第五話 「バトンタッチ」

ボク、田貫純平は、東護中学一年生。苗字そのままの狸の獣人。身長は平均そこそこ、幅は平均よりほんのちょっぴり太め。

 得意科目は国語。苦手な科目は数学と理科。この間行われた一学期の期末テストでは、意外にも英語が高得点。得意科目に

なりそうな予感!

さて、ボクが所属する柔道部は、現在、道場で部員全員が車座になっている。

 今年の中体連を振り返って反省会をしているところだ。

実はウチの部では今年、獣人の部、個人戦で二人が全国大会出場という快挙を成し遂げた!

 …本当は、上手く行けば三人行けるはずだったんだけど…、あろうことか地区ブロック大会の一回戦、140キロ級で階級

が被っているイイノ先輩とオジマ主将が激突…。壮絶な激闘の末にオジマ主将が勝利し、そのまま破竹の勢いで全国出場を決

めたんだ。

そして、主将はなんと全国大会三位に入賞!本人は不満げにむっつりしていたけれど、これはこの学校初の快挙!

もう一人の全国出場者はアブクマ先輩。柔道歴四ヶ月での全国出場。…つくづくバケモノだ…。

 ちなみにアブクマ先輩は、全国大会の二回戦で馬鹿みたいにデカくて強い白熊と当たり、敗北した。

 主将も唸るほどの強さの彼は、強豪を蹴散らしてあっさり優勝を決めた。

 確か首都の学校の選手で、先輩と同じ二年生。アルビノ…オーガッタ…とかなんとか言う長い名前だった。

「くじ運が悪かったよなぁアレは。まさか一回戦で潰しあうなんてよ」

部内で一人だけ無差別級のアブクマ先輩が残念そうに言うと、イイノ先輩は苦笑交じりに答えた。

「オレと主将は階級同じだからな。こればっかりは確率の問題だから仕方ないなぁ」

残念だったけれど、イイノ先輩相手に苦戦したの以外は、主将は全国準決勝まで苦戦のくの字もしなかった。

 …本当にもったいなかった。イイノ先輩も十分全国レベルなんだよなぁ…。

「県内でもお前に勝てるヤツはそう居ない。今日以降、お前を阻めるヤツは居なくなる」

主将が、いつもの低い声でそう言った。

…そう。今日で、三年の先輩方は引退なんだ…。



「本日を持って、三年生は引退となる」

顧問のキダ先生が三年生の顔ぶれを見回し、労うようにそう言った。

「私とオジマのスパルタ特訓に耐え切ったお前達だ。これから先、進学しても、社会に出ても、決してへこたれずにやって行

けると信じている。お前達と過ごした充実した時間。残った後輩達も、そしてもちろん私も、決して忘れる事はない。…皆、

長い間ご苦労だった」

「あしたっ!」

『あしたぁっ!』

主将の礼に続き、三年生が礼をした。

目頭が熱くなった。別れを前にして実感する…。

 たった四ヶ月ちょっと一緒に過ごしただけだったけれど、三年生の存在は、ボク達にとってとても大きなものになっていた

んだ…。

「さて、堅苦しい話になったが、お前達の中学生活はまだ続く。暇になったらいつでも稽古しに来い。ただし、勉強に差し支

えない程度にな」

『うっす!』

ボクもいつか、こういう風に送られる側になるのか…。…いや、その前に…。

ボクはちらりと視線を動かす。

アブクマ先輩は、オジマ主将と何やら話し込んでいた。

最初は険悪だった二人は、今ではそんな関係だった事が信じられないほど仲が良い。

アブクマ先輩は主将を尊敬しているし、オジマ主将も先輩を信頼している。

ボクも、あの二人のようになれるんだろうか?そして…、ボクも一年後には、こうして先輩を見送るんだろうか…。



解散がかかると、皆三々五々に帰り始めた。

今日は稽古も無かったから掃除も無し。夏休みだから皆私服で集まってる。

ちなみにボクは濃紺のティーシャツに白のカーゴパンツ。

イイノ先輩は薄黄色の袖無しのシャツにジーンズだ。

いつもジャージか制服のアブクマ先輩も、今日は滅多に見ない私服姿だ。黒いタンクトップにグリーンのハーフパンツ。

 ボディラインがはっきり分かる、ピッチリサイズのタンクトップが激ヤバ!

