FILE3
タマモさんの招集に応じ、その日の深夜、ススキの間に15名の同族が集まった。
全員が、この街に住む同族達の有力者である。
俺とタマモさん、ヨウコを加えて18名は、ほぼ正方形に配された卓を囲んでいた。
上座にはヨウコをはさみ、右に俺、左にタマモさんが座っている。
会合は、基本的に正体を現しておこなうが、今回は不慣れなヨウコが驚くだろうとタマモさんが配慮してくれ、人の姿での
会合となっている。
会合の目的は、秘密を守る事に協力する同志となったヨウコの紹介だ。
「さて、今申しましたとおり、彼女の誓いは私とアザフセが確認しております。彼女の言葉に嘘がないこと、私達二名が保証
いたします。それでも異議のある方がおられましたら、どうぞご意見を…」
タマモさんは一同を見回したが、異議はないようで、全員が黙って頷いた。
「では、誓いの杯を…」
タマモさんは、自分の前の卓に置かれた朱塗りの大杯に、手元にあったとっくりから僅かに酒を注いだ。それを、彼女とは
逆側に座っている者に渡す。
酒を注ぎ、隣へ、また次の者も同じように酒を注いで隣へ、卓を一周した杯に、最後に俺が酒を注ぎ、ヨウコに渡す。
僅かずつ酒を注がれ、全員の手を経てヨウコに渡った大杯には、なみなみと酒が注がれていた。
「…こんなに飲めませんよ?」
「口をつけるだけでもいいのよ。できれば飲んで欲しいけれど」
困ったように言ったヨウコに、タマモさんが笑う。
ヨウコは頷くと、杯を傾け、酒を口に含んだ。
酒をごくりと飲み込み、ヨウコは少しむせる。あまり酒が強い方ではないらしい。
タマモさんはにっこり笑うと、立ち上がり、一同を見回した。
「杯の儀を終えた白波洋子殿を、これより私達の同志に加える事といたします」
タマモさんの宣言に、一同から拍手が沸き起こった。
「さ、ヨウコさん。何か一言…」
微笑んだタマモさんに促され、ヨウコは緊張した面持ちで立ち上がる。
「ええと…」
ヨウコは一同を見回し、それからぺこりとお辞儀した。
「皆さんの事は記事にはしませんので、どうかよろしくお願いします」
俺は思わず小さく吹き、一同からどっと笑いが上がった。
集まった皆に料理と酒が振る舞われ、ススキの間でささやかな酒宴が開かれた。
皆が新たな同志となったヨウコの周りに集まり、彼女を質問責めにしている。
俺は早々と卓を抱えて壁際に移動し、離れたところからその様子を眺めていた。
皆、若い人間の女に興味津々の様子だが、俺には理解できない。
そして、驚いたことに、ミステリーラインなる怪しげな月刊誌を、会合に参加した殆どの者が愛読していた。
「5月号のカラスの墓場の記事、実に面白かったですなあ」
「いやいや、7月号のゾンビのホームレスなんかもなかなか…」
タマモさんも含め、何故皆が読んでいるのだろうか…?
「知らないうちに私達の事が記事にされているかもしれないでしょう?オカルト雑誌にアンテナを張り巡らしておくのは当然
のことよ」
酒を注ぎ足しに来てくれたタマモさんに疑問を投げかけると、彼女はそう答えた。なるほど、そういうものか…。
「まあ、建前抜きにしても面白いからおすすめよ」
建前だったのか?今の。
タマモさんはちらりとヨウコに視線を向け、それから俺に戻した。
「ヨウコさん、今月いっぱいでマンションを出るらしいの。お姉さんが借りていたもので、彼女の給料では、あの部屋では暮
らしていけないそうよ」
「そうだろうな」
かなり良いマンションだった。売れない雑誌記者が部屋代を払っていけるとも思えない。
「それと、私達の事を教える、教育係も必要になるわね」
「そうかもな」
意図しなくとも、うっかり漏らしてしまう事がないよう、徹底しなければならない。
「そういえば、私の知り合いの所…、まだ部屋が余っていたはずね…」
「そうなのか」
応じた後、俺はイヤな予感を覚えた。
タマモさんは、意味ありげな笑みを浮かべて俺を見つめている。
「断る」
「あら、断れるのかしら?」
俺は口ごもる。俺の不始末によって正体を知られることになったのは事実であり、強くでられなかった。だが…、
「…あの部屋は…」
「…彼は、戻る事を望んでいるかしら…?」
「そんな事…!」
俺は言葉の後半を飲み込む。
「例え連れ戻せたとしても、その後はどうするつもり?彼はすでに外出もままならない身、ずっと部屋に閉じこもったまま過
