第七十二話 「最終防衛線」(中編)

「るおおおおおおおおおおおおおおおおお!あるるるるっ!」

 十二枚の翼と両腕を広げ、掴みかかるような姿勢で突進降下するアル・シャイターン。狙いは青白いシャチだが、ネビロス

は迎撃姿勢を万端に整えている。

 纏めて掴まれていた得物が太い腕の一振りと共に投擲され、北極熊に迫る。

 ドドドッと音を立て、三本の銛が北極熊の胸、腹、右太腿に突き刺さった。

 即座に無数の針の根を張り、対象を内から食い破るはずのそれは、しかしアル・シャイターンには根を張れず、ギンッと響

きを残して砕け散る。

 突進速度を緩める事もできなかった一射目に続き、左腕を振りかぶって再度三本の銛を投擲するネビロス。そして今度は、

その攻撃と同時に横合いからスィフィルが飛び込んでいた。

 今度はばらけずに纏めて胸の中央に銛が突き刺さり、背まで貫通する。さらに側面前方寄りから突っ込んだ狼が、草刈鎌で

右腕を狙った。

 ぞぐっと、揃えて振り下ろされた鎌の刃が、アル・シャイターンの右腕を肘から切り落とした。

「あ!」

 下から見上げるバザールが、初めての有効打に見えるその一撃で声を漏らす。

「るあおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 初めて上がる苦痛の声。

 しかしスィフィルは追撃せずに離脱している。渾身の一撃で得物の刃が砕け散り、霧散してしまっていた。

 新たな刃を作り出し、再び両手に咎落としの鎌を携え、スィフィルは果敢に切り込む。そこへまたも銛を生成したネビロス

が、完璧に重なるタイミングで投擲を行う。

 無尽蔵に見えたアル・シャイターンの力だが、吸収を行わずに浪費を重ねた上に、ムンカルのブラスティングレイを何度も、

さらにはミカールのサンライトガイザーを二度も受けた事で、ついに防御力が低下し始めていた。

 今ようやく、ネビロスとスィフィルの連撃が、北極熊に傷を負わせる。

 前代未聞、堕人と清掃人のコンビネーション。動く砲台ネビロスが連続で銛を放ちながら間合いを計り、スィフィルが一撃

離脱を繰り返す。

「もしかして…、もしかしてこのまま押し切れるんじゃないですか!?」

 一撃入った瞬間を皮切りに、アル・シャイターンの動きは目に見えて鈍った。腕を再生した北極熊は、しかし銛に右肩を貫

かれて体勢を崩し、懐に飛び込んだスィフィルの鎌で胸を十字に切り裂かれる。

「るぁおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 苦痛と嚇怒の咆吼。ダメージは確実に入っている。

 拳を握り締めて見守るバザール。

 勝てる。このままペースを崩さなければ勝てる。

 そう感じていた彼女は、しかしそれが甘い幻想に過ぎなかった事を思い知らされた。

「…まだ撃てるか」

 呻いたスィフィルの瞳に、両腕を高々と差し上げた北極熊の姿が映り込む。

「そ、そんな…!」

 バザールがわなわなと震える。アル・シャイターンの頭上で巨大化して行く光球を見つめながら。

 ミカールが自分の存在そのもので相殺した破滅の一撃が、再び落とされようとしている。

「させない…!」

 ネビロスが両腕を胸の前で交差させ、全身にぐっと力を込めた。その周囲に、穂先を前に向けた状態の銛が二十数本も同時

に生成される。

 消耗覚悟、ペース配分無視の限界酷使によって生み出された銛が、シャチの腕が前方を指し示すと同時に飛翔、北極熊の全

身を穿つ。

 が、それでも光球の巨大化は止まらず、銛は全て砕け散った。

 バザールは後方のムンカルとアシュターを振り返る。しかし再起動まではまだまだかかりそうで、雌牛も虎男もピクリとも

動かない。

「こ、これじゃあ…!これじゃあ…!」

 絶望に押し潰されそうになるバザールは、気付くのが遅れた。

 一度振り返ったスィフィルが自分を見遣り、そして微笑した事には。

(未来を繋ぐ…。これは、決して落とさせてはいかん)

