を和らげる。
「あなた、確かケントと同じ学校の…」
「はい、ネコムラです」
「あの子のお葬式に来てくれたわね?覚えているわ」
一年以上も前に来ただけなのに、覚えていてくれたらしい。おばさんは少し嬉しそうに、そして寂しそうに微笑んだ。
「お線香、あげさせて頂いていいですか?」
おばさんは、僕の申し出を快く聞き入れてくれた。
家にお邪魔した僕は、線香を上げて手をあわせ、イヌイ君の遺影を見つめた。
写真の中の彼は制服姿だった。幼い頃から変わらない、気の強そうな、自信に満ちた表情で、微かに笑っている。
…どんなに年月が経とうと、写真の中の彼は変わる事はない。僕が大人になっても、老人になっても、彼は大人にならず、
ずっと東護中の制服を着たまま、写真の中で笑っているんだ。
「わざわざありがとう。きっと、ケントも喜んでいるわ」
それはどうだろう?喜ぶかどうかは別として、疑問には思っているかもしれないな。イヌイ君は僕の存在を知らなかったは
ずだ。いや、知っていても正体までは気付いていなかった。同じクラスでもなく、親しかったわけでもない。時折、僕が遠く
から眺めていただけで、僕らの間には接点なんて全く無かった。
でもここから先は、中学校の同級生、根枯村樹市では立ち入れない。…サツキ君のためだ。覚悟を決めよう…。
僕は仏壇の前で正座したまま体を巡らせ、おばさんに向き直った。
「覚えていらっしゃいますか?昔、イヌイ君とアブクマ君が、公園のあたりにあった林に入ったまま、暗くなるまで帰らなく
て、心配して探しに行ったこと」
一瞬、おばさんは僕が何を言っているのか分からなかったらしい。少し驚いたような顔をした後、懐かしそうに微笑んだ。
「ええ、覚えているわ。さっちゃんの他にも大の仲良しがもう一人居て…」
おばさんの目が、少し大きくなって僕を見つめた。面影を探しているのか、僕の顔をじっと見つめる。
「けんちゃんは真っ暗な林の中、二人を励ましながら先に立って歩き…、さっちゃんは足を挫いてしまった子をおぶり、弱音
も吐かずに歩き続けました。それでも、いつまで経っても帰り道が見付からず、同じ所をグルグルと回り続けていた。…そん
な時です。おばさんの手にした懐中電灯が、三人を照らしたのは…」
僕の話に耳を傾けていたおばさんの目に、確信の光が瞬いた。
「自分の子供のように心配し、叱ってくれたあの夜の事…、今でもはっきりと思い出せます」
おばさんは、驚いた様子で口を開いた。
「君、もしかして…」
僕は深々と頭を下げた。
「これまで黙っていて、申し訳有りません…。僕はキイチ。旧姓、森野辺樹市です」
他言しないという約束をとりつけ、僕はおばさんに自分がこの町を離れた理由を説明した。
おばさんは僕が引越した理由どころか、その後、僕の家に起こった事件まで、全て知っていた。
考えてみれば当然の事だ。イヌイ君のお父さんは、刑事なんだから…。
おばさんは、ついさっきまで僕があのキイチである事に気付かなかったらしい。苗字も根枯村になっていたし、毛の色も変
わっていたからね。複雑な気分だけど、この変化のお陰で、昔は知り合いが多かったこの町でも、僕に気付く人は全く居ない。
「ごめんなさいね、きっちゃん…。気付いてあげられなくて…」
おばさんは労るような優しい視線で僕を見つめた。懐かしい感覚に、胸が熱くなる。
いくら忘れて生きようとしても、忌まわしい過去がずっと付きまとうように、心の奥にしまった暖かい想い出や、優しい記
憶も、決して消えることはないのだと実感した。
イヌイ君が使っていた部屋を見せてもらえないかという僕のお願いを、おばさんは快く承諾してくれた。
「生きていた時のままにしてあるの。掃除はしているけれど、物は動かしていないのよ。勝手に物を動かすと、あの子怒った
から…」
おばさんはイヌイ君の部屋へ僕を案内すると、そう言ってドアを開けた。
…帰る者のいなくなった部屋は、まるで、今も使われているような状態だった。
「私はリビングに居るから、ゆっくりしていってちょうだいね」
