第十二話 「輸入制限、輸入禁止」

「へ…?」

今日も客の来ない事務所の応接室。新聞を読んでいたユウトは、あるページで手を止め、素っ頓狂な声を上げた。大熊の蒼

い瞳が見つめている記事の見出しにはこうある。

BSE問題による牛肉輸入制限を受け、吉原屋が牛丼を廃止―

「な…なんでがすけぇぇぇええええええ!?」

郷なまり丸出しで大声を上げたユウトに、処理済みの事件資料を読みふけっていたタケシが視線を上げる。

「どうした?面白い記事でも載っていたのか?」

「…面白くない記事だよ…」

ユウトは落ち込んだ様子で耳を伏せ、タケシに向かって新聞を広げて見せた。

「ああ、全国チェーンの牛丼屋の記事か」

タケシが頷くと、ユウトはすっかりしょげかえった様子で続ける。

「牛肉の輸入規制が解除か緩和されるまで、無期限でメニューから外れるんだって…。かわりに豚丼が主力メニューに…」

「これからは牛丼屋とは呼べなくなるな。そうか、豚丼屋と呼ぶべきか。これからはより庶民的な感覚で呼べるな」

「誰も気の利いた事言えなんて言ってない!他人事じゃないでしょ!?ボクらも結構利用してたのに!」

どこかズレた見解を述べるタケシに、ユウトは少しムキになって言った。

「量もあって安くて美味しかったのに…。他じゃあんな値段で牛丼なんて食べられないんだから!ああっ!生きる楽しみの何

パーセントかが消えた!タケシも困るでしょ!?」

「いや、俺は別に困らないが」

そっけなく応じるタケシに、ユウトはムッとして頬を膨らませた。が、

「どこの店の料理より、お前の作る料理が一番美味いからな」

呟くように続けられた言葉に、大熊は意表を突かれたように目を丸くする。

ユウトは静かに新聞記事に視線を戻す。その短い尻尾は、小刻みに左右に振られていた。



結局、訪れる客も無いまま日が暮れ、ユウトは事務所の戸締まりを済ませた。

「ねえ、今月末には吉原屋の牛丼無くなっちゃうし、今夜は食べにでかけない?」

ユウトの提案に、資料を片付けながらタケシは頷く。

「それじゃあ早速支度を…」

うきうきとした足取りで、ユウトが財布を取りに部屋出ようとしたその時、タケシの携帯から振動音が鳴った。

「…ヤな予感…」

電話に出るタケシを見ながら、ユウトが呟く。

「不破です。はい。はい。判りました。これより向かいます」

二、三言、電話の相手と言葉を交わし、タケシは電話を切る。

「カズキさんからだった。仕事だ」

仕事が無いのも困りものなのだが、なにもこのタイミングで来なくとも…。

お預けを食らったユウトは、切ないため息を漏らした。



二人が建設途中のビルの下に到着すると、現場で待っていた少し太めの警官が手を上げた。調停者監査官、種島和輝である。

「おう、毎度毎度突然で悪いな」

カズキがそう言うと、

「いえ、仕事ですから」

金色の大熊は珍しく不機嫌そうに応じた。

その様子を見て不審げに眉をひそめたカズキは、小声でタケシに尋ねる。

「ユウトのやつ、どうかしたのか?」

BSE問題での牛肉輸入制限を受け、吉原屋のメニューから牛丼が無くなるらしく…」

「なにぃぃぃいいいいい!?吉原炎上ぉぉぉおおおおお!?」

タケシの説明の途中で、カズキは大声を上げた。

「これから俺は何を楽しみに夜勤すりゃ良いんだ!?ああ!俺の心のオアシスが!」

「夜食にしていたのですね…」

「他人事じゃないだろ?お前らも何度も行ってるじゃないか!好きなんだろ牛丼!?」

「いや、俺は別に…」

「全国の牛丼愛好者が困っているんだよ!?タケシはそれで良いの!?調停者として!」

