第七話 「悩みと理解」
「はいは〜い!それじゃあ今日はここまで〜!」
タヌキ主将の声が響き、おれ達は清掃用具を片付け始めた。
中体連を終え、三年生が引退した後、主将に任命されたのはタヌキ先輩だった。
確かに、タヌキ先輩なら人柄、実力、どちらも主将向きだと思う。
…まぁ、威厳というかなんというか、そういった物には少し欠けるかもしれないが、この明るい新主将のおかげで、三年の
先輩方が引退した寂しさも、少しは和らげられているのは確かだ。
新学期が始まって三ヶ月以上が経ち、12月も上旬。
おれの膝の怪我はすっかり完治、入念にリハビリした成果なのか、部活復帰後も全く違和感なく、前よりも調子が良いくらいだ。
目標だった新人戦も、結果は上々!
おれは地区で二位。ゲンは地区で三位。アベック優勝はできなかったが、アベック入賞を達成した。まぁ、まずまずかな?
他の連中も二回戦、三回戦を突破して、東護の強さが磐石だって事をあたりに見せ付けた。
先輩方が抜けて弱くなったなんて言われないよう、全員が気合を入れて掛かった成果だ!
稽古後の日課である道場清掃も済み、用具を片付けたおれは、腕を肩の所で回し、胸や肩の筋肉の付き方を確認する。
きついけれども、やっぱりキダ先生のメニューは効果がある。春と比べてかなり体力がつき、体の仕上がりは良い感じ、い
つ急に練習試合になっても、万全の態勢で試合に臨める。
…ただ、身長はあまり伸びていないが…。
おっと!おなじみだけど名乗っておかないと。先輩方にも言われてるしな…。
おれは上原犬彦。東護中一年生で、柔道部所属の秋田犬の獣人だ。
「お疲れ〜」
道場の入り口で風に当たり、汗が引くのを待ってから更衣室に入ったおれは、皆がシャワーを終えるのを待っている黒毛和
牛に声をかけた。
「うん。ウエハラ君もお疲れ様」
こいつは小牛田元。黒い毛の牛獣人で、立派な体格をしている。…あと、おれと違って上背もある…。
ゲンはおれのクラスメートでもある。大切な、一番の親友だ。
「ほいパス」
飲みかけのスポーツドリンクのボトルをゲンに放る。不意を突かれたゲンは、慌てた様子で両手を差し出し、胸の前でキャ
ッチした。
「やるよ」
「え?でもまだ半分以上残ってるよ?」
「今日はあまり喉が渇かなかったんだ。遠慮するなって」
「…それなら…。あ、ありがと…」
ゲンは何故か顔を赤らめ、ボトルを開けてチビチビ飲み始めた。
汗が引くの待ってるうちにすっかり出遅れたな…。シャワーが空くまで少しかかりそうだし、柔軟でもやりながら待ってお
こうか。
「ウエハラ君。入らないの?」
シャワーが空くのを待っている内に、床の上でストレッチをしていたおれは、不意に呼ばれて顔を上げた。
ゲンがおれの傍に立って、怪訝そうに見下ろしている。
改めて周りを見ると、更衣室にはもうおれとゲンしか残っていなかった。…ついつい柔軟運動に熱中してしまっていたらしい…。
「あ、ごめん。すぐ入る!」
真面目なゲンは、皆が帰った後の戸締まり係を受け持っている。つまり、おれが帰るまでは帰れないのだ。
「あまり急がなくていいからね?」
おれは道着を脱ぎ始めながらゲンに頷き、ズボンを脱いで…、
「ゲン?」
「ん?」
突っ立ったままのゲンに尋ねた。
「入らないのか?」
ゲンはまだ道着を着ている。つまり、こいつもシャワーはまだなのだ。
「ん、ぼくはその…、後で良いから…」
ゲンはもじもじしながら目を逸らす。…そう言えばこいつ、いつも皆が上がった後、最後に一人で入ってるよな…。
「一緒に入ろうぜ。遅くなるぞ?…って、おれがぼーっとしてたせいだけど…」
「う、ううん!大丈夫だから。先に入って!」
…む…?ゲンは、なんだか慌てているようだった。でもって少し恥ずかしそうでもある。
…ゲン、もしかしてお前…。
あれか?チンポ小さいとか、そういう事なのか?それを気にしてるのか?
