FILE4
ギリアム・ミラー。それが、レストランに来る前にヨウコが取材(?)していた相手だ。
肩書きはエクソシスト。先月末から初来日しているが、取材は完全拒否しており、ヨウコはコソコソと接近して隠し撮りに
成功したらしい。他にもストーカーまがいの粘着ぶりで行動を子細にチェックしていたようだが…、さて、どう説明したものか…。
「ヤチさんも興味あるんですか?」
リビングで向かい合い、ギリアム・ミラーについての情報を俺に伝えると、ヨウコは無邪気ともいえる表情で俺に尋ねた。
「…先日。俺達の同族が二名狩られた。そして、ギリアム・ミラーは、その犯人かもしれない。場合によってはヤツを狩る事
になる。だから近づくな」
俺の言葉は、意外なほどすんなりとヨウコに伝わった。
「狩られたって…、その…、殺されたっていう事ですか?」
顔を真っ青にして、ヨウコは胸元に手を引き寄せ、拳を握って震えだした。
「け、警察に連絡を!殺人事件ですよ!?」
「警察に知らせるのはだめだ。俺達の素性を知られる訳にはいかない。分かるな?」
ヨウコはハッとしたように表情を強ばらせた。
警察内に協力者が居ない訳ではないが、おおっぴらになるのはさすがにまずい。
「それに、俺達はまっとうな人間ではない。殺人にはならないだろうな」
「でも…、動物虐待だって立派な罪になるのに…」
…あとできっちり言い聞かせておいた方が良いだろう…。
この女、悪気は無いようだが、時折俺達の神経を逆なでするような事を言う。気の短い同族にそんな事を言おうものなら、
その場で食い殺されかねんぞ?
「裁く法は無い。だから俺達が裁く。これ以上犠牲者が出る前に、狩る」
「殺す…ん、ですか?」
「場合によってはな…。状況次第だ。相手が二度とこの近辺に来ないのなら、人間一人を殺すという危険を冒す必要は無い。
息を潜めてやり過ごすのも一つの手だ。だが、今回は恐らく無理だ。相手の方が俺達を狙っている。次の犠牲者が出るのも時
間の問題だ」
「分かりました」
そう言うと、ヨウコは取材用バッグを机の上に出し、中からファイルを取り出す。
「…これ、今までに調べられた限りの情報です。滞在しているホテルも記載してあります」
「恩に着る」
俺は礼を言ってファイルを受け取ろうとしたが、ヨウコはその手を引っ込めた。
「渡す前に、一つだけ約束して下さい。殺さないであげてくれませんか?」
「ヨウコさん…。それは…」
「分かってます。無茶なお願いをしてる事は…。でも、私、ヤチさんが誰かを殺すの、イヤです。ヤチさん優しい人なのに…、
誰かを傷つけなきゃいけないのって、哀しいです」
…俺が、優しい?…そいつは飛んだ見当外れだよ…。
俺は狩人だ。獲物の返り血に塗れた追跡者だ。慈悲も無ければ情も持ち合わせてはいない。俺を突き動かすのは、己の魂、
あいつへの義、そしてささやかな誇りだけだ。
「説得してみてください。きっと分かってくれるはずです。約束して貰えないなら、このファイルは差し上げられません」
「…約束しよう…」
…俺は、結局約束してしまった。それはヨウコがあまりにも必死な顔をしていたからだ。
馬鹿げている。こちらを狩ろうとしている相手と、殺さないのを前提に向かい合うつもりか?あまりにも滑稽だぞ、字伏夜血…。
ミラーのホテル周辺を嗅ぎ回り、俺は確信を得た。
やはり、ヤツがハンターだ。上手く隠したつもりだろうが、俺の鼻は誤魔化せない。
俺はヤツから遠く離れて公園の茂みに身を隠し、動向を観察しながら、風が運んでくる同族の血の臭いと、あの柑橘系の香水の香りを嗅ぎ取っていた。
…一人になるのを待ち、狩るだけならば難しくはない。だが…。何故あんな約束をしてしまったのだ俺は…?
