第十二話 「強豪との試合」

ボクの名前は田貫純平。東護中二年生、柔道部所属。名字が示すような狸の獣人だ。

ボク達柔道部は、今日、地区内トップの強豪とされる南華中へ合同練習に来ている。

顧問のキダ先生が計画した鬼のような練習試合ラリーの一ヵ所目が、よりによって近場でも最強のここ…。自信付けるどこ

ろか、粉微塵にされちゃいますって!

「ジュンペー、次の次、お前の番だぞ?」

「はははいぃっ!?」

壁に向き合って深呼吸していたボクは、突然かけられた声に驚いて振り向いた。

声をかけてきたのは愛しの先輩。三年生で、副主将を務めている阿武隈沙月先輩だ。先輩は濃い茶色の毛の大柄な熊獣人。

道着の胸元に覗く白い月の輪が実にセクシー…。

「準備、済んでるか?」

「え、ええまぁ…」

ボクが緊張している事に気付いて、先輩は「ん?」と眉を上げた。

「また不安になってんのか?」

「…は、はい…」

ボクは極度の上がり性だ。新人戦の時に克服できたと思ったけれど、いざとなると不安になる。相手と向き合ったとたん、

体が動かなくなるんじゃないかと…。

「あのなぁ…。前にも言ったが、お前は普通に動けりゃかなり強ぇんだぞ?新人戦でも四位に入賞したじゃねぇか」

「だ、だ、だってあれは…」

先輩のご褒美があったから頑張れたわけで…。…とはさすがに言えない…。

「もっと自信持てよ。それとも、また上がり性が出そうなのか?」

ボクが頷くと、先輩は口元を吊り上げて笑みを浮かべた。横に引かれた口から白い歯が覗き、厳つい顔が人の良さそうな笑

顔に変わる。

「じゃあ、またアレ、やってみるか?」

ボクを勇気づけるように笑みを浮かべながら、先輩は両手を上げ、バチン!と自分の顔を叩いた。久しぶりに見る、試合に

臨む前の先輩のおまじないだ。

結構力を入れているらしく、凄い音がするので、周りの目が何事かと一斉に集まる。うわぁ…、目立っちゃってるよ…!

ボクは大きく息を吸い込み、両手で頬を叩いた。バチンっ!といい音が響き渡る。…いったぁああああい!

「おっし!そんじゃあ行ってこい!」

先輩はボクの背をばしっと叩く。

「一年共にいいとこ見せてやれ。お前の内股、惚れ惚れするぐれぇ綺麗なんだからよ!」

前にたたらを踏んだボクは、苦笑いを浮かべて先輩を振り返った。新人戦の時と同じように、不思議にも体の硬さが取れて

いた。おまじないの効果なのか?それとも先輩の励ましのおかげなのか?とにかく、試合になっても体は動きそうだ…!

