インターミッション9 「続々・バザールとナキール」
飛行艇の食堂で、二人の異形が向き合っている。
長テーブルの一方、ドア側に腰掛けているのは、筋骨隆々たる大男。虎の頭部を備え、灰色の被毛を身に纏っている。
虎男と向き合っているのはスタイルの良い女性である。が、こちらも頭部は人間のそれとは異なる豹の物で、体は影そのも
ののような黒い被毛で覆われている。
黒いタンクトップにジーンズ姿の虎男は大ジョッキでビールを、綿生地のハーフパンツに白い半袖シャツ姿の雌豹はアイス
ティーを、それぞれ飲みながら話し込んでいた。
「…それで、彼女が上手く想いを告げられたとして、ナキールの反応はどうだと思う?」
「俺が考えてんのも正にそこだよ、そこ。そろそろ付き合いも長ぇが…、俺にとっても未だに不思議生物だからなアイツは…。
時々完全に理解不能だ」
アズライルの問いに、ムンカルはしかめ面で応じた。
元ザバーニーヤで地上の事に疎い狼男は、余りにも浮世離れし過ぎていて、流石のムンカルも歯切れの良い返答ができない。
ほんの数十年前まで一度も冥牢から出た事が無かった為、そんじょそこらの配達人達はもちろん、本部内勤務の長い世間知
らずも比較にならないほど、あまり良くない意味で独特な精神構造をしている。
つまり、ムンカルとは別の意味で異端児と言えた。
「無口なようでも安心できねぇぞ。アイツ時々配慮が欠けまくった発言するからなぁ…」
「…それは…確かに…」
アズライルは神妙な顔つきで頷く。
時々配慮に欠けるのはうっかり口を滑らせて卑猥な発言をするムンカルも同様なのだが、ナキールの場合は少々具合が違う。
あの狼男は、悪意無く、配慮も無く、当然遠慮も無く、内容的にキツい事を真顔で言ってしまう恐れがある。
ムンカルとアズライルはそうなった場合のバザールの心理的ダメージを考え、苦虫を噛み潰したような顔で同時に唸った。
「…釘でも刺しておいたらどうだ?」
「「これからお前にバザールが告るから、相手が傷つくような酷い内容の返答はするなよ」…ってか?先に知らせたら本末転
倒だぞ。どう切り出せって?」
「…それもそうか…」
良い案が思いつかず、アズライルは項垂れる。
「くそっ…。考えれば考える程不安になって来るぜ…」
顔を顰めたムンカルは、椅子を軋ませて立ち上がると、
「それとなく、ナキールにバザールの印象でも聞いてみるか。相手が自分に抱いてる印象を少しでも知ってりゃ、有る程度武
器にはなるだろ」
そうアズライルに告げて、食堂の出口へと向かった。
(ナキールは、決して悪い人物ではないのだが…)
嘆息するアズライルは、自分もまた片思いの身である事をふと思いだし、自嘲気味に口元を緩めた。
「自分の始末もできない私が、バザールの後押しか…。まったく、告白もできずに燻っているくせに、何様のつもりで首を突っ
込んでいるのだろうな…」
「何か心配事かい?」
ワシャワシャと、泡だらけになったレモンイエローの鬣を太い指で洗ってやりながら、北極熊はミカールに訊ねる。
「ん〜…」
鼻の奥で唸る童顔の獅子は、歯切れの良い答えを返せなかった。
あまり身長が無いミカールは、椅子に座ってもなお、床に直接あぐらをかいているジブリールよりも頭が低い。
こうして大人しく背中や頭を洗われていると、身長差と似通った体型から、まるで親子のようにも見えてしまう。
「バザールをフネから下ろすのが残念なのかい?」
「そういうのも、ちっとはあるかもしれへんな…」
ミカール本人としては、保護した当初はバザールに対して特に何かを思うでも無かった。
が、自分達と同じく恋が出来る存在であったと知ってからは、仲間意識が芽生えている。
ミカールが胸の内に秘めているのは、そういった個人的な感情だけという訳でもない。バザールへの配慮は、そのままアズ
ライルにも繋がって行く。
アズライルにとってのバザールは、直接知る中で自分と同じ感覚を味わった唯一の存在でもある。
