FILE6

「済まない。取り逃がした…」

情けない…。タマモさんへの報告が、開口一番このセリフとはな…。

タマモさんは驚いているようだった。罠にかかった相手を、俺が捕らえる事を信じていたのだろう。期待を裏切ってしまった…。

「ヤチ君の追跡を振り切るなんて…一体何者なの?」

「黄…虎太…」

俺が口にしたその名に、タマモさんの顔色が変わった。

ホァン・フータイ。11年前、製薬会社ネクタールの用心棒として動いていた虎人。ヤツ一人にかかって、ネクタールの周

辺を嗅ぎ回っていた何人もの同胞が返り討ちにあった。

当時18歳だった俺もまた、血気にはやりヤツに挑んだ。

狩人としてもライカンスロープとしても半人前だった俺が、ヤツに敵うはずもなかった。傷一つ負わせる事もできず、俺は

ヤツの前に倒れた。あの時の恐怖、不甲斐ない己への憤りは、忘れようもない…。

「確かなの?フータイは彼が…」

「見逃したのだろう。あいつは昔から敵にも甘かった…」

狩人として類い希な力と経験を持ちながら、あいつは他者を傷つける事を嫌っていた。狩りの時は、いつでも辛そうだった。

…だから、俺は早く一人前の狩人になりたかった。あいつが狩人の役から降りられるように…。辛そうな顔をしなくても済む

ように…。

「フータイが生きていた。しかも再びネクタールに荷担している…。ある程度は覚悟していたけれど、また同志達の血が流れ

るのね…」

11年前の当時、フータイとまともに渡り合うことができたのはあいつだけだった。だが今は、俺達の中に当時のあいつ程

の力を持つ者は居ない。

「…ネクタールの調査にあたる者を、さらに厳選しましょう。無駄な犠牲を増やすわけにはいかないわ」

頷きながら、俺は自分の無力さが情けなくて仕方なかった。



調査は難航した。俺がフータイを取り押さえる事が出来なかったため、ネクタールに繋がる糸は途切れてしまった。

当然ながら、ミラーが連絡を取っていた電話番号には繋がらなくなっていた。焦燥が募るばかりで、有効な情報は全く得ら

れない。

そしてここ数日、11年前の夢を見ては跳ね起きる夜が続き、まともに眠れていない。

リビングのソファーにかけながら、俺はビールを喉に流し込んだ。

テーブルの上には握り潰した缶がいくつも転がっている。どれほど飲んでも、酔いの感覚は訪れなかった。

玄関の鍵が外れる音が響き、ヨウコの帰宅に気付く。

「ただいま。って…、どうしたんですかヤチさん!?」

リビングに入ってきたヨウコは、俺の醜態を見て驚いたようだった。

タマモさんの薬が効き、すでに頬の腫れは消え、痕も残ってはいない。その事には心底安心した。

「…何でもない」

「何でもなくて、こんなにお酒なんて飲まないでしょう?何時から飲んでいたんですか?」

「…3時頃かな…」

「3時って…」

ヨウコは絶句すると、頭を一度振り、俺の向かいに座る。

「…やっぱり、あまり良く眠れていないんじゃ…」

ヨウコはそう言って、上目遣いに俺の目を覗き込む。心配してくれているらしい。

「大丈夫だ。それよりも、ヨウコさんの方こそ、毎晩起こしてしまって済まない」

俺が声を上げて跳ね起きるたび、ヨウコはリビングへ様子を見に来る。つくづく情けないな…俺は…。

「私は平気です。それより、眠れないならお医者さんに薬を処方して貰うとか…」

「病院はまずい」

「あ、そうでしたね…」

即答した俺に、ヨウコは困ったように言った。

「アルコールで眠れるかと思ったが…。なかなか、な…」

「それでこんなにお酒を…」

納得したように頷くと、ヨウコはパンと手を打った。

「そうだ!私もお付き合いします」

ヨウコはそう言って立ち上がり、冷蔵庫からビールを取ってくる。

「それじゃあ、乾杯!」

「何にだ?」

「今日で私が越してきて一ヶ月なんです」

「もうそんなになるのか?」

少々驚いた。そういえば、一緒に暮らす事に慣れたのか、ヨウコが居る事に対する違和感が殆ど無くなっている。

