第三十三話 「告白」

タケシが退院する時にも、ユウトは顔を見せなかった。

電話にも出ず、メールにも返事は無い。

一緒に暮らすようになって丸二年以上、考えても見れば、ユウトとこうも距離を置くのは初めての事だった。

肩の負傷のせいでほとんど動かない右腕は、首から三角布で吊るしてある。痛めた足を引き摺るように歩くその姿からは、

濃い疲労と、苦悩が感じ取れた。

一人バスに乗り込むと、タケシはぼんやりと窓の外を眺める。

…ユウトは、事務所に居るだろうか?自分が眠っている間、きっと色々と考えただろう…。

…思い出してしまった…。…もう、傍に居ることは許されない…。だが、会わなければならない…。会って、罪を償わなけ

ればならない…。

青年はバスの窓から流れる景色を眺め、拳を握り込んだ。



日没直後の夜闇の中、タケシは事務所の前に立った。

灯りはついておらず、見上げる窓は暗い。

玄関に上がり、灯りをつけると、タケシはまずリビングに入った。

誰も居ない真っ暗なリビングを見回したタケシは、長い時間過ごしてきたこの部屋が、これだけ広かったのかと、改めて思った。

ユウトの居ない部屋は、青年一人には持て余す程に広く、そして静かだった。

もしや、ユウトは出て行ってしまったのではないだろうかと、一瞬考えた。

しかし、どうやらそうではないらしい。

キッチンには洗っていない食器が放置されており、机の上には携帯が置き去りにされている。どちらも、ユウトにしては珍

しい事だった。

綺麗好きなユウトは、食器を使えばすぐに洗う。

他者との繋がりを大事にするユウトは、常に携帯を持ち歩く。

ユウトが深く傷ついているのが、痛いほど解った。

タケシはリビングを抜けて廊下に出た。そして自分の部屋の前を通り過ぎ、ユウトの部屋の前で立ち止まる。

ユウトは部屋の中に居る。

音がする訳でも、声が聞こえた訳でもないが、ずっと一緒に過ごしてきたユウトの気配が、確かに部屋の中にあった。

ノックしようと手を上げては、決心が固まらずに下ろす。タケシは部屋の前に立ちつくし、何度もその動作を繰り返した。



灯りもつけず、ユウトはベッドの上に身を横たえ、扉に背を向けている。

少し前に玄関のドアが音を立てたのが聞こえていた。入ってきたのがタケシだということは、確かめるまでもなく分かっている。

そして、少し前から、ドアの向こうにタケシの気配を感じていた。

闇の中で、ユウトは横たわったまま窓の外を眺めている。

身じろぎひとつせず、ユウトはじっと見つめている。

ただ黙って、ユウトは窓の外を蒼い瞳に映している。

いやに大きな朱い月が、夜空にぽかんと浮かんでいるのが、窓枠の隙間から見えていた。



タケシは迷った末、やっと心を決めた。

自分が気配を察しているように、ユウトもこちらの存在には気付いている。

それでも何も言ってこない事が、自分達が、もう元の関係ではなくなっている事を、雄弁に物語っていた。

「ユウト…」

タケシは、静かに口を開いた。

部屋の中で、ユウトが微かに身じろぎした事が、はっきりと感じられた。

「…済まない…」

タケシの告白は、静まりかえった事務所の廊下に、いやに大きく響いた。

「…俺は、ラグナロクだ…」

僅かな沈黙。ユウトは応えず、物音一つしない。外を走っていった車の音だけが、やけに耳に残った。

「…そして、やっと思い出した。俺がかつて、北原でした事を…」

微かに、ユウトが動いたのを感じ、青年は黙り込む。

「俺は…、俺は…」

青年は、その言葉をゆっくりと吐き出した。

「かつて北原で…、お前の母を殺めた…」

部屋の中で、ユウトが息を呑む音がはっきりと聞こえた。

「六年前、移送途中のレリックを強奪するため、ラグナロクの特殊部隊が派遣された」

タケシは深い眠りの中で思い出した事を、静かに話し始める。

「部隊は移送進路の先で、爆弾を使って雪崩を起こした。護衛の半分が状況を調べる為にレリックから離れた。…その中にお

