「乾健人の誇り」

「…で、まだやんのかい?センパイ方」

乾いた地面に唾を吐き捨てながら、そこらで倒れたり、尻餅をついたりしてる三人の生徒を見回す。

三人とも他校の生徒、襟章から見て二年だ。

商店街近く、田園地帯の空き地。

五月の爽やかな空気の中、けばけばしく赤い夕日が地面を照らしている。

俺が吐き捨てた血が混じった唾は、あっという間に乾いた地面に吸い込まれて染みになる。

おー痛ぇ…、頬の内側切れちまったな…。

「てめぇ…、こんな真似してただで済むと思ってんのか…!?」

顔をボコボコに腫らして尻餅をつきながら、まだ虚勢を張れるトコは誉めてやっても良い。

が、セリフにあまりにも芸がねぇ…。

「カンベンして下さいよ。そっちからフッかけて来ておいて、「こんな真似して」?大人しくイヂメられてろ…、とでも?」

肩を竦めて鼻で嗤ってやりながら、足音を耳にした俺は視線を巡らせた。

背の高い草に覆われた空き地に、どやどやと、さらに三人の生徒が入って来る。

…あっちゃ〜…。そういや一人居なくなってると思ったら、応援呼んで来たのかよ…。

「いつまで調子に乗ってられっかなぁ?あぁ!?」

仲間が増えた事で元気が出たのか、へたり込んでいた一人が立ち上がり、ニヤッとする。

…ったく、調子に乗ってんのはどっちだってぇの…。

とは言っても、さすがにこれはキツいな…。

腕っ節には自信あるんだが、いくらなんでも計八人は無理だ。

さぁて、少し困った事になってきたぞ、と思っていると、新手が来た後ろの方で、草がガサガサと動き始めた。

全員が視線を向ける中、背の高い草を掻き分けて、馬鹿でかい熊がのっそりと姿を現す。

「サツキ。おま…、何でこんなトコに?」

「こいつらが慌てたみてぇに走ってくのを見かけてな。来て良かったろ?」

肘までまくり上げた緑のトレーナーに、膝が大きく破れたジーパンを身につけた、幼馴染の大熊は、俺の顔を見て、次いで

辺りを見回しながら応じた。

「…また絡まれたんだな…?手ぇ貸すぜ。ケント」

指をパキポキ鳴らしながら、のっしのっしと自分達に歩み寄る大熊の巨体を前に、連中は気圧された様子で後ずさる。

ふん…。さっきまでの余裕は何処へ行ったんだかな…。

ま、これでノルマは半分。怪我人含めて三人のめせば終いだ。

「余所見してんじゃねぇぞコラぁっ!」

サツキの方を向いていた一人の背中に、俺は全体重を乗せた跳び蹴りをお見舞いした。

そいつが「ぐぇっ!」っとカエルみてぇな声を上げ、うつ伏せにぶっ倒れたのを皮切りに、乱闘が始まった。

俺は乾健人(いぬいけんと)。

東護中一年。茶色いフサフサの毛並みが自慢のハーフな犬獣人。…ま、雑種ってこった。



自販機に硬貨を入れながら、大熊は呆れたように言った。

「ゴールデンウィークも喧嘩からスタートかよ?」

「俺のせいじゃねぇっての」

取り出し口からコーヒーを掴み出してる、サツキのでけぇケツを眺めながら、公園の柵に座った俺はぶっきらぼうに言い返す。

こいつは阿武隈沙月(あぶくまさつき)。俺の幼馴染でクラスメート。茶色くてモサモサしたデブ熊だ。

中学一年にして180センチ150キロにもなってる、規格外の巨体の持ち主だ。

この図体のでかさは親父さん譲りだな。

「ほれ」

「サンキュー」

サツキは缶コーヒーをひょいっと放り、俺はそれを受け取りながら礼を言う。

二人同時にプルタブを開け、コーヒーを啜る。