缶を合わせて乾杯すると、ヨウコはグイッとビールをあおった。

「酒、苦手じゃなかったか…?」

ヨウコは深く息を吐き出すと、照れたように言った。

「ヤチさんがいつも、こうやって美味しそうに飲んでいるから、真似してみました」

俺がそうやって飲むのは、口の形が普通に飲むのに向いていないからなのだが…。

向かい合ってビールを飲みながら、ヨウコと様々な話をした。同居した当初は鬱陶しいと思っていたが、最近では慌て者で

天然が入ったヨウコを、どこか楽しい気分で眺めている。心境の変化なのか、慣れというやつなのか、どちらかは分からないが。

ヨウコは俺の姿を初めて見た時から、恐れを感じている素振りは見せなかった。以前その事について尋ねてみると。

「昔からホラー映画とか好きなんです。ビックリはしましたけど、怖いと思わなかったのは、そのせいですかね?」

との答えが返ってきた。…まあ、最近のホラー映画は確かに怖い。恐怖さえも娯楽にしてしまう人間という生き物は、俺達

が想像すらしないような化け物をCGで造り出す。あのいやにリアルでおどろおどろしい怪物達を見慣れると、狼男など怖く

なくなるのも頷ける。…まったく、本物の面目丸つぶれだな…。

幾分酔いが回ってきたのか、俺は少しばかり気分が良くなっている事に気付いた。

「そういえばヤチさん」

ヨウコはそう切り出すと、迷うように口を閉ざした。

「何だ?」

「ええと…」

言いにくそうに口ごもってから、ヨウコは俺に尋ねた。

「ビャクヤさんって、どなたなんですか?」

俺は缶を口元に運びかけていた手を止め、ヨウコの顔を見つめ返した。意図せずに声が硬くなる。

「…タマモさんに聞いたのか?」

「いえ…。ヤチさんがうなされている時、その名前を呼ぶので…」

「…そうか…。…俺は、何と言っていた?」

「ええと…、「行くな、ビャクヤ」とか、「俺を置いていくな」って、よく…」

ため息が漏れた。…子供か俺は…。

「もしかして、別れた恋人…ですか?」

俺の手から半分ほど中身が入った缶がスルリと落ち、テーブルの上に落ちた。見事に着地した缶が、テーブルの上で揺れ、

カタリと止まる。

「…………………!!!」

「ど、どうしました!?大丈夫ですかヤチさん!?」

「………!!……!………!!!」

笑いのツボを痛打された俺は、腹を抱えて身をよじった。初めて知った。笑いも度が過ぎると声すら出なくなるとは…。

笑いの発作が治まると、俺は目尻を拭ってヨウコに謝った。

「済まない。意表を突かれて笑いが堪えられなかった」

あいつが聞いても大笑いしただろうな。普段からずっと笑っているようなヤツだったし。

「ビャクヤというのは、俺の腹違いの兄だ」

酔いが回っていたのか、それともヨウコの放った不意打ちが効いたのか、タマモさん以外の同志達も殆ど誰も知らない、俺

の生い立ちとビャクヤとの出会いをヨウコに話した。

こんなにも落ち着いた気持ちであいつの話ができるとは、自分でも驚きだった。



俺の母は人間だった。父の顔は知らなかった。

産み落とした子が狼だった事で、母は気が狂った。

俺達は、生まれながらに野生動物を上回る自立能力を持っている。俺は狂い死にした母の乳房を吸い、冷蔵庫の中身を漁っ

て数週間生き延び、それからは外へ出て、野良犬同然の生活をした。

俺が生まれ育ったのはスラムのような界隈だった。俺は人狼としての本性が社会とは相容れない事を幼くして悟り、人間の

ふりをして過ごした。

ストリートチルドレンやホームレスで溢れかえった街で、誰ともつるまず、誰にも気を許さず、たった一人で生き延びた。

殺されそうになったことも二度や三度では済まない。だが、その都度俺を生き永らえさせたのは、顔も知らぬ父から受け継い

だ人狼の血だった。

殺伐とした、その日を生きるためだけの毎日を送り、8歳になった俺の前に、あいつは現れた…。



その日、路地裏をぶらつき残飯を漁り回っていた俺は、自分に注がれる視線に気付いた。