「その内股で先輩から一本取れた事、一回もないですよ?」

「俺がダイエットに成功すりゃ分かんねぇぞ?」

そう冗談めかして先輩は笑った。事あるごとに「痩せねぇとなぁ…」とこぼす割に、先輩の体は全く細る気配は無い。むし

ろ秋口からこっち、ちょっとずつふくよかさが増しているような気がする。

もちろん、先輩には悪いけど、ボク個人としては痩せないでいて欲しいんだけどね…。

「60キロくらい落としてくれるなら、自信あります」

「…そいつぁちょいと厳しいなぁ…」

顔を顰めて頭を掻く先輩に笑いかけ、ボクは試合場に向き直った。

今から次の試合が始まる。これが終わったらボクの番だ…。



…なんて事だろう…。

ボクは向かい合った対戦相手を前にして気が重くなった。

相手は黒毛の熊獣人。名前は確か球磨宮大輔(くまみやだいすけ)。ボクと同じ二年生で、去年の新人戦の優勝者だ…。そ

して、ボクは新人戦の準決勝で彼に負けている。

先輩と比べればもちろん小柄だけれど、それでもボクよりずっと体格が良い。たぶんこの階級…、110キロ級のリミット

ギリギリだ。目測でだけど身長は175センチくらい、体重は110キロピッタリくらいだと思う。

ちなみに獣人の部は全部で4階級。最軽量が80キロ級で、次が110キロ級、その上がイイノ主将やオジマ先輩の140

キロ級で、そのさらに上がサツキ先輩の無差別級だ。

なお、ボクは157センチの83キロで、110キロ級では最軽量の部類に…、

「はじめっ!」

「おうぇえええっ!?」

考え事の途中で合図が掛かったせいで、気合いがボケた…。

クマミヤ君は大きく両手を上げ、堂々と構える。さすが強豪校の選手、場慣れしているのか、緊張している様子は殆ど無い。

先輩と同じ、少し腰を落とし、どっしりとした構えを見るに、たぶん似たようなスタイルだと思う。こうやって見ると体重

差だけじゃない、身長差も結構あるな…。でも、イイノ主将や先輩と比べればやっぱり少し小柄だ。あの二人と比べれば組み

やすいはず。…あれ?

ボクはこの時点に至って始めて、自分があまり緊張していない事に気付いた。体の強張りも全く無い。それどころか、冷静

に相手を分析するだけの余裕がある。

クマミヤ君が先に仕掛けてきた。昨年の試合の時と比べて少し速いかも?襟を取りに来た腕をさばきつつ、自分でも驚いた

ことに、ボクは冷静に考え続けていた。

左袖を掴まれつつ、ボクは右手で襟を取る。下に引き落とされる動きに合わせて足を少しだけ送り出して踏ん張りながら、

ボクはなおも考える。

スタイルは先輩に似てるけど、速さも力も先輩の方がかなりある。速さと体捌きならたぶんボクの方が上、力じゃ敵いそう

にないけれど、先輩方二人の問答無用な強さとは違う。なんとか対処でき、凌げるレベルだ。

…実感は無かったけれど、落ち着いて考えてみたら、ボクは新人戦の頃と較べて確実に強くなっているようだった。あの時

は翻弄されるだけだった揺さぶりにも、なんとか耐えられる。

そうか、規格外の実力者である先輩方と乱取りする事が多かったから、ちょっと強いくらいの相手じゃ驚かなくなってるんだ…。

引き寄せられ、引き落とされ、押し返される。その一つ一つの動きに慎重に対処する。

クマミヤ君がボクの体勢を崩そうとしながら、左襟を取りたがっているのが何となく分かる。狙っているのは何だ?

狙いを探りつつ隙を窺い、前に出る相手に合わせて立ち位置を調節しようとしたら、急に引きに変わった。フェイントか!?

引き付けに対して右足を大きく前に出し、踏ん張ったその瞬間…、引き付ける力がすっと消えた。

しまった!今のもフェイントだ!

悟った時には左襟に手が伸びている。咄嗟に身を捻ったおかげで掴みは甘いけど、この体勢って…、まずい!

クマミヤ君は素早くボクの右方向に移動しつつ、体重をかけてくる。前に出していた右足はすでに絡め取られている。大外

刈りだ!

腰が引けた危ない状態だったけれど、ボクは倒されながら体を捩った。十分に襟を掴めなかったクマミヤ君の指が外れ、体

が離れる。倒されはしたものの、判定は有効。…あ、危なかったぁ…!