前が居たことは、後でお前の話を聞いて知った。…部隊は半分に減った護衛を襲撃し、激しい戦闘が起こった。視界がきかな

い程の猛吹雪の中で、俺は一人の女性と斬り結んだ。金髪の、蒼い瞳の女性だった」

部屋の中で、何かが動く気配があった。

「未熟だった俺には、荷が重い相手だった。だが、彼女は遠くから聞こえた誰かの声に、驚いたように一瞬の隙を作った。俺

は、動きが鈍った彼女の…」



気が付くと、ユウトはドアの傍に歩み寄っていた。

その目は大きく見開かれ、体はカタカタと震えている。

タケシの告白に、母を失った時の記憶が掘り起こされてゆく。



一面の銀世界、15歳のユウトは、どこまでも続く雪景色を眺めていた。

この年、大学卒業レベルの知識を修め、卒業試験をパスしたユウトは、北原を活動の場とするハンター、ようするに北原で

の調停者のチームを率いる隊長に頼み込み、見習いとしてレリックの移送を護衛する任務に同行させて貰っていた。

休憩中のために停車した雪上車。ユウトはその大きな雪上車の上に座り込み、飽きることなく北原の景色を眺めていた。

氷点下25℃、風があるため体感気温はさらに下がる。だが、元々寒さに強いユウトには、防寒具を通して浸透してくる冷

気すらも、動き通しで暖まった体には心地よいくらいに感じられた。

「寒くないの?」

振り返ると、防寒具を着込んだ女性が、ユウトの背後に立っていた。

180センチはあるだろうか、背が高い女性だった。すらりとした長身に、黄金を溶かし込んだような金色の髪、澄んだ湖

を思わせる蒼い瞳。

神代家とも個人的に付き合いがあり、時折訪ねてくるので、ユウトは幼い頃からこの女性を知っている。自分と良く似た瞳

のこの女性の事が、ユウトは大好きだった。

「平気。フレイアさんこそ、寒くないんですか?」

「ユウト、任務中よ?今は「隊長」と呼びなさい」

「失礼しました。隊長っ」

頬を掻いて苦笑いしたユウトに、フレイアと呼ばれた女性は微笑した。

しばらく、とりとめもない会話を交わしていた二人は、離れたところから響いた轟音に、素早く視線を巡らせた。

「雪崩…、かな?」

「そうらしいわね」

あわただしい足音が聞こえて来て、ユウトとフレイアは首を巡らせる。

「隊長、進行ルート上で雪崩があったようだ」

防寒具を着込んだ男が駆け寄り、静かに告げると、フレイアは雪上車から飛び降りた。

「困ったわね…。これから荒れそうだっていうのに…」

フレイアは空を見上げてため息をつく。

「部隊の半分を連れて、雪崩の状況を調べてきて。除去可能なようであればルートを保持。不可能なら迂回しましょう」

敬礼して立ち去ろうとした副隊長に、フレイアの傍らにドシッと飛び降りたユウトが声をかけた。

「副隊長、ボクも連れて行って下さい。自慢じゃないけど肉体労働は得意だし、寒さにも強いから、きっと役に立てます」

副隊長はフレイアに視線を向ける。

「どうしたものかしらね?ユウトは私のいいつけ、ちっとも守らないから…」

意地悪そうな笑みを浮かべて言ったフレイアに、ユウトは頬を膨らませる。

フレイアは微笑すると、少し背伸びして手を伸ばし、ユウトの頭を撫でた。ユウトはこうやって彼女に時折頭を撫でられる

のが、子供扱いされているようで恥ずかしかったが、嫌いではなかった。

「まあ良いわ。その代わり、ちゃんと山形副隊長の言うことは聞くこと。いいわね?」

「はい!」

ユウトは嬉しそうに返事をする。副隊長はフレイアが頷くのを見て、ユウトの同行を許可した。

「よし、では手伝って貰おうか」

これまで特に仕事も任せられなかったユウトは、はりきって頷く。

「それじゃあ、行ってきますね」

「ええ、忘れ物はない?くれぐれも気をつけてねユウト」

「もう!また子ども扱い!」

笑顔で交わしたこの言葉が、実の母との最期の会話になるとは、この時のユウトは知るよしもなかった。



「これは、除去は無理だな…」

