第五話 「因果応報」
おれは上原犬彦。東護中一年生で、柔道部所属の秋田犬の獣人だ。痛めた右足を庇い、もうすっかり扱いに慣れた松葉杖で
帰宅中…。
せっかくゲンが一緒に帰ろうと言ってくれたのに、おれはまた憎まれ口を叩いてしまった。…何やってるんだかなぁおれ…。
…明日こそはきっと、きちんと謝ろう…。
それにしても、あんなにも酷い態度を取り続けたおれに、ゲンは何故怒りもしないで話しかけてきてくれるんだろう?落ち
着いてきたせいか、改めてその辺りが気になった。
あいつは確かに引っ込み思案だし、口下手だけど、他に友達が居ない訳じゃない。なのに何故おれにばっかり構おうとする
んだろう?おれだったら、こんな嫌なヤツにはさっさと見切りをつけて、他の友達と楽しくやるけどな…。
…そう、おれは嫌なヤツだ。嫌なヤツどころか酷いヤツだ。自分でも驚いた…。
ゲンに嫉妬して、何も言い返さないのを良いことに、欲求不満のはけ口にして、酷い言葉を何度も投げつけた。…あいつは
ずっとおれを気遣っていてくれたのに…。
自然と足取りが速くなる。怪我をしてからのこの数週間、おれがゲンに何をしたか思い出していたら、自分に腹が立ってきた。
…情けない…!最低だ、おれ…!あんなに大人しくて優しいゲンに、よくもあんな酷い事を…!
自分に腹を立て、注意力散漫になって歩いていたら、松葉杖が、マンホールのヘリに当たって滑った。
「うわっ!?」
思わず声を上げつつよろめいたおれは、脇を追い抜こうとしていた誰かにぶつかってしまった。
「痛っ!何処見て歩いてるんだ!」
癖になっていたんだろう。反射的に悪態が口を突いた。しまった!と思った時にはもう遅い。
「あぁ?」
おれがぶつかった相手は、頭一つ以上高い位置から、おれの顔を見下ろした。
茶髪の、大柄な人間。私服だけれど、恐らくおれと同じ中学生だ。ただ、東護の生徒じゃない。特筆すべきは、何と言うべ
きか、こう…、あきらかにまっとうな生徒じゃない風のオーラ…。
この学校近辺で他校の生徒を見る事なんて殆ど無いのに、なんだってこんな所で…?
…と思ったら、考え事をしていたせいで気付かずに歩いてきてしまったのか、今おれが歩いていたのは学区の境目近く。他
校の生徒もやって来る商店街だった。…ここは、夕方になると結構荒れてると聞いている…。
「どうした?」
茶髪と一緒に歩いていた数人が、一斉に足を止めた。
「なんかよぉ、このガキが勝手にぶつかって来といて、オレに文句言うんだよな…」
茶髪が上からおれを睨む。…まずい…!
「あ、あの、済みませんでした。イライラしてて、つい…」
「はぁん?イライラしてたからオレに八つ当たりしたってか!?」
「そ、そんな意味で言ったんじゃ…!」
応じてから気付く。…おれも、ゲンの言葉にこういう風に言いがかりを付けたっけ…。
おれは男達に取り囲まれた。数は11。膝が何でもなければ、自慢の俊足で振り切ってやるところだが、この足じゃ…。
周りに人気はあまり無い。通行人が居ない訳じゃないが、当然誰も関わり合いにはなりたくないらしい。足早に、こっちを
見ないように歩いて行く。
「…お、おい、こいつ東護だぜ…?」
男達の中の誰かが、おれの制服に気付いて言った。
「…手ぇ出したら、アブクマとイヌイが…」
髪をつんつんに立てたヤツが、副主将の名前を口にした。その名前が出たとたん、おれを取り囲んだ男達は顔色を変えている。
もしかして、先輩の威光(?)で見逃して貰える!?