ゴミ箱から顔を上げて振り返ると、路地の入り口に大柄な少年が立っていた。

半袖のティーシャツにオーバーオール。左の眉を上げ、唇の右端を吊り上げ、驚いているような面白がっているような、そ

んな奇妙な表情を浮かべ、そいつは俺を見つめていた。

少年を一目見たその一瞬、懐かしいような感覚を覚えたのを、よく覚えている。

一瞬、場違いな場所に紛れ込んだ間抜けな少年。そんな風に思えた。スラムの子供には見えなかったし、人の良さそうな顔

は、生まれてこの方苦労を知らないように見えたのだ。

だが、俺はその考えを払拭し、警戒を強めた。というのも、いつからそいつがそこに居たのかが分からなかったのだ。俺の

感覚に捕まらず、これほどの近距離に近寄れる者など、それまでに出会った事は無かった。

「やあ。良い天気だね」

警戒する俺をよそに、そいつはのんびりとした口調で言った。そして無警戒に近づいてくる。俺が身構えても、そいつは無

頓着に近寄り、俺のすぐ側までやってきた。

「お腹が減ってる?」

そう言ってゴミ箱の中を覗き込んだ。中には腐臭を放つ残飯が捨てられていたが、育ちの良さそうなそいつは、意外にも眉

一つ動かさなかった。その代わりに、納得したように頷いていた。

「苦労したんだね。ずっとこんな所で生き延びていたんだ…」

そいつはそう言うと、警戒して少し後ろに下がった俺に、優しく微笑みかけた。

そんな表情を向けられるのは初めてで、俺はそいつの顔に見入っていた。

俺はその時に胸の中に沸いた感情が、何であったのか分からなかった。分からずに恐怖した。その感情が、俺を別の何かに

変えてしまいそうで…。

俺は隠し持っていた錆びたナイフを取り出し、そいつに飛びかかった。脅して追っ払うつもりだった。だがそいつは…、

「…なんで、避けなかった…?」

俺は、そいつの腹に柄まで突き刺さったナイフを、呆然と見下ろした。

そいつは痛みに顔を引き攣らせながらも、俺に微笑みかけた。

「…君の気が済むのなら、何度でも刺せばいいよ。僕にできる償いはそれくらいしかないからね…」

俺は、生まれて初めて罪悪感というものを覚えた。頭は警戒を促したが、本能が教えていた。「こいつは敵ではない」と。

「…償い…?」

俺が戸惑いながら聞き返すと、そいつは頷いた。

「一ヶ月前に僕の父が死んだ。その父が、死の間際になって告白した事があるんだ…。それは、自分が人間の女性を妊娠させ

た事。もしも子供が生まれていれば8歳になっているはずだという事。つまり、君の事だ…」

驚けばよかったのだろうか?だが、俺はそいつの腹で広がっていく血の輪の方が気になり、自分の生まれなどどうでも良い

気分になっていた。

「父は悔やんでいた。ずっと忘れようとしていた君と、そのお母さんの事を…」

「いい。もういい喋るな。血を止めないと…」

「許して貰えるとは思ってない。それでも…」

「いいから喋るな!」

俺がそう叫ぶと、そいつは哀しげな顔で頭を下げた。

「ごめんね…。辛かったね…。寂しかったよね…」

胸が痛くなった。



俺は住み家にしていた廃屋にそいつを連れて行き、傷の手当てをしようとした。

廃屋の中で、そいつはいきなりナイフを引き抜いた。

血があふれ出し、俺は慌ててぼろ布で傷を押さえる。

「大丈夫だよ。僕も、君と同じだから」

そう言うと、そいつはシャツを脱ぎ、肌を晒した。少し太めで肉付きが良く、色白の肌をしていた。

そいつは少し前屈みになり、全身を震わせた。

俺は目を丸くし、そいつの体の変化を見つめた。

全身から白い被毛が生えだし、骨格が変形する。

体自体が膨張するように筋肉が膨れあがり、手足から鋭い爪が生える。

自分以外にも同類が居たことを、俺は驚きと共に確認した。

「どうしたの?ビックリしたような顔をして…」

そいつは、白い被毛に覆われた犬の顔を俺に向けた。人間のような前髪が顔に垂れており、その下で黒い穏やかな瞳が光っ

ていた。その時は知らなかったが、オールドイングリッシュシープドッグという種類の犬に似た顔だ。