崩れた氷山で完全に塞がった渓谷を眺め、副隊長が困ったように言った。

「迂回ルートを探さねば…。どうした?」

副隊長であるトシキの隣に、ユウトが眉根を寄せて進み出た。天を仰ぐようにして、冷たい風の中に鼻を突っ込み、ユウト

は鼻を鳴らして風の中に混じる匂いを確かめる。

「これ…、火薬の匂いだ…。微かだけど間違いない!」

ユウトの言葉に、隊員達の顔色が変わった。次の瞬間、残りの部隊が待機している方角で、真っ赤な照明弾が上がる。

「くっ、罠か!戻るぞ!」

ユウトはいやな胸騒ぎを覚え、駆け出す他のメンバーの前に飛び出した。

「待て!一人で離れるな、一緒に来い!」

一人先行しようとするユウトを、トシキが呼び止める。

「ボク一人だけなら、短時間で戻れます。行かせて下さい!」

「駄目だ、君一人を危険な目に遭わせる事はできない」

「何故ですか!?ボクが見習いだから!?」

苛立たしげに言ったユウトに、副隊長は首を横に振る。

「そういう事では…」

「例え見習いでも、たった一人でも、戦力にはなります!」

再び駆け出そうとしたユウトに、トシキが声を荒げた。

「隊長の一人娘を死なせる訳にはいかないのだ!」

ユウトの足が、ピタリと止まった。雪が、パラパラと舞い降り初める。

言葉の意味がすぐには理解できず、大熊はゆっくりと顔を巡らせる。

トシキは「しまった」というような顔で、ユウトを見つめていた。

「フレイアさんの…、娘…?」

これまでに感じていた家での違和感の正体。

両親のどちらとも似ていないという微かな自覚。

他人であるはずのフレイアに抱く、深い親愛の感情の出所。

本来赤銅の被毛のはずの神代の血筋でありながら、金色の被毛と蒼い瞳を持って生まれてきた理由。

パズルのピースがはまるように、様々なものが繋がっていった。

「言うなと、言われていた…。実家で暮らす方が、君にとっては幸せだからと…」

弁解するように呟くトシキと、困惑したように立ちつくす隊員達。

ユウトは振り向くと、強くなり始めた雪の中、他の隊員を置き去りに、猛スピードで雪原を疾走し始めた。



走りながら何度もフレイアの名を叫び、息を切らせてユウトが戻った時には、襲撃は、すでに終わっていた。

すでに雪は吹雪に変わり、視界が悪い。

吹き荒れる雪の中、ついさっきまで元気だった隊員達が、雪面に倒れ伏し、白い大地を血で染めていた。

ユウトはフレイアの姿を求めて周囲を見回し、雪塗れになって歩き出す。

やがて、ユウトは雪上車の後ろで足を止めた。

レリックを収納していた分厚いハッチ。こじ開けられたその扉に背をもたれ掛け、フレイアは座っていた。

最期まで戦い抜いたのだろう。手にした長剣は傍らに突き立てられており、防寒具は血で赤黒く染まり、凍り付き始めている。

胸に刺し傷があり、そこから大量の血が流れ出て、ズボンを伝って雪を真っ赤に染めていた。

口元から僅かな血が零れ出た以外に、顔は汚れておらず、半眼に開かれた蒼い目は、泉の水面のように静かに、ユウトの姿

を映していた。

不思議な事に、その顔には微笑しているような、穏やかな表情が浮かんでいた。

薄く雪を被り、血に塗れ、穏やかに微笑んだまま事切れているフレイアの姿は、これまでにユウトが見てきたどんな女性よ

りも美しかった。

それなのに死んでいる事が、ユウトには理解できなかった。

ユウトは屈み込み、そっと手を伸ばし、指先で優しく、フレイアの口元から血を拭う。

「ねぇ…、ねぇっ…。フレイアさん?ねえってば…」

肩に手をかけ、軽くゆすると、フレイアの首ががくんと俯いた。

「ねえ?ボク、本当は父さんと、フレイアさんの娘だったんでしょう?」

ユウトはフレイアの頬に触れ、顔を覗き込む。

「…知らなかったんだ…。だから、…だから…」

ユウトの視界が、不意にぼやけた。ボロボロと涙を流しながら、ユウトはフレイアの体に縋り付いた。

「ごめんなさい!ごめんなさいっ!気付かなかった!知らなかったんだ!母さんだって知らなかったから…!」