おばさんが出て行ったドアを見ながら、僕は思う。亡くなった息子の部屋を、ずっと維持していくのはどういう気持ちなの
だろう…。おばさんは、まだイヌイ君の死から立ち直れてはいないのだろうか…。
僕は部屋を見回し、懐かしい物を見つけた。
本棚の隅、車やバイクの模型の陰に、それはあった。幼稚園の時に皆が作った、お内裏様とお雛様の雛人形…。ヤクルトの
空とピンポン球を組み合わせて、上から紙粘土を被せたもので、イヌイ君が作った人形は、確か先生にとても誉められていた
っけ…。
そうそう、僕のは本当に駄目だった。お内裏様とお雛様が全く逆に見える顔立ちになって、先生が思わず吹いたっけ。
ちなみに、サツキ君は紙粘土をヤクルトの容器に固定させる際に、力を込め過ぎてお内裏様を圧殺してしまい、泣き出して
しまった。思えば、あの馬鹿力は幼稚園児の頃からその片鱗を見せ初めていたな…。
湧き上がる懐かしい気持ちを感じながら、僕は無理矢理それを押さえ込み、情報を求めて視線を巡らせた。
事故に遭う朝、彼は手紙を入れる封筒を求めてコンビニに行った。
亡くなった時には財布と、まだ袋を開けていない封筒しか持っていなかったらしい。なら手紙はこの部屋にあるはずだ。お
ばさんは、イヌイ君の生前と同じ状態で部屋を維持していると言っていたから、処分されている可能性は低いように感じられた。
罪悪感を覚えながら、僕はイヌイ君の机の引き出しを開け、中身を確認する。開封済みの封筒に入った手紙が見付かったけ
れど、これは目当てのものじゃない。彼は買った封筒を家に持ち帰る事も、封筒に手紙を入れる事もできなかったのだから。
全ての引き出しを開けてみたけれど、手紙は見付からなかった。
他の場所にしまってあるんだろうか?もしも本などに挟んで隠してあったら、探すのは難しくなる…。
一度顔を動かしかけた僕は、机の上に視線を戻した。
ミニ金庫とでもいうべきだろうか?机の上に、金属製の小さな小箱があった。前面に数字を合わせると開くナンバーロック
がついていた。手に取ってみると、手紙を入れておくには丁度いい大きさに思えた。
数字を回し、覚えていた彼の誕生日を入れてみるが、開かない。さらに何回か数字を並べ替えてみたけれども、やはり開か
なかった。電話番号、住所、それらしいものを試したけれど、どれも合わずに、金庫は口をしっかりと閉じたままだった。
他に心当たりがある数字を思い浮かべていたら、不意に、昔こういうものを三人でいじった事があるのを思い出した。
それは、僕達の遊び場の、林の中に捨てられていた。
ナンバーロック式の手提げ金庫は、歪んで錆び付いてたけれど、それは僕達にとっては珍しいおもちゃだった。
ナンバーを自由に設定できる機能がついていて、僕達はそれを宝箱にする事にした。
三人で頭を捻り、一生懸命に番号を考えたっけ…。
「すうじ4つか〜」
金庫を頭上にかざし、さっちゃんが目を細めながら言った。
「だれかのたんじょうびにする?」
僕の問いに、けんちゃんが首を横に振った。
「たんじょうびは、ばんごうがバレるからよくないってテレビでいってたぜ?でんわばんごうもダメだって」
『う〜ん…』
僕達はそろって唸り、考える。
「そうだ!みんなのなまえからとったらどうかな?」
僕の意見に、さっちゃんとけんちゃんは首を捻る。
「たとえば、ぼくはキイチだから、イチ」
そう言うと、けんちゃんは興味をもったらしく、賛成した。
「いいなそれ!なまえからすうじをきめようぜ!」
「え?じゃあ、ぼくは…、サツキで、さ…?つ…?き…?」
さっちゃんは少し考えた後、助けを求めるように僕を見た。
「サ、で3なんかはどうかな?」
さっちゃんは目を輝かせて頷いた。
「うん!ぼくは3にする!」
「なるほどなー!じゃあ、おれはケントで…、ト…、10でどうかな?」
「いいんじゃない?ちょうどすうじが4つになった!」
僕達はその金庫に、キイチの1、サツキの3、ケントの10を組み合わせ、1310のナンバーロックをかけたんだ…。
1…3…1…0…!
