第二十七話 「ハッピーハロウィン!」
「首都へ?」
驚いたように問い返したアケミに、ユウトとタケシが揃って頷いた。
「アルの所属しているチーム、ブルーティッシュとは付き合いがあってな。遊びに来いと、そこのリーダーから連絡が来た。
それで、今度の連休を利用して訪ねてみようかと考えていたのだが」
タケシが示す、机の上に広げられた一枚の紙には、ただ一言「遊びに来い」と書いてある。
これを手紙と言い切るあたりが凄い。と、少女は妙な所で感心した。
「車はボクが出すし、もし良ければ一緒にどう?」
「車って…、首都までかなりあるんじゃ…」
「平気だよ。下の道路をのんびり行っても、10時間程度もあれば余裕で着くから」
サラリと言ったユウトに、しかしアケミは難色を示した。
「でも…。私はそちらの方々と面識が無いですし…」
ユウトは窓の外へと視線を逸らしながら、口元に笑みを浮かべて呟く。
「アル君も会いたがってると思うんだけどなぁ…」
「行きます!是非連れて行ってください!」
アケミの決断は早かった。
ブルーティッシュは全調停者チームの中でも最大、最強とされるチームである。
首都とその周辺をテリトリーとし、軍と遜色のないレベルの機動力、組織力、制圧力を持つ。
構成員数500名、さらにメンバー一人一人が一流の調停者であるこのチーム一つのおかげで、ここ数年、首都近辺での目
立った大規模犯罪はほとんど無く、危険生物が持ち込まれる事もごくごく稀だ。
まさに首都の守護者ともいえる彼らだが、最強とされる所以は、その規模だけが理由ではなく、チームリーダーであるダウ
ド・グラハルトの存在による所が大きい。
デスチェインの異名を持つダウドは、その絶対的な戦闘能力によって最強とされる。そしてその指揮能力によりブルーティッ
シュを最強のチームたらしめている。
彼の類稀な求心力によって、たった2人のチームから始まったブルーティッシュは、数年で巨大な組織へと成長した。
そして、サブリーダーには神将家の一角、神崎家の令嬢、国内最高峰の探査型能力を持つ神崎猫音。作戦参謀には冷静沈着
で海外でのハンター経験が豊富な山形敏鬼。というように人材にも恵まれている。
タケシとユウトにとって、ブルーティッシュはただの同業者ではなく、かつて首都で起こったマーシャルローで共闘した、
信頼できる戦友達であった。
「見えて来たよ〜」
ハンドルを握るユウトと助手席のタケシの後ろから、アケミが前を覗いた。
行く手に見えるのは60階建ての巨大なビル。ブルーティッシュの本拠地であり、宿舎でもあるビルだった。
「…すごい…」
驚いた様子でビルを見上げるアケミに、ユウトは天井のルーフを開けてやった。
「あれは本事務所で、そのほかに5つの支所があるんだ。どこも立派だけど、ここが一番大きいね」
国内最大とは聞いていたが、少女はカルマトライブとの規模の違いに愕然とする。そしてふと思った。
(アルは、タケシさんとユウトさんだけで国内で5本指に入るって言っていたけれど…、二人だけで、こんな大きな所と同等
の実力を持っているっていう事なのかしら…?)
改めて他のチームの規模を目の当たりにすると、少女にはアルの評価が、どうにも信じ難い話に思えてきた。
敷地前のゲートで車を止め、ユウトは門番に挨拶する。
「あ、アークエネミー!?バジリスクも!?」
「やだなぁ。平時なんだから名前で呼んでよぉ!」
苦笑いしたユウトに、門番は恐縮したように敬礼した。
「し、失礼しました。いらっしゃるとは聞いておりませんでしたので、驚いてしまって」
「あ〜、やっぱりダウドは何も言ってないんだ…」
呆れたように言ったユウトに、タケシが問う。
「ネネさんには伝えなかったのか?」
「留守だったから仕方なくダウドに…。まったく、相変わらず大雑把なんだから…」
門番に見送られ、車を進ませてゲートを潜らせながら、ユウトはボヤいた。
受付の前でユウトが事情を話している間、タケシとアケミは広いロビーに設置された立派なソファーに腰掛け、傍らの全自
動コーヒーメーカーで入れたブルーマウンテンを飲んでいた。ちなみに無料。
一息ついている二人の視線の先で、受付で事情を説明しているユウトは、時折困ったように頭を掻いていた。受付嬢も困惑
顔である。
「呼ばれて来たというのに、状況は完全にアポなし来訪だな…」
