第十八話 「能力者」

エマージェンシーコールの終息宣言が出されたのは、夜も更けてからのことだった。

警戒態勢は維持されているものの、危険生物の捕縛、駆除はあらかた終了し、タケシ達は何かあった時に現場へ急行できる

よう、待機要請を受け、事務所に戻った。

事務所の応接室には、タケシ、ユウト、アル、そしてアケミの姿があった。

背中をクイーンビーに突き刺されたアルは、分厚い筋肉と皮下脂肪のおかげで、思いのほか軽症で済んでいたものの、まと

もに動ける状態ではない。

ユウトは何箇所か傷を負ってはいるものの、深手は一つも無い。が、禁じ手の使用により、数ヶ所の筋肉が断裂しており、

これまた普段どおりの動きは期待できなかった。

よって、万が一緊急事態が起これば、タケシは一人で出るつもりでいる。

「さて、どこから手を付けるべきか…」

青年は軽くため息をついた。疲労のものというよりも、途方に暮れてのため息である。その隣では、ユウトが伏し目がちに

タケシの横顔を見つめていた。

二人の向かい側で、アルと並んで座っているアケミは、タケシとユウトの深刻そうな様子を見て、ただただ首を捻っていた。

「能力者とは」

タケシは唐突に口を開いた。

「一般の者が持っていない、特殊な能力を持つ者の総称だ。特殊な能力と言っても、専門的な技術や、知識等を指す訳ではない」

首を傾げた少女を見て、青年の言葉の後を引き取り、ユウトが説明した。

「タケシの空間歪曲や、ボクの力場みたいな、普通の人々が持っていない能力の事だよ」

アケミは不思議そうな顔をしながらも頷いた。その隣のアルも不思議そうな顔をしているが、こちらは少し意味が違う。

「あの、何で今更そんな説明をするんスか?」

「アケミが知らないからだ」

疑問を口にしたアルに、タケシは短く応じた。

「え?でもアケミさんは能力者で…」

「少なくとも、先日会った時までは違った」

タケシの言葉に、アルは「えっ?」とアケミを見つめ、ユウトはそっと目を伏せる。

「え?で、でも…、ちゃんと能力を使って…。実際にオレは助けられたっスよ?」

「問題はそこにある。つまりアケミは、ここ数日のうちに能力者となった訳だ」

アルはこの言葉で事態を悟ったのか、驚愕の表情を浮かべ、傍らの少女を見つめた。

タケシは少女を見つめ、アケミは困惑したように青年を見返す。

「自分の能力には、いつ気付いた?」

「アルビオンさんが、大きな蜂と戦っていた時です。気付いたというよりも…、気が付いた時には無意識に、指環の時と同じ

ように、左手を伸ばしていました」

「どんな能力だった?」

「…重力、といえば良いんでしょうか…?指環を使った時と同じように感じました。でも、もう指環は持っていませんし、こ

れと言って特別な品物も、身につけてはいません」

アケミの答えに、タケシはユウトをちらりと見やった。

「どう感じる?ユウト」

「こういうのはボクの感覚より、タケシの知識に照らし合わせた方がいいでしょ?」

「こういった事例は知識に無い。思いついたことが全く無いわけではないが、少々現実味に欠ける。だからお前の見解を聞きたい」

タケシの言葉に、ユウトは困ったように俯き、少し間を開けてから口を開いた。

「あくまで感覚だけど、あのレリックの力がアケミちゃんに乗り移った…。そういう風に感じる」

タケシは無言で頷き、アルは驚いたように口を開いた。

「そ、そんなの聞いたこと無いっス!」

「ボクもそんな例は知らない。でもね、アケミちゃんが持っていたレリックは、今は誰にも使えなくなってる。まるで力を失

ったみたいにね。そして、アケミちゃんが身につけた能力も、指環の力も、重力だった。ただの偶然にしてはおかしい。なん

だかまるで…」

途切れたユウトの言葉を、タケシが継いだ。

「指環はアケミに力を託した。そして力を失った。そう考えれば辻褄が合う」

「ただ単に、アケミさんが元々重力を使う能力者で、これまで気付いていなかったって事なんじゃないんスか?」

「可能性の面から言えば、確かにゼロではない。…だがアル、重力を操る能力者がどれくらい居るか、知っているか?」

アルは解らない、と首を横に振る。