 狼男は鎌を消し、一瞬脱力した。

 その背に、湾曲した刃が無数に生まれ、翼を形成する。

 振り返ったバザールが見たのは、初めて目にする、翼を背負った恋人の姿。

 鎌の湾曲した刃が無数に重なって生成された、無機質で金属的な翼が、大きく薄く広げられる。

 彼が何をするつもりなのか、バザールは即座に悟った。

「や、やめっ…!」

 制止の声も届かず、スィフィルはこれまでの速度を遙かに上回る動きでアル・シャイターンめがけて突っ込んだ。落とされ

る光球を、少しでも地上から離れた位置で爆散させる為に。

 北極熊の巨体が、腰へ取り付く形でタックルした狼男の激突で、くの字に折れる。

 そのまま高空へ押しやったスィフィルは、しかしアル・シャイターンの右腕が背に落ち、背部から胸まで貫かれ、分解吸収

されて翼を霧散させた。

「ナキールさん!?」

 バザールの叫びと、光球の近距離炸裂は、同時だった。

 目が眩む閃光と音無き爆発。空間そのものが揺らぐ破壊の狂乱の中心で、スィフィルは、

「…ふ…。どうだ…、防い…だぞ…!」

 自分の体を炸裂点の中心と地上の間に置き、破壊の光を自身を盾にして食い止め、水平方向と上方へ逃がしていた。

 閃光が収まり、中心点には北極熊が残る。

「な…、ナキ…」

 バザールは呟く。海面へ落ちて行く、胸から上だけになった狼の残骸を瞳に映して。

「いやぁああああああああああああああああっ!ナキールさぁあああああああああああああああああん!」

 悲痛な絶叫が、夜の海に木霊した。

 ネビロスはじっとアル・シャイターンを見据える。

「るるるるるるるるっ…!」

 北極熊は、先程よりも強いプレッシャーを放っていた。

 一対一では勝ち目は無い。しかも、ナキールの力を一部食らった事で、消耗が少し回復している。

 時間稼ぎもおぼつかない。さらに、次にアレが来たら、今度は自分が同じようにして止めるしかない。

 アシュターの作業は間に合いそうにない。共闘できる相手も居ない。単独で戦う事を強いられるネビロスは、出し惜しみし

ても仕方がないとばかりに、再度先程と同じように大量の銛を生成する。

 玉砕も厭わない。少しでも時間を稼ぐ。

 自身の存在持続すら欲求から消し去ったネビロスは、ただそれだけを目的に交戦を試みる。

「るあおぉっ!」

 翳される手。放たれる小型光球。アル・シャイターンの攻撃に合わせ、ネビロスは相殺に必要なだけの銛を射出する。

 白い閃光を伴う音無き爆発が生じ、さらに重ねられる光球。再度射出される銛。またも生じる破壊の閃光。使用した分だけ

銛を補充し、続けざまに放たれる光球を迎撃し、撃ち合いで時間稼ぎするネビロス。

 その間に、状況も忘れて愛車に跨り飛び出したバザールが、海に落下したスィフィルの元へ駆け付ける。

 胸から下が消失し、両腕も無い状態のスィフィルを海面に見つけた桃色の豚は、悲鳴を上げつつ降下し、マシンから水面に

降り立ち、抱えあげた。

 狼は目を瞑っており、動きは全く無い。

「ナキールさん!ナキールさん!?」

 涙を零しながらバザールが呼びかけると、スィフィルの目が薄く開いた。だが、もはや見えていないのか、視線はバザール

の顔に向かない。

「無事…か…?…ザ……ル…」

 ノイズ混じりの不明瞭な声に、バザールはコクコク頷く。

「そ……良かっ……」

「ナキールさん…!」

 強く抱いただけで壊れてしまいそうな有様のスィフィル。抱き締める事も叶わないバザールは、涙で顔をぐしょぐしょにし

て嗚咽を漏らす。

 その上空では、砲撃戦でアル・シャイターンを食い止めていたネビロスが、徐々に距離を詰められていた。

 じりじりと前進して来る北極熊。もはや光球を潰しているだけでは食い止められない。そう判断したシャチは、周囲の銛を

一斉射出する。

「るぉっ!あるるるるるる!」

 両手に光球を生み出し、同時に突き出した腕から隣接する形で撃ち出す北極熊。二つの光球は途中で接触し、爆砕する。ネ

ビロスの銛はそこに巻き込まれる形で全てが破壊された。

 だが、光の残滓を貫いて飛翔する物があった。

 全長3メートル。直径10センチ。ありったけの力を注ぎ込んで生成した大型の銛を構え、ネビロスがアル・シャイターン

に迫る。

 残光を目くらましにして一気に距離を詰め、柄尻に右手を当て、柄を下から左手で支えて保持し、シャチは体ごと北極熊に

ぶつかって行った。

 ボヅッと音を立て、アル・シャイターンの鳩尾に突き刺さった銛が、鈍く黒光りして力を解放する。