突然話に加わって来たユウトの勢いに、タケシは珍しく、気圧されたように一歩退く。

「調停者とは無関係だと思うが…。それに、俺達がどうこうできる問題でもない」

青年は少し控えめな態度で見解を述べる。

「くっ…!俺達はなんて無力なんだ…!」

「全国の牛丼愛好者の皆さん…。力になれずご免なさい…」

ガックリと項垂れるカズキとユウトを前に、タケシは困ったような顔をしていた。

「それで…、仕事の方は…?」

珍しく口ごもりながら尋ねたタケシに、カズキはいやにローテンションで応じる。

「あー…、実はなぁ…、他の調停者チームが密輸グループのアジトを奇襲したんだがなぁ…、その際に商品になってた危険生

物が逃げ出したんだなぁ…」

「それで、この建設中のビルに?」

「ああ、逃げ込んだ訳だ…。ちなみにアジトを奇襲したチームは、抵抗を受けた際に負傷者を多数出してなぁ…、動けない訳

だなぁこれが…」

カズキがため息混じりに説明すると、同じくテンションの低いユウトがダルそうにビルを見上げる。

赤い満月に照らされる、天高く積み上げられた鉄骨むき出しの建造物は、まるでビルの死骸のようにも見えた。

「さっさと終わらせて吉原屋に行こう…。月末にはメニューから消えちゃうし…」

呟いたユウトに、カズキはハッとしたように言った。

「よし!終わったら俺もつきあおう!給料が出たばかりだからな、おごってやる!」

気持ちを切り替え、カズキは俄然元気になった。

「本当ですか!?」

「勿論だ!…ただし一杯ずつな…」」

顔を輝かせたユウトに、給料が全て消えては困ると、カズキは忘れずにクギを刺す。

「よぉし!やる気出てきたぞぉ!ほらタケシ、シャンとする!」

ゲンキンなもので、ユウトは完全に元気を取り戻すと、タケシの背をバンバン叩く。本人はそれほど力を込めている訳では

ないのだが、体格の良いユウトに背を叩かれたタケシは、前のめりになりつつ、倒れるのだけは何とか堪える。

勝手にテンションを上げ下げする二人に、青年はやや置いて行かれ気味だった。

「カズキさん、敵の情報は有りますか?」

タケシは先行しようとするユウトの背中を掴んで引き留めつつ、警官に尋ねる。カズキは表情を引き締め、二人に告げた。

「ああ、相手は第二種指定の危険生物。オンコット。それも7体だ」



地上を見下ろせば目がくらむような高所を、二人は淀みない足取りで進む。

二人が居るのは地上50メートル。時折横からの強風に煽られ、足場がギイギイと軋み音を立てるが、恐れる様子は微塵もない。

前を進むユウトは、首を巡らせて後ろのタケシを振り返る。

「よりによって、あんな連中と、こんな所で戦う羽目になるなんてね…」

「不利は否めない。気は抜くなよ」

ユウトがタケシの言葉に頷くと同時に、頭上から、ギャーッという獣の咆吼が響いた。その声に応じるように、様々な方向

から複数の声が上がり、二人は頭上を振り仰ぐ。

「こっちに気付いたみたいだね」

「来るぞ。くれぐれも油断するな」

タケシの言葉が終わらぬ内に、二人の頭上から、二つの黒い影が落下してきた。

それぞれユウトの前とタケシの後ろ。二人を挟む形で狭い足場に着地したのは、二頭の黒い猿だった。ただし、普通の猿で

はない。筋肉質な猿の体つきは、むしろゴリラに近い巨躯で、だらりと両手を前に下げた前傾姿勢でも顔の位置は177セン

チのタケシとほとんど変わらない。口元からは15センチ程もある犬歯が伸び、両手両足それぞれ五本の指先からは猫科を思

わせる湾曲した鋭い爪が生えていた。

獣人をも遙かに凌駕する膂力と機敏さを持ち、その獰猛さで調停者の間で広く知られる危険生物、オンコットである。