タケシは特に表情も変えずに言ったが、言葉にはどこか苦笑しているような響きがあった。
「アケミ!タケシさん、ユウトさんも!」
聞き覚えのある声が聞こえ、三人は一斉にエレベーターの方へ視線を向けた。
乗客を下して閉まりかけているエレベーターの前に、馴染み深い、大柄な白熊の姿があった。
「アル!」
アケミが嬉しそうに声を上げた。
アルは息を切らせてドスドスと走って来ると、受付に何やら説明し、それからユウトと一緒に二人の居るソファーまでやっ
てきた。
アルは眉を八の字にして頭を下げ、申し訳無さそうに大きな体を縮める。
「お出迎えできなくて済まないっス…!実は、いまさっきリーダーが…」
「…あ…」
先日行われた作戦の参加者を集め、ミーティングで作戦を振り返っていたその時、ダウドは急に声を上げた。
ボードの前で各部隊の動きを再現し、説明していたトシキが、話を中断して振り返る。
全員の視線が一斉に集まると、ダウドは頭をがりがりと掻いた。
「いや、いい。続けてくれ」
「話を中断までさせておいてそれはないだろう。気になって仕方がないから話せ」
トシキがそう促すと、白虎は、
「ふと思い出したんだが…」
と決まり悪そうに切り出した。
「今日、カルマトライブが来る事になってたんだよな」
ダウドを除くその場に居た全員が、言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
「いやな…、たまには遊びに来いって手紙出したら「週末にお邪魔する」ってユウトから電話があってよ…。前のように宿舎
を貸すから泊まってけって言ったんだよなぁ…。うん。確か今日来る予定だ」
「ダウド、初耳なんだけれど?」
「オレも初めて聞いたっス…」
「俺も聞いてはいないな…」
隣にかけたネネが微妙な表情で尋ね、アルとトシキは責めるような目でダウドを見つめた。
「いやぁ、今週初めに電話貰ってたんだが、うっかり忘れてた。わははははは!」
「笑い事じゃないわよ!」
ネネが手元にあった分厚いファイルでダウドの頭を思い切り叩き、トシキは壁に設置された内線電話を取り、フロントへ連
絡を入れる。
「山形だ。急で済まないが、今日来客がある事が分かった。宿泊用の客間を…、何?」
トシキは一度言葉を切り、受話器に手で蓋をし、一同を振り向いた。
「…神代のご令嬢が、すでに受付に…」
部屋に、短い間、沈黙が落ちた。
「どうすんですかリーダー!?」
「何やってんですあんたは!?」
口々に責められたダウドが逆ギレ気味に言い放つ。
「えぇい!うろたえるな!ブルーティッシュの戦士はうろたえねぇ!」
「ならしっかりしなさいブルーティッシュのリーダー!」
が、思い切りネネにつっこまれて黙る。
「…済まないが、少しそこで待っていて貰ってくれ。こちらの不手際だ。くれぐれもこれ以上粗相の無いように対応して欲し
い。こちらからも誰か向かわせる」
トシキはフロントにそう告げると、ネネに視線を向けた。意図的にダウドには目を向けないようにしているのがいとおかし。
「誰か一人、ロビーに急行し、失礼の無いように対応に当たった方が良いだろう。お二方とも人が出来ているが、なにせリー
ダーの仕出かした失敗だ。礼を尽くさなければ…」
「…アル。ミーティングは免除するわ。後で誰かに要約して説明させるから…。悪いけれど事情を説明してきてくれる?私と
ダウドが行くのが筋でしょうけれど、二人抜きでミーティングを進める訳にもいかないから…」
「なるべく早く済ませる。頼むぞ」
ネネとトシキに言われたアルは、快く引き受けると、居心地悪そうに頭を掻いているダウドには視線を向けぬまま、ミーティ
ングルームを後にした。
「…って訳っス…」
「相変わらずアバウトだねぇ」
説明し終え、済まなそうに言ったアルに、ユウトは苦笑いしながら応じた。
「部屋の準備ができるまで少しかかるっス。仕度が終わるまで、所内を見て回るっスか?オレが案内するっスから」
「ああ、ボクらは良いよ。何回か来てるしね。じきに誰か来るだろうし、ここで寛がせて貰っとくよ」
「そうだな。…だが、アケミは初めてだ。アルに案内してもらったらどうだ?」
青年が促すと、アケミは少し考えた後、アルに問いかけた。
「ええと…、迷惑でないなら、お願いしても良いですか?」
「もちろんっス!」
