第十七話 「スカーレットスケルトン」(後編)

「少しかかるで?終わるまでじっとしときぃ」

「おう」

白一色の部屋の中、ベッドに寝せられたムンカルは、顔を覗き込んだミカールに頷く。

他の部屋と同程度の面積を持つその部屋には、白い医療用寝台が六つ、パイプ椅子が無数に置いてあり、狭苦しい印象を受

ける。

丸顔の獅子は肉付きの良いぽってりとした手を、ムンカルの分厚い胸へと伸ばした。

ジッパーを下ろし、大きく開けられたライダースーツの胸元から、発達した筋肉で盛り上がった胸が覗く。

他の部位よりもやや色が薄い鉄色の毛に覆われたその胸に、レモンイエローの手がそっと乗せられた。

うっすらと光り出すミカールの手。そこからムンカルの胸へと、微かな発光は範囲を広げてゆく。

触れられたムンカルは表情を僅かに和らげ、息を吐き出しながら軽く目を閉じた。

「接続完了。…このダァホ、見た目以上にガッタガタやないか…!防壁が三枚とも破られとるし、自己診断機能どころか復旧

機能までイカれとる…!下手したら中枢に損傷出とったで?」

顔を顰めて目を吊り上げたミカールは、目を閉じたムンカルがいつの間にか休眠に入っている事に気付く。

再出撃に備えて回復に努める同僚の顔を見下ろしながら、ミカールはため息をついた。

そして、この虎男を同僚として迎えたばかりの頃の事を思い出す。

それは40年近く前のある日の出来事であった。



コツリと音を立て、頑丈なブーツの厚い底が鉄の床を踏み締めると、陸王のフレームを丹念に磨いていたミカールは首を巡

らせた。

横手のドアの一つを開けて格納庫に戻って来たのは、がっしりした鉄色の虎である。

「どないや?」

「う〜ん…、いまいちか?」

応じたムンカルは顔を顰めて頭を掻き、後ろを振り返る。

続いてドアを潜ったのは、大柄で筋肉質なムンカルよりもさらに大きな、熊の頭部を持つ巨漢であった。

上下揃いのダブルのスーツの上にトレンチコートを羽織っており、ムンカルの物と似た色合いの、金属質な光沢を持つ灰色

の毛を纏っている。

コートもスーツも落ち着きのあるダークグレーで、被毛も含めて巨大な灰色の塊であった。

灰色でない部位は、白目と口や喉元などの白い毛、白いワイシャツ、そして黒い鼻と黒いネクタイ、黒の革靴だけ。

白、黒、灰色と、色を嫌うかのようなコーディネートに身を包んだ巨漢は、上背はムンカルを軽く上回り、ジブリールと同

等。ただしその体型は大きく異なっていた。

発達した筋肉によって所々盛り上がった体は、コートの上からでもその分厚さと太さが良く判る。

岩塊を思わせる屈強な体つきの灰色熊を見上げ、ミカールは口を開いた。

「どんな感じやろ?モノんなるやろか?」

顎を引くようにしてゆっくり小さく頷いた灰色熊は、低く張りのある声で獅子に応じた。

「鍛錬は必要でしょうが…、独力で使用可能になるまで、そう時間はかからないでしょう。大変筋が良いですね」