「登録されている分だけで言うならば、国内には一人も居ない。大陸に2名、米国に1名、北原に1名…、世界中合計しても

10名まで居ない。非合法組織に所属している未登録の能力者も居るだろうが、それでもかなり珍しい能力である事は間違い

ない。つまり偶然とは考えにくい」

タケシは目を閉じ、首を横に振った。アルはタケシとユウトの様子を見て問いかける。

「だったとしても…、それがどうしたんスか?お二人とも、何を悩んでるんスか?」

「気付かないか?アル。彼女はこれまで普通の人間として生きてきた。記憶がある限り調停者として過ごしている俺や、神将

家たる神代に生まれ、物心付いた頃から能力者だったユウトとは違う」

アルははっとして息を飲み、アケミは言葉の意味が解らず、三人の顔を代わる代わる見つめた。

「アケミちゃん。良く聞いて欲しい。能力者は警視庁のリストに登録される事になる。そして、調停者や警官の監視を受ける

ようになる。つまり…、これまでのような生活は送れなくなるんだ…」

ユウトに何を言われたのか、アケミは一瞬解らない様子だった。が、時と共に少しずつ、その顔に理解の色が浮かぶ。

「能力者が監視を受けない条件はいくつかある。例えば警視庁管轄の何らかの職に就く事や、調停者になる事とか。でも、そ

れ以外の状況にある殆どの能力者は、政府監視下においての生活を余儀なくされる。能力者は、それだけ危険視される存在なんだ」

「ま、待って欲しいっス!もしかしたら、オレの勘違いかも知れないっス!アケミさんは能力者じゃないのかも…」

「アル。知っているはずだ。能力の秘匿は、レリック秘匿と同等の重犯罪行為に当たる。隠した者も、それに加担した者もだ」

身を乗り出して言ったアルに、タケシは冷ややかとも言える声で言った。

「でも…!」

なおも言い募ろうとしたアルに、ユウトが静かに言う。

「アル君、気持ちは解るよ。ボクだって、もちろんタケシだって、こんな事を望んじゃいない。でもね、例えボクらが口をつ

ぐんだとして、もしアケミちゃんの能力が他人に知れる事があれば、その時、重罪に問われるのはボクらだけじゃない。誰よ

りも本人が厳しい処罰を受ける事になる」

その声があまりにも哀しげだったからか、アルは俯いて口をつぐんだ。

部屋に沈黙が落ちた。ユウトは黙りこんだまま机の上に視線を這わせ、アルは俯き、悔しそうに歯を食いしばる。

 タケシだけは平静そうに見えたが、心中穏やかではないのだろう。膝の上に置いた手は硬く握り締められ、爪が手の平に食

い込んでいた。

「分かりました。それが法なら、守らなければいけませんよね」

沈黙を破ったのは、アケミだった。顔には微笑みが浮かび、その口調は明るいといえるほどにはっきりしている。

「アケミさん?」

横から自分の顔を覗きこんだアルに、アケミは笑みを返す。

「ご心配には及びませんよ。昨日と同じ今日も、今日と同じ明日も、一日だって無いんですから。何かが変化していくのは当

り前です。今回はその変化が、少し大きかっただけです」

気丈に明るく振舞うアケミを、ユウトは言葉も無く、痛ましそうに見つめた。

「それはまあ、これからいろいろと大変になるのかもしれませんけれど、たぶんそのうちに慣れるでしょうし」

笑顔のまま言ったアケミに、アルは押し黙り、やがてソファーから腰を上げた。

三人が見つめる中で、アルは床に両手と膝を着いた。

「済まないっス…!」

アルはアケミに土下座し、床に額をつけたまま繰り返した。

「済まないっス!オレが…!オレがもっとしっかりしていれば!アケミさんはこんな事にならなかったのに!オレが!オレが

不甲斐ないばかりに!」

自分の無力さが悔しく、少女の行く末が悲しく、アルは何度も床に額を擦りつけた。

「力及ばず、助けてもらった挙句、こんな目に…!」

床を睨むアルの目から、情けなくて、哀しくて、涙が零れ、カーペットに染み入る。

アケミは、胸が締め付けられるような感覚を味わっていた。命を懸けて自分を守ろうとしてくれた少年が、自分のためにま

た傷ついている。誰が悪い訳でもない、皆が精一杯の事をしたはずなのに、どうしてこんな事になってしまうのだろう?

