第十七話 「先輩への告白」(前編)
オレの名前は田貫純平。東護中二年生で、柔道部主将。名字のとおりの狸の獣人。
その日も、部活に向かう途中で先輩の姿を見かけた。
部活を引退してからというもの、先輩は同じクラスの人と一緒に帰る毎日が続いている。
名前は知らないけれど、白い猫獣人のかなり小柄な先輩で、サツキ先輩と並んで歩いていると、間違ったら親子にすら見ら
れかねない。仲はかなり良いみたいだ。彼と話している時は、先輩は大概笑ってて…。
…胸の奥がチリチリする…。これってやっぱり、嫉妬なのかな…。
「何してるんだい?タヌキ主将」
意外な声に振り向くと、すぐ後ろに猪の獣人が立っていた。
イイノ先輩。三年生で、前主将だった先輩だ。
「ははぁん、アブクマか。その様子だとまだ告白してないんだな?」
イイノ先輩は目の上に手で庇を作り、校門から出て行く先輩達を眺めた。
「そんな簡単に言えたら苦労しませんよ…」
「そうかな?オジマ先輩は出合って二ヶ月くらいで告白して来たけど?」
「…はい?」
「オレが入学した年の春、結構早くにだったなぁ…」
イイノ先輩は懐かしそうに目を細めて微笑む。
…口には出さないけど、恋人と遠く離れて寂しいだろうなぁ…。
「…なんて言って告白されたんです?」
「「正直に言う。俺はホモだ。お前に惚れた。良かったら付き合ってくれ」ってさ」
…な、なんてストレートな…!まぁ、オジマ先輩らしいって言えばらしいんだけど…。
「そ、それで…、先輩はなんて答えたんです…?」
「その時は「少し考えさせてください」ってね。当然だろう?いきなりだったんだぞ」
イイノ先輩は苦笑いした。
「で、結局、好きな女の子も居なかったし、もちろん付き合ってる相手も居なかったからな。数日は悩んだけど、結局オーケ
ーしたよ。…正直言うと、入部した時からオジマ先輩に憧れてたからな。丁度、入部したてだった頃のタヌキがアブクマを慕っ
てたような感じだったと思う。おっかなびっくり、でも興味深々、ってね」
「なるほど…」
「そんなだったから、告白された時は戸惑いもあったけど、やっぱり嬉しかったよ」
「嬉しかった、ですか…」
「受け取り方は人それぞれだと思うけどな。少なくとも、オレは嬉しかった」
先輩はそう言うと、オレの肩をポンと叩いた。
「じゃあ、そろそろ帰る。…焦らせるつもりは無いが、もう、あまり時間は残ってないぞ…?」
「…はい…」
イイノ先輩は手を振って、そのまま校門の方へと歩いて行った。
…そう、あまり時間は残っていないんだ…。
イイノ先輩の言葉で改めて実感した。もうじき11月だ。先輩が学校に居る時間は、残り五ヶ月…。
出会ってから、もう一年と七ヶ月も経っているんだ…。
思えば…、長い、長い片思いだな…。
それからしばらくして、オレは昼休みに三年生の教室を訪ねた。
今日は体育館や道場に電気系統の点検作業が入るから、平日にも関わらず、珍しく部活が休みなんだ。
実は前々から知っていたから、この日の為に心の準備をしておいた…。
「アブクマ君?たぶん屋上かな?ネコムラ君も居ないみたいだし…」
先輩の姿が見えなかったので、思い切ってドアの近くで話していた女子の先輩達に声をかけてみたら、綺麗な薄桃色の被毛
をした、兎獣人の先輩がそう教えてくれた。釣り目で少し気が強そうだけど、結構美人な先輩だ。
ネコムラというのは、最近いつも先輩と一緒にいる、あの人の事だろうか…?
