FILE10
鮮血に染まった体を、俺は呆然と見下ろした。
そして、脇を駆け抜けたフータイを振り返る。
「…馬鹿な…」
弱々しい声は、フータイの腕に右胸を貫かれたソウカクのものだ。
ゴボゴボと血を吐き出しながら、ソウカクは自分に止めを刺したフータイを見つめる。
「…貴様…、な、何故…?」
フータイは答えず、ソウカクの胸に突き込んだ腕を引き抜いた。ビクリと痙攣し、ソウカクはそれっきり動かなくなる。
虎人は腕を一振りして返り血を振り落とすと、ゆっくりと俺に向き直った。
「…ネクタールには近付くなと言ったはずだ」
フータイは俺に鋭い視線を向け、静かに言った。
「はいそうですか。と納得する訳にもいかないのでね」
応じながら、俺は立ち位置を確認する。
フータイは壁を背にしており、意識を失ったユウが倒れているのは俺の遥か後方だ。俺を抜かない限り、ユウには手出しで
きない。
「あの若き同胞を人質に取られる事を恐れているのか?」
俺の考えていることを見透かしたようなフータイの言葉に、俺は威嚇の唸り声で応じる。
「案ずるな。戦えぬ者になど興味は無い」
フータイはそういうと、無造作に俺の間合いに踏み込んだ。
「お前も、その体ではもはや戦えまい」
そのまま自然な足取りで俺の脇を通り抜ける。
「待て!」
一瞬呆けた俺が振り向くと、フータイは足を止めずに、窓となるべく開けられていた壁の穴に足をかけた。
「何故俺を殺さない!?この前、俺を鉄橋から蹴り落とした時も、本当は仕留められたはずだ!」
フータイは一瞬だけ、ちらりと俺を振り返った。
「字伏白夜は、お前の死を望むまい」
それだけ呟くと、フータイは窓の外へと身を躍らせた。
「待て!フータイ!」
痛む体に鞭打って窓際に寄った時には、フータイの姿はどこにも見えなくなっていた。
タマモさんに連絡を取ると、俺は気を失っているユウの傍に腰を降ろした。
無茶な真似をしたな…。もしも変身できなかったら、そしてお前の力が別のものだったなら、おそらく俺達は揃ってソウカ
クに狩られていたのだぞ…。
すうすうと穏やかに息をしているユウの寝顔を見ていたら、自然と笑みが浮かんだ。
白毛の熊のライカンスロープ。これがユウの本来の姿だ。まだ成長途中であり、ユウ自身が小柄な事もあって、俺よりもか
なり背が低い。
だが、そのずんぐりとした体に秘められた筋力はとんでもないものだ。自分の三倍もあったあのソウカクを投げ飛ばしたの
だからな。
「助かったよ。ユウ…」
俺は感謝と労いを込め、ユウの頭をそっと撫でてやった。微かにユウの口元が動き、笑みを浮べたように見えた。
タマモさんが派遣した同志達によって、ソウカクの遺体は回収された。目を覚まさないユウと、まだ力が戻らない俺は、本
来の姿のままワゴン車の荷台に身を潜め、シルバーフォックスまで搬送された。
「同族の心臓を…」
俺の口からソウカクの話を聞いたタマモさんは、嫌悪に顔を歪めた。
無理も無い…、血で血を洗う闘争に慣れた、半人半獣である俺達から見ても、なんとも禍々しく忌まわしい技術だ。ネクタ
ールは、ライカンスロープを使って何をしようとしているのだろうか…?
