第十一話「快感と罪悪感」
姉ちゃんの家から帰るなり、すぐさま自室に篭ったおれは、あせあせと制服を脱ぎ捨てた。
そして普段着に着替え、こっそり拝借してきたエロ本を、そっと鞄から取り出す。
「…こ、これが…!」
緊張からゴクリと唾を飲み込み、おれはエロ本をじっと見つめた。
ただのエロ本じゃない。これは男同士が被写体のエロ本…。
つまり、おれやゲンのような少数派のはずのカップルにこそ、真に役立つエロ本だ。
小さめな割に結構厚いそれの表紙には、トランクス一丁の熊獣人の写真…。姉ちゃん家でぱらぱらっと捲ってみたが、たぶ
ん獣人がメインの本だ。
…毛の色こそちょっと違うし、胸に月の輪もないけど、太り気味な体付きとか、なんかアブクマ先輩と似てるかも…。
期待と不安が入り混じった妙な興奮で、尻尾が勝手にパタパタ振れる…。
なんとなくだけど、いけない事をしてる後ろめたさがある…。それがさらにおれの興奮を煽る…。
かなりドキドキしながら、おれは畳の上にあぐらをかいて、おそるおそる表紙を捲った…。
巻頭グラビアは、表紙の熊獣人だった。
先輩と違って筋肉質じゃない。ただの脂肪太りだなこれ…。
むちっと突き出た丸い腹に窪んだ臍…。こういうとこはちょっと似てる。…ゲンもアブクマ先輩もイイノ先輩も、こういう
腹をしてたよな…。
おれはページを捲って、
「…!?」
反射的に表紙を閉じる。
…今の…、何…!?
一瞬目にした物が信じられず、おれは恐る恐る、再びページをめくる。
…熊獣人が…、トランクスを膝の上までおろして…チンポを見せてる…。
体の割に結構小さい…?い、いやそうじゃなく!モザイクがかかってるとはいえ、こんな写真が雑誌に…!?
い、いや落ち着け…!落ち着けおれ…!これはそういう雑誌なんだ…。そういう写真が載っていても、ちっとも不思議じゃ
ない…。っていうか、そういう写真「こそ」がメインの雑誌なんだ…!
ある程度衝撃を受けるのは予想はしていたけれど、衝撃はそれを遥かに上回るものだった…。
こ、ここで怯んでどうする!?せっかくの貴重な情報源なんだ。丸暗記するつもりで全部読まないと…!
覚悟を決めて、おれは次のページを開く…。
…え?これ…何…?え?尻?尻の穴に、何か、入れて…?…数珠…?
苦悶しているような、それでいて気持ち良さそうでもあるような、複雑な表情を浮かべている熊獣人の顔を極力見ないよう
にして、さらにページを…。
…う?こ、これ、男同士で、抱き合って、まさか…、まさかこれ…!?
一応、大人がするセックスというものは知っている。話に聞く程度の知識しかないけど…。
仰向けになって足を大きく広げて、股を開いている熊獣人に、こっちもかなり太目の虎獣人がのしかかってて…、この体勢っ
て、話に聞いてたセックスの…?
…男同士で、って事は…。…その…、チンコが入る所って…。まさか…、いや、でも他に無いし…、やっぱり…尻の穴…!?
混乱の極みにありながら、おれは、自分のチンコがギンギンに硬くなってる事に気が付いた。
…おれ、この本で興奮しちゃってるのか…!?
おれは本来ならこんな本を読んじゃいけない歳だ。
だからこそ、なんとなくだけど18歳未満が読んじゃダメな理由が分かった。
…刺激が、ハンパじゃない…!