ずっと人間の姿で過ごしていた俺は、ライカンスロープの持つ特殊能力について無知だった。つまり、傷の意図的な高速修

復が可能な事も知らなかったので、ビャクヤの腹の傷が無くなった事が信じられなかった。

「あはははは!くすぐったいよ!」

長いもさもさとした毛をかき分けて傷のあった位置を入念に探ったが、傷は跡形もなく消えていた。毛は長くて手触りが良

く、ビャクヤの身体は暖かくて柔らかかった。だが、柔らかい脂肪の下に、分厚い筋肉がみっしりと収まっているのが感じられた。

「お前も変身できるのか…」

俺が驚きながら言うと、そいつは笑いかけた。

「それはそうだよ。僕は君の兄弟なんだから」

そう、俺がこいつに感じた、懐かしいような感覚は、肉親の血が呼び合う感覚だったのかもしれない。



俺も正体を現して、そいつと向かい合った。そいつは俺の姿を見ると、少し羨ましそうに言った。

「かっこいいね…。君は父さんに似たんだね。ちょっと羨ましいな」

「そうか?俺はお前の方が羨ましい。でかくて強そうだ」

実際、白犬は俺よりも一回り体が大きく、手足もがっしりと太くて強そうだった。比べて自分はひどく小さくて痩せっぽち

に思えた。

向かい合って床に腰を下ろすと、そいつは親指で自分を指した。

「僕は字伏白夜(あざふせびゃくや)。君とは同じ父親の血を引く兄弟だ」

兄弟という関係については知っていた。だが、自分にもそんな者が居るとは想像した事もなかった。驚きはかなりの物だっ

たが、それよりも、初めて感じる不思議な感覚が胸の内を占めていた。それは、安心と嬉しさだった。

「俺は、やち」

「へえ、響きの良い名前だね。どういう字を書くの?」

「字でどう書くかは知らない。ここ…、8番地の廃屋に住んでるから、やちって呼ばれるようになったらしい」

「なるほど、八の地でやち、か…」

ビャクヤは納得したように頷くと、人差し指の爪で、自分の名前を床に刻んで見せた。

「僕は白い夜、と書いてビャクヤ。遠い北の国で見られる、太陽が沈まない夜を意味するんだ」

「きれいな名前だな」

感心して言うと、ビャクヤは照れたように笑った。

「俺の名前、漢字で書けないかな?」

ビャクヤは少し考えた後、自分の名の下に文字を刻んだ。それから俺を手招きして、文字を正しく見える方へと呼ぶ。

夜血。ビャクヤの名の下に、その二文字が刻まれていた。

「僕と同じ、夜。それに血」

「夜の、血?」

「血は僕らにとって特別な意味を持つ言葉なんだ。血は力と命の源で、血族を意味する」

こうしてこの時、俺はビャクヤから「夜血」という名を貰ったのだ。

「ヤチ、僕と一緒に行こう。僕らは同族達で集まって、ある街で暮らしている」

「集まって?」

「そう。ばれないように皆で協力して、人間社会に混じって暮らしているんだ。ちゃんと人並みの生活もできるし、きっと皆

も良くしてくれる」

俺は迷った。ビャクヤが話して聞かせてくれた生活は、これまで想像もした事がない物だったし、ビャクヤへの警戒心は無

くなっていたものの、他者という存在に対しての根深い不信感を拭えなかったからだ。

だが、ビャクヤの熱心な説得と、こいつと一緒に居たいという漠然とした感覚が、俺の背を押した。

「…行く」

俺がポツリとそう言うと、ビャクヤは嬉しそうな笑みを浮かべて俺を抱き締めた。

「母さんも父さんも死んで寂しくなったけど。こうして弟を見つける事ができた。僕は幸せ者だな」

「…弟…」

俺はフカフカしたビャクヤに抱き締められたまま、その言葉がじわりと、暖かく、胸の中に溶けていくのを感じていた。



俺はビャクヤに連れられ、ホテル・シルバーフォックスに足を運んだ。

ビャクヤはここで仕事をしていると言った。13歳のビャクヤが仕事をしているという奇妙さに、スラム育ちの俺は気付か

なかった。

「貴方がビャクヤ君の弟ね?」

芒野玉藻(すすきのたまも)と名乗った女性は、笑みを浮かべながら俺を見つめた。

