FILE15

区内に建つ巨大なビルを、路地裏から見上げる。

ここ数年で大企業に成長した永命製薬の本社だ。

沈む夕陽を浴び、茜に染まったガラス張りのビルは、これから起こる戦いで命を散らす、多くの者の墓標となる。

間もなく、フータイと打ち合わせた突入時刻になろうとしている。

主力となる同志達は、すでに潜入した同志達の手引きで、正面から一気に傾れ込む。

俺は同志達が突入した騒ぎに乗じ、警戒の薄いビル側面から侵入し、フータイの待つビル上層部を目指す。

上層部を目指す俺をサポートするのは僅か三名。人数が多すぎても目立ってしまう。侵入前に悟られては元も子もないので

この少人数なのだ。

その中にはユウも居る。万が一、俺が負傷するか、消耗して行動不能になった場合、再行動可能にする事がユウの役目だ。

同行する他の二名の名は、猫井爪助(ねこいそうすけ)と輓馬鞍丸(ばんばくらまる)。どちらも経験豊富な手練れであり、

信頼できる同志だ。

 この二人を正面攻撃に回さず、俺に同行させてくれたタマモさんには、心底感謝している。

実戦経験の殆ど無いユウは、硬い表情でビルを見上げていた。色白の顔は冷たい風にあぶられたせいか、それとも緊張によ

るものか、頬に朱がさしていた。

「怖いか?」

「少しだけ…。でも動けます」

俺の問いに、ユウはそう応じた。

怖い。だが、行動に支障をきたす程ではない。言葉少なにそう応じた少年は、昨日十五歳になったばかりだ。

俺もヨウコも、まだ誕生日プレゼントを渡していない。いや、渡そうとはしたのだが、拒んだのだ。

「帰ってきたら、受け取ります」

そう、ユウは言った。この少年なりに、自分も生きて帰らねばならないという理由を作りたかったのだろう…。

やがて、陽はビルの谷間に沈み、夜の帳が街に降りる。

俺は時計を確認し、メンバーに声をかけた。5時29分…、本隊の突入まであと一分だ。

秒針が音も無く時を刻む中、息を殺してその時を待つ。

細い針が時計の真上を指し示すと同時に、ビルと、その周辺区域の灯りが一斉に消えた。

同志が地下ケーブルを切断し、この付近を停電に陥らせることに成功したのだ。

俺達は頷きあい、無言のままにビルを囲む高い外壁の傍まで移動する。

激しい音も大声も聞こえはしないが、すでに戦闘は始まっている。それほどの騒ぎが起こっていないのは、奇襲が上手く行っ

た証拠だ。

停電によって付近の一般人も動揺しているはずだ。自分の事で手一杯のこの間ならば、ビルで多少騒ぎがあっても、注意を

払う者はあまり居ない。停電が復旧するまでの時間が勝負所だ。

周囲に人目が無い事を確認し、意志の束縛を解き放つ。

拘束が解かれる快感に、全身の細胞が歓喜の声を上げた。

銀の被毛が全身を覆い、筋肉が膨張する。

鼻と顎が前にせり出し、耳は尖って頭頂付近へ移動する。

骨格が音を立てて変形し、手足が闘争に適した形状に変化する。

尾てい骨が伸び、ふさふさした毛に覆われた尾を形成する。

灯の落ちた街に先程落ちたばかりの闇夜のヴェールの中、銀の人狼はビルを見上げた。

「行くぞ」

俺の言葉に同志達が頷く。

まず身の軽い俺とソウスケが変身し、ユウとクラマルを抱え、高さ3メートルの壁を飛び越えた。ユウとクラマルの変身は

ビル内に侵入してからだ。

大山猫のライカンスロープであるソウスケは、虎人と比べれば膂力で劣るものの、瞬発力と機敏さでは引けを取らず、柔軟

性と身軽さにおいては彼らをも上回る。

くすんだ山吹色の毛皮は黒い縞模様に彩られ、金色に輝く美しい瞳は、暗視ゴーグルよりはっきりと闇を見通す。湾曲した

鋭い爪はナイフ以上の切れ味を誇り、硬化させれば鉄板すらも綺麗に切り裂く。

敷地内に降り立った俺達は、素早くビルに接近し、手近な窓を破って侵入した。

いかに優れたセキュリティに守られようと、電源が落ちれば無意味だ。うつろな瞳を向ける監視カメラも、壁の上に設置さ

れた対物センサーも、俺達の侵入を中の者に伝える事はできない。

フータイから手に入れた見取り図の通り、窓を破って侵入した部屋は、書類棚やキャビネットが立ち並ぶ資料倉庫だった。

