ペインストーン

1LDKのアパートの部屋がすっぽり収まってしまいそうな、広く清潔なリビング。

調度類も控えめで、派手さは無いが過ごしやすそうな、落ち着いた内装のその部屋は、超高級マンションの最上階にあった。

薄い木目も暖かな、ワックスで艶やかに光る清潔なフローリングに、白くて黒くて毛の生えた丸くて大きなモノが転がって

いる。

呼吸で緩やかに上下する、こんもりと山になった腹に両手を添え、仰向けに転がっているソレは、体格の良い…と言えば聞

こえは良いが、とどのつまりは肥満体型の、この国では珍しい部類に入るジャイアントパンダである。

並より少し高い身長に、標準を大きく超える肥え具合。

幅も厚みも二人前以上と極めて恰幅が良く、胸腹太ももふくらはぎ、臀部に二の腕顎の下、果ては頬までむっちりと肉が付

いてまん丸い。

至る所が丸みを帯びているものの、高校時代はラグビーで鍛えていた事もあり、肩や腕、大腿部などは発達した筋肉で盛り

上がっている。

目の周りにはパンダ特有の黒い円。成人したとはいえ、まだ若さが濃い愛嬌のある丸顔をしている。

このパンダの名は笹木幸太(ささきこうた)。来月から大学三年生になる二十歳。

体を覆うフカフカの被毛は、種族特有の白黒ツートンカラー。

黄色いトレーナーに紺色のジャージという部屋着で、本格的な春も近づいた三月半ばとはいえ靴下もはいておらず、トレー

ナーも肘まで捲り上げている。

おまけに、手でさすっている腹はトレーナーがめくれてへそが出ており、時期柄、本人はどうあれ見ている方は少々寒い。

分厚い脂肪を纏っている上に、豊富な筋肉が十分な熱量を発生させるコータは、極端なまでに寒さに強い。ボリューム満点

の体の芯まで冷気が達する事はまずないのである。

そんな訳で、寒風もおさまり空気も暖まってきたこのごろは、床暖房が効いていると時折体がやや火照り気味になるので、

部屋内では素足に腕まくりで過ごす事が多い。

退屈そうで無気力な半眼で天井を見上げるコータの顔には、いかにもそれにふさわしい、退屈そうで無気力な表情。

バラエティ番組内で芸能人達が披露している内輪ネタも、左の耳から入っては脳みそに掠りもせずに右の耳へと抜けて行く。

やがて、ぽっこり突き出た腹に当てた両手の下から、ぐぅ〜…と、空腹を訴えた腹の虫の声が上がった。

「…腹減ったぁ…」

切なそうに呟きつつ腹をさすったコータは、おもむろに首を捻り、顔のすぐ横に投げ出していた携帯を見遣る。

沈黙を守り続けている携帯は、着信などを知らせるライトも点灯していない。

開いて画面を確認すれば、デジタル表示は二十時を告げている。

「…遅いなぁ…、ヨシノリさん…」

コータが居候している、この高級マンション最上階にある部屋の本来の住人は、全国展開している大手宅配業者の支店に務

め、会計を任されている。

月末が忙しいのは常の事だが、今月は年度末という事もあり、常と比べても早い月半ばの内から残業が増えている上に、時

刻も遅くなりがちであった。

毎年恒例なのだが、同じ支店でバイトしていたコータにとっては、会計事務や決算の事など昨年までは考えの外であった。

せいぜいが、年度終わりと年度始めに伴い、贈り物や祝い品関係で荷物が増えるという認識を持っていた程度である。

だが、部屋主の忙しさを目の当たりにした今年は、初めて他人事としてではなく大変さを実感する事となり、同情と寂しさ

を覚えている。

コータとこの部屋の主との間にちょっとした縁ができ、抱え込んでいたトラウマが解消され、やがて想いを寄せるようにな

り、紆余曲折を経た末に交際まで漕ぎ着けてから、半年が経過した。

最初は戸惑う事ばかりだった同棲生活にも今ではすっかり慣れ、一人暮らしに戻ったら寂しくて耐えられないのではないか

とさえ思う。

それほどまでに恋人にぞっこん入れ込み、すっかり甘ったれになったコータは、相方の帰りを待ち、一人きりで過ごすこの

時間が少し長引いただけで、寂しさと暇をもてあましてしまう。

年上の恋人は、極端に遅くなる場合は前もって教えてくれる。急遽遅くなる場合でも電話かメールをくれるのが常である。

それなのに今夜はこんな時間になるまで連絡が無い。

よほど忙しいのだろうか?連絡を入れられないほど、あるいは連絡するのを忘れるほどに立て込んでいるのだろうか?

しばし悩んだ後、コータはごろんと横向きに転がり、携帯を両手で保持して操作し始めた。



「あった。やっぱりアンベさんのミスじゃないよ」

パソコンとにらめっこしていたコリーが唐突にポツリと漏らすと、周囲で伝票や帳簿、雑多な綴りを片っ端からチェックし

ていた同僚達は、一斉に彼の方を向いた。

「ほ、ほんとですかナガサワさん!?」

コリーと同じく経理担当の若い女性が、赤くした目を大きくしながら訊ねると、コリーは少し疲れているような微笑を整っ

た顔に浮かべた。

そして、自分の傍に寄ってきた皆が画面を確認する中、カーソルを動かしながら説明し始める。

「これこれ、ここの数式が間違っていたんだ。計算元の参照セルが右に一つずつずれているから…、ほら、これで数字が変わ

る。これなら合計欄まで変わって行くけれど…。合ってますか?」

「合いました!は〜…!ホッとしましたよホント…」

年配の女性事務員がほっと安堵の息を吐き出すと、周囲の皆からも一斉に緊張が抜けた。

決算資料の作成途中で見つかった、実際の支出と電子帳簿上の支出額の食い違い。

伝票控えからプリントアウトした帳簿から、あらゆる物をひっくり返しての調査が行われた今夜は、異常が発見された夕刻

から休憩も無しに大急ぎで確認作業を続けている。

食い違いは額も大きかった事もあり、もしも本当に違っていたならば始末書どころでは済まないミスであった。

が、ここに来てようやく、単純な表計算の数式入力誤りである事が判明したのである。皆の体から力と緊張が抜けるのも無

理はない。

特に、レシートや伝票を管理する若い女性経理は、自分のミスで伝票が紛失してしまったのではないかと気が気でなく、半

泣きにすらなっていたのだが、今度は安心のあまり涙目になっていた。

「それにしても、よく気付いたわねぇナガサワさん。これ数式なんてぱっと見ただけじゃ判らないんでしょう?」

「ええまぁ。照らし合わせついでにカーソルを走らせて、崩れている所を探したんですが…。いや、思ったより時間がかかりました」

ようやく決着し、不安も解消された皆の中心で笑うコリーの名は、永沢義則(ながさわよしのり)。

三十一の誕生日が間近に迫った勤め人で、フサフサした被毛は赤みが強い茶色と柔らかな白のツートンカラー。

ワイシャツとスラックス姿で、首元からは豊かな被毛がマフラーのように溢れている。

すらっと背が高く、スタイルも顔も良い。

コリー特有のシャープなマズル、半分から垂れている三角耳、さらには優しげな目に聡明そうな顔立ちと、職場の女性にも

人気があるルックスをしている。

一気に緊張が緩んだ空気の中で、ヨシノリはおもむろに携帯を取り出した。

時間は気になっていたのだが、携帯を弄って連絡を取れる雰囲気でもなかったため、残業の知らせが遅れに遅れている。

(可愛そうにコータ、きっと腹を空かせて待ってくれているだろうなぁ…)

基本的に、ヨシノリが連絡を入れない限り、同棲しているパンダはいつまでも夕食を待っている。

育ち盛りは過ぎているが、それでも食欲旺盛で食い意地の張ったパンダにしては、空腹を抱えてヨシノリを待つのはなかな

かの苦行である。

それでも彼なりの礼儀なのか筋なのか、よっぽどの事が無い限りヨシノリを待って一緒に夕食を摂るし、促されなければ先

に風呂に入る事も無い。

ここまで慕ってくれるのは恋人冥利に尽きるが、しかしヨシノリはいささか心配でもあった。

コータはあまりにも自分にべったりで、他の誰かとの付き合いが殆ど無いように感じられているのである。

ヨシノリと交友関係にある者…、つまり知り合いの同性愛者達などとはたまに外食などをするものの、それにしても必ずヨ

シノリと一緒。

おまけに、話を聞く限り大学にはそれなりに親しい友達も居るようなのだが、しかし彼らとも一定の距離を取り、あまりつ

るんでいないように見えた。

親戚の部屋に居候していると言えば良いのだから、遠慮せず友達を招待しろと言っているのだが、一向に連れてくる気配は

ない。
それどころかバイトなどで一緒に帰宅する場合を除けば必ずヨシノリの帰りを待っているその生活パターンから、意図

的に外出を避け、夕方早めの帰宅を心がけているようにも感じられている。

自分以外の者とも積極的に交流して欲しいとは思うのだが、コータはヨシノリと居られればそれで満足らしく、例えばヨシ

ノリ抜きで一緒に出かけるような、そんな親しい友達を作ろうとしない。

(こんな時は一緒に外食する友人でも居れば、寂しい思いもさせずに済むんだろうが…)

原因は突き止めたが、帳簿の再整理や後かたづけでまだまだ時間がかかると踏んだヨシノリは、先に飯を食べて風呂に入っ

ているようメールしようとしたが、

「…おっと、しびれを切らしたかな?」

連絡を取ろうとした相手からタイミング良くメールが来た事で、顔を綻ばせた。

案の定、遅くなっている自分を案じる内容だった年下の恋人からのメールを確認し、ヨシノリは手早く返事をしたためる。

連絡が遅れた詫びと、まだ遅くなるという連絡、自分は良いから先に食事と風呂を済ませなさいという指示を。

メールを送って十数秒後、すぐさま「らじゃー!お疲れ様お気を付けて!」との返事が届き、コリーは目を細めて微笑む。

十歳という年齢差もあり、当初こそ扱いや付き合い方に戸惑いもあったヨシノリだが、今ではコータが可愛くて仕方がない。

常に自分を慕ってくれる、手のかかる歳の離れた弟…。コータは、ヨシノリにとってそんなイメージを抱かせる年下の恋人

である。

身長でこそヨシノリが僅かに上回っているが、ボリュームで言うなら圧倒的にコータが上。しかし重いパンダは甘えん坊で、

幼さが見え隠れする。

子供っぽいところがまたあまりにも可愛くて、何か失敗されても怒る気になれず、やや寛容さを使い間違えていたヨシノリ

だったが、年末の一件でコータ自身からきちんと叱られたい旨打ち明けられ、それからは多少方針を改めている。

甘えたがる時は満足するまで甘えさせてやるが、間違った甘やかし方はしない。

それが、年上の恋人として、そして人生の先輩としてコータをリードしてやる上で自分に求められる事なのだと、ヨシノリ

は認識している。

(思えば…、最後はともかくとして、カズにはわがまま放題させていた…。あれはひょっとすると甘やかし方を間違っていた

かな?)

昔の恋人の事を思い出し、さらにそのせいで苦労したであろう後輩の顔を思い浮かべ、ヨシノリは苦笑いする。

が、コータの甘やかし方について今でも一つ間違っている事に気付かないまま、ヨシノリは思いついた。

(そうだ。待たせた詫びに土産に焼き鳥か餃子でも買って帰ろうか。どうせ今夜も寝る前に食べるだろうし、夜食には丁度良

いだろう。喜んでくれるかなコータ)

そんな訳で、ヨシノリの甘やかしからなるコータの肥育は、やり手畜産家も唸らせるほど順調に進んでいた…。



メールのやりとりが交わされてから二時間後、「ただいまー」と、やや疲れの滲む声で帰宅を告げたヨシノリは、靴を脱ぎ

ながら首を捻った。

いつもなら声を聞くなりドスドスと駆けて来て出迎えてくれるパンダが、今日は玄関に顔を出さない。

(風呂かな?それとも眠ってしまったか?)

職場を出る際に入れたメールには今になっても返答が無い事から、そのどちらかであろうとヨシノリは考える。

(眠っていたら…、まあ、明日の朝にでもレンジにかけて食べさせよう)

コリーの右手には、タレと塩のネギマが二十本ずつ入った焼鳥屋のビニール袋。

予約を入れず、しかも時間をかけずに買える物を選んだのでレパートリーは少ないが、それでも大食漢のコータへの土産と

いう事で、量にだけは少しこだわっている。

コータが既に寝ている事も考え、なるべく静かにリビングへ入ったコリーは、そこで自分の考えと配慮が正しかった事を確

認した。

床暖房でほどよく暖まったフローリングに、丸くない部分を探すのが大変な程丸々肥えたパンダが大の字になり、ぽかんと

開けた口から「すー…かー…」と規則正しい寝息を漏らしている。

そのあどけない寝顔を眺め、心身の疲労がたちまち癒されてゆく感覚を味わいながら、ヨシノリは顔を綻ばせた。

(ただいまコータ。相変わらず可愛い寝顔だな。あ〜あ〜へそ出して…。腹を冷やすぞ?)