焦りと不安と罪悪感、そして強い興味から、おれは食い入るように雑誌を見つめつつ、ページを捲り続ける。そして…、
「!!!」
おれは息を飲んで、カチンと硬直した。
大きく広げた股をこっちに向け、恥かしそうな照れ笑いを浮かべる黒い牛の獣人…。
もちろん立派な大人、二十代後半くらい…、なんだろうけれど…。
「…なんか、ゲンに似てる…」
呟いた途端に、なおさらそのイメージが強くなった。
黒い体毛の色。骨太の体付き。盛り上がった広い肩。ぶっとい両もも。肥満気味の体。モザイクはかかってるけれど、立派
なアソコ。…そして恥かしそうな笑み…。
和牛特有の角が、恥かしそうに倒された耳の上についてる。大人になったら、ゲンはきっとこんな感じになるんだろう。
ゴクリと唾を飲み込み、まじまじと、それまで以上にじっくり、そのページを見つめる。
四つん這いになって、こっちにでかい尻を向けている写真。
仰向けになって仰け反りながら、逸物を握ってる写真。
写真の枠の外から伸びた赤茶色の手に、尻の穴に何か棒のようなものを突っ込まれて、苦悶してる写真。
「はっ…、はっ…、はっ…」
気が付いたら、おれは舌を出して、喘ぐような呼吸を繰り返してた。
強過ぎる興奮のせいか、まるで全力疾走した後のように、心臓がドキドキ言っている。
チンコが…、痛い…。
ガチガチに硬くなって、うずいてる…。
とくん、とくんと、そこにも心臓があるみたいに、強く脈打ってる…。
堪らなくなって、おれは両手で股間を押さえた。
雑誌は床に広げたまま両手で股間を…、ズボンの上から硬くなったチンポを撫で、揉む。
なんだかしっくりこないけれど、なんとなく、そうすると楽になれそうな気がしていた。
股を広げた写真の、モザイクに隠された逸物を見つめる。
その上には、肉が垂れ下がった、柔らかそうにせり出た腹。
さらにその上には、贅肉がついて丸くなり、やっぱり垂れ気味の乳。
ゲンと抱き合った時の、柔らかい感触がはっきりと思い出された。
「はっ、はぁっ、はっ…!」
気が付けば、ズボンの上から擦っている股間から、奇妙な快感が下っ腹に広がり、腰から力が抜けそうになっている。
股間への刺激がそのまま快感になる。勃起した時は確かにそういう事があったが、両手でチンポを弄って快感を貪るのは、
初めての経験だった。
両手で股間を刺激しながら、おれは写真の牛を、ゲンの姿と重ねる。
…ゲンにこんな格好をさせたら、やっぱりあの恥かしそうな顔で笑うんだろうか?それとも、恥かしくて涙目になるかな…?
「はっ!はぁ!はぁっ!げ、ゲン…!」
手の動きは、意図せずに激しくなっていった。
頭の中でゲンの体の感触を、優しい間延びした声を、繋いだ手の暖かさを、キスの感覚を何度も反芻する。
快感は、もう耐え難い程になっていた。
衝動に抗えずに振っている尻尾で畳を何度も叩き、かなり前のめりの姿勢で雑誌に顔を近付け、荒い息を吐きながら、おれ
は快感を貪る。
「げ、ゲンっ…!ゲ…ン…!」
何度もゲンの名を口にした。口にするたび、写真の牛がゲンだと錯覚しそうになる。
…な、なんか…、おれ、小便漏らしそう…!
下っ腹の奥から、キンタマの下辺りまでがうずく。便所に行かなきゃって思うのに、手の動きを止められない…!
ヤバイ!そう思った時には遅かった。
腰骨から脳天まで駆け上る快感と共に、おれのチンポはパンツの中に熱い液体をぶちまけた。
同時に、堪え難いほどだった、チンコを擦りたい衝動が薄れる。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
呼吸が落ち着いてくると、動悸も治まってきた。
…き、気持ち良い…。
快感の余韻に浸っていたおれは、何故か軽い後ろめたさを感じていた。
ゲンの事を想像しながら興奮したせいか、なんだか、ゲンに申し訳ない事をしたような、そんな気分になっていた…。
しばらく放心状態になった後、びしょ濡れになったパンツが冷えていく感触で、おれはやっと我に返り、今の状況をはっき
りと認識した。
「…やっちゃった…」
おれは呆然としながら呟く。
…う…、うぅっ…!おれ、この歳になって…、お漏らししたよ…!
罪悪感、脱力感と、快感の余韻が冷めてくると、おれは泣きそうな気分になった。
…こんな本読んで、興奮した挙句に失禁したなんて知られたら…、死ねるっ!!!
