ゲットバッカー
まるで、課せられた責務を果たすかのように、精力的に輝く八月の太陽に熱せられ、陽炎で揺らめくアスファルト。
その上を、熱い空気を押し退けながら、一台のバイクが走っている。
片側二車線の、車の少ない道路を快調に飛ばしているのは、白と黒のツートンカラーに彩られたビッグスクーター。
やがてバイクはウインカーを上げ、ゆるゆると速度を落として車道の脇に寄る。
低く穏やかなエンジン音を響かせ、アイドリングを始めたシルバーウィングから歩道に降り立ったライダーは、目の周りと
同じ黒を基調にしたゴーグルを首まで降ろし、顎に回したベルトを外し、白地に黒で縁取りされたハーフメットを背中側に落
とすと、
「あっづぅううううっ!もぉだめぇえっ!」
声を上げつつ、ヘルメットの中で蒸れて、少しクセのついた頭をワシワシと掻き乱した。
身に着けているメッシュ生地の袖無しティーシャツは深い青。
穿いているのはそれよりもやや色が薄い膝上までのハーフパンツ。
履いているのは足首までがっちりホールドするごっついバッシュ。
普段はサンダル履きで過ごしているのだが、今はバイクの制動の為に、しっかりした造りの物を選んでいる。
バイクと同じ、白黒ツートンカラーの被毛に体を覆われたライダーは、若いジャイアントパンダである。
愛嬌のある丸顔に、目の周りを囲む黒い円。頭頂部の丸い耳も、同じく黒。
その顔にはまだあどけなさが残り、瑞々しい若さが感じられる。
肥満。そう言って差し支えない恰幅の良い体格をしているが、剥き出しの肩や腕、ふくらはぎは筋肉で丸々と盛り上がって
おり、同色の愛車と同じく、柔和ながらも力強い印象を受ける。
太ってはいるものの、全体的に涼しげに見えるのは、衣類の色彩と白と黒のボディカラーのせいであろうか。
もっとも、第三者からの印象はともかく、当の本人は訴えているとおりに、暑くて仕方がないのだが…。
アイドリングしているバイクを離れ、犬のように舌を出し、だるそうに息をしながら自販機に歩み寄ったジャイアントパン
ダは、財布を取り出して硬貨を投入する。
そして、電子音に続いてゴトンと落ちた、500ミリペットボトルの茶を取り出し口から掴み出し、もどかしげにキャップ
を捻ると、冷たい麦茶をガブガブと喉に流し込んだ。
「…っぷふぅ…」
茶が食道を流れ、胃に落ちる冷たい感触を心地良く味わって一息つくと、パンダは口元を腕で拭い、道の続く先を眺める。
パンダの名は、笹木幸太(ささきこうた)。二十歳になったばかりの大学二年生である。なお、現在大学は夏休み中。
おまけに今日はバイトも休みだったので、隣県まで足を伸ばし、趣味のラーメン店巡りに半日を費やした。
尻側に留めているベルトポーチから携帯を取り出し、時刻を確認したコータは、
(…終業時間辺りまでには、帰れそうかな…)
と心の中で呟くと、目尻に皺を寄せ、ニヘラ〜っと表情を緩めた。
(まだ月初めだし…、そんなに忙しくないはず…!)
慌ただしく、そしてもどかしそうにキーを打ち、何度も修正しながらメールを作成すると、
「空いてますようにっ…。うりゃ!」
両手で空に翳すようにして携帯を捧げ持ったコータは、親指を重ねてボタンを押し、気合いの声すら発して送信した。
「ナガサワさ〜ん。携帯鳴ってますよ〜」
午後三時の小休憩、席から離れ、冷えたアイスコーヒーをカップに注いでいたコリー犬は、同僚の女性の声に首を巡らせた。
ここは、某大手宅配業者のとある支店。
事務員達が詰める、心地良く冷房が効かされたオフィスである。
「ああ、有り難う」
カップを片手にデスクに戻ったコリーは、向かいの席の女性事務員に笑みを投げかけると、携帯を拾い上げてスライドさせた。
目を細めて画面を確認するコリーの身体は、赤みの強い茶色と白のツートンカラー。
背は高く、体付きは均整が取れ、ふさふさの被毛は毛艶が良く、美しい。
真っ白な半袖のワイシャツに薄い生地のスラックス。夏場なのでノーネクタイ。
第一ボタンを外した襟元には、特徴的なフサフサの長い毛が、マフラーのように露出している。
優しげな半垂れ耳に、聡明そうな整った顔立ちをした、人目を惹き付けるハンサムなコリー。
名は永沢義則(ながさわよしのり)という。
文面を確認しながら、口元に微かな笑みを浮かべたヨシノリに、
「もしかして、恋人からですか?」
と、先程の向かいの女性が小声で尋ねる。
周囲の女性陣もそれとなくヨシノリを見遣るが、彼女達の視線に潜む、窺うような光には、画面を見つめているコリーは気
付かない。
「ササキ君からだよ。暇なら夕食を一緒にどうだ?ってね」
職場で一番人気のコリーに笑みを浮かべさせたメールの送り主が、バイトのパンダ青年であった事が判明すると、女性陣の
緊張がすぅっと緩んだ。
フカフカモコモコムッチムチなパンダは、彼女達にとっては恋敵の範疇に入らない。
これがバイトの受付嬢からの食事を誘うメールであったならば、おそらくは完全包囲からの集中砲火で「抜け駆け禁止」の
鉄の掟を叩き込まれたはずである。
了解の旨、手早く返事を送るヨシノリに、
「ナガサワさん、ササキ君と仲良いですよね?」
と、化粧美人の同僚が声をかける。
「ん?まぁ、仲は良い方かな…」
やや歯切れの悪い返答をしたコリーに、
「友達っていうのとも、ちょっと違う感じですよねぇ?」
「後輩とか、そんな感じなのかしら?」
今年入った若手の事務員と、眼鏡にショートカットのおばさんが、それぞれ小首を傾げながら尋ねた。
「歳も少し離れているが…、弟分とか、そういう感覚かねぇ?」
それまで黙って熱い緑茶を啜っていた支店長、立派な角をした年配の鹿が、目尻に皺を寄せて微笑みながら呟く。
「弟分か…。うん。それが近いかもしれません」
頷いたコリーが浮かべる優しげな笑みに、女性陣の半分が胸を高鳴らせる。
なお、残りの半数は食い入るようにそのスマイルを凝視し、瞳孔に焼き付けている。
アイスコーヒーを啜りながらアームチェアに腰を降ろしたヨシノリは、微笑を浮かべたまま、コータの送って寄越したメー
ルを読み返した。
お疲れ様っす!
今日もかなり暑いっすねぇ…;
このくらい暑いとデブのおれにはキビシーっす…><;
きちんと水分とって、脱水症状なんかには用心して下さいよね?
おれ、今はもう帰り足っすけど、今日はちょっと遠出して、知多半島の先っちょまで行ってきました!
美味いって評判の冷やし中華食いに行ってみたんすけど、これがもう最高っす♪
で、是非ナガサワさんにも食べて貰いたくって、お土産用のセットを買って来ました!!!
それで、急でアレなんすけど、今夜とか空いてないっすかね?
生麺だから早い内に食べた方がいいし、良かったらどうかなぁって思って…
いきなりで悪いんすけど、暇なようなら連絡くださいっ><
PS・おれの方は、夕方五時半頃までには帰れると思うっすー!
