第七十三話 「最終防衛線」(後編)

 因果管制室に飛び込んだテリエルは、スパール達が振り向く中を足早に抜け、コンソールについている白鼠に声を掛けた。

「共鳴転送装置を使いたい、すぐ準備に取り掛かってくれ」

「え?」

 鼠が疑問の表情を浮かべると、テリエルは憎々しげに唸った。

「アレに対抗できるオーバースペックは限られる…。相性が悪い愛の重みは使えん…。癪じゃがしばしアスモデウスに任せる

しかない…」

「お師匠?アスモデウスが何だって?」

 歩み寄ったイボイノシシが声をかけると、メオールは軽くかぶりを振った。

「下手に多数で囲んでも食われるのがオチじゃ。対抗し得る者をぶつけるしかないが…」

「いや、だからよぉ。アスモデウスが何で…」

「あやつはミカールの飛行艇への転送ゲートを用いてアレを止めに行っとる。行きがけの駄賃に保存しておいたジブリールの

肉体をエネルギー変換し、上乗せしたが…、それでもゲヘナを乱用すればそう保たん」

 ざわりと室内がどよめいたが、テリエルは構わず先を続けた。

「アスモデウスが落とされたら後がない!何としても間に合わせねばならん!至急準備を始めてくれ!」

 そこまで言った猪は、別のコンソールに歩み寄り、手を当てて強制接続する。

(ハダニエル!本部システムの復旧は!?)



 壁面に手を押し当て、本部とリンクしている犀は、顔を顰めて胸の内で唸る。

(駄目だ!三割戻らないんだよ!弄られた時にキーを持ってかれてる!)

(何じゃと!?)

(まともな運用は不可能だ。キーを破棄させるか何かして、新しく接続コードを…)

(キーは誰が持っとるんじゃ!?)

(今は…、くそっ!ドビエルと交戦中だよぉっ!)



 ジャリジャリと音を立て、刃状に変化した尾を引き摺りながら、黒面の山羊が進み出る。

 一体どこまで変化するのか?無尽蔵のエネルギーはどこから来るのか?ドビエルは長時間のブラスト解禁によって流石に消

耗を強いられており、いよいよ防戦の度合いを強めている。

 そこへ、テリエルの声が届いた。

(ドビエル。ソイツを抹消するんじゃ)

 灰色熊はぴくりと眉を動かし、黒面の羊から目を逸らさないまま応じる。

(できません。何とか引き戻してみせますから…)

(その余裕は無いんじゃ、もう…!)

 テリエルは伝える。アスモデウスが北極熊を止めに行った事、援護が必要な事、そして、黒面の羊がその障害になっている

事…。

(アスモデウスにとっても計算外じゃったらしいが、そやつは今、本部の力を得ておる。瞬殺せんと何度でも修復するぞ!)

(しかし…!)

 迷いながら反論しようとしたドビエルの頭に、割り込んできたハダニエルの声が届いた。

(選択の時だ、ドビエル!「どっちも」なんて言ってられる状況じゃ無いんだよ!そもそも…、そこまで変わっちまったら…、

もう…!)

 犀の声に、灰色熊は唸る。だが、首を縦に振る事ができない。

 ドビエルは、甘過ぎたのである。

 だからこそ神の見えざる手にそぐわぬ進化を果たし、ブラストを抑える方向へと成長してしまった。故に彼は、メサイアに

はなれなかった。

 だが、因果はここで彼に選択を迫る。知らずに避けてしまった世界への奉仕を、それでも遠ざけるか、あるいは…。

(…済まない…。ドビエル…)

 ハダニエルの声が響いた直後、ドビエルと黒面の羊が居る区画が揺れ、ゴスンと音を立てて横へスライドした。

 両者諸共に本部からパージされた扇形の区画が、太平洋の真ん中で宙に投げ出される。

 これならば、ドビエルが全力でブラストを使っても本部を破壊する事はない。

 お膳立ては整った。苦渋の決断を強いられ、斜めに傾いた通路で黒面の羊と向き合い、銃を上げて眉間に狙いを定めたドビ

エルは、

「……………っ!」

 それでも、トリガーを引く事ができない。

 黒面の羊は、昆虫の脚のような物が無数に生えた足をジャリジャリと床に擦り、前進する。

 そのどんよりと濁った目がドビエルを映したまま、数度瞬きした。

「…貴方は…?」

 灰色熊は唸った。異形の存在と化した同僚が立ち止まり、両手を左右に大きく広げた事で。

 不揃いな乱杭歯が生えた口がもごもごと動く。濁った瞳の奥で、微かに意思の光りが瞬く。

(撃て)