あの黒豹が珍しく並々ならぬ親近感を抱いていると、ミカールもムンカルも察している。
一緒に過ごす時間が長ければ、アズライルにとってもプラスに働くと思えたのだが…。
(まさか到着遅らせる訳にもいかんしなぁ…。残念やけど、仕方ないわ…)
黙り込んだミカールの鬣を丁寧に洗ってやりながら、ジブリールもまた口を閉ざした。
古馴染みが何かに思いを馳せているらしい事を悟り、邪魔にならないように配慮して。
こういった辺りは実に気配り上手なのだが、何故に黒豹の気持ちは都合良く曲解して無難に受け止めてしまうのか…。
頑張るアズライルが哀れである。
格納庫の一角で工具類の点検をしていたナキールは、「よ」という声を背中で聞き、
「ムンカルか。今のところ手伝いは必要ないが?」
と、首も巡らせずに返事をする。
「手伝うつもりはねぇよ。暇だから様子見に来ただけだ」
「ミカールは?」
「旦那と風呂だ」
「なるほど。つまり、構って貰えなくて寂しいのだね?」
「てめぇ…、おちょくってんのか?」
本人にとっては素朴な問いかけが、悪意が無くともいちいち虎男の癇に障る。
大人の対応でぐっと我慢したムンカルは、堪えたそれをため息として吐き出し、気を取り直して口を開いた。
「そういやぁよ…、バザールの事どう思う?俺ぁ気に入ったぜ、気取ったトコがねぇのが特に良い」
それとなく反応を探った虎男は、狼男がすかさず頷いたのを見て「お?」と小首を傾げた。
「彼女は素晴らしい」
深い首肯に続いてナキールがそう口にすると、ムンカルは「おおっ?」と、期待に満ちた表情を浮かべつつ、太いロープの
ような尻尾を立てる。
「あれだけ機能損傷した状態で自我を失わず、しかも僅かながらも動ける強靱さは、誰しも示せるような物ではないのではな
いかね?」
「…お前の「好き」の判断基準は機能性かよ…」
「別の理由でも豚は好きだがね?」
「ほう?」
「豚肉は大好きだよ。牛肉より羊肉より魚肉より」
キラリと目を光らせた虎男は、そのブラックジョークのような本気発言を耳にすると、一度は興味深そうに持ち上げていた
尻尾をへなっと力無く下げた。
「…そうだ。預かったCDは確かにマリクへお渡しした。大変喜んでおられたよ」
思い出したように口を開いたナキールによって、会話をその路線で維持する事が難しくなったムンカルは、大して得る物も
ないまま聞き出しを断念した。
「ダメくせぇっ!」
顔を合わせるなり開口一番言い放ったムンカルに、ベッドの縁に腰掛け、タオルで頭をワシワシこすっていたミカールが顔
を顰めて見せる。
風呂上がりの獅子は、私室にドシドシと足音も荒く入ってきた鉄色の虎を見つめながら、重々しい口調で呟いた。
「ダメっこにダメて言われる辺り、深刻やな…」
「あ!またダメっこって言ったな!ダメっこって!」
大声で抗議したムンカルは、ミカールの隣にどすんと腰を下ろすと、深々とため息を吐き出した。
「旦那とはまた違った意味できっついぜ…。野郎にバザールの印象訊くと一応好意的な反応は見せるんだが…、どうにもベク
トルがおかしい。人物評じゃねぇ、バイクについての意見訊いて「あれは良いマシンだ」って返ってくる感じだ。まさに」
「…らしいわソレ…」
「だろ?らし過ぎて「あるいは上手く行くかも…」って甘い期待が一気に遠のく。やっぱナキールはナキールだって気分にさ
せられる」
普段アズライルに入れ知恵する時とは違い、ムンカルは今回あまり余裕が無い。
バザールがフネを降りるまであまり時間が無いので、遠回りで堅実な攻め方や、時間がかかるが着実に仲を深められるであ
ろう作戦などを選択できない。
さらには、失敗したとしても次へつなげれば良いというような、一種の保険的手段も取れない。
次にいつ機会が巡ってくるか判らない以上、一発勝負でそこそこの成果を上げる必要がある。
おそらく今はどうとも思っていないナキールに、バザールの好印象を強く残す程度の事をしなければならない。