俺は椅子に座りなおし、ベッドに寝かせたユウの顔を見つめる。
ここはシルバーフォックスの地下にある、同志専用の医務室だ。俺達ライカンスロープの身体に詳しい専属の医師も居る。
…医師免許は持っていないらしいが…。
もしも出会うのが遅かったなら、ユウもまた、奴らに捕らえられていただろう…。いまさらだが、ヨウコは俺達に様々な偶
然を運んできてくれるものだ。
「それにしても…、本当に珍しい能力ね…」
タマモさんはユウの寝顔を見つめて呟いた。大人になりきっていない、まだ丸みの残る白熊の顔は、縫いぐるみのように愛
らしい。
「私が知る限り、「力の譲渡」はビャクヤ君の「干渉否定」と同じくらいに稀な能力よ」
俺達の能力は血筋によって受け継がれる。親から子へ、そして孫へというように。俺の「人狼の呪い」もそうだ。だがごく
稀に、突然変異的に特殊な力を持って生まれる者が居る。ビャクヤやユウがそれだ。
「ユウには大きな借りができた。俺は、この子を守ってやる。立派に成人するまでな…」
俺の誓いに、タマモさんは微笑を浮かべ、頷いた。
「そうだ。フータイが…」
俺が虎人の事を報告しようと口を開くと、ベッドの上のユウが小さく呻いた。
俺とタマモさんが視線を注ぐ中、ユウは薄く目を開け、俺の顔をぼんやりと見上げた。
「ヤチさん…?」
ユウは何度か瞬きした後、ガバッと身を起こした。
「や、ヤチさん!?傷が!お腹と胸に!あ、あれ…?」
ユウはすっかり傷が消えている俺の胸を見つめ、目を擦った。そして、自分の手が変化している事に気付く。
「こ、これ…、夢じゃ無かったんだ…?」
俺は頷くと、タマモさんを振り返った。タマモさんはユウに手鏡を差し出す。そういえばユウとタマモさんは初対面だった
な。タマモさんが誰なのか分からないまま、ユウは小さく礼を言って、おずおずと手鏡を受け取った。
恐る恐る鏡を覗き込んだユウは、映し出された自分の顔を見て、信じられないといった様子で何度も瞬きした。
ユウの全身を覆う、白くて長い被毛。突き出た鼻と顎、頭の上のほうに生えた丸い耳。まだ成長しきっていない、幼さの残
る白い熊の姿だ。
「これが…僕…?」
ユウは自分の顔をぺたぺたと触りながら、感触を確かめた。
「クマかぁ…。本当は狼とかが良かったけど…、なんとなく納得したかな…」
「あら、とてもステキよ?まだ可愛い顔をしているけれど、数年もすればきっといい男になるわ」
タマモさんが微笑みながら言うと、ユウは戸惑ったように彼女の顔を見た。
「彼女は芒野玉藻この辺りに住むライカンスロープ…、つまり俺達の相談役であり、取りまとめ役だ」
俺がそう説明すると、ユウはベッドの上で正座し、かしこまってお辞儀した。
「あ!ぼ、僕、佐久間優って言います!初めまして!」
タマモさんはユウに微笑んだ。
「初めまして。話はヤチ君から聞いていたわ。よろしくね、ユウ君」
俺はユウの頭に手を置き、軽く撫でた。
「ユウ。君のおかげで助かった。大きな借りができたな…」
ユウはくすぐったそうに目を細め、嬉しそうな笑みを浮かべた。
ユウを人間の姿に戻すのは割と簡単だった。最近までずっと自分を人間と思い込んできた事もあり、人間の姿への変身のほ
うがスムーズだった程だ。
服は破れてしまっていたので、タマモさんが新しいものを用意してくれていた。人間の姿に戻ったユウを見て、彼女は少し
懐かしそうに呟いた。
「ヤチ君が彼の事を気にかけていた理由。なんとなく分かったような気がするわ」
俺がユウを気にかける理由?自分でも分からず首を傾げると、物珍しげにススキの間の掛け軸を見つめているユウを眺め、
タマモさんは目を細める。
「彼、ヤチ君と出会った頃のビャクヤ君に、ちょっと似ていると思わない?」
