第二十話 「管理人はディープグレー」

ピンク色の豚の頭部を持つ半人半獣のライダーは、あちこち損傷したバイクに跨り、砂礫の大地を疾走して行く。

小脇に光の球を抱え、虚ろな目を前に向いたまま。

その口元は絶えず微かに動いており、口から漏れ、風に流されてゆくその声は、

「作業完了…これより帰還…、作業完了…これより帰還…、作業完了…これより帰還…、作業…」

と、同じ事を幾度も繰り返している。

ブツブツと呟きながらバイクを駆るバザールの目は、道すら通わない行く手の岩場に向けられていた。

その遥か後方で、灰色の狼は荒野を駆け、後を追っている。

岩があちこちから顔を覗かせる荒れた大地を、しかし彼の愛車は物ともしない。

時に牙を剥く鋭い岩塊や、風化して脆くなり、触れただけでざらりと食らいついてくる岩も、その行く手を阻むには至らな

かった。

ナキールの可視射程には、砂礫の大地を突き進むバザールの姿がぎりぎりで収まっている。

狼男は目を細め、その優れた瞳に、バイクに跨る丸い背中を捉えつつ考えていた。

(ただ逃げているという様子ではない。目指す場所があり、そこへ向かっている…、そんな走り方に見えるが…)

