第九話 「きっと二人は」
自慢の足をフル回転させ、おれは必死こいて待ち合わせ場所へと急いでいた…。
やっべぇ!何で今日に限って目覚ましかけ忘れてるんだよおれ!日曜だから母さんも起こしに来ないし!
バスに乗り損ね、一本遅れで到着、焦り120%で待ち合わせ場所の公園へ駆け込んだおれは、相手の姿を認めて声を張り
上げた。
「ごめぇぇぇえええん!遅くなったぁぁぁあああ!!!」
噴水の前で屈み込み、ハトにえさをやっていた黒毛和牛は、おれの声を耳にして立ち上がると、こちらを振り返ってホワン
と微笑んだ。
「ご、ごめんゲン!初回からいきなり遅刻したっ!ほんとにごめんっ!」
急ブレーキをかけ、牛獣人の前で止まったおれは、深々と頭を下げて詫びた。
「ん〜ん、平気だよ。まだ5分も経ってないし、気にしないで」
ゲンは微笑んだままそう答えて、先っぽがフサッとした牛独特の尻尾をはたはたと左右に振る。
ああもう!ゲンだからこんなに簡単に赦してくれるものの、普通なら一回目のデートから遅れたら、相手はかんかんだぞ?
何やってるんだよおれ!
おれは上原犬彦。東護中一年生で、柔道部所属の秋田犬の獣人。
何を隠そう今日は、おれの恋人、ゲンとの初デートだっ!
…遅刻スタートになったけどな…。
まぁ、一般の方々に説明するのはなかなかに難しい話なんだけど…、見ての通り、おれ達は二人とも男だ。
おれはふとした事から、親友のゲンが同性愛者だという事を知ってしまった。
しかもだ、ゲンはおれの事を好きになってくれたらしい。何処が気に入ったのかは良く解らない。…何回聞いても答えてく
れないからな…。
恋愛経験のないおれにはいまいちピンと来なかったが、おれもゲンの事を大切に思っている。だからゲンと付き合って、ゲ
ンの感じている「好き」を、おれも共有したいと考えた。
まぁ、考え込むと複雑になりそうだが、実際にはそう難しい事じゃないと思う。
今は「好き」の感じ方が少し違うかもしれないけど、おれはゲンの事を、なんていうか、「愛おしい」と感じる時がある。
他の誰に感じる「好き」とも違うこの気持ちが、きっとゲンの言う「好き」なんだと思う。
大丈夫だ。きっとおれ達は上手く行く!
おれとゲンが初デートに選んだのは、臨海公園だった。
あまり年頃のカップルが来るような所じゃないが、だからこそのチョイスだ。
ここなら学校の誰かと会う事もたぶん無い。会ったとしても、公園に遊びに来たと言い張れる。
なぜならおれは、今日はフリスビーを持って来ているのだ!これで遊ぶ為に広い場所、この公園に来たのだと言い張れる。
うん!完璧!
なんだけど…。
「人、居ないねぇ」
そう。ゲンの言うとおり、人影はポツポツといったところ。
考えても見れば、冬に入ったこの時期、海沿いの公園に遊びに来るやつなんてそうそう居ないか…。…あ!
「ゲン、寒くないか?」
おれは秋田犬の獣人だ。多少の寒さは何でもないけど、ゲンはどうなんだろう?
「うん。ぼく太ってるから少しぐらい寒いのは全然平気」
と、ゲンはホワンと微笑む。…あ、なんか胸の奥がキュウッて…。
「き…」
「き?」
呟いたおれに、ゲンは首を傾げた。
「来た来た来たぁ!今のだ、今の!」
声を上げたおれに、ゲンはびっくりしたように目を丸くする。
説明しよう。今、アレが来たんだ。ゲンの笑顔を見たらあの感覚が来たんだ。あの「愛おしい」が!
その事を説明すると…、
「えぇと…、こ、こう…かな?」
ゲンは微妙な半笑いを浮かべて見せた。…作り笑いは苦手なんだろう、頬がヒクヒク言ってる…。
「…なんか違うなぁ…」
「そ、そう…」
がっかりしたのか、ゲンは耳をぺたっと寝せた。
「き…」
「ん?」
「来た来た来た!また来た!」
「え?えぇ?」
ゲンのしょぼんとした顔を見たとたん、胸の奥でキュウッと、あの感覚があった!
ゲンは困惑し、おれの尻尾は落ち着かなくパタパタ動く。
…うん。困ったぞ。嬉しいけど発動条件が解らない!
とりあえず、おれ達は広い公園を散策して歩いた。
「なぁゲン」
「うん?何?」
砂利の敷かれた歩道を歩き、左手に広がる太平洋を眺めながら、おれはゲンに聞いてみた。
「また聞くけどさ。ゲンは、おれのどんなとこが好きなんだ?」
「えっ!?」
ゲンはビクッと立ち止まる。
おれも足を止めて、いつも通りの反応を見せるゲンを振り返った。
「やっぱり、言うのは恥かしいか?言えないなら、別に良いけど…」
気にはなったが、ゲンを困らせたくはない。
「どういうとこを好きになるのかが解れば、参考になるかと思ったんだけどさ…」
そう呟いたら、ゲンは少しの間考え込むように黙った後、足元に視線を落とした。
「う、うんと…」
ゲンは胸の前で両手を組み、モジモジしながら俯いている。
…あれ?もしかして、今回は教えてくれるのか?
