第二十一話 「ダイスケのお泊り」(前編)
オレは田貫純平。東護中学二年生で、柔道部主将を務めている狸獣人。成績は中の上。最近は保体の授業に興味津々。
そんなオレは、弾んだ声で受話器に話しかけた。
「本当に!?」
『うん。ジュンペーの両親が良いなら、お泊まりオーケーだって』
ダイスケは嬉しそうに言った。もちろんオレだって嬉しい!
「じゃあ、部屋の掃除して待ってる!そうだ!お菓子とか買って来るけど、何が良い?」
『…ジュンペー、言っとくけど週末だからな?今日じゃないぞ?』
「あ、そ、そうだった…。てへへ…」
照れ笑いしたオレに、受話器の向こうでダイスケも笑う。
「それじゃあ、詳しい話は道場で会った時に…」
『うん。それじゃ、おやすみジュンペー』
「うん。おやすみダイスケ」
『あ、それと…』
「うん?」
『…愛してるぞジュンペー』
オレは静かに受話器を置いた。
「どうしたの?お兄ちゃん」
「なんでもないよぉ〜!うぇへへへへっ!」
廊下ですれ違った際に、怪訝そうな顔で尋ねて来たショーへーにそう応じながらも、ダイスケの照れた声が耳元で何度もリ
プレイし、オレは小躍りしながら部屋に戻った。
「…どうしたの?ジュンペー君」
校門でばったり会ったネコムラ先輩が、オレの顔を見るなり目を丸くした。
「え?何がです?」
「何がって…、なんだかこう、宝くじでも当たったような顔をしてるんだけど…」
…それは一体どういう顔だろう?
「まぁ、良かったよ。最近元気無かったからね」
ネコムラ先輩は微笑む。
「それで…、先輩は…、まだ?」
「あ、そうだった。サツキ君、来週から登校できるようになるから」
「え?やったぁ!もう心配で心配で仕方なかったんですよぉ!お見舞いは何故か禁止されちゃったし…」
サツキ先輩は、とある小学校に入り込んだ暴漢の手から、命懸けで男の子を救い出し、名誉の負傷で入院中。
かなりの重傷で、一時は生死の境を彷徨ったらしい。
入院生活ももうじき一ヶ月になるけれど、やっと学校に出て来れるんだ!
「それで、何で嬉しそうなの?ずっと笑顔で…、何だか不審人物みたいなんだけど…」
不審人物って何!?
「…えぇと、実はですねぇ…」
オレは先輩に耳打ちし、ダイスケが泊まりに来る事を報告した。
「へぇ…。それは良いね!ちょっと羨ましいな」
先輩はにこやかに微笑んだ。
「あ、そうだ。そんな二人のために、少しアドバイスしちゃおうかな…」
「アドバイス?」
首を捻ったオレに、先輩は意味ありげな笑みを見せた。
「うん。放課後、少し時間取れる?」
「ええ。部活があるから、それほど長くは取れませんけど…」
「それでも良いよ。そんなに時間はかからないから」
「判りました。ところで、アドバイスって、一体何の?」
先輩は周囲をちらっと伺い、誰もオレ達に注意を払っていない事を確かめた後、オレにそっと耳打ちした。
「Gの相互行為版における僕の経験と考察、私見及び有効と思われるテクニックについて」
…じーのそーごこーいばん…。
Gって…、じーって…、やっぱり自慰の事ですよねっ!?
ネコムラ先輩の言葉が頭から離れず、その日の授業の内容が一つも頭に入らなかったのは、言うまでもない…。
そして放課後、人目を忍び、先輩と屋上で密会したオレは、先輩から一冊のノートを渡された。
「…こ、これは…?」
「僕が経験したり、実践したテクニックと注意事項をメモしたノート、一応図解入り。授業中に周囲を気にしながら書くのは
なかなかスリリングだったよ」
って、そういう内容のノート一冊を今日の授業中に書いたの!?何考えてるんだこの先輩は!?
ぱらぱらと捲ってみると、ノートは丁寧なイラストによる図解入りで、実に見やす…、
ぷぴっ!