 黒面の羊の意思を感じ取ったドビエルは、牙を噛み締めた。

 いっそ意識が無ければ、いくらかは楽だったはずなのに、と…。

 そしてドビエルは一度目を閉じ、ゆっくりと開ける。

 灰色の燐光を強く発するその瞳には、蒼い六芒星がうっすらと浮かんでいた。

 全身を覆うブラストが流れるように尾を引いて銃に集まり、シリンダーに入り込む。そして銃口の中で灰色の光が明滅し始

め、徐々に光度を増して行く。

「サマエル…。貴方は、立派なワールドセーバーでした…」

 ドビエルの言葉に反応し、サマエルの濁った瞳に微かな喜色が浮かんだ。

 最後の最後で彼は知った。ドビエルが自分を認めていた事を。

 その直後、コルトグリズリーが灰色の弾丸を吐き出した。

 灰色に明滅するその弾丸は、サマエルの胸に着弾するなり輪郭を失い、球体状に拡大する。

 即座に翼を形成し、後方へ離脱したドビエルの両目に、直径200メートル程にまで拡大した球体がキュボッと音を立てて

縮小し、削り取るように本部の残骸ごと同僚を消し去る光景が焼き付けられた。

「…サマエル…」

 瞑目したドビエルの呟きは、海上遙か高みを駆ける風に吹き消された。



 灰色と青の帯が足下を駆け抜け、ふくらはぎに切り付けられた北極熊がよろめく。

「今です!」

 空に両脚を踏ん張ったバザールが叫び、アスモデウスは頭上に差し上げた右手を振り下ろした。

 直後、体を折って前屈みになったアル・シャイターンの上に発生した無数の矢が、その背中目がけて一連なりになって駆け

下る。

 黒い稲妻の如く殺到した矢が連続して北極熊に背に突き刺さり、勢いで下へ押しやり、次いで連続爆破される。

 漆黒の炎が宙に咲き、白い巨体が飲み込まれるが、その中からは相変わらず苦鳴が響いてくる。

「ど、どれだけやったら…、機能停止するですか…!?」

(先は見えない。が、徐々に弱っている事は確かだ)

 焦るバザールに彼女の中のスィフィルが応じる。

 こちらは一撃貰えばそれでおしまいだが、向こうはどれだけ叩いても倒れない。緊張を強いられ続ける精神的な負担は大き

かった。

「気を抜くな!」

 黒獅子が発した警告の声にハッとしたバザールに、内からスィフィルが言語ではなくダイレクトな感覚で告げる。右へ回避

せよ、と。

 黒炎を裂いて飛び出した北極熊の右腕が、バザールの残像を掻き殴る。

「っく!」

 飛び退きながら草刈鎌を立て続けに放るバザール。しかしこれらは身を捻ったアル・シャイターンに回避され、距離を止め

られてしまう。

(バザール!)

 自分の中で叫んだスィフィルの意図を察し、バザールは銃を抜いた。そして立て続けに放たれたのは、ザバーニーヤの力が

結晶化された清掃の弾丸。

「るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 漆黒の弾丸が迫る前で、アル・シャイターンが吼える。固着が甘かった弾丸は残らず砕け散った。が、その間にかわされた