「君、もしかして柔道部のタヌキ君?」
先輩は興味深そうにオレの顔を見つめる。いっこ上なだけなのに、ほんのり大人の色気を感じて少しドキッとする。
「は、はいっ。そうですけど…?」
先輩は口元を綻ばせた。
「やっぱり!彼ね、時々君の話をするのよ?こないだなんか銭湯の宣伝までしてたわ。よっぽど君のことが可愛いのねぇ。ア
ブクマ君が自分からクラス以外の誰かの話をするなんて珍しいのよ?内輪では内輪の話だけする。昔からそういう人だから、
後輩の話をするなんて少し意外だったわ」
可笑しそうに笑う先輩の前で、オレは恐縮してしまった。
確かに可愛がって貰ってるけど…。面と向かってそう指摘されると、嬉しいけどちょっと恥ずかしいかも…。
…ん?昔から?ふと気になって、オレはその先輩に尋ねてみた。
「先輩は、アブクマ先輩と付き合いが長いんですか?」
兎の先輩は微笑んだまま頷く。
「小学の6年間、クラスが一緒でね。そこそこ長い付き合いなのよ。私も…、君のトコの前主将、イイノ君もね…」
イイノ先輩の名を口にする時、先輩の表情と口調が微妙に変わったが、オレにはその微妙な変化が何を意味しているのか、
良く解らなかった。
「アブクマ君に用事があるんでしょう?早く行かないと昼休み終わっちゃうわよ?」
先輩にそう言われ、本来の用件を思い出したオレは慌ててお辞儀し、お礼を言った。
屋上に登ってドアを開けると、手すりにもたれかかっている先輩の後姿があった。
…その隣には、あの猫獣人の先輩…。
二人は東護の町並みと、その向こうに広がる海の方を眺めていた。何か面白い事を話していたようで、楽しげな笑い声が上
がっている。
その様子があまりにも楽しそうで、オレは声をかけるタイミングを計れないまま、その場に立ち尽くした。
…しっかりしろ!何やってるんだオレ!
しばらくすると、猫の先輩がサツキ先輩の方を向き、何か言いかけて口を開いた。その際にオレの姿が視界に入ったらしく、
猫先輩はオレを振り返る。そして数度瞬きした後、サツキ先輩の顔を見上げ、袖を引いた。
その仕草に、オレの胸の中で何かがザワッと蠢く。…分かってる、これが嫉妬って感覚なんだ…。
猫先輩に促されたサツキ先輩は、振り向いてオレの顔を見るなり笑みを浮かべた。その笑顔が、オレの中の黒い何かを洗い
流してくれる…。
「珍しいなジュンペー?お前も屋上で飯か?」
「あ、いえ!もう済みましたっ!」
先輩はオレを手招きした。先輩方も食事は済んだのだろう、足元に学食の紙袋が丸められていた。
歩み寄ったオレは、チラリと猫先輩の様子を窺う。かなり小柄で華奢な体付きだ。制服さえ着ていなければ、小学生って言っ
ても通用するんじゃないだろうか?
オレは先輩の顔を見上げ、用件を切り出した。
「あの…、先輩。お話ししたい事があるんですけど…」
「ん?何だ?」
「えっと、その…、ここではちょっと…」
口ごもると、猫先輩は二人分の紙袋を拾い上げて、サツキ先輩に声をかけた。
「僕、先に戻ってるけど、嫌いな社会だからって授業サボっちゃダメだよ?」
「判ってるって!」
笑いながら言った猫先輩に、サツキ先輩は憮然とした表情で応じる。猫先輩は「それじゃ」と言って、オレに軽く会釈して
階段を降りて行った。
…あの先輩、きっと気を利かせてくれたんだ…。
「で、何なんだ?話って」
彼の消えた階段へ視線を向けていると、オレの背中にサツキ先輩が声をかけてきた。
「あ!え、えぇとですね…。放課後、時間ありますか?」
「ん?ここじゃ話せねぇのか?」
「え〜と…。ま、まぁ、そうです…」
先輩は腕組みして頷いた。
「込み入った話なのか?判った。空けとく。場所はここで良いか?」
「は、はいっ!お願いしますっ!」
やった!とりあえず準備完了!…あとは、オレ自身がきちんと告白できるかだ…。
ソワソワしながら午後の授業を受けつつ、オレは頭の中で告白を反復練習する。いわゆるイメトレってヤツね。
イイノ先輩は、そのケが無くてもオジマ先輩の思いに応えられたんだ。オレと先輩だって、きっと大丈夫なはず…。
…でも、もしも断られたら?いや、それどころか、先輩はオレがホモだって知ったら、軽蔑するんじゃないだろうか?