…恥ずかしそうに俯いているゲンを見ていたら、なんだかムラッときた。
「来い!一緒に入るぞ!」
「え?え、え?い、いいよ!一人で入ってよ!」
「な〜に遠慮してんだよ!それとも、おれと一緒に入るのは嫌か?」
「そ、そういう訳じゃ…!」
「なら一緒に入ろう!おれ達親友だろ?裸見せ合って何がおかしいんだよ?」
「…うっ…!」
頑なに拒否していたゲンは、おれの言ったある言葉に反応して口ごもる。
必殺、親友攻撃!ゲンは「友達だろ?」とか「親友じゃないか!」と言った言葉にとことん弱い。
クラスメートからの頼み事も、こういう風に言われると断れない。断れなくて学級委員なんて押し付けられたりもしてる。
結局ゲンは、しぶしぶながらも頷いた。
柔道場にはゴージャスにも専用のシャワールームがある。
けっこう広い浴槽もついた浴室は、稽古を終えたおれ達が汗と疲れを洗い流す憩いの場だ。
先に浴室に入り、シャワーで汗を落としていたおれは、後からそろ〜っと静かに入ってきたゲンに視線を向けた。
ゲンは、タオルでしっかりと前を隠していた。
…やけに入念なガードだ…。やっぱり、チンポのでかさに自信が無かったのかもしれない。
ゲンは顔を赤くして俯いたまま、一言も喋らずに、おれと距離を取るようにして端っこのシャワーを使い始めた。
…いや、恥ずかしいのかも知れないが、そこまでしなくたって…。
ゲンは太ももに橋のようにかけてタオルを渡しており、気にしているらしいそのチンポは確認できない。
「ゲン?」
「う、うんっ!?」
名前を呼んだら、ゲンはビクッと、凄く驚いた様子でおれの方を見た。
「な、なにっ?」
「あ…いやぁ…、特に何でも…」
「…そ、そう…」
…いや…、何でもなくはないんだが…、あまりにも凄い驚きようだったから、声をかけたおれの方もびっくりして、本題に
入れなかった…。
浴室内に気まずい沈黙が落ちる。シャワーの音だけが、おれ達の間に響いている。
ゲン。そんなに気にしてるのか?他の部員とも一緒にシャワーを浴びれないくらいに?
おれの中で使命感のような物が沸々と湧き上がってきた。
ゲンが気にしているそれを、なんとか少しでも軽くしてやれないだろうか?何と言ってもこいつは、おれにとって一番大切
な友達なんだ。力になってやりたい。
…そういえば…、アブクマ副主将は、確かおれみたいな友人に強引に引っ張り回されて今の性格になったって言っていたよ
な…?少しばかり強引に行ってみるのも手か?
「先に入るぞー」
「う、うん…」
おれはゲンに声をかけ、シャワーを止めて椅子から立ち上がる。
そして浴槽に向かう。…ふりをして、鏡に映らないように注意しながら、こっそりゲンの背後に近付いた。
気配を察したのか、ゲンがハッと振り返る。…が、遅いっ!
「うわぁっ!?」
ゲンが悲鳴を上げた時には、おれは既にその腰、太ももの上にかけられ、股間を隠していたタオルを素早く奪い取っていた。
よし成功!
驚いたゲンは立ち上がりかけ、足を滑らせて尻餅をつく。
「はははっ!何隠してるんだよ!そんなに恥ずかしがらなくていいだろ?ほれ、おれだって隠してなんかないんだし」
腰に手を当てて背を反らし、おれはゲンに自分のチンポを見せつけた。
一応言っておくが、おれのチンポは過不足無く平均サイズだ。決して小さい訳ではない。…が、…やべ、今更だけど無茶苦
茶恥ずかしい…。
ゲンは目を丸くしておれのチンポを見ていた。股を開いて尻餅をついているゲンの股間は、現在ノーガード。って…、あれ…?
ゲンは、俺の視線に気付いて慌てて足を閉じ、さらに両手で前を隠した。
ゲンのチンポは、小さくなんかなかった。いや、それどころかかなりでかい方だと思う。おれのよりもずっとでかかった。
そのチンポは今、何故か勃起していた。
「う、うぅ…!」
ゲンは、押し殺した声を漏らした。体が小刻みに震えている。
おれを見上げる顔に浮かぶ表情は…、…恐れ…?
