第四十話 「新たなる配達人」(中編)
イスラフィルとドビエルが面会していたのと同時刻。
本部内の支配人執務室では、苺ジャムが乗ったクッキーをポリッと齧ったミカールに、ハダニエルが一連の流れについて解
説を始めていた。
二人がかけた布張りの簡素なソファーの端には、それぞれ丸っこい鶏と犬の縫いぐるみが鎮座している。
これらの縫いぐるみ、実はどちらもハダニエルお手製である。
巨体に似合わず手先が器用で、可愛い物が大好きというこの犀、執務室には二つ持ち込んでいる程度だが、私室の方はもっ
と凄い。
所狭しとお手製縫いぐるみが並び、そこかしこがレースとフリルに覆われた極彩色の彼の部屋は、ミカールから見れば魔窟
に等しい異空間である。
そんな私室の方に案内されずに済んで、若干ながらホッとしているミカールに、ハダニエルは言う。
「ガングロの狙いは、ズバリ大特異点のあんちゃんと、お前さん達のチームの弱体化さ。まぁミカールとジブリールは地上に
残っても残らなくても良かったんだ、あいつにとっちゃあね」
「むむぅ…?何やそれ?意味判らへん…」
首を大きく傾けるミカールに、犀はじれったそうに説明を続けた。
「つーまーりー!イスラフィルを本部付けにするのと、自分の息がかかった誰かをお前さん達のフネに送り込む…。それがガ
ングロの望む形だったって事!」
「あー…、なるほどなぁ…。で?イスラフィルの本部付けをアイツが望むのって何でや?あと、ワシらのフネに誰か送り込むっ
ちゅうんは…?」
「イスラフィルの件は、まぁ後で詳しく話すとして…、まずはフネに誰か送り込む件から話すな?つまりは、ガングロは自分
の配下を送り込んで大特異点のあんちゃんを監視させたかったんだよ」
「何でや?」
「あわよくば上がって来た報告から何か理由でも拵えてさ、保護観察と調整の名目で大特異点のあんちゃんを技術部管轄のどっ
かで押さえたかったのさ。そうやってゆくゆくはブラスト現象の研究材料にするって事まで考えてたと思うよ」
それを聞いたミカールは、「ふんっ!」と鼻を鳴らしてクッキーの皿に手を伸ばす。
「ご苦労なこっちゃ。セコセコ回りくどい手ぇ回してからに…」
「だぁ〜って正面突破は無理じゃんよぉ。お前さんが暴れるもん」
そう言って苦笑いした犀は、冷めてきた紅茶をがぶっと飲み干し、ポットから注ぎ直す。
「ま、二兎を追う者なんとやら、結局はイスラフィルの方も大特異点だった新入りの方も、うまくは行かなかったけどさ。…
実際、上手く運んだらどうなるか判らなかったと思う」
犀は一度言葉を切ると、「…そこで…、ドビエルがあの行動とったって言うんか?」と呟いたミカールの顔に、僅かながら
理解の色が浮かんで来た事を確認して大きく頷いた。
「審問会前にやった議事で、ガングロはいつも通りにドビエルにネチネチ言った。で、いつも通りに一蹴された。…けどな、
改めて考えてみたら、どっこも「いつも通り」なんかじゃあなかった」
「何やそれ?あの性悪がドビエルにつっかかって返り討ちにされんのなんぞいつもの事やろ?」
「簡単に見て簡単に言えばそうだな。でも決定的に違っていたのは…、ドビエルが珍しく執拗なまでに迎撃してたって事だ」
ハダニエルは、本人にしか見られないよう細工をされたメールの事や、回収した執行人の事をわざと黙っておいて引っ掛け
た事など、ドビエルが取っていたいくつかの行動を例に挙げる。
「な?普段と比べてソフトさが無い。いっつも突っかかられて、その都度わざわざ相手の立場にまで気を回して、ご丁寧にも
適当にあしらう程度に留めてるってのにさ。疲れや、マリクを失った事もあってイライラしてるんかねぇ…とか最初は思った
さ。けどありゃあ冷静に、計算ずくで、わざとやってる。自分の感情とかは抜きにして、わざとキツくやり込めてたんだ」
「何でや?」