ちなみにオジマ主将は、今日もいつもの黒ジャージ。実に常時臨戦態勢な主将らしい。

「…イイノ、アブクマ」

人の少なくなった道場で、オジマ主将が先輩方を呼んだ。

「イイノ、お前は気配りができる、人を纏めて行けるヤツだ。お前なら安心して主将を任せられる。頼んだぞ」

「ご期待に沿えるよう、頑張ります」

イイノ先輩が表情を引き締めて応じ、オジマ主将がその肩を叩く。

「アブクマ、お前は顔が怖いが一年共にも慕われてる。下の奴らを見ながら、イイノをしっかり支えてやれ」

「顔の事は先輩にゃ言われたかねぇなぁ…」

アブクマ先輩が苦笑しながら応じ、オジマ主将は滅多に見せる事の無い笑みを浮かべた。

…そうだ、今日からイイノ先輩は新主将に、そしてアブクマ先輩が副主将になったんだ。

「さて、俺から言葉で伝える事はもう無い。あとは…」

オジマ先輩がジャージの前を緩め、アブクマ先輩に向き直った。

「残ってるのは俺達だけだ。すぐやるか?」

「お?覚えててくれたんすね?もちろんすぐやれますよ」

アブクマ先輩がニッと笑みを浮かべた。…なんだろう?一体…。

「じゃあイイノ。悪ぃけど頼むわ」

「まったく、主将としての初仕事がこれか…」

先輩の言葉に、イイノ主将が肩を竦めた。

アブクマ先輩とオジマ先輩は、連れ立って更衣室に入ってゆく。

「あの、何かするんですか?」

「う〜ん、まぁ頂上決戦ってヤツかな?」

「はい?」

「公式戦じゃ当たらない、地区内最強の二人の試合さ」

…え?それってもしかして…?

「オレは公式戦で見事にオジマ先輩に負かされたけどね。あっはっはっ」

「ちょ、ちょっと!?なんで皆居なくなってからやるんですか!?」

もったいない!主将と先輩が乱取りしてるのは見た事あるけど、ちゃんとした試合形式でやるのなんて初めてだ!皆にも見

せれば良いのに!

「立会人含め、当事者間だけでやりたいっていうのが二人の希望でねぇ」

「当事者って、何のです?ボクが居ても良いんですか?」

「タヌキも当事者だからね」

「え?それってどういう事で…」

「お、来た来た」

ボクの質問が終わる前に、二人の先輩が道場に戻ってきた。

「全部出し切れ。ウェイト差を考えたりして、手加減などしたら許さんぞ?」

「冗談。先輩相手に手ぇなんぞ抜いたら、間違いなく秒殺されちまうよ」

オジマ先輩とアブクマ先輩が道場の真ん中で向かい合った。

イイノ主将はボクが下がるのを待って咳払いした。

「では…」

二人の先輩の目がすぅっと細くなり、周りの空気がピリピリと張り詰める。

「はじめ!」

『おうっ!』

二人が同時に前に踏み出した。

アブクマ先輩は腕をほぼ真上に高く上げた独特の構え。

 身長を生かして上から襟を取りに行くための構えらしいけど、これ、先輩の体が常にも増して大きく見えるから、向き合う

とすごいプレッシャー感じるんだよね…。

対するオジマ主将はオーソドックスに腕を斜めに上げた構え。

 足が畳から浮いているのがほとんど見えないほどのすり足で移動する独特の足運びは、キダ先生仕込みのものだ。

 畳から足があまり離れないから、どんなタイミングで動かれても、すぐに対応して動けるらしい。

激しい組み手争いになるかと思ったんだけれど、ボクの予想に反し、二人は牽制も抜きにいきなり組み合った。

まともに組み合ったらアブクマ先輩が有利だ。

 もちろん先輩は掴んだ襟を強引に引き、オジマ先輩の左足が出た瞬間、いきなり大内刈りを仕掛ける。

ボクなら間違いなく足を払われている。万が一なんとか堪えたとしても、そのまま押し倒されるタイミングだ。

 が、オジマ先輩はすっと足を上げ、円を描くように動いたアブクマ先輩の右足は空を切った。

 踏ん張ると見せかけて左足を出したのは誘いだったのか!

やっぱりびっくりしたらしく、目を丸くしたアブクマ先輩の目の前で、オジマ先輩の体が急旋回する。

軸足となった右足でトンッと浅く踏み込み、背中を押し付けるように密着した体勢になる。

 刈り足をかわしてから浮かせたままだった左足が後ろへ、つまりアブクマ先輩側に跳ね上げられ、左足を内側から跳ね上げた。

入り方がかなり変わってるけど、内股だ!