草刈鎌二丁が、スィフィルの遠隔制御によってブーメランのように弧を描き、背後から北極熊の背に突き刺さる。

「るあっ!?」

 背後からの強襲に振り返った直後、アル・シャイターンの頭へ、真上から黒い何かが落ちた。

 ゴガァッと重々しい音を立てて北極熊を上から叩き潰しにかかったのは、幅4メートル、高さもそれと同等の、オーソドッ

クスな形状の錨であった。

 北極熊の頭上へ空間跳躍し、しがみつく形で錨と共に落下して強襲を仕掛けたのは、休憩によって幾分力を取り戻したネビ

ロス。

「よし!退け!」

 アスモデウスの声が轟き、バザールが、ネビロスが、瞬時に離脱する。

 錨の落下に押されて降下して行くアル・シャイターンの周囲を、ここまでで最大数の矢が全方位から取り囲んだ。

 白い巨体が見えなくなるほど密集生成され、包囲した矢が、錨に押さえ込まれたアル・シャイターンに殺到する。

 最大規模の爆炎が生じ、ダミー空間に細かな亀裂が走る。

「これならば、多少は堪えただろう…!」

 肩で息をするアスモデウスの鬣が、色を薄めて灰色になっていた。

 たたみ掛け続けている間は、ペースを握っていられる。今の状況では攻撃こそが最大の防御となっていた。

 だが、アスモデウスの力の枯渇は深刻で、既に余力は半分を切っている。それでもなおアル・シャイターンを機能停止に追

い込むにはダメージが足りていない。

(執行人共とミカールの力を一部吸収しただけでこれか…。下手に我らが吸収されては、さらに手がつけられなくなる…)

 命と引き替えに…などという手段は簡単には取れない。一つ間違えば捕食され、相手の力を増幅させる事になる。

 爆炎の中から白い巨体が飛び出し、炯々と光る目でアスモデウスを、バザールを、ネビロスを睨む。

 確かに消耗はしているが、このペースでは先に自分が倒れるだろうと、アスモデウスは確信している。

 そして、業を煮やしたのか、アル・シャイターンは両腕を左右に広げ、光球を生み出した。

 しかしそれは普通の光球ではない。ミカールを消滅させ、スィフィルの体を大破させた、特大光球だった。

「そ、そんな…!二つも…!?」

 戦くバザールの中でスィフィルが叫び、銃の中にザバーニーヤの力を集中させ、弾丸を充填する。

(発射を阻止するぞバザール!一度放たれたら止めるのは骨だ!)

「は、はいっ!」

 バザールが銃を構えて発砲し、

「うう…!ううううううっ…、がぁっ!」

 ネビロスが両手に銛を生み出し、続けざまに投擲する。

 しかし、それらが胸に炸裂したアル・シャイターンは、衝撃で多少ぐらついた物の、光球の生成を止めなかった。

 特大光球二つでは、どう贔屓目に見てもダミー空間が保たない。アスモデウスは力をかき集めて大量の矢を生み出し、右の

光球にぶつけたが、それでも拡大が遅くなっただけである。

「いま一度!」

 吼えた黒獅子がさらに大量の矢を生み出し、アルシャイターンの右腕、手首に集中して叩き付ける。

 黒炎が北極熊を飲み込み、ぼすっと音を立てて手首から先が消失した。同時に光球が炸裂し、一同は爆発の余波で弾かれる。

 そして光が収まれば、そこには完成間際の特大光球を左手で支えるアル・シャイターンの姿。

 もう阻止は間に合わない。そう判断したアスモデウスは残る力の全てを振り絞って矢を射出し、光球と相殺する事に決める。

 戦えなくなるが、今これを止めなければ全てが終わってしまうのだから。

 覚悟を決めた黒獅子が、右腕を前に翳し、力を振り絞りにかかる。

 が、そこで異変が起こった。

「あれ…?」

 バザールがきょとんとする。自分の周囲に浮かんでいる物を見回して。

「なんだ…?これ…」

 ネビロスが呻く。辺りに突如出現した黒い球体を目の当たりにして。

「こ、これは…!?」

 アスモデウスが驚く。白い円を持つ無数の黒い球体…、その正体を察して。

 ダミー空間内部には、何千という球体が浮遊している。

 いつの間にか、忽然と湧き出るように出現したそれは、白い瞳孔を持つ眼球のようにも見えた。

 そして三者の視線が、海面に立つ白い影に向けられる。

 黒い革のつなぎを纏い、胸元を大きく開けて白い胸を晒し、光球を携えた白き災厄を見上げるその雌豹は、

「サウザンアイズ、包囲完了。解析終了。ヴォイドフェイカー放射準備…完了」

 すっと手を上げ、アル・シャイターンの光球を指し示した。

「放て!」

 号令が下ると同時に、何千という球体の白い円から、アル・シャイターンの光球目がけて光線が注がれる。すると、光球は

みるみる収縮し、やがて消滅した。

「るぁおっ?」

 アル・シャイターンが呻く。彼には今、白い雌豹とその行動が認識できない。故に自分の光球が何故消えたのかも判らない。

 アズライルの固有能力…ヴォイドフェイカーと名付けられたそれは、端的に現せば自身のエネルギーの性質変化能力である。

 どのような特性を持つエネルギーだろうと、どのような構造の物質だろうと、いかなる現象であろうと、たちどころに無数

の「眼」で性質を看破し、真逆の性質を持つものを拵えて相殺する。

「アズライル…さん…?」

 バザールが呆然と呟く。しかし彼女の目に映るその女性は黒豹の友人とは被毛の色が違い、顔立ちも少々異なり、鋭さが消

えて理知的な柔らかさが窺えた。

(まさか…)