「へっ…!」
おれがぶつかった茶髪の男が、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「知らねぇのかお前ら?イヌイの野郎は去年の春に事故っておっちんだんだぜ?それにアブクマの方は今じゃ柔道で全国狙う
ゴリッパなスポーツマンだ。つまり、もう問題なんて起こせねぇ立場って訳だ」
「それじゃあ…」
「なんだよ?もう東護のヤツらに変に気ぃ使う事もねぇんだな?」
…甘かったらしい…。
おれは男達に取り囲まれたまま、商店街の裏手の方へと引っ張られて行った…。
「っぐぅっ…!」
乱暴に突き飛ばされたおれは、小石混じりの埃っぽい地面に倒れ込む。少し離れた所に、松葉杖がカランと音を立てて転がった。
ここは商店街から少し離れた所にある、田んぼの傍の空き地だ。
トラクターを回したりするスペースらしく、あちこちにボコボコした深い轍が残り、端には雨期を迎えて生き生きとした草
が伸びている。
隣接する道は車がすれ違うのに苦労する程狭く、人通りが少ない上に、伸び盛りの草が邪魔をして空き地の中の様子が見え
にくい。
すっかり暗くなった田園地帯は、まばらな電灯に照らされていた。
「済みませんでした!わざとじゃなかったんです!」
おれは必死になって男達に赦しを乞う。情けないが他に手は無いし、実際におれの方が悪かったのだから。だが…。
「どうするよ?泣きそうな顔で謝ってんぜ?」
「お〜お〜可愛そうに」
男達は、凄く楽しそうだった。
解る。黒いドロドロが、こいつらの中でも燻ってる。きっと、おれだけじゃない、皆大なり小なり、黒いドロドロを抱えて
いるんだ…。そして黒いドロドロは、はけ口を探していつも目を光らせている。おれがゲンをはけ口にしたように…。
…バチが、当たったんだろうな…。
「おい、お前何が可笑しいんだ?」
気が付いたら、おれは口の端を歪めて自嘲していた。
「余裕だってか?それとも恐すぎてココに来たか?」
髪をツンツンに立てた男が、自分のこめかみを指先でトントン叩きながらそう言うと、男達は揃って笑い声を上げた。
「…やれよ」
「は?」
おれは諦め半分に、さっぱりした気持ちで言った。
「ボコボコにでもなんでもすれば良いじゃないか」
ゲンを傷つけたバチが当たったなら、甘んじて受けるさ。あいつの味わった苦しみの何割かでも痛い目にあってやれば、少
しは気が紛れるかもな…。
「へぇ、ちっこい割に肝が座ってんじゃねぇか」
挑発されたと思ったのか(その気は無かったけれど、内容は挑発だったな今のは…)茶髪の大男が口元を歪め、眉を吊り上げた。
居直って地面に座り込んだおれは、とりあえず松葉杖は折られないで済むように祈った。杖が無いと帰りが困るからだが、
この非常時に我ながら滑稽な考えだ。
男が一歩踏み出す。おれは力を入れてしっかりと歯を噛んだ。
「ウエハラ君っ!」
声が響いたのは、座ったままのおれの顔面をサッカーボールのように蹴り飛ばそうと、茶髪の男が足を後ろに引いたその時
だった。
男達の背後で、背の高い草をザァッと揺らし、夜を切り取ったような黒い影が飛び出す。
突然の乱入者に、驚いて振り向く男達。
道路と空き地を隔てる草の衝立をかき分け、空き地に飛び込んで来た黒毛和牛は、真っ直ぐにおれに駆け寄りながら、大き
な体に物を言わせ、進路上に居た男二人を跳ね飛ばす。
慌てて飛び退いた茶髪の男には目もくれず、ゲンはおれの前に屈み込むと、
「だ、大丈夫ウエハラ君!?怪我は無い!?」
おろおろとした様子でおれの体を眺め回し、あちこち触って確認し始めた。
「馬鹿!なんでお前がここに居るんだよ!」
ここに居る理由に馬鹿もなにも無いだろうが、泡を食っていたおれの口からはそうとしか言葉が出なかった。
「え?そこの道路がぼくの帰り道だから…」
ゲンはキョトンとしてそう応じた。…そういえばこいつの家は農家だったっけ…。案外この辺りの田んぼのいくらかは、ゲ
ンの家のものなのかもしれない。
…いやいやいや違う!今はそんな事を考えている場合じゃない!
「なんだ?てめぇ、そのちびのダチか!?」
おれとゲンをぐるりと取り囲んだ男達に、おれは声を張り上げた。
「こいつは関係ない!友達でもなんでも…」
「友達です!」
おれの言葉を遮り、ゲンが叫んだ。
「馬鹿!お前は関係無いんだから引っ込んでろ!」
おれの制止を無視し、ゲンは男達の顔をぐるりと見回す。
「ウエハラ君が何をしたのかは知りません。でも、彼は見ての通り怪我人なんです!お願いします!見逃してください!」
ゲンはおれを背後に庇うようにして、男達に向き直り、土下座した。
…お前…、何で…、何でそこまで…?