コータからのメールには、恐らく海岸沿いで撮ったものであろう、海の画像が添付されていた。
南を向いて撮影したのか、全体的に光で眩しい。
太陽の光を浴びて真っ白に輝く波と、光との対比でなおさら深い青に染まった海、そして堤防と小さな灯台が写っている。
「海かぁ…。しばらく行っていないが…、海も良いなぁ…」
そうポツリと独り言を洩らしたヨシノリは、全く気付いていない。
自分の呟きに、女性陣が過剰なまでに耳をそばだてている事には。
もっとも、女性陣がいくらモーションをかけようと、その努力はおそらく実を結ばない。
このコリーが彼女達になびく確率は、客観的に見てほぼゼロ…。
なぜならば、ヨシノリは生まれてこの方女性に興味のきの字も持った事の無い、生粋のゲイだからである。
「うん。これはいける!」
ちゅるるっと冷えた麺を啜ったヨシノリは、柔らかい笑みを浮かべた。
向かい側でずぞぞぞっと豪快に麺を啜っていたコータは、ニヘラ〜っと顔を緩ませる。
「この特製ゴマダレがかなり良い。うん。美味い!」
「でへへ〜!気に入って貰えたなら嬉しいっす!」
心底嬉しそうに言うコータに、ヨシノリは笑みを深くした。
ここはコータが一人住まいしているアパート。そのリビングである。
職務を終えたヨシノリは、予定時間通りに帰宅していたコータに連絡を入れると、手土産を買って訪問した。
なお、土産の中身はデザート用の杏仁豆腐と、アイスココアを買い置きも含めてパックで五本。いずれもコータの好物である。
良かれと思えば突っ走るような、やや強引な所もあるものの、ヨシノリは、周囲への気配りはいかなる時も忘れない。
細かい事にも良く気が付く。…にもかかわらず、自分に寄せられる想いには、全く気付けていないのであるが…。
「ところで、この間紹介した猿渡(さわたり)君、どうだった?」
「え?あ〜、ん〜…」
コリーの問い掛けに、パンダは視線を少し上に向け、紹介して貰ったゲイ仲間の事を思い出した。
丸い、そして分厚い眼鏡をかけた、黒毛に赤顔の猿獣人は、コータの四つ上、有名医大の院生であった。
穏やかな物腰、理知的な口調、豊富な知識。
幅広い見識に支えられ、やや歳が違うコータの年代の話題にも実に詳しかった。…のだが…。
「…サワタリさん…、アニメ好きなんすかね…?」
「うん。アニメと言っても、何て言うんだ?ロボット系専門?結構古いのが好きらしい」
ヨシノリによって半ば強引にセッティングされてしまったデートにより、コータはその事を思い知った。
ふとした弾みで少し古いロボットアニメの話題が出た瞬間から、猿獣人は目をらんらんと輝かせ、そのアニメについてとう
とうと話し始めた。
アニメそのものについて深く掘り下げ、熱く語るのはもちろん、監督やスタッフ、声優の事、再放送の回数や時間帯、何度
目の再放送で大ブレイクしたか、あげくはスポンサーについてまで、六時間も延々と。
途中、何度も別の話題に方向転換しようと考えたコータだったが、何かに憑かれたように喋り続ける、異様な熱を帯びた相
手の口調と目つきに気圧され、ついにできなかった。
相手の話が、登場する端役メカの詳細なスペックに至った頃、コータは明日もバイトがある事をなんとかかんとか勇気を振
り絞って告げ、切り上げる事に成功した。
夕方五時にファミレスに入り、出たのは十一時半。
強烈な疲労を覚えて帰宅し、ソファーに倒れ込んでそのまま就寝。
聞かされた話の夢を朝まで延々と繰り返し見るハメになったのは、つい一昨日の事である。
「あっちはずいぶん気に入ったらしいぞ?大概の相手にはすぐに話を中断させられるのに、ササキ君は実に熱心に耳を傾けて
くれていた。って」
「へ!?中断して貰って良かったんすかアレ!?」
思わず声を上げたコータに、ヨシノリは不思議そうな顔をした。
「ん?乗り気で聞いていた訳じゃなかったのか?三時間もの間ファミレスで話を弾ませたって聞いたから、てっきり君も興味
があったのかと…」
「いやもう全然。興味云々じゃなく、生まれる前のアニメの話だからさっぱりだったっすよ…。…それと、三時間じゃなく六
時間す…」
「…それは…凄いな…」
ヨシノリは少し顔を引き攣らせ、微妙な表情で呟く。
「なんだって途中で話を止めさせなかったんだ?」
「…や…そのぉ…凄く真剣に喋ってたから…、中断させたら怒らせちゃうかなぁって…」
「…普通は六時間と言わず、ある程度長時間、延々と一方的に話されたら、聞かされてる方は怒るものじゃないか…?」
言われてみればもっともで、パンダは困ったように頭を掻いた。
「良い人だとは…思うんすけどね…」
「うん。うっかり妙なスイッチを押さなければな。そう、押さなければだ。押すべきじゃあない」
そのスイッチを、コータは会ったその日に、知らぬままうっかり押してしまったのではあるが…。
「サワタリ君は好みのタイプだと言っていたが…。そっちはあまり乗り気じゃあなさそうだな。まぁ仕方ない」
「申し訳無いんすけど…。…って、好みのタイプ?おれが?」
頭を掻きながら謝ったコータは、意外そうにヨシノリを見つめた。
「うん。バッチリ好みだそうだ」
予想外の言葉に、コータは面食らう。が、
「なんでも、太…えぇと、ぽっちゃりしていて、子供っぽ…じゃない、若々しい年下の子が好みらしい」
「…そうすか…」
選びながら続けられたヨシノリの言葉で、項垂れながら納得した。
「まぁ今回は残念だったが、また折を見てフリーのヤツを紹介するよ」
「はぁ…」
曖昧に頷いたコータは、ヨシノリに対し、心底申し訳なく思っている。
自分に恋人を見つけてやろうと、知り合いに当たり、精力的に動き、色々と世話を焼いて貰っている。
それなのに、他の誰でもない自分自身が、まだ決心しかねている事に…。
「それはそうと、海はどうだった?しばらく行っていないから、貰ったメールで久々に見た気がする」
やや俯き加減になっていたコータは、ヨシノリの声に耳をピクッと動かし、顔を上げた。
「ナガサワさん、海、好きっすか?」
「うん。好きだ。海は良いなぁ」
微笑みながら応じたヨシノリの顔を見つめ、コータは幸せそうににへら〜っと、弛んだ笑みを浮かべる。
(…あ。そうだ…!)
想い人の笑顔で蕩けそうになる思考を引き締め、コータは頭を働かせた。
「あ、あのぉ。おれも、今年海行ってないんすよ…。今日も眺めて来ただけだったし…」
コータは上目遣いにヨシノリを見ながら、もじもじと続ける。
「そ、そのぉ…。盆に入ったら行き辛くなるし…。もし、良かったら、一緒にぃ…とか…」「ははは。何も俺みたいなおじさ
んじゃなく、友達を誘えば良いじゃないか?」
「え!?えぇと!その!おれっ!あ、そうだ!友達、あんまり居ない…っす…か…ら…」
ここでさらっと流されては堪らない。焦ってそう応じたコータは、誤魔化すつもりが割と事実だった事に思い至り、がくっ
と肩を落とす。
(ほんとに友達居ないんだよな、おれ…。二年にもなって…)
自虐的誤魔化しは、しかし功を奏したようで、ヨシノリは気の毒そうな表情を浮かべ、
「…俺で良ければ、一緒に行こうか…?」
などと、コータの顔色を窺いながら控えめに言い出した。
「は、ははははいぃっ!ぜひっ!」
がばっと顔を起こし、キラキラした目で自分を見つめて来るコータに、ヨシノリは優しく微笑んだ。
慈愛に満ちたその表情の下で、しかしヨシノリは、
(俺が一緒に行くっていうだけでこんなに喜ぶとは…、よほど寂しかったんだろうなぁ。これは、俺が一層頑張って、早い所
ピッタリなお相手を見つけてやらないと…!)
と、コータの本心には未だ気付かず、的外れな事を考えて決意を新たにしていた…。
「そうだ。せっかくだから一泊で行こうか?幸いにも今年は夏季休暇をあまり取っていないから、随分と余っているし、そっ
ちもまだ休みは長いんだろう?」
「え?えぇ、まだまだ休みっすけど…。え?え?ほんとに、ほんとに良いんすか!?」
期待に目を輝かせるコータに頷き、
「良し、善は急げだ!さっそく明日にでもお互いスケジュールを確認して、休みを合わせよう。なぁに、まだ月初めだから休
暇は問題無く取れるはずだ!」
「やたっ!お、おれさっそくシフト確認して、準備するっすぅ!」
楽しい小旅行に期待を膨らませ、コータは満面の笑みを浮かべた。
ヨシノリが帰った後、コータは風呂に入りながら考えた。
少し狭い湯船に浸かり、天井を見上げてぽつりと呟く。
「…そっか…サワタリさん、デブ専だったのかぁ…」
視線を落としたパンダは、湯越しに見える自分の腹を、むにっと掴んでみた。
毛皮の下には、むちっと詰まった皮下脂肪。
(ラグビーやってた頃は、もう少し締まった身体だったのに…)
…と、コータは思っているが、過ぎ去った日々とは往々にして美化されがちな物。
体重は増えたが身長も少し伸びており、縦横比など、体型そのものはあまり変わっていない。元々がこの体型である。
(…ナガサワさんは…どういうのが好みなんだろ…)
少なくとも、自分はタイプではないだろうと思いながら、コータは「ほふぅ…」と、切なげに息を吐く。
言い出せないでいるものの、コータが想いを寄せているのは他でもない、自分の為に世話をやき、恋人を見つけてやろうと
やる気満々になっている、ヨシノリ本人である。
想い人に「彼なんかどうだ?良いやつだぞ?」等と勧められるのは、なかなかに切なかったりもする。
(でも、これはチャンスだ…!)
コータは湯船の中で拳を握り締めた。
(二人っきりの旅行…。青い海と夏の日差し…。飛び散る汗とか色々っ!…そして夜は波の音を聞きながら…。聞きながら…
えぇと…?)
途中まではノリノリで想像を膨らませたが、悲しきかなコータには恋愛経験が無い。
イメージの中で、夜の浜辺に二人で出かけた辺りからどうするべきか判らなくなり、想像は途中で途切れた。
(…よ、予習しとこう…。イメトレも…)
ジャイアントパンダはチャポっと、目の下まで湯船に沈み、ブクブクと泡を立てながら、イメージトレーニングを開始した。
翌日、コータと日程を合わせ、休暇の申請を出したヨシノリは、支店長である年配の鹿獣人に呼ばれ、二人で会議室に入った。
「何か、皆に聞かれたくない話ですか?」
「そういう訳じゃ無いんだけれどねぇ…。まぁ一応、まだ伏せた話にはなるかな」
会議用の大きなテーブルに向かい合って腰を下すと、支店長は歯切れ悪くヨシノリの問いに応じた。
「本社の方で、経理主任が急遽退職する事になったそうだ」
支店長は組んだ手の上に顎を乗せ、ヨシノリの顔を伺うようにして続ける。
「それで本社の方から…、ナガサワ君、君を後釜に据えたいと要望が来てね」
「私を…、ですか?」
ヨシノリは目を丸くする。
「君の仕事は速いし丁寧だ。本社の人事担当がそれを見込んで、この話を持ちかけてきたんだよ」
本社勤めとなれば、待遇も大きく変わる。願っても居ないチャンスであった。が…。
(…この街を離れて…、首都に…?)