胸の内で帰宅の挨拶をささやいたヨシノリは、しかしそこでふと考え込む。

身長は170センチ強とヨシノリよりやや低いのだが、コータの体重はコリーを大幅に上回る。

先日体重計に乗せてみた際に150キロという自己新記録を達成し、微妙に恥ずかしがっていた事を思い出したヨシノリは、

(…いくら甘えん坊のコータとはいえ…、まさかお姫様抱っことか無茶は言い出さないだろうな…?)

そんな事を考えつつ、起こさずに寝室へ運ぶ事は潔く諦めた。

(最近は少しずつ温かくなってきたし、床暖房も効いている。おまけにこの脂肪の分厚さからすれば寒くはないだろうが…、

それでも風邪を引いたりしたら可哀相だしな…)

気持ち良さそうなコータを、上に布団でもかけてこのまま寝かせてやるか、それとも、ちょっと可哀相だが起こしてベッド

に連れて行くか、コリーは考えながらテーブルに焼き鳥の袋を置く。

そしてネクタイに手をかけて緩め、寝転がっているジャイアントパンダを再び見下ろした所で、不意に動きを止めた。

ビニール袋が立てたガサガサという音を聞きつけたのが原因か、それとも焼き鳥の匂いを嗅ぎつけたのが原因か、目覚めた

コータは瞼が半分下りたままの寝ぼけ眼をヨシノリに向け、ぼーっとした顔で「ん〜…?」と唸る。

「あ…。おかえんなさい、ヨシノリさん…」

「ただいまコータ。悪いな、待たせた上に起こしてしまって…」

顔を緩ませたパンダに微笑みかけたコリーは、「飯と風呂は済んだのか?」と訊ねる。

「飯も風呂も済み〜。ん〜!寂しかったっすよぉぅっ!…んじゃ、ただいまのチュー、カモン!ヘイカモン!」

仰向けのままのコータに、迎えるように両手を伸ばしてキスをせびられ、ヨシノリは微笑を苦笑に変える。

「調子に乗るなブヨパンダ」

「あひゃひゃひゃっ!」

むっちりした腹をブニッと踏まれ、コータはくすぐったさから妙な笑い声を上げる。

「う〜ん…、新記録達成したブヨッ腹は、心なしか踏み応えも違うな…」

「はひゃひゃひゃっ!こそばゆい!くすぐったい!こちょぐったい!んひひひひっ!」

足裏でムニムニとへそ周りを軽く踏んでやりつつ、こそばゆさで身もだえしているパンダの腹を、さらに足指で揉むように

くすぐり出す器用なコリー。

体重をかけずに足を乗せる形で揉むように踏んでやると、コータは悦ぶ。

恥ずかしくてくすぐったくて気持ちが良いとかで、これだけで股間を硬くさせてしまう事も珍しくない。

「夕食は何にしたんだ?」

「出前取って塩豚骨ラーメンと餃子とチャーハンっす!はひひひっ!くすぐったひぃっ!気持ちいひぃっ!」

「そうかそうか。土産に餃子でもと考えたんだが、焼き鳥にして正解だったな」

「はひゅひゅっ!や、やっぱ焼き鳥?匂いでそうじゃないかと…、んははふひっ!」

踏み踏みマッサージと土産をコータが悦んでいる事に満足してコリーは顔を綻ばせる。

へそ下を少し強めに、押すように踏んでやりながら、風呂の前にコータの夜食に付き合い、一杯やろうかと考え始めたヨシ

ノリは、

「ひぐっ!?」

突然上がった、喉に何か詰まらせたようなコータの声で、足の動きを止めた。

「どうしたコータ?いつにも増して変な声をだして…」

笑いながらそう声をかけたコリーは、しかし様子がおかしい事に気付いて表情を変えた。

口を真一文字に引き結び、目を大きく見開いたコータは、体を硬くして固まっている。

よほど力が入っているのか、全身が小刻みにぶるぶると震えていた。

「コータ?どうした?」

腹の上に乗せていた足を除けて訊ねるヨシノリに、しかしコータは一言も返さない。

急に一体どうしたというのか?全く判らず屈み込んだコリーが「コータ?」と心配そうに呼びかけると、パンダはごろんと

寝返りを打った。

体を丸めて横向きに転がったコータの両手、その一方が脇腹、もう一方がへその下…段が付いた下っ腹と性器の付け根の間

に添えられているのを見て、ヨシノリは手とコータの顔を順番に見る。

「腹が痛むのか?脇腹?それと下っ腹か?」

問いかけに何とか二度、コクコクと頷いたコータの目は、いつの間にかきつく閉じられており、目尻に涙が溜まっている。

大丈夫か?と声をかけるまでもなく、全く大丈夫でない事がヨシノリにはすぐに判った。

案じて撫でてやった、トレーナーがめくれて露出している白い腹に触れた途端に、その異常な程の発汗が確認できたせいで。

「待ってろコータ!すぐに救急車を呼ぶから!」

コータの様子は尋常ではない。痛いのか苦しいのか、とにかく声も出せないような有様である事を見て取り、ヨシノリは大

慌てで携帯を手に取り、救急車を呼ぼうとした。

「済まないコータ!体重をかけ過ぎたか?痛かったか?とにかく悪い…!こんな事になるなんて…!」

ボタンを押すヨシノリは、しかしコータが何か言っている事に気付き、指を止めて身を低くした。

「どうしたコータ!?何だ!?」

口元に耳を寄せてきたコリーに、ジャイアントパンダは呻きながら訴える。

「ち…、違…ふっ…!」

コータは薄く目を開け、苦痛で顔を歪ませながらも震える声を絞り出した。

「ヨシノリさんの…、せいじゃ…ないっす…!これ…、たた、たぶん…!い、いしっ…!」

「…い…し…!?」

眉根を寄せて疑問の表情を作ったヨシノリは、ふと思い出した。

一度コータから聞いた事がある。以前経験したという耐え難い苦痛の話を。

「結石か!?前にやったときと同じ感じなのか?今回も結石だと、そうなのかコータ!?」

「…そっす…!」

か細い掠れ声を漏らしたコータは、ほんの少し体の固さを解く。

「…あ…。や、山場…、越えた、かも…!」

相変わらず辛そうではあったが、コータは「救急車まではいいっす…」と言って、ヨシノリの眉をひそめさせる。

「しかし…、こんなに辛そうなのに…」

「痛いのは…、おさまって来たっすから…」

大騒ぎする程の事ではないと訴えるコータだが、しかしヨシノリは首を縦には振らなかった。

「救急車は止めるにしても、病院には行くぞコータ?」

「う…、だ、だいじょぶっすよ…」

「駄目だ。タクシーを呼ぶから、ちょっと待ってなさい」

急患扱いが嫌で拒もうとしたコータだったが、ヨシノリは頑として譲らなかった。

親元を離れた学生を預かっているという保護者としての観点から、決して見過ごせない。

やがて、有無を言わせずタクシーが呼ばれ、コータは急患センターへ向かうことになった。



その翌日、大学病院の泌尿器科では、

「おめでたですね」

眉間に白い十字がある黒い馬は、ボードに貼り付けた図を指し示しながら、ヨシノリとコータに告げていた。

今日は平日だが、ヨシノリは年休を使って、コータを泌尿器科へ連れて来ている。

急患センターで受診した昨夜は、痛みが落ち着いたこともあって、検査を受けて結石以外の別の重篤な病などではない事を

確認した後、鎮痛剤投与で様子見となった。

だが、簡単な検査でも結石がそこそこ大きいらしい事が判ったので、より精密な検査で確認するよう、改めて泌尿器科で受

診する事を勧められたのである。

「大物ですか?」

「ええ、ビッグなベイビーですよ。だいぶ育まれています」

「どのぐらいでしょう?結構難産になりそうですか?」

「う〜ん。通常、4ミリ以下なら尿管を抜けますので自然分娩ですが、コータ君の場合は倍以上…、1センチ強の元気な子を

身ごもっていますから…、自然分娩は無理でしょうね」

「うぇ…!」

気分が悪くなってきたのか、コータは下っ腹を押さえて呻く。

冗談めかした会話を真顔で交わすコリーと黒馬は、友達付き合いしている同類であり、コータも面識がある。

大学病院に勤務する台馬伸介(だいばしんすけ)は、ヨシノリと同じ大学を出た、二つ上の先輩である。

190センチ近い長身で、すらりとした体躯に白衣がよく似合う。

大学までは陸上競技…特にショートトラックに打ち込んでいたせいもあり、太腿やふくらはぎは筋肉が発達してがっしり太

く、長身は無駄肉をそぎ落とされて引き締まっている。

ヨシノリを除けばたいがい体に緩みが出てきている大学時代の仲間達の中で、三十路を越えても現役時代と殆ど変わらない

体型が維持できているのは、日課のジョギングの効果であった。

常から丁寧な口調と穏やかな物腰をしている紳士的な馬だが、親しいヨシノリと知らぬ仲ではないコータ相手には、これま

た紳士風にセンスの良いジョークを飛ばす。

ご懐妊ネタでコータを恥ずかしがらせているのも、それほど重篤な物ではないのだと雰囲気からして理解させる為であった。

「本来なら背中と側腹部に散りがちな痛みが、下腹部の方にまで強く…しかも睾丸にまで出たのは、膀胱に近い位置に移動し

てきたせいですね」

「俺は経験がなくて単に「痛そう!」としか感じられないんですが…、実際どれぐらい痛いんです?コータの様子からすると

相当な物でしょうが…、例えるとどんな症状に近いでしょう?」

そう訊ねつつコリーが横目でパンダを窺うと、黒馬は神妙な顔で頷いた。

「陣痛の痛みにも匹敵しますね」

「…それも経験できそうにないですね…」

「そこは察してあげるしかありませんね。コータ君は産みの苦しみに耐えていた訳です。色々な意味で」

「…あのぉ…、そろそろ妊婦ネタから離れて貰えないっすか?」

恥ずかしげに首を縮めて小さくなっているコータに囁かれ、シンスケは微笑んだ。

「ああ済みません。それで今後の治療ですが…、先にも言いましたが石が大きいので自然排出は望めません。施術での除去を

お勧めします」

「セジュツ!?」

身を固くしたジャイアントパンダに黒馬が頷く。

「ああああのっ!前は貰った薬飲んでたら勝手に出て行ったんすけど、ああいうのとかじゃ駄目なんすかっ!?」

「先にも言いましたが大き過ぎるんですよ。おそらく前回は小振りだったんでしょうねぇ、ベイビーが。今回は間違いなく尿

管を抜けませんので、このままだとおしっこが正常に出なくなり、お腹の中の色んな臓器に溜まって、内圧が高まる事による

激痛が繰り返し訪れ、やがて…」

シンスケは一度言葉を切ると、口元に片手を当てて、小声で囁いた。

「ボンッ…!って破裂しちゃいますね…。タマタマとかが…」

「ぎゃぁあああああああああああああああああああああーっ!いやぁあああああああああああああああああああああーっ!」

股間を押さえ悲鳴を上げるコータの前で、シンスケは「ははははは」とほがらかに笑う。

「破裂は冗談です。まぁあながち冗談とも言い切れませんが…、タマタマがボンッは無いですから、ボンッは」

「…つまり、ボンッていわないだけで、どこかが破裂はあり得るのか…。膀胱とか…?」

呟いたヨシノリはさすがに少しびびり気味で、腰が引けてやや前屈みになっている。

睾丸に関する話題は、男である以上他人事では無い。痛みを想像しようものなら体が自然に防御姿勢を取ってしまう。

「それに、施術といっても色々ですから、そう怖がらなくとも平気ですよ。結石は、今では開腹手術まで行わなくとも除去で

きますからね。具体的には内視鏡とか、衝撃破砕とかですね。お腹にメスを入れなくとも済みます」

「内視鏡というと…?」

コリーが問うと、黒馬は聴診器の管を指先で摘みながら話し始めた。

「尿道から細い機具を挿入して、結石の位置まで導いた後、レーザーなどで破壊します」

「…つ、つまりその…、ソーニューって…、チンチンから…?」

恥ずかしげに、そして恐る恐る訊ねたコータに、シンスケは「そういう事です」と頷く。

「おチンチンの先からこう…、つつーっと内視鏡を入れてですね、結石を見つけて壊すんです」

「うっ!?…べ、別の方は…、どういうもんすかね?」

ちょっと嫌だったらしく、コータはもう一つ挙がっていた例について訊ねる。

「体の外から衝撃波を送って結石を壊す方法もあります。こちらもメスを入れずに結石破砕ができますし、入院も短くて済み

ますよ」

「あ。そっちのが良いかも…」

少し表情を緩めたコータの横で、ヨシノリは難しい顔つきになって唸った。

「それは、コータにも使えますか?」

コリーが黒馬に問いかけた意味が判らず、ジャイアントパンダは首を捻る。

「エコー検査でもあれだけ苦労したのに…、コータの腹に衝撃波とか…、きちんと通るんでしょうか?」

