第七十話 「陽光の間欠泉」
「くっそ!スタミナ切れとかそういうモンも…、ねぇのかよっ!」
光球が炸裂して生まれた破壊範囲から逃れつつ、ムンカルが呻く。
空中でスリップ音を響かせてターン、再加速したファットボーイの後ろで、さらなる爆発。
アル・シャイターンの熾烈な攻撃は勢い衰える事もなく、交戦中のムンカルとスィフィルは消耗を強いられている。
その様子を見守る堕人アシュターは、傍らに佇む巨躯を見遣った。
「ネビロス。加勢してあげて」
ちらりと目だけ動かして自分を見たシャチに雌牛は続けた。
「ここは一人で何とかします。癪ですけれど、今あの二人が敗れたら、もう止める手立てが無くなってしまうのよ。どうあっ
てもここで食い止めなければ…!」
無言でアシュターを見ているネビロスは、北極熊の力を目の当たりにしながら、心が壊れているが故に畏怖を覚えない。し
かもハイスペックである彼ならば、近付いてもそう簡単に吸収されてしまう事もない。
「わかった」
短く応じたネビロスが翼を広げると、アシュターが付け加える。
「ただし、危なくなったらすぐに退いて」
頷いたシャチが翼を煽り、高速突進を開始する。
一方スィフィルはスピードで攪乱を試みているのだが、アル・シャイターンはより動きの鈍いムンカルに狙いを絞ったらし
く、的を散らす事ができない。
隙を見て接近し、斬りかかるものの、北極熊は追い払うように反撃するだけで、本腰を入れようとしない。
今回も背面を取って背に切り付けるが、翼の一枚を先端から四分の一ほど切り落としただけで、ダメージらしいダメージも
与えられない。
咎が無い訳ではない。アル・シャイターンがこれから行おうとしている事は、予定するだけで最悪規模の咎である。よって
咎落としは作用するはずなのだが、無尽の耐久力のせいか、それとももはや存在自体が異質な物に変じているせいか、斬って
も斬っても目に見えた効果が現れない。
追撃を狙おうとしたスィフィルは、咄嗟の判断でそれを中止する。
その判断は正解で、彼が後方へ跳んだ直後、視界の右から左へ白い腕が通り抜けた。
振り向きざまに振るわれた豪腕を避けて間合いを取ったスィフィルは、そこから放たれた光球を、残像を残して移動し、回
避する。
ムンカルが落とされたら攻撃が自分に集中する。そうなれば如何に速度で勝っていても長く耐えきる自信は無い。
最古にして最強のザバーニーヤですら歯が立たない。その北極熊はまさに、絶望の化身と言えた。
スィフィルを追い払ったアル・シャイターンはそれ以上彼に固執せず、斬られた翼を修復しつつムンカルめがけて猛進する。
「ちっ!」
迎え撃つブラスティングレイが直撃したものの、アル・シャイターンはそれを物ともせず、破壊の奔流をかき分けて迫った。
(やべぇ!)
距離が近い。バイクの制動は間に合わない。愛車を捨てて横へ跳んで逃げるか、もう一発ブラストを浴びせるか、ムンカル
が素早く思考を巡らせたその時、迫り来る白い巨体に、横手から青白い巨躯がぶつかって行った。
不意打ちで軌道を逸らされたアル・シャイターンが宙で踏ん張る。
その鳩尾から背中に、さらに右脇腹から逆の脇腹へ、二本の銛が突き刺さり、貫通していた。
直後、ガヅンッと硬い音が響いたが、銛から生じる無数の棘はアル・シャイターンを内から食い破る事はできず、反動で砕
け、消滅する。
視線を素早く巡らせたムンカルの目に、新たな銛を二本生成するネビロスの姿が映る。
奇襲して体当たりし、接触の一瞬で必殺の攻撃をねじ込んだものの、それすら通用しない。
その絶望的戦力差を認識しながら、しかしネビロスは怯まない。
「お前…」
ムンカルの声を無視し、ネビロスは果敢にも再度突進を試みる。迎え撃とうと腕を伸ばしたアル・シャイターンだが、その
横手から滑り込んだスィフィルの鎌が、手首に斬り付けて放たれる光弾の軌道を逸らした。
今度は胸と腹。体ごとつっかかり、肩口からぶつかって行く格好で二本の銛を打ち込んだネビロスに続き、勢いに押されて
後方へ滑ったアル・シャイターンの頭上を取ったスィフィルが、両肩に鎌を打ち込む。さらに、
「離れろ!」
全弾装填して射撃準備を終えたムンカルが、アル・シャイターンに照準を定めていた。
瞬時に離脱するネビロスとスィフィル。残された北極熊めがけ、ムンカルはブラスティングレイを六発、連射で浴びせる。
「まだまだぁっ!」
灰色の光が完全に北極熊を飲み込むが、ムンカルはそれで手を休める事無く、残り少ない力を振り絞って再度六発装填し、
残光が消える前にさらなるブラストを重ねる。
ブラスティングレイフルショットを2セット。さすがにこれはいくらか効いただろうと、肩で息をしながら灰色の残光を睨
むムンカルは、
「るあおぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
凶叫を上げ、光の残滓を振り払いって突進してきたアル・シャイターンに、回避不能距離までの接近を許してしまった。
(しまっ…!)