数年前であれば、一も二も無く飛びついたであろう栄転の話に、しかしヨシノリは返事を躊躇った。
何人かの顔が脳裏を過ぎり、ヨシノリは俯く。
自分を慕ってくれるバイトの青年。親しい友人達。同じ想いを味わった親友。そしてかつての恋人…。
「…少し、時間を頂けませんか?整理したい事が…あるので…」
少し堅いヨシノリの声に、支店長はゆっくりと頷いた。
閑静な住宅街の奥まった場所に、その古びたアパートは建っている。
ヨシノリは階段を登り、二階通路に立ち、とある部屋のチャイムを鳴らす。
ポーン…という、間の抜けた、掠れた音が鳴ると、ドアの向こうから、
「はい〜。今開けますよぉ…」
と、間延びした声が返って来る。
ドアを押し開け、中から顔を覗かせたのは、大柄な、かなり太った虎。
虎獣人はトランクスにタンクトップという、なんともラフないでたちであった。
胸の辺りに汗の染みが浮いたタンクトップは、でっぷりした太鼓腹ではち切れんばかりに引き伸ばされており、今まで寝て
いたのか、頭や肩の毛があちこち跳ね、太い縞々の尻尾は毛がぼさぼさになって、なおさら太くなっている。
太い鼻梁に乗せた眼鏡の奥から、眠たげに細められた目が、コリーの顔を見つめた。
「悪いな。急に訪ねて…」
「いやぁ、構わないぞぉ。どうせ暇だったからなぁ」
虎らしさが全く見られない、弛んだ身体と顔つきをした虎獣人、寅大(とらひろし)は、間延びした太い声で答えながら、
細い目をなお細めて笑みを浮かべた。
「どうしたんだぁ?なんだか元気がないみたいだが…」
座卓を挟んで向かい合ったヨシノリに、ヒロは眉根を寄せながら尋ねる。
二人の付き合いは長い。顔色の優れないコリーが、腹に何か抱えている事ぐらい、ヒロにはすぐに判る。
「もしかして、またササキの事か?」
「いや、ササキ君は問題ない。なかなか彼氏を見つけてやれないが、彼自身は全く問題ない」
元担任であるヒロに心配をかけてはいけないと、慌ててそう応じてから、ヨシノリはふと、優しげな笑みを浮かべた。
「最近では随分明るく、積極的になった…。驚いたよ。あれが元のササキ君なんだな…」
「そうかぁ、ササキは取り戻せたんだな、昔の自分を」
目をほとんど瞑るようにして笑いながら、ヒロは缶ビールをぐいっと煽った。
「ははは。きっと、あんたのおかげなんだろうなぁ」
「違うさ。自分で自分を、取り戻せたんだろう…」
ヨシノリは嬉しそうに笑った親友にそう応じると、僅かに目を伏せた。
「…栄転の…、話が出た…」
「それは…、おめでとう!」
ヒロは少し驚いたように目を丸くし、それから微笑んだが、ヨシノリは「ふぅ…」とため息をつく。
「首都の本社だ。昔なら、間違い無く二つ返事で飛びついてたな…。あいつを連れて、二人で…」
ヨシノリは微妙な半笑いを浮かべて続ける。
「…最近じゃ、首都の獣人差別はエスカレートしてると聞く…。これから五年…、十年経って…、それでも首都は俺達獣人が
住める場所なのか?そう考えた時、不安にもなる」
少し寂しげに目を伏せると、コリーは肩を小さく震わせ、自嘲気味に笑った。
「はは…。もっとも、今となっては俺一人で行くんだ。今更連れの心配なんか要らないんだけれどな…」
「………」
ヒロはしばらくの間、無言のまま、かつての先輩の顔をじっと見つめる、それからゆっくり言葉を吐き出した。
「ヨシノリさん…。何か、心残りがあるんだな?」
ヨシノリはしばらく黙った後、首を縦に振った。
「頼みがある…。最後に…、守らなきゃならない、約束があるんだ…」
ヒロはたるんだ顎の下に手を入れてごしごし擦ると、ゆっくりと、大きく頷いた。
丸みを帯びたフォルムの、小さく可愛らしいライトイエローの軽自動車が、路肩によって止まる。
アパートの前で待っていたコータは、運転席にコリーの姿を認めると、満面の笑みを浮かべて助手席のドアに駆け寄った。
「おはよう」
「おはようございます!これ、ナガサワさんの車っすか?」
「いや、実は借り物でね」
当初は、自分のバイクを出し、ヨシノリを後ろに乗せて行きたいと、コータは希望した。
が、それでは疲れるだろうとヨシノリは断り、車を用意したのである。
(疲れたりなんかしないのに…。ナガサワさんを乗っけてなら、地の果てまでだって平気…!)
とは思っていたのだが、
(でもまぁ…。こういう小さい車でなら、二人旅も悪く無いかなぁ…?)
などと、黄色い軽を見回したコータは考えを改める。
(運転してるナガサワさんに、「はい、あ〜ん!」とか、菓子食べさせてあげたりしてっ…!)
「どうかしたのかササキ君?何だか、息が上がってるぞ?」
想像だけでやや興奮気味になっていたコータは、怪訝そうなヨシノリの問いかけで我に返ると、
「うぇ!?い、いや何でもないっす!今日も暑いっすねぇ!なはははっ!」
誤魔化し笑いをしながら手荷物を後部座席に押し込み、いそいそと助手席に乗り込んだ。
「それじゃあ、出発!忘れ物とか大丈夫かい?」
「うす!」
二人を乗せた車は、市道を南へと走り出す。
(…最後だからな…。楽しんでくれると良いんだが…)
ヨシノリはそんな事を考えながら、コータが携帯で写した、青い海を目指した。
「さぁ、着いたぞ」
「お疲れ様っす〜!」
ヨシノリが、砂利が敷かれた駐車場に車を停めると、コータは笑みを浮かべてシートベルトを外した。
「どこも予約でいっぱいで、結局民宿になってしまったが、ここ、料理は美味いんだ」
「贅沢は言わないっすよぅ!おれが急に言い出した事なんすから!えぇと、民宿、うみご…き…?」
窓の外へ視線を向け、民宿の看板を見たパンダの笑顔が凍り付いた。
(うみごき…?え!?海ゴキ!?ふなむし!?)
色褪せた看板の向こうに目を遣れば、これまた色あせた赤いトタン屋根の、一見普通の民家。
「外観はいまひとつだが、中は結構立派なんだ。まぁ、前回来たのはしばらく前なんだが」
「は、はぁ…」
コータはあからさまに不安げな表情で生返事をすると、ヨシノリに倣って荷物を降ろし始めた。
(へ、部屋…、どんな感じかなぁ…。ムードうんぬん以前に、幽霊でも出そうな部屋だったりして…)
そんなパンダの様子を見遣りながら、
(どうしたんだろう、今日のササキ君…。車の中でも少々様子がおかしかったが…)
コータが挙動不審なのは密閉空間に自分と二人きり、プラス今夜一晩一緒に過ごす事への期待と興奮からだという事には全
く気付かず、ヨシノリは不思議そうに首を傾げた。
荷物を部屋に運んだコータは、口をポカンと開け、目をまん丸にした。
「騙された…!」
二人が宿泊することになる、民宿二階にある十四畳の日本間は、大きな窓から海が一望できた。
部屋の中央には茶のセットが置かれた立派な黒塗りのテーブル。
床の間には掛け軸と青銅の鷲の置物が飾られ、窓の傍には背もたれつきのアームチェアと小さなテーブルがセットされている。
壁紙も襖も真新しく、木目の浮いた柱もピカピカに磨き上げられていた。
「最近リフォームしたらしい。先に内側だけ」
「なるほど納得っす。…侮ってゴメンふなむし…」
簡素ながらも清潔で過ごしやすそうな部屋を見回し、コータは誰にとも無くぼそっと詫びる。
そして部屋の隅に荷物を降ろし、窓際に歩み寄ると、目を細めて景色を眺めた。
晴れ渡った空には、白く大きな入道雲。
さんさんと降り注ぐ日の光に照らされ、青々と輝く海。
前に広い砂利敷きの駐車場を構えた民宿からは、片側一車線の細い道路と、防風林と堤防を越えれば、すぐに砂浜に辿り着く。
(文句なし、バッチリぃっ!)
