第十九話 「ゲンキンなヤツ…」
オレの名前は田貫純平。東護中二年生で、柔道部主将。名字どおりの狸の獣人。
…初恋は実らないって聞いた事あるけど、本当だったのかな…。
ありったけの勇気を振り絞り、憧れの先輩に告白したオレは、結局見事に玉砕した。
…もう付き合ってる人が居たなんて、全くもって想定外だった…。
それよりも想定外だったのは、先輩もオレと同じく同性愛者だったという事。そんなそぶり全然無かったんだけどなぁ…。
オレの、一年半以上に及ぶ片想いは終わった。
それでも、先輩とオレの関係は変わらない。
全く元通りとは行かないだろうけど、先輩はそれでもオレを可愛い後輩だと言ってくれた。
オレはあんな酷いことを言ったのに、怒るどころかオレに頭を下げて謝って…。
「どうした?ジュンペー。また考え事?」
気が付くと、柔道着に着替え終えた黒熊が、オレの顔を間近で覗き込んでいた。
「うわビックリしたっ!」
顔がかなり近かったから、思わず仰け反っちゃった。
「…なんか今日は、ずっとぼーっとしてるぞ…?」
オレの様子を見たダイスケが、首を傾げて呟いた。
球磨宮大輔。強豪、南華中柔道部の主将で、黒い被毛の熊獣人。身長は177センチで体重133キロ。真面目で素朴、実
に稽古熱心で、柔道もかなり強い。
オレ達が今居るのは、お寺の敷地内に建てられた小さな道場だ。
ちょっとしたきっかけで親しくなったオレ達は、カワグチ先生亡き後も、管理者である住職さんの好意で道場を使わせて貰
い、部活後にやってきては二人で稽古をしている。
「昨日、何かあったのか?」
どきっ!
「い、いや!別にこれといっては…」
ダイスケは鈍そうに見えて(大きなお世話?)結構鋭い…。
先輩に告白した昨日、オレは住職さんに彼への伝言をお願いして、稽古を休んだ。
…とても稽古できるような精神状態じゃなかったから…。
今日会うなり、ダイスケは「具合でも悪いのか?」と心配してくれたけど…。
「調子悪いなら、稽古止めとこうか?」
「いや、大丈夫だよ」
そう答えたけれど、ダイスケには納得した様子はない。
「部活の悩み事?」
「う〜ん…、そういうんじゃないんだ」
ダイスケは「むぅ?」と首を傾げ、それから頷いた。
「恋の悩み事か」
「え!?ちょ!?なんでそうなるの!?」
…図星…!本当に鋭いなぁダイスケ…。
「やっぱり」
「ち、ちが…」
否定しようとしたけれど、この慌て方を見ればバレるよなぁ…。
「…実はその通り…。誰にも言わないでよね?」
「言ったトコで、ウチの学校じゃ柔道部員以外はジュンペーの事知らないぞ。もちろん言う気もないけど」
ダイスケはからかうでもなくそう言うと、
「やっぱり、今日の稽古はやめとこう」
と言い出した。
「大丈夫だってば!体動かしてた方が気が紛れるし」
「集中できないで怪我とかしたら困る。…先生が見ててくれてる訳じゃないんだし…」
ダイスケは少し寂しそうな顔で、道場の奥に置いてある、カワグチ先生の座布団を見遣った。
彼は、あの日オレの前で泣いたのを最後に、辛そうな素振りはほとんど見せなくなった。…オレも見習わなくちゃな…。
オレは仕方なしに頷いた。ダイスケの言うことももっともだったし、怪我のもとになるから気を抜いた稽古はするなって、
2つ上のオジマ先輩からも何度も言われてたしね…。
オレは着替えるのを止め、畳の上に腰を下ろした。
「…ダイスケさ…」
「うん?」
ダイスケも畳の上に腰を下ろす。丁度オレと向かい合わせになる形だ。
「誰かを好きになった事、ある?」
「ある」
即答!?驚いて彼の顔を見ると、恥ずかしそうに顔を背けた。
「誰かと付き合ったことは?」
「ない」
またも即答。
「今も、好きな人は居るの?」
「居る」
言葉短く応じたダイスケに、オレは奇妙な事に連帯感のようなものを覚えた。
ダイスケも、告白する決心がつかないで居るのかな…?