「良いお友達持ってるみたいじゃんか、おチビちゃんも」
茶髪の男が、不意に優しげな声でそう言った。
「でもなぁ…、そいつ、俺達に喧嘩売ってくれちゃってるんだよねぇ」
優しげな猫なで声が、ねちっこく耳に届く。
「…彼には手を出さないでください。代わりに、ぼくだったら好きなだけ殴ってくれて構いませんから」
ゲンは地面に正座したまま、茶髪の男の顔を見上げ、怯えた様子も無く、きっぱりとそう言った。
「馬鹿野郎!おれの問題なんだ!お前がそこまで…」
「良いんだ…。これで、少しでも罪滅ぼしになるなら…」
ゲンはおれに背中を向けたまま、小さな声でそう言った。
「罪ってなんだよ!?お前は何もしてないだろ!?それにお前、大会を控えた大事な体じゃないか!」
叫んだおれに、ゲンは首だけ巡らせて振り返り、
「大丈夫。ぼく結構丈夫だし、鈍感だから少しぐらい痛くても平気だよ。…それに…」
おれに泣き笑いの表情を見せ、そう言った。
「ウエハラ君の痛さに比べたら、殴られるのなんて何でもないよ」
…おれは…。この時物凄く後悔した…。
おれは、こんな優しいゲンに、何て事をして来たんだろう…!?お前はこんなに良いヤツなのに、おれは…、おれはっ…!!!
「良い度胸だな。でも、ボコボコになるのがお前一人だけじゃ不公平だろ?」
「親友同士、二人仲良く同じ目に遭わないとなぁ?」
男達はゲンの態度に嗜虐心を刺激されたらしい、目に楽しいおもちゃでも見つけたような光を灯し、おれ達に詰め寄る。
「そ、そんな…!」
ゲンは、男達に真摯な説得など通じない事が理解できていないようだった。幸か不幸か、ゲンは綺麗な心を持っている。だ
からおれやこの男達のように、真摯な言葉を真っ直ぐに受け取れない、ねじ曲がったヤツが居る事を理解できていない。そん
な人種がこの世には結構居る事なんて、想像もしていないんだろう。
おれは、そんな純粋なゲンの心を傷つけ、踏みにじり、汚そうとしていたんだ…。
ゲンは振り返り、そして、
「…ごめん…。ウエハラ君だけは必ず守るから…!」
そう言っておれを抱きかかえ、覆い被さるようにして地面に押し倒した。
「馬鹿!やめろ!おれが罰を受けなきゃならないんだ!逃げろよ!お前だけなら逃げられるだろ!?」
ゲンの大きな体の下敷きにされたまま、おれは声の限りに叫んだ。
ゲンの体は、小刻みに震えていた。…当たり前だ…。おっとりしたこいつがこの状況で恐くない訳がない。なのにこいつは、
おれを庇って男達を説得しようとしたんだ…。
「やめろよ…!やめろよゲン!もう、もう良いんだよ!お前は何も悪く無いんだよ!だから…、もう…、お願いだから…逃げ
てくれよ!」
おれは、泣きながらゲンに懇願した。
「…ごめんよ…。ごめんよゲン…!本当は、おれが悪かったんだ。お前は何も悪くないんだ…。赦して…、赦して…ゲン…!」
涙声で訴えたおれに、ゲンは耳元で囁いた。
「…仲直り…、してくれる…?」
おずおずと、小声で尋ねたゲンに、おれは何度も頷いた。
「仲直りして貰わなきゃないのはおれの方だよ…!お前は、お前はおれの…、一番大切な友達なんだ…!」
ゲンの体が、ピクンと動いた。
「…嬉しい…」
安心したようなゲンの囁きを耳元で聞きながら、心の底から思った。
こいつが無事なら、おれはどうなったって良い。今ここでこいつに何かあったら、おれは絶対に、一生自分を赦せなくなる…!
信じた事もなかった、人間が作った虚像だと馬鹿にしていた神様に、オレは生まれて初めて本気で祈った。だが…。
「…っう!」
どすんという衝撃。ゲンのくぐもったうめき声、
「やめろぉぉぉおおおっ!!!」
がっちり押さえ込まれ、身動きできないまま、おれは声の限りに叫んだ。それでも容赦なく、おれに覆い被さったゲンの体
を、男達は蹴り、踏み、叩く。
苦痛に耐えるゲンの呻きと吐息を耳元で聞きながら、おれは必死にもがいた。それでも、ゲンはおれを押さえ込んだまま動
かない。
くそっ!くそっ!!くそっ!!!なんでこんなに押さえ込み上手くなってるんだよ!どけよゲン!大会前だっていうのに、
このままじゃお前、壊されちゃうぞ!
