インターミッション1 「ムンカルとナキール」

片側三車線の太い国道に面した大型百貨店。

夕暮れの赤い陽光に照らされたその広い駐車場に、低いエンジン音を轟かせ、一台の大型バイクが進入する。

その、チョッパーと呼ばれるタイプの大型カスタムバイクは、フロントタイヤが長く突き出て、左右などからはパーツが切

り落とされ、シートは後ろにシフトしてある。

長距離運転に向いたその大型バイクに跨るのは、黒い革のライダースーツに身を包む、2メートルはあろうかという巨漢で

あった。

つなぎの上からでもはっきり判るほどに胸は分厚く、肩は盛り上がり、二の腕が異様に太い。

筋骨隆々たる見事な体格である事を差し引いても、男は極めて特徴的な外見をしている。

真っ黒なライダースーツの尻の部分からは、灰色に黒の縞が入った長い尻尾。

縦長の瞳孔を持つ濃いグレーの瞳。鉄線を思わせるヒゲ。頭から斜め上に伸びる耳。

鉄の色を思わせる鈍い光沢のある濃い灰色の毛が、その人の形状とは異なる頭部を覆っていた。

虎顔の巨漢。半人半獣のこの大男の姿を形容すれば、そんな表現になる。

斜陽に照らされる百貨店の駐車場をゆったりとした速度で横切ったバイクは、駐輪場に入ってエンジンを止める。

バイクを降りてアスファルトを踏み締めた虎男は、自分が停めたバイクの隣にある、先に停められていたバイクへ視線を向

けた。

それは、悪路を容易く走破できるだけの性能を与えられた、いかにも身軽そうなバイクである。

オンオフ問わずに軽快な走行を可能としている、青みがかった灰色に塗装されたデュアルパーパスを眺め遣り、虎男は口元

を微かに歪めた。

「もう来てやがったのか」

夕陽を浴びる虎男の背では、ライダースーツにプリントされた白い翼のエンブレムが、柔らかなオレンジ色に染まっていた。

男は縞々の長い尻尾を左右にゆったりと揺らしながら歩き出す。

その足が向いた先には、多くの客で賑わう、生垣に囲まれたオープンテラスのフードコートが広がっていた。



フードコートの座席の間を通り抜けながら、虎男は目の上に庇を作って辺りを見回していた。

異様な風体の虎男はしかし、不思議な事に、周囲の客からさして注目を浴びてはいない。

せいぜいがチラリと視線を向ける程度で、この奇妙な男にさほど注意を払わなかった。

広いフードコートを歩き抜けていた男は、巡らせていた視線をある方向で止めると、客や座席を避けながらそちらへと向かう。

「おう。早かったなナキール」

虎男が足を止めた席では、一人の男がコーラを啜っていた。

その席に一人で着いていたのは、虎男に負けず劣らず奇妙な風体の男である。

虎男と同じデザインの黒いライダースーツで覆った男は、スラリと引き締まった細身の体つきで、180近い長身。

腰掛けている白いプラスチック製の椅子の脇には、フサフサとした毛に覆われた尻尾が垂れている。

シャープなマズルに三角にピンと立った耳をしており、人の物とは形状が異なるその頭部は、青みがかった灰色の毛に覆わ

れていた。

灰色の狼男。半人半獣のこの男の姿を形容すれば、そんな表現になる。

その腰の両側には、身につけたライダースーツと同じく黒色のホルスターが一つずつ固定されており、そこからローズウッ

ドのグリップが覗いていた。

こちらも明らかに不審人物なのだが、虎男同様、周囲の客はさして注意を向けていない。

「呼び出した方が待たせるというのは、如何なものかなムンカル?」

青みがかった灰色の目で虎男を見上げ、ナキールと呼ばれていた狼男は、紙コップを手にとってストローを咥える。

コーラを啜っているナキールと向き合う形で、ムンカルは椅子に腰掛けた。

「がははははっ!悪い悪い!最後の配達先が高速走っててよ、手間取っちまった」