思わずため息が漏れた。
二週間後、俺は探偵としての肩書きで、ミラーとの面会を取り付ける事に成功した。
「お待たせしました」
流暢な日本語で言い、ミラーは俺の向かいに腰を下ろした。
場所はヤツが宿泊するホテルの一階にある喫茶店だ。オープンテラスのそこは、人通りが多く密談には向かない。それゆえ
のチョイスだ。
「初めまして、突然の申し入れ、失礼いたしました」
俺は名刺を取りだし、ヤツに渡す。
「私立探偵、アザフセ・ヤチさん…」
俺は頷くと、演技を始めた。
「探偵という職業柄、おかしな事件もそれなりには経験しているのですが、先日の調査でなんとも奇妙なものと遭遇しまして
ね…、相談に乗っていただけないかと…」
「ほう?奇妙なもの、と言いますと?」
ミラーの瞳が好奇の色を浮かべた。
「それが…、仕事柄依頼人の素性は明かせないのですが…、とある不審な人物を調べて欲しいと依頼がありまして、その男を
追っていたのですよ。依頼人の話では、その男は人さらい…、いや、人食いだと…」
「それは、穏やかではありませんね…」
ミラーはそう言いながら紅茶を啜った。気のない素振りだが、興味を引かれているのは分かる。俺の話の先を聞きたくて、
テーブルの上に置かれた指先が、落ち着き無くトントンと動いている。
「まあ、人食いというのは何かの比喩だろうと思いながら調査していた訳ですが…、どうやら、まんざら嘘でもない様子でして…」
俺は周囲を窺う仕草を入れてから、身を乗り出し、小声で言った。
「張り付いて数日後の事です…。そいつ、町中で若い女性をナンパすると、山奥にある何年も遺棄された別荘の廃墟に連れ込
んだんですよ…」
ミラーはカップを置き、僅かに身を乗り出した。…良い感触だ…。
「しばらくしたら、女性のすごい悲鳴が聞こえまして…、そっと廃墟に近づいて、窓から中を覗き込んだら…、暗がりの中で
何か大きな生き物が、何かを食べているのが見えました…。最初は熊かと思いましたが、どうも違う…」
俺はさらに声を潜めた。
「そいつ、人間のような体をしていたんです。二本足で立って、それでも顔は犬のようで…。暗がりで良く見えませんでした
が、何か被り物…、マスクのようなものを被っていたのかもしれません。そして、女の死体を喰っていたんですよ…」
俺はそこまで言ってから身を引き、椅子に深く座り直した。そして疲れたようにため息を吐いて見せる。
「カニバリズムと言うのでしたか?なんというか、そう、魔術の儀式。あれを連想しまして…。知り合いの、その筋に詳しい
雑誌記者に相談してみたら貴方の事を教えられまして。それで、どう対処すればいいか、アドバイスなど頂けないかと…」
望んだとおり、ミラーは興味深そうに俺を見つめていた。満足のいく手応えだ。
「…そのお話、実に興味深いですね…」
ミラーは芝居がかった様子で髪をかき上げた。
「もう少し、お話を聞かせていただけますか?ここで話すのも人目が気になりますね…、できれば、場所を変えて、ゆっくり
と細かい所まで…」
こうして、俺はミラーを連れ出す事に成功した。
俺は廃墟を遠くに眺める場所で足を止め、側にいるミラーに頷き、指さして見せた。
むろん、さっきの話は100パーセントのでっち上げではない。騙すなら、何割かの事実を混ぜてやらねばならない。この
廃墟しかり、知り合いの雑誌記者しかりだ。
おまけに目撃したライカンスロープの外見もなるべく細かく伝えている。リアリティは十分だろう。なにせ毎晩のように鏡
で自分の姿を見ているのだからな。
「今は居ないようですね。車がありません…」
腐葉土の上にはタイヤの跡がくっきりと残っている。前日の内に、レンタカーで真新しいタイヤの跡を付けておいたからな。