驚きはしたが、しかし気圧されはしない。ムンカルは身に纏うブラストを濃くし、攻撃に備える。
振り上げられる腕。開かれた手。平手でこちらを突き飛ばすような一撃だと察し、腕を胸の前で交差し、ガードの姿勢を取
るムンカル。
「受けてはならぬ!避けるのだムンカル!」
スィフィルの声が響いたその時には、アル・シャイターンの手が、ムンカルの腕に当たっていた。
ブラストの幕を押し退け、腕に接触してこれを分解し、突き抜けて胸へ。
信じられない。
そんな表情がムンカルの顔に浮かぶ。
平手が通過した胸に、分解吸収で削り取られて大穴を穿たれ、そこに腕を通して吊し上げられた状態で。
「お…、あ…!」
言葉も出ない鉄色の虎を、アル・シャイターンの両目が見つめる。
何故ブラストの防御膜が貫通された?
千々に乱れてまともな思考ができないまま、ムンカルはその事を考えていた。
答えは、出力…つまり浸食速度の低さにあった。
ムンカルのブラストは、ドビエルのそれと違って浸食が遅い。これは練度の差による物だが、それでも普通の存在を対象に
した場合は、時間差は殆ど無い。はっきりとした差が生じる前に対象を分解し終えるからである。
しかし、高密度の存在を分解する際には、その差は歴然となる。
ムンカルのブラストでは、アル・シャイターンの体を薄皮一枚だけ分解している間に、防御膜を突破され、本体を分解吸収
されてしまう。
その事を理解できていなかったムンカルは、ブラストを過信していたが故に屠られた。
胴体に空いた風穴に腕を通し、引っかける格好で吊し上げた獲物を前に、アル・シャイターンは嗤った。
吸収を妨げていたブラストが消えようとしている。機能停止寸前のムンカルは、皿に載って出された料理と同じ…。
単に接触するだけなら問題ない。ぶつかり合ったり、殴り合う分にはそう影響はない。だが、捕らえられて、捕食行為に入
られてしまえば、ミカールですら一瞬で力の大半を奪われてしまう。剥き身にされてしまったなら、ムンカルが耐えられるは
ずもない。
「ムンカル!」
スィフィルが突進する。場合によっては自分が葬る事になったかもしれない男を、今では友となったその男を救う為に。
しかし、煩わしげに片腕を振るったアル・シャイターンの光弾が、互いの間で炸裂し、狼男の接近を阻む。
「ムンカルっ!何としても逃げるのだ!ムンカル!」
急停止しながら叫んだスィフィルは、しかしその時にはっきりと見た。
下方で輝いたレモンイエローの光と、そこから打ち上げられた、太陽のように輝く何かを。
「来る…な…」
消え入りそうな意識の中で、ムンカルはそれの接近を察した。そして弱々しい声で囁く。
だが、ザ・ヘリオンは止まらない。
斜め下方からレモンイエローの間欠泉に乗り、高速接近するミカール。
「やめてって!やめってって言ったのに!」
バザールが悲痛な声を上げる。
ムンカルの危機に、ミカールは彼女の腕を強引に振りほどいて飛び出した。そして高密度エネルギーの足場を形成し、爆砕。
その反動で自分自身を打ち上げたのである。
ミカールの奥の手であるそれは、流星群を放つだけの力で自分自身を砲弾にするという捨て身の攻撃だった。
「ワシのデイブに…、何さらしとんじゃぁあああああああああああああああああっ!」
切り札、サンライトガイザーによる奇襲攻撃が、アル・シャイターンを捉える。レモンイエローの砲弾が、白い巨体の脇腹
へ、頭から突っ込む形で。
ムンカルの体から腕が抜け、激突したミカールが横に弾かれ、アル・シャイターンはレモンイエローの奔流に飲み込まれな
がら上空へ打ち上げられた。
海面へ落下してゆくムンカルと、その上に立ちはだかるようにして小さな翼を広げ、踏み止まるミカール。