バザールの走り方を怪訝に感じつつも、ナキールは追跡を続行する。

速度はほぼ同等であり、両者の距離は縮まないまま、バザールは岩場へ侵入し、姿を消した。



永い年月を経て風に噛み砕かれ、舐め取られ、歪な丸い板を無造作に積み重ねた様を思わせる、奇妙な形に痩せ細った岩塊

が立ち並ぶ岩場の中で、バザールは傷だらけのバイクを停めた。

顔を上げ、虚ろな視線を向けた岩の上には、黒革のつなぎを纏うハイエナが立っていた。

「ちゃんと取ってこれたな?上出来、上出来…!」

満足げに口の端を釣り上げたハールートは、ひらりと岩から飛び降り、バザールの前に降り立つ。

両手で支え持った光球をバザールが差し出すと、ハールートはしげしげとそれを眺め、ニンマリと笑った。

「ウチの飛行艇のは奪取前に解除されちまったからな…。計算外だったが、これで予定通り逃げられる…」

エネルギーゲートを受け取ったハールートは、満足したように大きく頷き、それを両手でぐぐっと左右から押し込んだ。

瞬時にピンポン球サイズまで縮小した光球をつなぎのポケットに入れたハイエナは、

「なるほど。君が手引きしていたのだな?」

耳慣れない声が不意に響くと、弾かれたように首を巡らせた。

ハールートの視線の先で、岩陰からゆっくりと踏み出したのは灰色の狼男…。バイクを離れた位置に停め、狼の素早さで迅

速に、しかし静かに、気取られる事なく接近していたナキールである。

彼の右手に握られたSAAがその銃口を自分に向けている事を確認し、ハイエナは凍り付いたように動きを止める。

「事情はあまり良く判らないが。咎の匂いは君からしか漂って来ない。エネルギーゲートの強奪を目論んだ張本人は、君なの

だね?」

ナキールはハイエナに銃口を向けたまま、覗うような視線を向けた。

「バザールをどうしたのだね?」

銃を抜ける状況にないハイエナの横で、バザールは無表情のまま立ち尽くし、ナキールに視線を向けようともしない。

「…別に、大した事はしていないさ」

「何故堕ちたのかね?何が不満だったのだ?」

「人間の監視に飽き飽きしたのさ。下らないだろう?あんな身の程知らずで自分勝手な生き物に関わって、時間を浪費するな

んて…。俺達が何をしたって変わらないさ、人間共は。百年経っても、千年経っても、一万年経っても醜いままだ…!」

口元は笑みの形に歪み、しかし目は全く笑っていないハールートは、ナキールの手元に視線を注いだまま、傍に立つバザー

ルへ何事かを囁く。

「…?」

声は聞き取れず、訝しげに細められたナキールの瞳に、バザールが自分へと向ける拳銃のマズルが映り込んだ。

虚ろな表情のまま銃を構えるバザールの横で、ハールートはニヤリと笑う。

「形勢逆転だな」

「問題ない。自分は君を撃ち、バザールは自分を撃つ。痛い目を見るのは自分と君だけだ」

ひるみもしない狼男に向けられたハイエナの視線が、怪訝そうな光を帯びる。

「どんな手を使われたのかまでは判らないが、状況は理解した。今のバザールは自分の意識を持っていない。君に操られてい

るのだね?」

ナキールはハールートの目を真っ直ぐに見つめながら、答えを待たずに先を続けた。

「彼女から咎の匂いがしないのも、背のエンブレムが消えていないのも、バザール本人に悪意がないからに他ならない。彼女

は、君のいいなりに動かされているだけの被害者なのだろう?」

不快げに「ふん…!」と鼻を鳴らしたハイエナに、狼男は問う。

「投降する気は無いかね?」

「投降?おいおい、まさか今自分がこっちより有利…あるいは五分の状況にあるとでも思ってんのか?」

「思っている。投降したまえ、元配達人ハール」

ナキールの呼びかけに、ハールートは鼻面に皺を寄せながら歯を剥いた。

「違う!俺はもう配達人ハールなんかじゃねえ!何物にも束縛されない無制限存在!ハールート様だ!」

「名を捨てたのかね?…だが、あまり変っていないような印象を受ける…」

「なんだと!?」

正直に印象を語ったナキールは相変わらず真顔で、ちゃかしている訳では決してないのだが、言われた相手が小馬鹿にされ

ているように取っても無理は無い。

一瞬の激昂を見せたハールートは、しかしすぐさま感情の発露を押さえ込むと、不敵な笑みを浮べた。

「…その根拠の無い余裕が崩れるような事を教えてやる。俺達がフネをどうやって落としたか、判るか?同じフネに乗ってい

た配達人をどうやって始末したか、判るか?」

ナキールは無言のまま、ハールートの目を見つめる。

「俺達は力を手に入れたんだよ!配達人を支配するスパイウェアに、配達人を破壊するウィルス!スペックの差なんて関係無

しに、配達人って属性である限り、俺達には歯が立たない!今この雌豚が握ってる銃にはな、そのウィルスが仕込まれた弾丸

が装填されてんだよ!」

耳障りな高い声でけたたましく笑うハールートから僅かに視線を反らし、バザールの銃を見つめるナキール。

しかしその顔にはいつも通り、表情らしい表情が浮かんでおらず、無論怯えや萎縮も、僅かにも見て取れない。

「普通は一発で機能停止、ちょっと頑丈でも二発入れば止まり、倍撃ち込めば消滅だ。お前が俺に一発撃ち込んで多少のエラ

ーを起こさせても、二発目が飛ぶ前にバザールに撃たれたお前が止まる…。判るか?ん?」

「なるほど。参考までにもう一つ確認したい。バザールを「この状態」にしているのは、今話に出たスパイウェアという物な

のかね?」

問われたハイエナは、平然としている狼男に不快げな表情を向ける。

恐れない。怯まない。不利な状況にありながら全く取り乱さず、屈服しない。

平静を保つナキールの態度が、ハールートは面白くなかった。

だからこそ、この技術のタネを明かして驚かせようと考え、口を開く。

「オーダーメイドのスパイウェアだ。着用者とシンクロするスーツの特性を逆手にとって、こいつを解析する事で本体の情報

を大まかに掴み、個人にあった形にデータを整えて作り出す。気付かなかっただろう?本人の機能を破壊しつつ、中身はまる

まる入れ替わって擬態するんだ。外見はそのままで性質も変わらない。だがその行動は完全に命令された通りに制御される」

「パーソナルアクションを再現しつつ、中身はすり替わるスパイウェア…。つまり、今のバザールはバザールを模した別物…

という事かね?」

ナキールが落ち着き払った様子で口を開き、ハイエナは「ん?」と唸る。

(何だコイツ…?何で驚かない?)