ごさせるつもりなの?」
それでも俺は…!…分かっている。これはエゴだ…。
苦悩する俺に、タマモさんは優しく微笑した。
「当面の間だけよ。彼女が落ち着いたら、部屋を探して貰いましょう」
俺は皆に囲まれて談笑するヨウコに視線を向ける。
そして、しばらく時間をかけてからしぶしぶ頷き、タマモさんの申し出を承諾した。
ベッドや家具などが一式揃った部屋を見回すと、ヨウコは戸惑いながら俺を振り返った。
「良いんですか?こんな立派な部屋…」
「構わない。好きに使ってくれ」
あいつがいつこの街に帰ってきても良いように、家具はずっと前から揃えておいた。
「誰かが使っていた部屋なんですか?」
惜しい。なかなか勘が良いな。
「気にするな。誰も使ったことはない。あんたが住人第一号だ」
俺はヨウコを残して部屋を出ると、俺は上着を脱ぎ捨て、ネクタイを外し、リビングのソファーに身を沈めた。
殆ど無意識のうちにリモコンを手に取り、テレビに深夜番組を映す。
誰かを住み家に招き入れたからか、それとも他者が側にいるという気配がそうさせるのか、懐かしいあいつの顔を、声を、
匂いを思い出していた。
孤独に慣れたはずの心は、微かに軋みを上げていた。
うつらうつらしていたらしい。微かな物音を鋭い聴覚が拾い、俺は顔を上げた。
リビングのドアがそっと開き、ヨウコが顔を覗かせる。
ヨウコは砂嵐を映すブラウン管を見つめ、暗闇に目を懲らしてリビングを見回す。
灯りを消せば、窓のないこの部屋の光源はテレビの画面だけだ。
やがて、彼女はソファーに腰掛ける俺に気付いた。
少し驚いたような顔をしたのは、俺が本来の姿でくつろいでいたからだろう。
全身を覆う銀の毛並み、長い毛に覆われた尾、前にせり出した鼻と顎、頭頂近くで立つ耳、体毛と同じ銀色の瞳、両手両脚
の五指は鋭い爪を備え、口には鋭い牙が並ぶ。肉体的なフォルムは人間に近いが、足は本物の狼同様、踵から先が伸びた形に
なっている。
各地の古い伝承にある人狼、その末裔が俺だ。
「ご免なさい。起こしてしまいました?」
「いや…。何か用か?」
尋ねると、彼女は少しもじもじしてから切り出した。
「ええと、間借りするお礼といいますか…、家事ぐらいはできますから、良ければ食事の支度などを担当しようかと…」
気を遣う事などないのだがな…。断ろうと思って口を開きかけたが、俺は寸前で思い直して頷いた。何もしないで居候する
のも、落ち着かないものだろう。
「はい。頑張ります。…ヤチさんは、食べられないものとか有りますか?」
「タマネギは避けてくれると助かる」
「あ、やっぱりワンちゃんと同じで、タマネギは身体に毒ですか?」
「いや、単に俺が嫌いなだけだ」
タマネギ嫌いは、あいつも同じだったな…。俺よりひどかったが…。
俺の返答に、ヨウコはぽかんと口を開け、それから笑い出した。
「なんだ?」
「いえ、好き嫌いがあると聞いたら、ヤチさんも私達もあまり変わらないんだなあ、と思って…。ご免なさい」
俺達と人間が変わらない…?悪い冗談だ…。
俺の心境には気付かず、ヨウコは「おやすみなさい」と頭を下げ、部屋に戻っていった。
テレビを消し、ソファーに深く身を沈める。
やれやれ、気楽な生活はしばらく望めないか…。
翌朝、食卓に並べられたのはベーコンエッグとトースト、ツナサラダだった。
朝食は美味かった。ヨウコはなかなかに料理が上手い。その事を褒めたら嬉しそうに微笑んでいた。
「ヤチさん。痩せているのに結構大食いなんですね」
食パン一斤を平らげると、ヨウコは意外そうに言った。
「人間の姿を維持するには、結構エネルギーを消耗するからな」
そういうわけで俺達は、体のサイズと比して食料の摂取量は多くなる。本来の姿で生きるならそれほどのエネルギーは必要
無いが、肉体に何らかの変化…、例えば傷の修復などを行った場合は、それ相応のエネルギーを摂取する必要も出てくる。
この説明に、ヨウコは感心した様子でメモを取ろうとした。
「メモは取るな。俺達に関する事は、後々証拠として残る事がないようにしろ」
「あ、ご免なさい。それじゃあ聞いた事はその場で全部暗記ですね」
「そういう事だ」
ヨウコは俺が言ったことをブツブツと反芻し、食器を片付け始めた。
俺は食後のコーヒーを飲むと、洋子に事務所のスペアキーを渡す。
会ったばかりの女に合鍵など、無用心に思えるかもしれないが、信用できない相手ならば、最初から同居人として受け入れ