ブルーになりつつズボンのホックを外し、ジッパーを引き下げながら、おれはさっきの強烈な快感の事を思い出した。
…小便散々我慢した後に便所に行けば、確かにほっとするっていうか、開放感っていうか、一種の快感はある。確かに。
でも、なんかそれとも違うような…?あんな、その…。そう、「気持ち良い」のなんて、これまで経験した事はない。
そんな事を考えながら湿ったパンツを確認していたおれは、妙なことに気が付いた。
「…なんだ?これ…?」
まだ不慣れなトランクスは、確かにぐちょぐちょになってた。
…が、これ、小便とは違う…?
おれはズボンとトランクスを少しずり下ろして、股間を外気にさらし、まじまじと見つめた。
匂いがおかしい。それに、なんか粘り気があってトロっとしてる…。おまけに…、色が白い…。濃い白だ…。
なんだ?なんだこれ?こんな小便なんて出たことないぞ!?
焦り。とにかく焦りがおれの胸を満たした。
血が混じった小便を血尿っていうらしい。見た事はないけど、やっぱり赤いんだろうか?
で、今のおれの場合は、白い…。何が混じった小便なら白くなる?やっぱりこれ、何かの病気なのか?
…まさか…。身長伸ばそうと乳製品多めに摂ってるから白くなった?じゃあこれ血尿じゃなくて乳尿って事なのか!?
すっかり縮こまって小さくなった、ぐちょぐちょのチンコを見下ろし、不安と焦慮に囚われながらも、おれは為す術もなく
座り込み続けた…。
「おはよう。イヌヒコ」
翌朝、通学路の途中で声をかけてきたゲンは、振り向いたおれの顔を見て硬直した。
「おはよ…ゲン…」
「ど、ど、どうしたの?何だか、凄い顔だよ?」
「どんな顔だ?」
聞き返してはみたものの、…まぁ、無理も無いか…。
昨夜は不安で不安で全然眠れなかった…。
それに、ゲンの顔がまともに見れない…。昨日のエロ本の写真に姿を重ねたせいなのか、なんかこう、妙な罪悪感がある…。
あの変な小便でグショグショになったパンツは、こっそり自分で洗って洗濯機に入れたから、おれが乳尿を漏らした事なん
て家族の誰にも知られていないはずだ…。
…おれ、病院に行くべきなんだろうか…?
ゲンは途方に暮れたような顔で、おれと並んで歩き出しながら、
「もしかして…、昨日言ってた、幼なじみの先輩に相談するっていう話…、上手くいかなかったの?」
と、心配そうに、小声で囁いた。
…あ。その事も話しておかないといけないよな…。
「そっちは大丈夫。力になってくれるってさ。ただ、おれはこれ以上首を突っ込むなって言われた。先輩自身の事じゃないら
しいけど、複雑な事情があるらしいから」
「やっぱり、複雑な事なんだ?でも、相談に乗ってくれそうな人が居て良かったぁ〜」
微笑んだゲンは、「ん?」と小首を傾げる。
「…あれ?だったらイヌヒコ、どうして元気がないの?」
黒毛和牛はつぶらな黒い目で、不思議そうにおれの顔を見つめた。
…ゲンに、相談してみようかな…。
周囲を確認して、傍で聞いている生徒が居ないことを確認し、おれは思い切って(でもぼそぼそと)ゲンに話しかけた。
「あの…さ…。ゲンは、白い小便って、出たことあるか?」
「白い…?」
ゲンはきょとんとした顔をする。…やっぱりそんな経験なんてないか…。
ため息をついたおれに、ゲンはおずおずと尋ねて来た。
「それ、精液じゃなくて?」
「せいえき?」
どこかで聞いたような聞いてないような単語に、おれは首を捻る。
「保体で習ったよね?ほら…、その…。おちんちんの中で、精子が作られて…」
ゲンは恥かしそうにもじもじしながら、小声でそう続けた。
…言われてみれば…、習った…かも…?
「寝ている間に出ちゃったりとかするけど、心配ない事だってビクラ先生が…」
「心配…無いんだ?」
「うん…。そう言ってたよ?」
おそるおそる尋ねると、ゲンは小さく頷いた。
「夢精っていうらしいけれど、…イヌヒコ、もう来たんだ?」
「へ?」
夢精…。そう、確かそう習った。でも、おれの場合は寝てて勝手に出たわけじゃ…。
何と言おうか迷っていたおれに、ゲンは恥かしそうにごもごもと呟く。
「…ぼく、まだなんだ…。ひょっとして、皆もう済んでるのかな…?」
どうなんだろう?でも、経験したなら、誰かから話が出てもおかしくないような…?
