第二話 「月夜の追跡」

月の明るい、真夜中のことであった。

就寝していたユウトは、微かに聞こえた声に丸い耳をピクつかせると、ゆっくりと目を開け、ベッドの上で静かに身を起こ

した。そして、自分を起こした小さな声に耳を澄ます。

「…承諾しました。……場所は………すぐに向かいます…」

事務所兼住居のこのビルは、ビジネスホテルを改装した事もあり、防音の行き届いた構造になっている。

 しかし、静まり返った深夜ということもあり、ユウトの鋭い聴覚は、タケシの微かな声を途切れ途切れながら聞き取っていた。

いかつい外見に似合わず、白地に青の水玉模様という可愛らしいパジャマを着込んだユウトは、着衣の乱れを直しながら部

屋を出ると、隣室のタケシの部屋をノックした。

返事を待ってドアを開けると、すでに仕事着に着替えたタケシは、携帯の画面で地図をチェックしている所であった。

「何かあったの?」

「カズキさんから連絡があった」

金色のふさふさした被毛の寝癖を整えながら尋ねるユウトに、タケシは携帯の画面をじっと見つめながら応じる。

「危険生物と思われる何かが、夜半に河川敷で見つかったらしい。約二時間後、そいつを追っていた調停者達が捕縛に成功した」

この説明に、ユウトは寝癖のきつい首周りを整えながら首を捻る。

決着がついたらしいその事と、この真夜中にわざわざカズキから連絡が来た事と、タケシが出かける準備をしている事が、す

ぐには結び付けられなかった。

「排除完了の連絡を受けたカズキさんだったが、しばらく待っても調停者達はやって来ない。疑問に思っていたら、捕縛地点

に向かった現場監査担当から連絡が入ったそうだ」

「それってまさか…」

淡々としたタケシの言葉を聞きながら、ユウトは嫌な予感を覚える。

「現地で、調停者6名の死体が見つかった。捕縛したと伝えられた対象の姿は、その時には無かったそうだ」

どれほど優位な立場になっても、油断すれば最悪の事態を招くこともある。まして、相手は追い詰められ、必死なのだ。

「新人、だったのかな?」

「詳しくは聞いていないが、恐らくそうだろう。でなければ一度捕らえたものを取り逃がし、あまつさえ全滅などという事に

はならないはずだ」

タケシの言葉は実に淡々としており、そこには命を落とした同業者に対する同情も、対象を取り逃がした事に対する苛立ち

も感じられない。

 元々、ユウトやカズキなど、近しい間柄の人物以外には、あまり関心を示さない青年である。

 同業者がどんな失敗をしでかそうが、そこにいちいち何かを感じたりする事はほとんど無いのだ。

 冷酷というのとも少し違う。ただ単に、他人に対して極めて無関心なのである。

 だからこそ、時には意図的な冷酷さ以上に、青年の言動はひどく冷たくも感じられる。

携帯を操作していたタケシは、やがて指を休め、画面に見入った。

「ここだな、横溝二丁目…」

「繁華街のすぐ傍じゃない!」

「被害が広まる前に始末をつける。お前は寝ていて良いぞ」

「一緒に行くよ。どんな状況かはハッキリしないけど、調停者6人を返り討ちにするような相手だしね。2分で仕度する」

ユウトは少し待っているようにタケシに告げ、素早く身を翻すと、仕度を済ませるべく自室に戻った。



現場は酷い有様だった。

街灯もまばらな、薄暗く狭い路地には立入禁止のロープが張られ、ビニールシートで覆われた現場に入ると、強い血臭が鼻

を突いた。

遺体はすでに運び出されていたが、慌しく動く警官達の周囲の路面に、白いチョークで遺体が散らばった様子がマーキング

されている。

 マーキングはやけに細かく、人と言うよりは、バラバラになったマネキンの所在を示しているかのようでもあった。

「要請を受けた、調停者の不破と神代です」

ユウトが近くの警官を捕まえ、胸元に吊るした銀の認識票を見せる。

「ああ、本部から話は聞いていました。こちらへどうぞ」

中年の警官はユウトとタケシを手招きし、路地のほぼ中央に置かれた、鉄製の檻の前へと案内した。

「カギが、壊されてる…?」

ユウトの言うとおり、青年が確認している一辺10センチ程の南京錠に似た形状をした鋼鉄製の錠前は、強い力で捻られた

ように歪み、壊れていた。

「何を捕まえたのかはまだ調査中ですが、檻から逃げたそいつは、6人もの調停者を短時間で殺害して逃走したようです。一