「くっそ…!自分の事なら玉砕覚悟って手もあるんだがな…、誰かの事になると責任の重さが違うぜ…」
項垂れて頭を抱えたムンカルの横で、ミカールは「はぁ…」とため息を漏らした。
「お前でいい知恵が出ぇへんのやったら、ワシらもお手上げや…。ナキール、ニブチンついでに、バザールが告白失敗しても
気にせんでくれればえぇのになぁ…」
「ははっ…、流石にそんな都合良い事…」
苦笑いしたムンカルは、不意に表情を改めた。
「…ニブチン…、そうか…。ナキールのヤツ、良くも悪くも告る側ほど深刻に受け止めねぇかも…。それなら…」
しばしブツブツと呟いていたムンカルは、何か問いたげに自分を見つめるミカールに笑いかけ、その肩に腕を回して抱き寄
せる。
「ありがとよミック!バザールにアドバイスしてやれそうだ!…あむっ…」
「耳ぃっ!?耳やめっ…はにゃふっ!」
ぐっと引き寄せられ、不意打ちで耳を甘噛みされたミカールは、鼻に掛かった悲鳴を上げた。
翌日の昼過ぎ、格納庫では灰色の狼とピンク色の豚は、あちこち壊れたバイクの脇に並び、ビールケースをひっくり返した
作業用の簡易椅子に腰掛けていた。
午前中から引き続き、黙々と作業が進められ、バイクが修理されて行く。
使用不能な部品の交換は勿論、へこんだパーツの修理に塗装の直しと、その工程はかなりの物なのだが、二人は息が合った
流れ作業で見る間にバイクの傷を癒してゆく。
この手の作業が好きで、得意でもあるナキールは勿論、独立配達人として動く都合上、一通りの技術と知識を身につけてい
るバザールもまた、修繕作業には慣れている。
が、二人の間には必要最低限の会話しかなく、世間話の一つも出てこない。
何度か告白を試み、しかしきっかけがないせいで切り出せず、緊張から嫌な汗をダラダラと流すバザールの背中には、濃い
汗染みがくっきりと丸く浮いていた。
その様子を黒豹の愛車、ファイアブレードのフレーム下部に目立たぬよう取り付けられた小型カメラが、こっそりと撮影し
ている。
それは飛行艇内の別室、ミカールの私室へと映像と音声を転送し、三名のギャラリーに情報を提供していた。
「すげぇ汗かいてんぞバザール…。そのうち緊張と脱水症状でぶっ倒れんじゃねぇのか?」
「あかん…!いろいろあかん!」
「もう四時間近く、作業の話以外はろくに交わしていないぞ…」
「だな…。おいミック、ちょっと菓子とか飲み物とか持って、一息入れるように言ってこいよ?ナキールがノンストップで作
業しっ放しだから、本題切り出すタイミングを掴むどころか、会話すらまともにできてねぇ」
映像が映し出されている小型のモニターを、肩を寄せ合って見つめていた三名は、この膠着状態を打破すべく、助け船を出
す事にした。
一方、このミッションにおいて一人だけ完全に蚊帳の外となっている北極熊は…、
「…えっぷ…」
食堂でミカールお手製のアップルパイを散々飽食し、パンパンに膨れた腹を両手で押さえながら、湯船に浸かっていた。
温い湯にしっぽり浸かり、縁に首を預けて仰向けになっている北極熊は、満腹感から来る眠気で目をとろんとさせている。
せっかく策を練って状況を整えたのに、下手に修理を手伝うなどと言い出されては困る。
そんな理由から、邪魔にならないようにとの配慮で、ミカールは頭を使った。
腹が膨れれば昼寝するだろう。そう考えて大量にパイを焼いて振る舞う作戦に出たのだが、効果覿面であった。
「…すかー…」
程なく睡魔の誘惑に屈したジブリールは、一連の流れから完全に切り離され、本人にとっては実に有意義で幸せなくつろぎ
タイムに突入した。
「おつかれ」
「お帰りミカール」
「…どや?」
せかせかと部屋に戻ってきたミカールに、ムンカルとアズライルが親指を立てて見せた。
「すばらしい!グッジョブだとも!」
「美味い差し入れ、長時間作業の休憩にゃもってこいだぜ!」
画面の中では、ナキールとバザールができたてのサンドイッチを囓っている。