海水浴客の歓声と波の音に聞き惚れながら、コータはガッツポーズを取った。
その横に並んだヨシノリは、窓から吹き込む風に豊かなフサフサの被毛をなぶらせ、潮の匂いを嗅ぐ。
「波も穏やかだし、海も濁っていない…。良い具合だな」
「そうっすねぇ!」
「本当に久し振りだ…。前に来た時は…」
前回ここへ来た時の事を思い出し、ヨシノリは言葉を切った。
「前に来た時は、どうだったんすか?」
すこぶる機嫌良く、無邪気に尋ねたコータに、
「生憎…、天気が悪かった…」
コリーは内心を悟られないよう、笑みを作って答えた。少し固いものにはなってしまったが。
膝上までのハーフパンツタイプの海パンを履き、水色の半袖ティーシャツを身に着け、ビーチサンダルをつっかけたコータ
は、民宿の玄関先でヨシノリを待っていた。
右脇には膨らます前の浮輪を挟み、右手に大きなクーラーボックスを持っている。
左脇には丸めたシート。そちらの手にはビーチパラソル。
「まだっすかぁ〜?」
玄関を覗き込んだコータに、準備を終えて出てきたヨシノリは、
「悪い。お待たせ」
と、救命胴衣の襟を正しながら応じる。
コータは口をポカンと開け、ヨシノリの姿をまじまじと見つめた。
半袖のシャツの上に、オレンジの救命胴衣。
軍手を嵌めた右手には、伸縮式の釣竿が納められた長い袋。
左手には、仕掛けやらエサやらが入ったボックス。
頭には耳出し穴のついたツバの長いキャップ…。
「え、えぇと…?」
「いやぁ、本当に久し振りだなぁ。投げ釣り」
「………っ!?」
楽しげな笑みを浮かべるヨシノリを前に、コータは絶句した。
思えば、勝手に期待していたものの、ヨシノリは「泳ぐ」とは、一言も言ってはいなかった。
確かに、来る途中の車内で、コリーは先週数日荒れた天気と、海の濁り具合、波の事をいやに気にかけていた。
が、まさか、釣りの為にそれらを気にしていたとは、様々な事態に対応できるよう入念にイメージトレーニングしてきたコ
ータも、全く想定していなかったのである。
二人が出発しようとしたその時、玄関先に顔を出した民宿の主人、日焼けした髭面の恰幅の良い男が二人に声をかけた。
「お客さん。お出かけで?」
「はい。夕食まで時間もありますし、さっそく海へ。大物を狙ってみますよ」
ヨシノリは人好きのする柔らかい笑顔を浮かべ、主人に応じる。
漁師と民宿を兼業する髭面の主人は「そりゃ結構」と破顔すると、少し顔を曇らせ、声を潜めた。
「ところで、最近この辺りでバイクを使ったひったくりが出てましてね…。昼間は大丈夫だとは思いますが、一応気ぃつけて
下さいよ?」
「ひったくり…、ですか?」
「バイクでって…。…許せないっすね…!」
バイク好きのコータは、目を吊り上げて頬を膨らませる。
「気をつけます。もっとも、貴重品は念の為に置いて行くので、ひったくっても相手の方ががっかりするでしょうが」
冗談とも本気ともつかない、何処かとぼけているようにも見えるヨシノリの返答が可笑しかったのか、主人は声を上げて豪
快に笑った。
「それじゃあ行こうか。大物がかかると良いんだけれどなぁ!」
「うーす…」
(で、でも…。でも…。海って言ったら普通…、普通はっ…!ちくしょぉ〜っ!)
悔しさのあまり泣きそうになりながら、コータは颯爽と歩くヨシノリの後を、トボトボとついて行った。
人のまばらな海水浴場の端の方でシートを広げ、荷物を置くと、コータは少しばかりむくれながら、浮輪を膨らまし始めた。
「もしかして、泳げないのかい?」
ヨシノリの問いに、コータは首を横に振った。
「泳ぐのは結構得意っすよ。浮き輪があった方が楽しいってだけで…」
砂浜の端の防波堤に目を遣り、投げ釣りしやすそうな位置を物色し始めたヨシノリは、少し考えてからコータへ視線を戻す。
「とりあえず、泳いで来ると良い。俺は、少し竿を投げたらすぐ戻って来るから」
「え?で、でも…」
釣りを楽しみにしていたんじゃないのか?そう尋ねようとしたコータに先んじて、ヨシノリは微笑んだ。
「なに、腕は良くないんでね。長丁場になるほど、魚はかからないさ」
一泳ぎしたコータが波打ち際に上がって来ると、先に戻っていたヨシノリは、少し得意げな顔で彼を手招きした。
コータは浮輪をつけたまま、ヨシノリの傍へと砂の上を駆ける。
たっぷりと脂肪がのった胸と腹をゆさゆさ揺らし、息を切らせてどすどすと駆け寄ると、
「お?なんか釣れたんすね?」
コータは海水を湛えた折り畳み式のビクを、興味深そうに覗き込んだ。
そして、大きなクロダイを目にして「うぇっ!?」と驚愕の声を漏らす。
「下手くそでも、たまには大当たりがあるものだな。十分以上に満足したよ。食える魚だから、主人に調理を頼んでみようか?」
機嫌良さそうに笑ったヨシノリは、既に釣り道具を纏め終えていた。
「え?もう止めちゃったんすか?勿体ない…。もっともっと釣れるかも…」
「ははは!そうそうマグレは続かないさ。メッキが剥がれる前に止めておくよ」
満足気なヨシノリの笑みを見ながら、コータはパンツの後ろから出ている短い尻尾を、モコモコとせわしなく動かす。
(まぁ、これで一緒に過ごせるんだから、ナガサワさんが満足したなら不満はないけど…)
さっそく二人きりの時間を満喫しようと思ったコータは、浮輪を外すべく手をかけ、訝しげに首を捻った。
「…ん?…あ、あれ…?」
ぎゅうぎゅうと下に向かって押し下げようとするが、胸にはまっていた浮輪は、太い胴回り…、特にたっぷりと贅肉が付い
た腹を通過しない。
「どうした?」
首を傾げたヨシノリに、
「…と、とれ…なっ…!」
コータは浮輪をぎゅうぎゅうと押し下げながら、恥かしそうにぼそっと応じる。
「そんな…!ちゃんと入ったのに…!」
ヨシノリはコータの必死な顔を見つめてきょとんとした後、
「…ぷっ…!は、はははははははっ!」
腹を抱えて可笑しそうに笑い出した。
「ちょっ!?そんな爆笑しないで下さいよぉっ!」
「はは!はははははっ!い、いや悪い!なんだか可愛くて、つい…!」
目尻の笑い涙を拭いながら言ったヨシノリの言葉に、コータはピタッと動きを止めた。
(か、可愛い?え?今ナガサワさん、可愛いって言った?おれを!?)
コリーはすっくと立ち上がると、動きを止めたコータの浮輪に手を伸ばし、空気の栓を抜く。
「あ…」
ぷしゅ〜っと音を立てて空気が抜けて行く浮輪を見下ろし、それからヨシノリの顔に視線を移したコータは「でへへ…」と、
恥かしそうに頭を掻きながら苦笑する。
緩くなった浮輪をなんとか外したコータの前で、ヨシノリはなおも可笑しそうにくっくっと笑っていた。
「若いながらに貫禄のある、立派な腹をしているもんなぁ。浮輪が抜けなくなるのなんて初めて見た」
コリーは手を伸ばし、コータの真っ白な、丸くせり出した腹に手の平を当てる。
「お?結構、柔らかいんだな…」
コータはピクッと体を突っ張らせ、動きを止めた。
ヨシノリに腹を触れられるのは、恥かしく、それでいて奇妙な気持ち良さがあった。
ヨシノリがむにっと腹の肉をつまむと、それまで恥かしげに見下ろしていたコータは、
「んぁっ…!」
と、思わず小さな声を洩らす。
「あ。済まない、痛かったか?思いのほか手触りが良かったからつい…」
ヨシノリはすっと手を引き、コータに謝った。
「い、いや、平気っす!」
(って言うか…、痛いどころか…、ちょっと、気持ち良かったり…。撫でて、つままれただけなのに…)
顔が熱くなり、鼓動がドキドキと速くなる。
可愛いと言われただけで、軽く触れられただけで、コータはすっかり参ってしまっていた。
(あ〜…。おれ、やっぱりナガサワさんに…、本気で惚れちゃってるんだなぁ…)
火照った顔にぼーっとした表情を浮かべているコータに、ヨシノリは笑みを浮かべ、クーラーボックスから取り出したばか
りの、良く冷えている麦茶のペットボトルを差し出す。
「あ、どもっす…」
礼を言ってボトルを受け取ったコータは、シートに座って自分の分の茶を取り出しているヨシノリの横へ、尻をぱっぱっと
払って腰を下ろす。
(こうやってると…、もしかして、もう恋人同士っぽい?)
