第二話 「驕りの代償」

「ねぇ、ウエハラ君」

昼休み、聞き慣れた声に話しかけられ、おれは読みかけの雑誌から顔を上げた。

大柄な黒牛がおれを見下ろし、幼さの残る顔に笑みを浮かべている。

こいつはゲン。クラスメートであり柔道部の仲間。大柄な体に似合わないおっとりした性格をした黒毛の牛獣人だ。スポー

ツはあまり好きじゃないらしいが、体力はかなりある。…なお、たぶんうちのクラスで一番勉強ができる。

「明日はいよいよ練習試合だね?」

「そうだな」

「ぼく、なんだかドキドキして来ちゃった…」

あ、そうか。こいつ中学から柔道始めたから、部活の仲間以外と練習するのは初めてだったな。

「心配しなくて良いって。どうせおれら一年生は、先輩方と違って、勝って弾みを付けるって目的でやる訳じゃないんだから

さ。気楽に行こうぜ、気楽に!」

「う、うん。そうだよね」

他人を励ますなんてガラにもない真似をしてしまったが、こいつと話しているといつもそうだ。ゲンはガタイはいいが少し

気が弱い。だからなんとなく放っておけなくなる。

ゲンは口べたなせいか、おれ以外のクラスメートには気軽に話しかける事もしないし、何かあると何故かいつもおれを頼っ

てくる。…ま、頼りにされて悪い気はしないけどな…。

「さて、そろそろ学食空いただろうし、昼飯食ってくる。ゲンもまだだろ?一緒に行くか?」

「うん!」

雑誌を置いて立ち上がると、ゲンが嬉しそうに頷いた。

おれは上原犬彦。東護中一年生で、柔道部所属だ。秋田犬の獣人だが、いまいち背が伸びないのが密かな悩み…。



安心させるためにゲンにはああ言ったものの、実はおれ、明日の練習試合に結構マジになってたりする。

自慢じゃないが、おれは一年の中じゃ一番強い。実際に本気で試合した事はないが、二年の先輩達の内、半数以上にも勝て

ると思う。…まぁ、タヌキ先輩は別だ。あの人強過ぎる。さすがに主将と副主将程バケモノじみてはいないが…。

そんな訳でおれは、密かに今年の中体連の出場なんか狙ってたりもする。

中体連には全員が出られる訳じゃない。ましてやおれは獣人。人間しかメンバーになれない団体戦にはエントリーできない

ので、個人戦獣人の部の出場を目指すしかない。しかしこの個人戦、出場枠の問題もあるので、一校からエントリーできる選

手数には限りがある。

つまり出場するためには、二年の先輩方の大半よりもおれの実力の方が上だという事を、周囲に認めて貰う必要があるのだ。

そんな時に顧問のキダ先生が発表した、他校との練習試合を毎週組んだ集中強化メニューは、おれにとっては正に渡りに船

だったわけだ。

練習試合で他校の部員を相手に活躍して見せ、俺の実力を認めて貰おう!



「一本!」

おれの華麗な内股が炸裂し、審判が声を上げた。

よし!良い調子だ!と、心の中でガッツポーズを取りながらも、努めて平静に、何でもないような顔をし、対戦相手と礼を

交わす。

「凄い!凄いよウエハラ君!かっこよかった!」

「そんな大した事じゃないって」

出迎えたゲンが興奮した様子で褒めてくれた。嬉しかったが、ここは我慢して何でもないような顔をする。この程度は勝っ

て当然と思っている印象を周囲に…、

「嬉しい時は、素直に喜んで良いんだぜ?」

唐突にかけられた声に振り向くと、アブクマ副主将がおれ達を見下ろしていた。

「何にしても、まずは一勝おめでとよ!大したもんだぜさっきの内股。綺麗さで言ったらジュンペーと良い勝負だ」

うはぁ!あの副主将に褒められちゃった!が、ここは冷静に冷静に…。

「いや、あのくらいはできて当然ですから」

平静に対処しようとしたおれに、副主将はニッと笑った。アブクマ副主将は、顔は恐いが、笑うと愛嬌のある顔立ちになる。

「なら、尻尾にもそう言い聞かせとけ」

しまった!おれの意志に反し、尻尾は勝手にパタパタと動いていた。慌てて尻に手を回して尻尾を押さえると、副主将は豪

快に笑う。

「もうじきコゴタの番だな。あんまり気負わねぇで行ってこい。ウチの部員以外との試合は初めてなんだからよ」

「は、はいっ!」

副主将に励まされ、ゲンはビシッと直立不動の姿勢をとる。

「…にしても、プレッシャーとか感じねぇんだろうなウエハラ。誰かさんとは大違いだ…」

副主将はポツリと呟くと、首を巡らせて壁の方を見た。

そこには、壁に両手をついて項垂れているタヌキ先輩の姿。…なんだかかなり顔色が悪いような…。

軽く手を上げておれ達から離れ、副主将はタヌキ先輩の方へ歩いて行った。

…もしかしてタヌキ先輩、上がり性なのか?