少女はこれまで知らなかった。世界の中心には正しい事があって、良い行いには良いことが、悪い行いには悪いことが返る

ものだと、心のどこか深いところでそう認識していた。

だが、違っていた。

この数ヶ月で自分が触れた世界は、とてもよそよそしく、残酷なまでに冷ややかで、だれかが死んでも、何か事件が起こっ

ても、何食わぬ顔で勝手に廻っている。

タケシが苦悩しても、ユウトが悲しんでも、アルが悔しがっても、アケミが精一杯の決断をしても、世界にとってはなんで

もない事なのだ。

そう、たぶん自分が明日、居なくなったとしても、世界は何事も無く廻り続ける。

どうしようもない虚無感と同時に、自分達がいかにちっぽけな存在かを思い知る。

 それは能力と共に指環から引き継いだ感覚なのだろうか?広大な世界の中で、自分達は砂場の砂一粒程度の存在である事を、

アケミは自分でも驚くほど客観的に実感していた。

そして、世界と比してあまりにもちっぽけな自分と関わりをもってくれる者達が、たまらなく愛おしく思えた。

「アルビオンさん。顔を上げてください」

大きな背を震わせ、涙を流しながら詫び続けるアルの肩に、アケミはそっと手を触れた。

「命を救ってもらった上に、そんなに謝られたら、私が悪者みたいです」

涙でぐしょぐしょになった顔を上げたアルに、アケミは微笑んで見せた。

「それに、今でこそ一人で好き勝手に出歩いていますが、父が生きていた頃は、学校の登下校にまでボディーガードを付けら

れていましたから。監視なんて慣れっこです」

アルは目をしばたいてアケミの顔を見つめ、ユウトはタケシに問うような視線を向ける。

「言っていなかったか?アケミは榊原コンツェルン総帥の一人娘だ」

さらりと出てきた国内最大規模の大財閥の名に、ユウトは一瞬鼻白んだ。

「き、聞いてないよそんなの!?」

「そうだったか。済まない」

「なんでタケシはそう大事なことを簡単に…」

騒がしくなったテーブルの向こう側から視線を戻し、アケミは呆けたような顔をしているアルの手を、両手で握った。

「だから私は平気です。胸を張って下さい。貴方は私にとって命の恩人なんですから…」

アルは再び泣きそうになりながら、涙をぐっと堪え、深々と頭を下げた。



隣室で自宅へ電話をかけ、家政婦頭に連絡が遅くなった事を詫び、今日は外泊する旨を伝えると、アケミはリビングに戻った。

「あら?タケシさんとアルビオンさんは?」

少女はいつのまにか姿を消していた二人に気付き、一人くつろいでいたユウトに尋ねる。

「お風呂場。アル君右腕があまり動かせないからね。せめて身体を拭いてあげるようにタケシに頼んだんだ。なんでか、ボク

がやろうとすると嫌がるからねえ」

ユウトはアケミに座るように促し、紅茶を勧める

「…無理、してない?」

「大丈夫です。まだ実感が沸かないだけかもしれませんけれど」

ユウトは朗らかに笑ったアケミに笑みを返しつつ、やはりこの少女は強いと実感する。

「それで明日の朝だけど、届出にはタケシが一緒に行くよ。近くの交番に居る、ボクらが良くして貰ってる調停者監査官に話

を通すようにする。きっと、便宜を図って貰えるよ」

「分かりました。お手数をおかけします」

「気にしないで。それと、監視って言っても、四六時中つきっきりで見張られるわけじゃないから安心してね。発信機の携帯

が義務付けられて、ちょくちょく位置を確認されたり、たまに辺りの調停者が目を向けるくらい。ただし、登録区域…、つま

り、県外なんかへ出かける時は、必ず調停者か警察関係者が同行するようになる。まあ、これについては、前もって予定を聞

かせてくれれば、できるだけボクかタケシが同行するようにするよ」

「そんな事ができるんですか?」

「ほら、ウチ暇だから。少ないけど付き添いの報酬も出るしね。ボクらにとってもそう悪いことでも無いんだよ」

苦笑いしながら暇だと暴露するユウトに、アケミもつられて苦笑を浮かべる。

「それと、発信機には能力の発動を察知すると通報する機能が付いてる。非常時を除いて、民間人の能力無断使用は禁止され

てるから気をつけて。もちろん、一般人に能力を見せるのも厳禁。まず気をつけなきゃならないのはこれらだね」

「無断で発砲するようなものだから、ですか?」

「察しが早いねえ、まさにそういうこと。能力の大小は関係なく、能力者の存在自体が、レリックと同じで一般には公開され

てないからね。ボクら調停者内の能力者も、一般には極秘の最新機器を扱っている、って事になってるんだから」

ユウトの説明に、アケミは納得いった様子で頷く。同時にその顔には、一抹の不安のようなものが浮かんでいた。

「そう心配しなくて良いよ。力は使う人の心がけ次第でどうにでもなる。能力のコントロールはボクらが一緒に居る時に教え

てあげられるし、きちんと制御できるなら、能力はそんなに恐ろしいものじゃないんだ」

「使う者次第、ですか…」

