第八話 「主将のお礼」

ボクは田貫純平。東護中一年で、柔道部所属。名字のとおり狸の獣人で、身長は平均そこそこ、幅はほんの少しだけあるかも。

「はいはい。今日の掃除は終わりー、解散するぞー」

イイノ主将がパンパンと手を叩き、稽古後の道場を掃除していた僕達は、掃除器具を片付け始める。

オジマ前主将と比べると少し威厳が足りなくも見えるけれど、イイノ主将は気配りの人だ。三年生が引退した後も、新体制

でアットホームに纏まっている。

「明日、明後日と練習休みだからな、皆忘れないように」

そうだった。道着持って帰らないと…。今週も頑張ったから、道着はたっぷり汗を吸っていて少し臭う…。

大会前を除き、学校が休みの土日は部活も休みだ。さぁて、何して過ごそうかな…。期末試験も近いし、少しは勉強しよう

か…。…あ、そう言えば今月は12月…。

ボクはチラリと視線を巡らせ、愛しの先輩の姿を探す。…やたらとでかいから実際には探すまでもないんだけどね。

居た居た。用具を片付け終えて、二年の先輩方と談笑している。がっしりした逞しい体は濃い茶色の被毛に覆われ、道着の

胸元からは白い三日月マークのちょうど真ん中が覗いている。この大柄な熊の獣人が、我が柔道部副主将、阿武隈沙月先輩だ。

先輩は今年の中体連では全国大会まで勝ち進んだ部内…、いや、地区内最強の漢だ。それも、今年の四月から柔道を始めた

ばかりでの成績なんだからデタラメだ。

大柄でいかつい顔、パッと見怖そうに見えるけど、気さくで面倒見が良い、優しくて頼れる先輩である。

ボクは、この巨漢に恋をしています…。



戸締まり担当のサツキ先輩とボクは、皆のシャワーが終わってから入り、道場をチェックして回る。面倒そう?いいやとん

でもない!僕にとっては先輩と二人っきりになれる貴重な時間だ。

「あと二週間でクリスマスですね」

更衣室に二人だけになった時を見計らい、ボクは何気ない風を装ってそう言ってみた。

「あ〜、そうだったなぁ」

興味がないのか、先輩は制服に着替えながら気のない返事を返す。お、この反応は…先輩も独り者と見て大丈夫そう?

「クリスマス、一緒に出かける人とか居ないんですか?」

「居ねぇよ。家でだらだら過ごすさ」

ここだけの話、先輩は人気がある。大会での活躍といい、ちょい悪風な外見といい、それでいて気さくで優しい所といい、

女子から見れば頼り甲斐のある人に見えるだろう。

オジマ前主将と並び、大会では応援に来た女子から黄色い声援が飛んでいた。…もっとも、本人達は試合に集中していて視

線すら向けなかったし、後で確認したら気付いてもいなかったらしいけれど…。二人とももったいない…。

色んな噂が付き纏ってて、入学当初は怖がっていた一年生も、二学期も終り間際の今となっては、噂の数々が誤解である事

をすっかり知っている。実際、ボクのクラスの女子にもファンが多い。

ただし、ファンが多い事を本人は全然知らない。

無茶苦茶硬派なイメージがあるせいで、告白に至った女子はおろか、コンタクトを取る女子もほとんど皆無。ボクも何度か

クラスの女子に、

「ねぇ、タヌキ君、アブクマ先輩と仲良いんでしょう?付き合ってる人とか聞いたこと無い?」

…というような事を尋ねられた事がある。それに対しボクは…、

「女子に興味ないみたいだよ?先輩硬派だし」

と、答えておいた。ただでさえ勝ち目が薄いんだから、ライバルなんか増やしてなるものかっ!…本人も女子に興味が無い

と言っているし、嘘でもない…はず…。…ご免なさい先輩…。

まぁ、先輩が鈍感なおかげで助かっている部分もある。でなきゃ言い寄る女子とホモのボク(未だに申告できてません…)、

先輩がノンケな以上、勝ち目は全く無い。

ボクは何気なく…、あくまで何気なく尋ねてみる。

「誰かとその、つっ、付き合ったりしないんですか?」

やべっ、声上ずっちゃった…。

「…ん…、別に…、女子に興味ねぇしな…」

この手の話題は苦手なのか、こういう話になると先輩の返事は歯切れが悪くなる。

「好きな人とか、居ないんですか…?」

ちょっとどきどきしながら尋ねたら、先輩の動きが止まった。

…え!?ま、まさか…!?