度捕らえられたというのに、一体どこにそんな力があったのか…」

タケシは錠前を確認すると、次いで点在するマーキングの位置をつぶさに確認する。

「何か、気になる事が…」

言いかけた警官を、口元に人差し指を当ててユウトが制す。タケシは今、頭の中で状況を再現しているのだ。

 青年の特技とも言えるこの脳内再現は、かなり正確に状況を分析する事ができる。

 普通は気付かないような細かい事柄まで仔細に記憶し、起こった出来事を見通し、狙われた獲物はまず逃げようが無い。

 神話にある、見つめただけで相手を殺すという「バジリスク」の異名は、ここから付けられたものである。

「錠前は外から破られている。間違いなく、捕らえられていたヤツの他に、もう一体、何かが居たのだろう」

タケシはポツリと呟くと、遺体の痕跡の一つ、頭の無い人型にかたどられたマーキングを指し示す。

「一人目はあそこだ。檻の方を向いたまま、後ろから頭を飛ばされた」

「た、確かに、検死官の話では、後ろから首を切り裂かれたと…」

驚いたように言った警官をよそに、タケシは続ける。

「二人目はそこ、襲撃者は一人目を仕留めた後、まっすぐに檻には向かわなかった。おそらく、二人目は、いち早く襲撃者に

気付き、戦闘体勢に入ったのだろう」

「はい。そこの遺体はライフルを持ったまま事切れていました」

「三人目は檻の傍、恐らく抵抗らしい抵抗もできず、引き裂かれた。そして、襲撃者は脅威が半分に減った事もあり、ここで

檻を開けた。あとは順番に仕留められ…」

タケシは檻から最も離れた位置で、5つに分けて描かれているマーキングを指し示した。

「最後の一人は助けを求めようとしたのか、あるいは単に逃走しようとしたのか、そいつらに背を向けて路地から駆け出そう

とし、後ろから襲われた」

まるで実際に目にしたような、断定的な口調であった。

「たぶん戦闘中に付いたのだろう。アスファルトに刻まれた爪跡らしい傷を見れば、どう動いたのかもおおよそ判る」

タケシはそこまで言うと、相棒の顔を見上げ、枝分かれした路地から伸びる、複数の細い道のうち、一本を指さした。

「逃走した方向はそっちだ。追跡できるかユウト?」

道は、繁華街の裏、ごちゃごちゃとした住宅密集地の方へ続いている。

「やってみる」

大熊は力強く頷くと、路地の入り口に立ち、鼻をヒクつかせ、周囲の臭いを嗅ぎ分け始めた。

 それからほとんど間を置かず、ユウトは口を開く。

「捉えた!このくらいの残り香があれば追える!」

言うが早いか、ユウトは狭い路地へと駆け込んだ。

そのすぐ後ろをタケシが追い、残された警官はあっけに取られたまま、二人の後姿を見送った。



「近いよ!」

走り始めて十数分後、何度も枝分かれした細い道を、迷い無く駆け続けたユウトは、すぐ後方を走るタケシに警告した。

返事をする代わりに、タケシは右手を横に伸ばす。瞬き一つの間に、その手の中に忽然と、黒塗りの鞘に収められた太刀が

出現する。

 青年の特殊能力、空間歪曲を利用して空間を歪め、あらかじめ仕込んでおいた武器を呼び出したのだ。

前を走っていたユウトが速度を緩めた。その広い背中越しに、タケシは前方を見据え、状況を確認する。

 無計画に建築されたビルとビルの間、路地の突き当たりには、小さな公園ほどのスペースがポッカリと開いていた。

その広場の入り口でユウトは足を止め、タケシはその隣に並ぶ。

街灯は無く、月明かりだけが光源のその広場の奥に、四つの目が光っていた。

「やはりリザードマンか」

直立したトカゲ、とでも言えばいいだろうか、人間のような四肢に、トカゲの頭部。尻からは太く、長い尻尾が伸び、その

全身は光沢のある緑の鱗に覆われている。

 膝下まで伸びた異様に長い両腕は、手首から肘にかけては鋭いヒレのような突起が連なり、指先からは20センチ近い鋭い

爪が伸びている。

 猫のように細い瞳孔の、黄色く濁った瞳が、追っ手たる二人を見据えていた。

一見すると獣人に近い姿ではあるが、実際には別物である。

獣人の中にもトカゲの特徴を備える者は存在する。しかし彼らは凶器となるようなヒレや、大振りなナイフ程も有る爪を備

えてはいない。何よりも、その目には知性の光を宿している。

今、二人の目の前に居る二体の姿からは、明らかに獣人の特徴とは異なる、戦闘の為に手を加えられた結果が伺えた。