数分後、ゲンは上気した顔で帰ってきた。

「良かったぜゲン!」

「う、うん…!…ありがとう…!」

さすがにまだまだ初心者、動きはぎこちないし、技のかかりも浅い、きれも良くないが、ゲンの試合は手放しに褒めてやり

たい内容だった!



ゲンの相手ももちろん一年、結構ガタイの良い猪の獣人だった。恐らく初心者だが、名門、南華中の生徒だ。かなり動きが

良かった。

立ち会いで深く襟を取られたゲンは、上がっていた事もあって慌てた様子だったが、そこは体格がカバーしてくれた。

大外刈りをしかけた相手に、ゲンは反射的に腰をぐっと落とした。大外刈りは脚で倒す技じゃない。十分に上半身を引き付

けて、崩されかけた体勢を立て直そうとする相手の体重移動を逆手に利用して倒す技だ。逆に言えば上手く引き付けられれば、

多少脚をかけるのが遅れても十分に倒せる。だが、気が逸っていた相手はゲンの体勢を十分に崩せないまま、強引に仕掛けた。

ゲンは確かに初心者だが、判断は良い物を持っている。腰を落としてどっしり構えた100キロ超を、脚一本かけたぐらい

でどうこうするのは難しい。

相手が刈りに来た足は、ゲンの足を払うには至らず、逆につんのめるようにゲンに体を預けるような格好になった。

刈り足を堪えたゲンは、相手の襟をしっかりと取り直し、のしかかるように体重をかけた。相手は踏ん張ったが、それは引

いている足に体重をかけた不安定なものだ。出ている方の足を、ゲンはチョンと引っかけた。それだけで相手は体勢を崩し、

ゲンが押し倒すような形で二人は畳の上に倒れる。

変則の出足払い。ゲンの判断がもう少し速ければ、そのまま決められただろうけど、あいつにはこれがデビュー戦、いかん

せん経験不足だ。そこは仕方がない。

が、ゲンの褒められるべき所は、正にここからだった!

もつれ合うように倒れた後、ゲンは即座に動いた。自分が上になって倒れ込んだ後、相手がカメになる前に、相手の脇につ

いた右手を支点にぐりっと体を入れ替える。相手の手首を取り、腕を極めるその動きは滑らかで、自然で、まるで経験者のよ

うだった。

それは、模擬戦と称されたおれ達の練習の中で、手本に見せてやった腕ひしぎ。ほんの数回見せてやっただけなのに、ゲン

の動きは初心者とは思えない滑らかさだった。

腕を完全に極めたゲンは、相手の顔を窺った。呆然とした様子だった猪の顔には、一瞬遅れて苦痛の表情が浮かんだ。

「そこまで!」

審判が止めるよりも僅かに早く、ゲンは相手を気遣ってか、腕を放していた。…あいつらしいけど、勝手に離れちゃ駄目だっ

て後で言っておくべきだよな。

まぁ、詰めが甘い所や攻め切れてないところはあるが、うん。良くやったぞゲン!



イイノ主将とアブクマ副主将は言うに及ばず、タヌキ先輩はなんと、昨年の新人戦優勝者、球磨宮大輔(くまみやだいすけ)

選手を下してのけた。

このしばらく後にタヌキ先輩自身の口から聞いた事だが、快活でムードメーカー的なこの先輩、実はこの時期ぐらいまでは

極度の上がり性だったらしい。意外過ぎてにわかには信じられなかったよ…。

相手が僅かでも隙を見せれば即座に崩して決める。攻めも守りも無駄の少ない、速攻戦が印象的なイイノ主将。

隙なんて関係なく強引に揺さぶりをかけ、雪崩のように巻き込んで押し潰す、ド迫力のアブクマ副主将。

体格こそ比較的小柄なものの、機敏な動作と巧みな足捌き、柔軟な連携で相手を翻弄するタヌキ先輩。

他流試合を見て改めて実感したが、この三人が間違いなくウチの部の三強だろう。

…今のままじゃ全然敵わないけれど、いつかはおれだって…!



