第三話 「相楽堂の若旦那」
「研修会議?」
フライパンを振るって、チャーハンを炒めながら、ユウトは首を巡らせて問いかける。
タケシは新たに購入したばかりの刀を、丹念に磨きながら頷いた。
「明後日、首都で行なわれる。調停者が担当する事件も多様化し続け、増加傾向にある。意識向上のためと、様々なケースへ
の対応の仕方を協議するための会議らしい。フリーの者はともかく、チームについては、止むを得ない事情がある場合を除き、
基本的にチームリーダーかサブリーダーが参加するように、との通達だった」
「明後日って…、ずいぶん急だね」
「昨年末から日程だけは決まっていたらしいが、調停者を一斉に召集しては、手薄になった所を狙って事件を起こす者も居る
かもしれない。その対策として直前まで伏せられていたそうだ」
「まあ、定休日だし、丁度良かったじゃない。ダウドに会えたらよろしく伝えといてね」
「了承した」
青年が頷くと、ユウトは天井を見上げた。
「じゃあ、ボクは何してようかな…」
少し気が抜けたように呟いたユウトに、タケシが言った。
「実は、今度の定休日には依頼も入っている。それも、こちらから出向く約束をしていた。折り悪く日程が入ってしまったが、
こちらの都合で延期する訳にもいかない。悪いが、お前が行ってくれないか?」
「構わないよ。特に予定も無かったし…」
ユウトは、香ばしく火が通ったチャーハンを皿に盛りながら応じた。心なしか浮かない口調なのは、実はタケシを連れて出
かけようと考えていたからである。相手が居ない以上、一人で出かけるのもつまらない。
「で、何処に行けばいいの?」
「お前も良く知っている人の所だ。たぶん、お前向きの仕事だと思う」
タケシの言葉に、ユウトは首をかしげた。
梅雨真っ盛り。
どんよりと雲が立ちこめ、鉛色に曇った空。今にも雨が降り出しそうで、そのくせなかなか降らない。
湿度も温度も不快指数も高いその日、何百段あるのか、先が見えない急な石段を、ユウトは一人で登っていた。
「まったく、なんでこんな日に、あんなトコまで行かなきゃならないかな…」
不機嫌そうに呟くと、足を止めて行く手を見る。両側を杉に囲まれた林の中の山道は、じとっとした空気が立ちこめ、風もない。
「あの家でば、何べん来てもいぎくりいづぐて、ごしぱらやげっごだ!」
ユウトはよほどイライラしているのか、ぼやいた言葉が郷訛り丸出しになっていた。意訳すると、「あの家ときたら、何度
来ても行き来しづらくて、腹が立つなあ」というような事を言っている。
早く終わらせて帰宅し、ゆっくりシャワーでも浴びよう。ユウトはそう考えながら、足取りも荒々しく石段を登って行った。
杉が一面に茂る、お椀を伏せたような形の山の頂上に、その屋敷はあった。
立派な作りの、古風な平屋建ての屋敷で、屋根は群青色の瓦に覆われている。
その屋敷の正面口前に、着物を着た30代と思われる男が立っていた。
男は、石段を登り切って姿を現したユウトを見ると、笑みを浮かべた。
「はるばるありがとう御座います。神代さん」
ユウトは男に会釈する。
「本当にはるばるですよ…。で、今回はいったい何ですか?若旦那」
男の名は相楽妖助。代々骨董品屋を営む相楽堂の若旦那である。
タケシが刀を購入するのがこの相楽堂で、刀マニア同士気が合うらしく、この若旦那は事あるごとに刀を仕入れては、タケ
シに勧めるのである。事務所の財布を預かるユウトとしては、もちろん面白いはずはない。かといって、この飄々とした雰囲
気の男を嫌っているという訳でもないのだが…。
「立ち話も何ですし、中へどうぞ。神代さんが来ると聞いて、潮満屋のケーキを用意していましたから」
「ご丁寧に有り難う御座います」
来る途中の不機嫌さはどこへやら、ユウトは満面の笑みでお辞儀した。
