第十一話 「新入部員」
「え〜…、ほ、本日は、お日柄も良く…、ここ、こうして皆さんをお迎え出来る事を、まことに喜ばしく思っており…」
新たに入部希望した新入生を前に、猪獣人の先輩はガチガチに緊張した様子で話している。
…う〜ん…、イイノ主将、上がり性って訳でも無いはずなんだけどなぁ…。考えてみれば、部内では前に立って話すのはし
ょっちゅうだったけれど、仲間内以外に対しての主将としての挨拶って初めてかも。
肩書きが邪魔になって緊張してるのか、それとも入部希望者に気を遣う余りに固まっているのか…。フォローしてあげたい
けれど、後輩のボクが出しゃばるのもあれだし…。
助けを出すべきか迷っていると、イイノ主将の隣に立っていた、極めて大柄な熊獣人が、その背中をバシンッ!と叩いた。
体を前に泳がせて踏み止まったイイノ主将が、サツキ先輩を振り返る。
「一年の連中も緊張してんだ。主将がガチガチになってちゃ不安が解けねぇだろ?」
責めるような目で自分を見た主将に、口元に太い笑みを浮かべて先輩が言った。
「そ、そうだな。済まない…」
イイノ主将は苦笑を浮かべると、深呼吸してから口調を切り替えて話し始めた。
「主将をやらせて貰っているイイノだ。ウチの部は一応強豪の部類に入れられているけど、実際にはここ数年だけの実績だ。
活動内容の方だが、結果にこだわらず楽しく、ただしまじめに部活に取り組んでくれればそれで良いと思っている。皆で楽し
い想い出をたくさん作って行こう。仲が良い事、それがうちの部の一番の特色だからね」
言い終えたイイノ主将は、一年生の顔を見回して笑顔を見せた。主将は厳つい顔とごつい体つきをしているけれど、優しげ
なバリトンボイスと、見ているとほっとするような笑顔が印象的だ。一年生もすぐに馴染むだろう。
「で、こっちのうすらデカイのが副主将のアブクマだ。ほら、お前からも何か…」
イイノ主将に促されたサツキ先輩は、肩を竦めて見せた。
「何もねぇよ。お前が全部言っちまったし」
「挨拶ぐらいしろ。副主将なんだぞお前?」
先輩はめんどくさそうに顔を顰めると、一年生の顔を見回した。中には先輩に一瞥されただけで身を竦ませる一年生も居る。
無理もない。色々と先輩の噂を聞いてるだろうし、慣れない内は見た目からして無茶苦茶怖い。191センチ167キロの
堂々たる巨体は、向き合っただけで圧倒されそうになる。
「一応、副主将やらされてるアブクマだ。よろしくな」
極めて簡単に挨拶すると、先輩は目を細め、口元に笑みを浮かべた。厳つい顔に笑みが浮かぶと、一転して人の良さそうな
顔つきになる。これも先輩の魅力の一つだ。この笑顔一発でボクなんかはケーオーされてしまう。
イイノ主将は笑みを絶やさないまま、今日の予定について話し始めた。
「さて、今日は初日という事で、稽古は無し。全員の自己紹介の後、道場や更衣室なんかの施設の説明をさせてもらおう。そ
れが終わったら軽く歓談して解散にしようか」
オジマ先輩が主将を務めていた去年は、仮入部期間中からいきなり稽古に参加だったけれど、イイノ主将の方針は違うらしい。
仮入部期間中は基本見学だけにさせて、経験者を軽く稽古に混ぜるだけに留め、今日は一通りの説明から始めるらしい。こ
れは主将と先輩の案で、まずは雰囲気に慣れさせる事から始めようという事だった。他の先輩方も賛成していたし、ボクもも
ちろん賛成。
っと!自己紹介しておかなくちゃ!