何やら楽しげに笑っているムンカルに、ナキールは無言のまま目で問う。

「なかなか速ぇ車でな、ガッチリ弄ってあったんだが、何だと思う?アルファロメオだぜ?いやぁ飛ばした飛ばした!」

ムンカルが楽しげにしている理由が、思い切り飛ばしてきたからだと察したナキールは、空になったコップをテーブルに置

きつつ同僚の顔を見遣る。

「それで…、急に飯を奢るなど、一体何があったのだね?」

「ん〜?あ〜…、アレだ、アレ…」

ムンカルは笑いを収めると、耳を倒して顔を顰め、頬をポリポリと掻きだした。

「…ホレ、この間カドワキんトコに代わりに届けて貰ったろうが…。でまぁ…、その礼っつぅか何つぅかだな…」

「手伝って貰った礼込みで少々色を付けた因果を届けようと思ったものの照れ臭いので代わりに届けてくれ。…と、自分に頼

んだあの件の事かね?」

事の次第を淡々と述べられ、ムンカルは鼻白んだ。

「そ、ソレだよ…」

「君のその「照れ臭い」が、自分にはいまひとつ理解できない。礼をする程度の事で恥かしがる事もないだろうに」

「…判んねぇヤツには、判んねぇモンだよ…」

「そういうものなのかね?どういう心理から来るものか、是非とも詳細に教えて貰いたいのだが…。説明しては貰えないだろ

うか?」

「するかぁっ!…ったく、相変わらずめんどくせぇなぁお前は…」

真顔で問うナキールに大声で応じたムンカルは、次いで疲れたように大仰にため息を吐き出す。

「機械じゃねぇんだ。何でもかんでも構造解析できるわけじゃねぇだろ?…っと、飯にしようや。買って来るが、何が良い?」

「たこ焼き5パック。それとコーラを」

「おう。…お好み焼きはいらねぇのか?」

「なら一つ頼もうか」

頷いたムンカルが立ち上がり、テーブルの隙間を縫って歩き去ると、ナキールはライダースーツのジッパーを摘んで引き下

ろし、胸元を開ける。

懐に突っ込まれた手が引っ張り出したのは、一枚の葉書であった。

アラビア文字がびっしりと書き込まれた葉書を無言で眺め、ナキールはこれから配達する事になる因果の内容を再確認した。

程なく、たこ焼きとお好み焼きのパックを重ねて持ち、引き返してきたムンカルは、

「ん?何だ?まだ配達済んでなかったのかよ?」

テーブルの上にパックや飲み物を置きつつ、珍しい物でも見たような顔でナキールの手元を覗き込んだ。

勤勉で真面目な同僚が、仕事を後回しにしてまで自分の誘いに応じた事を、かなり意外に感じながら。

「届け相手がここに来るのでね」

応じたナキールの手から葉書をすっと抜き取り、ムンカルは眼を細めて文面を眺めた。

「え〜、なになに?…うわ…。キッツいなぁこりゃ…」

そう呟きながら顔を顰めた虎男は、葉書を狼男に返す。

「…で、来るってのはいつ頃だ?」

「二分四十一秒後だな」

葉書を懐にしまい入れつつきっぱりと答えた同僚の顔を見遣り、ムンカルは「ヒュウ」と口笛を鳴らした。

「羨ましいなぁお前の眼。俺も欲しかったぜそういうの。俺やアズは実際に本人を見ねぇと先までは読めねぇからな」

「だが、君は配達相手の居る方位をおおよそ察知できるだろう。自分からすれば相当便利に思えるが」

「だが半端なモンだ。距離までは判んねぇしな。が、お前は届ける対象の動向まで判るんだろう?」

「極々一部の例外を除いてだがね。もっとも、報いの内容を読んだだけで全てが先々まで視える訳ではないさ。届ける因果が

効果を現す時期辺りまで見通すのがせいぜいといったところだ。それに、見通した内容が不変とも言い切れない。なにぶん因

果が乱れた対象の話だからな。半端と言うなら自分もそうだ」

たこ焼きのパックの蓋を開け、押して差し出したムンカルに礼を言い、ナキールは楊枝を刺したたこ焼きを口元に運ぶ。

かなり熱いたこ焼きを、熱そうな様子を微塵も見せずに咀嚼するナキール。