「中に入ってみます。貴方はここで引き返してください」
ミラーはそう言うと、胸元にかけていた十字架を外し、握りしめた。もちろん、十字架は俺達に何の効果も持たない。が、
一般的には邪悪に対する絶対的な武器という認識が定着しているのかもな。
「いいえ、私も行きますよ。仕事ですからね」
俺はそう応じた。これは嘘ではない。仕事は仕事だからな。
俺の前に立って廃墟に侵入すると、女性が喰われていた事になっている部屋で、ミラーは足を止めた。
俺は部屋を回り込み、窓際に立つ。
「なるほど、ここで…」
俺に背を向け、屈み込んで床を調べていたミラーは、そう呟くと、素早く身を翻して俺に向き直った。その手には、オート
マチックの拳銃が握られていた。
「私と戦うつもりだったわけですね?」
「気付いてたのか」
驚くには値しない。上手く偽ってはいたが、相手はその筋の専門家だ。長く側にいれば見抜かれる可能性もあったからな。
「だが、誤解だ。戦いに来た訳ではない。…説得する為に二人きりになっただけだ…」
…我ながら情けない。獲物を前に手が出せないとは…。だが、約束は約束だ。理不尽ではあるが、ヨウコとの約束をほごに
するのは俺の誇りが許さない。
「説得、と言いましたか?」
ミラーはせせら嗤った。まあ、理解できる…。銃に恐れを成していると考えられても仕方がないような状況だ。
「お前を狩る。それが俺達の総意だ。だが、それを良しとしないヤツが居てね」
「そうですか。ケダモノの中にも、話し合いなどという概念があるとは…、驚きました」
言うなり、ヤツは引き金を引いた。まあ、予想はしてたけどな…。
俺は発砲と同時に背中で窓ガラスを突き破り、外へと転がり出る。マグナム弾が前髪を吹き散らし、虚空へと駆け抜けてい
った。優れた再生能力を持つ俺達でも、脳を破壊されれば死は免れない。マグナム弾が頭部に命中すれば、かなり高い確率で
逝けるだろう。
バク宙の要領で窓を破り、外の地面に着地した俺は、床下に転がり込みながら、全身を縛り付ける意志の束縛を解除する。
全身の細胞が歓喜に震え、体中から銀の被毛が生え出す。
頭部の下半分が前にせり出し、全身の骨格が変形、尻から尾が伸びる。
10秒にも満たない時間で、変身を終えると、俺は木の床を突き破り、室内に侵入した。
吹き上がるように飛び散った木片の中、ミラーは俺に向かって、懐から取り出したビンを投げつけてきた。聖水か?そう思
ったが、腕を一振りして断ち割ると、飛び散った液体からは柑橘類の匂いが立ち込め、部屋に充満した。どうやら香水のビン
だったらしい。まあ、聖水とやらだとしても、俺には何の効果も無いのだが…。
ヤツは俺の姿まじまじと見つめ、目を大きく見開いた。
「ワーウルフ…!?」
そう。俺の正体は人狼だ。ヤツの瞳に、銀色の被毛に覆われた、恐々とした狼の顔が映り込む。
「…ビューティフル…」
ミラーは感嘆すら滲ませて呟いた。
「歯応えのない半獣達はこれまでに何匹も仕留めて来ましたが…。伝説の人狼を目にするのは初めてです」
「それは良かったな。話に聞くなら知っているだろう。先日、お前が狩った同族達とは違い、俺の血は闘争に特化している。
人間が勝てるような…」
俺の言葉を無視し、ミラーの銃が火を噴いた。傾げた頭のすぐ脇を通り抜け、マグナム弾が廃屋の壁に大穴を空ける。
「ええ、人間を遙かに凌駕した人狼の血と心臓…。実に魅力的です。貴方についてはそれ以外の部分も高く売れそうですね」
…売る、だと?どういう事だ?薄っぺらな使命感や、趣味同然のオカルト知識の延長で俺達を狩ろうとしていた訳ではないのか?