そして上空では、両者を直線で捉える位置で奔流を引き裂き、宙に留まったアル・シャイターンが咆吼を上げる。
ミカールはかつての友の成れの果てを見上げながら、銃を抜いた。
もはや抗う力も残っていない。身を支えるのも精一杯の有様だった。
それでも、ミカールにはまだできる事が二つ残っている。
アル・シャイターンに敗れ、ムンカルの戦いぶりを見て、ミカールは悟った。
自分のリーズンが、何だったのかという事を。
それは、あまりにも残酷で、あまりにも粋な、神の見えざる手のはからい。
「…悪くないわ…。こんなんも…」
ミカールは笑う。少し寂しげに。
そして銃に込める。最愛のパートナーへの、最後の届け物を。
「るあおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
アル・シャイターンが咆吼を響かせ、両腕を振り上げた。
頭上に掲げられ、開かれたその両手の上に、これまでとは比べものにならない巨大な光球が生まれ、その直径を10メート
ル、15メートル、20メートルと巨大化させて行く。
その破壊の卵を睨んでいたミカールは、おもむろに振り向いた。
海面に落ち、胸の一部と顔だけを水面から出し、波に揺られているムンカルを。
素早く動いたミカールの手が、ムンカルの額に銃口を向ける。
直後、宝石のように透き通ったレモンイエローの弾丸が宙を駆け、ムンカルの額に吸い込まれた。
「…ん?」
何処かのビルか何かの屋上と思われるそこで、ムンカルは我に返る。
見覚えがあるような気がしてきょろきょろと見回した鉄色の虎は、背後に立っていたミカールに驚き、「うお!?」と声を
上げた。
「何でこないな場所なんやろなぁ…て思うたら…、ここは、あそこか…」
ミカールがしんみりとした口調で呟くと、ムンカルも自分達が居るここが何処なのか気付いた。
その場所は、人間デイヴィッド・ムンカルが生涯を終えた場所。
そして、ミカールが彼にその先を用意する事を決意した場所…。
「ワシとお前の記憶で一番重なっとったのがここやったとはなぁ…、意外や…。てっきりワシかお前の部屋やと思っとった…」
「あん?何言ってんだ?ってか、これどうなってんだ!?旦那は!?ナキール達はどうなった!?」
「ここはお前の中や。雑多な記憶が眠る、意識の海の中…。ワシらの体は、現実世界でまだあそこに居る。これは圧縮データ
のやり取りやさかい、少しだけ余裕があるんや」
ミカールがそう言っても、ムンカルは曖昧にしか理解できない。
「デイブ、ちっとそこに膝ついて屈めや」
「あん?何でだよ!?今急いで旦那を何とかしねぇと…」
「何とかするために必要な事なんや。ええから屈まんかい」
しぶしぶ跪いたムンカルに歩み寄ると、ミカールは両手を合わせ、水を掬うような形にする。
そこから、レモンイエローの光が溢れ出した。
屈んだムンカルの頭に、ミカールは両手からこぼれ落ちるレモンイエローの光を注ぐ。
最後の贈り物を。
今ではミカールも理解していた。
ミカールのリーズンはムンカル。職務を投げ打ってでも優先すべき存在。
だが、ムンカルのリーズンはミカールではない。他の誰かでもない。彼のリーズンは、これまでに他のどんな存在が持った
リーズンよりも過酷で、救いのない物だった。
ミカールのリーズンは、ムンカルと出会い、ムンカルを導き、そして…、ムンカルの為に…。
それは、リレーのような物だった。
ミカールはある時期に、そうと気付かぬままリーズンを得た。
そして、それからは今日この時のために存在していた。
ムンカルにバトンを渡す、その為に…。
「悪うないわ…、ほんま…」