表情に乏しい狼男の尻尾が、軽くはたはたと振れる事で心境を正直に語ると、虎男は口元を少しだけ吊り上げて笑う。

ナキールはじっくり味わったたこ焼きを飲み込み、黙っているムンカルを見遣った。

「…今日は、お好み焼きの方が格段に優れているという、例の講釈は無しかな?」

「まあな…。あんまり難しく考えねぇで、素直に美味いと食えればそれで良いんじゃねぇかって、そう言ったヤツが居てな。

それを聞いたら、どっちが上でどっちが下か、拘っても仕方ねぇよなって思えた」

「そうか」

狼男は頷くと、二つめのたこ焼きを楊枝で刺す。

「では、たこ焼きの勝ちという事で構わないかな?」

「…あのよぉ…、俺の話ちゃんと聞いてたか?」

鼻白んだムンカルの言葉には答えず、ナキールは視線を動かして同僚の後方を見遣る。

フードコートの片隅を、三〜四歳に見える幼い男の子の手を引き、若い女性が歩いていた。

髪を後ろで束ねた化粧気のない女性は、疲れたような足取りで歩いている。

眼の下はくまが浮いて黒ずみ、右の頬には痛々しい青あざがあった。

良く見れば、男の子の手を引く右手の甲にも青黒い内出血の跡が色濃く残っており、左手の袖からは、腕に巻かれた包帯が

微かに見えていた。

「DVねぇ…。何処の国にもあるもんだな…」

振り返り、不快げに呟いたムンカルには応じず、ナキールは先程の葉書を再び懐から取り出す。

直後、スチールグレーの毛に覆われた手は、葉書をぐしゃりと握り潰した。

握り込まれた拳の隙間から、青みがかった煙がボシュッと音を立てて漏れる。

煙が空気に散って消え、ナキールの手が広げられると、そこからは葉書が消えており、替わりに一個の弾丸が出現していた。

45LC弾の形状をしたそれの弾頭は、ナキールの体と同じく青みがかった灰色で、真っ白な薬莢にはアラビア文字が細かく

びっしりと刻み込まれていた。

出現した弾丸をコイントスでもするように親指で宙へ跳ね上げたナキールは、右腰に固定していたホルスターからリボルバ

ーを抜き放つ。

銃口を下に向けてシリンダー後部のローディングゲートを開くと、落ちて来た弾丸がそこへカシッと収まった。

鮮やかに、かつ素早く射撃準備を整える同僚に、ムンカルは再び口笛を鳴らす。

ローディングゲートを閉めたナキールは、SAAの銃口を母子に素早く向けた。

シャープなバレルが先端を向けているのは、女性が連れた男の子の額。

多くの客の視界に収まっているにもかかわらず、銃を構える狼には、誰も注意を向けていない。

ナキールの指がトリガーを引き、渇いた破裂音と共に飛び出した弾丸は、男の子の額に命中し、傷も残さずに消失する。

拳銃をクルクルと回転させ、スチャッとホルスターに収めたナキールは、何事も無かったかのようにたこ焼きに手を伸ばした。

「これで、今日の配達は終了だ」

「お疲れさん。…しっかし、相変わらず鮮やかなもんだ…。クイックドロウならウチ一番の速さだろうな」

感心して笑みを浮かべるムンカルに、ナキールは軽く肩を竦めて見せた。

「でもよ、不便じゃねぇか?シリンダーがスイングアウトできねぇんじゃあ…」

「問題ない。ご覧のとおり慣れているからな」

「どうでも良いが、ちゃんと「抜け殻」排莢しとけよ?そうやって溜めとくの、悪ぃ癖だぞ?」

「後でな。今の一発が最後だ、配達に支障は無い」

「…一回毎に排莢するのが面倒臭ぇんだろ?作りが作りだから」

「想像に任せる」

そう応じてたこ焼きを口に入れたナキールから視線を外し、ムンカルは母子に顔を向けた。

夫の暴力に耐えかねて家を飛び出した妻と、その息子。

暴力から逃れたは良いが、生活にも子供の養育にも金が必要になる。

暮らすために職を探せどなかなか見つからず、貯金も尽きかけて途方にくれた母親は、夫の所へ戻り、赦しを乞おうかと悩