…頼む!神様でなくて良い!鬼でも悪魔でも構わない!誰でも良いんだ!おれはどうなっても良いから、だからこいつだけ
は…、ゲンだけは助けてくれよ!
「こっちです!早くっ!」
絶体絶命のその時、おれの祈りが通じたのか、聞き覚えのある声が耳に届いた。
やっと顔だけゲンの下から出したおれは、首を捻って声の聞こえた方へ視線を向ける。
背の高い草をかき分け、半身乗り出した狸獣人は、しきりに背後を振り返り、手を振っていた。
…タヌキ先輩…?
男達は背後を振り返り、タヌキ先輩に視線を向ける。
「なんだてめぇ!?」
「あ、気にしないで下さい。そこの二人の部活仲間で、ただの案内人だから」
いきり立つ男達に、慌てたようにそう応じるタヌキ先輩。その向こうで、背の高い草の上に、二つの光が灯る。
草がザワザワと大きく揺らぎ、タヌキ先輩の隣に、のっそりと、大柄な影が姿を現した。
「もうっ!足遅過ぎですよ先輩!」
「うるせぇっ、長距離は苦手なんだよ!」
口を尖らせて文句を言ったタヌキ先輩に、苛立たしげに怒鳴り返す熊獣人。その姿を見た男達が、顔色を無くして数歩後ず
さった。
「あ…アブクマ…!?」
アブクマ副主将は、ゆっくりと男達を見回し、それからおれ達に視線を向けた。
「コゴ……………!」
おれと、おれに覆いかぶさったまま土だらけになっているゲンを認め、アブクマ副主将は目を見開いて絶句した。
その目がギッと細められ、眉がつり上がる。ゆっくりと被毛が逆立ち、怒気を発散するその体が一回り膨れあがったように
見えた。細められた両目に赫怒の光がちらつき、獰猛につり上がった口の端からはギリリと噛み締められた牙が覗く。
「…てめぇら…」
ぼそりと囁いた副主将の声に、男達が一斉に身を竦ませた。
「俺の大事な後輩に、何をしてやがるっ!?」
突風でも伴うような怒声に、男達だけでなく、傍のタヌキ先輩も、おれもゲンも、叩かれたようにビクリと身を竦ませた。
指をゴキゴキ鳴らしながら、荒々しい足取りで歩み寄る副主将に、気圧されていた茶髪の男が声を張り上げた。
「て、てめぇ、こっちが何人居るか分かってんのか!?」
「数も数えられねぇとでも馬鹿にしてんのか?たったの9人だろ」
「…いや、11人です先輩…。本当に数えれてないし…」
タヌキ先輩が小声で控えめにつっこむ。
「腹ごなしにもなんねぇ人数だ…」
副主将は、これまでおれ達の前では一度も見せた事のない、獰猛な表情を浮かべて吐き捨てた。
千切っては投げ千切っては投げ、とでも言えば良いのか。大木槌のような拳骨で殴り倒し、丸太のような足で蹴り飛ばし、
杭打ち機のような頭突きで昏倒させ、副主将は11人もの相手を、たった一人で蹴散らした。
…正直に言う。おれはその時、副主将が怖かった。
11人に殴られ、蹴られながらも、それらを物ともせずに獣のような叫び声を上げ、一切の慈悲も、容赦もなく男達を叩き
のめすその姿には、普段の副主将の、山のような落ち着いた雰囲気は無かった。それはまるで、荒れ狂う嵐そのもののようで…。
さながら暴走する大型重機のように副主将が暴れ回る乱闘を迂回し、歩み寄ったタヌキ先輩がおれ達を助け起こしてくれた。
おれとゲンはしっかり抱き合ったまま、11人、一人残らず叩きのめし終え、仁王立ちするアブクマ副主将を見つめる。
「あ、アブクマ…、こんな真似してただで済むと…」
「思ってるぜ」
茶髪の言葉を遮り、副主将はそう言った。
「それとも何か?お前らに俺をどうこう出来るってのか?」
獰猛な、噛み付きそうな笑みを浮かべ、ドスの利いた声で言ったアブクマ副主将を前に、茶髪はかわいそうな程に腫れた顔
を歪めて押し黙る。
髪をツンツンにした男が、地面にへたり込んだまま先輩を睨んだ。
「こんな真似して、お前の部が中体連に出れると思うなよ?」
…あ!?そうだ!こんな騒ぎがあった事を知られたら、出場停止処分になってしまう!