 手を離し、離脱を試みたシャチは、しかし間に合わない事は判っていたので、両腕を交差させて顔を守り、ガードの姿勢を

取りながら後方へ飛んでいた。

 直後、ズンッという重々しい音と共に、アル・シャイターンに突き刺さったまま、銛が爆発する。

 黒い爆炎が荒れ狂う中に白い巨体が消え、自らの切り札に巻き込まれたネビロスが全身を黒色に染められながら吹き飛ぶ。

 内外からの爆発をまともに食らったはずの北極熊は、しかし黒い炎の中で怒りの咆哮を上げていた。

「だめか…」

 力を振り絞った上に多大なダメージを受け、ネビロスは切り札すら通用しなかった事を知りながら落下して行く。

 そしてシャチの瞳が、黒炎を引き裂き、自分めがけて飛翔して来る白い巨体を映す。

「おわりか…。ごめん、アシュター。おれ、じかんかせぎできなかった…」

「そうでもない」

 耳元で響いた声に、ネビロスの目が大きくなる。

 そしてがしっと腕を掴まれたかと思えば、周囲にノイズが走り、視界が暗くなり、次いで僅かに明るくなったかと思えば、

ノイズ混じりに間近で海面が見えた。

「あ…?」

 間近にアシュターと、彼女に調整されているムンカルの姿が見えて、ネビロスは間の抜けた声を漏らす。

「良く保たせてくれた、ネビロス」

 その声を聞き、ネビロスは自分の腕を掴んでぶら下げている男が誰なのか、やっと気付いた。

 首をねじって見上げたシャチの目に、頭上の北極熊を睨め上げる黒獅子の横顔が映る。

「アスモデウス…。なんで…?」

「…地上の危機だからな。小競り合いにうつつを抜かしている場合ではない。それに…」

 応じたアスモデウスは、苛立たしげに、そして悔いているように顔を歪め、牙を剥き出しにした。

「ミカールからの配達が届いた…。もはや我等に、人間を滅ぼす理由は無い」

「え?」

 ネビロスが不思議そうな顔をしたが、アスモデウスは詳しい説明を省き、シャチを牝牛の傍に下ろす。

 そして、声が届かないほど集中している伴侶を一度見遣り、それから微苦笑を浮かべた。

「アシュター…。大多数の人間も含めて世界を守ると言ったら、何を今更と怒るだろうな…」

「アスモデウス。それは、どういういみだ?」

「戦が済んで、それでもなお話す事ができたならば告げよう」

 瞳を自分達に向けた北極熊へ視線を移し、アスモデウスは呟いた。

「…人間のイコンについて…」

 その声を置き去りに、アスモデウスは空間跳躍した。

 そして、アル・シャイターンの頭上に出現し、背から漆黒の翼を広げる。

「アンヴェイル…!」

 除幕に伴い、アスモデウスの黒い鬣がざわりと伸び、背の翼が三対に別れた。

「るるるっ…!るるるるるるるるるるるっ!」

 アル・シャイターンが牙を剥き出しにして唸り、光球を右掌中に生み出す。

 弓も生成せず、周囲に無数の矢を出現させたアスモデウスが吼える。

「来るが良い、世界の敵対者!地上を壊したくば、まずはこの黒雷大帝を壊してゆけ!」

 直後、アスモデウスを中心にしてダミー空間が展開された。

 空間内に収まったのは北極熊と黒獅子、そして範囲内に居たスィフィルとバザール、そして一塊になっているネビロス達。

 自分達を隔離し、地上に影響が出ないようにした上で、刺し違える覚悟で絶望の化身と相対するアスモデウスは、周囲にノ

イズを走らせた。

 黒獅子を取り巻く矢が全て消失したかと思えば、それらは北極熊を全方位から囲む形で近距離に出現し、弓も無しに一斉発

射される。

「るあっ!」

 無数の矢が北極熊の全身に突き刺さり、苦鳴を上げさせた直後、先にネビロスが引き起こした物と同じ、黒い爆発を立て続

けに発生させた。

 もっとも、こちらがいわゆるオリジナルであり、小さな矢の一本一本がネビロスの切り札である大銛と同じだけの破壊力を

持つ。シャチのそれは致命的なまでに内面を破壊された際にアスモデウスから譲られた劣化コピーに過ぎない。

 ゲヘナブレイズ。オーバースペック・アスモデウスの固有能力であるこれは、高純度のエネルギーを固めて射出し、対象を

滅ぼすという能力。黒い炎は精神体だろうとエネルギー体だろうと物質だろうとお構い無しに蹂躙し、黒く染め上げ塵にする。

 プロテクトによって軽減されはするものの、ブラストと同様、破壊対象を選ばない攻撃手段であった。

 ただし、起爆前の矢は高密度エネルギーであるため、分解吸収の対象となる。捕まって餌にされないよう注意深く打ち込む

か、捕まえられそうになったなら即座に起爆させるなどの工夫が必要だが、

(やるしかない…!地上は、絶対に守り抜く!)