「ぼくを、グイグイ引っ張っていってくれるところ、かな…?」
「むむ…。そうなのか…」
教えてくれたのは嬉しいけど、これは参考にできないな…。ゲンはおれを強引に引っ張っていくタイプじゃないし…。たぶ
んだけど、そうして貰ったとしても、おれはキュウッとならないと思う。
「あとは、自分に自信を持ってるところ?」
「ふ〜む…。あれか、おれの気が強いところなんかが気に入ったのか?」
「う、うん…。そう…、だと思う…」
ゲンは口にすることで再確認しているように、何度も小さく頷いている。
う〜ん、おれ達はまるっきりタイプが違うからなぁ…。似たもの同士なら好きになれるとこを参考にできるかもしれないけ
ど、おれとゲンじゃだめか…。
「ねぇ?あんまり深く考えなくても…、良いんじゃないかなぁ…?」
考え込んでいるおれに、ゲンはおずおずと言った。
「こういうのって、考えることじゃなく、感じることだと思うし…」
「う〜ん…。そういうものか?でもさぁ、お前がおれの事好きでいてくれてるのに、おれが違うように感じてるんじゃ、な〜
んか不公平な感じがしてさぁ…」
「ぼくは、君が付き合ってくれるだけで嬉しいよ。焦らなくたっていいんだよ。ゆっくりでも、好きになって貰えれば…。そ
れに…」
ゲンはそう言うと、照れたように微笑み、頭を掻いた。
「本当は…、ぼくがイヌヒコに好きになって貰えるように、頑張らなきゃいけないんだし…」
その笑顔に、おれは…、
「来たぁぁぁああああっ!」
また胸がキューンとなった。
しばらく話をしながら公園内をぶらついた後、おれ達は東屋で昼食にした。
せっかくなんだから何処かに食事に行けば良いんだろうけれど、生憎この公園の近くには手ごろな食事処が無い。
あ…。飯にしながら移動すれば良かったのか?こういう所が初心者だよなぁおれ…。う〜っ!アブクマ先輩にデートの手順
とかも聞いておけば良かったなぁ…!
まぁ、おれもゲンもそこまでは思い至らなかった訳で、今日はそれぞれコンビニでおにぎりやら弁当やらを買ってきている。
ゲンは体もでかいし、結構大食いだ。でも食べるのが凄くゆっくりだ。なんていうかこう、味を噛み締めながら食べてる?
そんな感じ。
モグモグと幸せそうにおにぎりを食べているゲンの前で、既に食い終わったおれはきょろきょろと周囲を見回す。
相変わらず人は居ない。よし、チャンスだ!
「ゲン」
「んぅっ?」
「キスしてみようか?」
ブフゥーッ!
ゲンは盛大にお茶を吹き出す。
「ゲホッ!ゲホゴホッ!ゲホッ!」
「ご、ごめん!そんなびっくりすると思わなかったから!」
慌てて背中を擦ってやりながら謝ると、ゲンは涙目のまま苦笑いした。
「ん、もう大丈夫。…はぁ〜、びっくりしたぁ…。どうしたの突然?」
「いやぁ…、キスすれば、好きが解るかなぁって思ったんだけど…」
ゲンは小さく吹き出す。
「な、なんだよ?」
「ご、ごめん。そういうのに必死になってるイヌヒコも可愛いなぁって思って…」
ゲンはポワンとした顔で微笑みながら言った。…あ、またキュンって来た…!
「でもね、何回も言うけど、無理しなくて良いんだよ。イヌヒコが僕を好きになって、キスしても良いって思うようになって
からで」
「お前はそれで良いのかよ?キスしてみたいとか、思ったりしないのか?」
「そ、それは…、してみたい…けど…」
ゲンはモジモジしながら呟く。
「でも…、抵抗…、あるでしょ?ぼくはゲイだから、キスの経験は無くても、その…、男同士でするのも平気だけど…」
「…う〜ん…。どうなんだろう?おれもキス自体の経験が無いからなぁ…」
ゲンは微笑む。いつもと同じ心が安らぐ笑顔で。
「焦ることないよ。ぼくも、頑張ってイヌヒコをおとすから!」
「おとす?」
聞き返したおれに、ゲンは照れ臭そうに笑った。
「惚れさせる。って事!」
「っぷ!」
「あぁ〜!笑ったぁ〜!」
思わず小さく吹き出したおれに、ゲンは頬を膨らませる。
「ごめんごめん!あはははは!馬鹿にしてるとかじゃないんだぞ?」
だってさ、あのゲンの口から「惚れさせる」なんて言葉が聞けるなんて、思ってなかったんだ!