聞けば必ず驚愕する。そう確信していたハールートは、ナキールの態度が崩れない事に拍子抜けしていた。

「まぁだいたいそんな所だ。侵蝕の過程で空き容量を確保する為に不要な情報や機能は破壊されるからな、魂も不要物扱いだ」

「配達人の行動を支配するなど、理論上はともかく、実際に可能とは思っていなかった。これはひょっとしなくとも、中枢も

まだ至っていないレベルの技術ではないのかな?」

「残念。こいつはな、その中枢が隠していた技術だよ」

ハールートの言葉を聞いたナキールの耳がピクリと動く。

狼男は意外に思っていた。そんな技術が開発されていた事についても、それが伏せられていた事についても。

そして、そんな技術を目の前の元配達人…、それも、一介の配達人に過ぎなかったはずの存在が得ている事もまた、意外に

感じられていた。

「不正アクセスして手に入れた。というわけかね?」

「その通りだ。どうだ?驚いたろう?最新にして最高峰の技術だ!」

誇らしげに声を上げ、余裕の笑みを浮かべたハイエナは、しかし直後に表情を硬くした。

「驚くには値しない。技術開発局には優秀な者が集まっている。そのぐらいはやってのけるかもしれない。君が独自に編み出

したならば、もっと驚いたかもしれないがね」

ナキールの言葉を耳にしたハールートは、「結局他人が作った技術だろう?」という内容の言葉を突き付けられ、激高した。

「撃て雌豚!この狼を破壊しろ!」

バザールは虚ろな視線をナキールに向けたまま、トリガーにかけた指に力を込める。

(さて、どうやら嘘をついている風ではないので、配達人用ウィルスの話も本当だろう。どうすべきか…)

この期に及んでも他人事のように冷静なナキールは、バザールの握る銃、その引き金にかかった指を見つめながら、微かに

眼を細めた。

引き金に添えられた指が、動きを止めていた。

それだけではなく、バザールの腕は小刻みに震え、徐々にナキールから銃口を逸らして行く。

虚ろな表情を浮かべていたバザールの顔が、微かに歪んでいた。

苦痛に耐えるように目が細くなり、眉間に皺が刻まれ、その瞳には、先程まで無かった意志の光が浮かんでいる。

(…まさか…?)

ナキールの中で、ある予感が膨れ上がった。

「どうした?撃て!撃てって言ってんのが判んねえのか!?」

ハールートの声が響くとバザールの瞳は再び虚ろになり、銃口がナキールに向くが、間を置かずまた意識の光を取り戻し、

震える腕がナキールから銃を逸らす。

虚ろな瞳と意志を宿す眼光、目まぐるしく様子を変えるバザールの目を見つめながら、ナキールは予感を確信に変える。

バザールの魂は、完全には破壊されてはいない。

そして今、肉体の主導権を巡り、侵入したスパイウェアとせめぎ合っているのだと。

しかし、先にハールートから聞き出した情報が事実だとすれば、スパイウェアはバザールの機能を破壊し、殆ど入れ替わっ

てしまっている。

言い換えれば、現在のバザールはスパイウェアの機能に依存し、真の消滅を免れている状態。

スパイウェアと内部闘争を行い続ければ、例え勝ったとしても自身が消滅してしまう。

(…いや、勝てはしないだろう。おそらく、弱り切っている彼女の魂が先に砕ける…)