完全に記憶した見取り図に従い、俺は廊下への扉に近付き、外の気配を窺った。その間に、ユウともう一人の同志が本来の

姿を取り戻す。

闇の中に鮮やかに浮かび上がったのは、白い被毛の熊。

逆に、闇に溶け込むような黒色の洗練されたシルエットは、いま一人の同志クラマルのものだ。

艶やかな毛に覆われた漆黒の巨躯は、無駄のない筋肉の塊だ。手は人間と同じ五指を備えた形状だが、後足は蹄で、その脚

に内蔵された筋肉の出力は、俺の自慢の脚力のさらに上を行く。敏捷性や瞬間的なトップスピードならば俺も負けはしないが、

高速移動の持続力や蹴りの破壊力においては、クラマルの足元にも及ばない。

ちなみに、サラブレッドのような馬ではない。野生の血を色濃く残したマスタングタイプのライカンスロープだ。よって、スピードだけでなく、その膂力もかなりのものである。

俺は三人の顔を見回し、頷くのを確認してから扉を押し開けた。



非常灯がぼんやりとした光を投げかける廊下を、俺達は駆け抜けた。

怒号や悲鳴、罵声や咆吼が、壁を反響して耳に届く。獣と人が声を競い合う、神経を掻きむしるような狂騒曲…。正面ロビ

ーで行われている戦闘のものだ。

俺達は正面階段を避け、非常階段に向かう。もちろんエレベーターなどという便利かつ危険極まりない代物を使うつもりは

毛頭無い。密室に閉じこめられた状態でワイヤーを切断されでもしたら一巻の終わりだ。…まあ、そもそも停電中では動かな

いか…。

幸い、社員や居合わせた不幸な警備員と鉢合わせする事は無かった。今現在、ビル内に居合わせた者は全て殺す。それは雇

われの警備員でも同じ事だ。社員に至っては、今日居ない者も本社壊滅後に名簿で住所を突き止め、やはり殺す。

ネクタールに多少なりとも係わった者は皆殺しにする。今度こそ完膚無きまでに叩き潰し、ネクタールの存在を完全に消滅

させる。それが、タマモさんが提示した、俺たちなりの決着のつけ方だ。

とはいえ、なるべくならユウにそんな現場を見せたくはない。覚悟を決めたとはいえ、そんな凄惨な場を目にすれば、優し

く、繊細なユウの心は傷つくだろう。…身内に甘いと言われれば反論できないな…。



一気に24階まで駆け上った俺達は、そこで初めて敵と遭遇した。

ここまで誰とも出会わなかったのも頷けた。なぜなら…、

「なるほどな、ここで防衛網を張っていたって訳かよ…」

「どうりですんなり潜入できた訳だな」

ソウスケとクラマルがそれぞれ呟く。

25階に至る階段の手前には、4人のライカンスロープが待ち構えていた。

シェパード、カラス、ワニ、雄羊という顔ぶれである。

「何者だ貴様ら!?」

「野良のライカンスロープか!」

「ふん!何者だろうと我ら新四天王の敵でわぁぁああああっ!?」

いきなり突進したクラマルにタックルされ、新四天王を名乗った雄羊が吹き飛んだ。雄羊は情けない悲鳴を上げながら、分

厚いコンクリートの壁に半ば埋没する。

「き、貴様っ!?」

声を上げかけたカラスの喉が裂け、鮮血を吹き上げた。瞬時に詰め寄ったソウスケが右腕を水平に振るい、鋭い爪でカラス

の首を半ばまで切断してのけたのだ。飛ばれれば厄介な飛行型ライカンスロープも、こうなってはおしまいだな。

「おのれぇっ!不意打ちとは卑怯な!」

ワニの言葉に、ソウスケはカラスの胸倉に爪を食い込ませ、襟首を掴んで吊るし上げるような体勢のまま、呆れたように言

い放った。

「あのなぁ、俺達はスポーツの試合してるんじゃないぜ?殺し合いしてるんだ。「いきますよ〜?」「はいどうぞ〜」…な〜

んて声かけてからやりあおうってのか?そもそも、顔を合わせてから不意なんて突かれてるんじゃねぇよ三流!」

激高したワニが大口を開け、挑発したソウスケに食らいつこうと飛びかかる。その巨躯は、横合いから飛びかかった純白の獣にのしかかられて横転した。

その間にソウスケは爪でカラスの胸と腹を十字に切り裂いてとどめを刺し、クラマルは起き上がろうとした雄羊の頭部を、

ただの一撃で蹴り潰す。