オンコット達はギャーッと声を上げると、二人めがけて同時に飛びかかった。

タケシは一瞬で刀を召還し、それを眼前で水平に構えて爪の一撃を受け止める。

ユウトは首を後ろに引き、振るわれた爪を紙一重でかわす。

タケシは刀を引き、僅かに後ろへ下がる。その鼻先を、下から蹴り上げられたオンコットの右足が掠めていった。

ユウトは両拳をエネルギーでコーティングし、ぼんやりと発光する右腕で、横合いから襲いかかった回し蹴りを受け止める。

続けてタケシに蹴りを放ったオンコットが、長い尾を素早く伸ばした。その先端には、黒い体毛に埋もれるようにして、光

沢のある漆黒の針が頭を覗かせている。顔を傾がせて尾の攻撃を避けると、タケシは大きく、そして素早く踏み込み、刀を横

薙ぎに一閃させた。
あまりの速度に回避はもちろん、反応すらも間に合わず、胸元を深々と斬り裂かれたオンコットは、絶叫

を上げながら足場から落下してゆく。

ユウトに蹴りを止められたオンコットは、次いで反対の足を蹴り上げた。対して大熊は左拳を下に打ち下ろし、その蹴り足

を殴りつける。分厚いコンクリートの壁をも粉砕する豪腕に、オンコットの右足が膝の所で折れた。苦鳴を上げ、仰向けに倒

れ込んだオンコットの顔面に、ユウトの右拳が飛び込む。鉄骨と拳に挟まれて凄まじい音が響くと、声は即座に止まった。オ

ンコットはビクリと体を痙攣させると、そのまま動かなくなる。

「残り5体」

タケシが呟くと同時に、上から轟くような叫び声が上がった。

二人は顔を見合わせて頷くと、オンコットの死骸を越えて先へ進んだ。



何度も折り返す仮組みの階段を登り、二人はやがてビルの頂上部にたどり着く。

やけに明るい、赤い満月の下、四つの影と、ひときわ大きな一つの影が二人を待ち構えていた。

ユウトは自分の倍以上の大きさを持つ影を見据え、目を細めた。

「ハヌマーンじゃない?あれ…」

「情報に誤りがあったようだな。第一種の最上位が混じっている」

「まったく…、牛肉は輸入制限受けてるっていうのに、こういうのは頼まなくても勝手に入国して来るんだから!」

ユウトよりも濃い、金の体毛に覆われた巨大な猿は、赤い瞳で二人を見据えた。タケシとユウトは油断無く構え、その視線

を真っ向から受け止める。四頭のオンコットは二人を遠巻きに包囲し、いつでも飛びかかれるように身構えていた。

ピリピリとした緊張がその場に満ちる。鉄骨と作業用の足場を踏み外した者には、幾重にも交差した鉄骨や足場に激突しな

がら、70メートル下の地面まで落下する運命が待っている。死と隣り合わせのその場所で、しかし臆する者はただの一人も

居なかった。

長い睨み合いを破ったのは、ハヌマーンの雄叫びだった。肌をビリビリと振動させるその声に、四頭のオンコットが同時に動く。

一斉に飛びかかったオンコットを、前に出たユウトが迎え撃つ。

素早く上体を振って、オンコット達の攻撃をことごとくかわすと、見事なウェービングに続いて右フックを放つ。横から振

り抜いたユウトの右拳が、かろうじて反応できた一頭の鼻先を掠めて隣のオンコットへと迫った。

咄嗟に腕を上げて拳を受けたオンコットだったが、あまりの威力にガードした腕ごと吹き飛ばされる。宙へと投げ出された

オンコットは、しかし空中で体勢を整え、尾を伸ばして鉄骨にからませ落下を免れた。

本来の威力を伴わない己の拳に、ユウトは内心舌打ちをした。

(ボクの体重で思い切り踏み込んだら、足場が崩れちゃうかもしれない。鉄骨か何かの上じゃないと、思うように力が込めら

れないな…)