銃を握る腕を震わせ、スパイウェアの制御に必死に抵抗するバザールを見つめながら、そんな事を考えたナキールは、意を

決して口を開いた。

「撃ちたまえ」

意志の光を宿したバザールの目が、困惑を湛えた。

目まぐるしく色を変える彼女の瞳を見つめ、ナキールは繰り返す。

「自分は大丈夫だ。だから撃ちたまえ」

これ以上命令に逆らい続け、負荷が増大すれば、バザールの魂は砕けてしまう。

今の状態から彼女が元通りに修復されるかどうかは判らないが、このまま消滅させるよりはマシだと、ナキールは判断した。

そして、彼の言葉を受けてもなお躊躇したバザールは、

「撃てないというなら…」

ナキールの呟きに次いで響き渡った銃声に次いで、反射的に引き金を引かされていた。

「ぐあっ!」

圧縮データの銃弾が命中し、胸を押さえて仰け反るハールート。

その前方では、バザールに撃たれたナキールが仰向けにどさりと倒れる。

弾丸が額に命中したナキールは、着弾の瞬間にビクンと身を震わせたきり、完全に動きを止めていた。

見開かれた目は瞬き一つせず、微細な震えを起こす事も無く、細やかな砂の粒子が風に舞う、くすんだ青空を映している。

「…ぐぅ…!」

銃撃され、呻きながらよろめいたものの、ハールートのダメージは致命的な物ではない。

苦痛に顔を歪ませつつも、ハイエナは勝ち誇って脚を踏み出す。

「…もう一体、下僕が作れそうだ…!追って来てくれて有り難うよ…!」

ハールートはにたにたと笑いながら歩み寄っていく。ピクリとも動かなくなった、狼男に向かって。

このいけすかない狼が下僕に変わる、その事に興奮を覚えて。



一方その頃、ワニ顔の男は空を見上げて日の位置を確認していた。

乾いた土を踏み締めて立つ彼が寄り掛かっているのは、ゴツいオフロードバギーである。

この付近を駆け回るには向いているこの車は、さすがにベースとするには小さ過ぎるものの、エネルギーゲートを搭載して

逃走の手段とするにはなんとか間に合うレベルの居住性を備えていた。

そのバギーを岩場に停め、同種の存在にも察知されないようステルスで隠しながら、彼は相棒の帰りを待っている。

「…遅い…。まさか…、何かあったのか?」

太陽の角度を確認していたマールートは、目つきを鋭くしながら呟く。

配達人のベースから、最重要機関であるエネルギーゲートを奪取する今回の計画には、もちろん反撃を受ける可能性や追跡

される可能性もあった。

それを防ぐ保険として、スパイウェアを仕込んだバザールを利用している。

いざという時は切り捨て、追跡を逃れる為に。

加えてさらに念を入れ、中間地点で追っ手の確認をする事にしていた。

途中までは計画通り、順調であった。

先ほどエネルギーゲートの到着を待っているハールートから、バザールが戻って来たとの連絡も入った。

だが、そろそろ戻って来てもおかしくない程の時間が経ってもなお、ハイエナの姿は一向に見えず、あれっきり連絡も無い。

マールートは相棒の身に何かあったのではないかと、不安に駆られ始めていた。

(待つべきか…、迎えに行くべきか…。いや、もしも追っ手と接触しているなら、車を見られるのもまずい…)

腕を組んだワニは、その地面に触れている長大な尻尾の先を、落ち着かなげにピクピクと動かし、乾いた土をペタペタと軽

く打って砂埃を上げる。

(ここはもう少し待っておくべきか?…ん?)