結石の検査に際し、コータはエコー検査も受けている。

が、胴回りにぼってり付いた過剰な脂肪が音波検査を妨げ、様々な角度から試そうとした困り顔のシンスケに出っ腹をグリ

グリとこねくり回される羽目になった。

悲鳴とも笑い声ともつかない妙な声を上げながら検査されていたコータの姿を思い浮かべ、衝撃波も音波と同様に贅肉で阻

まれるのではないかと、ヨシノリは懸念したのである。

「確かに、極端に太った患者さんだと効果が弱まる事もありますが…」

シンスケとヨシノリの視線が丸く突き出た腹に注がれ、コータは「えへ…」と恥ずかしげな笑みを浮かべて舌を出す。

「それでもエコーほど絶望的ではありませんよ。効果が弱まったとしても、数度繰り返す事で破砕できますし、効果を高める

方法などもありますから」

とりあえず納得したらしいヨシノリは、コータの体にかかる負担も軽くて済む事を確認すると、

「そうですか…。入院も短く済むという話でしたが、どの程度でしょう?」

と、気になっていた入院期間についてシンスケに訊ねた。

「う〜ん…。術後の経過観察も含めて、順調にいって三泊四日といった所ですかねぇ」

自分が予想していた以上に短い事を知り、ヨシノリは表情を緩める。

「どうだコータ?放置もできないんだし、やって貰おうか?」

「そっすね…。腹ん中に石があるの考えながら生活すんの、落ち着かないし…」

コータが上目遣いに窺うと、シンスケは安心させるように微笑み、頷きかけた。

「何より、痛みが再発するかもしれないとびくびくしながら過ごすのは、精神衛生の観点から言ってもあまり良くありません。

幸い泌尿器科のベッドには今現在結構空きがありますから、希望するなら今日からでも手配しますよ?」

ヨシノリはコータと顔を見合わせる。

あんなに苦しがっているコータを見るのは御免被りたい。できる事ならさっさと原因を取り除いておきたい。それに、現時

点でベッドが空いているというのは、さっさと済ませろという天啓のようにも思えた。

(いざという時にベッドが埋まっていては困るし、善は急げともいう…)

考えた末に、ヨシノリは頷いた。

「コータの親御さん達に了解を貰ってからになりますが、できればすぐにでも…」

「嫌っす!」

パンダが唐突に声を上げ、ヨシノリは言葉を切る。

驚いて見遣れば、コータは難しい顔つきをしていた。

「嫌って…、聞いていただろう?別に手術して腹を切るとかそういう事じゃないぞ?」

「そうですよコータ君。怖い事なんか何もないですからね?」

「怖いとか…、そういったもんで嫌な訳じゃ…」

顔を俯けたコータは、ボソボソと呟いた。

「明後日…、ヨシノリさんの誕生日じゃないすか…」

コリーと黒馬は『あ』と声を重ねる。

「今入院したら、明後日に退院できるっすか?」

問われたシンスケは「難しいですね…」と応じた。この数年後には日帰りが定着する結石破砕術も、この時点では経過観察

を含めて四日から五日の入院がセオリーとなっている。

「お祝い、終わってからにしたいっす…」

「コータ…。気持ちは嬉しいが、優先度が比較にならないだろう?俺の誕生日祝いなんかより、治療が先じゃないか」

自分を案じてくれているコリーの言葉を受けても、ジャイアントパンダはすぐには返事をしなかった。

二十歳になっただの、資格が取れただの、出会ってからこれまで何度か祝われて来たが、ヨシノリを祝ってやった事は一度

も無い。

だからこそ、祝ってやれるヨシノリの誕生日の訪れを、これまでずっと、密かな楽しみとして待っていたのである。

そんな内心まではさすがに気が回らなかったが、ヨシノリはそれでも、コータが自分の誕生日を意識していてくれた事が嬉

しかった。

「それなら、一足早く俺の誕生日祝いの希望を聞いてくれ、コータ」

コリーは微笑してパンダの顔を見つめる。

「入院して、きちんと治療を受けてくれ。我慢して無理をしてリスクを抱えて、そんな状態で祝って貰ったって、俺は嬉しく

ない。…コータが元気でないなら、祝われても嬉しくないぞ?祝って貰うなら元気に祝って貰いたい。大切なコータに…」

「ヨシノリさん…!」

案じて諭すコリーの台詞には甘い言葉が混じり、首っ丈のパンダは無下に断れなくなる。

「わかったっす…。入院します…」

「そうしてくれると俺も嬉しい。誕生日なんかより、コータの方がよっぽど大事だ…」

ラブラブ臭を発散させる二人を、黒馬医師は微笑みながら、やや遠い目で眺めている。

台馬伸介。半年前に奔放過ぎる恋人から一方的に別れを切り出され、現在はやや寂しいフリーの身。

それを知らずに目の前でいちゃつくコリーとパンダの姿は、紳士には地味にキいていた。



「猿綱(さわたり)さんも、ああいう風なお医者さんになるんすかね?」

「どうかなぁ?そもそもあっちは美容整形を目指しているし、性格もかなり違うからな」

短期入院という事もあり、荷物は少ない。支度をさっさと済ませて病院に戻ってきたコータとヨシノリは、看護師に案内さ

れて、あてがわれた部屋へと向かっている。

シンスケの話では個室も希望できるとの事だったが、ほんの数日の入院なのでそこまでの快適性は必要ないとコータが主張

し、四人部屋に落ち着いた。

何より、個室は相部屋と比べてかなり割高になる事が病院にそれほど詳しくないコータにも判っていたので、勿体なくて敬

遠したのである。

やがてたどり着いた部屋の前で、患者の名札が入った病室のプレートを確認したヨシノリに倣い、コータはちらりと視線だ

け走らせた。

名前までは確かめなかったが、部屋には既に二人患者が入っている事は判った。

入り口を潜れば、洗面室兼トイレのドアが右手側にある。そのまま真っ直ぐ2メートルほど足を運べば、ベッドが並ぶ正方

形の空間。先客は窓際の二つのベッドに居るらしく、カーテンで区切られた向こうから、ボリュームを絞ったテレビの音が小

さく聞こえていた。

(顔出さないし、テレビつけながら寝てるのかも?挨拶は後で良いかな…)

そう考えたコータは看護師にベッドを教えられ、入って右手前側のベッド脇へ荷物を下ろした。

ここが、入院中はコータの寝床、兼生活スペースとなる。

「へぇ、結構広々と使えるじゃないか」

とヨシノリは言ったが、パンダは「そうすかぁ?」と眉根を寄せる。

(ベッドで手狭だと思うけど…、ヨシノリさん太くないから?だから広々感じんの?)

看護師が下がった後、ヨシノリはカーテンを閉めてやり、コータの着替えを待った。

「きつくないか?」

「平気っす。ゆったりサイズ、用意してくれたみたいで…」

衣擦れの音と返事に耳を向けていたヨシノリは、ちょっとした気配を感じて首を巡らせた。

コータの隣のベッド、カーテンで覆われた窓際の一機から、患者が身を起こしたらしい音が聞こえた。しかもその直後から

静かになっている。

元通りに静かになったのではなく、元よりもさらに静かに…。テレビのボリュームすらさらに落として、まるでこちらを窺っ

ているように、である。

(テレビをつけながら眠っていた先客が、目を覚ましたのかな?)

新しく患者が入った事に気付き、こっちを窺いつつも気を遣ってテレビの音量を絞ったのだろうとヨシノリが考えていると、

「おわりましたー」

シャッとカーテンが開き、ベッドの上に座ったコータが声をかけてきた。

普通サイズのベッドは、水色の患者衣姿のパンダが乗ると、やけに窮屈そうに見える。

(なかなかセクシーじゃないか。患者衣姿も)

そんな事を思いつつ、ヨシノリがベッド脇で荷物の収納に取りかかると、

「…あ…」

横合いから、小さく声が聞こえてきた。

コータとヨシノリが揃ってそちらを向けば、カーテンを少し開けて二人を…というよりも、コータを見ている先客の姿。

濃い茶色の毛に、目の周りを囲む黒い円。患者衣姿の若者は、やや背の低い小太りな狸であった。

おそらくコータと同じ年頃であろうと、ヨシノリが目星をつけた次の瞬間、

「タヌマ君っ?」

コータが素っ頓狂な、やや裏返った声を上げた。

「やっぱりササキ君だ!」

狸の方もコータに負けず劣らず驚いているようで、目が皿のようになっている。

「どうしたの?どこが悪いの?」

「タヌマ君こそどうして…。入院してたなんてぜんぜん知んなかった!」

「昨日入院したんだ。あ、オレ尿道結石なの。今日体外衝撃で壊したけど」

「うっは!同じだし!」

「え!?ササキ君も石!?あっはははー!太ってるもんねぇお互い!」

「でもって、塩味濃いのとか脂っこいの好きだし、お互い!」

「言えてるー!」

どうやら知り合いらしい青年と和気あいあいと言葉を交わしているコータに、事情が飲み込めないヨシノリが目で問いかけ

ると、気付いたコータは狸を手で示した。

「あ。大学の同級生で…」

「田沼巧(たぬまたくみ)です」

ぺこりとお辞儀した狸に名乗り返したヨシノリは、とりあえず、「遠い親戚で保護者役」なのだと、自分とコータの関係を

誤魔化した。



「…はい。…はい。仕事?いえいえ、私の方は大丈夫ですよ、お気になさらずに…。ははは!いいえ、弟のような物ですから、

負担なんてそんな…。頼りないでしょうが、どうか安心してお任せ下さい。では、明日また施術後に報告の電話を入れさせて

頂きます。コータにも寝る前には実家にかけるよう言っておきますので…。はい。はい。お休みなさい。失礼します」

話を終えたヨシノリは、公衆電話の受話器を戻した。通話相手はコータの実家、ジャイアントパンダの母親である。

コータを居候させる際に、家族からは承諾を得ている。

男同士でありながら肉体関係まで持った恋人であるという事はさすがに伝えておらず、バイト先の気が合う兄貴分なのだと、

コータは家族に説明した。

元々放任主義なのか、それともコータの事を信用しているのか、はたまたヨシノリが信頼できる相手であると判断したのか、

マンションまで様子見に来た母親は、特にごねる事も無くコータをヨシノリに預けた。

宿代という事なのか、親戚からの貰い物の米や野菜を頻繁に送って来る両親は、ヨシノリの事をすっかり気に入っているよ

うで、一度次男を連れて家族総出でやって来た際には、

「コータも懐いてる事だし、可愛がって貰えてるみたいだし、なんならこのまま結婚して貰えればいいのにねぇ」

などと、二人プラス次男をドキッとさせるような事をしみじみと言っていた。

「母さんや。ヨシノリさんは男性だぞ」

「判ってるわよ」

「…母ちゃん。兄ちゃんも男だよ…?」

「あらそうだった」

そんな会話を交わす親子を、ヨシノリとコータは笑みを浮かべつつ冷や汗をかきつつ眺めていた物である。

「さて、宜しく頼まれてしまっている事だし…、きちんと電話入れるように言っておかないとな…」

コリーは快活なパンダ母の顔を思い浮かべながら電話から離れ、病室に向かって歩き始めた。



一方その頃ジャイアントパンダは、隣のベッドの患者と、主治医の黒馬のやりとりを眺めていた。

「熱も上がっていませんね。これなら、明日の検査も問題ないでしょう」

「はい。ありがとうございます!」

小太りな狸は丸顔を緩めて、黒馬の微笑に応じる。

今日結石の破砕を受けたタクミは、明日一日を検査と経過観察に費やし、問題なければ明後日の午前中に退院予定なのだと

いう。

「石の砕け残りはないと思いますし、初めてでもないので勝手は十分理解頂けていると思いますが…、一応明日一日はあまり

動かないようにして下さい。息が乱れるほど動いてはいけませんよ?」

「はい。気をつけます」

「結構です。では、ちょっと触診しますので、痛みの状態を教えて下さいね」

シンスケに促されて仰向けになったタクミは、患者衣の前をはだけ、弛んだ腹をペロンと出す。

他の箇所の茶とは違って白が混じって色が薄い、クリーム色の柔らかな毛に覆われたタヌキの腹に慎重な手付きで触れつつ、

「ここはどうですか?痛みますか?この辺りに鈍痛は?手を離した直後に痛みが強くなる所はありませんか?」

などと問いかけながら、黒馬は軽く押して痛み方を確認する。

少し恥かしげにその様子を眺めながら、タクミは首を振ったり頷いたり、感覚を説明したりと、ややせかせかした様子で対

応していた。

(むっは〜!やっぱ誰でも恥かしいんだ、腹こねくり回されんのって)