「う、うぅうっ…、う、ふぐぅうっ!」
ゲンの目が潤み、目尻から涙が零れる。
「…うっ…、うあぁぁぁん!う、うあっ!うあぁああああんっ!」
ゲンはへたり込んで前を隠したまま、声を上げて泣き出してしまった。
「ちょ、ちょっとゲン?おい、ゲンってば?…ごっ、ごめん…!お、おれそんな…、泣かすつもりなんか…、ゲン?ご、ごめ
んって、ゲン!」
おれは泣き続けるゲンの前に屈み込み、何が起こったのか、どうしていいのか分からず、ただゲンに謝り続けた…。
「うっ、うぐっ、ふ…、ひっく!うぅっ…」
「…ご、ごめんなゲン?意地悪しようとか、そんなつもりじゃなかったんだ…。ほんとにごめん…」
ようやく啜り泣きになったゲンに、おれは平身低頭謝り続けた。
…いや、いまだに何で泣き出してしまったのかは分からないんだが…。
「…見た…?」
「…う、うん…」
ゲンがぽつりと呟き、おれは、結局誤魔化せないので頷いた。
「…ぼく…、変でしょ…?」
…変…?何がだろう?
意味が分からずに、首を捻って沈黙していると、ゲンはぼそぼそと呟いた。
「…ぼく…、その…、なんだか興奮しちゃって…」
おれは、もう諦めたのか、隠されていないゲンのチンポに視線を落とす。
今はすっかり縮こまっているが、確かにさっきは勃起していた。
…そういえば、稽古中、何度かゲンのチンポが大きくなっていた事もあった。
「…変…でしょ…」
ゲンは俯いたまま、ぼそぼそと言う。
「興奮するって、裸を見ると?」
おれの問いに、ゲンは小さく頷いた。
「おれの裸を見ても?」
今度は少し間を置いてから、ゲンは本当に小さく頷いた。
ここでおれは考える。
おれも男子だ。雑誌を読んでグラビアアイドルの水着姿に興奮したりもする。もちろん勃起だってする。
ゲンの場合は、どうやら男の裸を見ても股間が反応してしまうらしい。
男の裸で興奮してしまう辺り、おれよりもずっと敏感なんだろうか?
ゲン本人はそれを他人に知られるのが気まずいのかもしれないが、特におかしい事でもないような気がする。
と、おれはゲンに自分の意見を述べてみたが、
「…違うんだ…。男の裸を見て「も」興奮しちゃうんじゃなくて…、ぼく…、男の裸に「だけ」興奮しちゃうんだ…」
と、ぼそぼそと、そんな答えが返ってきた。…むむ…?
「…ぼく…。…その…」
ゲンは俯いたまま、すごく小さな声で呟いた。
「…ゲイみたいなんだ…」
おれは頭の奥から知識を引っ張り出す。
…ゲイ…。
耳慣れない単語だが、言葉そのものは知っているし、意味もなんとなくだが知っている。
「…軽蔑した…?」
ゲンは俯いたまま、おれに視線を向けずに尋ねてくる。
「え?なんで?」
首を傾げると、ゲンは俯いたまま肩を震わせた。
「だ、だって…。ぼく同性愛者なんだよ?気持ち悪いでしょ?」
同性愛者…?ああ、そういう呼び方もあったっけ…。
「別に何とも思わないけどな…?」
おれがそう言うと、ゲンは恐る恐るといった様子で顔を上げ、上目遣いにおれの顔色を伺った。
「ほ、本当に…?」
「うん」
おれが頷くと、ゲンはほっとしたように、微かに表情を緩めた。
断っておくが、慰めでもなんでもなく、本当に何とも思っていない。
…というか、より正確に言うと、男女とか恋愛とか、まだそう言った事の知識に乏しいせいか、いまいちピンと来ないのだ。
「…良かった…。嫌われちゃうかと思ってたから…」
ゲンは心底安心したように呟いた。
「嫌う?おれが?お前を?」
思わず笑いが込み上げる。
「あははははっ!逆はあってもそれはないって!」
あんなに酷い真似をしたおれを赦し、嫌いにならないでくれたゲンを、おれから嫌いになる事なんて有り得ない。
「でもさ。組み手の時とか、結構気を遣うんじゃないのか?あと体育が水泳の時とか…」
「う、うん…。でも最近は、誰の裸でも興奮しちゃうって訳でもないからだいじょ…、あっ!?」
ゲンは慌てた様子で、両手で口を押さえた。
「どうしたんだ?」
問い掛けた後、おれはゲンの言葉が意味する事に気付いた。
…誰の裸でも興奮する訳じゃない。…でも、おれと一緒に居た今は、興奮していた?