袖を取ったままのクマミヤ君は、体を生かしてそのまま押さえ込みに来た。でも、寝技は(ボクの強い希望により)先輩と

みっちりやっている。袖を取られた状態のまま、のしかかってきた相手と素早く体を入れ替え、後ろ襟を取る。突っ伏す格好

になったクマミヤ君は、慌ててカメになった。…こうなると無理に攻めるのはまずいか…。

守るクマミヤ君にボクが覆い被さった膠着状態を、審判を務めていた向こうの顧問が分ける。…やれやれ、仕切り直しだね…。

さっきのはやばかった。彼の得意技はたぶん大外刈り、考えてみれば前回もこれで綺麗に負けた。寸前で思い出せなかった

ら対処が遅れて一本取られるか、体勢を崩した状態に押さえ込みが来ただろう。崩しに対して足を大きく踏み出すのはNGだな…。

試合場の中央で再び向き合ったボクは、ちらりと先輩を見た。

先輩は自分が試合している時でも見せないような、凄く緊張した顔でボクを見ていた。真剣に見つめられているのがなんだ

か照れ臭く、そして嬉しい…。

合図が掛かり、意識を切り替え、ボクは声を上げてクマミヤ君と相対した。

再び組み合うと、さっきと同じように揺さぶりをかけられた。でも、これはなんとか対処できる。いや、波状の揺さぶりに

つけこむ隙すら見つけられる。さっきの攻防で有利な状況をひっくり返された事が効いているのか、彼はなんとなく動揺して

いるように見えた。

対して、ボクは冷静に相手を観察できている。上がり性だったボクは、これまで冷静さが自分の武器になるなんて思っても

みなかった…。

引き付けられ、左足を前に出す。予期していたけれど、これに対してクマミヤ君の右足がすっと動いた。…出足払いだ。や

っぱり、勝負を焦り始めてる。

この足をかわし、相手が体勢を崩した所から攻めに回ろう!ボクはすっと左足を引く。

が、足払いが来ない!?クマミヤ君の右足は、一瞬払うように見せかけて、クロスステップでボクの右足の外側にすっと踏

み込んだ。またフェイントだ!

一瞬動揺した隙に、クマミヤ君の体が素早く横に移動、左足を引いたせいで、ボクの足は右が前、さっきと似た体勢。…こ

れって…また大外刈りだ!

一瞬の判断で、ボクは右手でクマミヤ君の右襟を取り、引き手に合わせて引っ張り返しつつ、大きく踏み込んだ。丁度彼に

体当たりし、体を預けるような格好になる。胸を圧迫されて押し出された彼の吐息が、ボクの顔にかかった。

引き寄せ過ぎた足には大外刈りはかけづらい。力で押し倒すんじゃなく、タイミングを合わせて刈り倒す技だからだ。体ご

と当たって体勢を崩した事もあり、クマミヤ君の右足はボクの足を掠めて空を切り、体が前に泳いだ。

ここまでは何とか凌げた。彼も体勢を崩してる、…でも攻めるにはボクも体勢が…、

その時、体がほとんど勝手に動いた。左足を軸に体が時計回りに反転する。宙ぶらりんだった右足が滑るように移動し、相

手に背を向ける形になりつつ、ボクの体は前のめりになったクマミヤ君の体の下に入り込む。

引退するあの日、先輩との試合でオジマ先輩が使っていた軸足一本での体の入れ替えだった。ボクに出来るとは思ってもみ

なかったし、試した事もなかったけれど、体は勝手に、そして自然に動いていた。

クマミヤ君の右足が畳に戻る。仕掛けられつつある技に反応し、瞬時に踏ん張りを効かせたのは、やっぱり並の選手じゃな

い証だ。でも、これは背負い投げじゃない。

右襟を取った右手を肩に担ぎつつ、クマミヤ君の股間を腰の後ろを使ってほとんど垂直に突き上げ、左足で彼の左足を内側

から跳ね上げる。

先輩が惚れ惚れすると言ってくれた内股は、自分でも驚くほどの完成度で決まった。

「一本!」

襟を取ったまま、ボクは自分でも信じられない気分で、仰向けになったクマミヤ君の顔を見下ろしていた。畳の上で寝てい

る彼も、きょとんとした表情でボクを見上げていた。あまりにも綺麗だったから…、技をかけた方も、かけられた方も呆然と

していた。

ボクはのろのろと手を差し出して、彼はのろのろと手を掴んで「ども…」と礼を言って立ち上がった。お互いの顔に呆けた

ような表情を認め、僕達は揃って小さく吹き出す。

「早く位置に戻りなさい」

やばっ!先生に注意された僕達は、慌てて位置に戻って礼を交わした。



「お見事!」

戻るなりイイノ主将が笑顔で褒めてくれた。他の部員達も口々に歓声を上げた。

「おう!途中でひやっとしたが、大したもんだ!予想以上だったぜ!」

サツキ先輩はかなり興奮した様子で、ボクをがっしりと抱き締めてくれた。…うわ…!感激っ…!