「あ〜くそ…、右頬腫れてやがる…。また親父にどやされるなこりゃあ…」

サツキは俺の隣に腰を下ろすと、顔を顰めて右の頬を擦った。

「大丈夫だろ。何処が腫れてんだか判んねぇ顔してるしよ」

「お前なぁ…。手ぇ貸してやったってのに…」

頬をひくっと引き攣らせて抗議するサツキ。その分厚い胸を、俺は拳でドンと叩く。

「はは!ちゃんと感謝してるって、あんがとよ」

「まぁ良いけどよ…」

照れ隠しに鼻の頭を指先で擦り、コーヒーを口元に運んだサツキは、手を止めて首を少し動かす。

つられて視線を動かすと、道路の向こうからやって来る、スポーツバッグを肩からかけた猪の姿が目に入った。

「よう、イイノ。部活帰りか?」

片手を上げて挨拶すると、

「ああ。でもってこれから道場だ」

同級生の飯野正行(いいのまさゆき)は、厳つい顔に人の良さそうな笑みを浮かべて応じた。

最近になってからだが、牙が伸び始めて、だんだん猪らしい顔つきになってきたな…。

「熱心だなぁ。ゴールデンウィーク返上か?」

サツキが感心したように言うと、イイノは「まぁね」と頷く。

「地区大会も近いんだ。個人戦、出して貰える事になったし、やれるだけの事はやっておきたい。憧れの先輩に、無様な試合

なんて見せられないしな」

「あ〜、あのでけぇ虎の先輩か?」

「アブクマほどデカくはないよ」

イイノは笑いながら言うと、「それじゃ」と手を上げて立ち去って行った。

遠ざかるイイノの背中を眺めながら、

「イイノに誘われたんだろ?部活、入れば良かったじゃねぇか。柔道とか向いてんじゃねぇの?」

と、俺はサツキに声をかける。

「良いんだよ。あんまり興味ねぇし、それに…」

サツキはそっぽを向いて、頭をガリガリと掻きながら、ぼそっと呟いた。

「…お前と一緒に居るのが、一番楽しいしよ…」

俺は苦笑いしながら、サツキの腕を肘でつついた。

「そんな事言ってるといつまで〜も彼女できねぇぞ?ま、ちっと痩せねぇと難しいか」

からかわれてむくれたのか、サツキはフンと鼻を鳴らす。

「欲しくねぇよ別に。彼女なんかに興味ねぇ」

「お子ちゃまだなぁ」

ま、からかうのはこのくらいにして、だ…。

「それはそうと、今日、ミヅキさんトコ行くんじゃなかったのか?」

口調を改め、話を変えると、

「…行ってきたよ…」

サツキは表情を曇らせて、小さな声でそう答えた。

「どうだ?」

「変わらねぇ…。むしろ悪化してやがる…」

目を閉じて耳を寝せ、途方に暮れたように呟くサツキの横顔は、あまりにも悲しそうで…、悔しそうで…、言葉がかけられ

なかった…。

「こんな時に…、なんもできねぇんだなぁ…、俺は…」

すっかりしょげかえってるサツキの背中を、俺は少し乱暴にバンと叩いた。

「元気出せ、ラーメン奢ってやるからよ」

「…おう…」

少しばかり元気のねぇ笑みを浮かべたサツキを促し、俺は柵から離れて歩き始めた。



「親父さん、ゴールデンウィークもずっと仕事なのか?」

最近行きつけになったラーメン屋で、カウンター席に並んで座ると、サツキは味噌チャーシューを特盛りで注文しながら訊

ねて来た。

ちなみに俺は塩ネギラーメン。

「ああ。ほら、一昨日の轢逃げ、アレの容疑者がまだ見つかってねぇだろ?休み返上だってさ」

サツキは「大変だなぁ…」と呟き、腕組みして背もたれに寄りかかる。

