第十話 「ミッドナイトブルーメモリーズ」(中編)

「妙やなぁ…」

一夜明けて午前九時、ミカールは前日と同じ曇天の下で、腕組みしながら首を傾げていた。

場所は昨夜の空き地から見上げた位置の山道。首無しライダーの姿を最初に見たポイントである。

「気配が希薄過ぎるわ。ぜんっぜん位置掴めへん…。けったいやなぁ?」

「…あのよミック…」

「あん?」

振り返ったミカールの視線の先には、バイクに跨ったまま顔を顰めている虎男の姿。

「ここまでで良い。後は俺一人でやるって…」

不機嫌そうに口を曲げて言ったムンカルに、ミカールは「フン!」と鼻を鳴らして答える。

「しつこいで?ニブチンのオドレが、ワシでも捉え切れんアイツを見つけられるか!」

「そこは足でカバーするって言ってんだろが!」

「あても無く効率悪く馬鹿っぽくダラダラズルズルグダグダノロノロ探し回るっちゅうんか!?」

「うるせぇな!根性でビシっと見つけてやるってのビシっと!」

「何もせぇへん内から根性論持ち出すんは、何も考えてへん証拠や!」

「んじゃお前は何か考えてんのかよ!?」

牙を剥き出しにして吼えるムンカルに、ミカールは胸を張って答える。

「匂いを手繰って見つけたるわい!」

自信満々に応じたミカールだが、ムンカルは即座に切り返した。

「でも実際掴めてねぇんだろうが?」

「う…!ちょ、ちょこ〜っと風向き変わりゃ判るわ!」

「因果の乱れの気配は風の影響関係ねぇだろが!やっぱお前だって大して何も考えてねぇんだろこのチビデブライオン!」

「何やと!?オドレこそ何も考えてへんかったくせに筋肉達磨がっ!シバくぞこんガキャア!」

ムンカルにしてみれば、自分から言い出したワガママである上に、昨夜振り切られたリベンジでもある。

密かに闘志を燃やしたそこへ、配達頓挫を危惧したミカールが同伴すると言い出したのは、彼にとっては実に面白くない事

であった。

半人前扱いされているような不愉快さに加え、ミカールとタンデムでは昨夜と同様、再び振り切られる可能性が非常に高い。

そしてミカールにしてみれば、ムンカルの探査能力の性質が不安の種である。

性格が影響しているのか、ムンカルの探査能力は配達対象の大まかな方向を掴むばかりで、距離が解らないという大雑把な

物である。

さらに、その日の調子の善し悪しが如実に現れ、時にメンバー中最大の探査能力を持つ北極熊と同等の射程で探査できたか

と思えば、時に数百メートルの距離まで接近しても位置が掴めない場合もある。

調子の良い時は非常に優れた働きを見せるのだが、いかんせん安定していない為に信頼性が低い。

なので、日頃は後部座席に取り付けている発券機の探査機能と、配達相手に反応する消印の色彩変化に頼らざるを得ないの

である。

ミカールが神経を尖らせている理由は他にもある。

余計な拾い物をしてせっかくのオフを一日潰した上に、わざわざ志願して因果管制室から引き受けた配達物を渡し損ねると

いう、傍目にも格好の悪い事だけはしたくないのである。

ギャイギャイ言い合っていた二人は、唐突に言葉を切ると、同時に顔を上向きにし、フンフンと鼻を鳴らした。

「…昨日の匂いと似とる…。何や?」

「ああ。だか少し違う…。似ちゃあいるが別モンだな…」

「ほれ!ちゃきちゃきせぇや!飛ばせムンカル!」

ミカールは素早くバイクに跨ると、ムンカルの背中をバシバシ叩いて急かす。

「判ってるって!うるせぇなぁ!」

顔を顰めながら同乗者に応じ、鉄色の虎はバイクを急発進させた。



川崎隆一(かわさきりゅういち)は、崖上を走る道の傍らに車を停め、急カーブの外側、向こう側に太平洋を望むガードレ

ールに花束を添えた。

しばし無言で目を閉じ、立ったまま手を合わせていたリュウイチは、やがて薄く目を開けて崖下の海を見下ろした。