考えながらも捻った体を戻しつつ、飛びかかってきたオンコットへ左の拳を斜めに振り上げる。しかし踏み込みが不十分で、

まともに胴へ飛び込んだにもかかわらず、殴り飛ばされたオンコットはかろうじて体勢を立て直した。

波状攻撃で飛びかかった他の二体のオンコットに対し、ユウトは振り上げた拳の勢いそのままに身を捻り、後ろ回し蹴りを

放つ。綺麗な角度で繰り出された右足が、オンコット達を纏めて蹴り飛ばす。まるで丸太で殴り飛ばされたように、二体のオ

ンコットは重なり合って吹き飛んだ。

「チャンスッ!」

叫んだユウトの脇を、黒い疾風が駆け抜けた。

オンコット達が回し蹴りではじき飛ばされ、波状攻撃が緩んだ隙を突き、タケシは最奥で構えるハヌマーンめがけて、細い

足場の上を風のように駆け抜けた。

させじと動いたオンコット達に対し、ユウトは素早く前に出ると、駆けていくタケシとオンコット達の間に立ちふさがる。

丁度二人がオンコットとハヌマーンに挟まれる形になった。同時に相手を分断し、互いの背後を護り合う形でもある。

鋭い眼光を投げかけるハヌマーンに一瞬で肉薄すると、タケシは走った加速を加え、鋭く刀を突き出す。喉元を狙った一撃

は、しかし意外な程の俊敏さを見せたハヌマーンにあっさりとかわされた。

首を捻って切っ先をかわしたハヌマーンは、ユウトの倍以上はある巨大な腕を真横に振るった。青年は刀を引き、鉄骨の上

で伏せるように身をかがめてそれをやり過ごす。

バネ仕掛けの人形のように身を起こしつつ、下から白刃が振り上げられた。ハヌマーンの顔面を襲ったその刃は、しかし太

い腕に阻まれた。金色の体毛を切り裂き、刃が腕に食い込んだ瞬間、タケシの瞳に警戒の色が浮かぶ。ハヌマーンの腕に浅く

食い込んだ刃は、強靱な筋肉に阻まれ、皮膚を切り裂いただけで止まっていた。

反撃に振るわれた打ち下ろしの豪腕を素早く跳び退って避けると、タケシは油断無く刀を構えつつ、ゆっくりと後退した。

連携して襲いかかるオンコットを相手に、ユウトは歯がみした。足場が不安定で思うように踏み込む事ができないため、迎

え撃つ攻撃は当たりが浅く、威力が激減している。そうでなくとも耐久力が高いオンコットは、動きこそ精彩を欠き始めてい

るものの、未だに一体たりとも仕留められてはいない。

目の前の相手に集中していたユウトは、自分の背に何かがトンとぶつかり、首を巡らす。

同じように、背中合わせになった青年が首を巡らせ、ユウトの顔を見上げた。

二人が視線を交わしたのは、ほんの一瞬だった。再び前に視線を戻しタケシは口を開く。

「ユウト、許可を求める」

短い言葉に、ユウトは僅かに逡巡した後、ため息混じりに口を開く。

「…今回は仕方ないか…。でも程ほどにね」

タケシは頷くと、左手で腰から鞘を抜き、変則二刀流の構えを取る。

その背後で、ユウトは腰を落とし、両拳をギリリと握りこむ。

次の瞬間、追い詰められたかのように見えた二人めがけ、オンコットとハヌマーンが踊りかかった。これに対してタケシは

足場を蹴り、ユウトは伏せるように身を低くしながら振り返る。

身を低くしたユウトの背の上を、タケシは背を預けたまま転がるようにオンコット側へ、ユウトは背をタケシに接触させた

まま、その下を潜り抜けるようにハヌマーン側へ、一瞬で互いの位置を入れ替えた。

突然のスイッチで、オンコット達に一瞬の動揺が生まれた。その隙を逃さず、タケシは一気に詰め寄り、刀を大きく振り下

ろした。咄嗟に反応して身を引いたオンコットは、肩を浅く斬られて甲高い悲鳴を上げる。

タケシは続けざまに左手に握った鞘を横へと振るい、横合いから腕を突き込もうとしたオンコットの鼻柱を粉砕した。

動揺から立ち直った残る二体が、青年の両脇から同時に飛びかかる。狭い足場ではかわしきれないその攻撃を、タケシは宙

へと身を躍らせて避けた。少し離れた位置の鉄骨の上に危なげなく着地すると、追って飛びかかってきた一体めがけ、鞘を投

擲する。なんとか首を振って寸前でかわしたオンコットだったが、その眉間に、矢のように飛んできた刀が突き刺さり、刃先

が後頭部から飛び出した。
鞘をかわすと踏んでの二段構えの攻撃で一体を屠ると、素手になったタケシは躍りかかった残りの

一体の攻撃を避け、そのまま背後へと跳躍し、オンコット達と間合いを離した。

互いの相手を交換した直後に、ユウトは両腕を頭上で交差させた。ハヌマーンの太い腕が、その真上から叩き付けられる。

その凄まじい威力に、足場となっている鉄骨が大きく撓んだが、ユウトはその攻撃をしっかりと受け止めていた。

(禁圧…、完全解除っ!)