灰色熊は鉛色の瞳をムンカルに向けながらそう述べ、虎男は少し照れたように口の端を上げながら頭を掻く。

ミカールは「さよか」と呟くと、顎に手を当てて顔を顰める。

「本当はお前んトコに行かして、集中的に叩き込んでもろた方がえぇんやろけど…、生憎、イスラフィルまで持ってかれたせ

いで手が足りてへんねや。三人しかおらへんから、こいつを配達枠から外す余裕も無い」

ミカールが半眼にした目を向けると、灰色熊は表情を変えぬまま横へ目を逸らす。

「耳が痛いですね…。ところでジブリールは?」

「ああ。吉兆と死記、才覚、その他諸々の配達中や。昨日まで報いの配達手伝っとったから、仰山溜まっとんねや。下手する

とムンカルが一人前になるまで休日返上やで」

大仰にため息をついて肩を竦めたミカールは、上目遣いに灰色熊の目を見つめ、口の端を上げてニヤリと笑みを浮かべる。

「…増員要請出しとるんやけどなぁ…。なっかなか良い返事来ぃへんねやこれがぁ…。しんどくてかなわへんでぇ〜…。要望

通らへんかなぁホンマ…。出来れば報いの配達が任せられそうな人材がえぇなぁ…」

しばらく黙っていた灰色熊は、やがて目を細めて微苦笑を浮かべた。

「足を運んだ時にでも、管制室に声をかけておきますよ」

「ホンマに?うぇへへへっ!おおきに!」

ミカールはニンマリ笑うと、顎をしゃくって食堂のドアを示した。

「実はな、お前が来るならて気合い入れてラザニア作っとったんや。遠慮せんと食ってけや!じきにジブリールも戻ってきよ

るし!」

「ラザニアが好きなのか先生?」

ムンカルが首を捻って尋ねると、

「大好きです」

灰色熊は顎を引いて頷き、ミカールの後を追ってドアに向かう。

その後ろからついてゆくムンカルは、

「ところで、ムンカル君」

「ん?」

唐突に足を止めて振り返った灰色熊の顔を見上げ、首を傾げる。

「わたくしと君の力は、配達人となる君の本来の業務上では使用機会の無い物です。熟練し、制御するには業務とは別に努力

が必要ですが、決して軽んじる事無く励まれるように…。これは、この力を宿してしまったわたくし達に課せられた義務です」

神妙な顔つきで頷いたムンカルの瞳に、厳つい顔の灰色熊が浮かべた穏やかな笑みが映り込んだ。

「君がその力を振るう機会に恵まれない事を、祈っております」

「ああ…」

再び頷いたムンカルに背を向け、正面に向き直った灰色熊は、ドアを開けて待っていたミカールに歩み寄る。

(…どや?ウチの新米)

本人に聞こえぬよう、軽く触れた手からの精神共鳴で尋ねて来たミカールに、灰色熊は同じ手段で応じる。

(配達人としての資質は、わたくしには判りかねます。その点についてはミカールの方が目は確かでしょう。ただ…)

一瞬間を置いた灰色熊は、苦笑するような響きを伴う共鳴で獅子に告げた。

(「喧嘩」は相当強いですよ?それは保証します)