「早めに言っちゃった方が良いよ。でないと、オレみたいに先越されちゃうぞ?」
ダイスケはオレの顔を見ながら、少し驚いたように呟いた。
「失恋したのか?」
「え!?何で分かったの!?」
「今、そんな事言ったし…」
…う!…語るに落ちるってヤツか…。余計な事まで言っちゃった…。
「う、うん…。まぁ片想いから玉砕の連携だったんだけどね…」
ダイスケは「ふ〜ん…」と頷いた後、
「アブクマ先輩、恋人居たんだ…」
と、意外そうに呟いた。まぁ確かに意外だったけどさ…。
「うん。サツキ先輩と同じクラスの先輩だった。…ちょっと不思議な感じがするけど、凄く良い人だったよ…」
「そうか…」
…ちょっと待て。
「…だ、ダイスケ?」
「うん?」
「何でオレが先輩に告白したって知ってるの!?」
「え?だって、アブクマ先輩の事、好きだったろ?」
「そうだけど…。じゃなくて、だからなんでそれを知ってるの!?」
ダイスケには、オレが同性愛者だって事を話したことはない。もちろん先輩に恋をしていた事だって言ってない。なのにな
んで!?
「態度を見てて気付いた。ジュンペー、アブクマ先輩の事を話す時、表情が違うから」
うそ!?そうだったの!?顔が赤くなるのを感じ、オレは俯いた。
「…い、いつから気付いてたの?」
「ジュンペーが、ここに来るようになってすぐくらい」
…そんなに前からバレてたのか…。
「その…、この事は、…だ、誰にも言わないで…」
「うん。言わない」
ダイスケは言葉少なく応じて頷く。彼はいつもとまったく同じ調子だ。…オレの事、気持ち悪くないのかな?
…って、考えてみれば、オレがホモだってずっと前から気付いてたのに、これまでずっと嫌な顔一つ見せた事はない。つま
り、理解してくれてるって事かな?
「ダイスケ、聞いてくれるかな?」
「…うん」
オレは、普通の人には決して言えない自分の片想いと、その結末を、ダイスケに打ち明けた…。
「…という訳で、田貫純平、見事玉砕致しましたっ!」
オレはダイスケに、事の顛末を全て話して聞かせた。
最初は少し恥ずかしかったけど、途中からはほとんどやけになって、終わり際にはかなりテンションが高くなっていた。
「…あ〜、全部喋ったらなんだかスッキリした…」
苦笑いしたオレに、ダイスケも苦笑で応じた。
「もう、未練ないのか?」
ダイスケの問いに、オレは少し考える。
「全然ないって訳じゃないよ。でも、諦めようって決めたんだ。時間が経てば、きっと…」
…そう、きっと…、この胸の苦しさも薄れてくれるはずだ…。
「あ〜あ!ヘビーな片想いでしたっ!」
オレは畳の上にごろんと仰向けになった。
「ダイスケはさ、オレみたいなの、どう思ってるの?」
「どうって…?」
ダイスケは困ったように黙り込む。
…まぁ、オレがホモだって気付いてても、稽古続けてくれてたんだし、本当に何とも思ってないんだろうな…。
「ま、それはいいや。ところでさ」
オレは身を起こし、質問を変えた。
「ダイスケの好きな相手の事、教えてよ?」
「え!?」
ダイスケははっきり分かるほど動揺する。
「オレは全部話したんだよ?いいじゃん聞かせてよ?減るもんじゃないし」
ま、オレが勝手に話しただけなんだけどね。ちょっとからかってみただけ。
「う〜ん…、オイラだけ黙ってるのも不公平か…。分かった。話す」
っておぉい!?話してくれるの!?
これ幸いとばかりに、ムクムクと大きくなる好奇心!っと不謹慎だねこれ…。よっし!ここはこのジュンペー君が恋愛相談
を承りましょう!(建前)
オレはさっそくダイスケに尋ねた。
「獣人?人間?」
「獣人」
ふむふむ…。
「どんなとこが気に入ったの?」
「…優しいとこ…かな…」
ほうほう…。ダイスケは恥ずかしそうに俯く。うひひ!照れちゃって!