はしない。
それに、万が一、家財道具や預金通帳を持ち逃げしようとしても、人間が俺の追跡から逃れることは不可能だ。
戸締りの手順を洋子に教えた後、俺は荷物を持って事務所を出た。
これ以上悪くなる前に、届け物を済まさなければならない。
本城組の立派な門構えの前に立つと、顔を見知った若い衆が、奥まで通してくれた。
主の趣味なのだろう、質素な、しかし品の良い和室で待つと、やがて柔和な顔立ちの老人が姿を現した。
居住まいを正し、深く頭を下げると、老人は顔を上げるようにと言い、俺の正面に腰を下ろした。
俺と向き合って座った老人は、本城組の親分だ。
80近い高齢ながら、腰も真っ直ぐで、きびきびした立ち振る舞いの老人で、柔和な顔立ちからはその筋の人間である事が
窺えない。
「先日は、ウチの下の者が迷惑をかけたそうじゃの」
親分の言葉に、俺は再び頭を下げる。
「やむを得ず、手にかける結果となりました。深くお詫び申し上げます」
「構わん。して、その包みが?」
親分の視線が、俺の持ち込んだ包みに向けられた。
風呂敷を解き、中の木箱を取り出すと、俺は箱の蓋を開ける。
中には、髪を茶色く染めた30代の男の首…、伊藤の首が納められていた。
ずっと箱の中に入っていた伊藤は、部屋の明るさに目を細める。
俺のかけた呪い、カースオブウルブスによって、伊藤は首だけになっても死ぬ事はできず、完全に朽ち果てるまで、千切ら
れた首の痛みに耐えながら過ごさねばならない。
親分は珍しげに伊藤の顔を覗き込む。親分の顔を見た伊藤は驚愕の表情を浮かべた。肺がないので声は出ないが、その唇が
「大親分」と動いた。
「しでかしてくれたのう。伊藤。お前のおかげでシルバーフォックスのオーナーの不興を買うところじゃった」
親分の顔からは、笑みが消えていた。表情の消えた顔の中で、その瞳が剣呑な光を宿している。伊藤の顔が恐怖に歪んだ。
冷徹な威厳を感じさせる声で、親分は言った。
「朽ちて骨になるまで、土の下で己のしでかした罪を悔やむがよい」
親分は蓋を手に取り、木箱にかぶせる。蓋が閉まる寸前、伊藤の首は何かを懇願するように俺を見つめた。無論、俺も親分
と同意見だ。楽にしてやるつもりは毛頭ない。
「さて、迷惑をかけたのうヤチ君。それと、あんたの所に居るおなごにも」
「ご存じでしたか、お耳の早い…」
「タマモさんから聞いておる。あの朴念仁がやっと女を家に連れ込んだ、と」
…あの雌狐…!
「…誤解です…。俺は…」
親分は可笑しそうに声を上げて笑う。
「分かっとる分かっとる。あんたの事じゃ、自分の責任と感じ、タマモさんの提案に逆らえんかったんじゃろう?」
「まあ、そういう事です…」
親分は笑いを収め、興味深そうに言った。
「して、そのおなご、美人じゃったか?好みのタイプか?」
「ご冗談を…。人間の女性に興味はありません」
興味津々に尋ねた親分に、俺は軽い疲労を覚えながら応じた。
親分から頂いた黒毛和牛のステーキ肉4キロを手に、俺は事務所に戻った。
ヨウコはあれから出社したのだろう。午後二時に帰った時には、事務所には鍵がかかっていた。
俺は事務所の机につき、タマモさんに電話を入れた。本城の親分に挨拶し、届け物も無事に終わった事を伝える為だ。
『そう、ご苦労様…』
電話の向こうのタマモさんは、沈んだ声でそう言った。
「何か、あったのか?」
『…悪いけれど、夜更けになったらホテルに来てくれないかしら…』
承諾した旨を伝え、俺は電話を切る。
恐らく、狩りの依頼だろう。
夜八時、俺はヨウコが帰るのを待ち、ステーキ肉が冷蔵庫に入っている旨を伝えた。
ヨウコは上機嫌だった。聞いても居ないのに本日の取材の成果を俺に話してきた。
なんでも、その筋では有名なカリスマ占い師に独占インタビューできたらしい。
占い師…、苦手な人種だ。
占い師に限らず、世間で霊能者と呼ばれている連中。十中八九がペテン師だが、俺達が鼻で相手の正体を嗅ぎつけるように、
中には俺達の正体を看破できる「本物」も居る。
「それだけではないんです!ほら、こちら…」
ヨウコはデジカメを差し出し、画像を俺に見せた。
人間の基準で言えばハンサムな痩せ形の男の横顔が映っている。黒いスーツに身を包んだ男は、欧米人だろう、金色の髪と
薄茶色の瞳だった。…これは隠し撮りか?