「しっかし、内股に行った動き、オジマ先輩みてぇな足捌きだったな。いつ練習してたんだ?」

先輩が身を離してボクの顔を覗き込むと、主将も頷いた。

「そうだな。オレも同じように感じた。見た瞬間心底驚いたよ」

「実は良く分からないんです。勝手に体が動いたような感じで…」

アレをもう一回やってみろって言われても、できるかどうか…。

「ふ〜ん…。まぁ、後でみっちり復習だね。あれは大きな武器になる」

「だな。ちっと悔しいが、俺達にゃ真似できなかったからなぁ」

「え?そうなんですか?」

ちょっと意外…。確かに二人ともオジマ先輩とはスタイルが違うけど…。

「ありゃ体がかなりやっこくて、しかも関節がしっかりしてねぇとできねぇんだ」

「そうそう。加えて足腰の強さとバランス感覚も必要。オレもアブクマも足腰には自信があるけれど、柔軟性はいまいちだからね」

体の柔らかさは確かにちょっと自信がある。そういえばオジマ先輩、すごく体が柔らかかったっけ…。加えて足腰の強さと

バランス感覚…、これは走り込みと、先輩方にポイポイ投げられ、受身を取りまくったおかげで身についたものだ。

「…あ、そうか」

思わず呟くと、先輩方は一瞬顔を見合わせ、ボクの顔を覗き込んだ。

サツキ先輩とオジマ先輩の試合…。ボクはあれから何度も頭の中で再現した。ああいう試合がしてみたい。ただそんな憧れ

から何度も思い返していた。そのせいで無意識に、何度も思い描いていた動きを真似したのかもしれない。

そして、たぶんまだオジマ先輩のようにはいっていないけれど、体力面での土台はできあがりつつあったんだ…。

「どした?ジュンペー?」

「え?あ、いや何でもないですっ!」

もうちょっと考えてみて、それから先輩達に話してみよう…。もしもさっきのが身に付けられたら、ボクはきっと強くなれる…!

「それはそうとアブクマ、次お前だぞ?」

「おっといけねぇ…!」

主将に促され、サツキ先輩は慌てて試合場に向かった。

よっし、先輩の勇姿をしっかりと目に焼き付けながら応援するぞぉ!



見事な一本背負いで、相手の体が宙に綺麗な弧を描き、畳から高く澄んだ音が響いた。

「一本!」

開始から決着まで僅か5、6秒。一瞬静まりかえった会場から、拍手と大歓声が上がる。

相手校の部員達からすらも歓声を送られている当の本人は、顔色一つ変える事無く、襟を正すと、たった今投げ飛ばした相

手に手を貸して立ち上がらせる。

や、やばい…、先輩かっこよすぎですっ!

「ますます化け物じみて来たなぁ…、あいつ」

イイノ先輩が感心したような呆れたような半笑いで呟いた。

対戦相手と礼を交わし、周囲の視線も無頓着に引き上げてきたサツキ先輩は、しかしどこか不満げだった。

…まぁ、待ち望んでいた他校との試合、期待していたわりに秒殺しちゃったから消化不良なんだろう…。



この日ボクは4試合して全勝だった。結局、一番強かったのはクマミヤ君だったな。

先輩はもちろん3戦全勝。主将も4試合負け無し。まぁこの二人は心配するだけ無駄か。全体的に見ればウチの快勝、キダ

先生も満足げ。

一度学校へ戻ってからの解散になるので、ボクらはバス亭まで固まって歩く事になる。

校門を抜けようとしたその時、ボクはなんとなく視線を感じて振り返った。

「あ。クマミヤ…君?」

道着を着たままの黒熊が、道場を出て小走りに駆けてくる所だった。

「…今日は、ありがと…」

「え?い、いや。ボクの方こそ有り難う」

出し抜けに言った彼に応じ、ボクは何の用だろうかと考える。

「新人戦の時より凄く強くなってて、驚いた」

「あ〜、う、うん…」

…実はたまたま体が動いただなんて言えないなぁ…。

「…で…、謝りたかった」

「うん…。え?」

謝る?何を?疑問に思ったボクに、クマミヤ君はペコッと頭を下げた。

「オイラ、ほんとは階級上がったんだ」

「…え?え?」

「オイラ、今116キロある。だからほんとはキミと階級違うんだ」

え?それだと、本来彼はイイノ先輩と同じ階級?