ゲンは黙り込み、また俯いた。
「…ゲン…」
おれが声をかけると、ゲンはビクッと震えた。
「気にするなよ。そんな事でゲンを嫌いになったりとか、絶対にないからさ」
おれはゲンの両肩に手を置き、顔を上げさせた。
「…ウエハラ君…」
「ゲン。ごめんな?おれ、てっきりお前がチンポ小さいとか、そういう事を気にしてるのかと思ってあんな真似したんだ。気
にすることないんだぞって、言ってやりたかったんだ。…まるっきり見当違いだったけどな」
考えても見れば、チンポが小さいからって、そこまで他の部員と一緒にシャワーを浴びるのを避けるヤツは居ないか…。
「ふぇ…、ふぇ…、ぶぇくしゅっ!ぶぇ〜っくっしょい!」
っと!危ねぇ危ねぇ、たこ焼き落っことすとこだった…!
いつもの商店街に寄った帰り、盛大にクシャミした俺に、キイチが首を傾げる。
「大丈夫サツキ君?風邪でも引いた?」
「いや、馬鹿だから風邪は引かねぇよ。誰かが俺の噂でもしてたんだろう」
「くしゃみ二回は悪い噂だって、どこかで聞いたかも…」
悪ぃ噂ねぇ…。ジュンペー辺りが原因か?
「あと、くしゃみ一回につき3カロリー消費するとか聞いたかも」
「今ので6カロリーか…。くしゃみダイエットとかできねぇかな?」
「たこ焼きを我慢すればクシャミ何十回分だよ?」
たはぁ〜!厳しぃなぁ…。
おれは自分の的外れな考えに苦笑いし、ゲンに語りかける。
「今日知った事は誰にも言わないし、それでおれが態度を変える事もない。おれはいつだってゲンの味方だ。何があっても、
絶対な!」
「…あ、ありがとう…。ウエハラ君…」
ゲンは、また目を潤ませた。おれは慌てて弁解する。
「だっ!だから泣くなってば!意地悪するつもりなんかこれっぽっちも無かったんだからさ!ほんとうにごめん!」
「ち、ちがっ…!これは…!」
ゲンは何かを言いかけたが、口から嗚咽が漏れ始め、後まで続かなかった。
…あー…。また泣かせちゃったよ…。何してんだ俺…。
「じゃあ、また明日な?」
「う、うん…。また明日…!」
帰り道、手を振って別れる時にも、ゲンは少し元気が無いようだった。
暗くなった道を一人で歩きながら、おれは浴室での出来事を思い出していた。
…ゲンは、誰にでも興奮する訳じゃない。でも、おれの裸には興奮するらしい。…つまり、ゲンは…。
おれは頭をブンブンと横に振った。
何があっても、ゲンはおれの大切な友達だ。
…でも…。あいつが、おれの思っている通りだとしたら、おれはどうすれば良い?どうするべきなんだろう?
…誰かに相談したい…。でも、相談したらゲンの秘密がばれてしまうんじゃないだろうか?
どうにかしてゲンの事は秘密にしたまま、上手く相談に乗って貰える方法はないだろうか?そして、こういう事は誰に相談
すれば…?
家に帰り着いたおれは、食欲もあまり無く、夕食もそこそこに自室に引っ込み、布団の上に寝転がって考え続けた。
ほとんど眠れないままに夜が明けた頃、一晩中考え続けたおれは、先輩に相談してみようと決心した。
ゲンの秘密を守る為にも、慎重に話さなければならない。
おれは何があってもゲンの味方だ。あいつには、おれの持っている全部をやっても返しきれない借りがある…。だからこそ、
この問題を投げ出す事はできないんだ。
布団の上でゴロゴロと転がり、頭を抱えて悩んだ後、おれはおれなりのやり方で、この事に対処する事を決めた。決してゲ
ンを傷つけないやり方でだ。
おれはもう、どんな事からも逃げたりはしない。あいつの為ならどんな事とだって向き合ってやる!
…あいつの泣き顔は見たくない。今のおれにとっては、何よりも堪えるんだ…。