「エクソシストって、知ってます?」
「ようするに悪魔払いだな?」
俺達を狩ろうとした者と、何度か戦った事がある。ピンキリだが、中には手強い者も存在した。その中の一人とは、四日に
渡って戦い、決着がつかなかった。
「彼は悪霊を払うスペシャリストなんですよ。取材は完全拒否なんですが、なんとか一枚撮れました!来月号の記事はバッチ
リです!ギリアム・ミラー初来日特集!これはきっといけるわ!」
「…それは良かったな…。だがくれぐれも…」
「はい。皆さんの事は絶対に秘密。ですよね?」
分かっているなら良いのだが…。
「あ、明日の夜って空いてますか?」
「…今のところ予定はないが?」
ヨウコは目を輝かせた。
「それじゃあ、明日の夕飯、外食にしませんか?明日給料日なんです。部屋を借りているお礼ということでご馳走させて下さ
い。美味しいレストラン、知ってますから」
親分から土産に頂いたステーキ肉はあったが、それは後日でも良いか。特に断る理由もないので、俺はヨウコの好意に甘え
ることにした。
俺がシルバーフォックスに着くと、ススキの間では、すでにタマモさんが待っていた。
俺が勝手に上がりこんで待つのが常なので、彼女が先に来て待っているという状況に、違和感を覚える。
「…何があった?」
俺の問いに、タマモさんは悲しげに目を伏せたまま、そっと息を吐いた。
「同志が二人、狩られたわ…」
一瞬呼吸を止め、それから尋ねる。
「何者だ?」
事故で死んだ場合は狩られたなどとは言わない。つまり、何者かによって殺害された事を意味する。そして、俺達ライカン
スロープを殺す事が可能な存在は限られる。
「同族か?」
「まだ分からないわ…」
俺はタマモさんから詳しい事情を聞き出す。
同志は、二人とも自分の住み家で狩られたらしい。
数日間姿が見えないことを不審に思い、住み家を訪ねた別の同志が遺体を発見したそうだ。正体を現した死体からは、血が
抜かれていた。さらに心臓も抉り出され、持ち去られていたらしい。
「人間…、か?」
「恐らくそうね。オカルトを齧った人間が、私達の血肉を欲しがる事は珍しくないもの…。それと、これが現場に…」
タマモさんは、ビニールの袋に入ったカードを机の上に置いた。
袋の中にはキャッシュカードほどの大きさの厚紙で作られたカードが入っている。
カードは光沢のある黒で、裏は全体が黒。表には…、
「どういう意味だ?」
カードの表には、白いコウモリに意匠化されたMという字が刻印されていた。
「さっぱり分からないの。私が知っているいくつかの結社のエンブレムではないし、もちろん教会のものでもないわ」
俺は袋を空け、カードを手に取る。
そして服の拘束を緩め、本来の姿を取り戻す。
人間の姿のままでも俺の嗅覚は十分鋭いが、臭いを正確に嗅ぎ取り、覚えるには、やはり本来の姿の方が適しているのだ。
「血臭…、火薬の臭い…、それと、これは香水か?」
人狼となった俺の鼻でも、相手の肉体の臭いは捉えられなかった。手袋か何かを嵌めていたせいで臭いが移らなかったのだ
ろう。それに、触れなくとも本来なら僅かに付着するはずの肉体の臭いは、柑橘系の香水の香りで判別不可能になっていた。
おそらく、俺のような者に追跡される事を避けるため、意図的に香水を使用しているのだろう。俺達の同族を狩るのは今回
が初めてではあるまい、経験を積んでいる事が窺えた。
そいつは銃を撃ち、俺達の心臓と血に執着している。分かった事はこれだけだ。
ザワリ、と銀の体毛が逆立つ。同志を狩られた事に対する憤りよりも、手強い獲物を前にした狩りの興奮が俺の胸を満たす。
「引き受けた」
「追えそう?」
「ヤツは一つ、ミスを犯した」
俺は口の端を吊り上げて笑う。唇がめくれ上がり、鋭い牙がギラリと光る。
「やつは同志の心臓と血を抜いた。衣類や体についた血の臭い…、洗い流しても、香水を使っても、俺の鼻を欺けはしない」