ずっとひっついてた理由も、単に慕ってたってだけじゃなく、エッチな事考えて近付いてただけだって思われたら…。
「タヌキ!ぼーっとしてるんじゃないぞ!こことここに入る値、言ってみろ!」
オレが真剣に悩んでるっていうのに、先生は無神経に(というのも失礼か…)オレを指名した。
「X=6。Y=8です」
「…む、正解…。なんだ、ちゃんと聞いてたのか…」
オレが即答すると、先生は決まり悪そうな顔をして黒板に向き直る。
…誰か、こんな覚えても仕方ないような方程式じゃなく、恋愛の方程式を教えてくれないかな…。
「悪ぃ悪ぃ!待ったか?」
放課後、約束通り屋上で待っていたら、先輩がドスドスと走ってきた。
校内は走っちゃいけませんよ?先輩に体当たりでもされたら、ほとんど交通事故なんだから。
「いえ!今来たばっかりです」
なんとなく懐かしいやりとりだ。今年、中体連前に強行スケジュールに入るまでは、よく一緒に出かけて、待ち合わせ場所
でこんなやりとりしてたんだけどな…。
「で、どした?部の事で困った事でもあったのか?」
先輩はオレの顔を見つめてそう尋ねてきた。その顔は真剣で、本当にオレの事を心配してくれている。…あんな風に約束取
り付けたら、心配させちゃって当然だよね…。
「部の事じゃ…ないんです。その…、オレ個人の事で…」
オレは高鳴り始めた心臓の音を耳元で聞きながら、先輩の顔を見つめた。
喉がカラカラだ。手の平が汗でジットリする。緊張して、そして怖くて、足が震えそうになる。…逃げ出してしまいたい…。
「…何だ?俺で良けりゃ何だって相談に乗るぞ?話してみろよ」
オレの様子が普通じゃない事に気付いたらしい。先輩はオレの瞳をじっと覗き込んだ。
顔を背けたくなる。視線が泳ぎそうになる。それをぐっと堪えて、オレは先輩に質問した。
「せ、先輩は…、同性愛とかどう思いますか?」
オレはそう口にした後、堪えきれなくなって俯いた。
……………。
かなり長い間、先輩からの返事は無かった。思い切って視線を上げると、驚きに目を丸くしている先輩と目があった。
「…同性愛…、か…」
先輩はぽつりと呟いた。予想外の事を尋ねられ、動揺しているみたいだ。
…嫌悪感を持ってて当然なんだけど…、オレは胸の中で、できれば理解を示してくれる事を祈る。
「…アリだと思う。…って言ったら、お前はどう思う?」
今度はオレの目が丸くなった。先輩は今も、オレの目をじっと見つめている。
「気持ち悪いとか、そういう風には…、思わないんですか?」
「…別に思わねぇよ」
「た、例えば…、オレが…そうだとしたら…?」
先輩は黙ったまま何も言わない。どんな反応が返ってくるのか、考えるだけで怖くなった。…沈黙に耐えかねたオレは…、
「…オレ…、ホモなんです…」
…言っちゃった…!ついに言ってしまった…!もう、後戻りはできない…。
先輩はオレから目を逸らさずに口を開いた。
「そっか。全然気付かなかった…。ずっとそれで悩んでたのか?」
先輩はそう言うと、頭をガリガリと掻いた。その口調はいつもと全く変わらず、嫌悪するそぶりも、先程見せた微かな動揺
も消えていた。
「悪ぃなぁ…。もっと早く気付いてやれれば良かったんだろうに…。三年も抜けちまって、相談できる相手も居なくなってた
もんなぁ…」
先輩は済まなそうな顔でそう言った。その優しい声に、言葉に、表情に、オレの中にずっとわだかまっていた不安が溶かさ
れていった。
「気持ち悪くないんですか?オレの事…」
少し緊張しながら尋ねると、先輩は広い肩を竦めた。
「何でだよ?そんなのは好みの問題じゃねぇか」
「…でも…」
「好みがどうだってのは、他人がどうこう言う事じゃねぇよ。お前はお前、変わりねぇさ」
先輩はそう言うと、ニッと笑って見せた。
その笑顔で、この期に及んで迷い続けていたオレは…、
「…先輩…。オレ…」
いざとなったら、言葉に詰まった。あれだけイメトレしてきたのに!