不意に日が陰り、あれこれ考えつつ逡巡していたマールートは頭上を見上げる。

天地の間に砂塵が舞い、薄く濁った空の高みで、黒い影が陽光を遮っていた。

それは初め、ワニの目には鳥に見えた。翼を広げた鳥に。

だが、巨大な翼こそ背にしているものの、それが明らかに四肢を備えている事に気付いたマールートは、顔色を無くして唾

を飲み込んだ。

その直後、灰色の塊は翼を煽り、急降下を開始した。

さながら、天の高みから獲物目がけて降下する猛禽の如く。

ダブルのスーツを纏うソレが、音もなく彼の眼前に降りたったのは、発見から一秒の半分にも満たない一瞬後の事であった。

「見つけましたよ。元配達人、マール…」

低くも良く通る声を発したのは、ダブルのスーツを身に纏う、岩塊のような体躯の巨大な灰色熊。

その背からは、端から端まで6メートル以上にはなろうかという、巨大な、純白の翼が左右に伸びている。

その翼は灰色熊の巨躯を包むように折られると、細かな羽毛に分解されて灰色に変色し、体にまとわりついてトレンチコー

トを形成する。

「「絶対矛盾」…!」

声音に畏怖すら滲ませて、マールートは呻くように口にしていた。

「規定の体現者」「触れえざる者」「絶対矛盾」…。いくつもの異称で呼ばれる灰色熊の、最も有名な一つの名を。

ミカールとの通信が途絶えた事を不審に思い、レモンイエローの飛行艇へ急行する途中だったドビエルは、先にハールート

とマールートの間で交わされていた短い通信の気配を察知していた。

配達人達が当たっている区域図が頭の中に入っている灰色熊は、その位置的に不自然な二点間で交わされた通信がマスキン

グされている事から、探していた堕人達の物ではないかと疑念を持ち、進路を変えて飛んで来たのである。

よもやマスキングされた通信の気配を察知するなどという芸当ができる者が存在し得るとは夢にも思っていなかったマール

ートにしてみれば、何故自分の位置がばれたのかが判らず、驚愕するしかない。

まして、ステルスをかけているこの状態で見つかるなど、完全に想定外であった。

「なぜ…ここが…?」

低く呻いたワニに鈍色の目を据えたまま、仕立ての良いコートにスーツという、荒野に似つかわしくないいでたちに戻った

ドビエルが口を開く。

「気配だけで察知するのは難しいですが、わたくしの目はステルスの影響を受けず、中を見透かせます。かなり手の込んだス

テルスですが…、視界に入りさえすれば見つけられますので…」

一度言葉を切った灰色熊は、ワニが驚いている様子にも頓着せず、淡々と続ける。

「最初に見つけたのがわたくしで良かった。相手は元配達人マール…、盗魂者を二体消滅させた実績を持つ貴方です。他の管

理人では、加減して捕縛するのは難しかったでしょう」

「…捕縛…?」

マールートは全身に緊張を漲らせながら呟く。その手を、腰の後ろに伸ばしながら。

「ええ。投降して頂けませんか?抵抗があるのと無いのとでは、審問会での扱いも変わって来ます。大人しく捕縛されれば、

いくらかでも減刑が期待できます」

一瞬、心が揺れた。

さっさと投降して、反省の色を示し、この無謀な逃走計画に終止符を打ってしまえと、心の中に居る、今回の計画に否定的

だった自分が囁いたような気がした。

(…できない…)