 バザールの中でスィフィルが呻き、その推測がそのまま宿主へも伝わる。

「そ、それじゃあ、あれは…!」

 バザールの声に驚愕の色が混じり、見下ろすアスモデウスが呻いた。

「復元したというのか…?一度消滅したにもかかわらず…!」

 ワールドセーバーアズライルは、愛しい男の成れの果てを見上げ、哀しげに目を細めた。

「…貴方はもう…、私を認識する事もないのね…」

 自身を存在させ続ける為にイブリースが引き起こした災厄。それを目の当たりにする彼女の心境は複雑だった。

 だが、彼の想いはどうあれ、それを見過ごす事はできない。アズライルは首を巡らせ、雌牛と鉄色の虎を見遣る。

 アズライルはアル・シャイターンに認識されない。つまり戦う事すらできない。

 しかも融合した後、急ごしらえのセーフモードで自身を起動した為、現状では以前のような力を発揮できない。アスモデウ

ス達と共闘した所で、あと数度光球を相殺すればできる事が無くなってしまう。

 だが、彼女は今、自分の役目が何なのかを悟っていた。

 戦う為ではない。止める為ですらない。

 「その役目」を背負わされた者に、バトンを託された者に、最後の一押しを与える為に蘇ったのだ。

 かっと目を見開いたアシュターは、未だに停止状態にあるムンカルを見下ろし、焦りの声を漏らした。

「何故…!?何故再起動しないの!?」

 消耗が限界近くなっている雌牛は、何が悪いのか判らず、ムンカルの胸に手を当てた。だが、やはり起動の兆しはない。

 システムの問題は全てクリアした。ミカールが託した信じ難い品も、理論上は扱えるように調整した。

 再起動すれば、立ち上がりさえすれば、現状を打破し得るはず…。それなのに鉄色の虎は目を覚まさない。

「どうして…!」

 困惑するアシュターは、自分の横にすっと舞い降りた者に気付き、視線を上げる。そして絶句した。

「流石ねイシュタル。起動準備は完璧に整っているわ」

 アズライルはアシュターの脇に屈み、ムンカルの様子を見ながら口を開いた。そして天を仰ぎ見て声を張り上げる。

「アスモデル!ネビル!ナキール!バザール!お願い!あとほんの少しでいいから、私に時を頂戴!」

 訳が判らない。シャチまで含めて三者三様に困惑していたが、その中で、バザール内のスィフィルだけは状況をきっちり把

握していた。

(バザール。あと一踏ん張りだ!)

「え!?あ、あの…」

(彼女には策がある。我々は時を稼ぐ!)