 アスモデウスは黒炎を見据え、飛び出して奇襲をかけてきた北極熊の右腕を、際どい間合いでかわした。

(驚異的な性能だが、力任せになっているのが救いだったな。これがイブリースやジブリールだったなら冷静に対処され、攻

めあぐねいていた所だ)

 腕を振り抜き、上体が流れた北極熊の巨体が、そのまま回転して翼を横殴りに振る。

 この追撃を超短距離空間跳躍による2メートル程のバックで避け、近距離で手を翳したアスモデウスは、瞬時に出現した八

本の矢を、がら空きになったアル・シャイターンのわき腹へ射込んだ。

 そしてノイズを纏い、空間跳躍で離脱しつつ矢を起爆する。

「るあおぉうっ!」

 爆発に飲まれたアル・シャイターンが苦鳴を発する。が、間合いを取ったアスモデウスは周囲に再び大量の矢を生み出し、

空間跳躍させ、黒い炎が収まっていないそこへ送り込んだ。

 立て続けに起こった爆発が重なり、破壊範囲と威力が一気に増幅される。ダミー空間内の海が煮立ち、蒸気が吹き上がる。

 黒獅子がこの能力をおいそれと使用できないのは、地上に影響を及ぼし、物言えぬか弱き生き物達を大量に殺めてしまうこ

の破壊力のせいである。

 そして、簡単に使えない理由は他にもあり…。

(消耗が激しいようだ…)

 バザールに抱かれたまま、スィフィルはそう考える。

 見えてはいないが感じる。あの莫大なエネルギーを放出しているアスモデウスが、ハイペースで消耗している事を。

(倒す前に、力尽きてしまう…。いや、倒すには、絶対的にエネルギー不足だ…。彼ですら、ムンカルの再起動まで保たない)

 狼男は考えた。まだ手はあるが、それを実行に移せばバザールまで危険な目にあう。

 しかし、このまま待っていてもバザールは滅びから逃れられないだろう。

(…仕方が無い…)

 スィフィルはもはや存在持続も限界に近い事を悟り、賭けに出た。

「バザ………願………ある…」

「は、はい!?何ですか!?」

 声すらまともに発せられないので、スィフィルは苦労しながら告げた。

 もう保たない事。そして、このままではアスモデウスも敗れ、全員が消される事。

 食い止めるための手立てはあるにはあるが、それは大変な危険が伴う手段である事。

 全て聞き終えたバザールは、迷う事なく頷いた。

「やります…!やらせて下さい!」

「…済ま……い………バ…ザ………ル…」

 その言葉を最後に、スィフィルは機能停止した。

 そして、かろうじて保っていた肉体が崩壊し、スチールグレーの光の粒子となって霧散する。

 しかし、その粒子はワールドセーバーの消滅時とは違う動きを見せた。

 舞い散った光はバザールを包み込み、その体に吸い寄せられるようにして浸透して行く。

 バザールはその現象の中で、目を閉じ、ぽっこり膨れた腹の上、鳩尾に手を当てている。

 そこに、暖かい物が宿っていた。

(感じるかね?バザール)

「…はい。はっきり判ります」

 目を閉じたまま、バザールは頷いた。その黒い繋ぎを、粒子によって青に変色させられて行きながら。

「あたしの中に、ナキールさんが居ます…!はっきり感じますよ!」

 バザールはまた頷く。自分の内側から語りかけて来る声に。

 スィフィルは独力での存在維持が限界と悟り、バザールに自らの魂を取り込んで貰った。

 これにより消滅は免れ、今はバザールの維持機能に依存する形で保護されている。もっとも、このような芸当は並のワール

ドセーバーでは不可能である。スィフィルの強烈な魂の拍動に当てられて機能衝突を起こすか、そもそもキャパシティが足り

なければ受け入れもできない。

 だが、バザールはそれらの条件をクリアーしていた。

 かつて白猫が彼女を癒した際、不確実な未来の数限りない可能性の中で、バザールがこの場に居るケースが多い事を見抜き、

キャパシティを増やしておいた。これが容量不足を解消している。

 さらに、バザールは狼との逢瀬を重ね、心を繋ぐに至った。これにより魂の拍動とシンクロし、機能衝突を起こさなくなっ

ている。

(一か八かだったが、やってみる物だな。以前と比してキャパシティが増えておるように感じておったのだが、どうやら消耗

した我が魂が間借りできるほどの余裕があったらしい。君の中は実に快適だ)