マールートは胸の内でかぶりを振り、心の声を振り払う。

この場に管理人が現れた。そして、ハールートは帰還しない上に連絡も寄越さない。

あちらでも何かがあったのだと、ワニは確信していた。

一瞬の迷いを即座に消し、マールートは方針を決める。

何とかこの場を切り抜けて、相棒を迎えに行く、と。

「できれば手荒な真似はしたくありません。どうでしょうか?」

ドビエルが両手を軽く左右に広げ、敵意の無いことを示しながら説得を試みているその間に、マールートは背に回していた

腕を素早く前に回した。

ドビエルの瞳にマールートが握った銃が映り込んだ直後、無骨なフォルムの超大型自動拳銃、M93Rオート9が連続して

火を噴いた。

装填されているのはデータ圧縮弾。それも、通常の配達人が全力で精製するレベルの高密度弾が、一発ごとに別フォーマッ

トに置き換えられて精製されている。

情報処理、及び管理能力がずば抜けて高いからこそ可能な、手の込んだ精製であった。

それだけでも、マールートの非凡な能力が伺える程に。

管理人の長たるドビエルの力は聞いている。格上相手である事を認識しての不意打ちを試みたマールートだったが、

「…な、何だと…!?」

連続射出された弾丸は、一発たりともドビエルに触れる事無く、着弾寸前に跡形もなく消えていた。

動揺するマールートは、ドビエルの体を灰色の燐光が薄く覆っている事に気付く。

Dust to dust…。わたくしにソレは届きません」

灰色の巨躯に灰色の衣類を、その上に灰色の燐光を纏うドビエルは、厳かに呟く。

物質、非物質を問わず干渉して衝撃を加える破壊の力。

史上でたった二人しか持ち得なかったその異端の力が、何の前兆も予備動作もなく、静かに、しかし瞬時に起動していた。

マールートは続けて弾丸を放つが、一発たりともモードシフトをおこなったドビエルの体に触れる事無く、その巨躯を覆う

燐光に接した瞬間に破壊侵蝕を受けて消滅してしまう。

ムンカルが纏う、死神の肉体を接触破壊してのける物と比べてもなお、その起動速度も、効果すらも桁違いであった。

速やかに効果を発揮するその出力の強さゆえに、ドビエルのソレは強固な鎧とも為り得る。

最強の矛にして無敵の盾。しかし、同じ力を宿すもう一人とは開きがあり過ぎ、比肩し得る力が存在しない為、比較実証は

不可能。

ソレは、ブラストモードと呼ばれる、究極の絶対矛盾。

破壊を体現する力をその身に宿す灰色の紳士は、懐に手を滑り込ませ、その異端の力を懐から引き抜いた銃へと注ぐ。

「絶対矛盾」。彼が何故そう呼ばれているのか、今更ながらに思い知りながら、狂ったように銃を乱射するマールート。

しかしその弾丸は依然として、たったの一発も灰色熊には触れられない。

放たれる弾丸を残らず消滅させながら、ドビエルは銃を抜く。

飛来する銃弾の激しさと比べ、緩慢とも言えるほどのゆったりとした動作で灰色熊が懐から取り出したのは、陽光を受けて

鋭く光る、銀色のリボルバー。

内部に弾丸を形成されたコルトグリズリーは、ヴォウッと、猛獣の吐息を思わせる音を立て、シリンダーの隙間から煌く灰

色の煙を吐き出した。

「ブラスティングレイ」

ドビエルが呟くと同時に、銃口から灰色の閃光が迸る。

細く纏まった、光線と形容するに相応しい灰色の光は、マールートの拳銃の上部を消し飛ばし、バギーの窓に穴を穿ち、屋

根の一部を消失させて貫通し、宙を切り裂き、虚空へ消える。

射程を20メートル程に抑えられ、範囲を絞られたブラスティングレイは、ドビエルが狙った通りの範囲のみに限定し、完

全なる破壊をもたらしていた。

一度モードシフトしたが最後、自分でも殆ど加減ができなくなってしまう為にミカールのサポートを必要とするムンカルと

は異なり、ドビエルは破壊領域の完全制御によって単独でブラストモードの運用を可能としている。

ドビエルは銃口をワニの額に向けつつ、相変わらず丁寧な口調で尋ねた。

「今一度お覗いしますが…。投降、しては頂けませんか?」

銃を失い、銃口を頭部に向けられたマールートは、遅まきながら確信した。

この灰色熊に見つかったその時から、自分にはもう投降か消滅の二つしか、道は残っていなかったのだと。

(だが…、それでも…!)

マールートは懐に手を突っ込み、予備の銃であるガバメントを取り出し、ドビエルに向けた。

(ハールートが何者と接触していようが、ドビエルよりは格段にマシだ!こちらはこちらで僅かでも時間を稼ぐ!逃げろ、ハ

ールート!)