寂しげな表情を浮かべるその横顔を見遣り、全く気付かれる事無く車の後ろにバイクを寄せた二人が視線を交わす。

「似てると思ったら、どうりでな…」

「事故ったヤツの兄貴やったか…」

海を見下ろしながら佇んでいる、肩まで伸びた長髪を後ろで纏めた若者を右手側から見遣りながら、二人は彼の素性を読み

解いた。

今回の届け先である、ムンカル命名首無しライダー…川崎隆二(かわさきりゅうじ)の兄である事も含めて。

少し考えた後、ムンカルはミカールを振り返り、口を開いた。

「話を聞いてみる。何か手掛かりが掴めるかもしれねぇ」

この申し出を耳にし、人間との接触は最低限に留めたいミカールは顔を顰めたが、他に良い手も思いつかない。

手掛かりのないこの状況では有効な手段かもしれないと、ムンカルの提案にしぶしぶながら頷いた。

ムンカルとミカールが被認迷彩のレベルを下げると、それまで意識できなかったバイクのエンジン音に気付き、リュウイチ

は首を巡らせた。

二人とも迷彩を完全に解除した訳ではないので、半人半獣の二人の姿にも違和感を覚えない。

せいぜい、筋肉質で大柄な男と背の低い太った男の二人組という印象を抱く程度である。

「よう。花添えに来てやったのかい?」

いつの間にか現れていた見覚えのない二人組に僅かながら警戒心を抱いていたリュウイチは、歩み寄ったムンカルが親しげ

に声をかけると、少しだけ表情を緩めた。

顔や声に覚えはなかったが、この峠に集うバイク乗りなのだろうと考えて。

「ああ…。まだ見つかっていないからな…」

体とバイクが、とは言わなかったが、何が見つかっていないのかはムンカルとミカールにも察しが付く。

「にぃちゃん、毎日ここに来とんのか?」

「いや、仕事もあるし。…それでも、週に一度ぐらいは」

ミカールに応じたリュウイチは、再び海を見下ろした。弟の体とバイクを探しているのか、眼を細めながら。

「ところで兄ちゃん。妙な噂話とか聞いてねぇかな?」

ムンカルが訊ねると、リュウイチは目だけ向けながら「妙な噂?」と聞き返す。

その声音と表情が微妙な揺らぎを見せた事に、ミカールはめざとく気付いている。

「例えば、この峠で昨夜何か出たとか…な」

リュウイチは体ごと向き直り、探るような目で二人を見た。

向き直る際に見せた右足の動きがややぎこちなかった理由は、先ほど彼の現在までの旅路を読み取った二人には理解できて

いる。

「…あんたらも、昨夜ここに居たのか?」

そうだ。と答えようとしたムンカルに先んじて、ミカールが口を開く。

「いや、ワシら昨夜は都合付かんで来られへんかったんや。そいでまぁ、出とったヤツからけったいな話聞いたんやけどな」

本当の事を伏せるミカールに、ムンカルは訝しげな視線をちらりと向けたが、任せておけとでもいうように見返されると、

小さく頷いて彼に従った。

「笑える話だよ…。まさか自分の弟が都市伝説に絡めた噂話の登場人物になるとはな…」

「…ワシらは初耳やったけど、この無責任な噂、前々からあったんか?」

ミカールの問いに、リュウイチは微苦笑しながら首を横に振る。

「いや、おれも昨夜初めて聞いた。午前三時の非常識な電話でね」

その返答を聞いたミカールは、何か引っかかる物を覚えたのか、眉根を寄せながら重ねて質問する。

「ワシらはここしばらく忙しゅうて、あんまし参加できてへんかったんやけど、皆はずっとこっち集まっとったんか?」

「え?う〜ん…、おれも参加してる訳じゃないから詳しくは知らないが…、大規模な集まりは昨夜が再開一度目だったはずだ」

「つまり、噂も昨夜からっちゅう訳やな?」

「そのはずだ。…まぁ、おれに聞こえない所では囁かれていた可能性もあるが…」

そこまで聞いたミカールは顎に手を当て、少し顔を俯けて考え込む。

「ところでよ。連中、今夜も集まるかな?」

急に黙り込んだミカールに替わってムンカルが口を開くと、リュウイチは「それはどうかな?」と肩を竦めた。