カチャンという音と共に、金庫は僅かに口を空けた。
耳に届いた小さな軋みは、正当な持ち主でない僕が開けた事への抗議のようにも聞こえ、罪悪感を感じた。
心の中で謝りつつ、僕は金庫の蓋を開ける。
中に入っていたのは、細長く折りたたまれた二枚の手紙、それと空っぽの封筒だった。
封筒は白い、何も柄の入っていないもので、宛名が書かれている。僕は自分が見て良いものではない事を承知の上で、微か
に震える手で手紙を開いた…。
おばさんにお礼を言い、僕はイヌイ君の家を後にした。
…イヌイ君が遺した手紙の内容は、僕の予想通り、サツキ君にあてたものだった。
でも…、この手紙、本当に彼に見せるべきだろうか?
今この手紙を見せて、サツキ君の為になるのだろうか?
サツキ君の心の傷も、時間が経てば癒されるんじゃないだろうか?
…この手紙は、薬になるかもしれないけれど、毒にもなり得る…。
しばらく悩んだ後、結論は出た。僕は公衆電話を使い、サツキ君の家に電話を入れた。
『はい、アブクマ〜』
丁度良くサツキ君が出た。
「サツキ君、ネコムラだけど…」
『…キイチか?初めてじゃねぇか?お前がウチに電話かけてくるなんて…』
「今、大丈夫かな?忙しい?」
サツキ君は昨日の今日なせいか、少し落ち着かない様子だった。
『ヒマしてるけど、どうかしたのか?』
僕は会って話がしたい旨を伝え、待ち合わせ場所を伝えた。指定した場所は、彼とイヌイ君が最後に会った、あの神社。
『…分かった。すぐ向かう』
「うん、待ってる」
受話器を置き、僕はため息をつく。ひょっとしなくても、僕はサツキ君に酷い事をしようとしている。それでも、彼には伝
える必要があった。
どれだけ時間が経って、いくら忘れて生きようとしても、忌まわしい過去や辛い思い出はずっと付きまとう。同じように、
暖かい想い出や、優しい記憶も、決して消えることはない…。同じ人の事を思い出す度、その両方が付きまとうなら、受け入
れて生きなきゃいけないんだ。
サツキ君はきっと、受け入れて先へゆける。僕は、そう信じてる。
「早かったね?」
僕はちょっと驚き、息を切らせてやってきたサツキ君を見た。
「まあな、待たせちゃ悪いと思って…」
「そんなの気にしなくていいのに。僕、いつもヒマなんだから」
苦笑して言うと、サツキ君も苦笑いしながら鼻の頭を擦った。
それから僕達は、神社の境内にあるベンチに、並んで腰掛けた。
「…で、話って…?」
サツキ君は少し緊張した様子で言った。
僕は頷き、封筒に入れ、丁寧に持ってきた手紙を懐から取り出し、サツキ君に手渡す。
「…これは?」
手紙を受け取って訝しげに首を傾げたサツキ君に、僕は告げた。いざとなると、声が少し震えてしまった。
「乾健人君が、君に渡そうとした手紙だよ」
その名を耳にして、サツキ君は息を呑む。
「さっき、イヌイ君の家にお邪魔して、借りて来たんだ」
彼は両手で掴んだ封筒にじっと見入り、目を大きく見開いていた。
「…俺が読んでも、いいのかな…?」
「君あての手紙だよ。「読んでいいのか」じゃなく「読むべき」…でしょ?」
サツキ君はすこしの間沈黙し、それからゆっくりと頷くと、封筒を開けた。
「…間違いねぇ、あいつの字だ…」
取り出した手紙を前に、懐かしそうに目を細め、サツキ君は手紙を読み始めた。
―沙月へ―
昨日はごめん。
俺、いきなりだったから驚いちまったんだ…。
昔からずっと一緒だったけど、俺、お前がそういう風に思ってたなんて知らなかったし、考えた事もなかった。
…俺、お前にひでぇこと言っちまった。…なんて謝ればいいかも分かんねぇ…。
俺もお前の事は好きだ。でも、お前が言ってる好きとは、たぶんちょっと違う。俺のは、友達として、…ともちょっと違う