瞳から怯えを消し去り、決意を浮べるマールート。

その眼光の変化に気付いたドビエルは、じっと、観察するようにその目を見据える。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

巨大な口腔を開き、マールートは雄叫びを上げながら連続してトリガーを引き絞った。



倒れた狼男に向かって歩を進めていたハールートは、「ん?」と小さく唸り、足を止める。

仰向けに倒れ、ピクリとも動かなくなっていたナキールの手が、ゆっくりと指を曲げて砂を掻き、地面に添えられた。

「…まだ動けるのかよ…!?見た目以上に頑丈なんだな…」

驚きをあらわにするハイエナの視線の先で、狼男は緩慢な動作で上体を起こした。

「まぁ、かろうじて動いてる程度か…」

その動作から、もはやまともに動ける状況にない事を確信したハールートは、余裕の笑みを取り戻す。

のろのろと身を起こしたナキールは、相変わらず表情に乏しい顔を一度ハイエナに向けた後、顔を俯かせ、背を丸める。

「アンヴェイル…」

ナキールが口の中で呟いた直後、ライダースーツの背のエンブレム、白い翼を象ったそこから、青みがかった灰色の光がぶ

わっと噴出した。

「!?」

背から光を放出するその現象を目に、ハールートはたじろいで一歩後退する。

目の前で何が起こりつつあるのか悟ったハイエナの、大きく見開いた目に、翼のような形を為す光の噴出が映り込んだ。

噴出した細やかな光の粒子は翼を象った後、羽ばたくようにふわりと揺れ、ナキールの体を包み込む。

細く引き締まった体を覆った光は、溶け込むようにして黒いライダースーツに吸い込まれ、その色を変化させ始めた。

青。黒の内から滲むようにして、黒革のつなぎは次第に青く変色する。

ナキールが再び顔を上げたその時には、既に彼の顔にも変化が起こっていた。

額の毛が一部黒く変色し、まるで紋様が浮かび上がっているように見える。

配達人など、地上の理に縛られない者達は、地上での活動に際し、常にその力には制限をかけられている。

普通の生物と比べて遙かに強靱ではあるものの、所詮は物質に過ぎない肉の体に過負荷をかけないように、自動的に働くリ

ミッターが肉体に備わっている。

しかし、ある程度以上の実績を持ち、性質的にも問題が無いと判断された配達人には、自らの意志でこのリミッターのオン

オフを切り替える権限が与えられる。

真の力が発動可能となるこの解放現象の事を、彼らは除幕…、アンヴェイルと呼ぶ。

「…何だ…こいつ…?」

ハールートは変貌したナキールを見つめて、呆けたような顔をしていた。

「ただの配達人じゃない…。こいつ…、この姿…、清掃人…なのか?」

ハールートが呟くと、ゆっくりと膝を立てて立ち上がりながら、ナキールは口を開いた。

「いかにも。自分は以前冥牢の獄卒であった。配達人としての機能を追加され、肉体も同様の調整を施されてはおるものの、

本質はザバーニーヤ。おそらくそうではないかと思っていたが、どうやら目論見通り、アンヴェイルして本来の機能で活動す

れば、これこの通り、対配達人用ウィルスの効果は受けぬようだ」

二本の足でしっかり立ったナキールには、ダメージを受けている様子が全くない。

変色した黒い毛が円を為し、額に浮かび上がったそれは、数字の「0」。

身に纏った青いつなぎは、かつて清掃人として冥牢にあった頃のいでたち。

それが、ナンバーゼロのザバーニーヤ。かつて別の名で呼ばれていた頃の彼の姿であった。

一時的にかつての姿に戻り、対配達人用ウィルスの影響下から脱したナキールは、おもむろに左右へ両手を伸ばす。

開かれたその手から、闇が染み出すようにして黒い影がドロリと滴った。

タールを思わせる濃い黒影は、ナキールの手が軽く握り込まれると、不定形だったその形状を瞬時に整え、青みを帯びた黒

へと色彩を変える。

狼男の両手にそれぞれ握られたのは、大振りな、宵闇色の草刈り鎌。

咎を刈り払う二本の鎌こそが、彼が清掃人として用いる得物であった。

「清掃人スィフィル…、これより、清掃を開始する」

狼男の呟きは、ハールートの耳に宣告として届く。

その直後、スィフィルの姿はすぅっと薄くなり、掻き消えた。