ピーナッツにツナ、チョコにタマゴサラダ、生ハムにジャムと、菓子感覚の物も含めて六種のサンドイッチを短時間で用意
し、二人に提供したミカールを、ムンカルとアズライルは手放しに褒めた。
「じゃ、ワシらもちょい休憩入れよか」
自分達用のサンドイッチを詰めてきたバスケットを開けつつ、ミカールは画面を眺めて目を細める。
「これ、ちょっとええ感じやないか?バザールちゃんと話しとる」
「おう。サンドイッチ美味い!ってトコからだな…」
「どれが好みだろうか?と見事に会話のきっかけを作った」
「ふふん!エラいでワシのサンド!」
まさか三人がそんな風に話をしながら様子を覗いているとは夢にも思わず、バザールは頑張ってナキールとのコンタクトに
励んでいた。
地上の文化の話や、彼女が行ったことのない冥牢の話、共通の知り合い探しに、食べ物の好み。
当たり障りのない話題を探してはせっせと話を振るバザールだが、元々ナキールがおしゃべりな質ではないため、いずれの
話題も長くは続かない。
それでもバザールは嬉しかった。
出会ったばかりで何も知らないナキールの事を、本人の口から知って行けること自体が嬉しかった。
やがて、ある程度の時間も経ってサンドイッチも無くなり、
「では、修理を再開しようかね?」
と狼男が言い出すと、雑談で幾分緊張が解けたバザールはゴクリと唾を飲み込み、決意する。
「あ、ああああのぉっ!なな、ナキールさんっ!恋愛とかについて、どう思っていらっしゃいますか!?」
うわずった声でややどもりながら、桃色の豚は顔を真っ赤にしながら訊ねた。
彼女に与えられたムンカルの指示は、「本題に入る時はガードを固めるな。なるべく話の中核に近い所に切り込め。勝負は
一打目だ」という物である。
これは、鈍いナキール対策のアプローチであると同時に、今のバザールに適したファーストアタックのスタイルでもあった。
恋に目覚めたばかりのバザールに高度な立ち回りを要求しても上手く行きそうになかったので、いっその事なるべくシンプ
ルでストレート気味な方が良いだろうと、ムンカルは考えたのである。
ムンカルのアドバイス通りに、思い切って懐に飛び込んだバザールの発言が盗聴盗撮ユニット越しに届くとき、覗き魔三名
は『おおっ!?』と身を乗り出して小さな画面に見入る。
「やるやんバザール!」
「うむ!かなりストレートだ!なんと勇敢な…!」
「だが、問題はここからだぜ…」
ミカール、アズライル、ムンカルが固唾を飲んで見守る中、小さなモニターが映すバザールは、狼男の反応を窺っている。
「恋愛か。地上の生物が抱く感情の中でも、酷く難解で複雑な物の一つ…」
スパナを拾いかけていた手を止めて、蕩々と話し始めた狼男は、人間の文学書などを引き合いに出しつつ、百科事典の解説
のように恋愛について知っている事を語った。
まるで立て板に水。流暢かつ止まらないその解説を聞かされ、あっけにとられてしばしまともなリアクションすら取れずに
いたバザールは、
「お、お詳しいんですねぇ…?」
と、意外そうな声でそう呟くのが精一杯であった。
「現在勉強中なのだよ」
ナキールはさらりとそう言い、盗聴者側では…、
「…予想以上に…ムードが無いな…」
「ナキール…、前々から思っとったけど、恐ろしい子…。誰が百科事典的に恋を語れてゆうた…」
アズライルとミカールがお通夜の親族のような顔をしていた。
しかしムンカルだけは、
「…何でだ…?」
何か腑に落ちない事でもあるのか、目つきを鋭くしながら画面を睨みつけている。
「どないしたんや?ムンカル」
「アイツがさっき引き合いに出してたのはフランス古典の有名な恋愛作品だ。それなりにメジャーだが古いしお堅い。何で知っ
てる?」
ブツブツと呟くムンカルは、食い入るようにモニターを見つめたまま、目を大きく見開いた。
「現在勉強中って言ったよな?何でアイツが恋愛について勉強してる?しかも付け焼き刃じゃねぇぞ?」