「第二種危険生物上位クラス。それも手を加えられた形跡が見られる。気を抜くなよ」

タケシの言葉に頷くと、ユウトは前へ一歩踏み出す。

 と、それに応じるように、一体が前へ進み出て、もう一体のやや小柄な方を、背後に庇うように立ちはだかった。

訝しげに目を細めたユウトは、後ろの一体の姿を見つめ、そして気が付いた。

「手負い、なんだね」

庇われる形になった、やや小柄な一体は、捕えられていた方なのだろう。所々鱗がはがれ落ち、紫がかった血が滲んでいる。

 それを見たユウトに、僅かなためらいが生まれた。

タケシが、ユウトの隣に進み出た。その手には、すでに抜き放った太刀が握られている。

「俺が前の方を片付ける。お前は後ろのヤツを始末しろ」

感情を感じさせない、事務的な口調でそう言うと、タケシは無造作な足取りで、リザードマンへと歩を進める。

 間合いが狭まるにつれ、前に出ている方のリザードマンは、上体を倒して前傾姿勢になってゆく。

 両者の間が4メートルを切ったその時、「シャッ」と短い威嚇音と共に、リザードマンが先に地を蹴った。

 正面から飛び掛ったリザードマンの右腕に向かって、タケシの刀がアッパースイングで打ち込まれる。

 驚くほどに硬質な爪は、鋭い日本刀の刃と噛み合い、ギィン、と鋭い音を響かせた。

続けざまに振り下ろされた左腕に対し、タケシは素早く左手を腰に伸ばし、黒塗りの鞘を掴む。

 逆手で鞘を引き抜き、勢い良く振り上げ、リザードマンの左手首に打ちつける。

 手首を横から殴られた形になり、リザードマンは弾かれたように左腕を引っ込めた。

 この隙を逃さず、タケシは即座に反撃に転じる。

逆手に握った鞘を手の中で反転させ、リザードマンの鳩尾に突き込む。

 硬い鱗に護られているとはいえ、鞘の先端による狭い面積に集中した圧力は、内臓へと衝撃を伝えた。

 僅かに腕の力が弛んだ瞬間、タケシは右腕を鋭く捻って刃にからんだ爪を弾くと、手首の返しだけで鋭い斬撃を放った。

 こめかみを狙った刃は、しかし紙一重でかわされ、鱗の表面をかすめる。

 隙を与えず、タケシは鞘を相手の右脇腹へと叩きつけ、動きが鈍ったところへ刀を突き出す。

 首を狙った突きを、リザードマンはなんとかかわすが、その首が浅く、鱗ごとパックリと切り裂かれた。

刀と鞘の変則二刀流、それは攻防一体にして変幻自在。危険生物を相手にする為に生み出された、華麗にして実用的な戦技

であった。

タケシは人間である。人間であるにも関わらず、その身体能力は獣人を上回る。

 さすがにユウトのような規格外には及ばないものの、それでも人間という種の限界に近い身体能力を秘めていた。

聴覚、嗅覚は並の人間より遥かに鋭く、視覚、特に動体視力については鳥類にも匹敵する。

 筋力も、その反応速度も、常人とは比べ物にならない。

 百メートルは8秒で走る。垂直跳びは1.5メートル。バーベルは200キロまでクリアできた。

 細身といえる体付きだが、筋肉組織、骨強度、神経の情報伝達速度、傷の修復能力、全てにおいて常人を大幅に上回っている。

 身体能力だけを見れば、人間よりも獣人により近い。だからこそ、人間を大きく上回る能力を持つ危険生物相手に、肉弾戦

でも遅れを取らない。

タケシが交戦中の隙に、ユウトはもう一体のリザードマンと対峙していた。

「悪いけど、野放しには出来ないんだ」

浮かない口調でそう言うと、ユウトは表情を引き締める。

 その顔からは、先ほど見せた躊躇いの色は消えていた。普段は穏やかな蒼い双眸に、鋭い光が宿っている。

腰を僅かに落とし、左足を前に踏み出して身構える。

 闘志を宿して体毛が僅かに逆立ったその体は、本来のサイズよりも一回り大きく見えた。

構えたユウトめがけ、リザードマンは身を低くすると、その場で一回転した。

 直径30センチ程もある、しなやかで強靭な尻尾が、風を切って振りぬかれる。

ユウトは前に出していた左手を引き、顔の横で尾をガードする。

 どれほどの威力が有るのだろうか、鋭い打撃音とともに、尾の巻き起こした衝撃で、風に煽られたように、ユウトの被毛が

さわさわと揺れる。

 尾を受け止めた左腕は、毛皮の上からでもはっきりと判るほどに筋肉が隆起し、衝撃を支えて僅かにずれた右足の下で、ア

スファルトが浅く抉れる。

(手負いでこれは、キッツイな…)