ヨウコと約束したのは、結果的についていたと言える。有無を言わさず狩っていたら、この話は聞けなかっただろう。さて、
問題はどうやって口を割らせるかだが…。
原始的、かつ単純な手段を使用する事に決めた。すなわち、痛めつけて吐かせる。
俺は立て続けに放たれる銃弾をかいくぐり、ミラーに詰め寄った。俺にとって5メートル以内に立つ人間など、すでに喉元
に牙をあてがっている状態に等しい。マグナムは確かに厄介だが、俺の動体視力と反射速度をもってすれば、避けるのはさほ
ど難しくはない。当たれば確かに痛いが、それだけだ。頭部や重要な臓器以外に命中しても、さして問題は無い。傷はたちど
ころに修復できるし、痛みは堪えればいいだけだ。
ミラーは確かに戦い慣れしているようだったが、俺の敵ではない。その身体能力はあくまで常人のレベルだ。
俺はヤツに素早く接近し、駆け抜けざまに右腕を深々と切り裂いてやった。俺の五指が備える鋭い爪は、ヤツの皮膚を切り
裂き、筋を断ち、骨を抉った。
激痛に声を上げ、身をよじったミラーの腕からマグナムが落ちる。
「大人しく俺の質問に答えろ。お前の態度次第では命までは獲らないでやる」
ミラーは腕を押さえ、憎悪の眼差しで俺を睨め上げる。傷は深く、出血は激しい。強がりも長くは保つまい。ヨウコとの約
束もなんとか守れそうだ…。
「俺の血を売ると言っていたな?お前は、誰かに俺達の血を、心臓を売っているのか?」
「…そのとおりですよ」
「何故俺達の血が売れる?オカルトマニアが欲しがるのか?」
「…研究の為ですよ…」
「…研究…?」
俺の記憶の片隅で、思い出したくもないものが蠢いた。
「研究とは何だ?誰が俺達の血を欲しがる!?」
ミラーは顔を歪めて嗤う。
「生命の研究ですよ…。あなた方の生命力は素晴らしい。人類の進歩の役に立つ。そう考えている人々がいるのでね…」
ザワリと、全身の毛が逆立った。まさか…。
「何処だ?俺達の血を買っているのは何者だ!?」
ミラーは薄笑いを浮かべたまま、左手をゆっくりと上げた。その手には拳銃が握られている。
「やめておけ、お前がどうあがこうと、俺を狩ることはできない」
「確かに、一対一ならそうでしょうね…」
「加勢が来るとでも?」
俺の問いに、ミラーの口からあざけりの笑声が上がった。
「まぬけですね!加勢に来てくれた仲間が足手まといになるなどとは!」
ミラーの左手の銃が、ヤツの左側に位置するドアに向けられた。
俺は自分のミスに気付く。そいつに気付くのがもう少し早かったなら…!
「ヤチ…さん…」
半開きのドアの向こう、ヤツが向けた銃口の先に、ヨウコが立っていた。部屋に充満した柑橘系の香水が、俺の鼻を麻痺さ
せていた。…まさか…?