そんな事を思い、幸せそうな笑みを浮かべているパンダの横顔に視線を向けると、
「………」
ヨシノリは隣のコータが全く気付かないほど、ほんの僅かに表情を曇らせた。
前回ここへ来た時、隣に座っていた人物の事を思い出して…。
「どうかしたんすか?」
ヨシノリがしばらく黙っていると、コータが横からその顔を覗きこむ。
「…いや…。ずいぶん久しぶりだ…。良いな、こういうのも…」
笑みを浮かべてそう応じると、ヨシノリは立ち上がり、シートから砂の上へと足を踏み出した。
「さて、久し振りの海だ。波に足でもくすぐられてみるかな?」
「あ、おれも行くっすぅ!」
二人は砂の上を並んで歩き、波打ち際へと向かう。
傾きを大きくしつつある太陽が、連れ立って歩く二人の影を引き伸ばし、重ね合わせていた。
夕暮れが近くなると海風が強くなってきたので、二人は荷物を纏めて民宿へ引き上げた。
シャワーを浴びて砂と塩を落とし、着替えたコータは、急いでサンダルをつっかけ、民宿の庭先で待っていたヨシノリに駆
け寄る。
「おまたせでっす!」
「よし、行こうか」
「土産って…、この辺だと何が名物っすかね?」
「干物類が豊富らしいなぁ」
夕食までにまだ少し時間があったので、先に土産物を見て回る事にした二人は、連れ立って乾物店へ向かう。
交通量の少ない車道脇、石畳の歩道の上を、他愛ない会話をしながらのんびりと歩く
二人が防風林沿いに曲がる緩やかなカーブに差し掛かったその時、二人の後ろから、静かなエンジン音が近付いてゆく。
エンジン音に気付き、何気なく振り向いたヨシノリは、右手に軽い衝撃を受け、「あっ!」と声を上げた。
ヨシノリの手からハンドバッグがひったくられたのは、スクーターが二人を追い抜く瞬間の、ほんの一瞬の出来事だった。
声を上げて驚く以外に反応らしい反応もできず、あっさりとバッグをもぎ取られてしまったヨシノリの横で、白黒の丸い身
体がすっと、素早く沈み込む。
コリーとは対照的に、コータの反応は速かった。
ぐっと身を屈めた状態から、太い足で路面のタイルを蹴り、白黒の太った体が素早く飛び出す。
ずんぐり太った体に似つかわしくない、綺麗なスタートを切ったコータは、バッグをひったくる為に速度を落とし、そして
今正に再加速しようとしているスクーターに追い縋る。
ラグビー、それもスクラムの要を任される程に鍛え込まれた強靭な足腰は、体力仕事となるバイトを続けてきた事もあり、
引退から丸二年経過した今もなお、さして衰えてはいなかった。
スクーターのスピードが乗り始め、距離が離される寸前の絶妙のタイミングで、コータはヘッドスライディングでもするよ
うに、腕を伸ばしながら前へ飛び込む。
伸ばした右手の中指から小指までが、ひったくりの左手に下がっていたハンドバッグの、丁度ベルトの部分に引っかかった。
グッと握り込まれたコータの手で、ハンドバッグはひったくりの手からもぎ取られる。
コータは左腕で顔を庇うようにしながら、肩口から石畳に落ち、勢い余って路面を前に二回転する。そして、
「え”う”っ!?」
ごぉ〜ん、という重々しい金属音と共に、歩道と車道を仕切る鉄製の柵に突っ込んだ。
運悪く柵が両脚の間をすり抜け、不幸にも股間から…。
「んおっ…!お…、おごおおおおおぉぉぉっ…!!!」
コータは横に転げてうつ伏せになると、顎を地面につけ、両手で股間を押さえ、尻を上げた状態で悶絶する。
ひったくりは驚いたように振り返り、一瞬バランスを崩すと、「くそっ!」と悪態をつき、そのまま走り去った。
「さ、ササキ君!?」
一瞬の出来事に呆然と立ち竦んだヨシノリは、我に返ってコータに駆け寄った。
そして、涙目になって苦悶の声を上げ続けているパンダの脇に屈み込むと、その腰を上からトントンと軽く叩き始める。
「大丈夫か!?」
「お、おふっ…!おぅっ、お、おぉおおぉおぉおぉうっ…!」
涙目のまま、半開きにした口から声を洩らしながら、コータは体の下からプルプルと震える右腕を引っこ抜き、ひったくり
から見事取り返したバッグを、ヨシノリの前に置いた。
再び腕を引っ込め、股間を押さえたコータの腰を叩きながら、ヨシノリはバッグに目を遣る。そして、
「無茶をして…!大怪我でもしたらどうするつもりだ!」
目を吊り上げ、口元を歪め、コータを怒鳴りつけた。
「だ、だっ…てぇ…、バッグ…」
喘いでいるコータに、ヨシノリは憤慨しながら続ける。
「バッグなんてどうでもいい!君の体の方がよほど大事だろう!」
「…んぅ…」
痛みからではなく、別の理由で泣きそうに顔を歪めたコータを見下ろし、ヨシノリはハッとしたように目を見開いた。
「…済まない、言い過ぎた…。有り難う…」
思わず声を荒げてしまった事を反省しつつ、ヨシノリはコータの腰の後ろを撫でる。
「体を張って取り返してくれたのにな…。俺ときたら…。悪かった…」
哀しげに目を伏せたヨシノリを見つめ、コータは地面に手を着き、のろのろと体を起こす。
「無理はするなよ?大丈夫か?立てそうか?」
「…ちゃ…、ちゃんと勃つか…、後で試しとかないと…」
コータのか細い呟きは、ヨシノリには聞き取れなかった。
「潰れたりしてないか?」
「だ、大丈夫っす…。だいぶ…、め、めり込んだっすけど…」
ヨシノリの肩を借りて立ち上がると、コータは前屈みの姿勢で息を整える。
バッグを拾い上げ、埃を払おうとしたヨシノリは、叩こうとした手をピタリと止め、少し目を見開いてバッグを見つめた。
コータが指をかけたベルトは、根本から千切れ、光沢が美しかった革は、擦れて大きなすり傷がついている。
さらに、強引に引っ張られたせいか、バッグの口が大きく、サイドの縫い目に沿って裂けてしまっていた。
「…あ…?」
ヨシノリの手に戻ったバッグの状態に気付いたコータは、目を見開いて絶句した。そして耳を伏せ、項垂れる。
「す、済んません…。おれ、取り返すのに夢中で…、バッグを…!」
「…いや、良いんだ。戻って来ただけで有り難い」
微笑んだコリーに、しかしコータは目に涙を溜めながら頭を下げた。
「だ、だって…、そのバッグ、ナガサワさん、凄く大事にしてたじゃないすか…。いつも傍に置いてて…」
ヨシノリは僅かに眉を上げ、項垂れたコータを見つめる。
(…驚いた。見ているものだな…。…いや、俺の女々しさがそれだけ表に出ているって事なのか…)
長い事愛用してきたバッグに視線を戻し、ヨシノリは微苦笑する。
そして、項垂れているパンダの頭に手を乗せて、くしゃくしゃっと撫でた。
「気にしないでくれ。本当に、有り難う…」
優しく、そしてゆっくりと告げられた労りと感謝の言葉に、コータは顔を上げる。
涙で滲んだコータの目には、何故かヨシノリの顔は、泣き笑いの顔に見えていた。
大丈夫だと言い張るコータの手を引き、ヨシノリは半ば強引に民宿へ引き返した。
実際、言葉とは裏腹にコータはやや前屈みのガニ股歩きで、そのまま買い物に行くのはあまりにも酷に見えたのである。
「と、とりあえず…、潰れてはなかったっす…」
トイレで息子の無事を確認すると、コータはすぐ外で待っていたヨシノリにそう告げた。
下腹部の鈍痛がなかなか引かず、いまもまだやや前屈みの状態である。
「あまり長く痛みが続くなら、無理せず言うんだぞ?病院に連れて行くから…」
気遣うように寄り添い、背中から腰にかけて、そっと優しく撫でてやりながら、ヨシノリはコータを連れて部屋へと引き返す。
その途中で、主人と顔をあわせると、
「忠告いただいたひったくりと、遭遇しました」
ヨシノリはさらりとそう告げた。
目を見開き、驚いている主人に、ヨシノリはコータの背をさすってやりながら続ける。
「人間で、歳は二十代半ばから後半。身長は168センチ程度。後ろ半分がメッシュの濃い青の帽子をかぶり、同色のタンク
トップ、ベージュの膝下までのハーフパンツを穿いていました。タンクトップの左胸にはマークがあって…」
ひったくり犯の特徴をすらすらと口にするヨシノリに向けられた、主人とコータの目が揃って丸くなる。
「…ササキ君。よくバイクに乗る時に履いている…、一昨日もバイトに履いて来ていたシューズのメーカーは?」
「え?一昨日だと…」
コータが戸惑いながらメーカー名を答えると、ヨシノリは主人にそのメーカー名の、濃紺のバッシュを履いていた事を加え
て説明した。
「ハーフメットを被っていたので髪型は判りませんが、毛先は茶、根本に行くほど黒くなっています。横顔もちらりと見えた
だけですが、やや垂れ目で、左目の下に泣きぼくろがあり、細面です。眉はかなり薄かったのを覚えています。乗っていたス
クーターのナンバープレートは折り曲げられていましたが、一部見えていた裏側のへこみから察するに、ナンバーは○○市、
××−××です。まぁ、盗難車かもしれないので、情報としては役に立たないかもしれませんが」
すらすらとそれだけの情報を口にしたヨシノリを、呆気に取られて見つめていた主人は、感心したように頷いた。
「わ、判りました…。さっそく警察に届け出ましょう。で、取られた物は?」
ヨシノリは首を左右に振ると、コータをちらりと見る。
「幸い、彼がその場で取り返してくれました」
「そりゃ…、大したもんですなぁ…!」
感心しきりといった様子で頷くと、主人は二人に一礼した。
「それじゃあ、ウチの方から目撃情報って事で通報させて貰いますね。長いこと手を焼いてきたが、これだけ情報があれば捕
まるかも…!おぉい!電話!電話だ!交番に!」
声を上げながら大急ぎで奥へと引っ込んで行く主人を見送ると、コータは自分の背をさすっていた手が止まっている事に気
付き、そっと、ヨシノリに視線を向けた。
(…あ…れ…?)