ユウトの腕の毛皮を押し上げて筋肉が隆起し、丸太のような腕が一回り太くなる。

獣人の身体能力は人間をはるかに上回るが、それすら本来の三分の一程度しか発揮されていないものだ。それは獣人の強靭

な肉体を持ってしても、その最大出力に体が耐え切れず、脳からの命令によって出力制限がかけられる為である。しかし特殊

な修練を積んだユウトはこの制限を意図的に解除する事ができる。禁圧解除と呼ばれる高等技術である。

そしてユウトは今、全身のリミッターを完全に解除した。

「ゴアアアァァッ!!!」

腹の底に響く野獣の咆吼を上げ、ユウトはハヌマーンの腕を跳ね除ける。

たたらを踏んだハヌマーンめがけ、大熊は低い姿勢から伸び上がるようなアッパーカットを放った。丈夫な鉄骨の上で十分

な踏み込みから繰り出された拳は、ハヌマーンの顎に飛び込み、ユウトの倍はある巨体を宙へと打ち上げる。それを追いかけ

るように、ユウトは鉄骨を蹴って大きく跳躍した。

オンコット達から間合いを取ったタケシは、そのまま距離を置いて三体全てを視界に納めた。そして右手を前に伸ばし、左

手をその手首に添える。

「対象範囲確認…」

低く呟いたタケシめがけてオンコットが宙へ跳び、一斉に襲い掛かる。その姿を映した黒瞳が紫紺の色に輝き、三体のオン

コットの周囲で景色がかすかに揺らいだ。

 次の瞬間、タケシはその右手を、力を込めて握りこむ。

 それと同時に、三体のオンコットは黒い霧のような空間の揺らぎに飲み込まれた。

 オンコット達は歪みの中で引き延ばされ、押し潰され、長く尾を引く断末魔を遺し、空間の歪みと共に完全に消失する。

タケシの能力、ディストーション。普段はバスケットボール大の空間を対象とする防御不能の空間歪曲攻撃を、今回は三体

のオンコットを丸ごと飲み込むほどの広範囲におこなっていた。

 敵の完全な消滅を確認すると、タケシはユウトとハヌマーンへと視線を巡らせた。その瞳が紫紺の輝きを失い、急激に黒へ

と戻ってゆく。

跳躍したユウトは、顎への一撃で意識が飛んでいるハヌマーンの右腕を左手で掴み、その喉元を右手で捕えた。右腕を極め

た状態からの、喉輪落としのような体勢である。

「いくよぉっ!落熊撃っ(らくゆうげき)!」

ユウトはハヌマーンの巨躯を捕えて落下しながら、喉を掴んだ右腕にエネルギーを集中させる。

 二人分の体重をかけ、鉄骨の上にハヌマーンの頭を叩きつけた瞬間、眩く輝くユウトの右手とハヌマーンの喉の間で激しい

光が炸裂した。

 鉄骨がひしゃげ、ビル全体が振動し、何本かの鉄材が外れて落下してゆく。

小型の爆弾にも匹敵する衝撃がごく狭い範囲で炸裂し、その衝撃に耐え切れず、ハヌマーンの頭部は首の付け根から吹き飛

んでいた。

打撃の瞬間にエネルギーを炸裂させる、ユウトの得意技、熊撃衝。それを喉輪落としと同時に密着状態で仕掛けるという荒

技であった。

ひしゃげた鉄骨の上で立ち上がり、ユウトはタケシへと視線を巡らせた。

青年は先ほど投擲し、オンコットの頭部に突き刺さったままだった刀を引き抜くと、ユウトへと視線を向ける。

「任務完了だね。ところで、体は大丈夫?」

「怪我はない。…が…」

そう応じたタケシの体がぐらりと揺れた。それを見たユウトはあわてて駆け寄る。

青年は額を押さえ、眠そうに細められた目で、ぼんやりと相棒の顔を見つめた。

「どうやら…、副作用が、来たようだ…」

タケシの足から力が抜け、カクンと膝が折れる。ユウトは咄嗟に腕を伸ばし、倒れかかるタケシの体を抱き止めた。

「ちょ、ちょっとタケシ。大丈夫?」

ユウトに抱きかかえられたタケシの体は、力無くぐったりとしている。