「この香水は、貴方達の嗅覚を惑わします。鼻に頼りすぎていたようですね。彼女が私達の後を尾けていた事、私は気付いて
いましたが、貴方は全く気付いていなかった」
「なるほどな…。お前と一緒に居ることで、少しずつ香水を吸い込み、鼻が利かなくなっていた事に気付かなかったという訳か…」
…くそっ!とんだ失態だ…!俺の言葉に、ミラーは勝ち誇ったように嗤った。
ミラーはこれ見よがしに銃をひけらかし、ヨウコの背後に回り込む。この間合いと位置関係では、俺が割り込むよりも早く
銃弾が発射される…。黙ってみているしかない…。
動けない彼女の顎に銃を押し当て、負傷した腕を絡ませるようにして腕をねじり上げた。自分も激痛を感じているはずだが、
この点に関しては大した胆力と言える。
ミラーはヨウコを盾に取ったまま、俺に銃口を向けた。
「避けたら、この女性を殺します」
ちっ…。俺はやつの指がゆっくりと引き金を絞るのを睨み付ける。
轟音。同時に腹に灼熱感。マグナム弾は腹を貫通し、背中から抜けていった。打撃にも似た衝撃が、俺を一歩後退させる。
続いて轟音。マグナム弾によって左肩が大きく抉られ、銀の被毛と血肉が飛び散り、俺の上体が大きく揺れる。
「やめて!!!」
ヨウコが悲鳴に近い声を上げたが、ミラーに腕を捻られ、苦悶の声に変わる。
「…素晴らしい…!」
ミラーはかろうじて踏み止まった俺を見つめ、目を輝かせた。
腹の筋肉が蠕動し、大穴が埋まる。欠けたように抉れた肩の傷が盛り上がり、見る間に塞がって毛が生えそろう。俺の傷が
治る様を、やつは興味深そうにみつめ、満足そうに頷いた。
「やはり、伝説の人狼ともなれば、普通の武器では死にませんか…」
ミラーは先ほど落とした銃へと、顎をしゃくって見せた。
「拾いなさい」
俺は大人しくヤツの言葉に従い、銃を拾い上げた。
「その銃は弾切れです。妙な期待はしない事です」
そうだろうな…。もっとも、弾の入った銃を拾った所で反撃できる訳でもない。銃を向けた瞬間に、ヨウコの頭がザクロになる。
「誰かさんに抉られた傷が痛んで、銃を撃つのも重労働ですよ」
「そいつはご愁傷様だな。せいぜいお大事に」
俺の軽口を無視すると、ミラーは銃を握ったままの左腕を素早く懐に手を入れ、何かを取り出す。ヤツはそれに口づけし、
俺に放ってよこした。床に転がったそれは、俺のつま先に当たって止まる。全身を、悪寒が走った。
ヨウコはそれが何なのか確認し、息を呑んだ。
床に転がったそれは、銀のマグナム弾。
「銃に装填しなさい」
俺は銃のグリップからマガジンを抜き取り、銀の弾丸を装填した。
ヤツの意図に気付いたのか、ヨウコが声を上げた。
「だ、だめです!ヤチさん!逃げっ…!」
ミラーは銃のグリップでヨウコの頬を殴りつけた。眼鏡が飛び、床に転がる。思わず、俺の喉から唸り声が漏れた。
「おっと、おかしな真似をすると、このレディの頭が吹き飛びますよ?私は紳士なので、そんな事はしたくありません」
「…女を人質に取っておいて、紳士が聞いて呆れるね…」
銃声と同時に俺の右脚が抉れた。片膝を着いた俺を傲然と見下ろし、ミラーは命令する。
「銃口を胸に当てなさい」
俺は銃を両手で逆向きに握り、自分の胸に押し当てた。引き金には親指をかける。
「ヤチさん…。私の事はいいから…」
「黙りなさい!」
ミラーがヨウコの腕をねじり上げる。それでもヨウコは悲鳴を噛み殺し、気丈にも声を上げた。
「ヤチさん!約束なんてもう良いです!私の事ももう良いから!だから止めて下さい!」
「約束の撤回は大賛成だ。が、後半は賛成しかねるな」
俺は口の端を吊り上げてやった。今さらながらに思う。ヨウコは強い女だ。その点については好感が持てる。
「どうして…そこまで…」
「お前を守る。そう誓ったからな。目の前で死なれるのは寝覚めが悪い…」
ミラーが俺を嘲って嗤う。
「おやおや。このレディに飼い慣らされましたか?それとも惚れてしまいましたか?」