体重を受けた椅子が、抗議するようにギシッと鳴った。

「親父さん、かっこいいよなぁ…」

「そうか?」

「だって刑事だぜ刑事?」

「テレビや映画、漫画の刑事のイメージで考えてんなら、認識改めた方が良いぜ」

そっけなく応じる俺は、大して刑事って職業が格好良いとは思ってねぇ。

親父の職業を知ってる周りのダチは、口々に格好良いだのって言うんだが、どうにもピンと来ねぇ。

まぁ、俺にとっては親父が刑事ってのが普通だからなのかも知れねぇけど。

…むしろ、歌にある通りの「犬のお巡りさん」ってのみてぇで、あまり格好良く感じねぇ…。

親父は、俺が小せぇ頃から忙しかった。

だから、昔からそれほど遊んでもらった記憶もあまりねぇし、それほど話もしねぇ。

仲が悪ぃってわけじゃねぇんだけどさ…。

待ちかねたラーメンがカウンターに出てくると、箸を割りながらサツキは口を開く。

「ウチの親父はダメだなぁ。デブだし、女好きだし、しょっちゅうお袋に怒られてるし」

「でも、尊敬してんだろ?」

同じく箸を割りながらそう声をかけると、サツキは耳を寝せながら微妙な表情を浮かべ、ややあってから頷いた。

はっ!照れ臭ぇんだろな、きっと…!

ラーメンを啜りながら、俺は考える。

今でこそ堂々とした、男らしい振る舞いができるようになったサツキだが、昔はこんなじゃなかった。

内気で、どん臭くて、泣き虫で、どうしようもねぇ甘ったれだった。

だが、サツキは変わった。俺の努力の甲斐もあって。

俺達と仲が良かった幼馴染が急に引越しちまって、当時のサツキは見てられねぇほど落ち込んだ。

元気付けてやるにも、俺には良い方法が思い浮かばなかった。

何を言っても項垂れたままで、目に見えて元気が無くなって、外で遊ぶ事もあまりなくなった。

このままじゃいけねぇと思った。きっと、このまま放っといたら、こいつはダメになっちまう…。そんな気がした。

そして俺は、こいつに俺なりの「男らしさ」ってものを教え込んだ。

ダチが居なくなった事も跳ね返せるような、そんな強いヤツになって貰いたかったんだ。

ちっとばかり強引な性格矯正の甲斐あって、泣き虫だった仔熊は、立派な雄熊になった。

…まぁ、オバケや怪談やらがまるっきりダメなのは治らなかったけどな…。



「いきなり居残り食らうかよ…」

半ば呆れ、半ば感心しながら、俺は一人、昇降口で下駄箱を開けた。

中学最初のテストになる一学期の中間試験で、サツキのヤツは赤点を大量生産してのけた。

クラスで…、ってか学年でダントツ、ぶっちぎりのドベだったらしく、先生に呼び出されて居残り勉強を命じられた。

まぁ、俺も成績は良い方じゃねぇ…ってより、ぶっちゃけ悪ぃ方だから、あんま人の事言えねぇんだけどさ…。

踵が潰れた靴をたたきに投げ出してつっかけた俺は、後ろで鳴った足音に、何気なく振り向いた。

………。

…あ…れ…?

下駄箱を開け、靴を取り出したそいつは、じっと見つめてる俺に視線を向ける。

白い。真っ白で艶やかな毛並みの猫は、俺の目を見つめる。

恐ろしく小柄なヤツだった。何回か遠目に見た事もある、確か俺と同じ一年だが…。

俺はじっとそいつの顔を見ながら、妙な感覚に囚われていた。

俺の視線を受けながら、白猫は首を傾げ、口を開いた。

「僕の顔に、何かついてる?」

「え?いや、そういう訳じゃ…」

何だ?この感じ…?

俺…、前にこいつと何処かで会ってる…?