小さく息を飲んだコータの瞳には、細めた双眸に鋭い光を宿している、険しい顔つきのコリーが映り込む。
コータは初めて見たが、ヨシノリは怒っていた。
怒った顔を目にするのが初めてなのも、実は無理もない事で、いつもひょうひょうとしているヨシノリが本気で腹を立てた
事など、これまでの人生でほんの数度しか無い。
主人から警告を受けていたにもかかわらず、車道側にバッグを持っていた自分の迂闊さ。
大事にしていた者から貰い、長らく愛用してきたバッグを奪った相手。
バッグを取り返したコータが痛い思いをした事。
咄嗟に動くこともできなかった自分。
平静を装ってコータを気遣いながらも、ヨシノリはそれらの様々な事に、実はずっと、怒っていた。
「あの…。そろそろ、へーきっす…」
部屋で横になり、臍の下辺りに手を当てて、下腹部の鈍痛に耐えていたコータは、相変わらず腰の後ろをさすってくれてい
たヨシノリに、申し訳なさそうに言う。
「本当か?病院に行かなくても、大丈夫か?」
「大丈夫っすよ。もう全然元気っすから!」
身を起こし、笑みを作ってみせたコータに、ヨシノリは安堵の表情を見せる。
「それにしても、凄いっすよナガサワさん!あんな一瞬で、よくあそこまで細かく覚えてたっすねぇ…」
「仕事柄、紙一杯に並ぶ情報からミスを見つけるのが得意になっていてね。それと同じで、特徴として捉えられそうな部分を
瞬間的に探すクセがついているんだ」
瞬間的な洞察力、直感、観察眼、ヨシノリが持ち合わせている優れたそれらは、ひったくりに遭ったショックの中でも遺憾
なく発揮されていた。
しかしヨシノリは、それだけの情報を得ながらも、コータのように咄嗟に反応できなかった自分を恥じ、居心地が悪そうで
すらある。
激突から三十分余りが経ち、ようやく落ち着いたコータは、いまさらながらに恥ずかしくなり、俯いた。
(あちゃ〜…。かっこ悪いトコ見られた…)
「ササキ君」
静かに、ゆっくりと自分の名を呼んだコリーを、コータは顔を上げ、上目遣いに見つめた。
「有り難う。さっきはつい、あんな事を言ってしまったが…、感謝している」
改まって礼を言われたコータは、照れ臭くなって視線を横に逸らし、指先でポリポリと頬を掻く。
「い、いや、でも…。おれが強引に取り返したせいで、バッグ壊れちゃったのかもだし…」
「良いんだ。壊れた事ぐらい…」
ヨシノリはテーブルの上に置いていた、コータが取り返してくれたバッグを見遣る。
「…良いんだ…きっと…」
軽く目を閉じながら繰り返したヨシノリは、再び目を開けると、コータに微笑んだ。
「夕食は、部屋にお膳で運んで貰えるように頼んだ。嫌な汗もかいたろう?先に風呂に浸かって、食後はゆっくりしよう。な?」
時間は早いが、入浴の準備は整えられていた。
さほど広くもない浴室に、タイル張りの湯船。それほど立派ではなかったが、
(この面積の浴室で…、ふ…、二人っきり…!ふ、、ふたっ…ふたたたたりるれっ!?)
コータは少し…、いや、かなり興奮していた。
以前一度、一緒に銭湯に行った時とは違う。完全に二人きりとなった浴室で、湧き上がる興奮を必死に押さえつける。
「まず体を流そう。そこに座って」
「う、うす!…って、へ?」
タオルで前を隠しつつ、シャワー前まで素直に歩いたコータは、訝しげに振り返る。
「背中を流すよ。ささやかながら、感謝の気持ちだ」
後ろから歩み寄った、腰にタオルを巻いたヨシノリは、コータの両肩に手を置いて、少しばかり強引に椅子に座らせる。
「い、いや、おれが先に…!」
「いいからいいから。ほらじっとして」
ヨシノリはシャワーを掴んでコックを捻り、自分の手で温度を確認しながら適温に調節すると、コータの丸みを帯びた広い
背中を、丁寧に流し始める。
(…あ…。すっげー…、気持ち…良ぃ〜…)
ヨシノリの指先がマッサージするように背中を押しながら洗ってゆくと、最初こそ身を強ばらせていたコータは、徐々に表
情を弛緩させていった。
とろんとした目つきで鏡を見れば、気持ち良さそうに半眼になり、口を半開きにしたパンダと、その背後のコリーの姿が見
える。
(あ〜…。しあわせぇ〜…)
全身の緊張がほぐれた事が判ると、ヨシノリは肩にも湯をかけ、揉みほぐすようにして洗い始める。
繊細な指使いで送り込まれる心地良い刺激に、コータは身も心も蕩かされ、完全に参ってしまっていた。
「かゆいところは?」
「え?い、いや大丈夫っす!そ、その…、あ、ありがとうございます…。すっごい、気持ち良いっす…」
「…そうか」
鏡越しに、微笑んでいるヨシノリと目があうと、コータは恥ずかしそうに俯く。
別にコータは下を見たかったわけではないのだが、何気なく、その視線を追ったヨシノリは、
「おや…。元気だな」
コータの股間、はずれかけたタオルの下からピコッと顔を覗かせているソレを目にし、小さく笑った。
「え?」
一度顔を上げたコータは、勃起し、ピンク色の亀頭の先端を少し覗かせたソレが丸見えになっている事に気付き、大慌てで
脚を閉じた。
そして、顔を伏せ、上目遣いに鏡の中のヨシノリを見つめる。
「かなり強打したようだから心配していたんだが、その様子なら大丈夫そうだな」
笑いながら言うヨシノリから目をそらし、コータはぼそっと呟く。
「情けないっすよね…。成人したのに、ココは全然成長してないっす…」
「そう気にするな。可愛くて良いじゃないか」
耳元で囁かれた「可愛い」に、コータはピクッと身体を震わせた。
胸の奥がじわりと暖まり、首から顔へと熱が這い上がって来る。
勃起した肉棒がトクン、トクンと脈打って震える。
睾丸と肛門の間に軽い疼きを感じる。
ゴクリと唾を飲み込んだコータは、火照った顔をゆっくり上げ、鏡越しにヨシノリの顔を見つめた。
「あ、あの…。ナガサワ…さん…。お願いが…、あるんすけど…」
「うん?」
コータの肩の辺りから顔を出しているヨシノリは、パンダと鏡越しに目をあわせた。
「え、えっとその…、な、ナガサワさん…!つ…、つっ、つ…!」
「つ?」
首を傾げるヨシノリに、コータはどもりながら、
「…つ、釣り、教えてください…。今度…」
結局、あと一歩が踏み出せず、「付き合って下さい」が言えなかった…。
夕食は、ヨシノリが言ったとおりに絶品だった。
天ぷらに刺身、魚介類を中心とした和食に、ヨシノリが釣ったクロダイの洗いも加えられていた。
「…う〜っ…ぷふぅっ…!んあ〜っ…、食った食ったぁ…。もぉ…、うっぷ…、入んないっすぅ…!」
よほど美味かったのか、何度もご飯をお代わりし、勧められるままにヨシノリの分のおかずも分けて貰ったコータは、食事
を終えるなりごろっと、仰向けに寝転がった。
膨れた腹を満足げにさすっているコータを見遣ると、ヨシノリは微笑みながらお猪口を傾け、ちびりと酒を舐める。
借り物の浴衣に着替えた二人は、午後七時を回ったばかりのまだ若い夜を、のんびりとくつろいで過ごしていた。
時折車が走り行く音、網戸越しに入る潮風と波の音、窓際に吊された風鈴が奏でる軽やかな音色が、部屋をゆっくりと流れ
る、穏やかな時間を彩る。
(あ〜…。しあわせぇ…。告白はできなかったけど…。まぁ、今は満足…、かなぁ…)
扇風機の風を横から浴びながら、コータは天井を見つめたまま、そんな事を考える。
あと一歩が踏み出せないのは、今の関係が壊れてしまうのが恐いから。
コータが今の関係を気に入り、満足してもいるからである。
いつまでもこのままではいけないと思いつつも、穏やかで優しい「今」に、ついついしがみついてしまう。
やがて、やってきた民宿の者が空になったお膳を下げ、布団を敷いてゆくと、
「あ、そうだ」
テーブルに肘をついて茶を啜っていたコータは、にへら〜っと笑ってヨシノリに顔を向けた。
ほろ酔いしているのか、いつもより少し細められた目を自分に向けたヨシノリに、
「お風呂のお返しっす。運転に釣りで肩凝ってるっすよね?今度はおれがマッサージするっすよ」
コータは短い尻尾をピコピコと動かしながら提案する。
「いや、気を遣わなくて良いよ。君も疲れているだろう?」
「全然へーきっす!ナガサワさんの分まで天ぷら食ったし!」
腕を上げて力こぶを作って見せるコータに、ヨシノリは苦笑を浮かべながら頷いた。
「それなら、疲れない程度にお願いしようかな」
(よし!これで堂々とお触りでき…、じゃない!ナガサワさんにも気持ち良くリラックスして貰える!)