「どうしたのジュンペー君?」
鼻を摘んで空を見上げたオレに、ネコムラ先輩は訝しげに尋ねる。…は…鼻血出たよ…。
「い、いえ。ちょっと興奮して…」
…図解イラストのモデルはサツキ先輩だった…。しかもネコムラ先輩、超絵が上手いし…!…これ、永久保存版でずりねた
にしよう…。
鼻にティッシュを突っ込み、改めてノートを開くと、仰向けの状態でご開帳しているサツキ先輩がそこに居た。
睾丸をマッサージされている、良い表情のサツキ先輩が…、
ぶしっ!
「だ、大丈夫!?飛んだよ!?」
「へ、平気です…、ちょっと刺激が強かっただけ…」
オレは思わず飛ばしてしまったティッシュに代わり、新たに丸めた次弾を再装填する。
なんで表情とかまで克明に描写されてんのこれ!?脱ぎ捨ててあるブリーフとかまで!?これ、もはや図解なんかじゃ無い
し!…っていうか、先輩方、いつもこんな事してるのか…。
「一応、初めて用にソフトなのを集めたつもりだけど…」
ソフト…、これで…!?ま、まぁとにかくこれは使える!色んな意味で!
「ありがとう先輩!大事に使います!」
これももちろん色んな意味でっ!
「うん!頑張ってね!」
オレはネコムラ先輩と、がっしり硬い握手を交わした。
「主将、何かあったんですか?」
「ん?」
稽古後、ストレッチしていたオレに、一年生の牛獣人が声をかけてきた。
「あれ?オレ何処かおかしい?」
「あ、いえ、その…、おかしいっていうか、何て言うのか…」
黒毛和牛は上手く言えないのか、ごもごもと呟く。
彼は小牛田元(こごたげん)。立派な体格の牛獣人だけど、見た目に反して少し気が弱い所がある。
おっとりした性格だけど、柔道は結構強い。今年の春に柔道経験ゼロで入部して、まだ柔道初めて九ヶ月なんだけどね。
努力家な事、体格に恵まれた事、それに何より教官に恵まれてるのが急成長の秘密かな。
「まぁ、ずっとニヤニヤしてますもんね。何か良いことあったんでしょう?」
黒牛の後ろから、ちょっと背が低めの犬獣人がひょこっと顔を出す。
「え?オレずっとニヤニヤしてたの?」
「気付いて無かったんですね?」
彼は上原犬彦(うえはらいぬひこ)。秋田犬の獣人で、コゴタと同じく一年生だ。柔道歴は四年以上、自他共に認める一年
生中ナンバーワンの実力者だ。
コゴタとは対照的に、勝ち気で自信家。ちょっとした行き違いがあって、一学期中はコゴタを毛嫌いしていた事もあったけ
れど、今じゃすっかり仲良くなって、いつも一緒に居る。
「デートですかね?」
ウエハラはニヤリと笑う。
「ふふん!まぁそんなとこさ!」
オレが即答すると、逆にウエハラが面食らった。
「え?主将、付き合ってる人居たんですか?」
「随分驚いてるようだけど、オレ、そんなにモテないように見えるのかい?」
「い、いや、そんな事は…!モテそうだよな?な?ゲン?」
慌てたようにフォローするウエハラに話を振られ、
「うん。主将良い人だし、優しいし、かっこいいし」
黒牛はぽわんとした顔で微笑む。
…コゴタは本気でそう思ってくれてるようだけど、ぶっちゃけオレ、モテません。
…まぁ絵に描いたような狸体型だし…、女子の目にはかっこよく映らないのは確かだ…。
悲しくなんかないぞ?だって女子に興味ないし!ダイスケっていう恋人居るし!