ボクの名前は田貫純平。名字が示すような狸の獣人で、四月で二年生になりましたっ!憧れのサツキ先輩とは未だに進展が
無く、あいかわらずの先輩後輩の仲です…。
「で、稽古が終わったらここ、シャワールームで汗を流す。戸締まり担当になる最終組はメンバーが決まっているから、しば
らくは心配しなくて良い。ちなみに今の戸締まり担当は副主将のアブクマと、二年生のタヌキね」
イイノ主将に案内された一年生は、更衣室に併設されたシャワールームに驚いていた。
そういえばこのシャワールーム、ずっと昔にうちの部が凄く強かった頃、いわゆる黄金期に作られたものらしい。優遇され
てたんだなぁ…。
もっとも、昨年の個人戦では二名が全国出場を果たしたし、ここ数年は黄金期に負けないくらいの成績を修めているんだけどね。
「設備についての一通りの説明は以上、質問があれば随時手近な先輩を捕まえて聞いて欲しい。それじゃあ、後は更衣室で歓
談といこうか」
イイノ主将がそう締めくくると、サツキ先輩が大きな紙袋を手に、更衣室に入ってきた。そういえば、何処に行っていたの
か、さっきから姿が見えなかったけれど…。
「菓子と飲み物、持って来たぜ」
あ、納得。先輩は更衣室のベンチの上に紙袋を下ろすと、中身を取り出し始めた。
「手伝います」
ボクは先輩からお菓子とジュースを受け取り、配り始めた。他の二年生もそれに倣い、程なく全員に行き渡る。
「これってもしかして、先輩のおごりなんですか?」
「それこそまさかだ。キダ先生から金預かって、昼休みの内に用意してたんだよ」
気になって尋ねてみたら、そんな答えが返ってきた。
そして、新入部員歓迎を兼ねての歓談が始まった。
入部希望者は7名。うち二人が獣人で、それぞれ和犬と牛の獣人。やっぱりこの部はケモ割合が高めだ。
さらに柔道の経験者は3名。で、犬獣人の一年生は柔道歴四年らしい。ボクもうかうかしてられないなぁ…。
ボクと先輩は更衣室の隅っこから、だいぶ硬さがとれてきた一年生を眺めていた。
なんで距離を離してるかというと…、先輩、一年生に気を遣ってるみたい。「混ざりましょうよ」って言ったんだけれど、
先輩はウンとは言わなかった。
理由は分かる。先輩についての様々な噂を耳にしている新入生が、自分の事を怖がっていると知っているからだ…。
先輩は、自分から誤解を解くつもりも、噂について弁解するつもりも無いらしい。…確かに、最初にイイノ主将から聞いた
時は、ボクだってすぐには信じられなかった…。少しすれば、皆も先輩の人柄に触れて、無責任な噂の大半が誤解だった事を
実感するだろうけど…。離れて皆を眺めている先輩を見ていると、いたたまれなくなる…。
「ジュンペー、混じってこいよ」
「いいえ、ボクはいいです」
…先輩だけ一人離れてるのを見てるの、なんだか悲しいですから…。
「よくねぇよ。新入生とは、俺達三年よりもお前らの方が長い付き合いになるんだぜ?」
先輩はそう言うと、ボクの背中を押した。
「早いトコうち解けてこい。お前、そういうの得意だろ?」
先輩は寂しそうな様子も見せずにそう言って笑った。
せっかく先輩がこう言ってくれているのに、頑なに拒むのも失礼なので、ボクは仕方なく皆の輪に混ざる。ボクが、先輩へ
の誤解を解いてあげなくちゃ…。
「あの、先輩?」
声をかけられたのがボクだと言うことに、最初は気付かなかった。…だって先輩なんて呼ばれるの慣れてないんだもん…。
声をかけてきたのは、一年生の犬獣人だった。名前は確か…上原君って言ったっけ。
「先輩って、副主将と仲良いんですか?」
「え?やっぱりそう見える?」
思わず顔が綻びそうになる。が、ウエハラ君が不安そうな表情を浮かべているのに気付き、表情を引き締める。
「確かに、仲は良いと思う」
ウエハラ君は少し驚いたような顔をして、感心したように「へぇ…」と声を漏らした。
気付けば、一年生の全員がボクとウエハラ君の話に耳を傾けていた。
ちらりと視線を動かすと、先輩は道場にでも出たのか、姿が見えなくなっていた。なるほど、それでこんな話を切り出すつ
もりになったのか…。
「怖くないんですか?だって…、あの先輩、その…」
「手が付けられない不良で、東護中に君臨する恐怖の番長?」
言葉を先取りすると、ウエハラ君は口をつぐみ、少し迷った後に頷いた。…気持ちは分かる、一年前のボクも、最初は先輩
をそういう風に見ていたから…。
「皆がどんな噂を聞いているか、ボクも知ってるつもりだよ。でもね、その噂の殆どは屈折して、誇張されたものなんだ。本
当の所、先輩は…」
ボクは先輩が噂されているような不良なんかじゃ無いこと、噂にのぼっている喧嘩の話も、大半は尾ひれが付いて歪んだも
のであること、本当の先輩はどんなに優しくて頼りになるか、そんなことを一年生達に話して聞かせた。
気付けば、全員が話をやめ、ボクの言葉に耳を傾けていた。
「…ちょ、ちょっと話し過ぎちゃったかな…?まぁ、すぐに分かるよ。先輩がどんな人なのか…」
そう締めくくって、ボクはジュースを口に含んだ。
イイノ主将や三年の先輩達は、時折ボクの方を見て、何故か嬉しそうに微笑んでいた。
…もしかして、先輩方はボク達二年生からこの話をして欲しかったんだろうか…?