「後々味方…最低でも中立の敵対しない位置にガングロを立たせる為にさ」
それを聞いたミカールの顔が、理解不能の何かとコンタクトを取っているかのような、若干引き気味の表情になる。
「なにその顔?」
「いや…。大丈夫や…」
「コホン…!一応訊いとくけどさ?ガングロはその研究欲から、絶対に大特異点排斥を主張する立場には回らない。…これは
解るよな?」
「ブラストモードに興味あるからやろ?」
「そゆこと。…んで、ドビエルとしちゃあお前さん達の希望を叶えたい。イスラフィルからあらかじめメール貰ってたみたい
だしな。大特異点のあんちゃんを新入りとしてフネで迎えられるよう取り計らってやりたかったんだよ。管理室長殿は」
「で?それとガングロいびりと何の関係があるんや?」
「つまりだな…。大特異点を排除させないっていう最終的な目的は同じながらも、審問会で出される一連の処遇については、
ガングロとドビエルは希望が異なる訳だ」
「あの根性ワルの希望て…、要するにウチのフネに監視つける事やったな?」
「実はもう一つあった。それは大特異点そのものじゃなく、イスラフィルの処遇についてだが」
「イスラフィル?…そや、さっきも本部付けがどうとか言うとったな?また何かねちっこい嫌がらせでも企んどったんかアイ
ツ!?暇さえあればこまめにちょっかい出しよって!アイツと顔合わすの嫌やからイスラフィル普段から本部に来たがらへん
ねや!」
頬を膨らませたミカールに、ハダニエルは微苦笑を向けた。
「そう言ってやるなよ。アイツ、イスラフィルに惚れてんだからさぁ」
「そんなん知らんわ!だいたい…、知らんでっ!?マジ知らんっ!何て言いよった今!?」
クッキーに手を伸ばしつつ一瞬スルーしかけたミカールは、弾かれたように顔を上げ、目を皿のようにしてハダニエルの顔
を見つめる。
「あぁ、やっぱり知らなかったんだ?ありゃあ惚れてるねぇ、間違いなく」
「イスラフィルのツラ見るたびネチネチ言うとるやん!好きなわけあるかい!」
「好きな子に意地悪したくなる…、ってな一風変わった傾向を持つ人間がいるそうだ。アイツもそうかも?」
「知らんがなそんなん!しっかしモロ横恋慕やなぁ…」
「ん。どう見ても勝ち目のない横恋慕だ」
「同情も応援もせぇへんけどな」
「して欲しいとも思ってないだろな、あっちも。ついでに言うと、アイツがほんっっっっと〜…に面白くないのは、イスラフィ
ルがいつまでも一介の配達人でいる、今の状況についてだよ」
「おもろない?イスラフィルが地上におる事がか?」
「そう。だから今回は一際頑張ってたのさ。上手くやれば、これを期にイスラフィルを幹部待遇で本部付けにできるかも…っ
てね。そうすりゃ毎日顔を拝めるし」
ハダニエルはくっくっと可笑しそうに含み笑いを漏らし、ミカールはやや呆然とした面持ちで旧友を眺める。
「しかしまぁイスラフィルはそんな事望みゃあしない。んで、ドビエルの方は、誰が見ても真っ当と思える昇格案を、公平な
判断をしている風を装いつつ、ガングロより先に打ち出した」
一度言葉を切ったハダニエルは、しみじみと頷く。
「あの辺りの流れも狙ってたんだろうなぁ…。ガングロがお前さん達のチームの規模縮小と構成見直しについてほのめかし始
めた辺り、ドビエルとしちゃあ自分以外が切り出してくれたおかげで、中立の立場で意見を言っているってポーズを保てた。
おっとろしぃねぇホント」
「細いなぁ、頭がこんがらがりそうや…。どいつもこいつも面倒臭いったらないわ。もっとシンプルに行かれへんのか!」
膨れっ面で吐き捨てたミカールに、犀は気を取り直したように訊ねる。
「そういえばさ…、その渦中の新入り、どんな感じ?」
ハダニエルの問いにすぐには答えず、ミカールは紅茶を一啜りし、少し間を開けてから口を開いた。
「甘いな」
「甘いか」
「甘ちゃんもえぇとこや。虫歯になりそうな大甘」