遠慮がちに申し出たアケミに、アルは満面の笑みを浮かべて頷いた。
アルとアケミが連れ立って歩いていくと、ユウトは不思議そうにタケシを見る。
「何だ?」
「いや…、キミがそういう気の利かせ方をするのを初めて見たから」
「…気の利かせ方?」
タケシは訝しげに問い返し、ユウトは「ん?」と首を傾げる。
「二人きりにしてあげようと、気を利かせたんじゃ…」
「いや?ここは広い。迷子になっても困るだろう。事前に案内を受けていれば迷わずに済むと思って勧めたのだが?」
「あ、そう…」
ユウトは疲れたようにため息をついた。
「この20階から上が俺達の宿舎っス。自分の家が無いメンバーや、俺みたいに自分で部屋を借りるような余裕がないメンバ
ーが、部屋を割り当てられて暮らしてるっス。週交代で各支所に行くメンバー以外は、みんな宿舎で過ごしてるんスよ」
「500人以上でしたっけ?凄いですねぇ…」
アルはアケミと共にビル内を巡りながら各区画の説明をしていた。
「最上階は食堂っス。レストランにも負けないくらい美味いっスけど、ここだけの話、ユウトさんの作る料理の方が美味いっスね」
「屋上はヘリポートっス。全部で15機のヘリがあるっス。オレはあんまり好きじゃないんスけど、緊急時にはヘリで運ばれ
る事もあるっス」
「地下は駐車場とトレーニングルーム。プールもあるっス。昔、タケシさんがユウトさんに水泳を教えると称して突き落とし
て溺れさせたっていう逸話が残ってるっス」
「1階はさっき居たエントランスと受付で、2階から19階までが事務室やミーティングルーム…、要するに事務所としての
機能が詰まってるエリアっス。政府の許可を受けて、レリックの研究もやってるんスよ?」
一通り回った後、アルはエレベーターに乗り込み、アケミに問いかけた。
「一応こんなとこっスけど、他に聞いておきたい事はあるっスかね?」
「うーん…」
一瞬考えた後、アケミは何か企んでいるような目でアルを見あげた。
「…なんスか?」
アルは何か嫌な予感を覚えながら尋ねる。
「アルの部屋を見てみたいんですけど…」
「いぃっ!?だ、だめっスよ!見ても面白いもんでもないし!散らかってるし!汚いし!」
「そういう所が見てみたいんですよ。私、男の人の部屋って入った事が無いんです」
そう言うと、アケミはアルの手を握った。
「どうしても、ダメですか?」
「…うっ…!」
アルは上目遣いに見あげる少女を前に、しばし逡巡した後、
「ちょっとだけっスよ?」
しぶしぶ折れた。
「いやぁ悪い悪い!すっかり忘れててなぁ!」
タケシとユウトを前に、悪びれた様子も無く、豪快に笑いながら言ったダウドの脛に、ネネのローキックが炸裂した。
痛くないのか、涼しい顔のダウドを指し、ネネはため息をついた。
「ご免なさいね。この体も頭の中も白いのには後でキッチリ言っておくから…」
「気にしないでよネネさん。ちょっと戸惑ったけど、別にそれほど困った訳でも無いし」
苦笑しながらユウトが言い、タケシが同意して頷く。
「そうそう、たぶんダウドは言ってないと思うけれど、明日、ハロウィンパーティなの。せっかくだから楽しんでいってちょ
うだい」
「ハロウィンって、カボチャのランタンの?向こうのお盆みたいな風習だったっけ?」
「ええ、チームの福利厚生の一環として、メンバーの家族、特に子供達を楽しませようと思って去年から開催しているの。きっ
と楽しめると思うわ。なんなら、オバケに仮装しての参加でもいいわよ?」
「ふ〜ん…。面白そうだねぇ。良い時期に来れたなぁ」
楽しげに会話するユウトとネネの向こうでは、ダウドがクイッとお猪口を傾ける仕草をし、タケシが頷いている。
「コソコソと何の相談かしら?」
「なんでもねぇよ」
ネネにコワい顔で睨みつけられたダウドは、肩を竦め、そ知らぬ顔で応じた。
「…何と言うか…」
脱ぎ散らかした衣類が散乱しているリビングを眺め、アケミは呟いた。
その横で、アルは気まずそうにもじもじしている。ついつい押されて連れて来てしまったが、今では深く後悔していた。そ
して、アケミの顔をちらりと伺うと…、
「素晴らしいです!」
少女は感動していた。
「まるでドラマで見る独身男性の部屋そのもの…!ここまで散らかっているともう、芸術的ですね!」
ソファーにだらしなくかかったベスト、脱ぎ捨てられ、テーブルの角にひっかかっているズボン。そして床に散らばるトラ