しばし経って、ムンカルが薄く目を開けると、ミカールは回想を打ち切った。

「…だいぶマシになったぜ…。ありがとよ、ミック」

胸に当てられたままのミカールの手を掴み、ムンカルは僅かに顔を顰めながら身を起こす。

「機能優先の応急修復や。やっつけ仕事やから苦痛は残っとるし、消耗しとるんはすぐにはどうしようもない。…ホンマに行

けるんか?」

「当然っ…!」

ミカールの手を放してベッドから降りたムンカルは、だるさと痛みが残る体を、それでもすっくと真っ直ぐ立たせ、獅子の

目を見下ろした。

「それじゃあ、手間かけて済まんが、隔離の方は頼むぜ?」

「判っとるわ。くれぐれも「発砲許可」出すまでアレぶっ放すんやないで?」

念を押すミカールに頷いた虎男は、ジブリールが待つ格納庫に向かって歩き出した。



車通りの無い県道添いの待避所、転倒した骨のマシンの横で、アンクーはゆっくりと右腕を上げる。

その手から、ソウドオフがするりと逃れ、音を立ててアスファルトの上に落ちた。

死神の動きは、まるで何かに縛り付けられているかのように緩慢で、腕は小刻みに震えていた。

動きがおかしいアンクーと5メートル程の距離を置いて対峙した灰色の狼は、両手に握るSAAから、立て続けに弾丸を撃

ち込んでゆく。

その弾丸が身体に接触して消える度に、アンクーはガクガクと骨の身体を痙攣させた。

ナキールが放っているのは、先程ムンカルやアズライルが使用した物と同質、大量の無意味なデータを凝縮した物。大量の

ジャンクデータを撃ち込む事で強制的に摂取させ、相手に動作不良を起こさせる為の弾丸であった。

アンクーが使用している弾もまた、同じ性質の物である。

そんな散弾を受けてもジブリールが平気だったのは、彼の容量と処理速度が桁外れで、その手の攻撃に極端に強いからこそ

であり、アンクーやムンカル、ナキールなど、比較的性能が近い者同士では同じ現象は起こりえない。

追跡者から続けて八発も打ち込まれ、待避所に押し込まれる形でクラッシュしたアンクーは、さすがに動きが鈍った。

だが、アンクーも黙って被弾している訳では無い。

刻々とプロテクトをバージョンアップさせ、次々と着弾拒否扱いにし、不用データの強制注入を阻止しようとする。

それを承知しているナキールは、打ち出す弾丸の形式をこまめに変え、プロテクトに引っかからないように調整しながら連

射している。

動きを鈍らせたその隙に右の銃を宙に放り上げ、その手で新たな弾丸を精製し、もう左手の銃に装填。

ローディングゲートから一発ずつしか弾を込められないSAAは、しかしナキールの手の中でシリンダーを高速回転させら

れながら、一瞬で全弾を咥え込まされる。

落ちて来た一丁を掴むと同時に左の銃を宙へ放り、同様の動きで弾丸を装填し、狼男は二丁での連射を再開した。

ジャンクデータの量が比較的少ない軽めの弾丸を大量精製し、弾幕を張る…。

ナキールのそれは、一撃大容量スタイルのアズライルとは間逆の立ち回りであった。

彼がこの旧式リボルバーを使い続けている理由はここにある。

その常軌を逸した装填速度と機械的なまでの手先の器用さ、早撃ちの腕により、SAAを使用しても他の銃と遜色がない。

遜色が無いからこそ、手に馴染んだこの二丁が、彼にとって最適な銃であった。

まるで銃をジャグリングするようにして、ナキールの両手は連射と装填で目まぐるしく動く。

だが、その動きは時とともに遅くなっていた。

基本的に一度放ったものと同一形式のものは使えないため、無効化されない形式の検索、及びバージョン変更に時間を取ら

れ、徐々に精製速度と連射速度が落ちてゆく。

その間にもアンクーは不要データを削除し続けているため、ナキールの装填速度のダウンに反比例して、少しずつ動きを良

くしてゆく。

(これほどのキャパシティを持つとは…。確かに、これまでに遭遇した死神の中でも、屈指の性能だな…)