心の底からそう思う。
ミカールはムンカルと出会う前、まだ鉄色の虎が人間…デイヴィッド・ムンカルだった頃、まだ見ぬ彼がメサイアなのでは
ないかと勘繰った事があった。
だが、彼が配達人となり、その考えも勘違いに過ぎなかったと結論づけた。
しかし、本当は当たっていたのだ。
ただし人間のメサイアではない。人間社会をよりよい方向へ導くためのメサイアではない。
ムンカルは、世界その物の破滅を回避させるために、神の見えざる手が生み出した異形のメサイア。
もしかしたら、とミカールは思う。
あるいはこの役目を担うはずだったのは、ドビエルなのではないか?と。
だが、彼はブラストを抑える方向性に成長して行った。それがもしかしたら神の見えざる手が描くシナリオにとっては不都
合な事だったのかもしれない。だから急遽別の筋書きが用意された。
それがムンカル。そして彼を補完する存在として在り方を変えたミカール。
長い歴史を追っていっても、個人毎にオンリーワンだったオーバースペックの固有能力…。ムンカルという存在はそれに当
てはまらない。オーバースペックでもない彼が最初からドビエルと同じ能力を持っていたのは、彼に代わってメサイアとなる
べく生まれた存在だったからなのだと、今では確信していた。
メサイアとは、油を注がれた者の意。
人間が定義するメサイアは、香油を受ける事でメサイアとなった。
彼らと、今ミカールの手で光を注がれているムンカルの姿は、どこか似ている。
そしてミカールはムンカルに立ち上がるように告げて、微笑を浮かべた。
「何だよ?今何したんだ?」
「プレゼントや。お前が最後の最後まで、立ち続けられるように…」
そしてミカールはため息をついた。
「ワシなぁ、アスモデウスに言わなあかんかった事があるんや。ついこの間気付いたんやけど、アイツもワシらもイコンにつ
いて物凄い勘違いをしとったらしいわ。せやからな、ムンカル。お前今度アイツと会ったら、しっかり伝えとけ。データは残
しとくさかい」
「あん?何言ってんだ?アイツは敵…」
「敵対してもうたのも、そもそも勘違いからなんや…。ええな?頼むで?」
「頼むって、ミックが自分で…」
ムンカルは言葉を切る。
嫌な予感がした。どうにもおかしかった。
「ミック。お前…、何する気だ?」
「仕事するに決まっとるやろ?もうじき時間切れで現実にほっぽり出されるで?オドレも気合い入れてかからんかい!絶対に
しくじれへん大仕事なんやからなっ!」
ミカールはそう一気にまくし立てると、ムンカルの手を取った。
普段なら恥ずかしがってそんな事などしない。ミカールの少々おかしい態度に、ムンカルの中で不安が膨れあがる。
「なぁデイブ。ワシな、お前と会えて良かったわ…」
「え?お、おう…。そりゃあ俺も…」
「ワシな…、世界一の幸せモンや…。存在しとるって事が、こんなに嬉しい、素晴らしい事やて、お前と会えてからやっと判っ
たんや…」
「ミック…?お前やっぱちょっとおかしいぞ!?何かあんじゃねぇのか!?」
「おかしい言うなや。恥ずかしいの我慢しとるんやで?」
むくれ顔になったミカールは、くいくいっと手を引き、ムンカルに顔を下ろさせる。
「ちゅー、してくれへんか…?デイブ…」
「ミック。やっぱりお前なんか隠して…!」
「おねがいや…。な…?」
ミカールが目を閉じると、納得が行かないムンカルは、それでも仕方なく顔を重ね、口付けを交わす。
唇を触れ合わせるだけの軽いキスは、しかし長い、長い、互いの吐息を交換するような物だった。
やがて顔を離したムンカルに、ミカールは笑いかける。
「おおきに」
「…ミック。話せ。お前一体何をしようとしてやがんだ!?」