「そりゃ凄い」
「…けどな、ホネはある」
ミカールは手元のカップに視線を落として軽く揺すり、たゆたう紅茶を眺めながら続けた。
「何やろな?あれ…。人間やったのに…、自分勝手な生き物のはずやのに…。何で…、我慢できたんやろ…。何で…、憎いは
ずのヤツ赦してもうたんやろ…。何で…、赦せたんやろ…」
ボソボソと呟くミカールの言葉が、自分への問いではなく自問である事を察し、ハダニエルは無言のまま菓子を口元に運び、
古馴染みを見守る。
「判らん。判らんけどワシ…、アイツの事が気になっとる…。ブラスト云々とか、大特異点云々とか、そんなん抜きにして気
になって仕方ないんや…」
独白に近いミカールの台詞を聞きながら、自分にとっては錠剤のようなサイズのクッキーをポリポリと囓っていたハダニエ
ルは、
「…ん?」
と、急に何かに気付いたように鼻の奥から声を漏らし、咀嚼していた物を急いで飲み下す。
「ミカール。そいつとは以前の面識は?」
「?…いや、無いわ。まだ会ったばっかや」
「初対面の時、どんな感じだった?」
「へ?何や急に?」
「いーから答えるっ!そいつと最初に会った時、何か特別な物を感じたか?第一印象はどんな感じだ?」
「そりゃ…」
胡乱げな表情のミカールは視線を天井に向け、デイブと最初に会った時の事を思い出す。
被認迷彩を看破し、それでもミカールを着ぐるみか何かで仮装した少年と勘違いして頭を撫でたデイブ。
そのファーストコンタクトを思い返しながら、ミカールは口を開く。
「度肝抜かれたわ。第一印象ゆうなら「びっくりした」になるやろな」
「は?びっくり?」
「びっくりや」
ミカールからデイブと出会った状況を詳しく聞くと、ハダニエルは難しい顔つきになった。
親しい間柄の者を除けば、基本ミカールはその欠落の質ゆえに排他的である。
にも関わらず、出会ったばかりのデイブに興味を抱き、ハダニエルが見た限りは好意と期待すら持っている。
(…リーズン…?いやまさか…)
犀は心の中で自問する。
ミカールが示した新入りへの態度。それは一見些細なようでも、ハダニエルらにとっては極めて重大な問題であった。
(どういう事だ?ミカールのリーズンはイブリースじゃ無いってのか?ドビエルとおいらは勿論、ミカール自身だってこれま
でずっとそう思って来たはずだ。もしその新入りがミカールのリーズンだったとしたら…、ミカールが地上に留まり続けた本
当の理由は…)
「どないしたんや?顔色悪いで?」
訝ったミカールが声をかけると、ハダニエルは「ん?う、うんにゃ何でも…」と、やや引きつった苦笑いでごまかした。
(そうなのか?もしかしたらそうなのか?ミカールが地上に留まっていたのは、イブリースを止める為でも、ジブリールの手
助けをするためでもなかった。本人は少なくともそう思っていないだろうが、本当は…)
犀は真の表情を誤魔化しの苦笑いに押し隠しながら、その紫紺の瞳で胡乱げなミカールの顔を見つめる。
(人間として生まれ来るはずの自分のリーズンと出会うために、地上に縛られていたのか?…神の見えざる手によって…)
あり得ない話ではない。ハダニエルはほぼ直感的にそう悟った。
幾度も室長待遇で呼び戻される話が上がったにもかかわらず、その都度何らかの事件があまりにも不自然な頻度で起こった
事と、本人が頑なに拒否した事で、ミカールは本部付けにならず地上を飛び回っている。
ドビエルやハダニエルは、ミカールはイブリースとの決着の為に、彼らにも見えない因果によって地上に留め置かれている
のだと考えていた。
(ずっと思っていた。ミカールこそがイブリースを止める者なんだって…。いつかミカールが成し遂げるんだって…。けど…、
けどミカールのリーズンがその新入りだとしたら…?おいら達の希望的推測は、根本から間違ってたってのか?)