ワニを押し倒したユウは、その背にまたがるような体勢で体を密着させ、首に腕を回してチョークスリーパーで締め上げた。

ワニの強靱な尾が暴れ回り、階段や手すりを破壊するが、白熊は渾身の力を振り絞って喉を締め上げる。筋肉が膨張し、丸太

のように太くなった白い腕の下で、ボギュッと湿った音が響き、ワニはビクリと痙攣して動かなくなった。

「野良犬風情が!図に乗るなよ!?」

跳躍したシェパードと、飛び上がった俺が空中で激突する。

蹴りを交錯させ、互いの爪を弾き合う。動きはまずまず、それなりの戦闘経験はあるようだが…。飼い犬など俺の敵ではない。

両腕を左右に弾き、無防備になった喉笛に食らいつく。気管が圧迫されて悲鳴も上げられないシェパードの喉を咥え込んだ

まま着地し、首を勢い良く横に振って食いちぎる。

鮮血と、気管から漏れる空気でヒューヒューと喉を鳴らし、首を押さえたまま、シェパードは棒のように後ろへ倒れた。

「自称新四天王とやら、噂のキメラブラッドでもなければ、心臓も一つのようだな」

倒した相手が起き上がってこない事を油断無く観察していたクラマルがぼそりと呟き、ソウスケが肩を竦める。

「人事異動直後で、備品の発注が間に合わなかったんだろうよ」

そう軽口を叩いた山猫は、呆然とワニを見下ろしていたユウに声をかけた。

「やるじゃん坊主。狩りの経験は無いって聞いてたが、素質あるんじゃないの?」

ユウは答えない。その肩が小さく震えている。ソウスケは訝しげにクラマルを振り返り、黒馬は黙って首を横に振る。

…ユウはたった今、生まれて初めて、その手で敵を殺したのだ…。

「…ユウ…」

傍らに立ち、その肩に手を置き、俺は何と声をかけるべきか迷った。

「大丈夫です。死ぬかも知れないと覚悟した時に、殺す覚悟も決めて来ましたから…」

ユウは自分の手を眼前に翳し、ぐっと握り込んだ。

「さあ、行きましょう!急がないとフータイさんとのデートに遅れちゃいますよ?」

振り向いたその顔は、哀しみと懺悔に彩られていたが、ユウは作り笑いを浮かべて強がった。無理に笑う必要などないとい

うのに、俺に心配をかけたくなかったのだろう…。

俺は笑みを浮かべて応じた。ユウ自身が気を張っているのだ。笑み以外の顔で応じてはならない。

「野郎とデートする趣味は無い。デートするなら…」

「ヨウコさんとが良いんでしょう?」

ユウはウィンクしてそう言い、俺は返答に詰まるという失態を犯した。

「あ〜、いかすもんなぁシラナミさん。俺だっていっぺんでいいからデートしてみたいぜ」

「うむ。朴念仁のヤチにはもったいないほど素晴らしい女性だ」

ソウスケとクラマルが口々にそう言った。

「…お前ら…!」

「ヤチさん、急ぎましょうよ!」

文句を言いかけた俺を、階段を登り出しながら肩越しに首を巡らせたユウが制した。その後を、ニヤニヤと笑うソウスケと、

含み笑いを押し殺すクラマルが追いかける。

…納得のいかないものを感じながらも、俺は仕方なくその後を駆け出した。



自称新四天王との遭遇以後、上へ進むにつれ、敵は続々と現れた。

「くっそ!想定外だぜ!」

ソウスケが苛立たしげに声を上げた。

気持ちは分かる…。敵として俺達の前に立ちはだかったそのほとんどが、薬で自我を奪われた同族達だ。

若い者も多い。まだ成人していないと思われる者も、意志の窺えない目で俺達を見据え、感情もなく襲いかかってくる。

蹴散らし、時には止む無く殺し、俺達はひたすら上を目指す。が…、

「先にゆけ、ここで食い止める!」

増えすぎた追っ手を振り返り、クラマルが仁王立ちになって叫んだ。

「無茶だ!俺もここで…」

「馬鹿野郎!とっとと行け!お前にゃ待ち合わせしてる相手が居るだろうが!」

クラマルの横に並び、ソウスケが声を張り上げた。

「坊主と一緒に上を目指せ!なぁに、ヤバくなったら俺達もとっととずらかるからよっ!」

十数頭もの追っ手を前に、二人は俺達に笑いかけた。

「ヤチさん…」

ユウが沈痛な表情で俺を見る。…分かっている。俺が優先すべきは何か、十分過ぎるほど理解している…!