「その相手ってさ、年上?年下?」
「同い年」
「おっ!同じクラスの子?」
「いや、違う学校…」
「へぇ〜、意外…!他の学校の生徒とも交流あるんだ!?」
「ま、まあな…」
って、考えてみればオレ達も学校違うんだよね。ダイスケって結構他校生とも交流する方なのかな?そうは見えないけど…。
「どこの学校なの?」
「そ、それは…」
ダイスケは俯いたままモジモジする。
「…トーゴ…」
「え!?」
驚きのあまり、オレは思わず声を上げていた。
「東護なの!?同い年ならオレが知ってる子かも!」
「…うん。ジュンペーも知ってる…」
「ええっ!?」
さらに驚いた!オレと同学年で、獣人で、優しい子…。しかもオレも知ってる子!?
誰だろう?オレも知ってる子って事は、ひょっとするとクラスメートかも!となれば候補は三人…。…あれ?優しい女子っ
てウチのクラスに居る…?
頭に浮かんだのは陸上部の雌豹と、バスケ部の雌虎と、ソフト部の雌牛…。
いずれも気が強く、はっきり言って優しくないな。…どうでも良いけど三人ともサツキ先輩のファンだったりする。
「あ〜!分かんないや!その子とは良く会うの?」
「…うん…」
ほほぉう…。って事はなんだろう?小学校が一緒だったとかそういう関係?
「じゃあオレと二人で稽古なんてしてたらダメじゃん。会えなくなっちゃうだろう?」
笑いながらそう言った瞬間、オレの胸にチクリと痛みが走った。
…なんだろう?今の…?
…ああ、そうか…。オレ、ダイスケとの稽古、凄く楽しみにしてるもんな…。
「ううん。会えるから」
「え?どこで?」
ダイスケは俯いたまま、ぼそっと何か言った。あんまり小さな声だったから、何を言ったのか全然聞こえなかった。
「う〜ん…、だめだ!分かんない!教えてよダイスケ。誰にも言わないから!」
「……………」
ダイスケは俯いたまま黙り込んだ。う〜ん、そこまでは話せないか…。
「…一年前に、初めて会ったんだ…」
聞き出すのを諦めようかと思い始めていると、ダイスケがぽつりと言った。
「その頃は、何でもなかった…。でも、今年になって、初めて話をして…、それから会う機会が増えて…、気が付いたら好き
になってた…。でも最初は、それが好きって感情だって事が分からなくて、ただ、なんとなく気になってた…」
彼は顔を伏せたまま、ぼそぼそと続ける。
「…オイラが落ち込んでた時、凄く、優しくしてくれたんだ…。その時にオイラ、好きになってたんだって、はっきり分かった…」
ダイスケは恥ずかしそうに身じろぎした。
「でも…、好きって言ったら、迷惑だと思って、ずっと黙ってた…。好きな人が居たみたいだったから…」
…そっか…。ダイスケ真面目だから、相手のことも考えちゃって、告白する事ができなかったんだ…。
「ねぇ、告白しちゃいなよ!きっと、相手もダイスケの事を好きになるって!」
「そう…かな…?」
「うん!ダイスケかわいいし!」
「か…わいい…?」
「うん。そうやって恥ずかしがってる仕草とか」
そう言ったら、ダイスケはなおさらモジモジし始めた。ほんと、かわいいなぁ…。
「…分かった…。告白、してみる…」
「うん!きっとうまく行く!」
あ、でも…、ダイスケに彼女ができちゃったら、今みたいに頻繁には会えなくなるか…。それはちょっと寂しいな…。
って、ダメダメ!応援してあげなきゃ!ダイスケは良いヤツだ。幸せになってもらいたい。オレに付き合ってチャンスを棒
に振るなんてダメだ!
「すぐ会えるの?決心が変わらない間に言っちゃった方がいいよ。でないとオレみたいにズルズル先延ばしになっちゃうぞ?」
「…うん…」
「じゃあ、明日は稽古休みにしよう。告白、行ってみてよ!」
「ううん。明日にはしない…」
「う〜ん、やっぱり急過ぎるか…。でも、あまり先延ばしにしてもダメだよ?」
「うん。延ばさない…」
…ん?って事は…?
「もしかして、今日行っちゃう?」
オレの問い掛けに、ダイスケはコクリと頷いた。おおう!即決!