先輩はボクに背中を向けたまま、小さくため息をついた。

「…今は居ねぇ…」

そう、ぼそっと呟く先輩の背中は、とても哀しそうに、寂しそうに見えた。

…今は居ない…、つまり、以前は居たんだ…。そして、その恋はたぶん実らなかったんだろう。…先輩はその事を思い出し

て哀しんでいる…。

そんな先輩の姿を見るのは初めてで、ボクは慌ててしまった。聞いちゃいけない事だったかも…?なんとか話題を明るくす

る方法は…?…あ、そうだ…!

「せ、先輩。実はボクも彼女とか居なくて一人なんですよ〜」

「…?そうか…」

振り返った先輩は、ボクが何の話をし始めたのか分からなかったのだろう、疑問の表情を浮かべている。

「だから先輩、クリスマス…、また一緒にどっかに遊びに行きませんか?独り者同志で!」

先輩は少し何か考えた後…、

「そうだな。それも良いか」

と頷いてくれた。やった!二度目のデートだ!



週明けの月曜日、サツキ先輩は用事があるとの事で、シャワーも浴びずに帰ってしまった。代わりに最終組に残ってくれた

のはイイノ主将。

「主将になる前は毎日だったのに、最終確認は本当に久しぶりだな」

風呂上がりの体を乾かしながら、イイノ主将は少し懐かしそうに言う。

「チェックはボクに任せて、休んでて下さい」

「そうは行かない。アブクマの代理で残ってるんだからな。きちんと役割は果たすよ」

主将は本当に真面目だなぁ…。

猪の獣人で、ゴツイ体つきと厳つい顔をしているが、イイノ主将はとても穏やかで優しい人柄だ。柔道が強いだけじゃなく、

すごくしっかりしていて、オジマ前主将も同級生の先輩方よりも、一つ下のイイノ主将の事を頼りにしていた。この先輩が主

将に選ばれたのは妥当な人選だったと心底思う。

「タヌキ、ちょっと時間いいかな?」

戸締まりを確認し終え、更衣室に戻った後、イイノ主将はそうボクに声をかけた。

「大丈夫ですけど、何か?」

「少し話をしたいんだ」

そう言って、イイノ主将はベンチに腰を下ろし、隣をポンポンと叩いた。

何だろう?改まって話だなんて?そんな事を考えながら隣に座ると、主将は優しく微笑みながら口を開いた。

「まずは、お礼を言っておかないとな」

え?ボク、何かお礼を言われるような事したっけ?

疑問が顔に浮かんでいたんだろう、主将は笑みを深くして言った。

「アブクマの事だよ」

「先輩の事で?ボク、何かしましたっけ?」

イイノ主将はボクの肩をポンと叩いた。

「タヌキとつるむようになってから、あいつは、良く笑うようになってきた」

「…そうなんですか?」

「気付いてないかな?以前と比べれば、随分明るくなっただろう?」

…言われてみれば、そうなのかな…?

「あいつが二年生になってから柔道部に入った理由、知ってるかい?」

「いえ、知りませんが…」

今年初めて先輩達と出会った頃を思い出す…。そういえば、純粋に興味があって始めた、っていう感じじゃなかったな…。

「…タヌキには、知っておいて貰った方が良いと思ってな…」

主将はそう前置きすると、何故か少し寂しそうな顔で話し出した。

「アブクマには、この学校の同級生に大親友が居たんだ。乾健人っていう犬の獣人でね、あいつの幼馴染みだった」

イヌイ…?どこかで聞いた事があるような…?

「アブクマの悪い噂と一緒に、聞いた事ないかな?あいつの話…」

「…あ!」

思い出したぁっ!サツキ先輩と一緒に、ここに入学してすぐに不良グループを返り討ちにし、その後も数々の武勇伝を打ち

立てた東護のバッドボーイ、デビル乾!!!