それはそうと…。オレはコゴタをちらりと見る。彼は、実は中体連でダイスケと当たっている。
ダイスケは強い。ウェイト差を考えても、オレよりもずっと強い。
今年の中体連ではイイノ先輩に敗れたものの、日々メキメキと強くなってるから、今やったらどっちが勝つか判らない。
周りに居るオレの同年代の選手の中で、ダイスケは間違いなく五本指に入る。
…まぁ、サツキ先輩やオジマ先輩は次元が違う、文字通りのバケモノだけど…。
ダイスケは、コゴタとの試合では開始と同時に速攻で攻めに出た。いつもなら、どっしり構えて相手の実力を肌で感じつつ、
落ち着いて攻めるのが彼のスタイルなのに。
そんなダイスケが、コゴタとの試合では短期決戦に出た。
本人が、いや、今部内に居る誰もが、コゴタが秒殺されたと思っているあの試合、本当は少し違う。
あのダイスケが、今年柔道を始めたばかりの一年生を相手に、らしくもなく強引に攻めざるを得なかったんだと言っていた。
「あいつ強いなぁ!」
その事を話した時、ダイスケは嬉しそうに笑っていた。
「デビューしたての一年生だよ?ちょちょいっと頭を撫でてやる感じで、ちょこっと手加減してやるとかさぁ…」
そう言ったオレに、ダイスケは可笑しそうに笑ったっけ。
「頭撫でてやるなんてとんでもない。あいつ、中身は猛牛だ。うかうかしてたら撥ね飛ばされるぞ?」
と、ダイスケに猛牛とまで言わしめた当のコゴタは、オレの視線の意味が判らず、ぽや〜っと微笑んだまま首を傾げていた。
オレは視線を動かし、ウエハラを見る。
ウエハラは、どっちかといえばオレに近いスタイルだ。もっと細かく言うならオレよりもスピードに特化したスタイルって
言えるかな。
腕力にも体格にも恵まれているとは言い難い。そんなウエハラの武器は、コゴタとは別の方向に求めなければならなかった。
体捌きと技術、スピードで相手を攪乱させてペースを握り、隙を作らせて仕留める…。
キダ先生と共に、ウエハラにこのスタイルを仕込んだのはオレだ。
柔よく剛を制す。
オレ達のこのスタイルこそが柔道の本質であり、そして至高の目標だと、滅多に褒めてくれないオジマ先輩は言った。
だからこそオレは、先輩やダイスケのスタイルに憧れながらも、あえてこのスタイルに拘ってる。
ウエハラは観察眼に優れてる。オジマ先輩の動きから、オレが見よう見まねで身に付けた足捌きも、四苦八苦しながらもな
んとか物にしつつある。
今年の一年生は本当に豊作だ。オレ達が引退した後も、きっと強豪校と渡り合っていけるだろう。
…って、引退なんて来年の話だった…。気が早いなぁオレも。
主将に任命されてから、どうにも先の事、先の事って考える癖がついちゃってる…。
「どうしたんです?今度はぼーっとして?」
ウエハラは不審げにオレの顔を覗き込む。
「いや、来年の事をちょっと…」
そう言いながら苦笑いして、オレは立ち上がった。
部員達も次々に道場を後にしてる。さっさとシャワーを浴びて帰ろう。でないと戸締まり担当のこの二人も、いつまで経っ
ても帰れないしね。
「先にシャワー使うよ?戸締まりよろしくね」
「はい、お疲れ様でした」
「任して下さいっ!」
二人を道場に残し、オレは更衣室に向かう。ネコムラ先輩から貰ったノートの事は、極力考えないようにしながら…。
って考えちゃった!やばいっ!これからシャワーなのに愚息が興奮してる!
そして二日が過ぎ、待ちに待った金曜日がやって来た!
部活を終え、猛ダッシュで家に直帰したオレは、前日に買い込んでおいた菓子類をチェックし、綺麗に掃除した部屋を再確
認する。
「なんだか恋人が来るみたいだね!」
と、ショーへーは無邪気に笑った。
…鋭い…。恐るべしエイジ・オブ・イノセント…。
巧妙に隠された真実をピンポイントに言い当てたなどとは夢にも思っていないだろうけど、お兄ちゃん、口から心臓が飛び
出すかと思うほどドキッとしたぞ…。
ピンポーン
「こんばんはー…」
来た!来た来た来た来た来たぁぁぁぁああっ!オレは部屋を飛び出し、玄関へダッシュする!
ドアを開けて玄関に立った大柄な黒熊は、オレを見てにこやかに笑った。
「いらっしゃいダイスケ!」
ガッ!