あ、でもちょっと恥かしいし、経験したとしてもやっぱり黙ってるかな?
それか、おれみたいに病気か何かと勘違いして隠すかも…。
いろいろと想像を巡らすおれに、ゲンはなんとも形容し辛い、微妙な笑みを見せた。恥かしがってるような、そして…、何
だろう…?
「…なんだか…ちょっと羨ましいな…」
「羨ましい?」
ゲンの口から出たのは、予想外の言葉だった。
「何で羨ましいんだ?」
「だって、大人に近付いたって事でしょ?」
首を傾げたおれに、ゲンは相変わらず恥かしそうに小声で言った。
大人に近付いた、か…。…フライングしてエロ本読んでたら出ちゃった…。なんて事は伏せておくべきだよな…。
ちょっと安心して、元気を取り戻したおれは、ゲンに笑いかけた。
「そっか!羨ましいか!」
「うん。ぼくも早く来ないかなぁ…。やっぱりビックリしたんでしょ?早めに経験しちゃいたいけれど…」
ゲンは興味深そうに、そして少し心配そうに、前を向いて目を細くした。
「大丈夫だって。どうって事ないさ!」
おれは気楽にそう言って、ゲンの背中をポンと叩いた。
ゲンもきっと最初はビックリするだろうなぁ…。
その時は、おれの方がちゃんと話を聞いて、安心させてやろう!
…そうだ。もうちょっと詳しく聞いてみた方が良いよな…?
こういうのって、誰に相談すれば良いかな…?
「そうだ。いよいよ今日だね?」
「ん?」
おれは考え事を中断し、ゲンの顔を見る。
「もしかして、忘れてる?先輩達との…」
「あっ!対抗の団体戦!」
昨日からいろいろあってすっかり忘れていたおれは、思わず大声を出していた。
周りの視線が集まる中、おれは声を潜めた。
「やばいっ…!すっかり忘れてた…!」
「あはは。余裕だねえ、そこも羨ましいなぁ…。ぼくなんか昨日からずっとドキドキしっ放し…」
苦笑いして応じたゲンから、おれは頭を掻いて視線を逸らした。
これは余裕があったんじゃなくて、余裕が無くて忘れてたんだよ…。
白い、清潔な部屋に、ハーブティーの爽やかな香りが漂っている。
机の上には湯気の立つ二つのティーカップ。それを挟んだ向こう側には、柔和な顔立ちのビーグル犬の獣人が座ってる。
ここは保健室。おれは昼休みを利用して、先生に昨日の事を相談に来てみたんだ。
保健のビクラ先生は、おれの話を聞き終えると、微笑を浮かべたまま小さく頷いた。
「心配要らないよ。それは健全な男子なら普通の事だからね」
その言葉を聞いて、おれは心底ほっとした。
おれは、先生に昨夜のことを打ち明けた。…もちろん、ゲイのエロ本の事は伏せて、普通の雑誌のグラビアで興奮したと言
い換えてあるけど…。
「マスターベーション…。オナニーって言うのが一般的かな?他にもマスカキとか、センズリとも言うけれど…。まぁ、年頃
になるとね、皆そうやって性欲を紛らわせるんだ」
「そうなんですか…」
安心しながら頷いたおれに、ビクラ先生は少し難しい顔をした。そして、
「…僕の場合は中学卒業間際に覚えたけれど…、最近の子は早いなぁ…」
と、ぼそっと呟く。…おれ、早い方なのかな?
「まぁとにかく、皆がする事だから、あまり過敏に考える事はないよ」
「はい。ありがとうございました!…実は、病気なのかと思って、ちょっとビビっちゃって…」
俯いて頭を掻いたおれに、ビクラ先生は優しく微笑む。
「そうだろうねぇ。最初は皆ビックリするさ」
あ〜…、先生に話したらすっきりして、気分が楽になった。少し恥かしかったけど、相談してみて正解だったな…。
さぁ!これで心置きなく試合に集中できるぞ!
…あ…。
い、今更だけど自己紹介…。
おれは上原犬彦。東護中一年生、柔道部所属の秋田犬の獣人。
変な病気かと心配した乳尿は、どうやら健全な男がキンタマで生成する、精液というものだったらしい。
…これからは、保体の授業くらいは真面目に受けた方が良いな…。