コータは親近感を覚えつつ、ニヤニヤと隣のベッドを眺めていたが、この時はまだ、タクミの異常に気付けていなかった。



その数時間後。院内の休憩室で、長椅子にかけたコリーは紫煙を吐き出していた。

喫煙が制限される病院内は、愛煙家のヨシノリには少々過ごし辛い。

それでも、こうしてタバコを吸える部屋が院内にあるだけマシな方である。最近では敷地内完全禁煙になっている病院も少

なくない。

「年々、肩身が狭くなってくるなぁ…」

「そろそろ諦めて禁煙したらどうですか?高くなってきていますし」

ブラックのコーヒーが入った紙コップを片手に、息抜き中の黒馬が笑いかける。

「ちょっとした値上げですっぱり止められれば、これほど多くの喫煙者は苦労しませんよ。酒と同じで、味を覚えると止め難

い…」

肩を竦めたヨシノリに微苦笑を返し、シンスケはコーヒーをチビリと啜る。

「良いんですか?コータ君についていてあげなくても…。面会時間はもうじき終わりますよ?付き添いで泊まる訳でもないん

でしょう?」

「勿論、顔を出してから帰りますが…。幸いにもコータの知り合いが同室でしたから、アイツも退屈しないで済みそうです。

…逆に、俺が常に傍に居るとタヌマ君が不自然さを感じるかもしれない」

「なるほど。それで病室から離れていたんですね。そして、そのせいで少し寂しげなんですか…」

シンスケの言葉に、ヨシノリは「ん?」と首を傾げる。

「寂しげですか?俺は」

「微妙にですけれどね」

「それじゃあ気をつけましょう。コータは気付いたら気にするだろうし、今は余計な負担をかけたくない」

「優しいですね、相変わらず」

微笑むシンスケに、ヨシノリは笑みを返す。

「シンスケさん程じゃありませんよ。舟形(ふながた)への甘やかしっぷりを見ていると、絶対勝てないと実感します」

含み笑いを漏らしたヨシノリは、しかしシンスケの微笑が変化した事に気付き、訝るように眉根を寄せる。

「どうかしたんですか?仕事が忙しくて、あまり会えていないとか…」

「ああ、いえ…」

歯切れ悪く、曖昧な返事をしたシンスケに、ヨシノリは首を傾げながら問いを重ねた。

「何です?もしかして、ケンカでもしたんですか?」

自分と元恋人の事を案じてくれる後輩に、シンスケは、「実はですね…」と切り出した。

自分達の交際は既に破局を迎えていたという、打ち明け辛い話を。



ヨシノリがシンスケから恋人との別れについて打ち明けられていた、丁度その頃、

「おお、居た居たぁ。大丈夫かササキ?」

丸い体躯の大きな虎が、病室を訪れてコータを発見していた。

「トラ先生!」

同室の狸との話を中断して振り返るなり、見知った巨体を目にして驚くジャイアントパンダ。

そんな彼に緩んだ笑みを向けつつ、大虎はのっそりとベッドに寄る。

筋肉質な体がスタンダードスタイルの虎獣人としては非常に珍しい、肥満の巨漢であった。

コータ以上にでっぷりと肥え太った大きな体に、頬が丸い弛んだ顔つき。太い鼻梁に乗せている眼鏡の奥では、眠たげにも

見える細い目が穏やかな笑みで目尻を下げている。

前を開けたジャンバーから覗くトレーナーは、コータの物より重そうな太鼓腹で引き延ばされ、まん丸く突き出ていた。

どっしりとした尻からは縞々の尻尾。手足や胴だけでなく、こちらまで太い。

この肥満虎は寅大(とらひろし)。教師である。

ヨシノリの友人であり、コータにとっては高校時代の恩師と、二人共通の親しい相手であった。

「ヨシノリさんから入院したって聞いてなぁ、そりゃあもぉビックリしたぞぉ?でもまぁ、元気そうでひとまず安心した」

穏やかな笑みを浮かべ、のんびりとした口調で話す虎は、見舞いにとペットボトル入りの水や茶、清涼飲料が入った袋を掲

げて見せる。

「水やジュースも、ちゃんと主治医の先生の指示を守って飲むんだぞぉ?」

そう言いつつ、自分を眺めている狸に気付いたヒロは、特に意味が無くとも相手に向けるその緩み笑いを当たり前のように

タクミにも向ける。

「あ。こちらトラ先生。高校でおれの担任だったんだ。先生?こっちはタヌマ君。大学の友達」

会釈したヒロに、タクミは「どうも…」と、おずおず頭を下げた。

熊族であるコータを軽く上回るボリューム満点の体躯は、圧倒的ですらある。体積も、その緩み具合も。

一般的な虎のイメージを粉々に粉砕するヒロのビジュアルは、見慣れればそれなりに自然なのだが、なにぶん初対面だとか

なりのインパクトがある。タクミが受けた衝撃は、例によってステレオタイプの虎獣人イメージの根幹にひびを入れるほどの

物であった。

(すっごいおデブ具合!でもってでっかい!ササキ君をそのまんまでっかくして、筋肉を緩ませた感じ?)

そんな失礼な事を考えているタクミから視線を離し、ヒロはコータに訊ねる。

「ヨシノリさんはどうしたんだぁ?今日は一日付き添っていると聞いていたんだがなぁ」

「さっきタバコ吸いに行くって…、喫煙室だか?休憩室だか?確かそっちに…」

「おぉそうかぁ。病院だもんなぁ、愛煙家のヨシノリさんは大変だろう」



「は…、は…、っくしゅっ!」

「おや、体でも冷やしましたか?まさか院内で貰い風邪をした訳じゃあないでしょうね?」

「いや、悪寒とかは一切…。急に鼻がむずむず来まして」

「それなら、誰かが噂をしているのかもしれませんね。「禁煙すれば良いのに」とか」

「今日はやけにつつきますね、シンスケさん」

そんな事を話しながら一緒に廊下を歩き、業務に戻るシンスケと途中で別れて病室に向かったヨシノリは、部屋の手前で病

室内から聞こえて来る弾んだ声に気が付いた。

(随分盛り上がってるな?やっぱり同じ年頃の相手だと、コータも話が弾…)

心の中で呟きつつ、満足げにニコニコしながら病室に入ったヨシノリは、

「お?ヒロ、わざわざ来てくれたのか?」

コータのベッド脇に座っている後輩の顔を目にして一度驚き、後に表情を緩ませた。

「おお、邪魔してたぞぉヨシノリさん。ササキも思ったより元気そうで安心した」

「ははは…。昨夜は本当にヒヤヒヤしたんだがな…」

苦笑いを浮かべたヨシノリは、ふと不思議に思って三人の顔を見比べた。

先ほどまで聞こえていた声には、コータと狸だけでなく後輩の物も混じっていた。

そう長くは席を外していなかったのだが、何故また急に仲良くなれているのだろうかと、コリーは小首を傾げる。

「それじゃあ私はそろそろ…。お邪魔しました、ササキ、タヌマ君」

「あ、お見舞いありがとうございました先生!」

「お話、楽しかったです。有り難う御座いました」

ヒロが腰をあげ、コータとタクミが笑顔で声をかけると、ヨシノリの首の角度はキツさを増した。

(どんな話をしていたんだ?ヒロは…)

「…あ、俺もそろそろ出ないと…。コータ、帰る前に何かやっておく事は無いか?何でも遠慮しないで言いなさい。明日の朝

はなるべく早く来るつもりだけれど…。あ、しつこいようだが下着の替えはここな?それとタオルは…」

「ヨシノリさん。おれもう子供じゃないんだし…」

苦笑いしたコータに、ヨシノリは「そ、そうだな…」と気恥ずかしそうに頬を掻いて見せた。

「本人よりも、保護者の方がよほど落ち着き無いなぁ」

ヒロの一言に、コータとタクミが小さく吹き出す。

「そ、それじゃあ俺は帰るよ。また明日な、コータ」

「はい。あ、ヨシノリさん…」

立ち去りかけたヨシノリを呼び止め、コータは照れ臭そうに、そして嬉しそうに笑う。

「忙しいのに、お休み取らしちゃってすんません…。…ありがと…」

「…気にするな」

口の端に笑みを乗せて応じたヨシノリは、ヒロと供に病室を後にした。



「二人とは、どんな話をしていたんだ?あの狸の子とも随分仲良くなっていたようだが…。知り合いだった訳じゃないよな?」

「んん?いや初対面だなぁ。クイズ番組の他愛ない話をしていただけなんだが…」

並んで歩くヒロが応じると、ヨシノリは「ふぅむ…」と唸った。

(いかにも無害そうだから、誰にでもすぐに気を許して貰えるんだろうか?今じゃもう、常に仏頂面だった数年前とは、間逆

の雰囲気が定着しているからなぁ…)

街路灯の光を見上げ、ヨシノリはそんな事を考える。

贅肉が過剰搭載された腹と尻を揺すって歩く大虎は、恋人の死別を経て大きく変わった。

彼が好きだと言っていた、しかし自身はあまり好まなかった笑みを、なるべく顔に浮かべて過ごすようになった。

仏頂面が笑顔に、不器用な優しさが柔らかな包容力に、心がけ一つでこうも変われる物かと周囲が驚く程に、ヒロは急激に

柔らかく、穏やかになった。

当初こそ、あまりのショックでどうにかなってしまったのではないかと心配したヨシノリだったが、程なく納得した。

きっとこれが、カズが望んだヒロの姿。気恥ずかしさから不器用にしか表せなかった優しさを、穏やかさを、懐の深さを、

恐れず前面に出したヒロの姿なのだろう、と…。

今夜は、元々自家用車を持っていないヨシノリも、駅から直行だったというヒロも、病院を出た後は徒歩でタクシー乗り場

へ向かっている。

予定していた事では無いが、こうして顔を合わせられたのも丁度良いので、マンションで軽く一杯やろうと、自然に話が決

まっていた。

昨夜買って帰った焼き鳥は、コータが食べられるような状態ではなくなってしまったため、手付かずのまま冷蔵庫に突っ込

んである。

ヨシノリ一人では手に余る量だが、ヒロが居ればペロリと片付けてくれるので、実に丁度良かった。

「…そういえば、ヒロと飲むのもかなり久し振りだな」

「ん〜…?そうだなぁ、ヨシノリさんとササキが付き合い出してからは、一緒に飲む機会も無かったかぁ」

のっしのっしと歩きながら、ヒロはたっぷりした顎下を手で撫で、思い出すように細い目をなお細めた。

「本来なら、去年のように正月辺りにでも誘うつもりだったんだが…、コータが帰省しないでこっちに残っていたからな。初

詣やら初売りやらで、結局機会が無かった」

「はっはっはっ、それでいいさ。ササキを大事にするのが一番。独り身の私に同情して、寂しかろうと気遣うのは、六番目ぐ

らいで良い」

「何だその具体的な数字は?とにかく誤解の無いように言っておくが、気遣いとか同情とかそういう事で飲みに誘う訳じゃ…」

「まぁ、気にかけて貰えるのは…、それはそれでちょっと嬉しいんだがねぇ?」

言い訳染みた反論を試みたヨシノリだったが、そんな事を言ったヒロにニンマリと笑いかけられ、口を閉ざして首後ろを掻

いた。

「…まぁ、誘って貰ったとしても、正月はちょっと無理だったかなぁ…」

「ん?忙しかったのか?」

「元日からなぁ、お年始にと土産を大量に持参して、兄貴が転がり込んで来てなぁ」

「おや珍しい。元気だったか?」

「元気だった。そしてそのまま三日居座られた。あんなのが部屋に居ると、暑苦しくて狭くてかなわんなぁ…」

「…なるほど…」

どの口が言う?とは思ったが、喉元まで上ってきていたその言葉を、ヨシノリは大人の対応で飲み下した。



連れ立って出て行ったコリーと肥満虎がマンションに到着し、レンジにかけた焼き鳥をつまみに酒を飲み始めた頃、コータ

の方は…、

(消灯…、早過ぎるって…)

暗くなってすっかり静まりかえった病室の中で、コータはヘッドホンを繋いだテレビを眺めながら、暇をもてあまして膨れ

ていた。

同室の三人目…、日中からカーテンに覆われていたベッドは、夜になってもカーテンが引かれたままである。

そのベッドの主は羊で、かなりのお年寄り。耳は遠くないのか、テレビの音量を絞って子守歌代わりにし、何も無い時は昼

間でもほとんど眠っているようである。

そっちはいい。そちらはたぶん夜も早く就寝するだろうと考えていたので、コータも驚きはしない。だが…、

(なんでこんなソッコーで寝れんだろ、タヌマ君…)

コータと同い歳の狸は、消灯と同時にテレビを消して、さっさと寝入ってしまった。

老羊の迷惑になりかねないので、まさか夜中まで大声でおしゃべりはできないが、それでも眠気がやってくるまでひそひそ

と話をするぐらいは良いだろうと、パンダは考えていた。

しかし、本人にその気はなくとも、タクミはほぼ抜け駆けする格好で一足早く夢の国入りを果たしている。

テレビ番組もあまり面白くなかったので、コータは仕方なくスイッチを切って無理にでも眠ろうと心がけた。

だが眠気は一向にやって来ない。

その上、ヨシノリと一緒に眠るようになり、目が覚めても間近にいて触れ合っている事に慣れてしまったコータは、徐々に

寂しさすら覚え始めた。

すっかり甘ったれになってしまった自分に呆れつつ、コータはヨシノリの匂いを、温もりを、感触を思い出しながら眠ろう

として…。

(…勃っちゃった!何てこったい!)