「なかなか面白いジョークだ。コメディアンにでもなれば、俺達の同族を狩るより儲かったんじゃないのか?」
「負け犬の遠吠えですか。伝説の人狼も、所詮はケダモノですかね…」
ミラーは余裕の笑みを浮かべると。顎をしゃくった。
「撃ちなさい」
「だめぇっ!!!」
俺は引き金を引き絞った。同時に発せられたヨウコの声が、銃声にかき消される。
銀のマグナム弾は、俺の胸に大穴を空け、背中から飛び出していった。
全身から力が抜け、仰向けに倒れる。口からゴボゴボと血が溢れ返り、目が霞む。
暗く霞んだ視界に、駆け寄ってくるヨウコの姿が映った。
「ヤチさん!ヤチさん!ああ、そんな…!私が来たばっかりに…!」
ヨウコは血が吹き出し続ける俺の胸の穴に手を当て、涙で顔をくしゃくしゃにした。
「さて、退いて貰えますかレディ?新鮮な内に心臓を取り出したいのでね」
ミラーは懐に手を入れ、黒いカードを取り出した。仕留めた相手の傍に自分が殺した証拠を残す、か…。いちいち芝居がか
ったヤツだ。
霞んだ視界の中で、ヨウコは振り返り、キッとミラーを睨む。
「退きません!貴方のような人殺しの言うことなんて、聞くものですか!」
「分かっていないようですね?ソレは人間では有りませんよ?それとも、そのケダモノに情でも移りましたか?」
「ヤチさんは、ケダモノなんかじゃありません!仲間を大事にして、義理堅くて、誇り高くて、ちょっと素直じゃなくて不器
用だけど、優しい人です!お金のために平気で人殺しをする貴方の方こそ、本当のケダモノです!」
……………。
「やれやれ、本当に分かっていないですね。ソレらは人間ではないのですよ。だから、いくら殺しても人殺しにはなりません。
が…、人殺しもしなければならないですかね?貴女はずいぶん色々な物を見てしまった…」
「…貴方は…!」
「取引、しませんか?貴女が知っている人外の存在の居場所を教えてくれるなら、命は保証しましょう」
「お断りします!貴方に教えるくらいなら、舌を噛んで死んだ方がマシです!」
「…なぜそこまで、ケダモノどもに義理立てを?」
「義理ではありません。これは私の誇りと、命を救ってくれたヤチさんへの誓い。決して、貴方には何も教えません!」
「…どうやら、魂までケダモノ達に魅入られてしまったようですね…。その魂を救済するのも、ハンターとしての私の使命で
しょう…」
「…ハンターが聞いて呆れるな…」
俺の言葉に、ヨウコが弾かれたように振り返る。ミラーは信じられないものでも見たような目で俺を見つめた。
俺は素早く立ち上がり、ヨウコを背後に庇う。
「獲物の生死の確認もせず、長々とおしゃべりとは…、ハンターとしては二流だな」
胸の大穴は少し陥没したようにはなっているが、すでに塞がり、多少動くのには支障は無さそうだ。
多少撃たれても問題はないが、胸のど真ん中をマグナムで撃つのはさすがにキツい。再生に時間がかかってしまった。ヤツ
に気付かれず、動けるまでに回復できたのは、ヨウコが立ちはだかって目隠しになり、頑張ってくれたおかげだな…。
「馬鹿な…、銀の弾丸が…」
「俺の弱点だとでも?そういった作り話に踊らされている辺り、三流以下だな」
さて、殺さないというヨウコとの約束は取り消された。今さらだが、ついでに言うなら身を守るためだ。
殺すも止む無し。
ミラーの放った弾丸を、俺は腕の一振りで叩き落とす。綺麗に二分された弾丸は、俺の左右を抜けて壁にめり込んだ。
弾を切り裂いた俺の右手の爪は、黒鉄の輝きを宿していた。体に蓄えられた、人間とは比較にならない量の鉄分を集中させ
て硬質化させた俺の爪は、日本刀にも劣らぬ鋭さと、鋼鉄をも引き裂く強度を持つ。おまけに、欠けても即座に再生させる事
が可能だ。
こんな事をしなくとも避ければ良いのだが、下手に避けるとヨウコに当たるからな。
俺はたて続けに発射された弾丸を残らず払いのけ、ミラーに肉薄する。
硬質化した爪が、ヤツの胸の中央を撃ち抜いた。体内に潜り込むと同時に開いた五指は、ヤツのあばらと背骨を間に引っか