俺はタマモさんに頼み、同族の遺体を確認させて貰う事にした。
どんなに上手く隠れようと、必ず狩り出してやる。
翌朝。朝食を手早く済ませた俺は、ヨウコに日中は出かけることを告げて、戸締りを頼んだ。
「今夜の約束、忘れないでくださいよ?」
出掛けにヨウコはそう念を押してきた。
勿論忘れてはいない。今夜の外食は彼女なりの礼なのだ、正直時間は欲しかったが、すっぽかすのは義に欠ける。
必ず時間までにゆく事を約束し、俺は事務所を出た。
昨夜事務所に戻ってから、ある程度は調査する範囲を決めておいた。まずは、殺害現場からだな。
狩られた同志の部屋を訪ね、痕跡を確認する。
住人の遺体は、昨夜俺が調べた後、シルバーフォックスの地下にある墓地に葬られた。
致命傷となったのは頭部への銃撃。銃弾は残っていなかったが、傷の具合からマグナム弾が使用された事が確認できた。
通常の弾丸、例えば9ミリならば俺達の頭蓋骨を貫通するのは難しい。
45口径ならば当たり所が悪ければ、場合によっては致命傷となるだろう。
そしてマグナム弾ならば、急所に当たれば面白くない結果になる。いかに頑強で再生力に優れた俺達の肉体といえども、脳
などを破壊されて即死してしまえば、二度と立ち上がることはできない。
犠牲者は二人とも俺の見知った顔だった。鹿とウサギのライカンスロープ。二人とも「逃走」に特化した能力の持ち主であ
り、俺のように「闘争」に特化した者達ではなかった。
同族が殺されたからと言って、警察に届け出るわけにも行かない。死ねば同志達の手によって密かに埋葬される事になる。
人間達が行う葬式という儀式を羨ましいと思った事はないが、親しい同族が死んだ時、何度か「人間のように盛大な式で弔
ってやりたい」と思った事もある。死ねば何も残さず土に還る。祈るべき神を持たぬ俺達には、それが当り前のことなのだがな…。
片付けられた部屋からは、硝煙の臭いと血の臭いが確認できたが、狩人の臭いは確認できなかった。振りまかれた香水の臭
いが、狩人の痕跡を消していた。
手がかりを掴むことができないまま、ヨウコとの約束の時間を迎えた。
高いビルの屋上にある、街の夜景を一望できる高級レストランは、彼女と姉のミズホが、何かを祝う際などに利用していた
場所だそうだ。
すでに席に着いていたヨウコは、俺の姿を見ると、立ち上がって笑顔で手を振った。
ボーイに椅子を引かれて席に着いた俺は、目の前に並べられたナイフやフォークの食器類を見回す。…この感じは…。
「悪いが、食器を取り替えて貰えないだろうか?できれば銀でないものに…」
ボーイが丁寧にお辞儀して食器を下げていくと、ヨウコが何か問いたそうに俺を見つめていた。
「銀は苦手でね」
彼女は特に質問する事も無く、納得したように頷いた。
こいつもしかして…?ここではまずいが、後で確認しておく必要があるな…。
食器が替えられると、ヨウコは俺のグラスになみなみと、自分のグラスに半分くらいシャンパンを注いだ。
「それでは、…ええと…。私の引っ越し祝い…かな?」
「それで良いだろう」
乾杯の名目を決めていなかったのだろう。迷ったように言ったヨウコに、俺は小さく笑っていた。
奇妙なことだが、彼女のこういう少し抜けたようなところが、少々気に入っていた。
俺達はグラスを掲げて乾杯した。
その拍子に、ヨウコの体から微かな香水の香りが流れてきた。
「ヨウコさん。香水を変えたのか?」
「え?いいえ、いつもと同じですけど…」
言われてみれば、いつも通りラベンダーの香りだ。だが、微かに混じったこの柑橘系の香りは…?俺は彼女の上着…、めか
し込んできたのだろう、身体にフィットする上等なスーツの胸元に視線を向ける。
「あ、取材先で拾ったものがあるんです。かっこいいから持ち帰って来ちゃいました」
俺の視線に気付いた彼女が胸ポケットから取り出したのは、黒いカードだった。カードの表に、白コウモリに意匠化された
マークが白く浮かんでいた。