彼女に言われて初めて気付いた。色白の肌、少しぽっちゃりした体付き。背丈が少し低めで、性格こそだいぶ違うものの、
言われてみれば少年の頃のビャクヤと面影が重なる。
そういえば、俺と出合った当時のビャクヤも、丁度これぐらいの歳だったな…。
今日は俺もユウも疲れている。孤児院には連絡を入れ、今日の所はユウを俺の部屋に連れ帰って休ませる事にした。
それから一週間…。ユウが正式にウチに越してきてから三日経った。
「弟ができたようで嬉しいです」
と、ヨウコも喜んでいた。
物置に使っていた空き部屋を掃除してユウの部屋にした。倉庫といってもそれほど荷物が多いわけではない。中の物はほと
んど使っていない俺の寝室に移したが、それでもオレの部屋のスペースには余裕がある。…これは、ビャクヤが帰ってきたら
部屋数が足りなくなるな…。まあ、その時は俺の部屋を使えばいいか…。どうせ俺はリビングで寝るし。
ユウが覚醒した能力、「力の譲渡」は、実に様々な応用が利く事が分かった。
自分の力を与えられるのは、なにもライカンスロープだけではない。ヨウコで実験してみたところ、彼女の肩こりが治った。
さらに枯れかけた花で試したが、見事に息を吹き返し、みずみずしさが戻った。
これらの事から、「力の譲渡」とは、ユウの生命力を他者に分け与える力だと推測できた。話には聞いていたが、知ってい
る前例が全く無い、能力については正しく認識しておく必要がある。それゆえの実験だったが、その効果は実にはっきりと分
かるものだった。
さらに、発動にはいくつかの条件がある事も分かった。
まず、ユウが対象に直接触れる必要がある事。それから対象が死んでいない事。虫の死骸で試したが、完全に死んだ者は蘇
生できなかった。
そして、この力を使用すると、ユウ自身の体力が削られる。ソウカクとの戦いで俺に力を与えた時には、あまりにも俺の力
が枯渇しきっていたせいで、ユウ自身が気絶してしまう程に体力を消耗してしまった訳だ。
実に有り難い力だが、諸刃の剣でもある。俺がユウの力が秘めた危険性を話して聞かせると、真剣に耳を傾け、力を軽々し
く使わない事を約束してくれた。
同席していたヨウコは、俺達を見てずっと微笑んでいた。その事について問うと、
「だって、ヤチさんとユウ君が、本当の兄弟みたいに見えるから」
と笑った。…俺とユウは15歳も違うのだが、そう見えるものなのかな…。
ネクタールの調査はなかなか進展しなかった。
しかし、ヨウコに過去の話を打ち明けてスッキリしたせいなのか、それともユウという保護すべき存在を得て心境が変化し
たからなのか、手がかりが得られないことにも苛立ちを感じる事なく、そして焦る事もなく、調査に取り組めている。
思うに、俺は孤独に慣れた訳では無かったのだろう。ただ慣れた振りをし、自分でも慣れたと思いこんでいただけだったの
かもしれない。
ヨウコとユウの二人と共に過ごす事で、俺の中で何かが変わり始めていた。
「ヤチさん。今度の土曜日、少し時間取れませんか?」
その夜、リビングでくつろいでいると、帰宅したヨウコが開口一番そう言った。
「何だ急に?」
「実は、少し離れた所に、先日オープンした小さなカフェが有るんですけど、そこの取材をしてみようかな、と。それで、ヤ
チさんとユウ君にも一緒に来て欲しかったんです」
ちなみにユウは自室で勉強中だ。高校受験が控えているからな。
「何故俺達が?」
ヨウコはニッコリ笑うと、
「二人ともたくさん食べるじゃないですか。メニューの批評をするのに1品や2品じゃアレですし、なるべくならたくさん頼
みたいので、同行してもらえないかなぁ、と」
…俺達は一体何だと思われているのだろう?
「で、そのカフェとオカルトと、何の関係があるのだ?」
ヨウコはオカルト雑誌の記者だ。普通のカフェになど取材に行くものなのだろうか?