好きって、難しいな…。好きの意味が…。
でも、こうやって少しずつでも、気持ちを確かめて行けるのは少し楽しい。
おれがゲンの事を好きなのは間違いないんだ。でも、惚れているかって聞かれると、そこが定かじゃない。
焦るなってゲンは言うけれどさ、おれ、元々じっくりとかゆっくりが苦手な、気が早いたちなんだよ…。
だからさ、ゲン。遠慮なんて要らないんだぞ?今ちょっと見せてくれたように、もっと積極的におれを揺さぶってくれよ!
飯を食い終わったおれ達は、のんびりと散歩して、芝生の広場に辿り着いた。
人の居ない広々とした芝の上に寝転び、おれとゲンは大の字になって空を見上げる。
「アブクマ先輩が言ってたんだ」
ゲンは唐突にそう言った。
「先輩、空を見上げるのが好きなんだって。自分を見失いそうな時、悩んだ時、困った時、いつも空を見上げるんだってさ」
「へぇ?何でかな?」
いつもどっしり構えているあの先輩が、悩んだり、自分を見失ったりするのは想像し辛かったけど、もちろん興味が湧いた。
「空はね、毎日姿を変えるけれど、それでも空なんだって…」
「…どういう意味だろう?」
「うんとね…、曇ったり、晴れたり、夕暮れで赤くなったり、透き通るような青になったり、色々と変わるよね?」
「うん。まぁ、そうだよな…」
見上げるおれ達の上には、今は吸い込まれそうに真っ青な空が広がっている。
「姿は変わっても、空は空のまま、変わりないんだって」
「…うん…」
「いつでも大きくて、広くて、変わらない空を見上げていると、悩みも、困り事も、それで右往左往している自分自身も、小
さく思えて来るんだってさ」
「…う、うん…」
む、難しいなぁ…。っていうかゲン、先輩とそんな事を話してるのか?もっとこう一般的な…、クラスで盛り上がるような
話題とかを話さないか普通?
「ぼくね、小さい頃は空が怖かったんだ」
ゲンは小さく笑いながらそう言った。
「じっと見上げてたら、何かの拍子にぐるんと回って、なんだか空の中に落っこちていっちゃいそうで…、だから、ジャング
ルジムのパイプなんかを、しっかり掴んで見上げてたんだ」
俺は首を巡らせて、空を見つめているゲンを見る。
「怖いのに、見上げてたのか?」
「うん。怖いけど、それでもやっぱり見上げちゃうんだ。…へん…だよね…?」
ゲンは恥かしそうに笑う。おれはその横顔に、ドキッとした。…ゲン…、可愛い…。
「ゲン…」
「うん?」
おれはごろっと転がり、ゲンに覆いかぶさった。
「わ!?な、なに?」
「ゲン。おれ、やっぱりお前の事が好きみたいだ…」
「…え…?…むぐっ!」
おれは、ゲンの唇を、自分の唇で塞いだ。
ゲンは目をまんまるにして固まっていた。
ほとんど奪うような形になったけれど、これが、おれ達のファーストキスになった…。
「ご、ごめんなゲン…?おれ、なんか興奮しちゃって…」
「う、ううん。良いんだ。ぼくも、その…、う、嬉しかったし…」
芝生の上に背中合わせに座り、ぴったりくっついたまま、おれとゲンは揃って空を見上げていた。
…顔が…、熱い…!
おれ、ついにキスしちゃった…。
「なぁ、ゲン。おれ、今さっき気付いたんだ」
「うん?」
「おれさ、今、お前にくっついて、覆いかぶさった時な?」
「うん」
「…勃起してた…」
「うん。…へ…?」
一度頷いたゲンが聞き返す。
「で、でさ…、お前と抱き合った時の事とか思い出したらさ…、その…」
言葉で説明するのが、恥かしくなってきた。
おれは背中をくっつけて座ってるゲンの右腕を掴み、自分の股間に引っ張って、勃起してるチンポに触れさせた。
「…な、硬くなってるだろ?」
「う、うん。凄く、硬くなってる…」
ゲンの手が感触を確かめるようにもぞっと動き、おれはチンポを刺激されてピクンと体を突っ張らせる。
「あ、あのさ…。おれ、たぶんお前の好き、解って来てるんだと思う。だっておれ、さっきは、解りたいとか、そういう気持
ちからじゃなく…、ただ、お前とキスがしたくなったんだ…」
「イヌヒコ…」
「…ゲン…、おれ…、おれ、お前の事が…」
勢いに任せて、シャワールームで言った時とは違う。おれは、確かにあの時とは微妙に違う気持ちで、ゲンに言う事ができた。
「お前の事が好きだ。…ゲン…」
ゲンはしばらく黙った後、背中越しに小さく呟いた。
「うん。ぼくも、イヌヒコが好き…!」
言葉にして、はっきり実感できた。
おれはゲンが好きだ。
微妙に変わってきたこの気持ちは、きっとゲンの「好き」と同じものなんだと思う。
大丈夫…!きっとおれ達は、恋人としてやっていける…!
「ゲン。好きだ!」
「うん!ぼくもきみが好き!」
二人で「好き」を繰り返していたら、なんだか可笑しくなって来て、おれ達はどちらからともなく笑い出した。
誰も居ない芝生の広場で、背中をくっつけて空を見上げながら、おれ達は声を上げて笑い続けた。