ユウトは一刻も早くタケシに加勢すべく、早期決着を心に決めると、受け止めた尻尾を両手で掴んだ。

 リザードマンは慌てて尻尾を引いたが、がっしりと握られた尻尾は動かず、逆に体勢を崩される。

 ユウトは力任せに、捕らえた尻尾を横に振り回した。リザードマンは横へ数歩たたらを踏んだ後、宙に浮き上がる。

 尻尾を掴んでのジャイアントスイングである。強引な力技に、振り回されるリザードマンは為す術もない。

 そのまま数回転して勢いをつけると、ユウトは唐突に手を離した。

 ほぼ水平に宙を舞ったリザードマンは、平衡感覚を失ったまま、ビルの壁面に激突する。

 ぶつかった壁が崩れて大穴が開き、リザードマンはコンクリート片と共に地面に落下した。

 崩れ落ちたリザードマンに止めを刺すべく、すかさず地を蹴って金色の巨躯が突進する。その時、

「伏せろユウト!」

青年の鋭い警告の叫び。反射的に身を低くしたユウトの右肩を、後ろから飛んできた何かが掠めて飛び去った。

 肩を掠めて飛び過ぎて行ったそれは、ユウトの前方の壁に衝突し、拳大の穴を開ける。

素早く視線を巡らせると、警告を発したタケシが、もう一体のリザードマンと間合いを置いて対峙している。

 その横顔からは、常に冷静なこの青年にしては珍しく、緊張の色が伺えた。

 リザードマンが大きく口を開けた。

 吐き出されたのは、細く絞られた水流。素早く身を捌いたタケシの腕をかすめ、水流はビルの壁面に穴を穿つ。

 リザードマンが放ったのは、超高圧の水鉄砲である。もしも命中したら、その位置にポッカリと穴が開くだろう。

初弾をかわしたタケシめがけ、水流が乱射される。

 速く、威力も高い水鉄砲を、タケシはなんとかかわし続けた。しかし、足を狙った一撃をかわした拍子に、僅かに体勢を崩

してしまう。

 胸元へ放たれる水流に、しかしタケシは刀を盾にしてガードする。ギィンッ、と甲高い金属音と共に、白刃が折れ飛んだ。

 なんとか凌いだタケシだったが、水鉄砲の威力に押され、背中からアスファルトに倒れ込む。

追撃すべく、リザードマンが大きく口を開けたその時、

「雷音破(らいおんぱ)!」

 掛け声と同時に、大気を引き裂いて閃光が奔った。

 大人の頭ほどの大きさの光弾がリザードマンの体を捉えて炸裂し、リザードマンは爆風に吹き飛ばされる。

 青年が視線を移すと、正拳突きの姿勢で左拳を突き出しているユウトの姿があった。

 相棒が攻撃を避けられないと悟り、咄嗟に拳に纏っているエネルギーを弾丸として打ち出し、援護したのである。

 ユウトは青年の無事を確認すると、安堵の表情を浮かべた。

「大丈夫!?」

「済まない。助かった」

身を起こしたタケシは、吹き飛んだリザードマンへ視線を向け、

「しまった…」

その姿が消えている事に気付く。後には夥しい量の血溜りが残っていた。

 同時に振り返ったユウトも、自分が追い詰めたリザードマンの姿が消えている事を見て取る。

 先ほど叩き付けた際に出来たビルの壁面の穴に、血が付着しているのが見えた。

タケシは折れた刀を見つめ、ため息をついた。やけに哀しげである。

「ああ…、俺の長船…」

そこへ、歩み寄ったユウトが口を開いた。その視線は穴の奥へと向けられている。