ムンカルが何に疑問を感じているのか今ひとつ掴めない黒豹と獅子は、訳が分からないとでも言ったように顔を見合わせ、
小首を傾げる。
その耳に、盗聴器越しのナキールの声が届いた。
「自分の知り合いには、もう何十年も前から片思いをしている女性が居る。気持ちを伝える事が出来ず、時に落ち込み、時に
舞い上がり、それでもめげずに想いを貫こうとあがき続けている。決断力が無いと言うべきか、それとも、いっそ天晴れな忍
耐力と言うべきなのか…」
ナキールはそこで一度言葉を切ると、ふと、微かな笑みを浮かべた。
それは、バザールは勿論、モニター越しに見る三名の同僚達ですら見たことの無い、慈愛に満ちた優しげな微笑であった。
誰かに見られる事もなく、時に静かに浮かべられるその笑みは、どの配達人よりも広範囲に渡る欠落を抱えていたナキール
が、他者への理解を深めていく途中で浮かべるようになった物である。
ある時は不遇な母子に、ある時は短い旅を終えた少女に、またある時は同僚に向けられて来たその笑みに、バザールのみな
らず、ムンカル達も見入っている。
「今のところは難し過ぎて理解に苦しむが、もしも自分にも解る事ができたなら…、それは、きっと素晴らしい感情なのだろ
うと思っているよ」
桃色の顔をポーッとさらに赤く染め、狼の横顔に見入っていたバザールは、はっと我に返っておずおずと訊ねる。
「それは…、その、アズライルさんの事でしょうかぁ…?」
「うん?知っていたのかね?」
微かな笑みを消したナキールは、さも意外そうに僅かに片眉を上げバザールを見遣る。
「間近で長らく見ていると、応援したくもなるのだよ。…まぁ、自分はあまり役に立てていないがね」
軽く首を縮めてそう言ったナキールの横で、バザールは「そう…ですかぁ…」と、俯きながら呟く。
その顔は、ほんの少し強まった期待で赤みを濃くしている。
一方、その様子を観察している三名は、難解な問題を突きつけられたような難しい顔つきで言葉を交わしていた。
「ムンカル、気付いとったか?アイツが恋愛にそないな興味持っとったなんて…」
「いや…、下手すりゃ旦那以上に縁遠いと思い込んでた…。これまでだって意味解んねぇまんま惰性で手伝ってくれてんだと
ばっかり思ってたぜ…」
「では…、ナキールは実感できないながらも、恋愛について学ぼうとしていたと…、そういう事なのか?私の様子を見ていて、
興味を覚えたと…?」
「そういう事らしいな。意外だが…」
「案外、ワシらが思うとった程ニブチンでもないんやないか?ナキールのヤツ…。なんだかんだゆうても賢い子やから…。ム
ンカルとちごーてなっ」
「ダメっ子で悪かったなぁああああああああ!」
うるさい外野である。
「…ゴホン!んでまぁ、こいつは予想外だが、行ける…!」
ムンカルは拳を握ってニヤリと笑い、画面に見入った。
「言っちまえバザール!完全に計算外だったが、ナキールのヤツ、こっちの予想よりやわっこいぜ!」
盗聴盗撮装置は一方通行である。ムンカルの激励が届いた訳では無かったが、バザールは意を決して大きく頷き、自分を叱
咤した。
「あ、あああああのっ!」
俯いたまま絞り出すような声を発したバザールに、ナキールは工具を手に取りつつ横目を向ける。
「わ、わたしっ…!わたしもですねっ…!じ、実はそのっ!れれっ恋愛にそのっ!きょきょきょ興味って言うかそのっ!あり
ましてですねっ!っていうか、じじ実際そのっ、す、好きな人っ、でででで出来ちゃった!?みたいでっ!?」
観察者三名が顔を寄せ合ってモニターに見入り、口々に「ファイト!」だの「言ってまえ!」だの「やっちまえ!」だの叫
んで応援する中、バザールはどもりながら言葉を紡ぐ。
「じじ、実感したばっかりでっ!まだよくわかんないんですけどっ!でででもっ!その人の事を考えるとっ!胸が苦しくて…
切なくて…でも不快じゃなくて…気持ちよくて…!」
頷いたナキールは、僅かに目を細めた。
「そうか…。君は恋ができるのだね?少し羨ましいな。その感覚を自らの物として味わえる事は」