「あ。おはよう!ウエハラ君!」

「…おう。おはよう。ゲン…」

休日あけの月曜。登校中のおれにドスドスと駆け寄り、ゲンは笑顔で声をかけてきた。対しておれは欠伸混じりに応じる。

月曜ってなんか気が重いだろ普通?なのに、何故かゲンは朝から元気だ。何か良いことでもあったのかこいつ?

五月下旬。強豪校との練習試合と内容の濃い稽古のおかげで、ゲンもおれもずいぶん鍛えられた。おれはもちろん他校との

試合でバンバン勝ち、部内での株を上げている。

先輩達のおれを見る目も変わってきている。…ような気がする…。

「ねぇ、今日の練習でさ、その…」

並んで歩きながら、しばらく他愛のない話をした後、ゲンは声を潜め、少し恥ずかしそうに言った。

「何か、技を教えてくれない?」

「は?技なら三年の先輩達に教わればいいじゃん?」

「え?う、うん…、そうなんだけど…」

ゲンは何やらモジモジした。

「…君に…教えて貰いたいなぁ…なんて…」

「え?何?」

丁度この時、女子の団体がキャーキャー騒ぎながらおれ達を追い越して行ったので、ゲンの言葉はおれには聞こえなかった。

「え、えぇと…」

「あ〜、遠慮してるんだな?先輩達、最後の夏に向けて猛稽古してるもんなぁ」

確かにゲンの性格からすれば頼み辛いだろう。そう納得した俺は、

「うん。いいぜ」

「本当?ありがとう!」

深く考えずにゲンの申し出を受け入れ、その本当に嬉しそうな笑顔に、笑みを返した。

…それが、あんな事になるなんて、思ってもいなかったから…。



その日の放課後、一礼して道場に入ったおれとゲンは、誰も居ない静かな道場を見回した。どうやら一番乗りだったようだ。

「着替えて先に柔軟してようぜ」

「うん」

おれとゲンは更衣室に歩み寄り、そして気付く。ぼそぼそと、誰かの声が聞こえる事に。…これは、更衣室の中からか?

顔を見合わせ、そーっと近付いたおれ達の耳に、イイノ主将の声が聞こえてきた。

「…だ。どう思う?」

「どうって、お前と先生が決めりゃ良いじゃねぇか。そんな事俺に聞くなよ」

何かを問い掛けたイイノ主将に応じたのは、アブクマ副主将の声。…何の話だろう?

「意見を聞きたいんだよ。お前の直感はあてになる」

「う〜ん…」

副主将はしばらく黙り込み、それから言った。

「まだ一年だが…、ウエハラ、だな。あいつは群を抜いて強ぇ。タヌキもえらくあいつを評価してる。もちろん俺も期待してる」

突然出てきた自分の名前に、おれは耳をそばだてた。

「そうか…。実はオレも先生も迷ったんだが、最後の一枠、ウエハラにしてみるか」

これって、まさか…、中体連の出場選手枠の話か?

「す、凄い…!ウエハラ君、大会に出られるのかも?」

小声で囁いたゲンに、人差し指を立てて静かにするよう促し、おれは再び耳をそばだてる。というのも、アブクマ副主将が

何か口にしていたからだ。

「最後の一枠じゃなけりゃ、もう一人推してぇヤツが居たがな」

「ん?誰だそれ?」

もう一人、おれ以外にもアブクマ副主将に期待されているヤツが居る?