「…あのよぉ。前に、何処かで会った事ねぇか?」

「会ってるね」

さらっと答える白猫。俺は「やっぱり」と、記憶を辿ろうとした。が、

「校内で何度も」

と続いた言葉に、思わず苦笑いした。

「そういうんじゃなくてだな…」

「おかしな人だね?会ったのは中学になってからだよ。…たぶんね…」

白猫は口元を少しだけ綻ばせた。…俺の勘違いか…。

白猫は靴を履き、すっと前を歩き過ぎた。その背中に、俺は声をかける。

「俺の事、怖がらねぇんだな?」

白猫は立ち止まり、肩越しに俺を振り返った。

言っちゃなんだが、俺もサツキも入学式以来起こし続けたトラブルのせいで、周りから浮いてる。

浮いてるっつぅか、ぶっちゃけモロに避けられてる。

言葉を交わす相手なんて小学から親しかった連中ぐれぇ、それ以外は目をあわそうとしねぇヤツらが大半だ。

なのにこのチビ猫は、今だって怖がる素振りも、嫌そうな顔もせずに、俺を見つめてる。

「別に、怖がる必要もないと思うけれど?君が無責任に噂されてるような人じゃ無いって、判ってるし」

しれっと答えたその言葉に、違和感を覚えた。…が、その微かな違和感の正体が判らねぇ…。

「…それじゃあね」

俺の訝しげな視線から逃れるように、白猫は前を向いて歩き出した。

昇降口を出て行く、少し早まってるその歩調は、まるで、これ以上の追求から逃げようとしてるようにも思えた。

「あぁ…、そうか…」

俺はあいつが使っていた下駄箱のネームを眺めながら呟いた。

下駄箱に嵌めこまれたプラスチックのプレートには、根枯村って、白猫の苗字が刻まれてる。

毛の色も、苗字も、雰囲気も違うけど…。なんとなく似てたんだ、あいつに…。



ガラでもなく、ちょいとセンチな気分になりながら、俺は商店街のたこ焼き屋台に顔を出した。

…乗り越えたって、思ってたんだけどな…。

どんな事にも縛られねぇで、前向いて突っ走れるのが、俺の誇りだったのに…。

 なんの事はねぇ、乗り越えた気になって、忘れたフリしてたたけか…。

ちょっと似たヤツに会っただけで、こんな気分になるんだもんな…。

パックを受け取り、屋台に背を向けた俺は、少し歩いた所で足を止めた。

見覚えのある他校の生徒が、…ん?んん?あれ…小学生…か?