そう、こういう単純かつ効果的な手段で、若旦那はポイントを稼いでいるのであった。
「番人?」
ユウトは冷たい麦茶を飲みながら、若旦那に聞き返した。
「ええ、貴重な品を手に入れたのは良いのですが、どうやらこれがいわく付きの品のようで、触れようとすると出るんです。
番人が」
両手を胸の前で垂らし、何故か楽しげに幽霊の真似をするヨウスケ、ユウトは呆れたようにため息をつく。
「なんでまた、そういう難儀な物ばっかり手に入れるんですかね…」
この若旦那から連絡があったなら、いわく付きの品物に関わるトラブル解決の依頼と思ってほぼ間違いない。経験上よく解
っていた。
相楽堂は、国内でも数軒しかない、レリックを取り扱い、鑑定する資格を持つ店である。政府に認められた特定の立場の相
手、つまり、調停者や警察内の専門部署、自衛隊の特殊部隊などに、解析済みのレリックを販売する許可を持っている。そし
てその性質上、胡散臭い品物が入荷する事も珍しくはない。そしてその品にレリックである可能性があれば、今回のように調
停者に依頼が舞い込む事になったりもする。
「解りました。その番人をのして、触っても安全な状態にすれば良いんですね?」
「そのとおりです。この状態では鑑定どころではないので…」
「…なるほど、ボク向きの仕事って、こういう事か…」
ユウトは相棒の言葉を思い出し、納得したように頷いた。
ユウトは屋敷の中庭に案内された。
地面が剥き出しの広い中庭は、地面がしっかりと踏み固められており、まるでコロシアムを思わせる。
案内したヨウスケは一度屋敷に引っ込むと、長さ20センチほどの古びた木箱を手にして戻ってきた。中身に触れないよう、
慎重に蓋を開けると、箱の中から銀のネックレスが姿を現す。
それ自体がうっすらと光っているようにも見えるネックレスを目に、ユウトは思わず声を上げていた。
「これ、もしかして精霊銀なんじゃ?」
精霊銀とは、電池のような特殊な構造をとらなくとも、加工後の形状に関係なくエネルギーを蓄積する性質を持つ、極めて
特殊な金属である。自然界には存在しない一種の合金なのだが、現代の科学では精製は不可能であり、レリックと同レベルの
技術で創られたとされている。
「たぶん間違いないですね。しかし確認しようにも、うかつに触れられない状態でして」
ユウトは頷くと、両の拳を胸の前でガツンと打ち合わせた。
「それじゃ、早速始めましょうか」
ユウトが宣言すると、ヨウスケはネックレスを収めた箱を足下に置き、庭の隅に下がる。
彼が十分に離れたのを確認すると、ユウトは箱の前にかがみ込み、ネックレスに手を伸ばした。その指先がネックレスに触
れた瞬間、足下が大きく揺れる。
周囲の土が隆起し、ユウトを取り囲む。ネックレスから手を離して立ち上がると、ユウトは指をポキポキと鳴らしながら、
山となって盛り上がる、いくつもの土の塊を見回した。
やがて、土の山は人の形を取る。人といっても、目も鼻も耳も、口も無い。土の人形と呼ぶべきだろう。身の丈2メートル
半はある土人形は、ユウトよりも頭一つ分は大きい。
四方で盛り上がった土山は、ほんの3、4秒で四体の土人形に変化していた。
土人形達は、そろって腕を振りかぶる。電柱のように四本の太い腕が、ユウトめがけて一斉に振り下ろされた。腕は同時に
地面を打ち据え、大地を振動させ、土埃を舞い上げた。
ユウトの姿は、吹き上がった土埃の上、空中にあった。218センチ、199キロの巨躯が、まったく重さを感じさせない
身軽さで、宙に跳び上がっていた。
足が上、頭が下の逆さまの状態で、ユウトは土人形の一体の頭上を取り、その頭を掴む。土人形の頭を支点に、逆立ちした