 すごいっ!オジマ先輩もかなり大柄なのに、信じられない身軽さと機敏さ、柔軟性!あんな状態から足一本で、あんなに素

早い体移動ができるんだ!?

しかし内股は決まらない。アブクマ先輩もさすがっ!

 先に空振った右足を不安定な位置で踏ん張ったにも関わらず、左足が跳ねられたその状態で、片足一本のまま腰を落として

オジマ先輩の攻めをしのいだ!…見てるこっちが腿攣りそう…。

しのがれたオジマ先輩は焦っているだろう。…と思った矢先、その体がまたもや右足を軸に、いきなり逆回転した。

 跳ね上げた左足がコマ落としのように一瞬で畳の上に戻り、右肩を接する形でアブクマ先輩と向かい合う。

 アブクマ先輩はまだ体勢を崩されたままだというのに、オジマ先輩は素早く体移動を終えていた。

「うぇっ!?」

思わずアブクマ先輩の口から声が上がった。ボクも、イイノ先輩ですらもポカンと口を開けてオジマ主将の動きに釘付けに

なっていた。

そして、オジマ先輩はアブクマ先輩の体を強く引く。

 体勢を崩されたまま、させじと右足を踏ん張るアブクマ先輩、その右足をオジマ先輩の右足が払いに行った。

大外刈りだ!なんて連携攻撃!強靭な足腰だけじゃない。上体のバランス感覚がずば抜けて高くなければ、力も体重も乗ら

ない形だけのものになる。

 なのに、オジマ先輩の連携はアブクマ先輩の巨体を軽々と揺さぶり、油断しようものなら一瞬で投げ飛ばせる!こんなのも

う中学のレベルじゃないよ!

さすがにアブクマ先輩も…、え?

どっしりと腰を落とし、踏ん張った右足は、オジマ先輩の足がからんだまま動いていなかった。まるで、根っこが張ってる

みたいに…。

オジマ先輩の顔が驚きの表情を浮かべた。その右脇に、アブクマ先輩の右手がスッと潜り込む。速く、そして滑らかに。

左手で掴んだ襟を強引に引きながら、アブクマ先輩は右腕で抱え込むようにオジマ先輩の体を浮かせた。

 崩されていた左足がスッと移動し、右足をひっかけられたままの軸足が畳を抉るようにギュリッと動いて右回転、その時に

はもうアブクマ先輩の背はオジマ先輩に密着している。

 体移動を終え、どっしりと構えた下半身。その腰の後ろに乗せるようにして、そのままオジマ先輩を回転運動に巻き込む。

 アブクマ先輩の十八番、大腰だ!

豪快にして流麗、美しいフォームの大腰で、引っこ抜かれたように宙を舞ったオジマ先輩の両脚が綺麗な弧を描く。

ズダンッ!

道場に音が反響し、僕は自分の目を疑った。

襟を掴まれたままのオジマ先輩は、宙で体勢を整え、なんと両脚で着地していた…。そんなんありぃーっ!?

襟を掴み合ったまま、腰を落とし、近距離で睨み合いながら、先輩達は笑みを浮かべている。

 「楽しい」って、二人の目がそう言っていた。

そのまま二人は寝技の応酬に入った。引き、崩し、体を入れ替え、押し倒し、跳ね返し、起き、また掴み合う…、二人は目

まぐるしく上下を入れ替え、主導権を奪い合う。

「っく!?」

しばらく続いた攻防の末、オジマ先輩は、アブクマ先輩に上四方固めで押さえ込まれた。

…驚いた。アブクマ先輩、試合では立ち技ばっかりだし、てっきりそっちの方が得意だとばかり思っていたのに…。

 技の組み立て、連携、体移動、どれも凄い!ウェイト差を別に考えても、寝技の腕前はあのオジマ先輩の一枚上だ!

「20秒」

イイノ主将が時間を読み上げる。もがくオジマ先輩の上で、アブクマ先輩は大きな体と体重を生かしてどっしりと押さえ込

み、微動だにしない。

…ちなみにこの上四方固め、シックスナインを少しずらした体勢という素晴らしくケシカラン技。

 オジマ先輩の顔はアブクマ先輩のお腹の下で、その匂いと感触を存分に味わって…、はぁ、代わって貰いた…ゴホンゴホン!

「そこまで!」

30秒。アブクマ先輩の一本だ!