「集まるのは土曜の夜が多い。加えてあんなデマまで流れたんだ、今夜はさすがに集まらないだろうな」

そう言ったリュウイチは、一拍置いて自嘲するように口元を歪めた。

「…おれも影響されてわざわざここに来るんだからな…。効果的なデマだったのかもしれない」

少し目を伏せたリュウイチの顔を見ながら、ムンカルは居心地悪そうに頬を掻く。

他の配達人と比較すると、彼は人間の心情に対して共感し易く、感情の揺らぎ幅も大きい。

同じ「報い」の配達担当である狼男…ナキールと比較した場合、その差は特に顕著である。

この傾向に関してジブリールは概ね好意的に見ているが、ミカールは難色を示していたりもする。

気まずくしてしまった事に気付き、リュウイチは苦笑いしつつ話題を変えた。

「ファットボーイか。良いバイクじゃないか」

「だろう?譲って貰ったもんだが、気に入ってる」

ムンカルが嬉しそうな笑みを浮かべると、リュウイチも笑みを深くした。

「テレビでT2をやるたび、ウチにも良く問い合わせが来る」

「ああ。そういやあんたバイク屋だったな?かっこ良かったもんなぁあの役。ちょっと悔しいぐれぇ似合ってたぜ」

「あんたにも良く似合ってるよ。ガタイが良いからかな?」

「がははははっ!そいつはどうも!」

二人がバイクの事で盛り上がり始めたその時、黙り込んでいたミカールが不意に顔を上げ、口を開いた。

「帰るでムンカル」

「ん?」

「閃いた。ちっと確認したい事があんねや」

「…解った…」

良いところだったのに…。と思いながらも、頭を掻きながらしぶしぶ頷いたムンカルは、片手を軽く上げてリュウイチに別

れを告げ、自分だけさっさとバイクに戻ったミカールの後を追う。

バイクに跨り、エンジンをかけたムンカルは、再び海に視線を向けたリュウイチの背に「なぁ」と声を掛けた。

「あんたの弟よぉ、速かったぜ?」

「ははははは!そいつはどうも!」

ムンカルの言葉に振り返ったリュウイチは、嬉しそうに顔を綻ばせて笑っていた。



草がまばらに生えた広い空き地。

市営の運動公園にする計画があるやたらと広いその土地の真ん中で、レモンイエローに塗装された水陸両用の飛行艇が翼を

休めていた。

その大きく広い右翼の下には、黄色と白の縞模様の折り畳み式サマーベッドに仰向けに横たわる、でっぷり肥えた北極熊の

巨体が見えた。

幸せそうに顔を緩ませている白熊の、その緩んだ口元からは、

「…だめぇ〜…、お腹いっぱい…、もう入らないよぉ…」

何やら満足げな寝言が漏れている。

その傍らには、折り畳み式の丸テーブルの横で折り畳み式のアームチェアに座り、レースのタペストリーを編んでいる黒豹

の姿があった。

無表情ではあるものの、肘掛に乗って椅子の横に垂れた尻尾の先は、機嫌良さそうにゆらゆらと揺れている。

曇天の下ながらものんびりと微笑ましい、何とも穏やかな午前十一時ののどかな空気はしかし、獣の唸り声を思わせる大型

バイクのエンジン音によって破られた。

顔を上げたアズライルが視線を向けた先には、草を蹴立てて疾走して来るバイクと、それに跨る虎と獅子の姿があった。

速度を緩めて停車したバイクから飛び降りたミカールは、アズライルの前を横切ってづかづかとサマーベッドに歩み寄り、

「もう食べられな…どぅおふっ!」

ジブリールの太鼓腹に勢い良く飛び乗って、その寝言を中断させた。

「昼間っからだらだらせんと起きぃジブリール!」

「起こし方がひどいよミカール…」

かなり乱暴な起こされ方をしたにも関わらず、目を開けて自分の腹に馬乗りになっている同僚の姿を見たジブリールは、や

れやれとでも言いたげな苦笑いを浮かべる。

太った獅子の脇の下に手を入れ、ひょいっと脇に下ろした北極熊は、大きく伸びをして欠伸をすると、目を擦りながら尋ねた。