 結構体格の良い黒牛を取り囲んで、小突くようにして歩かせ、路地の奥に引っ張り込んで行くのが見えた。

ありゃこの前の三人だな。正直、関わり合いになりたくねぇけど…。

 …迷惑なんだよな…。学区外から遠征して悪さされんのって…。

最近、ああいう連中のやってるカツアゲやら何やらの悪事まで、俺達のせいにされちまう。

弁解すんのも面倒だし、言ったトコで誰も聞きやしねぇから黙ってるが…、こういう現場を見ると、はっきり言ってムカつく。

俺はたこ焼きのパックを鞄に入れ、連中が入って行った路地に足を向けた。



予想通りの光景が、そこにあった。

路地を抜け、商店街近くの田園地帯の空き地…、この前俺が連れ込まれたトコに入った連中は、黒牛を乱暴に突き倒し、金

をせびり始めた。

「も、持って、無いんです…」

地面にへたり込み、震えながら三人を見上げる黒牛は、幼い顔を涙で濡らしながら、か細い声で要求に返事をしている。

ガタイは立派だが、やっぱまだ小学生だろう。まだ角も生えてねぇ、童顔の牛だ。

…なんつぅか…、イラっと来た。

その黒牛の姿が、昔のサツキの姿とダブっちまって、取り囲んでる連中に対して、強い憎悪が湧き上がる。

草を掻き分けて空き地に入った俺に、三人が、そして黒牛が視線を向ける。

「い、イヌイ…!?」

「よっ。この間はどうも」

俺は片手を上げて、親しみを込めて挨拶した。

そして三人の間を堂々と通り抜け、黒牛の前に立つ。

脅えたような目で見上げて来るそいつから視線を離し、三人に向き直る。

「中学生相手じゃカツアゲする勇気も無くて…、小学生をターゲットに切り替えましたか?」

鞄を地面に放り出し、手を握り、開き、感触を確かめて拳を作る。

「ソンケーするぜホント…。なかなか出来る事じゃねぇ…。情けなくてな」

睨みつける俺の眼光に恐れをなしたか、三人はじりっと後ずさった。…が…。

「おぅおぅ、またイヌイかよ?」

「…今日は、アブクマは居ねぇな?」

俺がさっき入って来た辺りの草を掻き分けて、さらに三人…、この間のメンツが空き地に入って来る。

人数が増えて余裕ができたのか、元々居た方の三人の顔に下卑た嗤いが浮かんだ。

…まずいな…、多い…。

俺はちらっと、後ろの黒牛を見遣る。

…俺一人なら、適当にあしらって逃げようが、六人相手に玉砕しようが問題ねぇ。

が、腰が抜けてるのか、へたり込んだまま震えてる黒牛は、ちょっと動けそうにねぇ。

…覚悟を決めろ、ケント…!