「おぅぁぁぁぁあああ!?」
走り込んだ勢いそのままに、オレはめくれていた玄関マットに躓き、宙を舞った。
そのまま宙で前方へと回転、浴びせ蹴りの姿勢で突っ込んだオレを、ダイスケは両腕で抱き締めるようにして、がっしりと
受け止める。
「な、ナイスキャッチ…、ありがとダイスケ…」
「どういたしまして。まさか浴びせ蹴りで歓迎されるとは思わなかったぞ。このままパイルドライバーで返礼するか?」
「いや、かんべんして…」
腰の辺りをがっしりと抱き止められ、逆さまのまま頬を掻くオレを、ダイスケは笑いながら、両足の間から覗き込んだ。
これ、馬鹿力のダイスケだったから良かったようなものの、他の誰かだったら大惨事だったな…。浮かれすぎだぞジュンペ
ーよ…。
ダイスケは「よっ」と、側転させるようにオレを回転させて、玄関の上に下ろしてくれた。
筋トレ頑張って90キロまで増量できたんだけど、ダイスケにかかれば子供扱いだなぁ…。
「晩御飯まだだよね?ショーへーも一緒に食べるって待ってたんだ!上がってよ!」
「うん。おじゃましまーす」
ダイスケは靴を脱ぎ、のっそりと上がる。お泊りセットが入ってるのか、大きなリュックを背負っていた。
オレ達が最初に会った、昨年の新人戦から一年以上が経つ。
今年の梅雨前、練習試合で対戦して、その後初めて言葉を交わした。
それから数日後、偶然ショッピングモールで会って、親しくなってからもう半年になる。
…何が縁になるか判らないもんだよねぇ…。
「あ。ダイスケさん、いらっしゃーい!」
台所に行くと、ショーへーがテーブルについて待っていた。
「こんばんは、ショーへー」
笑顔で挨拶したショーへーに、ダイスケも笑みを返す。
ショーへーはダイスケによく懐いているし、ダイスケもショーへーを可愛がってくれる。その事がオレには嬉しい。
「座っててダイスケ。今ご飯よそうから」
お父さんとお母さんはまだ銭湯の方で仕事中だ。
オレは用意して貰っていた晩ご飯を温め直し、ダイスケとショーへーにあてがった。
一番大きなどんぶりに大盛りにしたご飯を、ダイスケはぺろっと三杯平らげた。
ちょっと楽しくなりながらおかわりをよそっていた時、オレは気が付いた。
(なんか、新婚生活っぽい?)
気が付いたら、妄想が暴走しそうになったので、元素記号を読み上げて気を紛らわせた。…ショーへーも居る事だしね…。
減量していた頃と比べ、ダイスケの体は一回り大きくなったように感じる。
上背もそうだけれど、幅も厚みもかなり増した。減量を止めてからはウェイトトレーニングに重点を置いているらしく、単
純な力比べならもう全く歯が立たない。
その内今の階級でも厳しくなって、サツキ先輩と同じ無差別級に上がるんじゃないだろうか?
『ごちそうさまでした』
オレ達は揃って食事を終えた。三人で食器を洗ったり、片付けたりして、しばらくお茶を飲んで談笑した。
ショーへーがお気に入りのアニメを見に居間へ向かったのを見計らい、オレはダイスケに声をかけた。
「あのさ。銭湯、使っても良い事になってるから。風呂はあっちで一緒に入ろう」
「え?でも、まだ営業中だろ?」
ダイスケは遠慮するように言ったが、
「ダイスケはまだうちの銭湯使った事無いだろ?お父さん達も勧めてるんだ。一つお試しって事でさ」
そう勧めたら、ダイスケは遠慮がちに頷いた。
「ん。まぁ、迷惑でないなら…」
…ふふふ…。やったね!実はまだオレ、ダイスケの裸を見たことがない。着替えの最中に半裸になってるのはいつも見るけ
ど、全裸の目視はいまだかつてゼロ。つまり一番大事な所を見たことが無いわけである!
「よし!すぐ行こう!さっそく行こう!」
オレはダイスケの手を取って、強引に椅子から立ち上がらせた。
「え?すぐ?ジュンペー、何か焦ってないか?」
ダイスケは怪訝そうに聞き返す。いやもうそりゃあ焦るって言うか何て言うか…、
「うちの銭湯、食事時の今の時間は比較的空いてるんだ。次に空くのは遅くになっちゃう」
「ああ。なるほどなぁ」
納得したダイスケは、ちょっと視線を逸らした。
「空いてた方が…、良いよ…な…。…じっくり…、じゃない!…その…、ゆっくりできるし…」
…照れてる…。
うわっ!やばい、オレも興奮してきた!
「さ、さっさと行こう!今のうちだ!」
「う、うん…」
オレは恥ずかしがっているダイスケの手を引っぱり、銭湯側へ向かった。