動きがほぼ元に戻りつつあるアンクーに散発的に銃弾を叩き込み、曲芸師のような手さばきで弾丸を補充しながら、ナキー

ルはそんな事を考える。

焦りは無い。こうなるかもしれないという事は重々承知でアンクーと向き合っている。

彼の真の目的は、アンクーの破壊でも、飲み込まれた魂達の救済でもなく、もっと手前側にある。

すなわち、適任者が到着するまでの足止めであった。

ナキールはトリガーを引く指を止め、上空を仰ぎ見た。

想定していた所要時間を少しばかり過ぎたが、ナキールは与えられた役目を全うした事を確認する。

狼男の視線につられて空を見上げたアンクーの赤い眼球も、ソレを捉えた。

二人の視線の先には、真っ黒な夜空に舞うレモンイエローの飛行艇。

『待たしたなナキール!準備完了や!』

飛行艇のスピーカーを通して響き渡るのは、拡声されたミカールの言葉。

同僚達にだけ聞こえるように調整されているため、その大音量の声は人間達に聞こえない。

『対象範囲確認!限定区域への因果干渉を一時的に遮断!』

宣告するような獅子の声が響くと同時に、ナキールとアンクーの周囲で景色が変化した。

風が止まり、舞っていた紙くずが宙でピタリと静止する。

全ての色が消え失せ、白と黒、そして灰色が構成するモノクロの世界へと様変わりしてゆく。

見る間に範囲が拡大し、半径2キロにも及んだその奇妙な空間は、現実の空間に重ねて生み出され、さらに因果干渉から隔

絶されているダミーの空間である。

この範囲内であれば、配達人やアンクーがふるう力は、地上の理に縛られる存在へ一切の影響を及ぼさず、巻き添えの発生

を防ぐ事ができる。

『ダミーフィールドの構築完了。対象区域の因果断絶を確認。準備完了!出番やでムンカル!キッチリお礼参りしたれぇっ!』

ミカールの声に続き、飛行艇の後部ハッチが開いた。

そこから飛び出したパールホワイトの大型バイクは、フロントを真下に向け、獣のような咆哮を上げながら、落下するよう

に宙を疾走する。

二人の巨漢を乗せた大型バイクは地表に達する前に鼻を起こし、ナキールとアンクーの間に割り込むようにして停車した。

「良いかい?無理しなくとも、キツかったらオレがやるからね?」

白く塗装されたファットボーイに跨り、そのハンドルを握ったジブリールは、後部座席のムンカルを振り返る。

「冗談!このままじゃ俺がおさまらねぇよ旦那!」

応じるなりバイクから降りたムンカルは、既に抜き放っていたリボルバーから、シリンダーをスイングアウトする。

そして、胸の前に左手を上げ、不敵な笑みを浮かべてアンクーを睨み据えた。

直後、ムンカルの背にある翼のエンブレムから、灰色の光が吹き出すようにして放射され始める。

まるで、熱くなった機械が蒸気混じりの熱をファンから放出するように。

上に向けて開いたムンカルの手の上で、灰色の光の粒子が乱舞し、一瞬で収束する。

ムンカルの手の上に現れたのは、車輪状の器具に六発の弾丸が収まった物体…。それは、リボルバー用のクイックローダー

であった。

咥え込まれている弾丸は、ジャケットも弾頭も灰色一色で、うっすらと鉛色の燐光を纏っている。

リボルバーから出されたシリンダー、レンコンのようなそこへガチンとぶつけるようにしてローダーを当てたムンカルは、

ローダー後部のつまみを捻り、ぼんやりと灰色の光を発する弾丸を一斉に装填する。

直後、シリンダー内に弾丸を残したローダーが銃から離れ、シリンダーが銃本体の中へガチンと戻る。

ムンカルが六発の弾丸を押し込み終えた直後、上空からミカールの声が響き渡った。

『もう遠慮は要らんで?「発砲許可」や!いてこましたれムンカルっ!』

天を仰いだムンカルは、「おうよ!」と声を張り上げながら頷き、次いでアンクーに視線を戻すと、牙を剥いて笑った。

先程受けた損傷はミカールによっていくらか修復して貰ったものの、未だ万全の状態ではない。

因果の流れを捉える感覚機能や、因果を弾丸に変換する機能などは障害をきたしている。

だが、配達人の本来の業務とは違う、ある行為にだけは最低限対応できるよう、ミカールはムンカルの機能を復元していた。

その行為とはつまり、闘争である。

闘争本能を剥き出しにし、虎の顔に獰猛な笑みを浮かべるムンカルは、手負いでありながらも、奇妙な事に生き生きとして