温もりが失われ、冷たくなっていくフレイアの顔に頬をすり寄せ、ユウトは子供のように泣きじゃくった。

「ごめんなさい!良い子にするから!きちんと言いつけ守るから!母さんって呼ぶから…!だから…、だから起きてよ…!ま

た頭を撫でてよ…!ボクの名前を呼んでよぉおっ!置いてかないでぇ!母さあぁぁぁあん!!!」

白い闇の中で、ユウトは声を上げて泣き続けた。



「…彼女の胸に剣を突き刺した」

タケシの声が途切れると、ユウトは一瞬の夢想を終え、現実に引き戻された。

告白を終えたタケシは、ドアの向こうに無言で立っている。

ユウトは早鐘のように鳴り続ける自分の鼓動を、耳元に聞いていた。

しばしの静寂の後、タケシは再び口を開く。

「…お前には、復讐する正当な理由がある」

僅かな沈黙に続き、青年は言った。

「俺を殺せ。ユウト」

ビクリと、ユウトの体が震えた。

「俺の存在は傍にいる者を不幸にする。死んで償うなど、虫が良いという事は解っている。…だが、俺にはこれしか罪を償う

方法が思いつかなかった…」



全て言い終えたタケシは、胸のつかえがとれたような気分だった。

ユウトは、ドアのすぐ向こうに立っている。青年にはそれがはっきりと解った。

動く気配は無い。ただ黙って、息を殺して立っている。

ドア一枚隔てただけの、ほんの僅かな距離でありながらも、自分とユウトの間に横たわるこの隔たりは、何と分厚く遠い物

だろうか…。

無理もない。そうタケシは思う。知らなかったとはいえ、実の母を殺した男と二年半も同居していたのだ。

記憶を失っていたとはいえ、ユウトを騙していたという罪の意識は消えない。何度も救われた。人並みの幸せを与えてくれ

た。そんなユウトに対し、結局自分は不幸を与える事しかできなかった…。

気持ちを落ち着かせるまで、少し時間がかかるだろう。自分がここに居てはその邪魔になる。タケシはそう考え、口を開いた。

「…リビングで、待っている…」



去ってゆくタケシの足音が、ドア越しにユウトの耳へ届いた。

リビングの扉が閉まる音を確認すると、ユウトは後ろ向きに数歩後ずさり、ベッドに座り込んだ。

両手で顔を覆い、肩を震わせ、ユウトは声を押し殺して泣き始めた。



カーテンを開け放って窓際に立ち、タケシはリビングの窓から、見慣れた夜景を眺めていた。

副作用での眠りの内に、記憶はかなり戻っていた。

涅槃の平原で会った金髪の女性が、かつて自分が殺めた相手だという事を思い出した時、ユウトから聞いた話と繋がった。

ショックを受けなかったといえば嘘になる。だが、ユウトが受けた衝撃を思えば、この程度は微々たるものだった。

これまでの思い出を振り返り、数時間が経った頃、リビングのドアが静かに開いた。

暗い部屋の入り口に、見慣れた相棒の姿が、そして始めて見る憔悴しきった顔があった。

ユウトは視線を床に向けたまま、言葉もなく、静かに、後ろ手にドアを閉じる。ずっと泣いていたのだろう、目は腫れ、頬

は濡れていた。

ユウトはリビングの中ほどまでゆっくり進むと、足を止めた。

愛した者の手にかかって死ぬ。重すぎる罪を犯した自分には、幸せ過ぎる最期だ…。タケシは静かに窓際を離れ、ユウトに

歩み寄った。

向かい合って立ち、表情の抜け落ちたようなユウトの顔を見上げると、青年の胸は激しく痛んだ。

「…済まなかった…。言葉でどんなに詫びても足りはしない…。この命をもって贖おう…」

ユウトの両手が、ゆっくりと持ち上がる。自分に向かって伸ばされる腕を前に、タケシは目を閉じた。

心優しいユウトの決心が鈍らぬように、目は合わせず、苦しげな素振りは見せず、できるだけ記憶に留まらぬよう、せめて

静かに死のう…。

腕が首に回され、柔らかい、ふさふさとした被毛が頬を撫でる。

その感触に、つくづく自分は幸せ者だと思う。そして、これからのユウトにも、幸せが訪れるようにと心の底から願った。