ンクスやタンクトップ等の下着類…。なお、トランクスは赤地にピンクの派手なハート柄だった。
「…結構、可愛い趣味をしているんですね…?」
知られたくない事だったのか、アルは顔を赤くし、俯いて小さく頷く。
アケミはなおも珍しそうに部屋の中を見て回り、浴室に洗濯機がある事を確認すると、「よしっ」と呟いて腕まくりした。
「これだけ散らかっていると片付け甲斐がありますね!」
「片付けって…、え?ええ!?」
驚いているアルの前で、アケミは汚れたズボンやシャツやパンツを拾い集め始める。
「そ、そんな!いいっスよ!自分でやるっスから!」
慌てて止めに入ろうとしたアルに、アケミは両手一杯の衣類を突き出した。
「それでは、アルはこれを洗濯機で洗って下さい。私は掃除機をかけますから」
「いや、本当に自分で…」
「やらせて下さい。普段は、恋人らしい事なんて出来ないんですから…」
アケミの浮かべる照れたような微笑み。アルは顔を赤くして彼女に見とれた。
「さ、パパッと片付けちゃいましょう!」
「う、うっス…!」
嬉しいような恥ずかしいような、アルは微妙な気持ちで衣類を受け取り、頷いた。
作戦参謀執務室の自動ドアが開き、室内に入ってきた人物を認めると、山形敏鬼は書きかけの書類を机の脇に避け、立ち上
がった。
あらかじめ人払いをしてあるので、部屋に居たのはトシキ一人だけだった。
「お久しぶりです」
ユウトの言葉に、トシキが頷く。
「ああ。マーシャルローの事後処理以来…、約二年ぶりか」
ユウトにソファーにかけるように勧めると、トシキは向かい合って座った。
しばし、互いに自分の手に視線を落とし、無言の時が過ぎる。
「この間。二年ぶりに墓参りに行ってきました」
ユウトはそう呟き、それから微かな笑みを浮べた。
「未だに怖いんですよね、里帰りが…。皆に優しくされたら、決心が鈍りそうで…」
「無理も無い。…それに、立派な決心だとは思うが、隊長は君にそんな事を望んでは…」
「分かってます!」
ユウトの声が、トシキの言葉を遮った。
「…ごめんなさい…」
思いの外強い口調で言ってしまい、ユウトは小さく謝った。
トシキは首を左右に振ると、口元に笑みを浮べる。
懐かしむような目でユウトの顔を見つめるトシキの顔には、普段はあまり見せることの無い、相手を気遣うような優しい笑
みが浮かんでいた。
「一度言い出したら聞かないのは、昔から全く変わらない…。やはり隊長譲りかな…」
「そうかもしれませんね。数少ない母親譲りの特徴です」
二人は小さく呟き、愁いを帯びた笑みを交わした。
その夜、与えられた部屋で何やら縫い物をしているユウトに、タケシは訝しげに尋ねた。
「何を作っているんだ?」
「仮装用の衣装。明日のハロウィンパーティで使うんだ。ボクとアケミちゃんも飛び入り参加する事にしたから」
「そうか。それで、アケミは?」
「フロアの飾りつけを手伝いに行ったよ。もちろんアル君と一緒」
「俺も何か手伝うか?」
「ん〜、もうすぐ終わるし、こっちは良いかな。そうだ。ダウドと飲んで来たら?久しぶりなんだし」
タケシはしばらく考え、それから首を横に振った。
「いや、今日は大人しくしておこう」
そして、翌日の夜。
「Trick or Treat!(お菓子くれないとイタズラしちゃうぞ!)」
オバケに仮装した小さな子供達が、ブルーティッシュの宿舎を駆け回った。
実はこのパーティ、ちょっとしたゲームになっており、オバケ達は4つのチームに分けられていた。
宿舎の各部屋のドアにはそれぞれに対応した色の飾りが1つから4つ飾られており、オバケ達は自分のチームの色と同色の
飾りの部屋を探し出し、そこに入ってお菓子をせびる。脅かし終わったらドアの飾りを撤去し、その部屋は脅かし済みである
サインにする。
なるべく多くの部屋を回り、自分達のチームと同じ色の飾りを減らして行き、終了時間までに残した飾りが最も少ないチー
ムの子供達には、特別プレゼントが与えられるというゲームだ。
ネネとトシキは宿舎の空いている部屋に全種類の飾りをつけて、ワイングラスを傾けながら、かわいいオバケの来訪を待っ
ていた。
「去年はぶっつけ本番でやってみたけど、なかなか良いアイディアだと思わない?」
「そうだな。まあ、ゲーム方式にしてみたのは正解だったかもしれない。実際、子供達は夢中になっている様子だ…」