心の中でガッツポーズを取ったコータは、ヨシノリに布団の上に俯せになって貰うと、その腰の辺りに跨った。
「重くないっすか?」
「ああ、大丈夫…。もう少しぐらい体重をかけても良いんだよ?膝が疲れるだろう?」
コータはヨシノリの背中を、背骨に沿って親指で押してゆく。丁寧に、丁寧に、労い以上の想いを込めて。
「上手だなぁ…ササキ君…。すごく、気持ち良い…」
「そ、そうっすか?でへへ…」
嬉しそうに照れ笑いしながら、コータは少し恥ずかしそうに、小声で話し始めた。
「あの…。おれ、すっごく楽しいっす…。修学旅行と家族旅行を除けば、こうやって、誰かと旅行するなんて初めてだし…。
その初めてがナガサワさんで、良かったなぁ、とか…」
「俺も、楽しいよ…。アクシデントこそあったけれど…、うん…、楽しい旅行になった…」
組んだ両腕に顎を乗せたヨシノリは、ゆっくりとした、穏やかな声でそう応じた。
「ササキ君とこうして二人で過ごすのも、すっかりお馴染みになったなぁ…。ははは…。でも、いつまでも俺なんかとつるん
でいるのも少々問題だ、早く恋人…、見つけないと…」
ヨシノリの言葉を聞くと、コータは複雑そうな表情を浮かべ、声のトーンを落として、呟くように話し始める。
「おれ…、高校ん時あんな事になってから、友達とか、それまでみたいに関われなくて、みんな疎遠になっちゃったんす…。
大学でも、友達作る勇気、持てなくて…」
ヨシノリの背中を覆う、フサフサした豊かな被毛の感触を浴衣越しに感じながら、コータはゆっくりと言葉を紡いだ。
「あ、でも、今は少しずつ、友達出来てきたんすよ?バイトの連中とか、同じ講義受けてるヤツとか…」
コータは照れ臭そうに笑い、ヨシノリは気持ち良さそうに目を細めたまま、穏やかに微笑む。
昔の、明るく活発だった頃の自分を取り戻せたのは、ヨシノリのおかげだ。
ヨシノリが自分も同類だと打ち明けてくれたから、優しくして、世話を焼いてくれたから、自分を取り戻す事ができたのだ。
そう思っているコータは、ヨシノリに対して好意を寄せるだけでなく、強い感謝の念を抱いている。
目を細め、耳を伏せ、恥じらいながら、コータはぼそぼそと続ける。
「みんな…、ナガサワさんのおかげっす…。ナガサワさんが、優しくしてくれたから…」
肩胛骨に沿って、背筋を指でマッサージしながら、コータはゴクリと唾を飲み込んだ。
言える。今なら、感謝の言葉と自分の本心を、きっと伝える事ができる。
決心を固めて、コータは顎を引き、自分に頷いた。
「ナガサワさん…。あの、聞いて欲しいっす…。迷惑かもしれないけど、おれ…。…おれ…!」
コータは俯き、目をギュッと瞑ると、
「おれ…!ナガサワさんが…、好きです…!」
ありったけの勇気を振り絞り、ヨシノリの背中に告げた。
ドッドッドッドッと、早鐘のように響く自分の心音を耳元で聞きながら、コータはじっと、ヨシノリの答えを待つ。
二人きりの部屋に、長い、長い沈黙が落ちた。
時折、思い出したように風鈴が軽やかな音色を響かせる、その静寂の中で、
「あ…、あの…」
沈黙に耐えきれなくなったコータは、薄く目を開け、おずおずと口を開く。そして…、
「すぅー…」
組んだ腕に顎を乗せたヨシノリが、気持ち良さそうに寝息を立てている事に気付く。
(が…、頑張ったのにっ…!?)
勇気を振り絞った告白が空振りに終わり、がっくりと肩を落として項垂れたコータは、よく眠っているヨシノリの頭を見遣
り、しばし何か考え込む。
やがて、起こさないようにそっと、静かに上から退くと、ヨシノリの前に回って四つん這いになり、間近で寝顔を覗き込んだ。
(…こ…こっそりチューするぐらいなら…、いい…かな…?)
そっとヨシノリの口先に唇を近付けるコータの胸がドキドキと高鳴り、喉がからからに渇く。
寝息が唇に感じられる、もう少しで唇が触れるという寸前で、しかしコータは動きを止めた。
「………」
しばらく、何事か考え込むように眉間にしわを寄せていたコータは、やがてそっと身を起こし、苛立たしげにガリガリと頭
を掻きながら、ヨシノリの寝顔を見下ろす。
(…フェアじゃないな…こんなの…)
気持ちを伝えず、唇だけ奪った所で何になる?そんな疑問を感じてしまった事で、コータの衝動は沈静化した。
「ごめんなさいナガサワさん…。ちょっと早いっすけど、お疲れ様っす。お休みなさい…」
コータは眠っているヨシノリに、小さな声でそう告げると、灯りを消し、隣の布団に横になる。
そして、薄明かりの中でヨシノリの寝顔を見つめつつ、幸せそうに微笑みながら、やがて眠りへと落ちていった。
「別れよう」
春目前の、まだ肌寒い風が吹き過ぎるカフェテラスで、ヨシノリは目の前の相手にそう切り出した。
テーブルを挟んで向い側に座った線の細い狐の青年は、目を大きくして、コリーの顔を見つめている。
「あ、あははっ!やだなぁヨシノリさん!何の冗談ですか?」
狐は少し引き攣った笑みを浮かべ、笑いながら口を開いた。
「冗談なんかじゃない。本気だ」
静かな、しかしきっぱりとしたヨシノリの声に、狐の笑い声が途切れる。
「ど、どうして…?」
ヨシノリが本気だと察した狐は、呆然と呟くと、テーブルの上に身を乗り出した。
「わ、私に至らない所があるなら、改めます!ねぇ?どうしちゃったんです急に!?」
縋るようなその視線を避けるように、ヨシノリは顔を横に向けた。
「お前は、もう俺に心を留めていない」
「…え…?」
「そんな状態で「付き合っている」なんて言えるか?」
「ど、どういう、事…です…?」
困惑したように尋ねる狐に、
「一緒に居ながら、心は離れている。俺達にはきっと、ここから先は無い」
ヨシノリはキッパリとそう告げ、席を立った。
「じゃあな…」
ヨシノリは踵を返し、狐に背を向けて歩き出し、
「まっ…あ!」
待って、と言い掛けて慌てて席を立った狐は、椅子の足に自分の足を絡め、派手な音を立てて転ぶ。
「待って下さい!ヨシノリさん!?ヨシノリさんっ!」
もがきながら立ち上がる狐を振り返る事無く、ヨシノリは足早にカフェを離れる。
夢だ。そう、ヨシノリは自覚している。
これまでも繰り返し、何度も夢で見た、かつての恋人との離別の思い出…。
他に想いを寄せる相手が居ると気付き、自分の気持ちを押し殺し、突き放すようにして意中の相手の元へと押しやった恋人
は、しかしもう、この世には居ない。
彼は幸せだっただろうか?そう、ヨシノリは時折自問する。
そしてその都度、幸せだったはずだと、自分に言い聞かせる。
想いは実った。自分の決断は彼の為になったはずだと、今でも疼く恋しさをなだめながら。
いつもの夢。だが今回は何故か、ヨシノリは実際にとったのとは違う行動を、夢の中で取った。
足を止め、振り返る。
さぞ自分を恨んでいるだろう。そう思いながら、もう一度、「彼」の顔を見ておきたくなった。
泣き顔か、怒り顔か、どちらだろうかと振り返ったヨシノリは、目を見開き、固まった。
コリーの視線の先には、テーブルに座り、微笑んでいる狐の青年が居た。
椅子も倒れておらず、転んだ形跡も見えない、先程までと変わらないその席で、狐は笑みを深くする。
狐特有の、フサフサした太い尻尾が振られているのが背中側に見えた。
「恨んでなんか、いませんよぉ?」
狐の口が、ゆっくりと動く。
さして大きくも無い、囁くような穏やかな声を、ヨシノリは耳元で聞く。
距離があるにも関わらず、呆然と立ち尽くしたままのヨシノリの耳には、狐の声が一語一句、はっきりと聞こえて来る。
「本当に酷い事をしちゃったのは、私の方なのに…。ヨシノリさんは、私をヒロの所に行かせてくれた…。自分の事は、いつ
もみたいに二の次にして…」
驚きのあまり声も出せないヨシノリに、狐は悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。
「ヒロは、最後まで話してくれませんでした。でも、私、あの後すぐに気付いたんです。ヨシノリさんが、私の為を思って別
れ話を持ち出したんだ、って…」
困ったような笑みを浮かべ、狐は続けた。
「ありがとう…。そしてごめんなさい…。もう、私なんかに気を遣わなくて良いんですよ?」
ヨシノリは狐の顔を見つめたまま、微動だにできず、その言葉にじっと耳を傾ける。
「ヨシノリさんが、押し出してくれたんじゃないですか?私が縛られないように、自分の気持ちに気付けるようにって…。な
のに、私のせいでいつまでも縛られていたんじゃ、申し訳ないですよぉ…」
狐の青年は、パタパタと尻尾を振りながら、
「ヨシノリさんを必要としてる人が、今も居ます…」
耳を寝せ、柔らかな、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「ヨシノリさんもぉ、幸せにならなくちゃ!ね?」
目を覚ましたヨシノリは、顔を上げ、腕の上から顎を退けた。
うつ伏せの窮屈な姿勢で寝入ってしまったせいか、肩が痺れて思わず顔が歪む。
布団の上にあぐらをかき、感覚のはっきりしない腕を上げ、そっと顔を撫で、頬を流れ落ちていた雫を拭う。
首を巡らせ、視線を向けたテーブルの上には、かつて「彼」から、誕生日プレゼントに貰ったバッグ。
ヨシノリはちらりと、隣の布団で大の字になり、あどけない顔で眠っているパンダを見遣ると、起こさないようにそっと、
静かに立ち上がり、テーブルの脇に腰を下ろした。
コータが取り返してくれた、壊れたバッグをじっと見つめ、それから手に取る。
(バッグが壊れたせいなのか…?それとも、お前と一緒に訪れた海に来たせいなのかな…?妙な夢を見たのは…)
ヨシノリはため息をもらし、そして苦笑した。
(縛られていた…か…。…かもしれないな…、俺の方が…)
バッグをテーブルの上に戻し、首を巡らせたヨシノリは、コータの寝姿を眺める。
手足を投げ出し、布団の上で大の字になったコータは、布団に対して斜めになっており、右脚と左腕が畳の上に出ている。
枕は壁際まで転がり、体にかけていたとおぼしきタオルケットは、足元の辺りに丸まっていた。
浴衣が着崩れて胸元がはだけ、むっちりした胸と丸い腹が、薄闇の中で白く浮かび上がっている。
「…なんとも、豪快な寝相だな…。さぞかしぐっすりなんだろう…」
あまりにも無防備な、子供のようなその寝姿に、ヨシノリは愛おしさすら覚えた。
起こさぬよう、静かにコータの元へ近付くと、腹を冷やしては可哀そうだと、コリーはタオルケットを取り上げて、コータ
にかけてやる為に広げる。
ヨシノリがタオルをかけてやろうとすると、コータはむにゃむにゃと口元を動かした。
「なが…さ…わ…さぁん…。ごめん…なさ…いぃ…」
寝言で謝るコータの顔を見下ろし、ヨシノリは微苦笑する。
(バッグが壊れてしまった事を…、気に病んでいるのか…)
むにゃむにゃと口を動かすコータを、ヨシノリはその場に座り込んだまま、しばらく見つめていた。
「…俺を…必要としてる人…か…」
「ん…んぅっ…?」
薄く目を開けたコータは、自分の傍らに座っている影に気付き、首を動かす。
「ナガサワさん…?」
頭がまだぼーっとしているコータが視線を向けると、ヨシノリはずいっと身を乗り出し、仰向けのままのコータの顔に、自
分の顔を近づけた。
「どうしたんすか?なが…、んっ!?」
突然口をふさがれ、コータは息を詰まらせる。
唇を割って口内に入り込んだ長い舌が、頬の内側をまさぐり、コータの舌に絡みつく。
「ん、んうぅっ!」
くぐもった声を上げるコータの唇を強く吸いながら、ヨシノリはたっぷりと脂肪が乗ったコータの右胸を掴む。
「んっ!?んむぅっ!うんっ!」
痛みすら感じるほどに乱暴に乳房を揉みしだかれたコータは、塞がれた口から呻き声を洩らす。
やっと唇が離れ、水中から上がってきたかのように息をついたコータを、ヨシノリは覆いかぶさるようにして、布団の上に
押し付ける。
「気持ち良い事、してやるよ…」
甘い声、耳元での囁き、くすぐるような吐息、そして耳への甘噛み。
「んっうっ…!な、ながさわ…さん…!」
「俺とじゃ、嫌かい?」
「そんな…事…ないっすぅ…!」
コータは首を左右に振り、震える声を洩らすと、覆いかぶさってくるヨシノリの背に手を回し、きゅっと抱き付いた。
「う、うれ…しぃ…っすぅ…!ナガサワさん!ナガサワさん、おれ…、おれぇっ…!ずっと…、ナガサワさんの…事がっ…!