ような状態である。ユウトはそのまま土人形の背後へと体を倒した。土人形は仰け反ったような体勢になり、一瞬後、その頭
部はユウトの腕によって簡単にもぎ取られる。
土の塊である頭部を足下に放り捨て、ユウトは振り向きつつ素早く間合いを取った。頭を失った土人形がゆっくりと向き直
る。その首の辺りで土が蠢くと、瞬時に頭部が再生し、元通りの形状となった。
「クレイゴーレムかあ…、術師のネックレスだったのかな?」
ユウトが眉を潜めると、ヨウスケが相づちをうった。
「先日、店の地下で試したら、床のコンクリートがゴーレムになりましたよ。そいつら、多少の損傷はすぐに再生しますから、
気をつけてくださいね」
両手を口元に当ててメガホン代わりにし、緊張感のまったく無い口調でヨウスケは言う。ユウトは頷き返し、不敵な笑みを
浮かべて言った。
「なら、直らなくなるまで叩きのめすだけですよ」
ゆっくりと近づいてくる土人形を前に、ユウトは右足を前に上げ、勢いよく地面に踏み降ろした。中国拳法の震脚である。
ズシンという音と地響きが、10メートル近く下がっているヨウスケの位置まで伝わるほどの、なんとも力強い震脚だった。
左手を前にかざすように、右手を脇腹にひきつけるようにして構えると、その両腕がぼんやりと光を纏った。
これがユウトの能力、世界共通の能力分類上ではエナジーコートと呼ばれる力である。
生命力をエネルギーに変え、物理的な力場として身に纏う能力。エネルギーでコーティングされた肉体は、刃をも素手で受
け止め、弾丸すらも物ともしない。
しかし、この能力の欠点は消耗の激しさにある。本来は瞬間的に纏い、身を守るという、数十秒維持するのも難しい能力なのだ。
しかしユウトは幼い頃からの修練により、手、足など部分的にだけ纏う事を可能にし、さらに常識離れしたスタミナによっ
て、数分間継続使用する事もできる。加えて力場の形成、解除を一瞬で行う事も可能で、この加減によってエネルギーの無駄
な発散を抑え、持久戦にも対応できるように磨き上げてきた。
腰を落として身構えたユウトは、一番前にいる土人形を見据える。近づいてきた土人形が間合いに入ると同時に、ユウトは
素早く、そして力強く一歩踏み出した。
大きく踏み込んだ左足が数センチ地面にめりこみ、繰り出した右拳が土人形の胴に飛び込む。命中した瞬間、ユウトの拳が
強く輝き、土人形の胴体は、爆破されたように弾け飛んだ。胴体を粉々にされ、上下に二分された土人形は、さすがに修復で
きないらしく、そのまま土に戻った。
粉々になった土くれが降り注ぐ中、ユウトは滑るように前進する。
次の一体を視界に捉えると、大きく踏み込むと同時に両手を前に突き出す。両の掌が、最初の一体のすぐ後ろに居た土人形
の胸を捉え、突き飛ばす。半ば吹き飛ぶように後ろへと倒れ込む土人形へ、低く跳躍したユウトの飛び蹴りが炸裂した。ユウ
トの両手の手形がつき、押し固められた土人形の胸部は、燐光を纏った鋭い蹴りで射抜かれ、大穴が空いた。
宙のユウトめがけ、左右から同時に、二体の土人形の腕が伸びた。両側から頭を潰しに来たその腕を、ユウトは首を反らし
てかわす。鼻先をかすめて激突したその腕を掴み、逆上がりの要領で体を持ち上げて宙へと跳び上がる。その巨躯からは想像
もつかない柔軟性と身軽さ。まるで軽業師のような動きに、ヨウスケは思わず口笛を鳴らしていた。
宙へ跳んだユウトは、空中で身を捻り、全体重をかけた踵を、一方の土人形に叩き付けた。光の尾を引き、まさかりのごと
く振り下ろされた踵は、頭部を破砕し、胴体を両断し、股下へと抜ける。
真っ二つになった土人形が土に還る前に、ユウトは振り向きながら身を低くした。後ろから繰り出された土人形の腕が、頭
をかすめて空を切る。腕をかいくぐった状態から一歩踏み出し、ユウトは土人形の胴へ、突き飛ばすように両の掌を打ち込ん