半目を開けて困ったように鼻で唸る。

大事なシンボルの付け根の奥の奥、腹の中に痛みの元となる石があってもそれはそれ、性欲とは別物であった。

意識してなだめようとするが、股間の疼きはまったく去らず、それどころか刻々とむずがゆさが増して来る。

(う〜!駄目だ駄目だって考えれば考える程ムラムラするぅ…!禁じられた遊びこそ魅力的だって言うアレ?ああいう感じ?)

そんな自己分析をしている間にも、無意識に手は股間に伸びている。

カーテンで区切られただけのベッドでは、音はほぼ筒抜けである。自慰に耽ればバレる可能性も大きい。だがしかし、

(…そのぎりぎり感のせい?なんかこう…、燃えて来たっ…!)

今夜のコータはチャレンジャーであった。

熟睡しているなら多少の物音では起きないはず。うめき声などを漏らさないよう、枕を顔に当てて行えば、バレずに達成す

る事も夢ではない。

そんな計算を働かせつつ、コータは自慰行為に走る前に、まずは相部屋の二人の様子を窺った。

(羊のお爺さんの方は…、歯が抜けて不揃いになってるせいで、すきま風みたいな音がする。こっちはすぐ判る。リズム的に

寝息だなこれ?寝息っしょ?寝息だよね?呼吸深いし…。あとはタヌマ君の方だけど…)

しばし耳を澄ませたコータは、タクミも鼻が半分詰まっているような音の寝息を漏らしている事を確認すると、

(よし!作戦決行!)

そろそろと手を伸ばし、ボックスからティッシュを数枚引き抜いた。

むっちりした体を覆う患者衣、その脇腹の紐を一本、次いで内側で止める逆の一本を、そろそろと細心の注意を払って解く。

布団とシーツ、枕と患者衣、それに体が擦りあわされて立てる衣擦れの音で緊張を、そして興奮を高めながら、コータはも

そもそと体勢を整えた。

点滴が繋がれているので動きに不自由するものの、その制限された状況が、雰囲気酔いしているチャレンジャーコータのテ

ンションをさらに上げた。

枕元に置いていたティッシュを摘み、布団の中に引っ張り込み、いざ!とばかりにいきり立つ短い肉棒を掴んだコータは、

「…あ、ダイバ先生…」

唐突に聞こえたその声に、口から心臓を吐き出しつつ失禁しそうなほど仰天した。

ドックンドックン耳元で響く心音越しに部屋の音を伺う、冷や汗で全身をじめっとさせたチャレンジャーコータ。

ドアが開閉したようには思えなかったがシンスケが部屋に入ってきたのだろうか?探るコータの耳に、再び声が忍び込んだ。

「先生…、あ…」

目を大きく見開き、耳に神経を集中させるコータ。

声の主はタクミであった。そしてその声はシンスケが居る事をほのめかしている。

コータは息を殺す。何が起きているのか見極めねば、とうてい自慰などできない。そんな考えから、欲望を堪えて警戒する。

が、タクミの声はそれっきり途切れ、規則正しい寝息しか聞こえなくなる。

(あ、あれ…?もしかして寝言?)

しばらく待っても全く変化が起きず、コータはやっとその可能性に思い至った。

だが、コータはまだ安心できなかった。確実にシンスケが居ないと確認するまでは、とうてい自慰などできない。そんな考

えから、欲望を抑え込んでの警戒は続いている。

やがてコータは意を決して布団を除け、そろりとベッドから降り、カーテンを静かにかき分けて室内の様子を窺った。

白衣の黒馬の姿は無い。やはりただの寝言だったのだとほっとしたコータは、安心してベッドに戻った。

が、いよいよ自慰に取りかかろうとしたその時、

「…先生…、好き…す…」

その囁くような寝言が、音量に反して鼓膜を激しく揺さぶった。

(え?…好き?好きって言った今?え?えっ!?先生好き!?)

ベッドの中で太く短い自分のソレを掴みながら、コータは息を殺して耳を澄ます。

しかし、いくら待ってもタクミの寝言はそれ以上続かなかった。

自慰の事も忘れて耳をそばだて、コータは結局、明け方までまんじりともせず過ごした…。



「うわすっごい目!真っ赤っかだぁ!平気?寝られなかった?」

翌朝、目を真っ赤に充血させている友人の顔を見て、狸はたいそう驚いていた。

「平気。枕変わったせいかなぁ…、そんな神経質な方でも無いと思ってたのに、明け方まで眠れなくって…、ふぁ…」

言葉を欠伸で中断したコータに、タクミは「びっくりしたー」と笑いかける。

(いやビックリしたのはこっちだって…。結局あの後何も言わなかったけど、あれって…)

目尻の涙を拭いながら胸の内で呟くコータは、ある疑問についてずっと考えている。

先生、好き。

タクミの寝言が意味する物を、コータは寝不足で重い頭を必死に働かせつつ吟味する。

先生とは、コータとタクミの主治医であるシンスケの事。

そして、「好き」とは…。

やがて、タクミが洗面に行った隙を突いて、コータはある確認をおこなう事にした。

(第三の男…。お爺さんに話を聞く!もしかしたら、実はおれが寝ぼけてて聞き間違えてた…。って事もあり得るし…)

「あの…、お爺さん?」

コータがおずおずと声をかけると、朝のニュースを眺めていた羊の老人はゆっくりと振り向き、パンダの丸顔に茫洋とした

眼差しを向ける。

「お爺さんは、タヌマ君より先に入院してるんすかね?」

しかし、その質問に返事はなく、もしかしてややボケが入り始めているのだろうかと心配になったコータは、しばし間を置

いてからようやく老人が頷くと、ほっとして話を続けた。

「タヌマ君、寝言とか言うみたいなんすけど、聞いた事あるっす?」

またもかなり間を開けてから、老羊はこくりと頷く。

「そうすか…。おれが聞いたの、先生を呼んでるみたいな寝言だったんすけど…、どんな感じだったっすか?」

やはりかなり間を開けて、老羊は無言で頷く。

もしかして、質問の意味が判っていないまま頷いたりしているのだろうかと、コータは不安になって来た。が、

「看護士さんとか呼んでた事とかもあるっすか?」

との問いかけには首を横に振って応じたので、質問内容を把握して応じていることを確認できた。

「昨日はダイバ先生を呼んでたっすけど…」

またも老人が黙って頷き、コータは「やっぱり…」と呟く。

「いや、どうでも良い事なんす。苦しくて呼んでるのかなぁって、昨夜はちょっと気になって…。ありがとうございました」

コータがぺこりと頭を下げると、老羊は再びテレビに向き直った。

(聞き間違いじゃない…。しかも前にも寝言で先生を…。これって…、これって…)

ベッドの上であぐらをかき、コータは腕組みする。

愛らしいカラーリングとはいえ、そこは150キロを越すパンダである。考えている内容は別として、あぐらをかきつつ腕

組みし、難しい顔をして考え込めば、それなりにどっしりと落ち着いて見えるから不思議である。

(タヌマ君は、もしかしておれ達と同類…?でもって、ダイバさんの事が好き…?)

それはあまりにも都合の良い解釈ではないかと、勇み足な判断をしないよう、コータは自分に釘を刺す。

親友とまでは行かないものの、取っている講義がいくつも重なり、自然と親しくなってきたタクミは、大学では特に仲のい

い友人である。

ヨシノリと交友関係にある知り合い…いわゆる年上の同類達と比較すれば、まだよそよそしい間柄で、一枚壁も作ってしま

うが。

ひょっとして、タクミも自分と同類だったなら良いなと思っているのではないか?

そんな自分の願望が入って冷静に脳を回転させられていないのではないか?

コータはそんな風に自己判断しつつ、慎重に思考を巡らせる。そして…。

「…寂しぃんだろうねぇ…。ひとりぼっちだと思って…」

「へ?」

出し抜けに聞こえた囁き声に、黒い耳を動かした。

コータに背を向けてテレビを眺めている老人が発したらしいその声は、か細いと言えるほどささやかで、聞き取り辛いほど

しゃがれていたにも関わらず、コータの耳と胸に、強く響いた。

(さび…しい…?…寂しい…。ひとりぼっちだと思って…。自分は一人だって、考えて…)

二つのキーワードが呼び水となり、胸に蘇る記憶と、それに付随する生々しい感情。

かつて味わった失恋と、親友との断交の苦い味、そして高校生活終盤の重苦しい日々。

自分は異端なのだと自覚し、心を許せる相手など居ないと思い込み、他人との間に常に壁を張って過ごしていた日々。

そして、ヨシノリと縁ができ、アクシデントこそあったものの結局は解り合え、人生の先輩として、保護者として、包み込

むような優しさで心をほぐされて行った日々…。

数年前から昨年の事を一瞬の内に思い起こしたコータは、耳を倒して項垂れる。

(…そうだった…。おれって、そうだったんだよ…。もしかしたらタヌマ君も、あの頃のおれと同じような寂しさを抱えてん

のかも…。けど…、けどよりによってダイバさんだなんて…。もしタヌマ君が「そう」だったとしたら、気になる相手が同類

なのはラッキーだろうけど…、でもダイバさんには恋人が…)

先程とは違う、無理矢理頭を働かせるのではなく、感性で物事を計る静かな思慮に沈んだコータは、やがてゆっくりと顔を

上げた。

「お待たせ、洗面おっけーだよ」

入り口脇の洗面室で顔を洗ってきたタクミが、首にタオルをかけ、さっぱりした顔で戻って来る。

「うわ、おっさんくさー」

「え?そうかなー?」

首かけタオルで顔をゴシゴシとやったタクミは、コータにちゃかされると、納得がいかない様子で眉根を寄せる。

「ところで今朝方なんだけど、ササキ君、寝言ボソボソ言ってたよ?」

寝言という単語にビクッと反応したコータは、しかし平静を装って「へぇ…」と応じる。

「知らなかった。おれも寝言出る事あるんだ…。ちなみにどんな?」

「えっと、「ヨシノリさん。もはや紐っすソレ…」とか何とか?何の事?ってかどんな夢?」

「…覚えてない…」

ダラダラと冷や汗をかきながら、コータは短く応じた。

明け方、ようやく眠りについたコータは、衝撃的ビキニパンツスタイルのヨシノリに連れられ、日本のハワイと称される東

北の温泉リゾートで過ごす夢を見た。

下手をすれば夢精に至るかもしれないほどに逸物を異常硬化させた状態で目覚め、ほっとすると同時に残念だった事など、

間違っても友人には言えない。

適当に誤魔化し、逃げるように洗面室兼トイレに入ったコータは、不慣れな患者衣にややまごつきながら前を解き、便器に

向かって短いソレを露出させた。

すっぽり皮を被っている、コータのちょこんと小さな性器は、突き出た腹が邪魔になり、直立した状態から下を向いただけ

では確認できない。

根本側に引っ張る格好で包皮を少し剥き、亀頭の先端を露出させて手で向きを確認しつつ、試射の意味も込めて勢い弱めで

開始した放尿は、狙いが狂っていない事が確かめられた後に勢いを増す。

セーブの為に僅かに込めていた力を抜き、「ほふぅ…」とリラックスしたコータは、次第にすっきりして行きながら考えた。

(ヨシノリさんが来たら相談してみよう…。きっと良い案を出してくれるはず…)

頼りのコリーがやって来るまで、自分は何をすべきか?