声を荒らげたムンカルに、しかしミカールは答えない。
代わりに、逞しい虎の胴へ腕を回して、しっかりと抱き締めた。
「デイブ…。愛しとる…」
「ミック?」
逞しく厚い胸に頬を寄せ、ミカールは囁いた。
「お前…、ワシが本部詰めになったら権限で自分も呼べ…って、さっき言うとったな…。ほんまはな、あの時ワシ…、無茶苦
茶嬉しかったんや…。夜中にツーリング行って、天気悪くて夜景見えへんかったあの時も…、すぐ帰らなあかんから悔しくて、
怒ったふりしとったけど…、ほんまはな、ほんまは…、連れてって貰えたその事が嬉しかった…。数えてったらキリないわ…。
ワシ…、ずっとずっと幸せやった…。お前に好いて貰えて、幸せやった…」
ミカールはムンカルの胸に頬ずりした。感触を、温もりを、少しでもはっきり記憶に留めたくて。
「アホやなぁワシ…。何でもっと早く、素直になれへんかったんやろ…」
ムンカルはミカールの肩を掴み、強引に引きはがした。
「ミック!お前何を…!?」
ムンカルは絶句して目を見張る。初めて見るミカールの顔が、そこにあった。
「ワシな…。ほんまは…、ずっと…、ずっとずっと…、お前と一緒に居たかったわ…」
ミカールは、泣いていた。
微笑みながら泣いていた。
「お別れや、デイブ…」
「馬鹿言ってんじゃねぇっ!」
ムンカルは怒鳴る。怒りで顔を歪めながら。
「一緒に居るって言ったじゃねぇか!俺が一人前になるまで、ずっと一緒に居るって…!」
「お前はもう一人前や。ワシがしてやれる事は、「今のこれ」で全部終いや…」
「馬鹿言うな!俺はまだ一人前じゃねぇ!お前が居なけりゃ俺はっ…!お前が…居なけりゃ…!」
ムンカルは言葉に詰まる。ミカールの泣き笑いを見て。
「今まで散々、駄目っ子、駄目っ子、言うて来たけどなぁ…。デイブ…。お前は、やればできる子や…。胸張って、気張って
かんかい…!」
「ずりぃよ…!そんなのずりぃだろ!?勝手に…!一人前にすんなよっ!」
怒鳴ったムンカルの目から、涙が零れる。
それを見たミカールは、哀しくて寂しいながらも嬉しい、何とも言えない気分になった。
例え用意された筋書に沿って出会い、寄り添って来たのだとしても、自分達はきちんと結ばれていたのだと、改めて実感で
きた。
「デイヴィッド・ムンカル!」
ミカールは背筋を伸ばし、真顔になる。
その前でたじろいだムンカルに、童顔の獅子は問う。
「「配達人」とは、何や!?」
ムンカルは一瞬言葉に詰まった。
散々聞かされてきた言葉を、今になって求められるとは思わなかったので。
「配達人は…………………」
ぼそぼそと応じたムンカルに、ミカールは再び笑顔を見せる。
「合格や…!」
その周囲で景色にノイズが走る。
二人を取り巻く世界が急速に崩れ出し、周囲はどこからか沸き出した白い光に塗り潰されて行く。
そして、ムンカルは目の前に居るはずのミカールを見失った。
「ミック!」
呼びかけて手を伸ばすが、何もない虚空を腕が薙ぐ。
そして浮遊感がムンカルを襲い、何もない白い景色の中を落ちて行くような感覚に囚われ…。
視界を、ノイズが走る。
見上げる夜空には白い光。
ムンカルは波間を漂いながら、ぎりぎり機能している視覚でそれを捉えていた。
アル・シャイターンの頭上に作られた特大光球。北極熊の視線は真っ直ぐ自分の方を向いている。
そして光球とムンカルの間では、ずんぐり丸い童顔の獅子が、宙に踏ん張り上を向いていた。
まるで、それを迎え撃とうとしているように。
「あるるるるるるるるるるるっ!るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