「コゴタだ」

おれとゲンは、目を丸くして顔を見合わせた。

「コゴタ?…確かに良い物を持っているとは思うが…。気が優し過ぎるところがネックだな…。試合中、倒すその瞬間にまで

相手を気遣っている」

…言えてる…。見れば、ゲンは耳を伏せて困ったような顔をしていた。

「あいつは化けるぞ。手前味噌になるが俺と似てる」

「ははは!言えてるかもな!」

イイノ主将は可笑しそうに笑った。

おれとゲンは、また顔を見合わせた。ゲンが副主将と似たタイプ…。確かに、ガタイの良いゲンにはアブクマ副主将と似た

スタイルの柔道も向いているかもしれない。

「ま、そんなだから、一回公式戦に出して、少し気になる緊張癖を取ってやれりゃ良いかと思ったんだが…、一枠なら仕方ねぇ

やな」

「そうだな。まぁ新人戦もある。…オレ達が居なくなった後の話になるが…」

二人はそれっきり、しばらく黙り込んだ。…大会が終われば、三年生は引退する。きっと、二人も寂しいんだろう…。

「さて、さっさと着替えるか、そろそろ皆も来る」

「ああ」

更衣室内でゴソゴソ始まったので、おれとゲンは目配せし、今の話は内緒にしておこうと確認した。

それから少し待って、タイミングを計ってから更衣室に入った時には、主将達は着替えを終え、何事もなかったような顔で

おれ達を迎えた。

…頑張ってきた甲斐があった。おれ、先輩達に認められてるんだ!



「…で、引き手をこう、反対の手を相手の脇の下に入れながら…、こう、こんな具合に体を捻りながら、腰を相手に密着させ

る。で、…よっと!腰の後ろに乗っける感じで相手を吊り落とすのがぁっ…!」

「うわ、わわわっ!」

ドシン!と、ゲンが畳の上に転がった。

「はぁ、はぁ、これが大腰…!」

ゲンに手を貸して起き上がらせながら、おれは乱れた息を整えた。

稽古が終わった後の道場で、おれは約束通り、ゲンがまだ覚えていない投げ技を教えてやっていた所だ。

ほんの少しだけ、と、戸締まり担当のアブクマ副主将とタヌキ先輩に頼み込み、二人がシャワーを使っている間に二人だけ

で道場を使っている。「何かあっても困る」と言って、副主将は自分が見ていると言ってくれたが、見られていたら緊張して

やり辛いので、半ば強引にシャワーに行ってもらった。何かなんてあるわけもないし。

ゲンが知りたがったのは、アブクマ副主将の十八番、大腰だ。実はこの技、おれはあまり得意じゃない。見本としてはあま

り上等なものじゃ無かったな…。

この大腰、結構決め辛い技だったりする。使い辛いというか、普通はもっと他の、例えば動作に入りやすい技で連携を組ん

だ方が、効率が良い場合が多いからだ。

副主将は何かこだわりがあるらしく、大腰を得意技としているが、副主将の決める大腰は確かに違う。

組み合った状態から腕が一瞬で相手の脇の下に入り、体を捻った次の瞬間には、大きな体全体で回転運動に巻き込む。どっ

しりと構えた下半身、その腰の後ろに乗せられた相手の足が、風を切って綺麗な円を描き、一瞬の内に畳に落とされる。その

様はまるで風車のようで、実に綺麗で見とれてしまう。

確かにゲンは体格も良いし、アブクマ副主将のように大腰を使えるかもしれないが…。

「やっぱり他のにしないか?」

「えぇ〜!?」

おれの意見に、ゲンは不満そうだった。

「無理に止めとけとは言わないけど、何で大腰なんだ?」

「え?…だって、アブクマ副主将、強いし…」

まぁ、副主将に憧れる気持ちは分かる。強いし。かっこいいし。大人だし。でもなぁ、技を真似たから強くなれる訳じゃ…。

考え直すように言おうかと思ったが、やっぱり止めた。

先輩の見せた技に憧れて、物にしようと夢中になって稽古する…。柔道を始めた頃、そんな経験はおれにもあった。そんな

夢中になれる稽古は、凄く身になるものだから。

そんな事を考えていたら、その夢中になって練習した技を、ゲンに見せてやりたくなった。…結局、おれには扱い切れてい

ない技だけど…。

「よし!それじゃあおれの秘密兵器、見せてやろうかな!」

「え?どういうの?」

興味津々に言ったゲンに、おれは悪戯っぽく笑ってやった。

「手合わせしようぜ?その中で見せてやるよ」

「えぇ!?ぼくじゃウエハラ君に敵いっこないよぉ…」

「良いじゃん、これも稽古だ!」

おれはゲンを促して向かい合い、試合を意識して一礼する所から始めた。

ゲンは、おれが思っていたよりもずっと強くなっていた。

努力家で、真面目で、何より…おれとは違って体格に恵まれている。…その事を考える度、チリッと、胸の奥で何かが焦げ

つくような感覚があった。…嫉妬…なんだろうな、これ…。

組み手を争い、有利な形で襟を取ったのは、経験で勝るおれだった。…なのに…、

「…くそっ!」

おれは舌打ちして乱暴にゲンの腕を払った。おれの腕に上から被せて襟を取ったゲンの方が引き手が強い。足捌きも体移動

もおれの方が上なのに、ゲンを崩せない。

実戦経験も、柔道歴も、おれの方が…!