話題が他の事に移ったのを機に、ボクは話の輪からそっと抜けだし、道場に向かった。
でも、サツキ先輩の姿はない。どこに行ったんだろう?
何気なく出口に目をやると、少しだけドアが開いていた。もしかして外かな?
ドアに近付いたら、声が聞こえてきたので、ボクは足を止めた。
…この声…、主将と先輩?
「…タヌキが、お前の事を一年生に話してたよ」
「ありゃりゃ、放っといて良いのによ。余計な手間、かけさせちまったなぁ…」
先輩が笑い混じりにそう言ったら、主将は含み笑いを漏らした。
「…なんだよ?」
「言葉で弁解しないのはお前らしいが…、副主将が皆に馴染めないようでは困るんだけどな?」
「ああ…、そいつは悪かったな。そこまでは考えてなかった」
「一年連中にとって身近な存在になる二年生から、お前の事をそれとなく話して貰った方が、抵抗無く誤解が解けると思って
いたんだが、…促すまでもなくタヌキに助けられた。あいつは本当にお前のことを慕っている」
「だははっ!俺には過ぎた後輩だよなぁ。この一年間、ジュンペーが居なかったらここまで楽しく部活を続けられなかったろ
うよ。あいつにはほんと、感謝してる…!」
胸が、熱くなった。…先輩、ボクなんかの事を、そんな風に思っていてくれたんだ…。
「感謝してるならタヌキを…」
イイノ主将は何かを言いかけ、それから黙り込んだ。
「ジュンペーを…、なんだよ?」
「…いや…、タヌキを可愛がってやれ。いつまでも、何があっても、今までと変わらずに」
「あったりめぇだろ?俺が引退したって、卒業したって、あいつはいつまでも、俺の可愛い後輩だ」
先輩が笑いながらそう言った。…先輩の言葉が、泣きたくなるくらい嬉しかった。
ボクは気付かれないようにそっと引き返し、洗面所で顔を洗った。目が潤んで、そのままじゃ皆の所に帰れなかったから。
最初に危惧していた程、一年生達は先輩を怖がらなかった。
ボクの話が効果を上げたのか、それとも先輩を間近で見て分かってきたのか、二週間もしたら変に距離をおこうとする一年
は居なくなった。
先輩も最後の夏に向け、これまで以上に熱心に稽古に打ち込みながらも、時には一年生に声をかけたり、アドバイスしたり
していた。
本人は一年達に、
「あんまり構えねぇで悪ぃなぁ。どうも人に何か教えるってのが苦手な性分でよ」
な〜んて言ってたけど、なかなかどうして、的確な指導をしてますよっ!