「済まん。…帰ったら一杯奢る」

「おぉっと!一杯だけかよ?」

「…楽しみにしている…!」

ソウスケとクラマルが笑みを浮かべた。俺は二人に目礼し、ユウを促して階段を駆け上った。その背に、山猫の唸り声と、

黒馬の嘶きを受けながら…。



37階に到達すると、非常階段は途切れ、フロアの様子は一変した。

俺達は強化ガラスの扉を破壊し、ビルの内部に踏み入った。非常電源が確保してあるのだろう、通路には光が満ちている。

見取り図によれば、ここからはこれまでの造りとは異なる。俺達ライカンスロープを研究する、機密研究フロアだ。

例えここに捕虜が居たとしても、救出は俺達の役割ではない。制圧しながら登ってくる本隊がその役目を担う。

俺は遭遇した研究者をなるべく惨い死に様にならないよう、一撃で綺麗に殺し、先を急ぐ。ユウにとっては、人間は俺達が

感じるよりもずっと身近な存在なのだ。なるべく彼の手では殺させたくはないし、酷い死に様は見せたくなかった。

ほとんど時間をロスする事も無く、俺達は次のフロアへの階段に辿り着いた。

「平気か?」

息を切らせているユウに尋ねると、彼は気丈に頷いた。そして笑みを浮かべかけ…、

「危ないっ!」

ユウはいきなり俺にタックルし、押し倒した。

もつれ合うように床を転がった俺達の横で、階段の手前に敷かれていた絨毯がジュジュゥッと音を立て、煙を上げる。

刺激臭と目を刺す煙。俺は素早く身を起こしつつ、ユウの体を抱えて後方へ飛ぶ。

見上げると、先ほどまで俺が立っていた場所の真上、天井から薄い緑色の液体が滲み出し、滴っていた。

…普通の酸性の液体ではない…。緑色の液体はジュクジュクと天井から滲み出し、その量を増やしてゆく。そして床の上に

滴り、俺達を捜し求めるようにうねり、盛り上がり、蠢く。…これは、まるで…。

「なんか…、こういうの映画で見たような…」

ユウはにじり寄る緑色のゲル状体を見つめながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「…奇遇だな、俺も昔見た映画の事を考えていた。ちなみに、それはなんという映画だ?」

「…たしか、ブロブっていうタイトルの映画です…。ヤチさんは?」

「…お前と同じだ…」

十分に溜まったゲル状物体は、山のようにこんもりと盛り上がる。その質量は楽にワゴン車を飲み込める程だ。

絨毯を一瞬で溶かす程の強酸、触れるのは危険だ。階段はゲル状物体の先、飛び越えて進むか?

俺が静かに間合いを詰めると、ゲル状体の一部が触手のように伸びた。

慌てて飛び退った俺の前で、床の一部がこそげ取られた。…いや、一瞬で溶かされたのだろう。こいつは自分の意志(?)

で溶かすかどうか決め、溶解液を分泌するらしい。その証拠に、ヤツの下の床は溶けていない。

飛び越えて進むのは無理か…。かといって触れる事もできないのでは排除のしようが無い。時間はあまり残っていないとい

うのに…!

焦りを覚える俺の後ろで、ユウが息を呑んだ。

「手こずっているようね?ヤチ君」

何も感じさせず、俺達の背後に突然出現した気配は、微かな笑い混じりにそう声をかけてきた。

振り向けば、タマモさんがどこか面白がっているような表情を浮かべ、俺を見つめている。

渡りに船だ。願っても無い助っ人が、狙ったようなタイミングで来てくれた!