ミカールは急に無口になった古馴染みを、やや疑わしそうな顔つきになって見つめている。
自分にそんな期待が寄せられているとは知らぬままに、不意を打ってのくすぐりか何か嫌がらせじみた悪巧みの算段でもし
ているのではないかと警戒して。
中央管理室の扉が開き、スーツ姿の灰色熊が入室すると、それまで戦々恐々と憶測を語り合っていた管理人達は、息すら止
めて室長を見つめた。
「戻りました。何かありませんでしたか?」
「いいえ、特には…」
最も近い位置に居た黒虎が応じると、頷いたドビエルは自分の席に向かって足を踏み出しかけ、思い直したように首を巡ら
せる。
イブリースと交戦し、負傷したはずの黒虎は、ドビエルが退席するまでは室内に姿が無かったメンバーであった。
「君は…、酷い損傷だったと聞いていましたが?」
「処置は済みました。問題ありません」
背筋を伸ばして応じた黒虎の顔をしばし眺めた後、ドビエルは一つ頷いた。
「十八時間の休息と、その後の再受診を命じます」
「いえ!室長、自分はこの通り平気です!」
「機能に問題はなくとも、苦痛と疲労をおして無理が祟っては困ります。まずは休んで下さい」
やんわりと命じられた黒虎は、やや耳を伏せて「は…」と渋々頷く。
イブリースを止められなかった事を悔いて、失敗の埋め合わせをしようと無理に職務復帰したのだろうという事は、ドビエ
ルにはお見通しであった。
いつも通りの振る舞いを見せる室長に、イスラフィルとの面会が暴力沙汰に発展するのではと心配していた面々も、ほっと
胸を撫で下ろす。
だが、そのいつも通りの振る舞いを目にし、心を痛めている者も、一人だけ存在した。
(もう少し…、お二人でごゆっくりされても良かったでしょうに…)
席につくドビエルの様子を視界の隅で覗いながら、雪豹は嘆息する。
もうじき通信でのやりとりさえ満足にできなくなる想い人とのひと時を、こんな短時間で切り上げて来るドビエルの仕事熱
心さが、忍耐強さが、見ている雪豹には痛々しく感じられた。
部屋中央のデスクに座り、ハードコピーされた被害状況報告に目を通し始めたドビエルは、おもむろに顔を上げ、こっそり
自分の様子を覗っている部下に視線を向けた。
びくっと固まった雪豹に、灰色熊は普段通りの無表情で小さく頷いて見せた。
すぐさま資料に視線を戻してしまう所までが、あまりにもいつも通り過ぎて、雪豹は哀しくなる。
いつでも、どんな事でも助けてくれる頼りになる上司を、こんな時に助けてやれる者は誰も居ない。
無力感を噛み締めながら、雪豹はコンソールパネルに向き直った。
一方その頃、ゲートが設置されている部屋の前で、ミカールは壁に寄りかかっていた。
もう少しゆっくりして行けと引き止めるハダニエルへやや強引に別れを告げ、抱き上げられたりくすぐられたりされぬよう
逃げるように退室し、足早にここへやって来たのは、つい五分ほど前の事である。
真っ白な壁に背を預ける童顔の獅子は、腕を組み、目を閉じて、同僚が戻るのを待っている。
ドビエルの考えと、イスラフィルがほぼ全てを承知していたはずだという事を犀から聞かされた今となっては、二人を探す
気は失せていた。
自棄を起こしたイスラフィルが何かしでかさないかと、本人が聞いたら怒りそうな心配をしていたのだが、それも不要な物
だったと悟って。
トラブルの心配が無いと悟った今、彼は二人きりの時間を邪魔する事もないだろうと、ここで大人しく待っている。
恋愛について経験した事も学んだ事も興味も無いミカールだったが、ドビエルとイスラフィルの絆の深さについては理解で
きていた。
(…ホンマは、ドビエルも辛いんや…。恋心ゆうモンがどんなモンか判らんけど、ワシかてダチと離れるのは辛い。きっと似
たような感じやろ…)
童顔の獅子は静かに瞼を開けると、ポソッと呟いた。