ジョボロロロロロと盛大な水音を立てながら、コータは真面目に考えていた。

その真剣な表情は、放尿中という状況から鑑みてやや滑稽ではあったが、本人はこれで大真面目である。



「類は友を…、と言うくらいだからなぁ」

しみじみと頷くヨシノリに、コータはうんうんと頷いた。

ヨシノリの交友関係の多さや、自分達の出会いからカミングアウトまでの経緯を考えると、同類同士の巡り会いには偶然以

外の要素も絡んでいるのではないかとつくづく思える。

大学病院の最上階、本棚やソファーも設置された、患者や見舞客に人気の展望スペースから外を眺め、二人は並んで長椅子

に腰を沈めている。

先程までは食事を運んできて昼食を摂っていた患者達が居たが、今ではすっかりはけて、二人の他にひとの姿は無い。

ヨシノリは膝に肘をつき、組んだ手に顎を乗せ、やや前屈みの姿勢で考え込んでいる。その様子を横目で眺めるコータ。

(タヌマ君が同類かどうかって事もだけど…、きっと、ダイバさんの事が好きかもしれないって事についても頭を悩ませてる

んだろうなぁ…)

そう考え、ヨシノリの黙考を妨げないよう静かにしているコータの推測は、半分当たって半分外れていた。

「…実は…、昨日知った事なんだがな…、シンスケさん、今独り身らしい」

「はい?」

予想もしていなかった話を唐突に切り出され、戸惑いと驚きでジャイアントパンダが首を捻る。昨夜シンスケから聞かされ

た話をヨシノリが打ち明けると、コータは微妙な顔つきになった。

「今コータが何を考えているのかは判る。不謹慎だが、俺も絶好のタイミングだと思った」

「じゃあ…」

「当然、タヌマ君が本当に「そう」だったとしての話だが。…シンスケさんは、ああ見えてきっと寂しいはずだ。誰かの面倒

を見ているのが生き甲斐のようなひとだからな」

「ヨシノリさんと一緒っすね」

コータの発言に、コリーは「…かな…?」と首を傾げた。

「俺はタヌマ君がどんな子なのかよくは知らないが、シンスケさんは選り好みしないタイプだから、カップル成立の可能性は

そう低くもないと思う」

「タヌマ君は良いヤツっすよ。ちょっとおっとりしてるけど頭良いし、物腰も柔らかいし…」

コータは友人について説明しつつ、つい先程本人から聞いた話によれば、これまでに結石で数回、入院に至っては三度もし

ており、その都度シンスケが主治医であったらしい事も併せて伝えた。

「ふぅん、なるほど…。シンスケさんとは前々から面識があったのか…」

「最初にかかったのは高校三年の時って話だったから…、二年以上前から知ってたんすね。まぁ最初は結石じゃなく、股間を

痛打して病院にかかったらしいんすけど…。血の小便が出たとかで」

「思い出すなぁ、去年のひったくり…」

「…実は死ぬかと思うほど痛かったっすよぅ…」

当時の痛みを思い出したのか、股間を押さえて前屈みになったコータの横で、ヨシノリは呟く。

「恥ずかしいところを見られた…。そんな所から相手を特別な存在と意識する事は、時々ある」

「特別?「恥ずかしい」が「特別」に…っすか?」

「ああ。例えば、弱みを見せてもそれを受け止めてくれた…。許容してくれた…。そういう相手にぐっと来る事があるんだよ。

ひとっていう生き物は」

「…ちょっと納得かも…」

「タヌマ君ももしかしたらそんな風に感じているのかもしれない。シンスケさんは医師であるだけでなくああいう性格だから、

ますます頼れる男に見えただろう」

ヨシノリは言葉を切ると、少し考えてから再び口を開いた。

「コータ。施術は午後だから余裕があまり無いが、時間の空きを見てタヌマ君と話をしてみて欲しい。話す内容は…」

コリーは周囲にひとが居ないにもかかわらず、声を潜めてパンダに告げた。



「いやー、初めてだからちょっと怖くなって…。どんなもん?衝撃破砕って。昨日もやったんしょ?」

病棟の廊下突き当たり、大窓からベランダ越しに外が見える位置へ友人を連れ出したコータは、経験済みのタクミから体験

談を聞きたいと訴えた。

「どんなもんって…、ん〜…」

タクミはどういう所でどういう治療を受けるのかという事を手短に、しかし丁寧に話す。

「痛くない?」

「うんと…、ちょっとだけ?直前の注射の方が痛いかも。結石の苦痛と比べたら大概の痛みなんて大した事ないけど…」

一理ある。と同意しつつ、コータはわざとらしく大きなため息をついた。

「ダイバ先生、優しいひとだから優し〜くやってくれるかなぁ?タヌマ君も思うっしょ?優しい先生だって」

半分瞼を落としたコータの目は、それとなくタクミの様子を観察していた。

「そ、そうだね…。」

先太りしている狸特有の尻尾をゆっくり揺らし、目を伏せたタクミは曖昧に頷く。

(判り易っ!)

恋する乙女のような眼差しを窓から望む地上に向け、長くか細く息を吐く友人を横目でチラ見しながら、コータは確信した。

こいつ絶対自分と同類だ!と…。

(確認完了!期待以上予想以上にはっきりくっきり確認完了!…えぇと?確か次は…)

コータはヨシノリから告げられた内容を頭の中に並べ、手順を確認して小さく頷く。

「…実はさ、ちょっと小耳に挟んだんだけど…、ダイバ先生の事で、ちょっとアレな噂…」

「えっ?先生が?何?アレな噂!?」

(よし食いついた!黒だ!間違いなく黒っすヨシノリさん!)

コータは感動すらしながら、しかし自分も同類だと打ち明けたいのを堪えて、忠実にヨシノリの言葉に従う。

「あの先生…、独身なんだけど、実は見合い話を何度も断ってるんだって…」

「へ、へぇ…。何でかな?モテそうだし、カッコイイし、いいひとなのに…」

自分にシンスケがどう見えているかを、そうと気付かず暴露しながら、タクミはコータの話に興味を示した。

「理想が高いとかそういう事?自分に釣り合うようなひとでなくちゃ好みにも上らないとかっ!?」

「う〜ん。結構美人なひととか、偉い先生の娘さんが相手とか、そういうオイシー見合い話だったりしたみたいだけど…」

コータが述べている内容は、事実である。

以前ヨシノリに聞かせられたのだが、シンスケは見合い話を何度も持ち込まれ、その都度断っている。富や名声、院内の立

場、上手く付き合えばそれらも手に入れることができるはずの見合い話を、ことごとくきっぱりと。

大手病院の院長の娘との見合いを断った際には、同性愛者の仲間内から「勿体ない、仮面結婚しとけばいいのに」との言葉

すら出た。

だがシンスケは、それは絶対にできないと首を横に振った。

愛されてこその花。自分の欲を満たしたり体面を繕ったりするために結婚して、付き合わせた女性の人生を棒に振らせるわ

けにはいかない。と、なんとも彼らしい理由によって。

そのエピソードを思い出しながら、コータは緩みそうになる目尻と頬を必死に引き締め、しかつめらしい顔で先を続けた。

「ここだけの話…、絶対内緒なんだけど…、誰にも言わない?」

「え?な、何が?何が内緒?」

「内緒の内緒話…、誰にも言わないって、約束できる?」

もったいぶるようなコータの問いかけに、タクミは小さく頷いた。

ジャイアントパンダはやや大げさな身振りで周囲を窺い、口元を両手で囲んでタクミの耳元に囁いた。

「…実はさ…、あの先生…、ホモらしいよ?」



「さぁ、がんばれコータ!」

「も、もぉ腹いっぱいっすよぉ…」

数時間経って昼過ぎ。病室のベッドの上で、コータは苦しげに腹をさすりながら、ヨシノリとシンスケに訴えた。

施術時間がいよいよ近付いてきた今、コータは生理食塩水をがぶ飲みさせられている。というのも、より確実に結石を破壊

する為である。

衝撃吸収体。…とは、夜の生活で体を重ね、誰よりもその感触を詳しく把握しているヨシノリの弁だが、正にその通り。エ

コー検査も難航するほど内臓脂肪も皮下脂肪も分厚く、極端に肥満しているコータの体は、体外衝撃波を妨げ、大幅に弱めて

しまう事が予想されていた。

それと大量に水を飲まされているのがどう関係してくるのかというと、シンスケの説明によれば…、

「脂肪よりも衝撃の減衰率が低い尿が溜まった状態ならば衝撃が伝播し易くなるので…、まぁ簡単に言いますと、膀胱や尿道

におしっこが溜まった状態だと衝撃波の効果が高まるんですよ。ちなみにおならが溜まっているのは駄目です。気体は衝撃を

分散させてしまいますから」

との事であった。

要するに、衝撃波を効果的に石へ届かせる前準備として、たっぷり水分を摂ってトイレは我慢しろと…、つまりはそういう

事である。

大量に飲んだ生理食塩水で舌がバカになり、気持ち悪くなって口元を引き結んでいたコータは、こみ上げてきたゲップを盛

大に吐き散らす。

膨れあがった胃が完全に液体で満たされ、ただでさえぽっこりしている腹が一段とせり出したのがはっきりと判るようにな

ると、

「もう十分でしょう。しかし…」

頷いたシンスケは直後に首を捻る。

「成人男性に飲んで頂く通常の量なのですが、コータ君はそんなに厳しかったですか?」

「そうなんですか?…コータなら普通の三、四倍はいけそうな気がするんだが…」

ヨシノリは不思議そうにコータを見遣り、すっと目を逸らしたその態度でピンと来る。

「…コータ…、何を食った?」

「な、何にも食ってないっすよぅ…」

「じゃあ…、何を飲んだ?」

ずいっと身を乗り出したヨシノリから目を逸らしたまま、

「…の、喉かわいて…、トラ先生が差し入れしてくれたポカリを一本だけ…」

そう、コータはボソボソと答える。

「一本だけって…1.5リットルを!?「だけ」って言わないだろうそれは!?許可無く飲み食いしたらダメだとあれほど言

われていただろう!?何でそう勝手な事をするんだコォォォォオオオオオオタっ!?」

「うひぃっ!ごごごめんなさぁいっ!」

珍しく声を荒げたコリーにタジタジになるジャイアントパンダ。耳を伏せて頭を抱え、体を縮めるその様子は、まるで親か

兄にでも叱られた子供のようですらある。

「シンスケさん。…マズいですよね?ジュースを飲んでいたら…」

申し訳無さそうに尋ねたコリーに、黒馬は「うーん…」と唸りながら顎に手を添え、かぶりを振って応じた。

「いや、さして問題ないでしょう。要はおしっこを溜められれば良いのであって、真水では量を飲めないので生理食塩水を飲

んで貰っていただけですから。ポカリなら平気ですよ。では、さっそく移動しましょう」

問題ないと知ってほっとした表情のヨシノリの後ろで、コータがおずおずと挙手した。

「あのぉ…、ちょっとトイレ行って来て良いっすかね…?」

「コータお前趣旨を理解してないのか!?何で水ガブ飲みさせられたと思ってる!?溜める為だろう!?今出してどうする!?