ゲル状の正体不明の敵に行く手を阻まれ、足止めを食っていた俺達の前に現れたタマモさんは、悠然とした足取りで歩を進めた。

「下は良いのかタマモさん?」

「ショウコに任せて来たわ。私の引退も近いわね。…そうそう。ネコイ君とバンバ君は無事よ。今は登って来る本隊に先駆け

て、捕虜になっていた同族達を解放して回っているわ」

いつもの着物姿のタマモさんは、艶やかな微笑を浮べると、俺の隣で足を止める。

「スライム、と言うんだったかしら?これは貴方達には向かない相手ね」

タマモさんはどこか面白がっているような口調でそう呟くと、髪を留めていたかんざしを外した。ざぁっと落ちた艶やかな

長髪が背中で揺れる。

…この目で見るのは久々だ…。どうやら今回は、彼女もやる気らしい。

「ユウ、下がるぞ」

「え?で、でも…」

俺とタマモさんを見比べるユウは、明らかに不安げだった。

「いいから下がるんだ。滅多に見られないものだからな、巻き込まれない程度に下がって、しっかり目に焼き付けろ」

俺はユウを押して下がらせながら、十分な距離を取ったことを確認し、向き直った。

「…我等が総大将の、神にも等しい力をな」

タマモさんはすぅっと手を上げ、指をパチンと鳴らす。

同時に、彼女の周囲で炎が荒れ狂った。

接近しかけていたゲル状体は、炎に炙られて嫌な臭いの煙を上げると、じゅるじゅる音を立てて後退してゆく。

一瞬でタマモさんを飲み込んだ炎が勢いを弱めると、その中から、美しい、一頭の獣の姿が浮かび上がった。

シャープなボディラインを覆うのは、俺のものよりも色が薄く、光沢の強い白銀の被毛。

すらりと長い手足の先には、優雅で美しい曲線とは裏腹に、剃刀よりも鋭い爪。

尖ったマズルと、頭頂部の耳は鋭角の三角。

その背には、孔雀のように拡げられた9本の尾…。

「あれが伝説の妖狐…、玉藻御前の真の御姿だ」

言葉も無く見とれているユウに、俺はそう告げた。

タマモさんは美しい。俺が知るどんな生物の美しさとも違う。彼女の美は、まさに別次元のものだ。

その身に纏った雰囲気は、まるで神域のもののように神々しく、高山の大気のように澄み渡り、凪いだ湖のように静謐だ。

何者だろうと触れることを躊躇い、跪きたくなるようなオーラ。俺達が人間の言うところの怪物だとすれば、タマモさんは

人間の言うところの神だ。気高く、神々しく、美しく、そして限りなく危険な女神…。

タマモさんは腕を前に伸ばし、すっと横に振った。その指先が指し示した軌道で、炎の壁が出現する。

一瞬でゲル状体が炎に呑まれ、煙を上げた。

炎の熱に対し、顔の前に腕を翳して目を庇った俺とユウは、押し寄せた熱風に全身の被毛をなぶられる。

超高熱に晒され、瞬く間に蒸発したゲル状体は、床にかすかに焦げた痕を残し、ほんの一瞬の間に、完全に消滅していた。

タマモさんの能力は、ショウコちゃんのものと同じ、狐火だ。だが、彼女のものは威力も精度も、ショウコちゃんのものと

は段違いに高い。

彼女がその気になれば、岩を瞬時に熔解させ、マグマに変えるほどの高熱を生み出す事ができる。彼女の攻撃を受けて生存

していられる生命体など、この星には存在しない。もちろん、それだけの高熱を生み出せば、消耗も相当激しくなるが。

「…す、すごい…」

呟いたユウを振り返り、タマモさんは微笑んだ。白銀の狐は九本の尾を優雅にくねらせ、俺達を手招きする。

「さぁ、早くお行きなさい。あの厄介なお客様は、私が引き受けるわ」

タマモさんの視線に気付き、俺とユウは背後を振り返る。

通路の奥から、ウジュウジュと音を立て、大量のゲル状体が押し寄せていた。床一面に広がり、逃げ場はどこにもない。

「さて、現場に出るのも久しぶりだし、やり過ぎない程度に暴れさせてもらおうかしら…」

銀狐の目がすぅっと細くなり、瞳が剣呑な光を宿す。

「ヤチ君?譲ってあげるんだから、必ず勝ってみせなさい」

「分かっている。今度こそ、終わりにするさ」

頷いた俺に微笑で応じ、タマモさんは俺とユウの間を通り抜け、ゲル状体に向かって優雅な足取りで歩き出した。

「行くぞ、ユウ!」

「は、はいっ!」

俺とユウはタマモさんを残し、階段を駆け上がった。

背後から吹き上がった熱風が、俺達の背を励ますかのように、そして急くかのように叩く。

フータイの待つ40階まで、あと僅かだ…!