俯いたままのバザールは、太腿の上に置いた手をギュウッときつく握り込み、声を絞り出した。
「……のは……さ…なん…す…」
「ふむ?」
「わ…わたしに…、この感覚をっ…気持ちをくれたのはっ…、ナキールさんなんですっ…!」
狼男の眉がピクッと上がり、目が少し大きくなる。
「なっ、ナキールさんに助けて貰って…、わ、わたし…、わたしっ…!す、好きになっちゃいましたっ!」
それはきっと、恩義と感謝がきっかけになった物なのだろうと、バザール自身は考えている。
危機的状況を救ってくれたナキールの姿があまりにも眩しくて、助けて貰った事があまりにも嬉しくて、灰色狼の勇姿は鮮
烈な印象と共に、彼女の心に焼き付けられていた。
「よ、良かったらわたしと、ここっ交際して下さいっ!お願いしますっ!」
もはや顔を上げる事すらできず、俯いたまま不器用に思いの丈を吐き出したバザールは、きつく目を閉じてナキールの返事
を待つ。
言ってしまった。もう後戻りはできない。そう考えると恐怖すら感じた。
その反面、言うべき事をきちんと言ったという満足感も、僅かながら胸の内から沸き上がって来る。
長いようで短い沈黙の後、ナキールは口を開いた。
「…済まないが…」
その第一声で、バザールの耳はぴくりと跳ね、固唾を飲んで見守っていた三名も息を止める。
「自分はまだ勉強不足のようで、君の気持ちを理解してはやれない」
つっかえつっかえ、どもりながらも想いを込めて吐き出されたバザールの告白とは対照的に、ナキールの言葉は淡々として
いて淀みなく、感情が読み取れない物であった。
「実際の所、自分は君に対して恋をしていないのだろうと思う。話に聞くような特別な感情の揺らぎを、今も確認できないの
でね」
「…そう…ですかぁ…」
俯いたまま呟いたバザールの肩から、力が抜けた。
「あんな言い方ありか!?あれじゃ酷過ぎるやろ!?いくらなんでもバザールが可愛そうや!」
同僚の態度に憤慨して声を荒げるミカールを、軽く顔を顰めたムンカルがなだめる。
「いや、想いに応えられねぇなら、かえってあんな風にバッサリいかれた方が良い場合もある。…下手に期待させられるより
立ち直りが早いか、あるいはパンチが効き過ぎてなかなか立てねぇかは、人それぞれだけどな…」
かつてブルックリンで恋多き青春を送ってきたムンカルである。憤るミカールや魂が抜けたように呆然としているアズライ
ルと比べ、至って冷静であった。
成就する想いもあればダメになる恋もある事は重々承知しており、その点においては他の配達人よりもよほどドライに割り
切れる。
(ダメならダメで次の恋を望むなり、諦め切れねぇならリトライを試みるなりすりゃあいい)
離れてしまうので今後は援護も難しくなるし、何よりもバザールの気持ち次第だが、できる限り協力してやろうと虎男は考
える。
(最初の告白にしちゃあ上出来だったぜ。ご苦労さん、バザール…)
胸の内で労い、モニターを見つめる虎男の瞳には、項垂れたまま動かないバザールの姿。
その姿は、玉砕して打ちひしがれているようにも、大仕事を終えて気が抜けているようにも見えた。
「上手く行かないとは…、こういう事なのだな…。こういう…」
どんな気分で今の告白を見ていたのか、アズライルが呆然としたまま呟く。
自分もこうならないとは言い切れない。そして、結果がどちらになっても、言ってしまえば二度と元の状態には戻れないだ
ろう事も薄々感じている。
黒豹にとっては他人事ではない。いたたまれない気分になって当然であった。
落ち着いているムンカル、呆然とするアズライル、憤るミカールが三者三様に見つめるモニターの先で、少し間をあけた狼
男が沈黙を破った。
「だから…」
バザールにとっては永遠にも思える長い沈黙の後、ナキールはぽつりとそう零すと、
「もし良ければだが、自分に、恋を教えては貰えないかね?」
と、至って真面目な顔と口調で、バザールに語りかけた。