「第二種どころじゃないね、少なくともキミと戦った方は、第一種の中位クラス相当だ」

「相手の力量を見誤った俺のミスだ。済まない」

タケシはちらりとユウトに視線を向け、目を見開いた。

「ユウト、肩を…」

「ああ、油断してたね、避け損なっちゃった」

ユウトのジャケットの右肩が裂け、肩から肘のあたりまでが、流れ出た鮮血で赤く染まっていた。

 直撃こそ避けたものの、水鉄砲はユウトの肩を深々と抉り取っていたのだ。

 傷の深さの割に、出血は少ない。獣人特有の高い再生能力が、すでに働き始めていた。

「屈め、応急処置をする」

タケシはズボンのポケットからスプレーを取り出し、肩の傷に噴射した。吹き付けられた薬が泡状に傷を覆う。

 ユウトは焼けるような激痛に歯を食いしばって耐え、漏れそうになるうめき声を押し殺した。

 青年は続いてシャツの裾を引き千切り、ユウトの肩に押し当てると、ズボンのポケットから包帯を取り出し、手早く固定する。

「ありがと…。早く追わなきゃ」

「その傷では右腕が使えないだろう。お前はここで待て」

タケシの言葉に、ユウトはムッとしたように言った。

「右腕はダメでも、左手と両脚がある。全部ダメなら喰らい付く。絶対に一人じゃ行かせないからね!」

タケシは口を開きかけ、そして閉じた。こうなった相棒はテコでも動かない事が、経験上判っていた。

「無理はするな。判ったな?」

「うん」

ユウトはタケシを安心させるよう、痛みを堪え、笑みを浮かべて頷いた。



追跡は、幸いにも短時間で済んだ。

リザードマンは、侵入した廃墟となったビルの屋上で、満月を見上げていた。

歩み寄る二人に気付くと、リザードマン達は静かに向き直る。まるで、観念したかのような、そんな印象を受けた。

「終わりにする」

言い放ち、一振りしたタケシの腕には、新たな刀が握られていた。折れた刀は鞘に収められ、左の腰に挿してある。

二人が一歩踏み出したその時、小柄な方のリザードマンの体がグラリと揺れ、床に倒れ伏した。

何が起こったのか判らず、見つめる二人の前で、大柄な方のリザードマンは倒れた仲間の脇に屈み、その頭にそっと触れた。

 倒れたまま、目だけ動かして仲間を見上げたリザードマンは、長く息を吐くと、目を閉じた。その体が弛緩し、やがて呼吸

も止まる。

大柄なリザードマンは立ち上がると、ゆっくりと二人に向き直った。

タケシは無言のままユウトを手で制し、リザードマンへと歩み寄る。

数歩の距離を残した所で立ち止まり、両者は対峙した。

空気が張り詰め、ピリピリとした感覚が、ユウトの肌を刺激する。

先に動いたのはタケシであった。横薙ぎの一刀を、リザードマンは右腕の刃のようなヒレで受け止め、左手の爪を振り下ろす。

 僅かに頭を傾かせ、前髪をかすらせる距離で爪をかわしたタケシは、右手の刀をリザードマンの右腕と噛み合わせたまま、左

手で鞘に収めた刀を掴む。

 逆手に引き抜かれたのは、先ほど折れた刀であった。振り下ろされた左腕が戻るより早く、最小限の動きで胸元へと滑り込ん

だ短い刃が、リザードマンの首を真横に、深々と切り裂いた。

 リザードマンは、空気の漏れる音と共に、両手を喉元にあて、鮮血を吐き出してのけぞる。

 その胸に、タケシは右の刀を突き刺した。鋭い切っ先が鱗の隙間から滑り込み、リザードマンはビクリと身を震わせると、が