か…?…そうだな、兄弟同士みてぇな好き、なんだと思う。
恋愛って話になると、男同士がそういうのって、俺、正直良く分かんねぇ。それでも、お前の気持ちは、たぶん嬉しいんだ
とは思う。
昨日はさ…、びっくりしたってのもあったけど、なんだか、お前との関係が変わっちまいそうで、すごく怖くなったんだ。
気が付いたら、あんな事言って逃げ出してた…。本当にダメだな、俺…。
…それと、応えられなかった理由は、もう一つあるんだ。
昨日は照れくさくて誤魔化したけど、ホントの事言うと俺…、この間、隣のクラスの美郷って女子から付き合ってくれって
言われたんだ。俺、そっちの返事もまだしてねぇんだよ。
少し考えてみて、それから答えを出したいと思ってる。
新学期が始まるまでには答えを出すから、だから、もうちょっとだけ待っててくれ。
あんな事言って…、ホントに、ごめんな。
―健人―
手紙が、かさかさと音を立てた。
サツキ君の体が小さく震えていた。
「…ケント…」
呟いたきり、サツキ君は言葉を失った。
一年前に書かれた手紙。
イヌイ君が居ない今、彼の答えがサツキ君に告げられる日は、永久に来ない…。
辛いだろうけど、それでも感じ取って欲しい。イヌイ君が伝えようとしたことを…。
いつも自信満々で、隠し事がイヤで、ウソが嫌いで、口は少し悪かったけど、不公平が許せない真っ直ぐな性格で…。よく
君をからかってたけど、それで君が泣き出したら、いつも慌ててなぐさめて…。
「これ、読んだか?」
手紙を読み終え、そう言ったサツキ君に、僕は一瞬答えに詰まった。
でも、結局頷いた。ウソをついたほうが良かったのかもしれないけれど、それはなんだかイヤだった。
「ずりぃよなぁ。ケントのやつ…」
サツキ君はポツリとそう呟いた。
「答えはお預けってか?待ってろって…、言われたってなぁ…」
苦笑を浮かべたその顔は、ひどく寂しげで、まるで泣き顔のようだった。
「でもまあ、心底嫌われたって訳じゃねぇらしい事は分かった。それだけでもほっとしたぜ…。ありがとな、キイチ」
サツキ君は無理矢理に笑顔を浮べて見せた。痛々しい笑みだったけど、それでも、どこかふっきれたような感じがした。
「それにしても、やっぱり俺が原因だったみてぇだな…」
「…え?」
「ケントのやつ、コンビニに封筒を買いに行って事故にあったらしいんだ…。この手紙のために、あいつは…」
僕は言葉も出ず、ぽかんと口を開けていた。…そういえば、手紙を読んでもらうのが最優先だと思ってたから、まだ何も説
明してなかったな…。
「それは違うよ?だってほら、君へって封筒に書いてあるでしょ?」
サツキ君は封筒を確認し、それから首を傾げた。
「ああ、書いてあるな。それがどうか…」
彼はやっとそれに思い至ったのか、言葉を切って封筒をもう一度見た。
「待て、なんで宛名が書いてあんだ!?それに封筒に詰められて…、だってあいつは封筒を買いに行った帰りに…」
「君の手紙に使う封筒は、買いに行かなくてもあったんだよ。もう一人の相手に出す手紙を入れるために、女の子の好みそう
な封筒が必要だったんだ」
これは間違いない。女の子の好みそうな可愛らしい封筒を買っていったと、店員さんも覚えていた。常連だったイヌイ君が、
最後にしていった意外な買い物、だからこそ彼も覚えていたんだろう。
「そっか、俺の為に封筒を買いにいった訳じゃねぇのか…」
サツキ君はそう言うと、ふっと寂しそうに笑った。
「まあ、聞かなくても答えは分かった。1組の美郷って、エラい美人だからな。面食いのあいつが断る訳がねぇ。俺なんかにゃ
ハナから勝ち目はなかったんだよな」
確かに、ミサトさんは美人だ。しばらくショックは抜けなかっただろうけれど、三年になってからボーイフレンドもできた
