第十一話 「風邪にご注意!」
東護町中央通り交番に勤務する調停者監査官の種島和輝は、夜勤空けの午前10時、遅めの朝食兼早めの昼食を摂るべく足
を運んだショッピングモールで、珍しいモノを目にして立ち止まった。
手にしたメモを時折覗き込みながら、キョロキョロと周囲を見回している美青年は、彼がよく知る調停者、不破武士であった。
「よう。珍しいなタケシ、一人で買い物なんて」
タケシは意外そうに言ったカズキの声に振り向くと、軽く会釈した。
「相方はどうしたんだ?まさか、喧嘩でもしたのか?」
常々傍に控えている巨体が見えず、カズキは笑みを浮べながら尋ねる。
「風邪を引き、療養中です」
カズキは笑みを浮かべたまましばらく黙り、やがて聞き間違いかと思い、自信無さそうに聞き返した。
「ええと…、風邪…?…ユウトがか…?」
「はい」
応じるタケシも、やや戸惑っているようにカズキには見えた。もっとも、青年を良く知らない人間には、今も平静に見える
のだが。
「…あのユウトが人並みに風邪を引くとは…。雪でも降るんじゃないか?でなければブタとかが…」
「俺も、ユウトが風邪を引くという事態は想定していませんでした」
風邪を引いただけでえらい言われようである。
「丸二日間熱が下がらず、回復の兆しは未だ見えません。よって、食料、薬、生活必需品等を確保するため、不慣れながら俺
が買い出し任務に着いています」
「病院には連れて行ったのか?」
「提案しましたが拒否されました。相手がユウトでは、力ずくという行為が通用しないレベルの体格差が有りますので、実力
行使は諦めました」
カズキからの当然の問いに、タケシは淡々と応じる。
「では、任務を継続しますので、これで失礼します」
会釈して去っていくタケシを見ながら、
「…大変だな…」
カズキはそうとしか言葉が出なかった。その言葉は、何とも言えぬ微妙なニュアンスを漂わせていた。
東護高校二年に在学する榊原明美は、下校途中に立ち寄った薬屋で、意外なモノを目にして立ち止まった。
片手にスーパーとコンビニの買い物袋を下げ、時折メモを覗き込みながら、キョロキョロと商品棚を見回している美青年は、
以前世話になった調停者、不破武士であった。
「こんにちはタケシさん。今日はお一人ですか?」
会う時はいつも一緒に居るユウトの姿が無いだけで、何やら違和感を覚えるアケミ。
「珍しいですね?ユウトさんが一緒じゃないなんて」
振り向き、会釈したタケシにそう問うと、
「ユウトは風邪を引き、療養中だ」
返ってきた意外な返答に、少女は目を丸くした。
「風邪って…、え?あのユウトさんが…ですか!?私が知っている、事務所の?熊の獣人の?ユウトさんがですか!?」
「そのユウトだ」
他にどのユウトさんが居るというのか、アケミはやけに入念に聞き返す。
応じたタケシも、やや困惑しているように見えた。もっとも、青年を良く知らない人間には、常に無表情に(以下略)。
「あの常識外れに頑丈なユウトさんが風邪なんて…、何かの異変の前触れなんじゃ…」
「それは判らない。しかし想定外だったが、ああ見えても病を患う事はあるようだ」
風邪を引いただけでこの言われよう、本人が聞いたならばはたして何と言うであろうか。
「二日間熱が下がらず、食料も尽きそうになった。そこでやむなく、不慣れながら俺が物資の確保にあたる事にした」
「あの、病院には?」
「絶対に行かないそうだ。あいつは病院が嫌いだからな。本人が行く気にならない限り、病院へ連れて行くのは不可能だ」
アケミの当然の質問に、タケシは心なしか疲れたように応じる。
「では、物資補給を続ける。いずれまた」
会釈して去っていくタケシを見ながら、
「大変ですね…」
