独白する人狼の物語(エピローグ・2)
「おはよう」
部屋に入り、はめ殺しの窓にかかったカーテンを開け、俺はベッドの上に横たわる女に、毎朝と同じように声をかける。
美しい女だ。
清潔に保たれた白いシーツと掛け布団の中から、顔だけが覗いている。
彼女は朝日の眩さに目を細め、それから俺に視線を向けた。
女に微笑みかけ、それからテレビをつける。
この部屋から出ることの叶わない、…いや、ベッドから起き上がる事もできず、自分の意志では指一本動かせない彼女にとっ
て、テレビは唯一の娯楽といえる。
テレビを見やすいようにリクライニングベッドの背を起こし、肩からするりと落ちた布団を、邪魔にならないよう腰の前で折る。
もっとも、自力では動けない彼女にとって、布団が邪魔になる事などないだろうが…。
俺はベッドの背を起こした際に、微かに乱れた彼女のパジャマの肩と襟元を直す。
襟元から覗く、ほっそりとした首に巻かれた、真っ白い包帯が痛々しいが、それすらも彼女の美しさに彩りを添えている。
「今日も綺麗だよ…」
俺は彼女の耳元で囁き、その頬に口付けをする。
彼女の目が微かに細められ、それから俺に向けられる。
訴えかけるような光を宿すその瞳から、俺は逃げるように視線を逸らした…。
どんな希望でも叶えてやるつもりだが、その願いだけは…、聞き入れられないのだ…。
あれから二ヶ月が経った。
あの夜、致命傷を受け、死に瀕したヨウコ。
彼女が息を引き取る前に、俺は呪いを込め、その喉を食い千切った。
死を迎える前に俺に破壊された彼女は、人狼の呪いによって死した体に魂を縛られた。
そして俺は、ねぐらに新しく作った無菌室に、彼女を安置した。
…分かっている。これが俺のエゴだという事くらい…。
肉体が崩壊し、魂が体から離れるその時まで、彼女は死に至る過程で追った傷の痛みに苛まれ続けるのだ。
もちろん、ホウスケは強く反対した。
それでも俺は、彼女をあのまま失いたくはなかったのだ…。
「今日は仕事で出かけなければならない。夕暮れには戻るよ…」
ヨウコは、部屋を出ようとした俺を、縋るような視線で見つめている。
『…死なせて…』
その瞳はそう訴えかけている。
だが、そんな事は俺にはできない…。
いつものようにその視線から目を逸らし、
「行ってくるよ。母さん…」
我が手で殺めてしまった母とうり二つの美しい女性に、俺は出発の挨拶をした。
密封性の高い特殊な構造のドアを閉め、廊下に出た俺は、心の中で自問する。
この二ヶ月間、何度も繰り返した問いだ。
無菌状態に保ち、シェルターのような部屋に閉じこめ、防腐処理を行い続けた所で、腐敗を完全に止める事などできはしない。
ヨウコはあとどれだけの時間、美しい姿でいられるのだろうか…?
そして、肉体の腐敗が進行し、彼女が崩れ始めた時、俺はどうするのだろうか…?
永遠の存在など、存在し得ない。
いつか…、そう遠くない年月をおいて、ヨウコも必ず土に還る…。
それでも俺は、やっと取り戻した母との時間を、少しでも長く過ごしていたかった…。