「そう。だから心配要らない。だって能力を持ったのはアケミちゃんだもん。他の誰かなら不安だけど、キミなら何の心配も

いらない。ボクが保証してあげる」

ニコニコと笑いながら言うユウトの言葉から、強い信頼を感じ、少女は少し誇らしく、

照れくさくなった。

そして思う。この信頼に応え、自分は決して道を外さぬように歩んで行こうと。



「アケミさんはああ言ってくれたけど…、オレ…、どう詫びたら良いんスかね…」

アルは鏡に映った自分の顔を見ながら、そう呟いた。鏡の中のアルの後ろで、タケシがひょこっと顔を出す。

背中の傷は決して浅くは無い。入浴はできないし、傷口に湯がかかってもまずい。

返り血を簡単に拭いはしたものの、まだ純白の被毛には血と臭いが染み付いている。それで仕方なく、アルは浴室の鏡の前

で座り、タケシに湿ったタオルで拭ってもらっていた。

「まだ詫び足りないのか?」

「当り前っスよ!アケミさんは許してくれても…、オレ、自分が情けないっス…」

タケシは無言のまま、鏡越しにアルの顔を見つめる。

「図体ばかりデカくて、いざという時に役に立たないウドの大木っス…」

鏡の中のタケシは視線を下に向け、

「体はともかく、そっちは気にするほどデカくないぞ。むしろ気にならないほど…」

「そっちの話はもういいっス!」

前を隠したアルに、タケシはふむ、と頷く。

「自分が納得できないなら、納得できるまで足掻く事だ」

唐突に話題が戻り、アルは鏡越しにタケシを見つめる。

「今のはユウトの受け売りだがな。それともう一つ。あいつが教えてくれた事の中にこういうものがある」

青年は思い出すように、視線を宙に向けて言った。

「後悔するのが嫌なら、後悔しなくて良いように、できるだけの事をやっておく」

アルはその言葉を、心の中で反芻した。

「後悔など、そのときが来なければしない、できないものだ。だが、事前にできるだけの事をやっていれば、後悔しないで済

むかもしれない。漠然とした予防策ではあるが、良い言葉だと思う」

言葉の意味を受け止め、黙り込んだアルに、青年は続けた。

「結果に納得できないなら足掻けるだけ足掻け。次に同じ思いをしたくないなら、できるだけの事はやっておけ。俺に言える

のはこれくらいだ」

アルは顔を上げ、しっかりと頷いた。その目には硬い決意を湛え、その顔には目標を見定めたような、すっきりした表情を

浮かべて。



「終わったぞ」

「お先したっス」

タケシとアルが冷房の効いたリビングに戻ってくると、ユウトは立ち上がり、大きく伸びをした。

「もうこんな時間かあ。ここまで待って何も無いなら、非常召集の心配は薄いかな」

「そうだな。お前も風呂に入って休め。そろそろ身体もキツくなってきているだろう」

タケシの言葉に、アルは首を傾げた。

「言われてみれば…、神代さん、なんとなくダルそうっスね?どうかしたんスか?」

「えへへ。ちょっと張り切りすぎちゃったみたい」

ユウトは笑って誤魔化すと、ドアの前で振り返り、アケミを手招きする。

「アケミちゃんもおいで、一緒に入ろう」

「え!?」

少女は驚きの声を上げた。

「一緒にって、その、ユウトさんと、ですか?」

聞き返すアケミにユウトが苦笑いする。

「やだなあ。いくらボクが大きくても、ウチのお風呂は広いから、一緒でも大丈夫だよ」

「そうだな。女同士でスキンシップをはかるのも良いだろう」

タケシはそう言って頷く。アルは健康な男子の性で、入浴シーンを想像して顔を赤らめていた。

「…女同士…」

アケミはポツリと呟く。

「…女同士…?」

アケミはユウトを見つめ、ユウトはドアの前で、笑みを浮かべたまま小首を傾げる。

「…女…?」

やけに入念に、しつこく繰り返した後、アケミは目を丸くした。

「…ユウトさん!女性だったんですか!?」

部屋の空気が凝固した。

誰も口を開かないまま、時計の秒針が時を刻む音だけが、やけに大きくリビングに響く。

数秒後、ユウトは額を押さえ、ドアにもたれかかってガックリと項垂れた。

タケシはその傍に歩み寄り、小刻みに震えるその肩をポンと叩いた。やけに優しげなその手が、今は逆に物悲しい。

アルはどうフォローすれば良いか解らず、オロオロとユウトとアケミの間で視線を彷徨わせている。

「あ、あの、ユウトさん?その、す、済みませんでした!わ、悪気があった訳じゃ…!」

この場合、悪気が無い事がかえって辛い。

「い、良いんだ…。人間から見るとボクら獣人は、見た目からは性別の判断がつき辛いらしいから…」

ユウトは半笑いを浮かべ、どよんとした空気を纏っていた。

鈍感なタケシの目から見ても一目で判るほどに、彼女はベコベコにヘコんでいた。



翌朝一番で、タケシはアケミをカズキの元へと連れて行った。

アルは二人に同行し、手続きが終わるまでの間、不安そうな少女の傍らに、じっと寄り添っていた。まるで、彼女を護る忠

実な守護者のように。