「そ…そんなに引かないでやってくれないかな?あいつもアブクマと同じで、悪いヤツじゃなかったんだから」

顔を引き攣らせてしまったボクに、主将は苦笑いしながらそう言った。

「あいつの、その後の話は知ってる?」

…そう言えば…、入学して以来、一度もその先輩の事を聞いた事はないな…。サツキ先輩の親友だったら、これまでに何度

か会ってても良さそうだけれど…。

「今年の春休み…、タヌキ達一年生が入学する直前の事だけど、…イヌイ、亡くなったんだ…」

主将は哀しそうにそう言った。

…そう言えば今年の春、入学直前の事だ。中学生が春休み中に事故で亡くなったって聞いたっけ…。

「もしかして、春に交通事故で亡くなった中学生って…」

「ああ、あいつの事だよ」

…知らなかった。主将が過去形で話すから、なんとなくおかしいとは思ったけれど…。サツキ先輩、親友を亡くしてたんだ…。

「オレ、あいつらとは小学校から一緒だから、とにかく仲が良いのは知っていた。休み明け、あいつを喪った後のアブクマは、

とにかく凄い落ち込みようでね…。学校には来てても、自分から誰かに話しかける事も無かったし、こっちから声かけても上

の空でね…、まるで抜け殻のようだったよ」

「…あの先輩が…」

そんな先輩の姿はちょっと想像できなかったけれど、この間一緒にプリクラを撮った時、出来上がったプリクラを寂しそう

に見つめていた先輩の顔を思い出した。「勿体無い事をした」そんな事を言ってたけれど…、あれはきっと、その親友の事を

思い出していたんだ…。

「担任のキダ先生がそんなあいつを見かねてね、柔道やってみないかって声をかけたんだ。何かやって、前向きになって欲し

かったんだろう」

「ああ、それで柔道部に入ったんですね?」

「ところが、そうすんなりは行かなかったんだな…」

「え?なんでですか?」

「あいつ、あの時はとにかく無気力だったんだよ。一言、「めんどくさい」って断った」

「あのキダ先生にっ!?」

こわっ!ボクには絶対真似できない!

「よくもまぁ言えたもんだよな。で、キダ先生はそれでも諦めずに説得したんだ。そうしたらあいつ、なんて言ったと思う?」

分からなかったので、正直に首を横に振ると、主将は苦笑いした。

「入部させたいなら、力ずくでやってみろ」

…え?えええぇぇぇぇえっ!?