だ。よろめいた所へさらに踏み込み、同じ箇所へ左肘をたたき込む。両足が地面から離れ、宙へと浮いた土人形めがけ、渾身
の力をもって、とどめとばかりに右拳を打ち込む。命中の瞬間にユウトの拳が再び輝き、土人形の胴体が粉々に弾け飛んだ。
素早く拳を引き、再びズシンと震脚。残心を行い、全ての土人形を倒した事を確認したユウトに、ヨウスケは賞賛の拍手を
送った。
「お見事!ゆうげき…何でしたっけ?あの光るパンチ」
「熊撃衝(ゆうげきしょう)です」
ユウトは手をパンパンと打ち合わせ、埃を払いながら答える。
打撃が命中する瞬間に、拳や脚に纏っていたエネルギーを開放、拡散させ、打撃の破壊力を飛躍的に高めるという、ユウト
の十八番である。
「そうそう、熊撃衝でしたね。また破壊力が上がったんじゃないですか?」
「これの元になってる散華衝(さんげしょう)と比べれば、まだまだですよ」
「そうでしょうか?かなりの物だと思いますよ?それにつけても、岩をも砕く豪腕に、サーカスの軽業師顔負けの体捌き。い
やぁ、ユウトさんの戦い方は、いつ見ても芸術ですねえ」
満面の笑みを浮かべ、ヨウスケはユウトに歩み寄った。
「誉めたってなんにも出ませんよ?それに、芸術って言うなら、タケシの剣術の方がよっぽどそうですし」
ユウトは地面に置かれたネックレスの箱を見つめた。
「もう大丈夫だと思いますけど、念のため…」
ユウトはヨウスケを下がらせると、屈み込み、ネックレスにゆっくりと手を伸ばす。
自分の指先が触れても、何も起こらない事を確認し、ユウトはネックレスを掴み上げた。
ヒヤリと冷たいそれを手の上に乗せて、ユウトはヨウスケの傍に歩み寄る。
「はい、防御機能は無事に解除されたみたいです」
「ありがとうございます」
ヨウスケは微笑んでネックレスを受け取り、その感触を確かめる。
「あれだけの防御機能が備えられていたのも頷けます。本来の所有者にとっても、貴重な品だったのでしょう」
「それ、すごく純度が高かったりするんですか?」
問いかけたユウトに、ヨウスケは笑いながら、ネックレスの裏を見せた。
訝しげに、目を細めてそれを見たユウトは、一瞬目を丸くし、次いで微笑んだ。
「なるほど。これは確かに大切だったでしょうね」
ネックレスの裏、そぎ落とされたように平らになっているその面に、小さく、細かい文字で、こう掘り込んであった。
―――愛しき君へ、永久に変らぬ愛の印しに―――
「さて、お疲れ様でした。メロンも冷やしておきましたが、いかがですか?」
「喜んでいただきます」
二人は笑みをかわし、連れ立って屋敷へ戻っていった。
最終列車で会議から帰ったタケシは、リビングに入った所で足を止めた。
リビングでは、机につっぷす形で、砂嵐を映すテレビに顔を向け、ユウトが眠っていた。壁時計に目をやれば、すでに午前
二時を回っている。おそらく、待ちくたびれて眠ってしまったのだろう。
普通であれば、周囲の気配に敏感で、誰かが近付けば即座に目を覚ますユウトだが、タケシには気を許しきっているのだろ
う。彼だけはどんなに近付いても、軽く体に触れても、眠ったまま目を覚まさない。
タケシは揺り起こそうとして歩み寄ったが、思い直してやめた。
代わりにテレビのスイッチを切り、一度自室へ行き、薄いタオルケットを手にして戻ってくると、ユウトの肩にそっとかけた。
「おかえり…タケシ…」
突然呟くユウト。
起こしてしまったかと思い、タケシはその顔を覗き込む。
どうやら寝言だったようで、ユウトは目を閉じたまま、ムニャムニャと口を動かしている。その寝顔には、僅かに笑みが浮
かんでいた。
「…ただいま、ユウト…」
タケシは静かに呟いて微笑み、しばしの間、ユウトの幸せそうな寝顔を見つめていた。