…それは良いんだけれど…。ボクは今、少し不安を感じている。
実は先輩、オジマ先輩が引退してからというもの、部内では相手に恵まれていないんだ。
試合形式で稽古しようにも、相手が務まるレベルなのはイイノ主将しか居ない上に、主将ともウェイト差があり過ぎてあま
り上手く噛み合わない。ウェイト差があってもサツキ先輩と五分の勝負をしていたオジマ先輩が、どれだけ強かったのかが今
になって良く分かる…。
先輩は稽古の時間の多くを、体力強化と基礎トレーニングに費やすようになった。キダ先生が長い時間付きっきりで稽古を
見ているけれど、立ち会える相手が居ないということが、先輩から勝負勘を失わせていくような気がして、ボクは心配でなら
なかった。
でも、そんな心配は、中体連に向けてキダ先生が作成した予定表を見たら霧散した。
「なんですか?これ…?」
稽古後に配られた予定表をしばらく見つめた後、そう聞き返したイイノ主将に、キダ先生は得意げな顔をした。
「…毎週最低でも二回以上、他校との合同練習が入ってるじゃないですか…?」
「いかにも。基礎練習はみっちりやったが、ウチは強豪校と比較して部員数が少なく、部員同士の階級もかなりばらけている
からな。他校との練習でその不足分を埋めるのが目的だ」
…合同練習がミッチリ詰まった、かなりの強行スケジュールだけれど…、でもこれって…。
「先生、他の学校に対策練られたらどうするんです?」
「どうするも何も、対策を練ってくるだろうな」
イイノ主将のもっともな質問に、しかしキダ先生は何でもないように応じた。
「だったらどうして…」
「自覚が欠けているようだから言っておくぞ?どのみち、地区内の全ての学校がウチをマークしている。特にイイノ、アブク
マ、お前達だ」
主将と先輩が顔を見合わせた。マークされてる実感無いんだろうな、このマイペースな二人には…。
「昨年の新人戦以後、他校との練習試合を避けてきたのは何故だと思う?」
…そういえば、半年近く練習試合なんてやってないな…。
「全てはこの下準備の為だ。最後のデータが半年以上前のものとなれば、どこの学校もウチの情報が欲しくて仕方ない。実際、
このスケジュールにある各学校へ合同練習を申し込んだら、どこも二つ返事でオーケーしてくれたぞ?」
「それにしたって、わざわざ直前になって情報を公開してやる必要なんて…」
主将の言葉に、キダ先生は目を細めた。
「私を誰だと思っている?半年前からならいざ知らず、ほんの二ヶ月程度対策を研究された所で、崩せるような鍛え方はして
こなかったつもりだぞ?」
サツキ先輩が面白そうに笑みを浮かべた。
「ま、難しい事は分かんねぇけど、直前までみっちり練習試合が出来んのはありがてぇや。ようするに、基礎は出来た、あと
は練習試合で勝負強さを身に付けろ、そういうこったろ?」
キダ先生は笑みを深くして頷く。
「そのとおりだアブクマ。お前、頭悪いがこういう事は理解が早いな?」
「…褒めてねぇだろ?」
「まあな」
膨れっ面の先輩から視線を外し、先生はボク達の顔を見回す。
「周囲の評価や前評判など気にするな。お前達はお前達の柔道をしろ。結果はこれまでの稽古の成果だ。周囲の目で決まるも
のではない。いいな?」
『うっす!』
「それともう一つ…」
先生は口元を吊り上げ、凛々しい笑みを浮かべた。
「お前達は強い。この私が保証するのだから間違いない」
うわぁ…、やっぱりかっこいいなぁ、先生…。
「嬉しそうですね、先輩?」
なんとなくだけど、機嫌が良さそうに見えたので、ボクは背中を流してあげながら先輩にそう尋ねた。
「まあな。他の学校と試合する機会なんぞ、ここんとこずっと無かったろ?」
先輩は少し弾んだ口調でそう答えた。これまで口には出さなかったけれど、やっぱり稽古相手の不足を感じてたんだろうな
ぁ…。力になってあげたいけれど、ボクじゃ役に立たないし…。
「お前も楽しみだろ?」
「えっ?」
「上がり性、治ったんだからよ。次からは大活躍だ!」
「何言ってるんですか〜?治ったかどうかも良くわからないし、そもそもボク、そんなに強くないですよ」
先輩は肩越しに振り返り、ボクの顔をまじまじと見つめた。
「何ですか?」
「…お前、結構強ぇんだぞ?」
「…はい…?」
「いやだから…、お前、強ぇんだよ」
「やだなぁ、何言ってるんですか?あ、調子に乗らせて頑張らせようとしてくれてるんですね?」
ボクがそう笑いながら応じると、先輩は軽く肩を竦めた。
「まぁいいや…、練習試合になりゃ分かるこった」
…はい?…先輩、もしかして本当にボクの事、強いと勘違いしてるのかな?