見えた。

Ashes to ashes…。終わりを…、届けに来たぜ?」

気兼ね無く、手加減無く、思う存分暴れられる舞台を用意された鉄色の虎が猛る。

役目は果たしたとばかりに無言で横に退き、ホルスターへ銃を収める狼男。

その脇にジブリールがゆっくりとバイクを寄せた。

「遅れてごめん、お疲れ様。…どうだった?あの死神は」

「かなりのハイスペックだ。正攻法で対応するのは少々厳しい相手と思うが…。見覚えは?」

「あるよ。50年程前、最後に会った時とは随分様変わりしているけれど…、知っていた相手だ。…もっとも、向こうはこっ

ちの事はもう解らない…、いや、もう知らないんだけれどね…」

ナキールに応じる北極熊の目が、ムンカルと対峙する赤い影へと向き、寂しげに細められた。

死神とは、消滅した配達人の、歪んで残された影。

水面に投げ込まれた石が沈む際に波紋を残すように、配達人が強い負の感情を抱いて消滅すると、この世に残響が生じる。

そして、現象に過ぎない彼らは、虚ろな己を満たすために他者の魂を求める。

アンクーもまた、かつてジブリールと面識があったアンキルという名の配達人が消滅する際に生じた残響である。

配達人として永い時を歩んで来たミカールやジブリールは、多くの配達人と面識があり、共に職務に励んだ者も少なくない。

当然、死神の元となった配達人の多くを知っている。

そのものではないにしろ、心情的には知った相手の成れの果て…。

ムンカルが死神討伐を自ら進んで買って出るのは、自らが適任だという以外にも理由がある。

さばさばと割り切れるミカールはともかく、優しいを通り越して甘いジブリールにとっては、死神を排除する事はかなりの

苦痛なはずだと、ムンカルは考えている。

ジブリールが討伐を敬遠した事は一度も無いが、かつて自らの手で死神を消滅させた際に見せた哀しげな顔は、できればも

う目にしたくないと、普段はがさつでずぼらな虎男は思っていた。

動きを取り戻しつつあるアンクーめがけ、ムンカルは右手に銃をぶら下げて足を踏み出す。

鉄色の虎がその一歩を踏み出した直後、アンクーは右手を真っ直ぐに伸ばした。

ただでさえ長いその腕が、勢い良く伸びる。

外套の下で見えなかった腕は多関節で、一本一本が引き伸ばされるようにして延長され、ムンカルに迫る。

指先を揃え、槍のようにして顔面目掛けて伸びたその腕は、しかし目標が瞬時に移動した事で空を切った。

踏み出した右足を、地面の上を滑らせてさらに前に出しつつ、体を横向きにしながら首を斜めにして攻撃を避けたムンカル

は、一瞬で伸びたアンクーの腕を、それ以上の速度で動かした左手で掴んでいる。

「ふんっ!」

左手で捉えた死神の腕へ、ムンカルは銃のグリップを握ったまま、呼気と共に自らの右腕を叩きつけた。

その直後、アンクーの骨の腕が木っ端微塵に砕け散る。

「ぎおおぉぉぉおおおおおおおおおおっ!」

絶叫を上げるアンクーの腕が、半ばから粉微塵に砕き散らされたまま、外套の中へとしゅるしゅると引っ込む。

「悪ぃな。さっきとはちょいとモードが違うんだ。下手に触ったら怪我するぜ?」

背のエンブレムから灰色の光を発散させたまま、獰猛かつ不敵な笑みを浮べたムンカルは、銃を両手でしっかりと握り、正

面に構えた。

先ほどコルトパイソンに込められた弾丸は、ジブリールにも、ミカールにも、ナキールやアズライルにも精製できない。

それは、現在職務に就いている配達人中、ムンカルたった一人だけが行使できる力。

左手を上げ、ショットガンの銃口を敵に向けるアンクー。その指がトリガーを引くと同時に、ムンカルが吼えた。

「お休みの時間だ!ブラスティングレイ!」

轟音と共に銃口から迸ったのは、灰色の閃光。

ムンカルの両手が反動で頭上へと跳ね上がり、上体が後ろに傾ぎ、踏ん張った両脚が地面を擦りながら後退する。

その背に浮かぶ白い翼のエンブレムからは、反動を相殺するように鉄色に輝く金属粉のような光の粒子が放出されるが、射

出の反動が大きすぎるのか、ムンカルの大柄で屈強な身体が一瞬浮き、後方へ滑る。

放たれるなり拡大し、太い柱状の光帯となった閃光は、散弾をかき消し、アンクーの体を飲み込み、背後の森を削り、地面

を崩してゆく。

瞬間的な射光がおさまった後には、大きく抉れた大地と、赤い衣をはぎ取られ、骨格のみの姿となったアンクーの姿。