我慢しなさいっ!」

「うひぃっ!すすすすすすんませんっ!」

耳を伏せたパンダを呆れ顔で眺めたヨシノリは、それとなくその向こう側へ目を向けた。

タクミはテレビを眺めているが、耳は時折ピクッピクッと動いており、こちらの様子を窺っているのは確かである。

(コータの施術が終わっても、シンスケさんはまだまだ予定が入っているらしい。夕方の巡回検診までが勝負だが…)

ヨシノリはちらりと、付き合いの長い黒馬を見遣る。

(患者が何人か控えている状態で、動揺させるような事は言えないからな…。俺が話をもちかけるのは、その後だ…)



パンツ一丁で寝台の上に仰向けになったコータは、大掛かりな機械をやや引き攣った顔で見つめていた。

寝かされた台の脇にそびえる仰々しいアームが、コータの真上から衝撃発生装置を吊るしている。

また、パンダが寝そべる寝台の中にも、衝撃発生装置が二機仕込まれていた。

これらが複数方向から波を送り込み、結石のあるポイントで交わらせ、破砕に足るだけの衝撃波を作り出す。

数年後にはかなり簡素化と小型化が進む品だが、コータの目には、SF映画の兵器を思わせる仰々しい機材として映った。

先ほど既に背中に注射を打たれ、前準備は済んだ。が、いよいよ施術本番という段階で、コータは緊張からか尿意を催す。

同時に、結石により正常に尿が流れなくなっているため、圧力が高まって鈍痛が生まれた。

「だ、ダイバさん…!」

「はい?」

コータの足の方で何やら道具を用意していた黒馬は、不安げな、そして恥かしそうなジャイアントパンダに、緊張をほぐす

ように微笑みかける。

「あの…、ほんっとすんませんけど、…トイレに…!終わるまでもたないっす!も、漏らしそうっ!腹苦しくなって来たし!」

「ああ、我慢はですね、適度にで良いんです。では少し足を広げてください」

シンスケはそう言いながら、素直に従ったコータの股間に手を伸ばし、「ちょっと失礼…」と言いつつ、トランクス越しに

陰茎をそっとつまんだ。

「ひにゃっ!?」

「ああ済みません。ビックリさせてしまいましたね?採尿器をセットしますから、我慢できなくなったらおしっこしちゃって

下さい。なるべくは溜まった状態が望ましいんですけれど、膀胱炎にでもなったら本末転倒ですからね、適度に出して貰って

結構です」

そう説明しながらも慣れた手つきで窓から陰茎の先を覗かせたシンスケは、「ちょっとごめんなさいねー…」と言いつつ、

亀頭の先から尿道へ管を挿入した。

「はひゅあふぁっ!?」

妙な声を上げたコータの陰茎、その先から潜り込んだ透明な管が、黄色い液体を通して色を変える。

「おっと、危機一髪でしたねぇ。はい準備完了です」

漏れずに溜尿パックへ流れている事を確認したシンスケは、「ん?」と首を傾げる。

初体験の刺激が原因か、それとも触れられた事が原因か、はたまた恥かしさが原因か、コータのちんまりとした陰茎は、黒

馬の見ている前でムクムクと頭をもたげ始めていた。

顔を見れば、パンダは恥かしさのあまり涙目になっている。

「まぁお気になさらず。たまにありますからね、こういう事も」

黒馬は柔らかく微笑むと、薄いピッチリした手袋をはめ、ジェルを手に取った。

密着性を高めるため、コータの腹には、接触する面の被毛がぬっとりとするほど入念にジェルが塗り込まれる。

腹をこねくり回されるような刺激のせいか、それとも時折押されて内圧が高まるせいか、チョロッ、チョロッと、耐えられ

ずにお漏らしするコータ。

その恥かしさで陰茎がますます硬さを増し、それをシンスケに見られている事でさらに恥かしさが募る。

それはいうなればコータ式永久機関。

羞恥がそのまま興奮に変換されてしまうバリウケMっ子パンダにとっては、もはや意思の力だけでは、この状況での屹立を

抑え込む事など不可能であった。

やがてジェルを塗り終えたシンスケは、アームで吊り下げられた機材を操作して下降させ、コータの柔らかな被毛と脂肪に

軽く沈み込む程度まで沈める。

その途端に、いよいよだと緊張を高めたせいか、それともやはり怖くなったのか、あるいは単純に腹を押されたせいなのか、

コータはジョロロッと、またしてもお漏らしした。

「では、開始致します。リラックスしていて下さいね?」

元気付けるようにコータへ微笑みかけたシンスケは、機材のコントロールパネルに向かった。

その間にコータは、自分の状態を鑑みて、助手として看護師などがついたりしなかったのは不幸中の幸いだと感じる。

(タヌマ君もこんな経験したなら、ダイバさんの事が気になるのも頷けるかも…。「こんな事されたらもうお嫁にいけない!」

的な…)

「始めますよー」

硬さが全く無い、訊いていると安心できるほどリラックスしたシンスケの宣告が、コータの物思いを中断させた。



それから数時間後、午後七時。

「くれぐれも、おしっこは溲瓶にお願いします。破片排出確認などに使いますから。明日一日は石が残っていないか再検査し

つつ、経過を見ますからね」

ようやく予定の患者をさばき終え、自らコータの状態を確認しにやって来た黒馬は、調子が良さそうなコータの顔を確認す

ると、満足気に頷いた。

そして、ベッドに寝転がっているコータからヨシノリへそれとなく視線を移す。まるで、こっそり様子を窺うように。

「寝ていたんだってコータ?」

「いや、寝不足だったし…、途中でついうつらうつら…」

ヨシノリの問いかけに、コータは頭を掻きながら応じた。

体外衝撃は何度も打ち込まれ、石を破砕する。最初は気にならない程度なのだが、痛みが徐々に蓄積してゆき、我慢できな

くなって来てハッと目が覚める。そして痛みを訴え休憩を挟んで貰う。そして破砕再開…。と、コータはこのサイクルを、二

時間半にも及ぶ施術中に何度も繰り返した。

パンダとそんな話をしているコリーを、黒馬は窺うようにちらちらと見ていた。

「眠れるなんて凄い物ですよ。ひとによっては飛び上がるほど痛くて、うたた寝する余裕は無いですからねぇ」

そう告げたものの、シンスケの様子は若干おかしい。

親しい者でも気付けない、少なくともコータには全く判らない程度のおかしさだが、ヨシノリには感じられている。

どこか落ち着かずソワソワしている事が。そして、コータの隣のベッドに視線を向けないようにしている事が。

突っ立ったまま、まるで気が重い何かを前に時間稼ぎでもしているように、自分達の話に耳を傾けている黒馬へ、コリーは

チラリと視線を向け、目で促す。

ヨシノリが視線を向けた先には、自分達に背を向けてテレビに集中している…ように見えるが実は会話に耳をそばだててい

る狸の後姿。

シンスケが次に声をかけるべき相手なのだが、しかし彼はなかなかそちらのベッドへ移ろうとしない。

先ほど病室に入る前に、廊下で待ち構えていたヨシノリに捕まった彼は、話をされた。タクミの事についてである。

初めて病院を訪れた頃はまだ高校生だった狸は、入院と通院治療を何度かおこなった二年を経て、今ではもう成人している。

若い患者が少ないこの病棟で退屈そうな彼の、暇つぶしの話し相手になってやった事や、体調やその他の事で相談に乗って

やった回数は、もう数え切れないほどになっている。

だがその間、同類ではないかと疑った事は一度たりとも無い。

自分を慕ってくれるのは、主治医として接する内に湧いてきた親しみと好感による物だとばかり思ってきた。だが…。

シンスケは一度目を閉じると、眉間を指で軽く揉み解してから、意を決したように体の向きを変える。

そして、接近を感じて耳をピクッと動かしたタクミの傍に立つと、「タヌマ君…」と、静かに声をかけた。

ベッド上で身を起こし、向き直ったタクミと視線を交わしたシンスケは、普段とは違うやや硬い微笑を浮かべる。

「具合は…、どうですか?痛みや苦しさはありませんか?」

「は、はい。大丈夫です!」

「そうですか。…検査でも異常は見つかりませんでしたし、砕け残った石もありません。排出も今日一日で済んだようですか

ら…、予定通り、明日の午前中には退院できるでしょう」

「はい。…お世話になりました…」

軽く頭を下げたタクミは、チラリと上目遣いにシンスケを見遣る。

その、何か訴えているような眼差しを受け、黒馬は「どうしました?」と、やや低い声で、しかしいつも通りの穏やかな口

調で尋ねた。

「あ、あの…、先生…」

「はい?」

「えっと…」

口ごもる狸と、その前に立つ黒馬には意図的に視線を向けていなかったヨシノリは、同じく顔をそむけていながらも全身を

耳にして事の成り行きを窺っているコータに、やや大きめの声で話しかけた。

「ああいけないコータ!術後の報告はしたが、お母さんに電話を入れていないだろう?付き合ってやるから電話しに行こう」

「ああ!そういえばそうっす!さっそく行くっすよ!長話になるかもだけどー!」

大きな声で、しかしやや棒読みで言い合い、ヨシノリとコータは連れ立って病室を出て行く。

残されたシンスケとタクミは、二人が出て行ったドアにしばらく視線を向けていたが、やがて互いの顔に視線を戻し、そし

て揃って軽く俯いた。

「…えぇと…、何…でしょう…?」

黒馬が先を促すと、狸は「あ…、えと…」と、一度口ごもり、それからゴクリと、音を立てて唾を飲み込んだ。

「…あの…、せ、せせ先生の専門じゃ、ないかもなんですけれど…。そ、その…、好きになる相手の事って言うか…、変わっ

てる好みについてっていうか…、そ、そういうの、相談に乗って貰えないかなぁとか…、お、思ってたんですけど…」

しどろもどろに、そして遠回りに切り出した若い狸に、黒馬は、

「…私で、力になれる事でしたら…」

と、少し声を小さくして、しかしタクミを安心させようと微笑を浮かべて、顎を引いた。



ヨシノリとコータが十数分ほど時間を潰してから帰って来ると、黒馬と狸は病室から姿を消していた。

おそらくこうなるだろうとは思っていた。今頃二人は場所を変え、じっくり話し合っている事だろう。

そんな事を考えつつ、ヨシノリはコータをベッドに寝かせ、病室を出たついでに買ってきた温かい番茶を啜る。

コータの方は横臥してさっそくテレビをつけているが、二人の事が気になって番組に意識が向いていない。

悪いようにはならないだろうと、ヨシノリは思う。

既に恋人と別れていた事をシンスケから聞かされて以来、ずっと気になっていた。言葉は悪いが、今回はタイミングが良かっ

たとも思う。

タクミにしてみれば数年越しの恋かもしれないが、まるで独りになったシンスケにあてがわれるようなタイミングで、自分

達に想いを知られる所となった。

(このキューピットの真似事も、コータの結石がきっかけになっているんだよな…)