太い腕が後ろまで回った直後、タケシは息を詰まらせた。

タケシの首に手を回したユウトは、その体をきつく抱き締め、声を殺して泣いていた。

「…ユウト…?」

困惑して目を開けるタケシ。

「……ない…よ…」

ユウトはすすり泣きながら呟く。

「…できないよ…。タケシを殺すなんて、できるわけ…ないよっ…!」

タケシはユウトのすすり泣きを聞きながら、胸の奥を抉られるような痛みを感じていた。

「できるはずだ。憎い仇がここに居る。お前が少し締め上げれば、それだけで…」

「分かってる!分かってるよ!でも…、それでも…!」

ユウトは子供のように鼻をすすり上げた。

「どんなに頑張っても、「憎い」より、「好き」の方が強いんだ!」

ユウトの言葉は、まるでハンマーで殴られたような衝撃を与え、青年は目眩を覚えた。

「母さんを殺したのがタケシだって事、黙ってれば分からなかったのに、タケシは隠す事無く打ち明けた…。記憶を失う前の

タケシの事は良く知らない…。悪人だったかもしれない…。酷いヤツだったかもしれない…。でも、それでも今ここに居るタ

ケシは、鈍感で常識知らずで不器用だけど、根は真っ直ぐで正直な、ボクが大好きなタケシのままだ!」

目の奥が熱くなり、胸の奥がチリチリ焼ける。頬を伝い落ちる熱いものを感じ、タケシはそっと手を触れる。透き通った滴

が指先で玉になる。それが涙だと気付くまで、数瞬を要した。

「一緒に居てよ…、ずっと、ずっと傍に居てよ…、ボクを置いて、どこかになんか…行っちゃ嫌だよぉ…!」

ユウトは崩れ落ちるように膝を着き、タケシの胸に顔を埋めた。

「俺は…」

青年は、掠れた声で呟いた。

「俺は…、ここに居て良いのか?」

青年の胸の中で、ユウトが頷く。

「お前の傍に居ても、良いのか?」

ユウトは何度も何度も、繰り返し頷く。

「俺と居れば、まだまだ辛い思いをする事になるぞ?」

「タケシが居なくなるより辛いことなんて無い!ボクは、キミが居なきゃダメなんだ!」

叫ぶようなユウトの言葉に、タケシの胸の中で、何かが弾けた。

「ユウト…」

生まれて初めての涙を流しながら、タケシはユウトの頭に腕を回し、抱き締めた。

「ユウト…、ありがとう…。…愛している…」

タケシの腕の中で、ユウトは一瞬驚きの表情を浮かべたが、やがて、嬉しそうに目を細めた。

夢見るような穏やかな表情を浮かべ、ユウトはタケシの胸に頬を押し付ける。

「ずっと言えなかった。言葉にすれば壊れてしまいそうで…。お前が何処かへ行ってしまいそうで…」

タケシは胸を濡らすユウトの涙と、その息遣いを確かに感じながら、静かに、思いの丈を打ち明ける。

「本当はずっと、黙っているつもりだった…。素性も知れない、まっとうな人間ではないだろう俺が、誰かを好きになるなど

許されないと思っていた…」

タケシの告白を聞きながら、ユウトは幸せそうに目を閉じた。

「やっと言えた…。そして何度でも言う…。済まない…。そして、愛している。ユウト…」

ユウトによって、自分は赦された。だが、自分は己自身をまだ赦せはしない。

死んで償うのではなく、生きている限り償い続けよう。二度と傷つけはしない。命に代えてもユウトを護り続ける。その決

心が、タケシに自分の気持ちを吐露させた。

ユウトはタケシの胸から顔を離し、泣きはらした顔に微笑を浮べた。

「ボクも、ずっと…、ずっとコワくて言えなかったんだ…。タケシ、大好きだよ…」

ユウトは、いつのまにか、自分が獣人であるという事を負い目に感じていた事に気付く。

自分と釣り合う相手ではないと、心の底では思っていたのかもしれない。だが、タケシは自分を愛していると言ってくれた。

長い、長い我慢の日々が、今ようやく実を結んだ事を、ユウトは実感していた。

ユウトはタケシの顔を見つめると、恥じらいながら目を閉じた。

タケシはユウトの顔をそっと手ではさみ、顔を近づけた。

灯りも無い暗い部屋の中、窓から月が見守る中で、二つの影が不器用に唇を重ねた。