Two years after
アニメグッズを主な商品にしている小さな店の二階に、最奥のカウンターまで十数人が列を作ってる。
店内には獲物を前にした客の独特の熱気が立ち込めて、少しばかりピリピリした空気…。
そっと腕を上げた俺は、トレーナーの襟元を掴んで少し引いた。
首元から店内の空気が入り込み、それと入れ替わりに、体とトレーナーの間の体温で暖まった空気がふわっと上がって来る。
開店二時間から並んでたしなぁ…。だいぶ汗かいてきちまった…。入念にコロンふってきたけど、もしかして俺、結構臭っ
てない…?
静かに鼻を鳴らして臭いチェック。
…俺的には許容範囲。しかし、辺りの皆様にとってどうなのかはかなり怪しい…。
鼻が体臭とコロンに慣れちまってるもんで、俺がオーケーでも他人にとっては鼻が曲がるような臭いかもしれない訳で…。
そっと周囲を窺ってみたが、露骨に顔を顰めてる客はとりあえず居ない。…ほっ…。
悶々としながら大人しく順番を待つ事しばし、一人、二人と目当ての品物を手に入れ、客達が帰って行く。
俺の番まで…あと五人っ!
ゴールデンウィーク目前となった今日は、某超人気アニメの劇場版DVDの発売日だったりする。
俺のお目当てはフィギュアと設定資料集が同梱になった限定版(税込み9800円)だ。
どこの店もあっという間に予約枠が埋まっちまってなぁ…、予約し損ねたもんで、入手は半ば諦めてた。
が、この小さな店は予約受付をしておらず、当日でも入手できる可能性があると知り合いから聞いた俺は、一縷の希望を持っ
て遠出して来た訳だ。
…でも、何本入荷してるのかまでは知らないんだよ。
だからつまり、悪くすれば俺の前の客で売り切れになる事も有り得る訳で…。
期待と不安は半々。そわそわしながら順番を待つ俺は、祈るような気持で店員さんの手元を見つめる。
大丈夫!?まだあるっ!?
ドキドキしながら待つ俺の目の前の客が、会計を終えて横に退いた。
俺が限定版を購入したい旨告げると、店員さんはカウンターの下から四角い箱を取り出す。あ、あったっ!まだあったぁっ!
「こちらで間違い御座いませんか?」
「ございませんっ!」
顔を綻ばせながらコクコク頷いた俺は、代金を支払って袋に入った品物を受け取る。
くぅ〜っ!さすがは秋羽原っ!遠出してきた甲斐があった!
戦利品を手にホクホクしながら引き返した俺の後ろで、次に並んでいた客が限定版を求めたが、店員さんは申し訳無さそう
に売り切れを告げた。
あ、あぶなかったっ!ギリギリセーフ!
ほっと安堵すると同時に、じわじわと嬉しさが込み上げてくる。
…寄り道しないで帰って、アパートでゆっくり楽しむとするか…!
スキップでもしたい気分で階段へと引き返す。が、俺は浮かれていたせいで注意散漫になり、階段を駆け上がってくる足音
に気付くのが遅れた。
階段を駆け上がり、角を曲がってきた背の低い、そのくせボリュームのある小柄な子が、俺と鉢合わせして「あっ!」と声
を上げる。
急ブレーキは…、間に合わなかった。元々鈍い俺の方も咄嗟の事で避け損なった。
「わっぷ!」
「おふっ!」
相手は俺の突き出た腹に真正面からボフッとぶつかる。相手のマズルが鳩尾に埋まり、胃がギュッと縮んでウェッと来た…!
太鼓腹でボヨンと跳ね返ってたたらを踏んだ相手を、俺は腹を押さえて見下ろす。
…えっと…、狐…?だよなこの子?うん…。
珍しい事にぽにょっと太っている狐の子は、決まり悪そうに俺の顔を見上げ、ペコッと頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ!急いでて、慌てていたから、その…!失礼しましたっ!大丈夫ですか!?」
ぶつかった拍子にずれた黒いグラスが鼻の上で斜めになって、その向こうでダークブラウンのつぶらな瞳が濡れて光ってる。
俺を見上げるその目は、蛍光灯が眩しいのか、半分に細められていた。
背が低くてプニッと太った狐の子は、たぶん俺より少し下。現役高校生か、卒業したかどうかってとこかな?