アブクマ先輩が上から退くと、オジマ先輩は荒い息をつきながら身を起こした。

「俺の負けだな」

オジマ先輩は晴れ晴れとした笑顔で言った。先輩のこんな顔、見るのは初めてだ…。

「初勝利!」

アブクマ先輩はニッと笑ってブイサイン。

「…ま、何敗したか覚えてねぇっすけどね」

苦笑を浮かべ、アブクマ先輩はオジマ先輩に手を貸し、立ち上がらせた。

「さて…。約束、忘れてねぇっすよね?」

「ああ。俺が勝ったら何でも言う事を一つ聞く。お前が勝ったら…」

オジマ先輩はふっと苦笑した。

「初日の、タヌキとお前の稽古、お遊びじゃ無かったと認める。だったな?」

…あ。それって、あの時の…?

「で、どうっすか?」

「俺はお前がタヌキに教わった寝技で仕留められたんだぞ?今更認めるも何もあるまい」

オジマ先輩はそう言うと、ボクを手招きした。

「お前の指導を土台にして、アブクマはここまで強くなった。あの時の発言、取り消そう」

「い、いえそんな!ふざけてたのは確かですからっ!」

オジマ先輩にこんな風に物を言われるのは初めてで、ボクはドギマギしてしまった。

 先輩はそんなボクの耳に口を寄せ、小声で言う。

「…アブクマは鈍感だ。お前の気持ちにはなかなか気付いてくれんと思うが、頑張れよ」

え!?

ビックリしたボクから顔を離し、オジマ先輩は口元に微笑を浮かべた。

 …気付いてたんだ…、先輩…。

「何の話っすか?」

アブクマ先輩の問いに、オジマ先輩が肩を竦めた。

「手強い相手との勝負を、応援してやったのさ」

「おや?タヌキ、ライバル視している選手が居たのかい?」

「え?あ、いや、そのっ!」

イイノ主将が興味深そうに尋ねて来たが、ボクは慌てて上手く答えられなかった。

オジマ先輩は可笑しそうに低く笑いながら言った。

「ああ、結構身近な所にな」

「誰だよ?あ、三河の小田島さんとかか?アライグマだからなんとなく似てるしよ」

「小田島さんは三年だから引退じゃないか。南華の球磨宮君じゃない?タヌキと同じ一年生で同じ階級だし、初出場でいきな

り県大会まで上がってたし」

あれこれと予想を述べた後、先輩方はボクに視線を向ける。

『で、誰なんだ?』

「…ヒミツですっ…!」

ボクは顔を真っ赤にして俯いた。

「さて、シャワーを浴びて帰るか」

「あ、背中流しますよ!なんだかんだ言って、先輩と風呂入った事なかったもんなぁ」

更衣室に引き上げ始めたオジマ先輩を、アブクマ先輩が追いかけた。

…ボクは汗かいてないし、今日は入る理由無いな…。それに、今は二人の邪魔をしたくないや…。

 ボクがホモじゃなかったら、先輩方みたいに…、アブクマ先輩とも、あんな風なちょっとかっこいい関係にもなれたのかな…?

「風呂も沸かしておきましたから、ごゆっくり〜」

イイノ先輩は二人にそう声をかけ、それからボクに視線を向けた。

「…で、本当のところ、ライバル視してるのって誰?」

…結構食いつくなぁ…。

「ヒミツです!」

「えー、良いじゃないか教えてくれても」

「誰だってヒミツにしたい事の一つや二つあるじゃないですか。先輩達だって…」

ボクは言葉を切り、イイノ先輩も目を丸くしていた。

「ヒミツにしておきたい事の…」

「一つや…、二つ…」

ボク達は、二人が消えていった更衣室のドアへ視線を向けた。



20分ほど後…、笑いを噛み殺しているオジマ先輩と、打ちひしがれた表情のアブクマ先輩が戻ってきた。

 …やっぱり見られたんだ…。

「…反則だ…。あんなんアリか?…中学生なのに…」

オジマ先輩の息子さんはどんな方だったのだろうか?アブクマ先輩は悪夢でも見たような表情でブツブツと呟いていた。

オジマ先輩は笑いの発作を堪えたまま、ボク達に言った。

「そろそろ帰るか。…最後だからな、ラーメン奢ってやる」

「え?オレ達が奢りますよ。先輩は送られる側じゃないですか」

イイノ先輩が慌てたようにそう言うと、

「最後なんだ。先輩面させろよ」

オジマ先輩はそう言ってニヤリと笑った。

最初は苦手だったオジマ先輩は、今でも厳しくて怖い人だけど、でも、飛びっきりカッコイイ先輩です!