「済ま…ない…。少し…、眠る…」

途切れ途切れに、やっとの事でそう言い終えると、タケシは目を閉じ、長く、深い呼吸を始めた。ユウトは腕の中ですやす

やと寝息を立て始めたタケシを軽く揺さぶる。

「え?あ、ちょっと?ねえ?タケシ!?こんな所で…」

全く目を覚ます様子の無いタケシの顔を見つめ、ユウトはしばし途方に暮れ、

(あ…、タケシの匂い…)

しばし青年の頭に鼻を寄せて匂いを嗅いだ後に我に返り、ブンブンと頭を振る。そしてため息を一つつくと、眠ったタケシ

を背におぶり、慎重にビルを降り始めた。



「お疲れさん。って、どうしたんだ?タケシは?」

カズキはユウトに背負われ、熟睡しているタケシを目にし、不審げに眉を潜めた。

「大丈夫です。力を使った副作用で寝てるだけなんで…」

ユウトは肩に顎を乗せているタケシの寝顔を横目に、そう答える。

「仕事は完了です。オンコット6匹と、ハヌマーン1匹。そのうちオンコット3匹はディストーション・フォルテで、影も形

も無くなってますけど…」

「ハヌマーンまで混じってやがったのか。お前らが苦戦する訳だ…」

「地面の上だったら手こずる相手じゃないのに…」

不満げに言ったユウトに、カズキは苦笑いした。

「それで、監査と吉原屋の件なんですけど、タケシがこんな状態だし…」

「ああ、分かったよ。後日改めて、だな?」

カズキはユウトの申し出を快く承諾すると、タケシの頭をガシガシなでた。

「まったく、幸せそうな顔で寝こけやがって。あんまり相棒に心配かけるなよ?」

「まあ、今回は使う前に、ちゃんと許可を求められましたから」

ユウトは笑いながら言うと、ペコリとお辞儀した。

「それじゃあ、これで失礼します」

「ああ、お疲れさん」

カズキは手を振って二人を見送り、小さくなっていくその姿を眺めながら思い出す。

(一昨年、首都圏でのマーシャルローの時も、あいつはボロボロになりながら、タケシをおぶって帰って来たっけな…)

国内の調停者の約2割が命を落とし、1割が現役を退く凄惨な戦いだった。

若い二人が生き延びる事ができたのは、実力だけでなく、幸運も重なっての事である。

そして、二人がその後も調停者を続けたのは、実はカズキにとっては意外だった。

(あの時は…、政府のあの対応で、見切りを付けられても仕方ないと思ったんだがな…)

警官は首を振って回想を中断すると、応援を呼ぶべく無線を手に取った。



目覚めると、見慣れた天井が視界に飛び込んできた。

カーテンの隙間から差し込む光が、すでに日が高い事を教えている。

ゆっくりと首を巡らすと、ベッドの傍らにユウトの姿があった。

 ずっと付き添っていて眠り込んでしまったのだろう。ベッドの端に両手を組んで顎を乗せ、規則正しい寝息を漏らしている。

青年は手を伸ばしてユウトの頭を撫で、金色の被毛の柔らかい感触を確かめながら、枕元の時計に視線を移す。

 事件の夜の翌日、午後1時であった。どうやらかなり長く眠り続けていたらしい。

頭を撫でられる感触で目覚めたのか、ユウトは薄く目を開けた。

「おはよう」

青年がそう声を掛けると、ユウトは両手を上に伸ばし、背を伸ばしながら大あくびする。

「おはよう…。体調と気分はどう?」

「問題ない。少し腹が減っている程度だ」

ユウトは目を擦りながら微笑むと、

「それじゃあ、急いで食事の支度をして来るね」

「いや、それよりも…」

立ち上がりかけたユウトを、タケシの言葉が引き留めた。

「吉原屋の牛丼、食いに行くか?」

ユウトはちょっと驚いたような表情を浮かべた後、満面の笑みを浮かべて頷いた。