「…恋…か…」
半眼で宙を睨みながら、ミカールは思う。
(経験したいとも、必要やとも思うとらへんけど…、理解できんゆうトコに、たま〜にイラッと来るわ…。経験者からコピー
して貰えれば便利なんやろけど、データ化できへんからなぁ、感情のソース類は…)
「お?もう来てたのかい」
横手からかけられた声に視線を動かせば、コツコツと床を踏み締めて歩み寄って来る大柄な黒い雌牛の姿。
「用事が無いなら帰るとしようじゃないか。良いかい?」
「お前こそえぇんか?」
即座に返したミカールの顔を、間近まで歩み寄って見下ろしたイスラフィルは、口の端を少し吊り上げ、目を細めた。
「まぁね。どうせ異動前にまた来るんだ、今日無理に時間を取らせる必要は無いさ。…それに…」
イスラフィルは悪戯っぽく、少し体を折ってくっくっと含み笑いを漏らす。
「あの朴念仁に恥かしいセリフ吐かせてやったからね。今日の所はまぁ満足した」
川に浮かぶ飛行艇の後部に水面を走りながら接近したバイクは、速度を緩めつつ開け放たれていた後部ハッチから内部に進
入した。
「しっかし何でもアリだな…。水の上も走れるのかよ?」
エンジンを止めたバイクから降り、デイブは感心と呆れの入り混じった顔で唸る。
「その気になれば水の中もね」
さらりと応じたジブリールは、格納スペースの先、操縦席側の扉を見遣った。
「ただいま。そしておかえり、お疲れ様。ミカール、イスラフィル」
開け放たれた扉から出てくる童顔のまん丸い獅子と、体格の良い大柄な黒い雌牛に、ジブリールは微笑みながら労いと挨拶
の言葉を投げかけた。
着替えは済んだのか、双方、黒いタンクトップにジーンズという、色合いからチョイスまでが似通った普段着姿である。
最大の違いは、ミカールのタンクトップの胸部に、負傷したのか倒れ込んでいる上官と、それを助け起こそうとしている若
い兵士のアメコミ風イラストが、白一色でプリントされている事。
が、背中側を見れば「トム曹長殿!自分の作る飯はそんなに不味いでありますか!?」「ジェリー伍長…!ニューコンミー
トを原料にどう工夫すればここまで酷い物が…!?…がふっ!」との台詞。
どうやら助け起こそうとしている兵士は、意図せず毒殺未遂に近い真似を働いてしまった模様。可愛そうなトム曹長。
「そっちこそご苦労さん。ちゃんと新入りの面倒見てくれたんだろう?」
「きちんと果たせていれば良いけれどね。趣味の食べ歩きもついでに満喫していたよ」
イスラフィルとジブリールがそんな言葉を交わしている間に、大柄揃いの一同の中で、背の低さがひときわ目を引いている
獅子は、ツカツカと新入りに歩み寄ると、すぐ真ん前で立ち止まり、自分よりもかなり高い位置にある虎の顔を見上げた。
「正式に、お前の名称はムンカルに決まりや。良かったやないか、元々「らしい」名前ついとって」
「改めて、よろしくムンカル」
「歓迎するよ、ルーキー」
ジブリールが笑みを深くし、イスラフィルが口の端をにやりと吊り上げ、口々に歓迎の意を表すと、
「お?おう…、よろしく…」
新米配達人、デイブ改めムンカルは、戸惑ったように目をぱちぱちさせてから、曖昧に頷いた。
簡単な歓迎パーティーという事でミカールが腕をふるい、食事は普段より幾分豪勢な物が用意された。
魚介のフライが中心の食事を、一同は食堂の長テーブルを囲んで楽しんでいる。
ムンカルとミカールが隣り合って座り、テーブルを挟んでジブリールとイスラフィルがそれぞれと向き合う形になっている。
勝手が分からず話題も何を出せば良いか思いつけないムンカルは、自分からしゃべる事はあまり無かったものの、三名に話
しかけられ、これまでの事をあれこれ話す。
同類であるが故に因果から過去を辿れず、周囲の人間もブラストの余波で因果履歴が閲覧不能になっているため、本人に尋