遙か向こうまで半筒状にゾックリと抉れて消失した森。その冗談のような景色を背にして立つ死神を、鉄色の虎は獰猛な光

を目に宿したまま見つめる。

アンクーと共に射線に捉えられていた骨のマシンは、閃光に晒されるなり一瞬で分解され、完全に消滅していた。

有効射程1000メートル。効果範囲に飲み込んだ存在が物質であるか、非物質であるかを問わず、存在そのものに強烈な

衝撃を与える灰色の閃光。

その効果の無差別さ故に、こうした隔離空間内でなければ使用できない強大過ぎる破壊の力こそが、ムンカルが宿す配達人

としては異質な能力である。

システムエラーを狙う攻撃ではなく、問答無用で存在を直接攻撃するその能力は、アンクーが返り討ちにしたいずれの配達

人も使用しなかった、彼が初めて経験する攻撃であった。

一発で存在維持機能に支障をきたすほどの深刻なダメージを被り、おぼつかない足取りでカタカタと震えながらかろうじて

立っているアンクーの胸…、あばらの中では、色とりどりの丸い光球がのろのろと浮遊している。

まるで、檻に囚われた小鳥たちのようにあばらの中を飛び回る魂達が無事である事を確認すると、ムンカルはアンクーの眉

間めがけて銃を構えた。

「つりは要らねぇぜ?遠慮無く貰っとけ!」

口角を吊り上げて吠えた虎は、残る五発を立て続けに撃ち出した。

間髪入れずに連続発生する灰色の閃光。

一撃ごとにアンクーの身体から骨片が飛び、腕が、足が、頭部が、存在維持の限界を迎えて消し飛んでゆく。

最後に残った、未だに魂を捕らえている胸部めがけ、ムンカルはラストショットを放つ。

駆け抜けた灰色の閃光は、アンクーを完全に消滅させながらも、囚われの魂達を無傷で残した。

アンクーが捕食した人間の魂達は、通常の因果に属する存在。ミカールがかけた制限の影響下であれば、ムンカルのブラス

ティングレイに曝されても破壊されずに済む。

浮遊する色とりどりの魂を眺め、銃を下ろして「ふぅ…」と息を漏らしたムンカルは、力が尽きたのか、額を押さえてよろ

めいた。

ふらっと揺れたムンカルの体は、しかし素早く歩み寄ったナキールによって支えられ、転倒を免れる。

「済まねぇ…。助かる」

「なんの」

礼を言ったムンカルは、ナキールに肩を借りながら、浮遊する魂へと視線を向けた。

無防備にふわふわと宙を漂う色とりどりの魂に、静かに歩み寄った北極熊が手を伸ばす。

「消化による損傷レベルは問題ない。これなら完全に修復できるよ。お疲れ様、ムンカル、ナキール」

大きな両手でそっと魂を集め、両腕で胸に抱いたジブリールは、二人に労いの言葉をかける。

「さぁ、引き上げようか。二人はもう休んでおくれ。特にムンカルは、ミカールに言ってきちんと修復して貰うこと。事後処

理はオレが引き受けるから」

そう言って微笑んだジブリールは、数歩引き返してから首を巡らせた。

そして、先程までアンクーが存在していた場所をしばし眺めた後、踵を返して同僚達に歩み寄る。

無事に保護できた魂達を、大事そうに胸に抱えながら。

直後、周囲の景色にノイズが走り、ザザッと揺らめいた後、世界に色が戻る。

ミカールが力の行使を解除した事で、三人の周囲は一瞬で通常の世界と置き換わった

先ほど抉れた地面も、消し飛ばされた木々も、まるで何事も無かったかのように、元と変わらない姿を見せている。

ムンカルが振るった破壊の力の爪痕は、現実世界には一切残されてはいなかった。



一方、飛行艇の操縦席では。

「ふぅ〜…。きっつぅ〜…」

椅子に座ったレモンイエローの獅子が、コンソールに突っ伏して呻いていた。

「けど、この後ムンカルの修復もせなあかん…。ファイトやワシ…」

ひんやり冷たいコンソールに脂肪で膨れた頬をムニュッと押し付けたまま、ミカールは座席下のカゴに手を突っ込み、コー

ラのボトルを掴んだ。

その直後、通信が入った事を知らせるピピッという電子音に続き、同僚の北極熊の声が室内に流れる。

『お疲れ様。死神討伐、及び魂の救出は無事に済んだ。これから戻して来る』

「あいよぉ…。頼むわ…」

そう応じつつおっくうそうに身を起こし、1リットルボトルのキャップを捻ったミカールは、ぐびぐびっとコーラを胃に流

し込む。

「べふぅ〜…。久々やったなぁ、ここまでするんは…」