アケミはポツリと呟く。二人のどちらに向けられた物とも取れる所がいとおかし…。
カルマトライブに所属する、調停者の神代熊斗は、氷の入った袋を額から退け、ベッドの上で身を起こす。そして帰宅した
タケシを、信じられない物を見るような顔で見つめた。
青年が買い出しに出かけたのが午前9時半。現在の時刻は夕方5時。移動時間を考慮しても、ショッピングモールでの買い
物に、実に6時間以上かけた計算になる。
「ずいぶんその…、遅かったね…」
「ティッシュボックス一つ取っても似たような品物が多く、どの品物が有効なのか、見定めるのに時間がかかった。日用品の
買い物とは難しいものだな。今度コツを教授してくれ」
タケシはそう言うと、風邪薬を袋から取り出した。「成人…人間一回3錠 獣人一回4錠」との用量を確認すると、青年は
迷うことなく小瓶から8錠取り出し、ミネラルウォーターのボトルとともにずいっと差し出した。
「ちょっと…?これ多くない?」
ユウトは薬の入った茶色い小瓶を手に取り、目を細めて小さな注意書きを見つめる。
「大人の獣人で一回4錠って書いてあるじゃない」
「体重から計算し、倍が適量と判断した」
悪意のない、しかしデリカシーも無いタケシの台詞に、ユウトは打ちひしがれたような表情で項垂れた。
「どうした?大丈夫か?」
黙り込んだユウトの様子を見て、具合の方を心配するタケシ。
「…たぶん大丈夫…」
疲れたように言うと、ユウトは薬を口に放り込み、水で流し込む。
ユウトが苦しげに、何とか薬を飲み込むと、タケシは手を伸ばしてその額に触れた。互いの額に手を当てて、自分とユウト
の熱を比べる。
その顔を見つめるユウトが、顔が熱くなったように感じているのは、熱があるせいだけでは無いだろう。
タケシは手を引っ込めると、
「まだ熱は下がっていないな。少し眠っておけ。レトルト食品も飽きただろうし、今日は料理に挑戦してみる。夕食が完成し
たら起こそう」
この意外な言葉に、ユウトは目を丸くした。
「夕食作るの?タケシが?大丈夫?」
「時折お前が作るのを見て、見取り稽古にはなっている」
青年はそう言いながら、ユウトの肩に手を置き、横になるよう促した。大人しく身を横たえたユウトは、タケシが布団をか
けてくれるのを見ながら、
(たまには風邪を引いてみるのも、悪くないかな…?)
などと思っていた。
「大人しく寝ているように」
「うん。夕食、期待してるね」
「任せておけ」
自信有りげに言ったタケシに、ユウトは思わず笑みを浮かべた。迷惑をかけて申し訳ないと思う反面、タケシが心配し、世
話を焼いてくれる事が嬉しい。
少し興奮しているのか、ちっとも眠くならないまま、ユウトはじっと幸せを噛みしめていた。
カルマトライブのリーダー、調停者の不破武士は、困惑したように目の前の物体を見つめていた。
(おかしい…、こんなはずでは無かった…)
ユウトが以前作った事のある、中華風のミルク粥。あれならば栄養価も高く、消化も良く、病人食として申し分ないと考え、
見よう見まねで作ってみたのだが…。
刃物の扱いには慣れている。ニンジンを拍子木に切るのも、ショウガを刻むのも、初めての挑戦とは思えぬほどに上手かっ
た。時間も十分にかけ、じっくりと煮込んだ。だがしかし…。
タケシの目の前、鍋の中で、えも言われぬ香りの蒸気を吹き上げながらゴボゴボ言っている茶褐色の半液状物体は、どうひ
いき目に見ても、彼の記憶にある体に良さそうなミルク粥と同じ物には見えなかった。
タケシはたっぷり五分程考え込み、やがて確信したように呟いた。
「そうだ。あの時とは色が違っている。ソースを加えすぎたのか…」
考えた末にその結論である。そもそも何故にミルク粥にソースを加えたのか?