「それって…、どうして?」

クマミヤ君は耳をペタンと伏せて、申し訳なさそうに続けた。

「キミの学校、強いから、勢いづかせる前に一勝上げるんだって、先生が…」

「…なんでわざわざボクにその事を?」

黙ってれば分かりっこ無かったのに…。尋ねてみたら、彼は再び頭を下げた。

「絶対言うなって言われてたけど、黙ってるのヤだった…。ほんとに…ごめん…」

あんまりにも小さく縮こまって謝るものだから、ボクは慌ててしまった。

「べ、別に良いよ。もう顔を上げて?ね?」

クマミヤ君は顔を起こし、上目遣いにボクを見つめた。

「怒ってない?」

「う〜ん。ちょっとビックリしたけど、怒ってはないかな。逆にちょっと自信ついたかも」

ボクは彼に笑いかけた。

「クマミヤ君、正直者なんだね?損しちゃうぞ?」

「正直者なんて…、オイラは卑怯者だよ…」

クマミヤ君は項垂れて呟いた。

「…だが、騙したまんまは嫌だったんだろ?」

急に聞こえた声に驚いて振り向くと、いつのまにかサツキ先輩がすぐ後ろに立っていた。

「せ、先輩?いつから…」

「いや悪ぃ…、お前がついてきてねぇ事に気付いてな。引き返して来たら何か話し込んでるみてぇだったんで、そこの校門の

陰で待ってたんだが、ほとんど最初から全部聞いてた」

先輩は決まり悪そうに頭を掻いた。

「で、だ。クマミヤ、だったか?」

「は、はいっ!」

クマミヤ君は先輩に名を呼ばれ、緊張したように直立不動の姿勢をとった。

「俺達に知れたって事は、そっちの先生にゃ黙っとけ。俺だって誰かに言うつもりはねぇ。公式戦になりゃ計量でズルなんぞ

できねぇんだ。今余計な波風立てる事はねぇやな」

「で、でも…」

申し訳なさそうに身じろぎしたクマミヤ君から視線を外し、先輩はボクを見た。

「ジュンペーもそれでいいだろ?」

「もちろんです!」

頷くと、先輩はクマミヤ君に向き直ってニッと笑った。

「今回は公式戦形式で階級別に試合組んでたが、普通の練習試合じゃ階級違ってても当てる事なんて珍しくねぇ。そう考えりゃ

別にズルでもなんでもねぇよ」

先輩はクマミヤ君の肩をポンと叩く。彼は一瞬身を強ばらせたけれど、先輩は優しい口調で続けた。

「ジュンペーにとっちゃ収穫の多い試合だったんだ。あんまし気にすんな。それと、もっかい言うが先生にゃ黙っとけよ?勝

手にバラしたなんて知れたら怒られんだろう」

「…あ、アブクマ先輩は、怒ってないんですか?」

不安げに尋ねたクマミヤ君に、先輩は可笑しそうに笑った。

「怒ってねぇよ。それに、お前みてぇな正直なヤツは大好きだぜ?」

恐縮したような顔で頭を下げたクマミヤ君の肩をもう一度ポンと叩くと、先輩は踵を返した。

「ジュンペー、先行ってんぞ?バスに遅れんなよ?」

「あ…、は、はいっ!すぐ追いかけますっ!」

先輩は肩越しに手を振ると、僕達を残してそのまま校門から出て行った。

「…良い先輩だね」

「うん。憧れの、そして自慢の先輩だよ」

ボクは笑いながらそう言うと、クマミヤ君はちょっと羨ましそうな表情を浮かべた。

「去年の中体連で試合見てから、オイラもずっと憧れてた」

「…そういえば、君はサツキ先輩の事、怖くないの?」

他校には、先輩の妙な噂を耳にして、無駄に怖がっている生徒も多い。クマミヤ君は先輩と向き合った時、緊張はしてたみ

たいだけど、変に怖がっている様子は無かった。

「噂は聞いてる。でも、オイラにはそんなに悪い人には見えない」

少し嬉しかった。何も説明しなくても、彼が先輩の事を誤解しないで見てくれた事が。

「…そろそろ行かなくちゃ。それじゃあ、また」

「うん。また…」

立ち去りかけたボクは、首を巡らせて彼の顔を見た。

「正直に話してくれて有り難う。試合、楽しかったよ!」

「…!…お、オイラも楽しかった!そして、ほんとにごめん!」

はにかんだような笑みを浮かべ、彼はまた頭を下げた。

階級が違って、彼とは公式戦での試合ができなくなるのが、少し残念だった。

「また会おうね!」

「う、うんっ!また!」

彼の笑顔に見送られ、ボクはドキドキしながら歩き出す。

…正直な所、ちょっとタイプだったし…、何よりもあのはにかんだような笑顔に少しだけグラッと来た。

ボクは歩きながら自分の頭をぽかぽか殴る。

…ああもうっ!先輩という人が居ながら!ボクの浮気者っ!