「は、はいっ!良く判らないですけど…、食い止めれば良いんですね!?」

 一方アスモデウスは、白髪化した鬣を鬱陶しそうに腕で掻き上げ、牙を剥いて唸った。

「まさか我らの大敵と共闘する事になろうとは…!」

 だが、思い直したように言葉を切った黒獅子は、小さくかぶりを振る。

「…いや、元よりあの時の彼奴の行動も、人間を…、世界の可能性を守るための物だったのだな…」

 そしてネビロスは、初めて見るはずの雪豹に何故か懐かしさを覚えながら、小さく呟いた。

「…「ネビル」…。いまアイツはおれをそうよんだ…。どうしてアイツは、こわれるまえのおれをしってる…?」

 理解不能の現象に警戒を抱いたのか、右腕を修復しつつその場に留まっているアル・シャイターンを見据えて、黒獅子が吠

えた。

「いましばしヤツを釘付けにする!気を抜くな!」

 そしてアスモデウスの周囲に無数の矢が生じ、ネビロスの両手に二本の銛が発生し、右手に銃を握るバザールは、左手に草

刈鎌を生成する。

「お願い…。あと少しだけ持ち堪えて…」

 災厄を押し止めようとする勇士達を見上げて呟くと、アズライルはムンカルの胸に手を置いた。

「どうするつもり…?やれる事はもう全てやったのよ…」

 突然姿を現した雪豹に困惑しているが、それでも尋ねるアシュター。雪豹はほんの少し口元を緩めて応じる。

「再起動するのに足りないのは、起動エネルギーと継続処理能力…。ミカールが託した物は、ブラストと同時起動させるには

重過ぎる上に、常駐システムだから処理が重くなるわ。エネルギー供給はもうじき「来る」し、処理能力を解決する為に丁度

良い物は、私が持っているわ」

 アズライルの言葉が終わるか終わらぬかの内に、アシュターは理解した。

「まさか…!?」

「そのまさか、よ」

 アズライルは悪戯っぽく微笑むと、つなぎが北極熊の一撃で丸く抉られて露出したムンカルの胸を、指でそっとなぞってサ

インを描いた。

 その軌跡がぼんやりと発光し、虎男の胸に三文字が刻まれる。その文字は…。



 一方その頃、本部中枢付近に陣取り、壁を開けて中に腕を突っ込んだ犀は、

「よし!よしよしよし!間に合った!」

 黒面の羊が消滅した事で作成可能となった新たな認証キーで、本部システムと完全なリンクを取り戻していた。

「システムリンク100パーセント!スタンバイオーケー!」

 ハダニエルは目を閉じ、力の流れを把握する。因果管制室へと全エネルギールートを繋ぎ、そこに居るテリエルに注ぎ込む。

 下準備は整った。



「システムオールグリーン!」

「管理室より通達!総員、放出準備に移行せよ!」

 中央管理室から各所に指示が飛ぶ中、ラミエルはドアを振り返って目を丸くする。

 そこには、ずんぐりした猪に支えられて入室する黒虎の姿があった。

「ベリアル!まだ動いては…!」

「問題ない…」

 慌てるラミエルに応じると、気遣うような視線を向けて来たメオールに頷きかけ、ベリアルは自分のデスクについた。

「今踏ん張らないで、いつ踏ん張るのだ?後々まで悔やむのは御免だ」

 仕方がない。とでも言いたげにメオールが肩を竦めると、ラミエルもそれ以上は言わず、自分のデスクについた。



「集まって来おったな」

 因果管制室に陣取ったテリエルは、エネルギー供給ラインとなったコンソールが明滅して放つ光を受けて吸収、純粋な力に

転化し、頭上に掲げて広げた掌から、天井のレンズへと送り込む。

「お師匠、上手ぇ事行ぐんだべが?」

 心配そうに厳つい顔を曇らせたスパールに、猪はニヤリと笑ってやった。

「仕上げはイスラフィルじゃ、しくじりはせんよ…!」



 その時、本部内の職員も押し入った堕人も問わず、集ったワールドセーバー全員が本部の壁面などの一部に直接触れ、自身

の力を流し込んでいた。

 主張の違い。主義の相違。衝突と反発。偏見と憎悪。全てに目を瞑り、たった一つの目的の為に、彼らは力を一つにする。

 そして、集約された力は本部上層へ流れて行き…。



「…任せときな…。確実に届けてやる…!」

 本部最上層、本来ハダニエルしか立ち入れない瞑想の間で、黒い牝牛は呟いた。

 その周囲を取り囲んで円陣を組むのは、19名のザバーニーヤ。

 彼らは、その足元から、テリエルが送って遣した力を取り込み、純化し、マリクたるイスラフィルへ流し込む。

 そしてイスラフィルは、界面に干渉し、距離を無視して対象へ力を送り込む。

「それじゃあ行くよ…!曲目は、『Livin' on a Prayer』だっ!」



「ワールドセーバーアズライルは、666の制御権を放棄する。そして制御権を…」

 ムンカルの胸で発光する666の文字に手を這わせ、アズライルは目を閉じ、続けた。

「このワールドセーバーに譲渡する」

 宣誓が終わると同時に、アズライルはふっと力が抜けたような気がした。

 自分と繋がっていた重い何かが離れていった感覚…。それは、666の譲渡が滞りなく完了した証である。

 そして、鉄色の虎は目を開けた。