タケシは止める者が誰も居ないキッチンで、彼が愛用しているプロテインの袋を開け、茶褐色の物体にバニラ風味の粉末プ
ロテインを少し混ぜる。(管理人注・決して真似しないでください)
薄い茶褐色となった物体は、やがて、先ほどにも増して異様な臭気を放ち始めた。
タケシは腕組みをし、鍋の中身を凝視する。おかしい、まだ何かが違う、と。
「分かったぞ」
タケシは確信を込めて頷き、再びプロテインの袋を空けた。
「まだ白さが足りない」
もちろん、何も分かっちゃいなかった。
さらに大量のプロテインをドバドバと投入し、タケシは入念にかき混ぜ始める。(管理人注・絶対に真似しないでください)
やがて、混ぜ込まれ、粉っぽい粘り気を帯びた粥もどきを前に、タケシは満足げに頷いた。
「よし、この色だ」
色にこだわるのは結構だが、味の方は一体どうなったのであろうか?
「体調が良くなるように、風邪薬も混ぜておこう」
そう呟くと、風邪薬の入った小瓶をあけ、中からジャラジャラと錠剤を取り出し、まな板の上で細かく刻んで粥に投入。入
念にかき混ぜる。(管理人注・危険ですので絶対に真似しないでください)
「あとは香りが今ひとつおかしい…」
おせじにも良い香りとは言えない臭いを嗅ぎながら、タケシはしばし考え、
「香りは無くとも問題ないな。消臭剤を振っておくか」
あろう事か、カーペットやクッションなどに使う除菌消臭スプレーの缶を持ち出すと、これでもかとばかりに粥に噴射する。
(管理人注・たいへん危険ですので、絶対に真似しないでください)
異様な臭いは弱まり、代わりに粥の表面にテロリとした膜がかかった。
「これでよし…。そろそろユウトも腹を減らしている頃だろう。さっそく持ってゆこう」
タケシは味見もせぬまま鍋に蓋をし、こぼさぬよう慎重に持ち上げる。
この瞬間、ユウトの運命は決まった。
「待たせたな」
部屋に入ったタケシは、起きていたユウトに微笑みかけた。本人にその気はないが、事前の行いを鑑みれば悪魔の微笑である。
「済まない。不慣れな作業に手間取ってしまった」
「ううん。作ってくれただけですごく嬉しいよ」
身を起こしたユウトの前に、タケシは盆に乗せた鍋を差し出した。
「一緒に生活するようになってもう二年になるけど、タケシの料理を食べるのは初めてだね」
ユウトは少し感動したように微笑むと、鍋の蓋を開けた。
鍋の中で、見た目はかなりそれらしくできているミルク粥(風邪薬入りバニラ風味消臭除菌済み)が湯気を立てていた。
「うわあ、美味しそうなミルク粥だね…。これ作るの、だいぶ手間がかかったんじゃないの?」
「大したことはない。つい今まで火に掛けていたから、よく冷ましてから食べろ」
ユウトの賛辞に、タケシは少し照れたように言った。
風邪のせいで鼻が詰まり、ユウトの鋭敏な嗅覚は完全に死んでいた。そうでさえなければ、この粥の異常さにすぐさま気づ
き、この後の不幸な出来事は起こらなかったはずである。
「それじゃあ、いただきます」
ユウトはお玉のような大きなスプーンで粥をすくい、息を吹きかけて冷ましてから口に入れる。熱のせいで味覚もやや麻痺
しているのか、異変はすぐには起こらなかった。
粥を飲み込むと、ユウトは再び粥をすくい、スプーンを口元に運ぶ。
「どうだ?」
「ん。おいひ…」
少し不安げに尋ねるタケシに、ユウトは反射的に笑みを浮かべて答えかけ…、
ぶびゅぅっ!