くりと膝を折る。

胸から刀を引き抜き、数歩後退して油断無く構えたタケシを前に、リザードマンはゆっくりと倒れこんだ。

前のめりに倒れたリザードマンの目は、先ほど事切れた仲間へと向けられる。

生気を失っていくその顔は、何故か、穏やかな表情を浮かべているようにも見えた。

タケシは無言のまま刀を一振りして返り血を飛ばすと、軽く目を閉じ、短く黙祷を捧げた。その隣で、ユウトもまた胸に拳

を当て、目を閉じる。

一陣の風が、物悲しい響きと共にビルの屋上を通り過ぎ、戦いの終わりを告げて行った。



「いた!いだだだだだっ!も、もうちょっと優しく…って、いだぁい!!!」

救急病院の診察台の上で、ユウトは大声を上げた。

年配の医師に肩の傷を、それこそ雑巾でも縫うように縫合され、絶叫を上げるユウトから、タケシはそっと視線を外す。そ

して負傷したと聞き、わざわざ病院まで監査に来てくれたカズキへと向き直った。

「骨には異常は無いそうです。明日になれば多少は動かしても大丈夫だそうですが、数日間風呂は我慢し、シャワーだけにす

るよう指導を受けました」

「まあ、大事に至らなくて何よりだ」

手当てが終わり、肩を押さえて涙目になっているユウトをちらりと見て、苦笑いを浮かべると、カズキは脇に抱えていたノ

ートパソコンを開いた。医師はカズキが目配せすると、看護婦を伴って出て行き、部屋には三人が残される。

「情報を整理しておいた。あの二体、だいぶ無茶な改造を受けたみたいだな。小さめの方はかなり体の崩壊が進んでいた。何

もしなくとも、あと二、三日しか持たなかっただろう。大柄なほうも同じ、もっても数週間の命だったはずだ。…おそらく、

どこかの組織から逃げ出したんだろうな…」

新人の調停者が一度捕えたのは、弱っていた方だったのだろう。そして、もう一体がそれを救い出した。

 知性を殆ど持たないとはいえ、リザードマン達は、動物が見せるような仲間意識を持ち合わせていたのだ。

 それを思うと、ユウトはまた複雑な心境になった。



「大切な、仲間同士だったんだろうね、あの二人…」

事務所へと帰りながら、ユウトは月を見上げて言った。その隣でタケシもまた、月を見上げて頷いた。

「例えばさ、ボクが捕まったりしたら、タケシも助けに来てくれる?」

「馬鹿を言うな」

タケシは即答した。

「お前が目の前で捕えられるような愚は犯さない」

そう言ったタケシに、ユウトは困ったような顔をする。

「もっとも、お前を捕えられるような者が、そうそう居るとも思えないが?」

「だから、もし捕まったらの話なんだけど…。まあ良いか…」

苦笑をもらすと、ユウトは思い出したように言った。

「あ〜…、帰ったらお風呂に入りたかったけど、そういえばダメって言われたんだった…。体拭くだけで我慢かぁ…」

タケシはユウトの顔を見上げ、次いで包帯を巻かれた肩に視線を止める。

「その腕では不便だろう。体を拭くのを手伝うか?」

ユウトは少し頬を染めながら考え、やがて照れ笑いしながら頷いた。

「じゃあ、お願いしようかな」

「了承した」

人通りの無い薄暗い夜道。

寄り添うようにして歩んでいく二人を、明るい満月がいつまでも、優しく照らしていた。