「ブードゥーカフェって言って、エキゾチックな料理を出すカフェなんです」
「…名前を聞いただけで凄く納得できたよ…」
正直、ネクタールの調査を進めたかったが、焦りは禁物か。少しくらいなら、羽を伸ばしてみるのも悪くないかもしれない
な…。ユウもたまには息抜きした方が良いだろうし…。
承諾する旨を伝えたら、ヨウコはかなり嬉しそうに礼を言い、ユウに声をかけに行った。
「これが…、ブードゥーカフェ…」
どよんとした空気を纏うカフェを見据え、俺は呆然と呟いた。
藁葺きの屋根。壁は黒塗りの木造。看板は翼を広げたコウモリの形。オープンテラスのカフェなのだが…、椅子もテーブル
も異様な曲線を描いた不気味なデザインで、爽やかさは微塵も無い。
「…なんだか…、いかにもっていう感じのお店ですね…」
ユウもその異様な外見に気圧されたのか、ごくりと喉を鳴らした。
ヨウコは店の中で店長を取材している。俺達は居心地の悪さを味わいながら、テーブルについて彼女を待っている。
「お待たせしました」
取材は上手く行ったのか、ヨウコは晴れやかな笑みを浮かべて店を出てきた。その後ろには…、…店員…なのか?黒いゆっ
たりとした衣服に、先が後ろに垂れた黒いとんがり帽子。魔女のような格好の女がついてきた…。
「さっそく頼みましょう!何が良いですか?」
「何がって…」
俺とユウはメニューを見つめて途方にくれる。ヌガヌガミルクティーとか…、ザラバンダパスタとか…、どういう品なのか
が名前から全く想像できない。
「あ、ヤモリ盛り盛りサラダをお願いします」
…ヨウコは怯む様子も無く注文する…。
俺とユウは恐る恐る、無難そうな名前の品を選んで注文した。
「美味しいですね…」
ユウは意外そうに言った。ちなみに彼が食しているのはナメクジオムライス。ナメクジが使われているという訳ではなく、
ナメクジの形に整えられたオムライスだ。
ユウが驚くのも無理はない。俺だって驚いている。不気味な名前と外見はともかく、どの料理もかなり美味い。ちなみにヤ
モリ盛り盛りサラダは、野菜が盛り盛りのシーフードサラダ、野盛盛り盛りサラダだった。
「遠慮しないでどんどん注文して下さいね。経費で落としますから」
存在を知って以来、初めてヨウコの職場に好感を抱いた。
料理の簡単な感想を求められるのも、ヨウコが質問する際に、「なになにのような感じですか?」「これこれと似たような
ものでしょうか?」といったように誘導してくれるので、大して苦では無かった。
だが、楽しい一時は、そう長くは続かなかった。
ヨウコのハンドバッグの中で携帯が鳴り、彼女は職場からだと告げて席を離れ、歩道側に歩いて行った。
その直後、ヨウコの悲鳴が上がり、俺達はハッとして振り向く。歩道の上にヨウコが倒れ、男が走って逃げていく。その手
にはヨウコのハンドバッグが…、ひったくりか!