「へ、変な事い、言わないでくださいよぅ!」

(む?今変な事を言っ…、いや、とにかく集中してくれたまえ)

「は、はいっ!」

 応じたバザールの被毛が、桃色からスチールグレーに変色して行く。そして…、

(よし、コネクト完了。システムオールグリーン)

 スィフィルが発した内側からの声で、ゆっくりと目を開ける。

「…ええ、動けます。今までよりずっと速く…!」

 呟いたバザールの両手から、ずるりと黒い影が滑り出た。それが固着し、二本の草刈鎌となる。

 青いつなぎにスチールグレーの被毛、そして清掃用具…。スィフィルの残滓によって表面をコーティングされ、魂によって

内から機能強化されたバザールの姿は、清掃人のそれに酷似していた。

(バルタザール、Ver.ザバーニーヤ…、といった所であろうか。危ない役目を押し付けて済まぬが…)

「大丈夫です!」

 バザールはもう恐れを感じる事もなく、自分の中に居る恋人に応じながら北極熊と黒獅子の戦場を見上げた。

「一蓮托生、一心同体!ナキールさんが一緒ですから、何も怖くなんてありません!」

(頼もしい言葉だ。では、こちらも全力でサポートする。アスモデウスに加勢し、滅びを食い止めよう)

「はい!」

 バザールはぐっと身を縮め、スィフィルのサポートを得て跳躍する。

 空を飛翔するのではなく、滑走するというその経験は初めての物なのだが、新鮮さを味わっている暇は無い。

 アスモデウスの後方に舞い上がり、腕を交差させて二本の鎌をギラリと光らせ、バザールはブシューッと鼻息を吹いた。

(高速戦闘の処理、及び戦闘演算はこちらで行う。ただし体の主導権はあくまでも君であり、行動は君の物だ。こちらで肉体

を動かしてやる事はできないのだから、判断には注意を)

「はい!頼りにしてます!」

(では…)

「ええ…!」

 バザールは腰を落とし、清掃行為中のスィフィルと同じ構えを取る。

(往こう)

「はい!」

 アスモデウスが無数の矢を放つと同時に、バザールは突進を開始した。

 経験した事も無い速度なのだが、外界情報をスィフィルが処理し、反応のサポートをおこなっているので、自分の動きに振

り回される事も無い。

 さらに狼は、効果的かつ効率的な選択肢を彼女へダイレクトに伝える事ができる。これによりバザールは高速戦闘に対応し、

タイムラグゼロの助言を受けながら戦えるようになった。

 アスモデウスの脇をすり抜け、矢を追い抜き、黒炎がおさまった中に立つ北極熊に突っ込むバザール。

「ぬ!?何だ!?」

 驚いたアスモデウスの視線の先で、灰色の豚はアル・シャイターンの不意をつき、その懐へ飛び込んでいた。

「るあお!?」

 北極熊の声に混じるのは疑問の響き。直後、バザールの両手が胸の前で交差した状態から左右へ振り開かれた。

 ゾブッと、胸に深く斬り付けられたアルシャイターンがよろめく。その眼前から、バザールのずんぐりした体がスィフィル

のそれにも匹敵する速度で右へ滑り、高速離脱。

 そこへ、無数の矢が飛来した。

 後方で咲いた黒い爆炎を、バザールは空中で四つんばいになって滑り、制動をかけながら振り返る。

「凄いです!ナキールさんの指示通りに、今までの何十倍ものスピードで動けます!」

(だが過信はしないでくれたまえ。あくまでもこれは力の貸与であり、君の体はこの動きに長く耐えられない。ペース配分は

こちらで計算し、指示するが…)

「ええ、なるべく長い事、彼を引っ掻き回す…、ですよね?」

(そのとおりだ。では…)

「はい!再攻撃、行きます!」

 バザールとスィフィルは、一心同体となってアスモデウスとの共闘を開始した。