今度は、本当に長い沈黙があった。
バザールは一見無反応で、覗き見している三者もほぼ同様の状態である。
ムンカルは眉根を寄せ、ミカールは首を傾げ、アズライルは同席している二人の意見を聞きたげに困惑顔である。
かなりの間を置いて、ぎぎぎっと顔を上げたバザールは、狐に摘まれたような顔で傍らの狼男を見つめた。
その視線を受けて頷いたナキールは、相変わらず淀みのない平坦な口調で彼女に訊ねる。
「不勉強ゆえに、君に望まれるような振る舞いができる自信は無いが、それで構わなければ交際してみたい。そして、叶う事
なら自分に恋を教えてくれないかね?」
耳が痛くなる程の沈黙が、覗き魔三名が肩を寄せ合うミカールの私室を支配する。
しばしあってから、ミカールが乾いた抑揚のない声で呟いた。
「…これは…、オーケー…なんやろか?」
「…らしいな…」
頷いたムンカルは、「つくづくめんどくせーヤツ」と悪態をつきながらも、口の端を僅かに緩めている。
「そ、それって…?…え?それじゃあ…?あれ?」
一方で、戸惑うバザールはようやく声を発すると、ナキールに問いかける。
「もも、もしかして…、おつきあい…して…、い、頂けるんですかぁ…?」
「君が、自分でも構わないというのであれば」
こくりと頷いたナキールがそう応じるや否や、
「やったぁああああああああああああああああああっ!」
桃色の豚は突然大声を上げて狼に抱きついた。
身長では上回るナキールだが、ボリュームそのものはバザールの方がかなり上である。
不意を突いて勢い良く抱きつかれた狼は、ビールケースの簡易椅子から押し出されつつ、仰向けに床へ押し倒され、ぶにゅっ
と豚の下敷きになる。
「嬉しいっ!嬉しいですぅっ!もうダメだって思ってたのにっ!」
狼男の胴をギュウッと抱きしめ、引き締まった胸に頬を押しつけ、バザールは嬉しさのあまり上ずった大声で喜びを訴える。
タックルを食らったに等しい狼男は、「けふっ…」と一度小さく噎せると、天井に向けていた目をきつく抱きついてくるバ
ザールの頭へ向けた。
豊満な胸が腹部を、その下のボリューム満点の腹部が腰部から太腿を、それぞれ埋めるようにして上から圧迫しており、簡
単には身動きが取れない。
「バザール」
「はいっ!?」
「重いのだが」
「わわわわわごめんなさいぃっ!」
慌てて上から退いたバザールは、上目遣いにナキールを見つめると、
「そ、そそそれじゃあ…、お、おつきあいの手始めに…」
丸っこい体をもじもじとくねらせつつ、ポケットから携帯を取り出す。
「まず、ばばば番号とかっ!交換して貰えませんかぁ!?」
「了承した」
頷いたナキールが携帯を取り出し、二人が番号の交換を始めると、
「しっかしアレだ…。いきなり押し倒しに行った割にゃあソフトな要望だな。年頃の若い娘みてぇだ…」
モニター越しに様子を見ていたムンカルが、呆れ混じりの苦笑を浮かべて呟いた。
「ま、とりあえず上手く行った以上、今はあんまり高望みするべきじゃあねぇか」
「ドキドキさせよってからに…。結局、めでたしめでたし…でええんやなコレ?…って、どないしたアズライル?」
ミカールの訝しげな声につられてムンカルが首を巡らせれば、項垂れたまま肩を震わせているアズライルの姿。
「私は…!私は今っ!とても感動しているっ…!」
ムンカルとミカールは顔を見合わせ、軽く肩を竦めた。
自身が何十年も続く片思いの真っ最中にあるアズライルは、どうやら自分の恋を案じてくれているらしいナキールの本音を
聞かされた事と、カップル誕生の瞬間に立ち会った事で感極まっているらしい。
(先越されたとか、そういうモンはねぇのかコイツ…)
そんな事を考えながら頭の後ろで腕を組み、ふんぞり返ったムンカルは、ニンマリと顔を綻ばせると、
「大変なのはむしろこっからかもしれねぇが…、祝福するぜ、お二人さん…!」
携帯を付き合わせてアドレス交換をしている狼と豚が映ったモニターに、笑い混じりに語りかけた。