「ユウ!ヨウコさんを頼む!」
俺は男の後を追うべく歩道に飛び出す。
その背を追って走り出した直後、俺は前方に立つ人物を目にして息を呑んだ。
「邪魔だ!退け!」
ヨウコのバッグを引ったくった若い男は、行く手に立つ厳つい大男に声を上げた。
その直後、男が伸ばした右手が、脇を駆け抜けようとした引ったくりの顔面を鷲掴みにした。引ったくりは男の腕によって
軽々と持ちあげられ、足が地面から浮き上がった。腕一本で男一人を簡単に吊し上げる…。とんでもない腕力だ。
引ったくりは口も塞がれているので悲鳴すら上げる事が出来ないようだ。腕一本で引ったくりを吊し上げた男は、つまらな
そうにその横顔を一瞥すると、無造作に歩道の上に放り出した。いつのまに奪い取ったのか、男の手にはヨウコのハンドバッ
グがあった。
「く、くそっ!覚えてろ!」
引ったくりは芸のないセリフを吐き捨てると、車にクラクションを鳴らされながら、車道の向こう側へと走り去って行った。
男はゆっくりとこちらに視線を向けた。俺に気付いたのだろう。鋭い目が細められる。
緊張が背筋を駆け抜け、身が強張った。
「…フータイ…!」
因縁浅からぬ虎人は、大柄な人間の姿で俺の前に現れた。
ここではまずいな…。俺はそっと後ろを確認する。
ユウに助け起こされたヨウコは、転んだ拍子に外れた眼鏡をかけ直し、不思議そうにこちらを見ている。
ユウは、フータイの桁外れに強大な気配を感じ取ったのだろう。緊張した顔でこちらを見ていた。
臨戦態勢に入った俺から視線を外し、フータイはヨウコとユウをチラリと見た。
「ここで事を起こすつもりは無い」
そう呟くと、フータイは無造作な足取りで俺に歩み寄った。虚を突かれ、簡単に間合いへの侵入を許してしまった俺に、ヤ
ツは右腕を突き出す。その手には、ヨウコのバッグがぶら下げられていた。
「見逃してくれる、と言うのか?」
「白昼堂々とやりあうつもりはない。お前も同じだと思うがな。それに…」
フータイは再びチラリとユウを見た。
「二対一で勝てる程、お前は甘い相手では無いからな。…まだ幼く、未熟だが、良い面構えをしている」
ユウはいつでも飛び出せるよう、身体を緊張させてこちらを見つめている。いつもの気弱そうな表情はなりを潜め、覚悟を
決めた凛々しい顔つきだ。
「…高く評価して貰って嬉しいが…、実際の所、お前には俺達を纏めて殺すだけの力があるはずだ」
「それは過大評価だ。少なくとも、お前を狩るのはそう簡単には行かんだろう」
…どうやら、本当にこの場でやりあうつもりは無いらしい。突き出されたままのフータイの腕を見ながら、俺はそう結論付
けた。次の瞬間、
「あ、ありがとうございます!」
ヨウコが俺の横で、フータイに頭を下げた。…待て、お前いつからここに!?
振り返ると、先ほどまでヨウコが居た空間を、ユウが驚いたように見つめていた。二人とも、フータイに注意を集中してい
たせいで、ヨウコが無防備に近づいていた事に気付かなかったらしい…。
ヨウコはフータイからバッグを受け取ると、ペコリと再び頭を下げた。彼女は周囲を確認し、小声で尋ねる。
「あの、貴方もライカンスロープなんですね?」
フータイの目が細められ、警戒の光を帯びる。
「女…、我らの正体が見抜けるのか?」
「はい。まあ、近付いてみればなんとなく気付くっていうぐらいなんですが」
ヨウコはそう言うと、ニッコリと笑ってフータイの腕を掴んだ。
「ヤチさんの知り合いの方なんですね?私、白波洋子と言います。ぜひお礼をさせて下さい!」
「…いや、俺は…」
「…よ、ヨウコ?そいつはだな…」
「遠慮しないで下さい!さ、こっちへ」
ヨウコは俺達が座っていた席の方へとフータイをグイグイ引っ張って行く。その強引さに、あのフータイがたじろいでいる
ようにすら見えた。
ふと見れば、傍らに歩み寄ったユウが、何か問いたそうに俺の顔を見上げていた。
…一体何がどうなっているのか…、俺が聞きたいくらいだよ…。
「…とまあ、そういう訳だ…」
ヨウコは俺の説明を聞くと、フータイに視線を戻した。
「あなたが黄虎太さんでしたか。ヤチさんからお話は色々伺っていました」
何故かニコニコと笑顔…。こいつ、本当に分かっているのか?