微妙な気分になりながら、ヨシノリはコータの脇腹にそっと触れて、軽く撫で始めた。

「ん?何すかヨシノリさん?」

「こうやって、脇腹からへそに向かって指圧すると、結石の痛みに効果があるってシンスケさんから聞いた。いくらかましに

なるそうだ」

「今は痛くないんすけど…」

「まぁ、お守りというか気休めというか…、俺にとってのな」

怪訝そうなコータに、ヨシノリは笑いかける。

コータが苦しんでいた時に何もしてやれなかった。既に苦痛の原因は破砕できているのだが、それでもせめて、この可愛い

年下の恋人をいたわってやりたかった。

そんな真心からのソフトタッチは、しかし…。

「…コータ?」

「う…、うす…?」

「…勃ってるな?」

「…うす…」

へその所まで手をスライドさせたヨシノリは、患者衣の股間が軽く盛り上がっている事に気付いた。

驚く程の早漏ではあるものの、摂取する栄養の量が関係するのか、それとも元々の体質による物なのか、コータは復活が極

めて早い。そして、反比例するように我慢の限界値も低い。

昨夜は試みたものの、結局未遂に終わってしまい発散できていなかったコータは、ソフトタッチのマッサージで、頭が快感

を覚えるよりも先に股間を反応させていた。

「元気だなぁコータは…。病み上がり…いや、まだ治療中だっていうのに」

「そ、そんな事言われたってぇ…!よよ、ヨシノリさんがこう、さわさわ〜って触るから!」

仕方がないなぁ。とでも言いたげに、コリーは呆れと愛おしさの混じった微苦笑を浮かべ、耳をぺったりと伏せているジャ

イアントパンダを見下ろす。

そしておもむろにベッドから離れると、病室のドアを施錠した。

「内側から捻るだけでかけられる鍵がついているのは、幸いだったな…」

低い声で呟いたコリーは、ベッドの上で起きあがってあぐらをかき、股間を押さえているパンダに向き直ると、

「この程度で勃つあたり、よっぽど溜まっていたんだな?我慢できなくなる前に抜いておこうか」

と、歩み寄りながら軽く肩を竦める。

「え?ででっ、でも…!」

ジャイアントパンダは軽く狼狽しつつ、自分の斜め向かいにあるベッドに視線を向けた。

老羊のベッドはカーテンが引かれており、眠っているのかテレビの音も聞こえて来ない。

「まぁ、誰にも聞かれていないし、大丈夫だろう…」

コータの視線を追ったヨシノリは、頷きながらそう言う。

「それじゃあ、あまり余裕も無いからさっそくやるぞ?」

「え?やや、やるって…」

強い期待と、しかしやはりまずいだろうという不安を同時に抱くコータ。

だが、欲求には抗えず、ヨシノリに促されて横向きにベッドに座り、耳を倒して少し俯く。

むっちりと張り出した患者衣の脇腹にコリーの手が伸び、紐をそっと解くと、早くも興奮し始めたコータは鼻息を荒くした。

患者衣が捲られて内側の紐が解かれ、大きく左右にはだけられると、丸首の袖無しシャツとトランクスがあらわになる。

段がついた下腹部のくびれにぴったりとゴムを合わせてしがみつく水色トランクスは、股間が僅かに盛り上がり、頂点には

早くも染みができている。

「おやおや…。元気だなぁコータは」

先程と同じような台詞を繰り返し、くすりと笑ったコリーの前で、パンダはますます項垂れた。

男根は十分に硬くなっており、しごけばすぐに抜けそうだったが、それでは欲求不満になるだろうと考えたヨシノリは、ま

ずコータのシャツを捲り上げた。

脂肪でむっちりと張った丸い腹がべろんと現れ、その上の垂れ気味な胸も蛍光灯の光に晒されると、ヨシノリは捲ったシャ

ツを裾側から丸めてコータの口に咥えさせた。

「簡易猿ぐつわ。高い声が出そうになったら、それを噛んで我慢な?」

恥ずかしげに耳を寝せたままパンダがこっくり頷くと、コリーはトランクスの股間に手を伸ばし、ボタンを外しにかかる。

勃起した肉棒がトランクスの生地越しにヨシノリの手に触れるたび、コータは自分の汗が香るシャツをきつく噛みしめる。

やがてヨシノリの手に導かれ、開かれたトランクスの割れ目から、勃起してもなお短く小さいソレがポロッと顔を出した。

コータのソレは小さい。俗に言う短小包茎で、体格と人一倍大きい陰嚢のせいで、小ささが際立っている。

まるで狸のようだと本人は気にしていたのだが、ヨシノリは慰め抜きでそれを可愛いと言っている。

お世辞ではなく愛おしい、先端まですっぽりと皮を被ったコータの男根を、ヨシノリはピンと、軽く指で弾いた。

くぐもった「んんっ!」という呻きを発したコータの胸は、おもむろに伸びたヨシノリの手に鷲掴みにされる。

分厚い胸板にたっぷりと乗った脂肪。手の中で面白いように形を変えるコータの胸を揉みしだいてやりながら、ヨシノリは

年下の恋人の額にキスをする。

「かわいいな、コータ…」

何度と無く繰り返し囁かれてきた甘い言葉は、何度耳にしてもその効果を薄れさせはしない。その言葉が持つ甘く優しく温

かい響きで、コータは身も心もとろけそうな多幸感を味わい、さらに鼻息を荒くした。

胸をゆっくりと揉まれ、こね回され、被毛の中に潜り込んだ指で押すように乳首を刺激され、擦られ、コータは「くふー…、

くふー…」と、噛みしめたシャツと口の隙間から熱い吐息を零す。

胸への愛撫は普段と比べて短時間で済まされ、ヨシノリの両手は両脇腹へと伸びる。

横にせり出している脇腹は、コータの弱点の一つでもあった。分厚い脂肪の下に埋まった脇腹の筋肉は非常に敏感で、こそ

ばゆさが堪らないのか、軽く指で押しただけでいちいちビクンと反応する。

先程軽くさすられただけでも股間が隆起したのは、刺激その物と条件反射による、半ば無意識な物であった。

脇腹を揉み、さすり、左右から挟むように両手で押して弾ませ弄びつつ、コリーはパンダの耳を甘噛みした。

堪らず「ひんふっ…!」と声を上げたコータは、頭の隅では老羊の事を気にしている。

壁際に立ったヨシノリに体を向けているコータには、老羊の方が見えない。コリーはベッドを覆うカーテンが見える位置に

居るのだが、しかし注意を向けているそぶりは無い。

その「気付かれたらどうしよう?」「見られたらどうしよう?」という緊張と不安で興奮をさらに高めてゆく笹木幸太、二

十歳。どうしようもないほどMっ子であった。

胸と脇腹さらに耳を責め、コータの鼻息がいよいよ荒くなって来た頃を見計らい、やがてヨシノリは視線を下に向けた。

重度の仮性包茎特有のドリル先端にも似た包皮口の先から、透明な汁がたっぷりと溢れて陰嚢の方へ伝い落ち、トランクス

を触れた位置で変色させている。

「…よしよし、良い子だ…」

満足げに囁くヨシノリの吐息で、入念に甘噛みされて唾液に濡れた耳をくすぐられたコータは、全身の脂肪がたぷんと波打

つ程強く身震いした。

「さて、そろそろ行こうか…」

そう行って屈み込んだヨシノリは、その動作に気付いて目で問いかけて来たコータに笑いかける。

「たまには俺がフェラしてやろう」

「ぐもふぉっ!?」

ビックリして妙な声を漏らしたコータは、すぐさまヨシノリの指が包皮口から侵入して亀頭をつついた事でビクッと身を硬

くし、きつく目を閉じた。

根本に向かって引っ張られる形で余った皮が捲られ、あらわになったのは血色の良いピンク色の亀頭。

そこへ、ヨシノリの舌が伸ばされた。

「んっ!?んくふっ…!ふ…、ん、んん〜…!」

剥き出しになった敏感な亀頭をチロチロと舌先で舐められ、シャツを噛みしめたコータの口から、押し殺した快楽の呻きが

漏れた。

亀頭の表面をくすぐり、カリを擦るようになぶり、尿道の出口を舌先でほじるその刺激は当然強烈だったが、それに輪をか

けて、ある事がコータを追いつめている。

(お、おれっ…!ヨシノリさんに口でして貰ってるぅっ!嘘みたいだけど、こ、これ夢じゃ無い!?マジ?ホントにホントの

現実!?い、良いのかな?こんな事させちゃって…!?)

ヨシノリの口を自分の愚息が汚している…。その想像は、敬愛に近い慕い方でヨシノリに接しているコータには、申し訳な

さと後ろめたさすら伴う、背徳感溢れる物であった。

初体験となるフェラチオの刺激に加え、シチュエーション的にも過度な興奮を得ているコータは、やがてヨシノリが根本ま

で逸物を咥えて軽く吸うと、激しく喘ぎ始めた。

「んっ!んんっ!んっくふ!んうぅ〜っ!」

猿ぐつわのせいで呼吸が苦しいため、息の乱れは普段以上である。

トランクスの割れ目から露出する被毛と、股間にまでついた脂肪に鼻先を軽く埋めたコリーは、気をよくして目尻に皺をよ

せ、太鼓腹を激しく上下させている若い恋人の顔を眺めた。

(実は初めてなんだが、俺、結構フェラが上手いのかな?それともコータが敏感なだけか?…ま、後者だろうなぁきっと)

そんな事を考えながら、ティッシュボックスに手を伸ばしたヨシノリは、

「くふっ…!んこふふっ…!むもぉっ!」

「むぶっ!?」

コータが喉の奥で唸ると同時に、予想より遙かに早く射精に至ったため、ティッシュを用意する間も与えられずに口の中へ

精液を注ぎ込まれた。

どろりと濃いパンダの精液がコリーの口内で暴れ回り、上あごを叩き、舌にからみつき、歯や歯茎にべったりと付着する。

二日風呂に入っていないせいで、コータのそれは股間の臭いも手伝ってかなり生臭かった。

弁当に入れるソーセージにも似たサイズのソレがヒクンヒクンと痙攣し、ぴゅくっぴゅくっと射精を繰り返している間、ヨ

シノリは少し顔を顰めながら我慢して待った。が…、

(これは…、飲み込むのは難易度が高いぞ。たぶん…、いや、きっと噎せ返る…)

そう判断して、隙を見てコータのそれから口を離し、手に取ったティッシュに唾液ごと吐き出した。

耐え難いそのいがらっぽさと臭気に顔を顰めながら、ヨシノリはコータに視線を向ける。

股間の物を一層縮め、後ろに手をついて体を支えながら喘いでいるコータは、耳を寝せて、申し訳なさそうな上目遣いでヨ

シノリを見つめていた。

口の中に出してしまって怒られるとでも思ったのか、どこかおどおどとしている様子の太ったパンダに、

「なかなか濃厚だった。若いなぁコータは」

ヨシノリは苦笑いしながらそう告げて、唾液と精液にまみれた小さな逸物にティッシュを被せてやった。

翌日、コータはこの行為が原因となって、溲瓶から採尿された検査で妙な数値を出してしまい、主治医の黒馬に別の症状を

疑われる羽目になる。

ヨシノリがやむを得ず事情を伝え、シンスケが納得した事で入院延長とはならなかったが…。



「たぶん忘れ物は無いっす」

「よし。それじゃあ行こうか」

施術から二日後。荷物を纏めたコータは、迎えに来たヨシノリに促されてベッドから離れた。

コリーに続いて出入り口を潜り、そこで立ち止まると、振り返ったジャイアントパンダはぺこりと頭を下げる。

「お世話になりました」

コータの視線の先で、テレビを眺めている老いた羊が、ゆっくりと首を巡らせ、相変わらず無言のまま頷いた。

タクミは一足早く、昨日の午前中に退院して行った。その軽い足取りとすっきりした表情が、結石の除去が済んだ事だけが

理由ではない事を、ヨシノリとコータは知っている。

タクミが退院し、コータもまた去る病室は、がらんとしてやけに広く見えた。

(このお爺さんあんま喋らないけど、やっぱ一人は寂しいんだよなぁ、きっと…)

茫洋とした目を自分に向けている老羊の顔が、コータには心なしか寂しげに見えた。

「どうした?行くぞコータ?」

「あ、はいはいただいまーっ!」

立ち止まった事に気付かず、既に5メートル程先に行っていたヨシノリが声をかけると、コータは二度目のお辞儀をしてか

ら病室前を離れた。



「ヨシノリ君!コータ君!」

会計と退院手続きを済ませて正面口を潜り、タクシー乗り場に向かうコリーとジャイアントパンダを、白衣を纏う黒馬が足

早に追いかける。

「あ、ダイバさん…」

「シンスケさん。仕事は良いんですか?」

驚いたように振り返った二人に、シンスケはかぶりを振って応じた。

「いえ、回診が控えているのでそう時間は無いのですが…、とにかく、見送りが遅れて済みませんでした…」

頭を下げた黒馬は、やがて顔を上げる。

穏やかな、幸せそうな、そして少し恥ずかしそうな表情を浮かべて。

「…その…、有り難うございました。コータ君の事で余裕も無かったでしょうに…、いろいろと気を遣って頂いて…」

「むふーっ!なんのなんのっす!おれ的には友達に同類居たって判って、怪我の功名だったっすから!」

「まさに、転んでもただでは起きない…、だな」

勢い良く鼻息を出しつつニンマリするジャイアントパンダと、にこやかに笑うコリー。

新しい仲間ができた事は、二人にとっても喜ばしい。

あの夜、別室に移ったシンスケとタクミの間でどんな言葉が交わされたのか、詳しくはヨシノリとコータも知らない。

だが結果として、「友達から」という条件で付き合いが始まった事だけは、その夜の内に二人から聞かされている。

やがてシンスケが何度も頭を下げてから院内に戻って行くと、歩き出したヨシノリがポツリと呟いた。

「恋人としての交際を望んだタヌマ君に対し、わざわざ友達からというスタートに留めたのは、シンスケさんなりに悩んだ結

果なんだろう」

「悩んだ結果?」

「ああ。タヌマ君は若い、コータと同じように。だから、俺より年上のシンスケさんは二の足を踏んだんだろう。…自分みた

いなおじさんが、こんな若者と付き合うにふさわしいのか…、きっとそんな具合に悩んでいる」

「年の差っすかぁ…。おれは気にするような事でも無いと思うんすけどねぇ?ダイバさん優しいし、かっこいいし、ナイスミ

ドルだし…。あ、でもヨシノリさんのが上っすよ?でへへぇ〜っ!」

付け加えたパンダのおのろけをスルーし、コリーは呟いた。

「そうだな。歳の差なんて些細な問題だ」

ヨシノリは、かつてコータから告白された際に、助言を求めたヒロから逆に問われた。歳の差は問題なのか?と。

結局、ヨシノリがたどり着いたのは、今彼が口にした通りの見解であった。

「あーっ!自由だ自由だ!ラーメン食いてぇーっ!こってりした味噌が良いなぁ…。あ、駅前の温菜飯店のチャーシュードカ

乗せ特製味噌豚骨とか…」

「駄目だぞコータ?切っていなくとも一応施術直後なんだ。シンスケさんに言われた通り、塩分と脂肪分は少し控えなさい。

少なくとも体調が完全に戻るまで…、最低でも一週間はこってり系ラーメン完全禁止だ」

「うえぇっ!?よ、ヨシノリさぁん!そんな事言わないで…」

「こればかりは駄目だ。それと、ココアも一週間禁止な?ただし水分はたっぷり摂るように」

「こっ、ココアまでっすかぁっ!?うそぉーんっ!?ちょ、ちょっとヨシノリさぁん!」

タクシーに向かって片手を上げながら歩いて行くコリーを、ジャイアントパンダは情けない声を上げながら追いかけた。

                                                                                      おまけ