け、肺腑を巻き込みながら背中から抜ける。
口から夥しい量の血を吐き出し、骨と内臓を背中から押し出され、ミラーの体は骨組みの無くなった紙細工のようにグニャ
リと折れる。それでも、ヤツが意識を失うことはない。
カースオブウルブス。人狼の呪いを受けて破壊された者は、完全に朽ち果てるまで死ぬことは許されない。殺すのは簡単だ
が、それでは他の同族達の気が晴れまい。報復を受けて貰おう。
ぼろ雑巾のようにミラーの体を放り捨て、俺は口の中に溜まった血を吐き捨てる。
「や、ヤチさん…」
振り向くと、ヨウコが目に涙を浮かべて立っていた。先ほどまでの気丈な様子は微塵もない。涙で顔をグショグショにして
いる様子は、まるで小さな女の子のようだ。
ミラーに銃で殴りつけられた頬が、赤黒く腫れ上がっていた。
「大丈夫か?顔、痛まないか?タマモさんが良い薬を持っている。後で分けて貰おう」
言いたいことは山ほどあったが、俺の口からは意に反してそんな言葉が漏れた。
ヨウコは俺に抱きついた。修復中の胸が微かに痛んだが、不思議と心地よかった。
「ごめんなさい!私があんな約束させなければ…!私がこっそり後をつけなければ…!」
「もう良い。俺も不注意だった。ヨウコさんはこの世界をまだ理解していないのだから」
「でも、私のせいで、ヤチさんは…」
「また、体を張って守ろうとしてくれたからな。今回については、あの時間稼ぎが無ければ少々危なかった所だ。それでチャ
ラにしよう」
ヨウコはまだ何か言いたそうに顔を上げ、それからハッとして俺から身を離した。俺の心のどこかが、それを残念がってい
るような奇妙な感覚があった。
「そうだ…、銀の弾丸が…!ヤチさん!大丈夫なんですか!?」
ヨウコはもうほとんど痕跡の残っていない、俺の胸の傷を見つめた。眼鏡が無いため、良く見えないのだろう。俺の胸に鼻
がくっつきそうなほどに顔を寄せ、目を細めている。吐息が感じられ、こそばゆい。
「…その事だが…、銀は俺達の弱点ではない。勘違いされがちだがな」
俺の言葉に、ヨウコは意外そうな、驚いているような顔をした。…やっぱり勘違いしていたか…。
「後でゆっくり説明する。が、まずは…」
俺はヨウコに窓の外を向かせ、こちらを見ないように告げると、床に転がったミラーの残骸に視線を向けた。内蔵を引きず
り出され、脊髄を破壊され、心臓が体外にあってもなお、ミラーの瞳は意思の光を宿している。
「どうだ?人狼の呪いをその身に受けた気分は?」
自分が置かれている状況を悟ったのか、ミラーの瞳に恐怖の色が浮かんだ。その体からはみ出した内蔵を踏みにじり、俺は
屈みこんでヤツの顔を覗きこむ。破壊されていても苦痛は消えない。内臓を踏みにじられても意識を失う事はできず、やつの
顔が苦痛に歪んだ。
「質問に答えてもらおう。お前から俺達の血を買い取っていたのは、誰だ?」
ミラーは苦痛に顔を歪ませたまま答えない。俺は床に転がった脈打つ心臓を掴み、少し強く握った。ミラーは眼球が飛び出
そうなほど大きく目を見開き、魚のように口をパクパクさせる。
「肺の機能は生かしておいてやったんだ…。答えられるだろう?」
俺が優しい声音で言ってやると、観念したのか、ミラーはやっと口を開いた。
「…ネ…、ネクタール…」
最悪の予想を裏付ける答えに、俺は思わずヤツの心臓を握りつぶしていた。声にならない叫びを上げるやつの傍らで、理性
をどす黒く染め上げようとする感情を押さえつける。意思に反して全身の毛が逆立ち、震えが走る。
「ネクタールって…、あの製薬会社の?十何年か前に本社が火事になって…、非人道的な生物実験が明るみになって報道され
た…?経営破たんして今は存在しないんじゃ…?」
ヨウコがちらりとこちらを振り向く。さすがに知っているようだが、あの会社の真の姿からすれば、その認識はずいぶんソ
フトなものだ。
…あれから11年…。まさか、またその名を耳にする事になるとは…。