俺は連中に背中を向けて、黒牛を見下ろす。

涙でグショグショになった顔を上げ、見上げて来る黒牛に、俺は眉を上げ、口の端を少し吊り上げて、笑ってやった。

「大丈夫だ」

そして俺は、へたり込んで動けねぇ黒牛を地面に押し倒し、上から覆いかぶさった。



遠くなりかけてた気が、優しく、恐る恐る揺り動かす手で、現実に引き戻される。

薄く目を開けると、うつ伏せに倒れたままの俺を、黒牛がしゃくりあげながら揺さぶっていた。

「だ、だいじょ…、ひぐっ…!だいじょぶ、ですかぁ?ねぇ、だいじょ…ぶぅ…?」

いつの間に俺の下から這い出したのか、黒牛は涙をボロボロと零しながら俺を揺さぶる。

「へー…き…だぜ…。へへっ…、いつっ…!」

笑った拍子に、散々蹴られた脇腹がズキッと痛んだ。

地面に手を付いて、何とか身を起こした俺は、腕に走った激痛に声を上げ、前に崩れる。

咄嗟に延ばした黒牛の腕が俺を押し止めたものの、バランスを崩した俺の体は、そのまま黒牛の胸に顔から倒れこむ。

脂肪太りの、むにっとしたやわっこい感触が、ボコボコに腫れた俺の顔を受け止めた。

「いっててて…。手ぇ出さねぇのを良い事に、遠慮無くやりやがって、あいつら…!」

「む、無理に動いちゃ…、ダメですよぉ…!」

悪態をついた俺の体が、黒牛の手で仰向けにひっくり返された。

正座した黒牛の脚に頭を乗せられる格好で、俺はすっかり暗くなった空を見上げる。

あ〜…。格好悪ぃなぁ、俺…。

空と俺の間に、涙で濡れた黒牛の顔があった。

「あ、あの…。ごめんなさい…。う、ひくっ…!あ、ありが…とぉ…」

黒牛は目尻から涙を零しながら、呟くように言った。

零れ落ちた涙が、俺の頬に当たって、横に伝い落ちる。

「見ず知らずのぼくを…、あんな風にして、こんなになるまで庇っ…」

「怪我ぁ…ねぇかぁ…?」

言葉を遮って投げかけた問いに、黒牛はギュッと目を瞑り、こくこくと頷いた。

「そっかぁ…。良かっ…いででっ…!」

服は土埃で薄汚れちゃいるが、本当に怪我は無さそうだ。

安心してほっと息を吐き出した俺に、黒牛はまた尋ねて来た。

「なんでぇ…、こんなに…ぐすっ…なってまで…、ぼくを、助けてくれたんですか…?」

「…誇り…、かな…」

俺の返答に、黒牛は少し目を見開く。

「俺は、弱ぇヤツも、弱ぇヤツを苛めるヤツも嫌いだ。嫌いなモンには屈しねぇ。ゼッテーに。それが俺の誇りだ。だからイ

ジメを放っておくのも、連中に頭下げんのも、御免だ」

「…プライド…ですか?」

「格好良く言やぁそうだ。…ま…、ただの意地かもな…」

苦笑した途端、また脇腹が痛んだ。

「なんで…、他人の為に、痛いのを我慢できるんですか…?」

「なんでなんでって…、うるせぇヤツだなお前…。あんま怪我人を質問責めにすんじゃねぇ…」

「あ…、ご、ごめんなさい…」

耳を伏せて謝った黒牛の顔に手を伸ばし、頬の涙を拭ってやりながら、俺はボコボコに腫れた顔で笑ってやった。

「その内判る。信念、ダチ、何になるかは判んねぇけど、体張っても守りてぇ、譲れねぇって、そんな大事なモンが出来れば

な…」



送ってくって言う黒牛の申し出を、俺はつっけんどんに断った。

これ以上、情けねぇトコ見せたくねぇしな…。

脇腹をしつこく蹴られたせいだな、吐き気がひでぇ…。

たこ焼きを買っておいた事を思い出し、鞄の中を覗いてみると…、…踏みやがったなあいつら…!

たこ焼きのパックがべっしゃりつぶれて、鞄の中は大惨事だ。

おばちゃんが心を込めて焼いたたこ焼き達を、こんなひでぇ目に遭わせやがって…。許さねぇ!

変わり果て、無残な姿になってるたこ焼きに心の中で詫び、俺は連中へのリベンジを心に誓う。と…、

「ケントぉっ!」

すっかり暗くなり、街路灯が灯った農道を、ずんぐり丸いシルエットが、俺の名を呼びながら走って来るのが目に入った。

「サツキ…?何でこんなトコに…」

巨体を揺すって駆け寄り、俺の前でぜぇはぁ言いながら立ち止まったサツキは、

「居残り…、んぐっ!終わって…、たこ焼き買いに…、行ったら…!お、おばちゃんが…!子供が、絡まれて…、連れてかれっ

…ひぃ…、ふぅ…!その後…、お前が…追っかけ…!ぜはぁっ…!」

前屈みになり、両手を膝について、乱れた息の隙間から説明するサツキの顔は、ひでぇ有様だった。

顔は俺に負けず劣らずボコボコ、流れ出た鼻血で口も顎も襟元も真っ赤に汚れてる。

「…来る途中…!こないだの、ヤツらと出くわ…、ぜへぇ…!お前を、ボコったとか、言ってたから…!とりあえずボコって、

…んで、慌てて走って来て…!」

「そっか、そりゃ大変だったな…。今後も何か有ったら教えてくれるように、おばちゃんに頼んどけ…」

俺が平坦な口調で言うと、サツキは肩で息をしながら顔を上げる。

「…連中…叩きのめして来たんだな…?本当に…?」

「おう…」

………。

「てめぇ…。こっちはたった今リベンジを誓ったばっかだってのに…、何先走ってやがる!?」

「う、うぇ!?何で怒ってんだよ!?」

サツキは面食らったように俺の顔を見つめる。

いや判る。突然こんな事言っても、何を言いたいか察しがつかない事は判る。

が、俺のこのやり場のねぇ、猛る心はどうすれば良い!?

俺はサツキの脇を通り過ぎ、不機嫌さを隠しもせずに歩き始めた。

「くそっ!たこ焼きの仇、取って良いのか悪ぃのか…!?」

「お?たこ焼き食いに行くか?」

「うっせぇ!ピザでも食ってろデブ!」

「な!?お前、こっちは心配して必死に走って来たってのに!」

「やかましい!お前もお預け食らった気分味わって見ろ!切ねぇから!」

俺達はぎゃんぎゃん騒ぎながら、人気のねぇ農道を、家に向かって歩き始めた。

 ま、仇討ちしてくれた訳だし、たこ焼き奢ってやるか…。釈然としねぇけど…。