おれは約束通り、ゲンにそれを見せてやる事にした。

右奥襟を右手で取り、襟を取りに来たゲンの腕をかいくぐり、おれは身を低くしてゲンの脇を抜ける。

左手を回して腰帯の後ろを掴み、一瞬おれを見失ったゲンの背後に回り込みながら、体を反転させる。

一旦放した右手で、ゲンの後ろ襟を取る。

肩車。それが、おれが一生懸命練習した技の名前だ。あとはゲンの体勢を崩すばかりになったその時、脳裏に、昔同門生に

言われた言葉が浮かんだ。

「小さいお前じゃ、無理だよ」

おれは歯を食い縛り、勢いをつけて襟を掴んだ腕を引き下ろし、腰に肩を当てて押し、体勢を崩したゲンを両肩に担ぎ上げる。

無理なもんか!おれだって、おれにだって…!

ゲンが想像以上に強くなっていた焦り。

立派な体格をしているゲンへの嫉妬。

無理だと言われたこの技への執着。

そして、くだらない自尊心。

この時、おれの頭の中でそんなものがごちゃ混ぜになって渦巻き、心、技、体の、心が欠けた。

本来ならゲンを肩と背で転がすように体移動するはずの所で、おれは何故か、足を踏ん張っていた。ゲンの体重を変な角度

で受け、右膝がカクンと折れた。

憧れ続け、あの頃躍起になって練習した肩車は、あっけなく、無様に、グシャリと潰れた。

「あああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

誰かが凄い声を上げた。

ゲン?…じゃない。ゲンは泣きそうな顔で、おろおろしながら、身を起こしたおれを見つめている。

先輩方が驚いた様子でドアを開け、顔を出した。先輩方でもない。

「あああっ!ああぁぁっ!あ、あぁぁぁっ…!」

叫び声が掠れ始めたその時、おれはやっと声の主に気付いた。

おれだ。

おれは右膝を押さえ、声を上げていた。勝手に上がる叫び声、何故右膝を押さえているのかも分からない。…何故…?

疑問は、少し後に氷解した。右膝を襲う激痛に、やっと気が付いた。

どっと冷や汗が吹き出し、声が掠れて喘ぎ声が漏れる。痛い!痛い!!痛い!!!

「ウエハラ!どうした!?」

駆け寄った副主将がおれの顔を覗き込み、それから足に視線を落とし、軽く掴んだ。

「あうあぁぁっ!!!」

ふくらはぎを掴まれて、微かに振動が伝わっただけで、膝の、中の中、深い奥が鋭く痛み、おれは意味を成さない声を上げた。

「何があったの!?」

ゲンに尋ねるタヌキ先輩からも、いつもの明るい表情は消え、固い顔つきになっていた。

ゲンは泣きながら状況を説明していたが、おれは痛みを堪えるのに必死だった。

「ジュンペー、ウエハラの荷物とって来い!」

狸先輩が更衣室へ走って行くと、アブクマ副主将はおれのズボンをまくり上げ、膝の周囲を慎重に触れ、おれに痛みの具合

や箇所を尋ねて何かを確認したが、正直、痛くて痛くて何をどう答えたかはっきり分からない。副主将の太い指が慎重に足に

触れる度に、膝が痛んで我慢し切れず、掠れたうめき声が口から漏れる。

「…捻挫でしょうか?」

オレの鞄と着替えを持って戻って来たタヌキ先輩の問いに、アブクマ副主将は固い表情で首を横に振った。

「そんなやさしいもんじゃねぇ…、こいつぁたぶん…」

副主将は言葉を切り、それからおれを抱き上げた。

「俺はウエハラを美倉先生んトコに連れてく!ジュンペー、医務室までキダ先生を呼んで来い!コゴタはウエハラの荷物持っ

て、俺について来い!」

「はいっ!」

「は、はいっ…!」

おれは副主将に抱きかかえられ、医務室に運ばれた。

揺らさないよう慎重に、だが急いで俺を運んでくれた副主将の後ろを、ゲンは泣きながらついてきた。



…内側、側靱帯損傷。全治二ヶ月。…それが、その夜運ばれた病院で下された診断だった。