「で、配達が済んだ…という訳でもなさそうだね。何があったんだい?」

「いや…、ミックが旦那に相談してぇって言うから途中で引き上げて来たんだが…」

昼寝を邪魔した事を申し訳無く思っているのか、それともささやかな幸せを噛み締めていた一時を邪魔されたアズライルが

向ける、突き刺すような鋭い視線を感じているせいか、ムンカルは耳を倒しながらバイクから降りる。

「中行って話そ。保留になっとる訳やで…、なかなか難儀な配達相手や」

せかせかと飛行艇に入ってゆくミカールに、欠伸を噛み殺しながら歩き出したジブリールとそれに付き従ったアズライル、

最後にムンカルが続く。

「そう言やぁ、ナキールはどうしてんだ旦那?」

「食堂でトランプタワーを建造中のはずだけれど…。昼寝前に覗いたら三つ組みあがっていたよ」

「…何が面白ぇんだ?アレって…」

「…そういうムンカルは何が面白くて彼を起こしたのだろうな…」

「俺が旦那を起こした訳じゃねぇだろ?」

嫌に低い声でぼそぼそと囁いた黒豹の背に、ムンカルは心外そうな顔で反論したが、

「…いや、俺が悪かったよな…。全面的に…」

振り返ったアズライルにギヌロッと睨まれると、耳をペタンと寝せてしぶしぶ詫びた。



昨夜と同じく、パソコンルームで席についたジブリールは、画面の上から下へと高速で流れてゆく0と1の数字の列を、瞬

きもせずに凝視している。

その横でサポートに付いたアズライルは、別のモニターに映し出される数字の列を見つめていた。

「旦那とアズライル、何してんだ?」

後方からそれを眺めていたムンカルは、隣のミカールに小声で訊ねた。

「ジブリールは今、該当エリア内の因果流転データを例の事故の日から三ヶ月分コピーして取り込んどる。調律の必要が無い

物も含めてや。ただでさえ膨大なデータ量やから、少しでも不要なデータ…、ノイズなんかが混じらんようにアズライルがサ

ポートに入って除去フィルターかけとるんや」

「…へぇ…」

「理解できてへんやろ?」

曖昧に頷いたムンカルをジト目で見遣るミカール。

「オドレも少しは覚えとかんといかんで?…ちゅうても、あれだけのデータ丸ごと取り込めるモンはそうおらん。ワシでもで

けへん事はないんやけど、この後動く事考えるとちとキツいわ」

やがて、パソコンのモニターにコピーが完了した旨のメッセージが表示され、データの取り込みを終えたジブリールは鳩尾

の辺りをさすりながら顔を顰めた。

「さすがに多かった…。ちょっともたれ気味…。美味しいものじゃないけど、ある意味正夢だった…」

「ごくろうさん。で、どや?」

少し苦しげに腹をさすっていた北極熊は、軽く目を閉じると、何かを確認したように頷く。

「手こずる訳が解ったよ…。そうそう無いケースだねこれは…」

「どないなっとんねや?」

「なんなら中で確認する?二人分くらいならなんとか入るけど」

「せやな。その方が解りやすそうやし」

ジブリールが問うと、ミカールは顎を引いて頷き、ムンカルの腕を掴んだ。

「じゃ、見せて貰うで」

白熊が差し出した手を獅子が握った次の瞬間、ムンカルの周囲で景色が変わった。

パソコンルームは跡形もなく消え、ムンカルは空中に放り出される。

雲が垂れ篭めた曇天の下、眼下に峠の道を見下ろして、虎は宙を踏み締めて立つ。

事前にろくに説明もされなかったが、そよぐ風が被毛を揺らし、やや湿気った空気が鼻をくすぐる中、唐突に放り込まれた

そこが、ジブリールが取り込んだデータを元に再生している過去の世界である事を、ムンカルは瞬時に悟る。

自身を経由してジブリールとムンカルを接続したミカールもまた、姿こそ表示されていないものの、ムンカルと同じ視点で

同じ景色を見ているはずであった。

潮騒や風の音までが完璧に再現された過去の世界に、何処からともなくジブリールの声が響く。

(どうだろう?ちゃんと見えているかいムンカル?)