ねる以外に知る術はないのである。
ムンカルの人間としてのこれまでの生活には、三者とも少なからず興味はあった。
何せ、どんな理屈でそうなったのか不明な、人間として生まれていたという希有かつ史上初の存在なのだから。
「無趣味なのかい。あたしゃまた、そんな良い体してんだからスポーツでもやってたんだろうとばかり思ってたよ」
「何もやってねぇな。ボクシングは好きだけどよ、見に行く金もねぇし…。けどまぁ自慢じゃねぇが、大概の事は無難にやれ
るぜ?」
イスラフィルが勿体無いとでも言いたげに肩を竦めると、次いでムンカルの正面の、それまでしばし黙々とポトフを食して
いた北極熊が口を開く。
「食べ物の好みは、割とオレと似ているかもしれないね?オススメのお店はどこも美味しかった」
「舌その物にゃ自信ねぇんだけどなぁ…。強いて言やぁ安い物が好きかな?味にはあんまこだわらねぇし、値段が一番、味は
二の次って感じで…」
「ますます似ているような気がして来たよ。…そう言えばミカール。彼、ピザが好きだそうだよ?」
ジブリールに話を振られたミカールは、
「ほう…。奇遇やな、ワシも好きや」
せっせとフライを皿に取り分けていた手を止め、目を光らせた。
「あんま手間かけずに作れる上に工夫の余地がいくらでもある。手軽にトーストを使うてホームメイド感を出すも良し!ピザ
生地使用して本格的に作るも良し!シンプルかつキャパシタンスの見当たらへん懐の深さを持つアイツは、涼しい顔してビギ
ナーからエキスパートまで虜にしよる熱いヤツや!」
やや興奮したように述べるミカールを、イスラフィルは胡乱げな顔で見遣る。
「ミカール…。あんたそれ食べる側としての好きじゃなくて調理する側としての好きじゃないか…。ってか何で途中から擬人
法だい?」
「ピザはエラいからやっ!」
「エラい?」
何故か胸を反らして威張るミカールを眺めながら、エビフライの尻尾をポリポリと入念に味わっていたジブリールが首を傾
げる。
「そう!ピザは偉大だぜ!トッピング次第でいくらでも変わる!無限の可能性を乗っけられる!」
突然ムンカルも身を乗り出して同調し、童顔の獅子は勢い付いた。
「その通りや!…上手い事言うやんかお前」
「こいつはどうも」
意見の一致をみて頷きあう二人をやや冷めた目で眺めながら、イスラフィルは「上手い事言ったかい?今…」と呟く。
「牛や熊にはこういう大事なトコが解らへんねや。大雑把やから」
「おおらかって言いな。それと、あんたにだけは大雑把って言われたか無いね。あと、ライオンや虎なら解るってのかい?」
「猫科は高貴やさかい」
「…相っ変わらずわっけ分かんない理屈だねぇ…。あ」
顔を顰めていたイスラフィルは、何かに気付いたように声を漏らしてムンカルに顔を向けた。
「ムンカル。悪いけどワイン無くなりそうだから取って来てくれないかい?冷蔵庫脇の棚に寝かせてあるからさ。さっきは気
が回らなかったからあたしが選んだが、せっかくなんだから、主役のアンタが飲みたい物を選んで来な」
「え?…急にそんな事言われてもよ…、俺根っからの貧乏人だからワインなんて解んねぇぞ?」
「あっはっはっはっはっ!適当で良いさ!アンタの歓迎パーティーなんだ。何が出たって文句なんて言わないさ!」
声を上げて笑ったイスラフィルに促され、立ち上がったムンカルが十分に席を離れてキッチン側に回ると、
「ちょいとミカール。言い忘れてたけど、異動の事、あたしが話すまでムンカルには黙っときな。ジブリールは…、言わなく
とも判ってるみたいだね」
黒い雌牛は声を潜め、同僚に釘を刺す。
北極熊は頷いたが、童顔の獅子は不思議そうにその丸顔を斜めにした。
「は?何でや?」