俺とヨウコ、ユウ、そしてフータイが同じテーブルに着くという、悪い冗談のような光景がそこにあった。
「分かったならばもう良いだろう。俺はゆく」
立ち上がりかけたフータイの腕を、ヨウコがしっかりと掴んでいた。
「もうちょっとだけ!お礼がまだ済んでませんから」
ヨウコは俺達の行動を完全に仕切っていた。フータイでさえも彼女に逆らえず、大人しく座り直す。
「お待たせしました〜…。蛆金時になりま〜す…」
腐肉に群がる蛆を模したミルク金時が、俺達の前に並べられた。焼かれたひょろながいタイ米がホワイトチョコにくるまれ、
蛆に見立てて散りばめてある。
それを見たフータイは、喉の奥から、微かに猛虎の唸りを漏らした。
「これは…、いやがらせと取って良いのか?」
…確かに、お礼と称した罰ゲームに見えない事もない…。
「見た目は個性的ですが、美味しいんですよ?」
…個性的…、実に便利な言葉だ…。
ヨウコは躊躇無く蛆金時をスプーンですくい、パクリと口に入れる。
俺達は先ほど数々の料理を食し、見た目はともかく美味い事は知っていた。が、フータイはしばらく躊躇した後、スプーン
を口元に運ぶ。
「美味しいでしょう?」
「む…、確かに…」
フータイが応じると、ヨウコは嬉しそうに笑顔を見せた。
「それで、お前はこんな所で何をしていた?」
ヨウコが電話のために席を立った隙に、俺はフータイを睨み、探りを入れた。
「…ドッグフードを買いに出かけた所だ…」
犬飼ってるのか?こいつが?
「…なんだ?俺が犬を飼うのはまずいのか?」
「い、いや。意外と言うか、なんと言うか…」
顔に出ていたらしい。フータイは不機嫌そうに俺を睨んだ。
「今日は休業なのか?ネクタール四天王」
金時を飲み込もうとしていたフータイがむせ返った。
「…他のヤツらが勝手に名乗っているだけだ。俺は関係ない…」
「その口ぶりだと、やはり四天王に数えられているのか」
フータイは「ふん」と鼻を鳴らし、視線を背けた。やはり、四天王というネーミングはこっ恥ずかしいようである。
「…あの…」
それまで黙っていたユウが、おずおずと口を開いた。
「貴方は、何が目的なんですか?何故ネクタールに協力しているんですか?」
「理由は明らかだろう。あそこに居ればキメラブラッドとかいう技術で…」
フータイに代わって答えようとした俺は、自分の言葉に疑問を持ち、ヤツを見つめる。
おかしい。それほどこいつの事を良く知っている訳ではないが、フータイは戦闘そのものを神聖視しているフシがある。そ
して己の力と技に誇りを持っている。そんなこいつがキメラブラッドなどという忌まわしい物に興味を持つだろうか?さらに
言うなら、フータイの匂いは11年前と変わっていない。ソウカクから感じたような、複数の血が混じり合ったような違和感
はない。
「…何故だフータイ?ただの雇われにしても、お前ほどの男なら、他にも稼ぐ手段はあるはずだ。何故またネクタールに戻った?」
フータイは黙り込む。そこへ、ユウが言葉を浴びせた。
「貴方は少し怖い感じがするけれど、どこかヤチさんと似た匂いがします」
俺とフータイはユウに視線を向ける。
「誇りを大切にする、気高い匂いです。貴方は不純な目的で誰かを傷つける人じゃない」
フータイは低く、くぐもった声で笑った。
「小僧、それは買いかぶりだ。俺は戦いという生き甲斐のために他者を傷つける戦闘狂だ」
「…だが、好んで弱者をいたぶる趣味は無い。戦う相手、殺す相手を選ぶ。違うか?」