「平気平気。…それより、急いでたんじゃ…?」
俺が道をあけると、狐の子はハッとした顔になってグラスを戻す。
狐にしては珍しいむっちり体型。さらにぷっくりほっぺに丸顔。おまけに童顔…。
顔に張り付くようにして両目を完全に覆う黒いグラスは、悪いけどあんまり似合ってないように感じる。
勝手に分析している俺にぺこぺこ頭を下げて、狐の子はテトテトと奥に向かった。
目当ての物が買えなくて散った客の中をすり抜けてカウンターに行ったその子は、店員さんと話をして…、カクンと肩を落
とした。
「あ…。やっぱり限定版か…」
何となく留まってその様子を眺めてた俺は、思わず呟いた。
そうじゃないかなぁとは思ってたんだが、やっぱ俺と同じ物が目当てだったんだな…。
気の毒なほどに落ち込み、トボトボと引き返して来た狐の子は、俺に気付くと顔を上げて、軽く会釈した。
…う〜ん…。さっきの、この子と店員さんとのやり取りの中で、ちょっとばかり気になった事があったんだが…。
「あのさ。君…」
声をかけると、前を通り過ぎようとしていた狐の子は、立ち止まって俺の顔を見上げた。
「もしかして、北街道か東北出身?」
「え?…ええ、東北ですけど…」
きょとんとした表情になった狐の子は、「どこかでお会いしましたっけ?」と首を傾げる。
「いや、たぶん初対面」
「なんで僕が東北出身だって判ったんですか?」
不思議そうな狐の子に、俺は笑みを向けた。
「か行のイントネーション。さっき店員さんと話してたの聞いて気になったんだが、「けど」とか「だけでも」とか言った時、
微妙に濁音混じりに聞こえた。知り合いと同じ癖だったからもしかしてと思って」
狐の子は少し恥かしそうにもじもじと身じろぎする。
「そ、そうですか?気をつけてたのに…。実は、この春に上京してきたばかりで、時々訛りが…」
「ははっ!俺も標準語の勉強した時は発音がネックだったよ!あ。ちなみに俺は北街道出身でさ…っと、これはどうでも良い
な…。それより…」
俺は辺りの客に聞こえないよう、声を潜めた。
「君、さっき店員さんに、設定資料集だけでもあまってないか?って、無茶な事訊いてたよな?」
「え?え、えぇ、まぁ…」
俯いてもごもごと口ごもる狐の子を前に、俺は思わず吹き出しそうになる。
「よっぽど欲しいんだなぁ、資料集」
「………」
恥かしそうに黙りこくった狐に、俺は笑みを浮べながら、口元に手を当てて声を顰めた。
「物は相談なんだが…、資料集なら譲っても良いぞ?」
狐の子は顔を上げると、グラス越しの視線を俺の顔に注いだ。
「値は張ったからただでって訳にはいかないが、俺の目当てはフィギュアの方だったからさ」
限定版同梱フィギュアは、このアニメの主人公の小柄で細身のショタボーイ。モロ好みなタイプ。こっちはどうしても譲れ
ないが、実は資料集の方はそれほど欲しい訳でもない。
…くれぐれも勘違いしないで欲しい。別に不純な用途に使用しようとか考えてる訳じゃないからな?ホントだぞ?
「い、良いんですか!?本当に!?」
「しーっ!声でかいって!他にも買い逃した客居るんだから!」
狐の子は口を両手で押さえて、キョロキョロと周囲を見回した。
「店出て話そう。ついでに、時間あるならテレビ版と劇場版の違いについてちょっと語りあわない?」
「は、はい…!」
東北かぁ。っていっても広いから、あいつらの居るトコと近い可能性はあんまりないな…。
先に立って階段を降りながら、まだ名乗りあってもいなかった事に気付いた俺は、足を止めて振り返った。
「…っと、自己紹介まだだったよな?」
三段上に居るせいで視線が同じ高さになった狐の子に、ニンマリ笑いかけて親指で顔をさして見せる。
「俺は大和直毅!二十一歳、大学生だ」
「僕は…」
狐の子はグラスを外し、可愛らしく微笑みながら名乗り返してくれた。