「もしかして、すぐ会えるの?」
ダイスケはまた頷く。
「もしかして、近くに居るの?」
ダイスケはまたしても頷く。そして呟いた。
「…オイラの…目の前に…」
……………え?
ダイスケは顔を上げた。目が不安そうな光を湛え、潤んでいる。
「…ジュンペー…。オイラ…、ジュンペーが好きだ…」
…え?…え?
「でも、ジュンペーがアブクマ先輩の事を好きだって分かってたから…、オイラ…」
…ダイスケが?オレの…事を…?
「ジュンペーは大事な友達だから…、幸せになって欲しかったから…、ずっと、我慢してようって思ってたけど…」
…そんな…?…オレ…、全然気付かなかった…。
「…オイラ…、卑怯者だ…。ジュンペーがアブクマ先輩と付き合えなかったって知った時、本当は少しほっとした…。そして、
失恋したばっかりのジュンペーに、今こんな話をしてる…。ほんとに卑怯者だ…」
ダイスケは耳を伏せて、視線を落とした。
「こんな時に、ごめん、ジュンペー…。…でも、オイラ、ジュンペーが好きだ…」
……………。
「謝らないでよ…。謝らなきゃいけないのは…、オレの方だ…」
声が掠れた。…先輩が、あんなにも謝った理由が良く分かった…。
自分が気付いてあげられなかったって事…、こんなにも罪悪感を覚えるものだったんだ…。
オレ…、ダイスケの気持ちに気付いてあげられないくらいに、先輩の事しか見えてなかったんだ…。
いや、違う。…自分の事しか、考えられなくなってたんだ…。
「ごめんね…。今まで気付いてあげられなくて…、ごめんねダイスケ…。そして、ありがとう…」
ダイスケは視線を上げ、上目遣いにオレを見た。
…いつもかわいいと思っていたあの顔で…。
「…あ…」
オレはダイスケの顔を見ながらその事に気付き、思わず声を漏らしていた。
…な〜んだ…。
先輩の事を諦めてやっと気付いた。
…そっか…。オレも、ダイスケの事が…。
「ぷっ…、くっ…!ふふふふふ、…あはははは!」
笑いの発作に襲われたオレを、ダイスケは目を丸くして見つめる。
「あはははっ!ダイスケ。オレ、すごくゲンキンなヤツだよ!今更、オレもダイスケが好きだった事に気が付いた!」
「じゅ、ジュンペー?それじゃあ…」
ダイスケの目に、戸惑いと、期待と、不安が入り交じった色が浮かぶ。
「ダイスケ、こんなオレの事を好きになってくれて、ありがとう!」
「ジュンペー…!いいのか?その…、オイラなんかと…?って、わわっ!?」
オレはむちゃくちゃハイになってダイスケに抱き付いた。
あんまり勢い良く飛びついたものだから、ダイスケは仰向けにひっくり返ってしまった。
オレは仰向けのダイスケの上に覆いかぶさる格好で、顔を覗き込みながら笑った。
心の底から嬉しかった。
誰かに好きだって言って貰えることが、こんなにも嬉しい事だなんて初めて知った…。
「嬉しいよダイスケ!オレ、凄く嬉しい…!」
「お…オイラも、嬉しい…!」
至近距離で顔を見合わせたまま言ったオレに、ダイスケははにかんだような笑みを浮かべてそう答えた。
ダイスケの事が好きになれるのは、先輩の事を諦めて寂しかったから?
いや、そうじゃないと思いたい。
そんな気持ちでオーケーしたなら、ダイスケに対してあまりにも失礼だ。
「…ダイスケ…。好きだよ…」
「オイラも…、ジュンペーが好き…」
ダイスケは首を起こし、顔を近付ける。ドキドキしながら、オレはダイスケの唇に、自分の唇を重ねた。
こうして、オレとダイスケは重なり合ったまま口付けをした。
たぶん初めてだったんだろう。(オレだってまだこれが二回目だけど…)舌を入れたらダイスケは驚いたようにビクッとした。
舌を絡ませ合う長いキスの後、オレ達は唇を離し、微笑みを交わした。
「改めて、これからもよろしくね、ダイスケ」
「う、うん!よろしく、ジュンペー!」
オレ達は再びキスをした。
今だけは、天国から見守ってくれてるカワグチ先生が、よそ見をしてくれている事を願いながら…。