「阿呆かいアンタは?自分の事に関係してあたしが異動になったなんて知ったら、ムンカルが気にしちまうかもしれないだろ
う?」
「気にするやろか?」
「したらどうすんだい!?間違っても試すんじゃないよ」
ムンカルがボトルを手にして戻って来たので、イスラフィルは強引に話を打ち切る。
自分の異動については、頃合を見て、ムンカルの件とは関係を匂わせず説明しよう。イスラフィルはそう考えていた。
立ち去るからこそ、余計な土産は置いて行きたくなかったのである。
「こいつでも良いかい姐御?」
「それで良いのかい?一番安いヤツだよ?」
黒猫がラベルにプリントされたドイツワインを、ムンカルはしげしげと見つめた。
「…知らなくとも安いの選ぶようにできてんのかな?俺…」
感心しているようなムンカルの呟きを耳にすると、イスラフィルは声を上げて豪快に、ジブリールは声を上げて快活に、ミ
カールは声を上げて甲高く、それぞれ笑う。
「な、なんだよ?笑う事ぁねぇだろ?」
気恥ずかしそうに言ったムンカルの口元にも、三人の笑い声に吊られて笑みが浮かんでいた。
彼自身は気付いていなかったが、それは、飛行艇に戻って以来、彼が浮べた最初の笑みであった。
食事を終えて、片付けを後回しにしたミカールが、ムンカルを飛行艇内の案内に連れ出すと、食後の茶を楽しんでいたジブ
リールは、紅茶を飲み終えたイスラフィルに話しかけた。
「恋人が居たようだよ。彼」
ジブリールの言葉に、席を立とうと腰を浮かせたイスラフィルは動きを止めた。
「言葉を交わさずにお別れしてきたよ。手紙だけでね」
「…そうか…。戻って来て顔を見てから、何となく元気無いように感じてたんだが、そいつが原因かい…」
自身も恋愛を経験しているイスラフィルには、ムンカルの気持ちが多少なりとも理解できる。
そして彼女は悟った。欠落しているが故にムンカルの心情を正確に捉えられないジブリールもまた、少々困って自分に話を
振ったのだと。
座り直したイスラフィルは、ジブリールからその時の様子をかいつまんで聞かされると、小さくため息をつく。
「諦めて割り切れりゃあそれが一番だろうけど…。遠距離恋愛覚悟…とか、甘い事じゃあ解決できない。あたしらと人間では
歩む時間が違い過ぎるからね…」
「本人は吹っ切るつもりでああいう別れ方を選んだのかな?直接言葉を交わすと別れが辛くなるから?」
「だろうね。それともう一つ、「相手の記憶に残る自分」を、いくらかでも早く薄められるように、ってトコだろうさ。別れ
の手紙に何を書いたのかは解らないが、今聞いた相手の様子からすると…、まぁ十中八九、あったかい別れの言葉なんかじゃ
あないだろうね…。おおかた突き放すような言葉でも並べたんだろうよ」
「どうしてそんな事を?」
「相手が自分を嫌いになってくれれば、それだけ早く立ち直れる。例え一時相手を傷つける事になっても、泣かせる事になっ
ても、後々の為にはその方が良い…。たぶんそんなトコさね」
今ひとつ実感できないながらも、ジブリールは頷く。
恋慕は欠落していても思慕は備えている。
恋愛感情という物が解らないだけで、思い遣りや気遣いについては共感する事もできる。
イスラフィルから状況の補足を受けた今、ムンカルの気持ちと行動については、彼にもある程度理解できた。
「いい男じゃないか…」
雌牛がニヤリと笑って呟くと、「そうだね」と、微笑んだ北極熊が頷く。
「配達してる内に、恋愛を理解できるヤツと巡り会えれば良いんだけど…、少ないからねぇ…、恋ができるヤツは」
イスラフィルはしみじみと呟いた後、「あ…」と、声を漏らして複雑そうな顔つきになった。
「…いっその事、審問会の時に…、ドビエルにはガングロの希望少し取り入れる形で進めさせて、ムンカル好みの美人な研究
者でも派遣して貰えるようにすれば良かったのかねぇ…」