「ああ、完璧だよ旦那。…で、こりゃあ一体いつだ?」

(昨夜の峠。キミとミカールが訪れる少し前の時間だ。過去三ヶ月遡っても、異常が認められたのはこの一回だけだったんだ。

…そろそろ始まるよ)

「始まるって何が…」

そう問い掛けたムンカルは、眼下の景色に生じた変化に気付いて言葉を切った。

闇に沈むリアス海岸沿いに刻まれた道。ライダー達が競い合っているその長い道沿いをすっぽり覆うように、不意に霧が湧

き出した。

しばしそれを見下ろしていたムンカルは、それが霧ではない事に気付く。

それは、微細な光の粒子であった。

本来であればムンカルの目では捉えられない存在だったが、今はジブリールの目で捉えた情報を見せられているため、彼に

も視る事ができている。

「こりゃあ…何だ?」

(魂さ。道全体を覆っている。たぶん、生前何度も走ったあの道への強い執着によって、魂にこんな変化が起こったんだろう

ね。非常に稀なケースだよ)

「道全体?じゃあ、俺やミックが嗅ぎ取ったあの気配はひょっとして…」

理解し、喉の奥で唸ったムンカルに、ジブリールの声が応じる。

(極めて希薄になった魂そのもの…。何の事はない、二人はちゃんと配達相手に接触していたんだよ。こうも希薄になってた

ら気付けないのも無理はない。保留設定される訳だねぇ)

「しかしよぉ…、こんな有様じゃあ届けようが…」

(そこなんだけれど…、もう少し見ていて)

ジブリールに言われるままに眼を細めて地上を見下ろしたムンカルは、光の霧が流動してゆく事に気付いた。

まるで峠を駆けるバイクのエンジン音に反応しているように、霧はうっすらと明滅しながら一点に向かって集まってゆく。

そして、今まさに峠を攻めている二台のバイクの後方に向かって一気に収束すると、バイクに跨った首の無いライダーの姿

に変わる。

霧散して希薄になっていた魂が凝縮して出現したライダーは、前方を走る二台の後を追って走り出した。

首無しライダーが前を行く二台を抜き去る様子を、遥か上空から見下ろしながら、ムンカルは難しい顔をして黙り込んでいた。

「…なるほどな。俺達が見たのは、こうやって収束して形を整えた後の姿だったって訳か…」

(そういう事。霧散して希薄になっている状態に弾丸を撃ち込んでも、湯煙に釘を打ち込むようなもの…。けれど、この状況

を再現できれば届けるのは不可能じゃあない)

「状況を…、再現…。むぅ…」

腕組みをして難しい表情で唸るムンカルに、ジブリールが助け船を出した。

(この道に執着して数ヶ月漂っていた魂が、ライダー達のレースの最中に再収束した…。鍵はここじゃないかな?)

ムンカルは唸り声を止め、しばし黙り込むと、

「…そうか…。やれるかもしれねぇな…」

ぼそりと呟き、頭上の曇天を見上げた。

「もう十分だ旦那。使えそうな手ぇ思いついたぜ!」

(うん。それじゃあ戻すよ?)