アル・シャイターンの太い両腕が怒張し、凶叫と共に引き摺り下ろされた直径50メートルにも及ぶ特大光球が、眼下のミ
カールとムンカルを巻き込む軌道で投げ落とされる。
迫る光球で全身を白く照らされながら、ミカールは首を巡らせ、海面に浮かぶムンカルを見遣った。
「ミッ…ク…」
掠れた声を絞り出したムンカルの、今にも意識が消え去りそうな双眸から、涙がこぼれ落ちた。
愛しいパートナーに向かって伸ばした腕は、しかし遠すぎて届かない。
掴もうと開いた指の隙間に、ミカールの姿が遠く見えた。
最期にもう一度だけ鉄色の虎を見つめると、ミカールの顔に安心したような、満足げな、幸せそうな、緩い笑みが浮かんだ。
「ほなな…、デイブ…」
呟き一つを残し、ミカールは光球に向き直る。
そして、巨大なそれを抱き止めるように両手を伸ばし、そのまま光に飲み込まれる。
存在その物が削り取られて行くパールホワイトの光の中で、ミカールは自分を存在させているファクター全てを、純粋なエ
ネルギーに転化した。
直後、光球はその場で爆砕し、光の奔流が四方八方へ流れ飛び、光球を貫通する形で発生したレモンイエローの閃光が一条、
アル・シャイターン目がけて迸った。
「るるるるるあおっ!?」
ミカールが自分という存在そのものをエネルギー転化して放ったサンライトガイザーが北極熊を飲み込む。そしてそのまま
成層圏を貫き、遙か高みまで押し上げる。
ようやく閃光の中から離脱したその時には、アル・シャイターンは眼下の青い星が丸みを帯びて望める位置まで突き放され
ていた。
特大光球炸裂の余波で吹き飛ばされるスィフィル、ネビロス。離れていてもなお後方へ押しやられるバザール、アシュター。
「嘘…ですよね…?こんなの…嘘ですよね…!?」
バザールが小刻みに震えて呟く。
「何という…事だ…!」
スィフィルが空を見上げて唸る。
「ミカール…、貴方は…!」
アシュターが目を見開いている。
「……………………………」
宙で姿勢を整えたネビロスは無言で空を見上げ、そして周囲を漂いながら空気に溶け込むように消えて行くレモンイエロー
の粒子を見遣り、
「…あれ…?」
訝しげな声を漏らし、頬に触れる。
双眸から溢れた涙が、滂沱となって頬を濡らし、胸へ零れて行く。
涙の意味が判らない。だが、胸の奥が苦しかった。大切な何かを失ってしまったような気分を、この時初めてネビロスは味
わった。
「ミカール…!?ミカールは…、ミカールはどうなったのだ!?」
異層に囚われたまま、小窓から激戦を覗いていたアズライルは、白猫に向き直って声を荒らげた。
「ミカールは、消滅したわ」
白い少女は感情を窺わせない平坦な声で述べた。
「そして、このままならまだまだ消えて行く。「アズライル」以外の全てが、同じように」
黒豹は歯を食いしばり、俯いた。
その両手がきつく握り込まれ、爪が手の平に食い込む。
「止められるのだな…?「アズライル」なら…、もう彼が辛い真似をせずに済むように…、できるのだな…!?」
絞り出したような震える声に、白猫は頷いた。
そして、アズライルは決意する。
「…消えるのが三人だけなら…、いくらかマシな終わらせ方だろう…。必ず、あのひとを止めてあげなければならない…!」
黒豹は白猫に歩み寄り、間近からその顔を見下ろす。
白猫は歩み寄って来た黒豹の顔を、無言で見上げる。
「融合だ!」
はっきりと宣言したアズライルの目に、もう迷いはなかった。
激しく踊る海面に翻弄されるムンカルは、パールホワイトとレモンイエローが混じった光の粒子が降り注ぐ中、瞳を濁らせ
てゆく。
「……ミッ………ク……」
機能停止する直前に呟かれたその声は、波音に飲まれ、誰にも届かずかき消された…。