俺の言葉に、フータイの笑みが消えた。俺達は互いの瞳をじっと見つめる。俺達の間に嘘は無意味だ。獣の感覚が真実か否
かを見抜いてくれる。
「昔…、大陸での話だ…。歳の離れた虎人の兄妹が居た」
しばしの沈黙の後、フータイは低い声で言った。
「妹は若くして不治の病に冒された。そして兄妹は治療法を求めてこの国にたどり着く。兄は藁にもすがる想いで、世界的に
有名な製薬会社を訪ねた。以前よりライカンスロープの存在を知っていた製薬会社の研究者はこう言った「研究に協力するの
なら、病を治療しよう」と。是非もない。兄はその言葉に飛びついた」
俺とユウはフータイの言葉に耳を傾ける。その声は懐かしんでいるようでもあり、哀しんでいるようでもあった。
「妹は治療のために隔離され、兄妹は会うことすらできなくなった。製薬会社の密命を帯びた兄は、鍛えた力と技をもって同
族を狩り続けた。意味も見いだせぬ、戦いとも呼べぬ殺戮を繰り返し、次第に誇りも魂もすり減らしながら妹の病が癒える日
を待ち続けた」
フータイは言葉を切り、俺の瞳をひたと見据えた。
「再会を待ち続ける日々は、思いがけぬ終焉を迎えた。犯した悪行のなれの果て、兄の前に一頭のライカンスロープが立ちは
だかった。堂々たる体躯の白き獣は、己の力に絶対の自信を持っていた兄を、いとも簡単にねじ伏せた。そして、戦いの最中
に入り込んだ製薬会社の地下で、兄は妹と対面を果たした」
フータイの拳が握り込まれ、ギリリと歯が噛み鳴らされる。
「妹は…、元々助かる見込みなど無かったのだ。研究者達は治療と称した実験を繰り返し、妹の身体を弄んだ。そして、妹は
苦しみの内にその生を終えた」
記憶をたぐり、俺はビャクヤに助けられたときに見た、若い虎人の娘の事を思い出す。そうか…、あれが…。
「兄の判断の誤りが、妹に地獄の責め苦を与える結果となった。兄は白い獣に懇願した。自分を殺してくれと。…だが、白き
獣はその申し出を拒否した。「妹の分まで生き、そして過ちを精算しろ」と…」
フータイは言葉を切り、ふっと笑みを浮かべた。俺とユウは意外な思いでその顔を見つめた。それまでに見たことのない、
穏やかな笑みだった。
「堕ちた兄は、失って初めて絆の重さを、失う辛さを知った。そして己が断ってきた絆を想い、悔いた…。虎人はその場で、
絆を捨てねばならぬ運命を背負った白き獣に誓いを立てた。二度と、過ちは繰り返さぬとな…」
フータイはそう言い終えると、席を立った。
「…少々喋りすぎた。そろそろゆく」
俺はフータイの目を見据え、口を開いた。
「聞かせてくれ。ネクタールのトップはどんな男だ?」
「分からぬ。我らの前にも姿を現した事はない。突き止めるには信用を得なければならん」
「騙せるものなのか?」
「キメラとなった者は、ライカンスロープとしての感覚が鈍る。俺の思惑には気付けまい」
「お前、一人でやるつもりだったんだな?」
答えはなかった。だが、フータイは微かに口元を吊り上げて笑った。それで十分だった。
「馳走になった。ヨウコ殿にもよろしく伝えてくれ」
「自分で言えよ」
「また引き留められたのでは敵わんからな」
俺達は笑みを交わした。そして、フータイは振り返ることなく歩き去った。
「あの人…。妹さんの仇討ちの為に?」
ユウの問いに、俺は頷いた。
「あれ?帰っちゃったんですか?」
電話を終え、戻ってきたヨウコは、フータイが居ないことに気付いて周囲を見回した。
「そのうち、また会えるさ」
俺の中にあったフータイへの憎しみは、不思議と薄れていた。