『そうだね。…キツくない?何なら、ムンカルの修復はオレが引き受けるけれど…』

「ええ…。こいつはワシの仕事や。お前こそさっきアンヴェイルしとるんやさかい、終わったら寄り道せぇへんと戻って来る

んやで?」

応じたミカールは、苦笑いを浮かべて続ける。

「ムンカルのワガママ聞いたったんはワシや。責任持たんとな」



清潔な、真っ白い寝台に横たわった鉄色の虎は、ゆっくりと目を開けた。

ガタガタになっていた体の調子がいくらかマシになっている事から、どうやら少し眠っていたらしいと、ムンカルは察する。

飛行艇内の医務室兼休憩室。その天井をおさめる視界の左側には、レモンイエローの獅子の顔。

傍らの椅子に腰掛け、バイクカタログに目を通していたミカールは、目覚めたムンカルにちらりと視線を向けると、再びカ

タログに目を落とす。

首を動かすのもおっくうな程に疲れてはいたものの、ムンカルは首をねじ曲げ、ミカールに顔を向けた。

「…済まなかったな…。…その、陸王よ…」

「くどいで。蒸し返すなや」

耳を倒して詫びたムンカルに、つっけんどんに応じると、ミカールはカタログをパタンと閉じた。

「魂抜かれた連中は、四人とも無事や。ジブリールもアズライルもさっき戻ってきて、もう休んどる」

「そうか…」

眼を細め、満足げに呟いたムンカルに、ミカールは「それと…」と、先を続けた。

「ナキールが、陸王からまだ使えそうな分のソフト抜き済ませてくれたで。…今はここや」

ミカールは太い人差し指で、自分の胸をトントンと軽く叩く。

「次の相棒にインストールするまで、ワシが預かって修復しといたる。…せやけど、ゲートブリーチとアクアライド、アンチ

マテリアルは完全に壊れとったから、また一から組まなあかんけどな。ヒマ見て組み上げときぃ」

「おう…」

「あとな?ジブリールが、お前にバイクくれてやってもえぇて言うとったで」

ミカールの言葉を聞いたムンカルは、怪訝そうな表情を浮かべた。

「報酬もだいぶ貯まっとるから、新しいのに乗り換えるそうや。アイツはワシらとちごうて大事に乗りよるからな。ファット

ボーイはまだまだ働いてくれるやろ」

嘘だ。獅子の言葉を聞いたムンカルは、そう直感する。

ジブリールは愛車をとても大切にしていた。まだまだ乗れるというのに、進んで乗り換えるのは不自然に感じられる。

おそらく、相棒を喪った自分へ、褒美の意味も込めて愛車を譲ろうというつもりなのだろう。

大きな出費をさせぬように気を回してくれた北極熊の心遣いに、ムンカルは心の中で詫びながら礼を言う。

「またお下がりか!?…って、気に入らへんねやったら、ワシから断っといたるで?」

ミカールがそう言うと、カタログを手にしていた理由はこれだったのだろうと察して、ムンカルは口の端を微かに上げ、表

情を緩めた。

「いや…。旦那がそう言ってくれてんなら、有り難く引き継がせて貰う。不満なんて勿論ねぇ。あのバイク、イカしてるしよ。

何より旦那が乗ってたモンだ、ご利益あるかもな」

「さよか」

頷き、カタログを横のテーブルに置いたミカールは、ポッテリとした手をムンカルの額に乗せる。

「損傷の修復は済んでも、肉体の消耗はどうもでけへんから、休養が必要や。…人間が4人か5人消滅してもうても、相手が

死神ならマイナス査定なんてつけられへんのに…。まちごうとるトコで気張り過ぎなんや、このルール違反常習者が…」

「…嫌だろうがよ。手が届きそうなトコに居るヤツが、目の前で消えちまうのは。…それに、お前が誘ったんだぜ?理不尽な

事ひっくり返してやる仕事、しねぇかってよ…」

「それとこれとは話が…!まぁえぇ、また今度にしたるわ…。傍についとったるさかい、たっぷり休んどき…」

「…ああ…」

頭に乗せられた暖かな手の重みを感じながら、ムンカルは穏やかな表情で目を閉じた。

程なく、ムンカルが規則正しい寝息を立て始めると、ミカールは小声で呟く。

「人間は増えに増えて68億もおるけどな、………には、お前一人しかおらへんねや…。ちっとは考えへんか、このダァホ…」

深い眠りに落ち、そう簡単には目覚める気配の無いムンカルの頭をそっと撫でたミカールは、

「けど、よう頑張ったな…。今回は威張ってもえぇで?」

ムンカルには滅多に見せない笑みを浮かべながら、小声で同僚を褒めてやった。