この部屋には、まだカボチャを被ったオバケ一人しか来ていない。順調に進めばあと3人は来る予定であった。
しばし時間が経つと、大人二人がワインを嗜みながら、ゆったりと時が流れるエレガントなその空間に、ドアをノックする
音が響いた。
「訪問にノックとは、礼儀正しいオバケだな」
「どうぞ、開いているわよ」
微笑しながら二人が言うと、ドアを開けて黒ずくめの魔女が姿を現した。
「Trick or Treat!(お菓子くれないとイタズラしちゃいますよ!)」
魔女の衣装を着て箒を持ったアケミが、後ろ手にドアを閉めながらニッコリ笑う。
「あら、ステキじゃない」
「ユウトさんがこっそり作ってくれていたんです」
少し恥ずかしそうに言ったアケミに、トシキがクッキーの入った小袋を手渡す。
「彼女も参加しているらしいな」
「ええ。でも、何の仮装をするかは教えてくれませんでした。それと、私が参加すると言ったらアルも…」
アケミの言葉が終わらないうちに、ドアが再び、今度は勢い良く開けられた。
「トリック・オア・トリート!(お菓子くれなきゃイタズラするっスよ!)」
全員が、入り口に立つ白い塊を言葉も無く見つめた。
「…リアクションが、いまひとつっスね…」
頬を掻いたアルに、ネネが困ったように尋ねる。
「それは…、ひょっとしてミイラ男?」
「当たりっス!」
全身真っ白になっているアルが胸を張った。もともと全身が白いからリアクションが悪い訳ではない。ミイラ男の全身に巻
かれているのは…。
「…トイレットペーパーですか?これ…」
「うス…。医務室に包帯を分けて貰いに行ったら、「ふざけるな!お前がミイラ男になるのに何本必要になると思ってるんだ
!」って追い出されたっス…」
「それは無理も無いな…、俺でも同じ事を言う…」
微妙な表情のネネがアルに菓子を手渡そうとしたその時、ドアが三度、今度は凄まじい程の勢いで開いた。
全員が驚いて視線を向けた先に立っていたのは、灰色の毛皮に覆われた巨躯。
「TRICK OR TREAT!!!(お菓子くれなきゃお前を取って喰う!!!)」
『こわっ!!!』
部屋全体をビリビリと震わせる大声に、アルとアケミが声を上げる。
「お菓子がからむと凄い迫力ねユウト…」
「ユウトさんのそれは、狼男っスか…」
「んふふ〜!どう?自信作!」
毛を灰色に染め、自前の耳に三角の付け耳を継ぎ足したユウトは、その場で背を向け、尻についているフサフサの尻尾を見
せる。尻尾も自前の尾に固定されているのか、根元のところからヒョコヒョコ動いた。
「あ、ちょっとかわいい…」
アケミが微笑しながら尻尾を撫でる。
「ところで、タケシが居ないんだけど、見なかった?」
お菓子を受け取りながら尋ねるユウトに、ネネはちょっとコワい笑みを浮べて見せた。
「たぶん、ウチの鉄砲玉に連れられて何処かへ飲みに出かけたわ」
「…せっかくのパーティーだっていうのに、あんの男共は…」
ユウトは呆れたようにため息をついた。
その頃、洒落たバーのボックス席で、話題の二人は同時にクシャミをした。
「風邪かダウド?」
「お前こそ」
顔を見合わせた二人は、思い当たることがあったのか、同時に視線を逸らして頬を掻いた。
「で、俺に何か用が有ったのだろう?」
「お見通しか。さすがはバジリスクってとこだな」
ダウドの世辞に、タケシは肩を竦めた。
「わざわざ宿舎を離れて二人になる理由を考えた。ネネさん達に聞かせたくない話かと思ったが、違うな…。おそらく、ユウ
トに聞かせたくない話なのだろう?」
タケシの問いかけに、ダウドは目を僅かに細め、顔つきを鋭くした。
「ご明察だ。あいつ、あの名前を聞いただけで平静じゃあなくなるからな…」
タケシの眉がピクリと動いた。
ユウトが平静で居られなくなる名前…。青年には、それに心当たりがあった。
「…また、ラグナロクが動いてるようだな…」
ダウドの口から出た予想通りの言葉に、タケシの目が鋭さを増す。
「…ラグナロク…、か…」
一昨年の冬、この首都でのマーシャルローで、国中から集った調停者達を相手にし、大きな爪痕を残して行った世界最悪の
組織。その名を耳にし、呟くように繰り返したタケシの言葉には、硬い緊張が孕まれていた。
「正直なところ、二度と関わりたくないと思っていたのだが…。そうも行かないのか…」