み始めている。

「良かったなぁ坊主。もうじき、美味いもんをた〜んと食えるようになるからな。もうちっとだけ我慢しとけ」

ニィッと笑ったムンカルには、男の子に届けられた報いの中身が判っている。

十日前、男の子は公園でシンプルな造りの銀の指輪を見つけ、交番に届けた。

ナキールが配達を受け持ったのは、男の子のその行為が生み出した因果…、巡りが滞っていた善行への報いである。

亡くした妻の形見である、大切な指環が戻った事に感激した持ち主は、その礼をすべく、三日後に母子の住むアパートを訪

問して来る。

それが縁となり、働き先を探していた母親は、少し後にある会社に受付嬢として採用される事になる。

男の子が拾った指環の持ち主は、とある会社の重役であった。

「父親がろくでなしでも、息子は良い子に育った…。母親は出来の良い息子に救われた訳だな」

「いや。男の子への母親の教えがまっとうなものだった。その因果もまた今回の報いに少なからず影響している。彼女もまた、

受け取るべくして幸を受け取るのだよ」

呟いたムンカルに、ナキールはたこ焼きを刺した楊枝を左右に振りながら応じた。

「あぁ!なるほどなぁ…」

納得して頷いたムンカルは、相変わらず表情に乏しい同僚の顔を眺めながら、ようやくお好み焼きのパックを開けた。

(無関心なようで、結構良く見てんだよなぁコイツ…。いや、そこまで読み切れるのも、こいつの眼力の効果なのかねぇ…)

一度首を傾げてからお好み焼きを食べ始めた虎男から視線を外し、狼男は歩き去ってゆく母子の後姿を見遣った。

「………」

無言のナキールが、口元に有るか無しかの微笑を浮かべている事には、お好み焼きに夢中になっているムンカルは気付かない。

「ところで…、だいぶ上手くなったようだな、箸の使い方も」

突然話を変えた狼男に、頬が膨れるほど口に詰め込んでいたお好み焼きを飲み下した虎男は、得意げに頷いた。

「ふふん!だろう!?」

「練習していたのかね?」

ナキールが尋ねると、ムンカルは顔を横に向け、微妙な表情で視線を泳がせた。

「…ミカールのスパルタ特訓でな…」

「なるほど、効果は覿面だったな。…だが、これでもうフォークとナイフでお好み焼きを食べる姿が見られなくなるのかと思

うと…、自分的にはいささか残念だ」

「何で残念なんだよ?」

顔を顰めて視線を戻したムンカルに、ナキールは無表情のまま応じる。

「シュールでユニークな食べ方だと感じ、少し面白かったからだ」

「…お前が面白がるポイント…、相変わらず良く判んねぇのな…」

仏頂面で呟いたムンカルは、視線を胸元に落として懐に手を突っ込んだ。

胸元で震動を始めた携帯を取り出し、パカッと開いて耳に当てる。

「おう、ムンカルだ。ん?…判った、マーガリンと牛乳な?…あぁそうそう、飯はいらねぇぞ、今食ってるから…」

ムンカルは唐突に言葉を切り、顔を顰めて携帯を顔から離す。通話相手が、携帯がビリビリと震動する程の大声で怒鳴り始

めたので。

「…噂をすれば、かな?」

「あぁ…」

携帯を耳から遠ざけているムンカルは、相手の怒声を聞いて顔を引き攣らせている。

ムンカルの通話相手があまりにも大声で叫んでいるせいで、話の内容がすっかり聞こえているナキールは、胡乱げに眼を細

めて同僚に尋ねた。

「…遅くなると、連絡していなかったのか?」

「忘れてたんだよ…。ってかお前はしたのか?」

無言で頷いたナキールを、ムンカルは不機嫌そうに睨んだ。

「何で俺の事は一緒に伝えてねぇんだ!?」

「伝えているとばかり思っていたものでね。済まなかったな」

しれっと応じてたこ焼きに手を伸ばすナキールに、恨みがましい視線を向けたムンカルは、

「…くそっ!何か土産買ってって機嫌取らねぇと…!」

喚き続ける携帯をチラリと見遣り、困り顔で呟いた。