ジブリールの声が応じた直後、ムンカルの周囲で一切の動き、大気の揺らぎまでもが静止し、ザザーッと、ノイズがかかっ

たテレビ画面のように景色が乱れた。

再び像が結んだその時には、周囲の景色はパソコンルームの物に戻っていた。

ジブリールが再生した世界の中では、ムンカルには数分が経過したように感じられていたが、実際にはほんの一瞬の事である。

ムンカルの手を離したミカールは、虎を振り返って片方の眉を上げる。

「ええんやないかその手。ワシは賛成や」

接続が切れる前にムンカルの意図を読み取った獅子は、口元に微かな笑みを浮かべた。まるで、少しばかり見直したとでも

言うように。

「オレも有効だと思う。異論は無いよ」

ジブリールも微笑しながら頷き、その横で一人だけ接続していなかったアズライルが首を捻っている。

「それじゃあ、早速動くとするか…!」

ニヤリと笑ったムンカルは、胸の前で開いた左手に、バシッと右拳を叩き付けた。



自宅兼職場で、修理の為に預かったバイクの整備をしていたリュウイチはおもむろに壁時計を見上げ、ため息をついた。

噂の事がどうにも気になり、作業がはかどらず時間ばかりが経っている。

リュウイチは、以前はあの峠のレコード保持者で、そこそこ名の知れたバイク乗りであった。

だが、彼は六年前にバイク事故によって重傷を負い、峠のチャンプの座を明け渡す事になった。

後遺症として右足に麻痺が残ってしまい、バイクには乗れなくなってしまったが、リュウイチはそれでもバイクに触れてい

たくて、整備士としての道を選んだ。

8つも歳の離れた弟が自分に憧れてバイクに興味を示したのは、リュウイチにとっては少々こそばゆいながらも嬉しい事で

あった。

自分が整備したバイクで峠に挑んだ弟が、並み居るライバルをブッ千切ってレコードを塗り替えてゆく様を間近で見守り続

けながら、リュウイチは感傷に浸った。

弟によって記録が塗り替えられてゆくのが、誇らしくも物悲しかった。

自分がもう走れない事が、誰よりも速い弟と競えない事が、残念でならなかった。

兄が整備したバイクに跨り、誰よりも速く峠を駆け抜け続けた弟が逝ったのは、ほんの三ヶ月前の事である。

自分に影響されてバイクに興味を示さなければ、リュウジは死ななかった。

そんな事を考えて悔やみながらも、リュウイチはバイクから離れられない。

(つくづくいかれている…)

唇を歪めて自嘲したリュウイチは、傍らの台に置いていた携帯が着信を告げ、回想を打ち切った。

ディスプレイに表示されているのは覚えのないナンバーであったが、店の連絡先としてホームページや看板、広告にも掲載

している携帯番号である。新規の客からかかってくる事も多い。リュウイチは躊躇う事無く通話に応じ、

『よう。今朝方はどうも』

電波越しに聞こえて来るどこかで聞いたような気がする太い声を耳にし、眉根を寄せた。

「…ああ…!今朝峠で会った?」

思い出したリュウイチに『そうそう』と応じると、ムンカルは先を続けた。

『名乗り忘れちまったが、ムンカルってんだ。よろしくな』

どういう字を書くのだろう?と首を傾げたリュウイチに、ムンカルは頼み事があるのだと切り出した。

「………何だって?」

しばしムンカルの言葉に耳を傾けていたリュウイチは、やがてすっとんきょうな声を上げた。

『できる限りで良いんだ。が、一人でも多く集めてぇ。頼めねぇかな?』

唐突な頼み事をされて困惑しているリュウイチに、ムンカルは繰り返した。

今夜、あの峠にバイク乗りを集めてほしい。それが虎男がリュウイチに頼んでいる事である。

「何人かは集まってくれるだろうが…、あの妙な噂はもう広まっているはずだ。迷信深い連中ばかりじゃないが、皆いい気は

しないだろう。それに明日は月曜でなおさら集まり難いだろうし…。何で急にそんな事を?」

『まぁ何て言やいいのか…、この国の言葉で言うなら、一種の供養ってヤツかな』

「く、供養?」

思わず聞き返したリュウイチに、ムンカルは続ける。

『正直なトコを言えば、あんたの弟はよ、あんまり良くねぇ状況になっちまっててな。本来ならゲートを潜るはずが、魂があ

の峠に留まっちまってる。このままじゃ不自然な残留を続けてる魂が劣化しちまって、次の旅に支障を来す可能性が出てくる

んでな。なんとかしてやらなくちゃいけねぇ』

一気に喋るムンカルの言葉を聞きながら、ひょっとしてこいつは怪しげな宗教の勧誘か何かだろうかと一瞬疑ったリュウイチだったが、

『…因果が滞ってる。しかも、他者を巻き込まねぇで、一人でひっそりと消えちまう類の乱れ方だから、因果管制室も本腰入

れようとしねぇ…。万が一にもそんな消え方しちまったら、やっこさん、不憫過ぎる…』

奇妙な事に、内容の半分も理解できないながらも、その言葉を聞いている内にムンカルが語っている事は真実だと感じるよ

うになった。

「…どれだけ集まってくれるかは判らないが…、できる限りは、声をかけてみる…」

『そうか。頼むぜ兄ちゃん!こっちはこっちで下準備済ませとくからよ。で、集合時間は…』

数分後。臨時休業の看板を出したリュウイチは、知り合いのバイク乗り達の番号をアドレス帳で調べながら、手当たり次第

に電話をかけていった。

一人でも多く集めたいのだと、さらに各々の知り合いにも声をかけてくれるよう頼み込みながら。