これまでに見たこともない程綺麗な女性で、そんな女性に見つめられた経験が無かった俺は、居心地が悪くなってビャクヤ

の後ろに隠れた。

「あらあら照れちゃって。可愛いわね」

タマモさんは微笑んだ。彼女は初めて会った21年前から、ちっとも歳を取ったようには見えない。今も変わらず若々しく、

美しいままだ。

「一緒に住みたいと思っているんだ。ホテルで使わなくなった古い寝具なんかがあれば、譲ってくれないかな?」

ビャクヤの頼みに、タマモさんは微苦笑した。

「遠慮しなくて良いのよ?新しい物を用意させるから」

「そこまではいいよ。部屋も無償で借りてるんだし、なるべく面倒をかけたくないからね」

ビャクヤは体が大きいだけでなく、精神的にも大人だった。日々を獣のように生きてきた俺には良く解らなかったが、13

歳の少年はすでに、一匹の雄として独り立ちした、堂々とした雰囲気を纏っていた。



ビャクヤはシルバーフォックスの地下、同志達しか入れないエリアの一室に住んでいた。

「いいのか?こんな立派な部屋に、俺なんかが住んでも…」

ずっと廃屋に住み着いていた俺の目には、あまり豪華ではないが小奇麗な部屋は、まるで王宮の一室にも匹敵して見えた。

「遠慮なんか要らないよ。僕一人じゃ広すぎるしね」

病に冒された両親はこの部屋で病魔と戦い、最初にビャクヤの母が、そして数ヶ月後に俺達の父が息を引き取ったのだと聞

かされた。

感染力の強い病気だったらしく、家具一式は父の死と同時に焼却処分し、部屋も完全に消毒されたらしい。

この時の俺は、あまりにも無知だったので違和感を覚えなかった。一緒に生活し、看病していたらしいビャクヤが、何故感

染しなかったのかという事には。

それがビャクヤの力による現象だという事は、しばらく後になってから知った。

「これが君のベッド。少し大きいかもしれないけど、大丈夫。育ち盛りだからすぐに丁度良くなるよ」

フカフカのベッドに手を触れ、その感触に驚きながら、俺はビャクヤに聞いてみた。

「なあ、なんで今日会ったばかりの俺に、こんなに親切にしてくれるんだ?」

「当り前だよ。君と僕はトライブなんだから」

「…とらいぶ…?」

聞きなれない言葉に首を傾げた俺に、ビャクヤは照れたように笑いながら告げた。

「家族って意味さ」



その日からビャクヤとの生活が始まった。

一般教養も、生きるための知識も、俺達ライカンスロープの事も、全てビャクヤとタマモさんに教えて貰った。

最初は警戒していた俺も、タマモさんには割とすぐに馴れた。そして良くホテルを訪れ、顔を合わせる同族達にも心を許し

ていった。

そんな俺を、ビャクヤはいつも微笑みながら見守っていた。あいつはいつも穏やかで、優しく、笑みを絶やさなかった。辛

そうな顔も、苦しそうな素振りも見せず、俺を養ってくれた。申し訳なく思う反面、ビャクヤが注いでくれる無償の愛がたま

らなく嬉しかった。

それまでの生活からは想像も出来ないほど、穏やかで幸せな日々だった…。



「こうして俺は、18歳までの10年間を、ビャクヤと共に過ごした」

話が一段落つくと、ヨウコは微笑みながら言った。

「なんとなく、納得しました」

「何に?」

奇妙な感想を不思議に思って問うと、ヨウコは笑みを深くした。

「ヤチさんの事です。鋭い感じがするのは生まれてからの辛い日々のせい。そして、落ち着いた雰囲気と、時々見せてくれる

優しい顔は、お兄さんの影響なんですね」

……………。

「私も会ってみたいな。ヤチさんのお兄さんに」

ヨウコはそう言い、俺は目を細めて笑った。

ビャクヤは少し変わっていた。というのも人間の女が好みなのだ。これまでに恋をした相手は全て人間だった。…ことごと

く失恋していたが…。

今、俺がヨウコと同棲していると知ったら、あいつどんな顔をするかな…。

「お兄さんは今、どうしてるんですか?」

ヨウコは無邪気な笑顔で尋ねてきた。

…ここまで話したのだ。最後まで話すべきだろう。

11年前…、俺がビャクヤと別れる事になった、あの事件の事も…。