らしい。今を歩き始めている彼女に、イヌイ君の手紙は必要ないだろう。だから、手紙はあの小箱の中に残して来た。
「潔いっていうか、なんていうか…」
僕の言葉に、サツキ君は苦笑した。
「誰が見ても結果ははっきりしてるだろ?それより、お前、ケントと面識あったのか?家にまであがって探して来てくれるな
んて…」
「え?う、うん。イヌイ君のおばさんと顔見知りで、何回かお邪魔した事があってね」
我ながら苦しい言い訳だったけど、サツキ君はそれでも納得したのか、頷いただけで突っ込んでは来なかった。
ほっとしながら、僕は自分の心音を確かめる。
…今度は、僕の番だ…。
「サツキ君」
…大丈夫。ちょっと鼓動は早くなってるけれど、ガチガチに緊張している訳じゃない…。
「うん?」
「僕は、もう待たせないから」
サツキ君は2、3度瞬きした。僕が何を言っているのか、分からない様子だった。
「僕は、オッケーだよ」
「…何がだ?」
きょとんとしているサツキ君に、僕は笑いかけた。
「やだなぁ!昨日の返事っ!」
サツキ君は、呆けたような顔をして、それからビックリしたように目を丸くし、口をパクパクさせた。
「それって、お前…。い、いいのか?だって俺、男同士が…」
僕はサツキ君の鼻に指を突きつける。
「それは昨日も聞いたよ?全部承知の上っ」
それから彼の鼻をグリッと指で押し、笑いかける。
「僕も、サツキ君を好きになってみる」
サツキ君はビックリした顔のまま僕を見つめ、それから嬉しそうに、そして照れたように微笑んだ。指を引っ込めた僕も、
言ってしまった言葉の内容を思い出し、ちょっと照れ笑いする。
これが、僕の決心。
過去を知られたくはないけれど、僕はサツキ君と一緒に居たかった。
この選択が、自分の首を絞める事になるのは十分承知の上だ。
これからは、さらに注意を払っていかなければならない。決して、僕があのキイチだと知られてはいけないんだ。もしも知
られてしまったら、その時こそ彼の傍には居られなくなる。
僕は内心の不安を隠し、サツキ君に尋ねる。
「でもさ、僕達、まともに話すようになって、まだ一ヶ月半くらいしか経ってないよね?そんなんで僕に告白しちゃって、良
かったの?」
サツキ君は困ったように頬を掻いた。
「あ〜、うん。なんつうかさ、お前、最近会ったばかりって感じがしねぇんだよな…。たまに、ずっと昔から知ってるダチみ
てぇに感じる時があるんだよ。変だよなぁ…」
…ああ…。その通りだよって、そう言えたらどんなに楽だろう…。僕はあのキイチだよって、素直に打ち明けられたら、ど
んなに良いだろう…。
僕は、ベンチの上に置かれていたサツキ君の手に、そっと手を伸ばす。
サツキ君は一瞬ビックリして固まったけれど、ボクが微笑みかけると、体の力を抜いた。
彼の大きな手は僕の手には余り、しっかり握ることはできなかった。だから、僕はサツキ君の小指から中指までをそっと握った。
「恋人なら、手ぐらい握るよね?」
照れているのと、恥ずかしがっているのと、緊張しているのと、ごちゃまぜになった表情のサツキ君が、コクリと頷く。
昔と変わらないこういうところ、ちょっと可愛いな。
「でも、皆には秘密にしておいた方がいいよね?」
「だな、秘密にしとこう」
「僕達、秘密の恋人だね?」
僕が言うと、サツキ君は照れたように空を仰ぎ、鼻の頭を掻いた。
「…おう。そうだな…」
それから僕達は、日が暮れて真っ暗になるまで、ずっと手を繋いだまま話をした。
サツキ君は、時々イヌイ君の事を考えていたようだった。
この事もいつか、辛いだけじゃない想い出に変わると思う。君なら、その広い両肩に全部担いで進んで行けるって信じてる。
辛い話をした後のはずなのに、僕は何故か、とてもスッキリした気分になっていた。