「問題ねぇ。正当防衛だ」
「…ケンカキックで先制攻撃してたじゃないですか…」
タヌキ先輩が小声でつっこんだが、これは無視された。
「覚えてろ…、そんな寝言なんか通用しねぇからな?大事なお仲間共々たっぷり後悔させてやるぜ」
「そいつぁちっと困るなぁ」
副主将はちっとも困っていない様子で、場違いなほどのんびりとした口調で言った。
「そんな事になっちゃ困るから、この場でお前ら全員の舌でも引っこ抜いとくとするか」
そう言うと、副主将は一番近くでへたり込んでいた男の襟首を掴み、腕一本で軽々と吊し上げた。地面から離れた両足をば
たつかせ、男が「ひっ!」と悲鳴を上げると、茶髪の男が堪えきれなくなって声を上げる。
「わ、分かった!今日の事は誰にも言わねぇ!だからもう勘弁してくれ!」
「分かってくれりゃそれで良いんだ。俺だってあんまり手荒な真似はしたくねぇからな」
副主将はしゃあしゃあとそう言うと、男をぽいっと放り出す。
「とっとと消えろ。立てねぇってんならケツ蹴飛ばしてでも帰らせてやるぜ?」
副主将にねめ回され、男達は慌てて立ち上がると、フラフラと、しかし急いで広場を出て行く。その背に、副主将は思い出
したように言葉を投げかけた。
「あぁそれと、二度と俺の後輩に手ぇ出すなよ?こっちからも関わらねぇように言っておくからよ。…もしも、またこいつら
に何かしたなら…」
熊獣人は低い声で、最後の恫喝をおこなった。
「てめぇら全員、地の果てまででも追っかけて、両手両足引っこ抜いてやるからそう思え」
ビクリと身を竦ませて振り返った茶髪が、こくこくと頷いた。
男達が全員姿を消すと、副主将はおれ達に視線を向ける。
「済まねぇ!遅くなっちまったが、大丈夫か?」
ついさっきまでの凄まじい形相は消え、副主将は眉を八の字にし、心配そうな顔をしておれ達に歩み寄る。
「コゴタ、お前怪我してんじゃねぇのか?」
屈み込んだ副主将が手を伸ばすと、ゲンはビクッと身を竦ませて目を瞑った。
副主将は少し驚いたように手を止めると、男達を殴り、返り血で斑が飛んだ自分の手を見つめ、それから引っ込めた。
…おれは、この時の副主将の顔を、たぶん一生忘れない…。
…副主将が…、あのアブクマ副主将が…、今にも泣き出しそうな、哀しげな顔をしていた…。
「…悪かったな…、恐ぇ思いさせちまった…」
そう呟くと、副主将は屈んだまま半歩下がっておれ達から離れた。その気遣いが、凄く哀しかった…。この巨漢がどんな思
いで後輩達の教室に近付かないようにしていたのか、おれは今、はっきりと分かった…。
「先輩、鼻血。そんな顔で近付けば、誰だってビックリしますよ」
重苦しい空気を破ったのは、横合いからかけられたタヌキ先輩の声だった。
「ほらこっち向いてください」
「良いって、自分でや…、ぶぎゃぁっ!?」
タヌキ先輩は副主将の傍らに屈み込むと、振り向いた副主将の鼻の穴に、丸めたティッシュを強引にねじ込んだ。
「…痛っっっっっってぇぇぇぇぇぇぇ…!」
鼻を押さえて涙目になる副主将。タヌキ先輩は次のティッシュをクルクルっと丸める。
「はい、もう片方も」
「貸せ!お前にやられちゃたまったもんじゃねぇ!」
副主将は怒ったように言うと、タヌキ先輩の手からティッシュを奪い取る。そして立ち上がると、ペッと唾を吐き捨てた。
地面に落ちた唾は、真っ赤な染みを作った。
「ふ…副主将っ!?血が!?」
「ああ、あのツンツン頭、結構良いパンチ持ってやがる。不良なんぞ止めて、本腰入れてボクシングでもやりゃ良いのに」
思わず声を上げたおれに面白そうに答えると、副主将は口の中に指を突っ込み、頬の内側を探ってから顔を顰めた。
「お〜痛ぇ…、結構切れてやがる…。ジュンペー、悪ぃけど飲み物買って来てくれねぇか?」
「はい。あ、水が良いですよね?」
「だな。頼むわ」
タヌキ先輩が小走りに空き地を出て行くのを見送ると、アブクマ副主将は頭をガリガリと掻きながらおれ達に向き直った。
「さてと…、話す事は色々あるが…。とりあえず大事にならねぇで良かった」
そう言って笑った副主将の顔を見たら、安心して、涙がボロボロ零れ始めた。