「で、先生はアブクマを大腰で投げ飛ばし、強引に道場に連れてきた」

…す、凄い話だ…。

「誰も話そうとしないけど、オレ達二年の間じゃ知れ渡ってる話なんだ。以来、キダ先生に逆らう生徒は一人も居なくなった

よ。はははっ」

主将は可笑しそうに笑ったけれど、…笑えないです…。ボクも先生には絶対に逆らわないようにしよう…。

「でもね、ただ柔道に打ち込んでも、あいつはそう簡単には元に戻れなかったと思う。あいつに笑顔を取り戻させたのは、タ

ヌキのお手柄なんだよ」

「それですけど、何でボクなんですか?」

「気付いてないか?タヌキがオジマ先輩に怒られたのがきっかけで、あいつは先輩とぶつかり合って、結果ああいう仲になれ

た。あの一件が無ければ、いつ止めたって不思議じゃ無かったんだ」

「でも、アレはボクの失敗な訳で…、先輩の為を思ってやった事なんかじゃ…」

「確かにそうだけれど、結果的にはアブクマにとってプラスになった。それだけじゃないぞ?タヌキが積極的にあいつに接す

るのを見て、最初は距離を置いていた他の部員達も、徐々に距離を縮めていった」

………。

「そして、タヌキが慕うから、あいつも先輩として恥ずかしくないように振る舞うようになった。タヌキが笑いかけるから、

あいつも笑うようになった」

「それは…」

…複雑な気分だった。ボクはただ単に先輩の事が好きでそう接していただけで、先輩の事を思って行動して来た訳じゃない。

主将に褒められたり、お礼を言われたりするような動機じゃないんだ…。

「タヌキがどう考えていようと、そんなに気にしないで良い。単にオレが礼を言いたかっただけだからさ」

「でも、ボクは本当に何も…」

「タヌキさ、あいつの事を名前で呼ぶようになったろ?」

「え?ええ。ボクが名前で呼んで欲しいって言ったら、自分の事もそうするようにって…」

突然話の内容が変わり、僕は戸惑いながら頷いた。

「あいつ、普通は自分の事を名前じゃ呼ばせないんだ。同級生でもあいつの事を名前で呼んでたのはイヌイだけ…、今じゃ誰

も居ない」

「え?でも主将は?先輩とは凄く仲良いですよね?」

そう、二人はかなり(時には妬けるほど)仲が良い。不思議に思って尋ねると、主将は微妙な笑い方をした。

「あいつな、昔は自分の名前が嫌いだったんだよ。サツキって名前は女子みたいで嫌だ。ってね。そんな事を覚えてるせいか、

名前で呼ぶのに抵抗があってさ。だから今でもお互いに名字で呼び合ってる」

そうだったのか…。

「あいつが名前で呼ばせるのは、それだけタヌキの事を信頼し、気に入ってるからなんだよ」

…ボクには…、先輩にそこまで信頼されるだけの価値があるんだろうか…?

黙り込んだボクに、イイノ先輩は言った。

「…惚れてるんだろ?アブクマに」

「!!!!!?????」

思わず立ち上がったボクに、主将は笑いかける。

「そうビックリしなくて良い。誰にも言わないし、オジマ先輩以外は気付いてもないから」

「…な、なん、で…?」

何でその事を!?いつから気付いてたんです!?尋ねようとしたけれど、驚きのあまり上手く言葉が出ない。

「これでも主将を任されてるんだぞ?気付くよ」

顔を真っ赤にして、ボクは俯いた。

「…気持ち悪く…ないんですか?だって、ボク…、ホモなんですよ?」

「じゃあ、タヌキはオレの事が気持ち悪いか?」

「…いえ、そんな事はないですよ。…って…、はい?」

今の、どういう意味?イイノ主将はボクを見ながら笑う。

「オレも同じだからね。気持ちは分かるつもりだよ」

…え?えええ!?主将もっ!?

「嘘言ってるわけじゃないよ。オレも男好きなんだ」

「…そ、そうだったんですか…」

ボクは脱力してベンチに座り込む。色々な事がいっぺんに起こって、軽くパニック…。

「あ、ちなみに付き合ってる人居るから。オレに告白してもダメな?」

「は、はい…。大丈夫です。ボクはサツキ先輩一筋ですから…。(まぁ主将も好みのタイプではあったんですけれど…)…っ

て付き合ってる人が居るっ!?」

主将は照れた様子も見せずに頷いた。

「付き合い始めて一年以上になるな」

「この学校の人なんですか?」

「そう」

…びっくりだ…。

「そんな訳で、秘密を漏らしたりはしないから。もちろんオレの事も秘密な?」

「は、はい。分かってます…!」

バレて恥ずかしいと思う気持ちもあったけれど、ボクと同じ人種であり、この気持ちを理解してくれる人が、こんなにも身

近に居た事が嬉しかった。

「にしても手強いな。アブクマは鈍感な上にノンケだからなぁ」

「やっぱり…、先輩はノンケですかね…」

「ほぼ間違いなく。でなきゃ、一緒に風呂に入ってたんだからとっくに気付いてるよ」

「…それもそうですよね…」

「でも期待できない訳じゃない。あいつ女にも興味無いから、ころっと「こっち側」に転がってくるかもよ?」

イイノ先輩はニッと笑ってそう言った。…こっち側って…。

「オレも恋人と付き合うようになるまではこっちのケ無かったし、何がきっかけで変わるか分からないぞ?」

「そうだったんですか!?」

ってか恋人って…、羨ましいなぁ…。

「さて、長話になってしまったな。そろそろ帰ろう」

「は、はいっ!」

「これからも、アブクマの事よろしく頼むよ。もちろんオレも応援してる」

「…あ…、有り難うございます…!」

ビックリしたけれど、心強い理解者ゲット!

これまでにない安心感を得て、うきうきと帰り道を歩きながら、ふと気になった。

…主将の恋人って、どんな人なんだろう?聞きそびれちゃったな…。