「うん?」
先輩は笑みを浮かべたまま、オレの言葉を待った。
「…オレ!ずっと前から、先輩の事が好きでした!」
オレは先輩の目を真っ直ぐに見つめ、勇気を振り絞ってそう言った。
……………。
…オレの言葉を耳にしたとたん、先輩の表情が凍りつき、笑みが消えた…。
その顔に浮かぶのは驚き、動揺、そして…、
「…済まんジュンペー…。その気持ちには応えられねぇ…」
先輩は、硬い表情で、少し哀しそうにそう言った。
…分かってる…。
…分かってた…。
本当は、こうなるんじゃないかってどこかで思ってた…。
「…はは…。あはははは…」
オレの口から、発作的な笑いが漏れた。
「そ、そうですよね…。やっぱり、無理ですよね…。こんなの…はは。あはははははっ!」
何を甘い妄想を抱いてたんだろう?…馬鹿みたいだ、オレ…。こんなの理解しろって言う方が無理なんだ…。冷静に考えれ
ば、受け入れられっこないなんて、判ったじゃないか…。
「ジュンペー…。済まん…」
「あ、謝らないで下さいよっ!」
「…ジュンペー…」
先輩の悲しそうな声が、オレの心を掻き回す。
「なんで、なんで悲しそうな顔するんですか?他人とは違うオレが可愛そうだって言うんですか!?」
「違うんだジュンペー…」
済まなそうに言った先輩の言葉で、オレの中の何かが弾けた。
「何も…、何も違わないじゃないですかっ!先輩はオレの事が憐れなんだ!異質だって、普通じゃないって、可愛そうなヤツ
だって、そう憐れんでるんじゃないですかっ!」
「そりゃあ違う!ジュンペー、俺の話を聞け!」
オレの中で弾けた何かは、先輩の言葉でも治まらなかった。
「結局先輩は、理解あるふりをしながら、本当は理解なんてしてないんじゃないですか?」
「そんな事はねぇ!おい!ちょっと落ち着けよ!」
肩を掴んだ先輩の手を、オレは乱暴に振り払った。
「オレは冷静ですっ!…結局、自分が関わり合いにさえならないなら理解を示せるって、そういう事なんでしょう!?先輩が
理解できるのは、それが他人事だからで、自分が当事者になれば、やっぱり受け入れられないんじゃないですかっ!」
オレは、先輩に言葉を叩き付け、階段へ走った。
「待てジュンペー!話を聞いてくれ!」
先輩の声が後ろから追いかけて来る。それでもオレは振り返らず、階段を駆け下りた。
涙が留まることなく溢れ出し、頬を流れ落ちる。
階段を駆け下りる途中で、一階から昇って来た白猫の先輩とすれ違った。
訝しげな視線を向けて立ち止まった彼の脇を走り抜け、オレはそのまま学校を飛び出した…。