あ、あぅっ!」
コータの声は、股間に触れられて途切れた。
帯はいつのまにか解け、浴衣ははだけ、トランクスが丸見えになっている。
初経験のディープキスで、股間には早くも、てっぺんに染みが浮いた小さなテントができていた。
そこを、コリーの手がそっと撫で擦っている。
「あっ…!ああぁぁぁ〜っ…!」
トランクスの生地越しの軽い愛撫だけで、感じたコータが喘ぎ声をもらす。
ヨシノリはトランクスの中に上から手を入れると、勃起してもなお小さく、皮を被っている逸物を、ぎゅうっと掴んだ。
「んあぁっ!あっ!ちょ、まっ…!ナガサワ、さん…!キツぃ…っすぅ…!って、あうあっ!」
手加減無く、乱暴に逸物を掴まれたコータが堪らずに声を上げると、ヨシノリの手はソレを放して下へと滑り降り、睾丸を
ぎゅっと握った。
たふたふとした睾丸を掴み、強めにマッサージを始めると同時に、コリーは再びコータの唇を奪う。
下腹部から突き上げる鈍痛と快感に、塞がれた口から呻き声を漏らす上げるコータ。
激しく、乱暴で、気遣いも遠慮もない、それでいて身も心も蕩かされそうな愛撫の中、コータはヨシノリの体に、必死になっ
てしがみつく。
しばらく睾丸を弄び、舌で存分に口の中を蹂躙した後、ヨシノリは身を起こす。
ピクン、ピクンと身体を震わせるコータから、コリーの身体があっさり離れる。
力を込めて抱き付いていたはずの、パンダの太い腕があっけなくはずれて。
ヨシノリはコータの太ももに跨るようにして、仰向けになっているその姿を見下ろす。
その目は、何かを訴えかけるような目で自分を見上げるコータの、股間に向いていた。
そこでひくひくと震えている逸物を、ヨシノリは再び握り、乱暴にしごき始めた。
「いぅっ!?な、ナガサワさ…んぅっ!き、キツ…!いたっ…!キツいっすぅ!ちょっと、緩め、てぇっ!あふぅっ!」
きつく握られた逸物が、被った皮や滴った先走りごと乱暴に、グチュグチュとしごきたてられる。
普段の様子からは打って変わって、意外にも乱暴で激しいその責め方に、コータは悲鳴に近い声を上げながら、イヤイヤを
するように首を横に振る。
それでもヨシノリは全く手を緩めず、容赦なく、キツく、コータ自身をしごき立てた。
「あ、ああぁっ…!お、お願いっ、やめっ…!も、もぉだ、め…!い、イくぅ…!イっちゃうっすよぉおっ!」
あまりに激しくしごかれ、たっぷりとした胸が、むっちりと丸みを帯びた腹が、たぷたぷと波打ち、コータは今更ながらに
恥ずかしくなった。
頭の片隅で、きっと、締まりのないだらしない身体だと思われているだろうなぁ、などと考えて。
突き上げる快感と共に、ジンジンとした痺れと痛みを睾丸の下と肉棒に感じながら、
「あふっ…!あっ…、んあぁぁああああっ!」
コータは想いを寄せる相手の手の中に精液を吐き出し、身を震わせながら果てた。
「…んぁ…」
小さく声を漏らし、薄く目を開けたコータは、ゆっくりと身を起こしてかぶりを振った。
横を見れば、こちらに背を向ける形で、ヨシノリが寝息をたてている。
肩を落として耳を伏せ、切なげにため息をついたコータは、
「…夢…だったっての…?」
心底残念そうに呟くと、「ん?」と、眉根を寄せた。
慌てた様子で浴衣の裾をまくり上げ、下から股間に手を突っ込んだコータは、顔色を失って硬直した。
(…む…夢精…、しちゃったっ…!)
その夜遅く、民宿うみごきの洗面所には、半泣きになりながらごしごしとパンツを洗うパンダの姿があったが、幸いにも、
目撃者は居なかった。
「せっかくですが…」
小旅行から帰って来た翌日の事、会議室で向き合った支店長に、ヨシノリは深々と頭を下げた。
「そうかい。…まぁ、強制じゃないしね。私の方から断っておくよ」
自分を慕ってくれるバイトの青年。親しい友人達。同じ想いを味わった親友。そしてかつての恋人…。
彼らの顔がヨシノリの脳裏を過ぎる。
(置き去りにして行くには…、少々、大切になり過ぎた…)
「しかし…、惜しいなぁ…。私なら飛びつく話なんだが…」
苦笑しながら顎を撫でている年配の鹿に、
「生憎、慌ただしい首都で過ごすのは、たぶん私には向いていないと思いまして…」
顔を上げたヨシノリは、晴れ晴れとした顔で応じた。
大抜擢を断った事を、少しも惜しいとは思わなかった。
この街で、もう少しやってゆこうと決めたヨシノリは、
(やり残している事もある。…ちゃんと、ササキ君の恋人を見つけてやらないと…)
しかし相変わらず、当人が自分に寄せる気持ちには、ちっとも気付いていなかった…。
「お待たせ。さぁ行こうか」
「う〜っす!」
駐車場で、愛車に跨って待っていたコータは、ヨシノリが姿を現すと、耳を伏せて満面の笑みを浮かべた。
「あれ?なんか良い事でもあったんすか?」
「ん?」
ヨシノリの表情が明るい事に気付き、コータは不思議そうに首を捻り、ヨシノリも同じように首を傾げた。
「なんかこう…、上手く言えないっすけど…。なんかスッキリしたっていうか、そんな感じの顔してるっすよ?」
「…うん。すっきりは、したかもしれないな」
ヨシノリは苦笑いし、なおも不思議そうにしているコータに尋ねる。
「それより、どんなバッグが良いと思う?やっぱりオーソドックスにマットブラックかな?」
「ん〜…」
尋ねられたコータは、腕を組んで空を見上げ、少し考えた後、ニパッと笑顔になる。
「ナガサワさんなら、な〜んでも似合うっすよ!」
「ははは。お世辞でも嬉しいよ。有り難う」
ヨシノリの新しいバッグを選びに行く。ついでに夕食も一緒に食べる。コータが考えたつつましやかなデートである。
ヨシノリは気付いていないので、相変わらず一方のみがデート気分なのではあるが。
「…そうだ。土産の干物、喜んでたよ」
「お?ほんとっすか?ビール好きだって聞いてツマミにどうかなって思ったんすけど、良かったっす!」
自分のスクーターに跨り、微笑んだヨシノリは、ふと思いついたようにコータに告げた。
「今度、ヒロのトコに連れて行こう。久々に会ってみたいだろう?」
「ん〜、そうっすねぇ…。しばらく会ってないもんなぁ、トラ先生…」
コータは恩師に会うのが気恥ずかしいのか、照れ臭そうに頬を掻きながら、
「んじゃ、今度連れてって貰えるっすか?」
ニパッと、想い人に笑いかけた。