直後、白濁色の半液体が、その口と鼻から噴出した。
ユウトは口元を押さえてゲホゲホと咳き込むと、その拍子に鍋をひっくり返した。
「ほぎゃぁあああああっ!?」
熱い粥が両脚の上にぶちまけられ、たまらずベッドの上をのたうち回るユウト。そのまま勢い余って床に転げ落ちると、突
如嘔吐し始める。
その様子に、タケシは一瞬呆然とした後、慌ててユウトの傍らにしゃがみ込み、その背をさする。
「どうしたユウト!?まさか…、目はほとんど離さなかったというのに、異物混入テロか!?一体何者が!?」
…お前だ…。
「ごめんね…、せっかく作ってくれたのに台無しにしちゃって…」
さらに体調が悪化したのか、ユウトは生気のない顔で苦しげに呟いた。タケシ特製粥に喉をやられたのだろう、その声はか
すれている。
「熱のせいで舌もおかしくなってるみたい。胃も受け付けなかったし…」
決してユウトに非はないのだが、大熊は心底済まなそうに言った。
「いや、俺が不慣れなせいで、味がおかしかったのかもしれない。お前は悪くない」
そう、悪いのは全てタケシである。
タケシは苦しそうに喘ぐユウトの姿を見て、何か手は無いかと思案する。
「せめて熱が下がれば、少しは動けるようになるのに…」
そのユウトの呟きに、タケシはドラッグストアの店員に聞いて買ってきた、強力な解熱剤の存在を思い出した。
もしも他の薬が効かなかった場合にのみ使用するように、と念を押されたそれを探し、机に置かれた袋をあわただしく漁る。
「これだ…!」
タケシは声を上げると、箱を開け、小さく畳まれていた説明書きに目を通す。
「ハイパークールダウンDX。この薬、使用方法は特殊だが、解熱効果はかなりのものらしい。使ってみるか?」
ユウトが一も二も無く頷くと、タケシは説明書きを見ながら告げた。
「では、まずズボンを脱げ」
ユウトはベッドの上に座ると、パジャマのズボンに手を掛けた。
そしてズボンを下ろしかけた所で、熱に浮かされた頭に疑問が浮かんだ。
「なんでズボン?」
手を止めて問いかけたユウトに、タケシは解熱剤を指先で摘んで見せた。その薬は、ロケットやミサイルを思わせる流線型
をしている。
「この薬は直腸から摂取するタイプの物で、投与後、直ちに腸内で吸収され、即座に解熱効果を発揮する。だから投与のため
にはズボンと下着を脱ぐ必要が…」
「ちょっとストップ!」
タケシの言葉を遮り、ユウトが叫んだ。
「そ、そ、そ、…それってお尻からの…」
「そうだ。だからズボンの上からでは投与してやれないぞ?」
「やっぱりやる気だったんだね…」
ユウトはため息をつき、タケシに手を差し出した。
「…ちょっと部屋から出ててくれる?」
この言葉に、タケシは顔を曇らせながら、薬を手渡した。
「…やはり、俺は当てにならないか…?」
「え?いや、そうじゃなくて…」
「こういう時ぐらい、役に立ちたかったのだが…」
「あの、落ち着いて、ね?」
「役に立てなくて、済まない…」
珍しくしょげかえっているタケシに、ユウトは慌てて言った。
「だ〜か〜ら〜!そうじゃなくって、その薬は普通、自分でやるものなの!」
「…そうなのか?」
タケシはユウトの顔を覗うようにして問い返す。
「感謝こそしても、役に立たないとかそんな事全然思ってないからね。ただ、ちょっと恥ずかしいから一人にさせて欲しいだけ」
「そうだったのか」
タケシはほっとしたように頷くと、大人しく部屋を出てゆく。
疲れたようにため息をつき、ユウトが再びパジャマを脱ぎ出そうとしたその時、タケシがいきなりドアを開けた。
「ひゃぁぁあうっ!!!?」
驚いて妙な声を上げたユウトに、
「手が必要なら呼んでくれ」
そう告げると、タケシは再びドアを閉めた。
不意打ちをかけられたユウトは、投薬が無事終了するまで、ドキドキしながら何度もドアを確認する事になった。
ドアに鍵をかければ良かったのだということに気付いたのは、投薬が終わり、ドアの外で待機していたらしいタケシに声を
かけた後の事である。
翌朝。座薬の効果が覿面に発揮され、ユウトは何とか動けるようになっていた。
ベッドから這い出し、大きく伸びをしてドアを開けたユウトは、驚いて目を丸くした。
タケシが、ドアのすぐ横で座り込み、壁に寄りかかって眠っていた。
心配して夜通しここで待機していたのだろう。青年は何も言わなかったが、おそらくは一昨日も、その前も…。
ユウトは静かにかがみ込むと、微笑みながら、起こさないように小さく囁く。
「ありがとう。タケシ」
そして、朝食を作るべく静かにキッチンへと歩いて行った。
今度は、生物がきちんと食べる事のできる粥が作られる事であろう。